気が付いた時、私は独りぼっちだった。
古ぼけた遺跡の冷たい地面から起き上がった私は、どうして自分がこんな場所にいるのかを思い出すことができなかった。
覚えていたことは何もなくて、ただ私が目覚めた場所にあった棺に『リュミーフォート・ユジャノン』と書かれていることは読み取れた。
酷く頭が痛んだ。だけどどこか遠くに懐かしい気配を感じて、私はそこに向かわなければならないような気がした。
気配の主はよほど遠くにいたらしくて、私の足で駆けても辿り着くまでに三度も陽が沈んだ。とにかくお腹が減って、何かを摂食しないと今にも倒れてしまいそうだった。
私の探していた気配まであと少しというところで、私はとても美味しそうな匂いを嗅ぎ取った。匂いにつられて近づいていくと、鉄を身体に纏った人間たちがたくさん座っていて、その中心で何かを煮込んでいるらしい大きな鍋が見えた。
お腹が鳴った。大きな音で、ぎゅるると鳴った。
その音で気が付いたのか、私が吸い寄せられるように鍋へ近づいていると、その周囲で食事していた人間たちが慌てた様子で立ち上がった。
ざっと眺めてみたところ、どれも小さい気配だった。きっと農民か何かに違いない。
対価のアテはないけれど、お腹が減って死にそうなのでご飯を分けてもらうことにした。あんなに大きな鍋だから、少しくらい良いに違いないよ。
「ご飯を分けてほしいな」
私がそう告げると、彼らは怪訝そうに顔を見合わせて、それから剣を抜いた。
……いや、あれは剣ではないね。薄い棒の形をしたガラクタだ。あんなものを剣と呼ぶのは冒涜だよ。それだけは何にも思い出せない私にもわかる。
どうしてかはわからないけれど、あの剣モドキを見ていると無性に業腹だった。
『貴様、そこで止まれ! 我々は帝国軍東方守護隊である!』
男が大声で何かを叫んだけれど、それを聞いて私は困ったことに気が付いた。
なんて言ってるかわからない。
「おなか、へった。わかる?」
『……なんだ? どこの言葉だ? 共和国の訛りでもないな』
「おなかぺこぺこ。空腹限界」
『となると、もしや魔族……いや、まさか例の魔神か!? 総員、戦闘準備!』
私が空腹を訴えていると、なぜか彼らは全員食事をやめて立ち上がった。殺気を向けてきているけど、まさか戦うつもりなのかな。
『何者かはわからんが、とにかく捕らえよ!』
男の声に合わせて、一番近くにいた男が二人駆けてきた。左右から同時に剣モドキを振るってきたから、私は何もせずにそれを受けた。
ドス、という音がなって、私の身体に当たった剣は止まった。彼らは一瞬嬉しそうな顔をしていたけど、私が黙って見つめていると、その顔に焦りが浮かんだ。
私は彼らの腕を掴んで、適当に放り投げた。放物線を描いて後ろへ飛んで行った彼らは、ぐしゃりと落下して気絶した。
その光景を見ていた他の人間たちは、駆け寄ろうとしていた足を止めた。
『伝令部隊! 強力な魔族が出現したと本部に伝えろ! 残りは全員でかかれ!!』
男が何かを叫ぶと、遠くにいた数人が馬に乗ってどこかへ走っていった。そして残りは剣モドキを構えて私を取り囲んだ。さっきみたいにすぐ斬りかかっては来なかったけど、遠くから矢を射かけてきたのでそれを掴んで止めた。
剣モドキと弓矢を持っているのを見るに、もしかしたら彼らは農民ではないのかもしれない。
とにかく襲ってくる以上は、反撃しないと。ゆっくりご飯も食べられないから。
矢の無駄だとわかったのか、周囲から一斉に斬りかかってくる農民たちを見渡して、私は軽く地面を蹴った。
***
「……足りない」
大きな鍋の中身を覗き込んだ私は、ほんのちょっとしか残っていないスープを見て愕然とした。これだけでは腹の足しにはならない。もっといっぱい入っているかと思ったのに……。
そこで転がって動かなくなっている農民たちは、戦う前にご飯をほとんど食べ終わっていたらしい。彼らが使っていたお椀も、そのほとんどが空っぽだった。
とにかく無いよりはマシだと思って鍋の中身を全部食べ終わったところで、私は立ち上がって空を見上げた。
強そうなのが来た。
『三百人がもう全滅してるじゃない。報告が遅かったんじゃないの、マグカルオ』
『あらァン、伝令ちゃんが来てから最短最速よン。それはルルーもわかってるでしょ?』
ピンク色の髪に、六枚の翼を生やして飛んでる子供。
よく鍛えられた身体をした、宙に浮かんでいる男。
二人とも強いね。気配が大きい。きっとそこで転がってる農民たちをいくら集めたって、あの二人には歯が立たないと思う。
『どうやら兵士たちは一人も死んでないようねェ。それだけは不幸中の幸いだわン』
『つまり、それだけ実力差があったってことでしょ。……最初から殺す気で行くわよ』
ピンクの子供から殺気が吹き出して、勢いよく羽ばたいて突っ込んできた。私がそれを眺めていると、ピンクの子供は腕を振るった。すると指が鞭みたいに伸びて襲い掛かってきたから私はそれを掴んで止めた。音よりも速かったけど、軌道はわかりやすい。
そのまま掴んだ指を引っ張って地面に叩きつけようとしたけど、引っ張った瞬間に指がプツンと千切れてしまった。だけど指の断面から出血はしていない。自切だ。
指に気を取られていると、ピンクの子供が口から液体を勢いよく吹き出した。顔を狙った液体を避けると、命中した地面が抉れた。仄かに刺激臭がする。強い酸だ。
私は地面を蹴って、飛んでくるピンクの子供に肉薄した。回避するそぶりは見せたけれど間に合わなかったみたいで、私の拳を正面から受けて吹き飛んでいった。
ガードは間に合っていた。私の拳はピンクの子供の右手に受け止められていたし、その右手は不思議な感触をした緑色の体表に覆われていた。きっと大したダメージはない。
殴った瞬間、花の蜜のような甘い匂いがした。よく見ると、虹色の細かい毛が周囲に漂っている。
「……む」
左腕のおかしな感触に目を向けると、さっき千切れた長い指が、細長い白蛇に変わって噛みついていた。私の皮膚に牙は通らなかったけど、牙から出た毒液が付いている。
私は白蛇を遠くに投げ捨てながら毒液を適当に拭って、地面に着地しようとした。だけど、突然地面が四角く切り取られて、私の足元にぽっかりと大きな穴が開いた。
『ごめんなさいね。恨みはないけど、潰れて頂戴な』
宙に浮かんでいる大男の声を聞きながら、私は落下していった。足場は無くても姿勢の制御で落下の方向は変えられる。穴の側面まで足が届けば、どれだけ落下しても地上まではすぐに戻れる。
だけど私の想定は少し甘かった。私が辿り着こうとしていた側面の壁が、自ら私に迫ってきた。四方から迫ってきた壁は、私が身動きできないように強い力で押し潰してくる。
……そしてそれは、私にとって都合が良かった。
全方位から押し潰してくるということは、私の足元にしっかりとした足場ができたということだから。
私は足元の土を全力で蹴りながら、頭上の土を全力で殴りながら、地上を目指した。
数十回それを繰り返した頃、私の息が続くうちに地上へ脱出することができた。吹き飛ばした土が降り注ぐ中、私は敵の二人を見上げた。
『はァ!? 嘘でしょ!? 鬼人族だって指一本動かせない圧力だったはずよぉン!?』
『〝白死ヘビ〟の毒液も皮膚に付着した。〝虹色カイコ〟の毒毛も吸い込んだ。なのに生きてるなんて……』
空を飛んでいる二人が何か言っているのを聞きながら、私は目覚めたときから羽織っていた外套に手を突っ込んだ。
それは本能に刻まれた所作だった。強力な敵との戦いを経て、きっと私の身体が戦いの作法を思い出したんだ。
「抜剣―――『空在遊剣フォリスレピア』」
***
『ルルー!! マグカルオ!!』
何かを叫びながら駆け寄ってきたのは、黒い髪の男だった。
きっと私の足下で転がってる、この二人の仲間なんだと思う。こうして動かなくなるまでにかなり激しく抵抗されたから、増援が来てしまったのかもしれない。
だけどその人間はそんなに強そうじゃなかった。この強い二人のように『魔剣』を使うまでもない。適当に殴ったらそれで動かなくなる程度だと思う。
それでもどうしてだろう、不思議と目を離せなくなるような何かを感じた。
『貴様……よくも俺の仲間をッ!!』
怒りの表情を浮かべている黒い髪の男が、美しい装飾の剣を抜き放った。あれは装飾だけじゃなくて実用性も兼ね備えている。あれなら『剣』と認めてもいい。
『うぉぉおおおおおおおおおおおッ!!』
叫びながら駆けてくる黒い髪の男は、洗練された太刀筋で私に斬りかかってきた。私はその剣を手で掴んで止めると、彼の胸にデコピンをした。吹っ飛んでいったその男は遠くまで転がると、ふらつきながらもまた立ち上がった。
私が剣を掴んだままだと気がついた黒い髪の男は、それでも素手のまま私に向かって駆けてきた。
流れるような乱打を躱しながら、私は彼の動きを観察する。なかなか堂に入った構えと体捌きだった。弟に似て攻撃は少し愚直だったけど、それも実戦を積んでいけば良くなるはずだと思う。
……弟? 今、私は弟と言ったの?
『はぁぁああッ!!』
黒い髪の男のかけ声で我に返ったとき、彼の拳が私の顔に当たった。
なぜか彼の方が驚いたような顔をしていたけど、私にダメージはない。きっと彼の手のほうが痛かったと思う。
私は彼をうっかり殺してしまわないように気をつけながら攻撃しようとして……彼の背丈が急に大きくなったことに驚いた。違う。私が膝をついたんだ。力が入らない。
そのまま地面に倒れ込んだ私は、さっき全力で動いてしまったことを後悔した。
ぎゅるる、とお腹が鳴った。
「……お腹がすいた。動けない」
すごくまずい。動けないから殺されてしまうかもしれない。というかその前に餓死してしまうかもしれない。死ぬならせめて『使命』を果たして……『使命』? なに、それは?
私が地面に転がっていると、黒い髪の男が恐る恐るしゃがみこんで、顔を近づけてきた。
「今の言葉……もしや、古代リパグラシャ語か?」
「!!」
私の知ってる言葉が聞こえてきて、驚いた。黒い髪の男が、私と同じ言葉を使っている。
「私の言葉、わかるの?」
「少しだけな。とはいえ遙か昔の言語だ、あまり自信はない。共和国の鉱山都市レグペリュムの者たちが今でも使っているからと、帝王学の一環で習わされたのだ」
遙か昔? レグペリュム? よくわからないけど、言葉が通じるのは嬉しい。
「お腹がへったんだ。ご飯をわけてほしいな」
「は? 腹が減った……だと? おい、ちょっと待て。あそこの鍋……まさか貴様、腹が減って我々を襲ったのか!?」
「ちがうよ。襲われたんだよ。ご飯を分けてって言っただけなのに」
私がそう答えると、黒い髪の男は手で顔を覆って、すごく深く息を吐き出した。
「……飯をやったら、我々の邪魔をせず大人しくしてくれるのか?」
「ご飯をくれるなら、言うこときくよ。そうだ、戦い方を教えてあげる。貴方はすごく弱いから。それに、あそこにいる農民たちにも剣を造ってあげよう。あんなゴミしか持ってないのは可哀想だから」
私がそう言うと、黒い髪の男はすごく疲れたみたいな顔になった。
「……余の名前は、ヴェルハザード・バルド・ベオラント。この国の皇帝だ」
「そう。私の名前は多分、リュミーフォート・ユジャノンだよ。私が誰かは覚えてないけど、きっと皇帝ではない気がするよ」
私の名前を聞いた黒い髪の男……ヴェルなんとかかんとかは、またすごく大きな息を吐いて、携帯食料の干し肉を私の口にねじ込んだ。
すごくおいしかった。
鍛錬の魔導師 リュミーフォート ───了