第三章 一歳四ヶ月 過去と涙と魔女裁判
プラザトスまでの道のりも、残り三日ほどといった頃。
夕暮れ時の気持ちいい風が吹き抜ける丘を進む馬車の中で、私は遠くの岩山の麓あたりに不思議な街を見つけました。
なんというか、前世の古代ギリシャを連想するような、石で造られた結構な広さのある街です。ところどころに神殿のようなものが見えたりと、なにやら遺跡チックな建物が散見できます。
私が窓に張り付いてその石造りの街に視線を注いでいると、ダンディ隊長がガイド役を買って出てくれました。
「あれは、鉱山都市レグペリュムだな。質の良い鉱石や金属が採掘され、さらにそれを高い加工技術によって細工し輸出している街だ」
へぇ~。じゃあ職人さんの街なんですね。
もしかしたら綺麗なペンダントとかあるのかな? お母さんにお土産として買って行ったら喜ぶかも……と思いワクワクしていると、しかしダンディ隊長は「ただ……」と声を低くします。
「あそこに住む者たちは全員が排他的で、よそ者の侵入を絶対に許さない。我々が手にすることのできる商品は、彼らが輸出したものだけとなっている」
ふーん。あそこで直接買うことはできないんですね。じゃあ元値から価格を釣り上げ放題ってことじゃないですか。有名ブランドっぽいし、ボロい商売ですね。
もしかしたら商業都市トーレットでよく探してみれば、そういうお店もあったのかもしれません。
いや、それなら首都プラザトスの方が近いし、そっちに流れてるかも知れませんね。私の首輪が外れたら、帝国のみんなにお土産を買っていくのも良いかもしれません。
あ、でもお金が足りるかな?
「ねぇ、ケイリスくん。まだおかねはいっぱいのこってる?」
私が隣に座っているケイリスくんに呼びかけると、彼はハッとして私を振り返りました。
「な、なんですか、お嬢様?」
「……ケイリスくん、だいちょうぶ?」
なんだか浮かない表情のケイリスくんでしたが、「大丈夫です」と言われてしまってはそれ以上突っ込めません。何かあったら言ってくれるでしょう。
「レグペリュムに住む人間は、総じて肌が浅黒く、並はずれた筋力を持ち、そして背が低いのが特徴だな。身体のサイズに比例して手が小さいおかげか、細かな造形に適性があるらしい」
ダンディ隊長の挙げていったその特徴を聞いていると、私はリュミーフォートさんを連想してしまいました。彼女は褐色肌ですし、あの筋肉の塊であるマグカルオさんを蹴り飛ばすほどの力を持ち、そして鍛冶職人なので手先もきっと器用でしょう。
するとネルヴィアさんも同じ事を考えたのか、「あ、あの……背が低いというのは、大人でもそうなんでしょうか?」と遠慮がちに質問を挟みました。
するとダンディ隊長は「ああ」と頷いて、
「どんなに背が高くとも、せいぜい常人の半分ほどしかないらしい。その分、ある程度の年齢までは成長する速度が早いと聞くが」
つまり、大人の男性でも身長八十~九十センチくらいってことですか。
だったらリュミーフォートさんは関係なさそうですね。彼女は足がすっごく長いですから、身長は百七十センチを余裕で超えていたと思います。
それだけ排他的な街なら混血ってこともなさそうですし、背丈の特性が無くなるくらい血が薄まっていたら、他の特徴だって無くなっていてもおかしくありません。
するとレジィも興味が湧いたのか、その赤銅色の瞳を細めて、
「あのでっかい建物はなんだ? 右の奥にある、柱が手前に十六本あるやつ」
……そんな具体的な指定をされても、人間の視力だとそこまではっきりとは見えません。
しかし隊長さんは大体どれのことを言っているのかわかったらしく、
「おそらく、ヨグペジャロト遺跡のことだな。かつて古代の人類が建てたとされている神殿のようだ。もちろん、詳しいことは街の人間しか知らないわけだが」
古代……っていうと、もしかして勇者教で語られているような時代でしょうか?
私や魔導師様たちの〝二つ名〟の元ネタにもなっているような怪物たちが跋扈する時代から遺されている建造物なら、相当な歴史的価値がありそうですね。
「遺跡はまだ発掘作業が続いているらしく、こうしてたまに遠くから見ていると、遺跡の露出している範囲が前回よりも広がっている。恐らくは同時に遺跡内部も発掘されて、古代の遺物が発見されているのかもしれないな」
なるほど。それじゃあ古代に使われていた武器とか、工芸品とか、今の時代には失われている物質とか、古代人のミイラとかがあったりするのでしょうか。それはなかなかロマン溢れてますね。
けれどもわざわざそんな街に寄り道をするような理由もなく、私たちは丘を越えてその先を目指しました。
***
そろそろ陽も沈みかけてきた頃。ちょうど大きな山の麓に辿り着いた私たちは、山越えを明日に回すことにして、この場所で野営をすることにしました。
騎士隊の人たちは百人を超える規模なので、野営の準備も結構大がかりです。
一方私たちは保存食を齧って馬車で雑魚寝するだけなので、そんな彼らを手持ち無沙汰に眺めているだけでしたが。
やがて野営の準備を終えたらしい騎士たちが、焚き火を囲んで談笑していた私たちの元に集まってきました。
そして開口一番、
「竜騎士殿! 是非我々にご指南頂きたく!!」
騎士の中でもとりわけ若い人たちが、ネルヴィアさんに向かってビシッと敬礼しました。
ちなみに『竜騎士』というのは、いつのまにか騎士隊の人たちがネルヴィアさんをそう呼び始めた二つ名のようなものです。共和国では『竜騎士』という称号は騎士の最高の栄誉らしいので、非公式とはいえ竜騎士という呼び名が浸透しているネルヴィアさんは、よほど彼らにその実力を尊敬されているということでしょう。
ネルヴィアさんは魔剣を使わなくても普通の獣人くらいならタイマンで勝てるほどの実力者なので、こうして経験の浅い騎士たちが彼女に手ほどきしてもらうというのが最近のブームみたいでした。たしかにネルヴィアさんは、有名な盗賊団の団長に手加減を見破らせなかった上に、そのあと瞬殺してしまうほどの実力ですからね……まさに才能の塊です。
つまり相手の実力に合わせることも上手いわけで、指南役としてはもってこいなのでしょう。
……でもね、キミたちがネルヴィアさんに鼻の下を伸ばしてることはわかってるし、一部の人に至っては、視線が彼女の豊満な胸部に釘付けになってることなんてお見通しなんだよ? ルローラちゃんが据わった目で「殺るなら手伝うよ」ってボソッと耳打ちしてきたくらいだからね。
うちの可愛い娘に色目を使いやがったら即、○○○を△△△るからね……?
ネルヴィアさんがあたふたしながら「え、えっと……」と私の方を見てきたので、私は笑顔で送り出しました。たまには私たち以外の人とも交流しないと、人見知りが治らないですしね。
するとそこで、騎士の集団がもう一グループやってくると、
「レジィ殿! 我々にもご指南頂けないでしょうか!!」
と、同じような言葉をレジィにもかけました。
レジィは剣なんて使いませんし、ネルヴィアさんと違って器用に手加減したりはしないので、より実戦的な稽古が行えます。
レジィが獣人であるということはここにいる騎士たちも知っていますし、レジィほどの実力者に稽古をつけてもらえる貴重な機会を逃したくはないという心構えは、国家を守護する騎士としては感心します。
レジィは私が頷くのを確認してから面倒くさそうに立ち上がると、
「しょーがねぇな。ただし模擬刀なんかじゃ練習にならねぇから、真剣でかかって来い。どうせ当たりゃしないからな」
そう言うと、レジィはさっさと私たちから離れて行っちゃいました。
基本的に獣人は狩猟本能が強いので、戦いが大好きです。普段私と一緒にいる時は戦いなんて滅多にないので、そのストレスをこういった場で発散するつもりなのかもしれません。
それに騎士たちが自分の強さを見込んで慕ってくれるというのは、レジィにとっても気分の良いものでしょうしね。この調子なら、獣人族が人族に受け入れられる未来も、そう遠くないのではと思えるような光景です。
……なんて考えていると、そこでルローラちゃんが「じゃ、あたしはちょっと」と言いながら立ち上がり、馬車に戻って行っちゃいました。もう寝るんでしょうか?
んー、じゃあやることもないし、二人の稽古風景でも見に行こっかなぁ……と私が立ち上がると、そこで隣に座っていたケイリスくんが、そっと私の手を握って引き止めました。
「……ケイリスくん?」
「あの、お嬢様……ちょっと良いですか?」
「どうしたの?」
なんだか言い辛そうに目を伏せるケイリスくんは、一瞬だけルローラちゃんが入って行った馬車にチラリと視線をやって、
「その……見せたいものがあるんです。というより、話したいことというか……えっと……」
珍しく歯切れの悪い物言いをするケイリスくんに、私は何となく彼の意図を察しました。
「それは、ここで?」
「いえ、そっちの山の中です。できれば、二人っきりで……」
不安げな光を瞳に宿したケイリスくんは、縋るような目つきで私を見つめてきます。私の腕を掴んでいる彼の手に、ぎゅっと力がこもりました。
くっ……あざとい! そんな風にお願いされたら私が絶対に断れないと、知っててやってるんですかね……!?
私はケイリスくんのほうに身体を向け直すと、彼の首に腕を回して身体を預けました。するとケイリスくんはホッとしたような表情を浮かべながら、私の身体に腕を回して抱き上げてくれます。
それからランタンを手にしたケイリスくんは、竜騎士や獣人との手合わせで盛り上がっている騎士たちを尻目に、夜の山へと歩いて行きました。
ランタンと私を両手に抱えながら歩いて行くケイリスくんは、どこか物憂げな表情でした。
地面はこれといった凹凸もなく、比較的歩きやすい山道です。しかし墨を流し込んだような闇が揺れる様は不気味で、どうにも居心地の悪さを感じてしまいます。
そうして私たちは無言のまましばらく進んでいると、次第にケイリスくんが周囲を見回す頻度が増えていっていることに気が付きました。人気がなければどこでも良いというわけではなく、何かこの山の中で見せたいものが具体的に存在しているのでしょうか?
やがて、人が通るために草木が伐採してある山道を外れたケイリスくんは、背の低い茂みをまたいで草むらへ入って行きます。
途中、ランタンの光に釣られて飛んできた羽虫に驚いたケイリスくんが「ひうっ」と小さく悲鳴を上げますが、虫は私が手で払ってあげました。……ほんとは私もすごい苦手なんですけどね。
十メートルほど草むらを進むと、やがて私たちは少し拓けた場所に出ました。
雑草の背も低く、木々もまばらなその場所に着いた途端、ケイリスくんは思わずといった感じに「あ……」と声を漏らして立ち止まりました。
どうしたの、と訊こうとした私は、そこで彼の手が震えていることに気が付きます。
再び歩き出したケイリスくんは、そこで斜面から突き出した一本の細い木に近づいて行きました。
その木の側面、地上から一メートルくらいのところから伸びている枝には、錆びてボロボロになった銀色の腕輪が引っかかっています。
ケイリスくんは私を地面に降ろし、ランタンを傍らに置くと、その木の根元にしゃがみこみました。
「これを……この場所を、お嬢様に見せたかったんです……」
「え?」
震える声で紡がれたその言葉の意味がわからず、私はこの後に続くであろう彼の言葉を待ちます。
するとケイリスくんは俯いてその表情を隠しながら、消え入りそうな声で呟きました。
「五年前、ボクがこの場所に…………お父様を埋めたんです……」
………………は?
私は頭の中が一瞬で真っ白になってしまい、どんな反応も返すことができませんでした。
う、埋めた? お父様って、つまり、ケイリスくんのお父さん? なんで? こんな山の中に? え?
まったく事情が呑み込めない私は、蹲って嗚咽を漏らし始めたケイリスくんを、ただ呆然と見つめることしかできませんでした。
しかし私はひとまず思考を放棄することにして、今はとにかく泣き崩れてしまったケイリスくんに寄り添ってあげることが先決だと結論します。
とはいえ今の私にできることと言えば、小さな身体と短い腕で彼を抱きしめてあげることくらいでしたが。
……それからしばらくして。
少しくらいは私の慰めも効果があったのか、徐々にケイリスくんの嗚咽は収まっていって、やがて鼻をすんすんと鳴らす程度にまで落ち着いてくれました。
その頃になると、ケイリスくんは濡れたまつ毛にランタンの光を反射させながら、恐る恐るといった風に私へ視線を向けてきます。
「すみません……取り乱しちゃって」
「ううん、だいちょうぶだよ。それよりも、その……どういうこと?」
「……はい。順を追って、お話しします」
ケイリスくんはそう言うと、こっそり深呼吸をしながら目を伏せました。
それから私がケイリスくんに触れていた手に、彼はそっと自分の手を重ねてきます。
「お嬢様も、もうなんとなく察しはついていると思いますけど……ボクが生まれ育ったのは、帝都じゃありません。……今まで嘘をついていて、ごめんなさい」
いつかのケイリスくんは、自分は帝都で生まれ育った使用人の家系だ、と言っていました。しかしそれにしては、どうにも腑に落ちない言動が多く見られたのも事実です。
当たり前のように共和国の地理や内情に精通していたり、街中の……それも教会の中でさえ帽子やマフラーを外さなかったり、初めて訪れたはずの街を守るためにエルフの里へ命がけで突撃していったり……。
ケイリスくんの口から直接言われるまでは、敢えて考えないようにしていましたが……それらの事実をまとめていけば、さすがに察しも付こうというものです。
「ボクが生まれた場所は、プラザトス……このイースベルク共和国の首都でした」
ケイリスくんの告白したその事実を、私は自分でも意外なほど冷静に受け止めることができました。驚きというよりは、納得の気持ちが大きかったためでしょう。
けれども、続けて彼が口にした事実に関しては、同じようにはいきませんでした。
「そしてボクの本当の名前は、〝ケイリス・トリルパット〟……五年前まで、共和国の大統領だった父の元に生まれました」
だっ……大統領!? イースベルクの!? そ、それってつまりケイリスくんは、えっと、共和国の王子様みたいなものじゃないですか!……いえ、もちろん世襲制ではないので、ケイリスくんが血筋として偉いとかそういうことは無いんですけど……でもそういう偉い人たちの中では、二世っていうのは珍しくないでしょう。
それにこの世界の教育水準で考えると、まずそれなりのお金持ちじゃないとまともな教育を受けることさえ困難なのです。ですからその時点で、大統領になれる人間というのは、元々良い家柄に生まれたほんの一握りの人間だけです。
あれ? でもちょっと待ってください。
ケイリスくんのお父さんが、元大統領だったというのなら……。
私がほとんど反射的に、彼が埋められているという目の前の地面に視線を落とします。
「……現在の共和国大統領は、ミールラクス・トリルパット……ボクの伯父です」
「えっと……ケイリスくんのおとうさんの、おにいさん?」
「はい、そうなります」
再び私がケイリスくんへと視線を戻した時、私は思わずびくりと肩を震わせました。
普段は冷ややかで淡白な彼の瞳には、今やはっきりと憎悪の炎が燃え上がっていたのです。
軋むほどに歯を食いしばっていたケイリスくんは、心底から忌まわしげに……その事実を吐き捨てました。
「そしてその男こそ……ボクのお父様を陥れて、死に追いやった張本人なんです……!!」
***
───ぽつりぽつりと、ケイリスくんは自身の忌まわしい過去を私に明かしてくれました。
ケイリスくんが四歳の時。彼の父、グラトス・トリルパットは、イースベルク共和国の大統領に就任しました。
その生真面目な人柄と的確な政治手腕によって高い支持率を誇った彼は、それはもう優秀な政治家としてその辣腕を振るったそうです。
彼には仕事が優秀な人物にありがちな、家庭を顧みない部分があるようでした。
しかし、それでも国のために日々頭を悩ませては指揮を執り、そして国民を救う父親の姿は、ケイリスくんにとって自慢だったそうです。
ケイリスくんのお兄さんが生まれてから十五年も子宝に恵まれなかった夫婦にとって、ケイリスくんは待望の第二子でした。
けれども元々あまり身体が強い方ではなかったケイリスくんのお母さんは、高齢出産によってますます弱ってしまい、一日の大半をベッドの上で過ごすことになります。
しかしそれでも心優しく穏やかな彼女にケイリスくんはよく懐き、ほとんど片時も傍を離れませんでした。
……だからこそ、ケイリスくんが七歳の時に、病気で体調を悪化させた彼女がそのまま亡くなってしまった時には、ケイリスくんは酷く塞ぎこんでしまったみたいです。
ケイリスくんのお兄さんは元々あまり家には居着かず、母親の訃報にも淡白な反応だったそうですが……対するケイリスくんの落ち込みようは酷いものでした。
趣味の裁縫や絵画も、乗馬や楽器の習い事もすべて投げ出して、一日中お母さんの部屋に引きこもってしまうほどだったとか。
そんなケイリスくんを外の世界に再び連れ出すきっかけとなったのは、〝三つ編み〟でした。
ある日、ケイリスくんが引き籠るお母さんの部屋を訪れたお父さんは、いつもオールバックにして後ろへ流している髪を、無理やり三つ編みにしていました。
というのも、ケイリスくんのお母さんはいつも髪を三つ編みに結んでおり、三つ編みは彼女のトレードマークとも言うべきものだったのです。
きっとグラトスさんは、お母さんを喪失したケイリスくんの悲しみを少しでも和らげてあげられないものかと苦心して、その結果そんな行動に出たのでしょう。
そしていつも渋い顔つきを厳めしく顰めながら国の行く末を思案しているような、超が付くほど生真面目な父親が、そんなバカげた、不器用な行動に出たことに、ケイリスくんは思わず笑ってしまったそうです。
その日から、グラトスさんはいつも髪を三つ編みに結ぶようになりました。
さらに、これまで家庭のことはほとんど妻や家政婦に任せっきりだった彼は、自ら進んでケイリスくんと一緒に家事をしたり、勉強を教えてあげたりと、家族と過ごす時間を大切にするようになったのです。
お母さんを失ったケイリスくんにとってグラトスさんが心の支えになったように、グラトスさんにとってもケイリスくんが心の支えになっていたのでしょう。
グラトスさんは、ありったけの愛情をもって接しました。
長年トリルパット家に仕えてきた家政婦長さんも、そんな二人のためによく尽くしてくれて、次第にケイリスくんの心の傷は、少しずつ癒されていったようです。
おそらくケイリスくんの人生において、最も幸せだったのはこの辺りの時期まででしょう。
そして……その幸せな生活は、ある日突然終わりを告げました。
異変はまず、ケイリスくんのお兄さん───ゴルザス・トリルパットが、騎士団の宿舎から実家であるトリルパット邸へと出戻りしてきたことから始まります。
気難しい性格で家族ともあまり打ち解けていなかったゴルザスのことを、ケイリスくんはあまり歓迎していませんでした。
当時のケイリスくんは身体が弱く、医者から激しい運動を控えるように言われていたそうです。そのため剣術や武術はからっきしだったのですが、ゴルザスはそれを知っていながら、事あるごとに剣術の稽古へ連れ出そうとするような男だったようです。そしてケイリスくんがフラフラになるまで打ちのめしては、皮肉たっぷりに〝お嬢様〟などと呼んで嘲笑しました。
ケイリスくんは魔術にもあまり適性がありませんでしたが、しかし、だからこそ父親の得意とする政治分野に興味を示し、そして実際にその才幹を覚醒させつつありました。
……なまじ高い潜在能力の片鱗を見せ始めてしまったことが、後の悲劇の引き金を引いてしまう一つの要因にもなったようなのですが。
やがてケイリスくんが十歳の誕生日を迎えた、その晩餐の時……ついに目に見える形で、歯車は狂いだしました。
いつも通りであるとケイリスくんが信じてやまなかった食卓でしたが、後から思えばおかしいところはあったそうです。
長年仕えてくれている家政婦長さんが姿を見せず、そして代わりに料理を運んできた家政婦さんはどこか浮かない顔をしていました。
さらに、いつもは不機嫌そうな仏頂面であるゴルザスは、やけに上機嫌だったようです。
しかしそれだけの違和感で、この悲劇を予測しろというのは酷な話でしょう。
例年のように家族だけで穏やかに行われる誕生日パーティが始まってから、しばらくしてのことでした。
突然ダイニングルームの扉が勢いよく開かれたと思えば、そこには白髪交じりの小太りな男──ケイリスくんの伯父、ミールラクス・トリルパット──が私兵を引き連れて乗り込んできたそうです。
あまりにも急なことに、目を白黒させるしかできないケイリスくんに反して、ほくそえむ兄と、青ざめながら俯く家政婦たち、そして何かを悟ったように険しい表情を浮かべるお父さん。
不気味なほどに柔和な笑みを浮かべたミールラクスは、開口一番にこう言ったそうです。
「グラトス。貴様を人殺しとして世間に公表しなければならないのは、非常に残念でならないよ」
状況が呑み込めないケイリスくんは驚いて父親の顔に視線を向けますが、グラトスさんも何が何だかわからないといった表情を浮かべていました。
そして「なんのことだ」と訊ねたグラトスさんに、ミールラクスは「知る必要はないんだ」とだけ返したそうです。
その不穏なやり取りに、何か言いしれない恐ろしさを感じたケイリスくんは、勇気を振り絞って抗弁しました。
「お、お父様は、人なんて殺さない!」
「そうだな、こいつはそんな事ができる男ではないよ」
けれども、あまりにあっさりと認めたミールラクスに、むしろケイリスくんの方が面食らってしまいます。
そしてミールラクスは、見る者の心をかき乱すような、静かに狂った微笑みを浮かべて、
「だが、殺したかどうかは関係が無いんだ。こいつがシャルツェン防衛大臣を殺害したという証拠は、この家にたくさんあるのだからね」
そう言ったミールラクスは、先ほどからニヤニヤと口元を歪めて黙っているゴルザスの肩に手を置いて、意味ありげな視線を向けました。
次第に状況を察してきたケイリスくんが、怒りに任せて吠えようとしたところで……激しく咳き込む声が室内に響き、ケイリスくんは驚いて振り返りました。
するとそこではグラトスさんが、苦しそうに胸を押さえてテーブルに突っ伏していました。口元には赤黒い液体が伝っていたそうです。
「おや、ちと量が少なかったかな……? まぁいい、時間の問題だ。追い詰められた末の服毒自殺……じつに使い古された、よくある話だとは思わんかね?」
「ゴホッ、ガフッ…………貴様、こんなことが……許されると思って……」
「許されるとも。何年もかけて手回しして、このプラザトスだけでなく、すべての街に私の手の者を送り込んで下準備を進めてきたのだからな」
愉快そうに笑うミールラクスの言葉に、ケイリスくんの心が絶望に満たされかけた、その時。
不意に蹄の音が近づいてきたかと思うと、窓ガラスが外側から激しく割られ、人影が飛び込んできました。
それはトリルパット家に長年仕えていた家政婦長だったらしく、いったい何があったのか彼女は全身から血を滲ませ、すでにボロボロな姿でした。しかし彼女はそれでも猛然と部屋の中央まで躍り出ると、小脇に抱えていた器の液体をミールラクスたちに向かってぶちまけたそうです。
そして彼女は手にしていたランタンを掲げると、「ケイリス様、お逃げください!」と叫びました。
その声に弾かれるようにして走り出したケイリスくんは、どうにかまだギリギリ動けたらしいグラトスさんの身体を支えながら窓際まで移動しました。
グラトスさんは激しく咽びながらも、最後の力を振り絞るようにして窓枠へ足をかけると、そのままケイリスくんの手を引いて、窓際で待機していた馬へそのまま飛び乗ります。
どうやら家政婦長さんがぶちまけた液体はランタンの燃料に使われているものだったらしく、火種を手にしている彼女のせいで、ミールラクスたちは迂闊に動けないようでした。
そして彼女はボロボロな顔で振り返ると、
「どうか……どうかご無事で……!」
そう言って彼女は、最後までケイリスくんたちの方へ駆けてくる様子は見せなかったそうです。
その後、ケイリスくんたちを乗せた馬は、夜の草原を懸命に駆け抜けていました。
ミールラクスは、プラザトスだけでなくすべての街に刺客を放っていると言っていました。
その言葉が真実なら、グラトスさんをどこかの街で休ませたり医者に見せたりすれば、すぐに捕まってしまうことでしょう。
グラトスさんには胃の内容物を吐き出させたものの、しかしそれだけで助かるかどうかなんて、当時のケイリスくんにわかるはずもありません。
どうにかミールラクスの追っ手が放たれる前にプラザトスを抜け出したケイリスくんは、彼の背中にもたれて苦しそうに喘ぐ父親に、かつて亡くなった母親の姿を思い出したそうです。
なぜ自分だけがこんな目に遭わなくてはいけないのかと運命を呪いながらも、ケイリスくんはこの状況を打破するための現実的な案を必死に考えていました。
いくらミールラクスがすべての街へ手回しを行っていたとしても、さすがにあの閉鎖的な鉱山都市にまでは手出しできなかったはずです。
当然、ケイリスくんたちも受け入れてもらえない可能性は高いですが、グラトスさんは大統領です。どうにか政治的な交換条件でも出して必死でお願いすれば、医者に見せてもらえる可能性もゼロじゃないのではと考えたのです。
少なくとも、ミールラクスはすぐにでもプラザトスや近隣の街の医者を片っ端から当たるでしょうから、それよりはまだ賭けてみる価値があります。
レグペリュムまでは馬車でゆっくりと進んで三日前後です。
馬が潰れることを覚悟で走らせ続ければ、明日の朝日が昇るまでには到着できる見込みでした。
どうかそれまでお父さんの身体よもってくれと願いながら、ケイリスくんは懸命に馬を走らせたそうです。
何時間も走っているうち、さすがにケイリスくんの駆っていた馬もすっかりバテてしまっていました。全速走行ではないにせよ、休みなく走らせ続けるのは流石に酷だったようです。
しかし事態は一分一秒を争います。ケイリスくんは必死に馬へ扶助を出しながら、レグペリュムを目指しました。
そして居並ぶ山々の合間を通り過ぎ、ようやくレグペリュムも目前といったところで……。
「ケイリス……すまない。最後まで……見届けてやれなくて……」
そう呟きながら、グラトスさんはケイリスくんの手に自分の手を重ねました。その手は、氷のように冷たかったそうです。
そして無性に嫌な予感を感じたケイリスくんが振り返ると、
「……必ず……必ず、幸せに……どうか……」
……それが、グラトスさんの最期の言葉だったそうです。
「五年前のボクは、結局誰も救うことはできませんでした。……いえ、今もそれは変わってませんね。お嬢様には何度も助けてもらってばかりです」
自嘲気味にそう呟いたケイリスくんは、乾いた笑みを浮かべていました。
悲惨な過去を掻い摘みながらも私に話してくれた彼は、目の前の地面を……いえ、きっとその下に埋まっているであろうものを見つめています。
「本当は、ちゃんと葬儀を執り行ってあげたかったんですけど……ごめんなさい、お父様」
十歳の子供が無一文で、帝国までの一ヶ月近くも旅を続けるだなんて……一体どれほど地獄のような日々だったことでしょう。
共和国にいる限り、どこへ行ってもミールラクスの手が伸びてきますから、帝国へ向かうしか生き残る道はなかったというのはわかりますが……。
帝都ベオラントまでたどり着いたケイリスくんは、ほとんど瀕死のような状態だったそうです。
そして、そんな彼を真っ先に保護したのが、皇帝陛下の右腕であるセルラード宰相でした。
彼はボロボロのケイリスくんを見て、ひと目で共和国大統領の息子だと見抜き、手厚く保護してくれたのです。
さらにケイリスくんから事情を聞いた後、居場所のない彼を専属の使用人として雇う事で、仕事と住居を与えてくれたのだとか。
「それからのボクは、イースベルクでのことを必死で忘れようと、仕事に明け暮れていました。でも、ふとした時にどうしても思い出してしまって……」
「わたしがイースベルクにむかうっていいだしたとき、ついてこようとしたのは……」
「……はい。故郷がどうなっているのか、どうしても気になっていましたし……それに、過去に決着をつけないと、いつまでも前に進めないような気がしたんです」
私は、帝都にいた頃のケイリスくんを思い出していました。
あの当時のケイリスくんは、よく窓の掃除などをしながら遠くに虚ろな視線を向けていましたが……きっとその瞳には遥か彼方のイースベルクと、五年前の惨劇が映っていたのでしょう。
しかし、忘れようとしていた過去と決着をつけるチャンスが、リルルの暗躍によって偶然にも転がり込んできたのです。
「国境都市の難民問題も、商業都市とエルフ族の対立問題も、かつてお父様が解決したはずの問題でした。……おそらく、現大統領の伯父が政策に失敗しているのでしょう」
「ミールラクスに、だいとうりょうとしてのうつわはなかったんだね。……ってあたりまえか」
「それにドラゴンの奇襲に対応できなかったのも前線配備がお粗末だったからですし、ドラゴン討伐隊をロクな計画もなく運用したのは、兄様……いえ、ゴルザスが手柄欲しさに先走った結果でしょう」
ああ、そういえばロンドブルム司教様が、「兵の派遣に応じたのはゴルザスなんとか師団長が~」とか言ってましたっけ。良く覚えてませんでしたけど。
今回はたまたま私たちが通りかかって協力したからよかったものを、下手をすれば騎士隊が全滅していた可能性だってあっただろうって、ダンディ隊長も言ってましたし。
ドラゴンが相手ならそんな兵の無駄遣いなんてせずに、きちんと情報を収集して、計画を立てて、少数精鋭の魔術師で奇襲をかければもっとスマートに事は運んだと思うのですが。しかもそのゴルザスとかいう男、自分自身が指揮を執るでもなく、すべて他人に丸投げする始末……。
え? っていうか、そのクソ伯父とクソ兄貴はまだ生きてるの? むしろなんで生きてるの?
ケイリスくんがこんなにも苦しんでるっていうのに!!
それに考えたくないことですが、ケイリスくんたちを逃がしてくれたという家政婦長さんだって、恐らくはもう……。
それなのにそいつらは、今ものうのうと偉いポストに収まってふんぞり返っているの?
私が必死に表情筋を制御して感情を押し殺していると、ケイリスくんがとても申し訳なさそうな顔で、
「……あの夜の場に居合わせたボクが生きていることを知ったら、ミールラクスはきっと刺客を差し向けてきたはずです。なので、あれから五年も経っているとはいえ顔を隠していたのですが……」
毒味とか寝室の扉に仕掛けをしたりとか、やけに暗殺を警戒していた理由はそれだったんですね。
ケイリスくんは神妙に頷いて、それからどこか不安げな表情を浮かべました。
「せめてお嬢様にはもっと早く事情を伝えるべきだったんですけど……その、最初はそこまで他人を信用できなくって……」
「そんなかこがあったなら、むりもないよ。きにしないで」
「いえ……ボクの心が弱かったんです。エルフの里の一件で、お嬢様が信頼に足るお方だというのはわかっていたのに……今度は逆に、嘘をついていたボクの方が信用を失ったり、嫌われるんじゃないかって……不安になって……」
いやいやいや、そんなわけないじゃないですか!
私がムッとしていると、ケイリスくんは私の手をきゅっと握って、
「……お嬢様。この間の『お願い』のこと、覚えてますか?」
「うん、もちろんおぼえてるよ」
ドラゴンとの戦いで頑張ってくれたみんなにご褒美をあげようとして、それぞれ一つずつ、何でもお願いを叶えてあげると約束したのです。ネルヴィアさんとレジィが、どっちが先にお願いを叶えてもらうかで喧嘩をしていましたっけ。
そういえばケイリスくんはあの夜、ひたすら悶々としていた末に、結局何もお願いはしませんでした。その権利を今、行使しようと言うのでしょうか。
ふふ……いいよ、ケイリスくん。キミのお願いはわかってるよ。
件の二人に……伯父と兄貴に地獄を見せてやろうってことだねっ!!
オッケーオッケー。首輪を外したら即座にその二人をケイリスくんの目の前に引きずり出して、「申し訳ございませんでした」って一万回言い終わるまでの間、世界のありとあらゆる残虐拷問を魔法で再現してあげるよ!
……ケイリスくんの手前、今は必死に平静を装っているけど……ぶっちゃけ私、超ブチギレてるから。さっきから魔力が漏れて、獣の足音がすごい勢いで遠ざかっていくのが聞こえてたし。
さぁ命じてケイリスくん! どうしてもって言うなら、お兄ちゃんとの『不殺の誓い』も今回だけは忘れてあげてもいいよ!
私が心をどす黒く染め上げながらケイリスくんの言葉を待っていると、彼は不安そうに伏せた目を恐る恐る上目遣いにさせて、
「……今まで嘘をついていたり隠し事をしていた、こんなボクですけど……一生懸命お仕えしますから、どうかこれからもお傍にいさせてください、お願いしますっ……!」
……。
…………え?
「それが、おねがい?」
「は、はい……だめ、ですか……?」
いつもは見る者に冷淡な印象を与える瞳をうるうると潤ませて、ケイリスくんは私をジッと見つめてきます。
そ、そんな目で見られたらなんでも言うこと聞いちゃいますけど……。
ああもう! なんですか!? 私の心が穢れてるんですか!?
今の話の流れからして、お願いは「あいつらぶっ殺してください」じゃないんですか!? どれだけ純粋なんですかこの子は!! もう!!
そんなことはいちいちお願いしなくたって当たり前なんですから、もっと自分勝手になっていいんだよ!?
私はあまりに予想外なお願いに面食らいつつも、辛うじて頷きました。
「も、もちろん! ケイリスくんのほうからはなれていかないかぎり、ぜったいてばなすつもりはないよ!」
「……じゃあ、ずっといっしょってことですね」
そう言って、照れくさそうに「えへへ」と笑うケイリスくん。
……なんなのあなた、どうしてここへ来て怒涛のラッシュを仕掛けてくるの? デレ期なの?
私は一旦落ち着くために身体を逸らせて大きく深呼吸をすると、そこで視線の先にキラリと光るものを見つけました。
このお墓の目印なのか、細い木に引っかかっていた銀の腕輪です。
「あれって……」
「あ、はい。あれはお父様が身につけていた腕輪です。いつかまたここへ来ることができた時のために、目印として引っかけておいたんです」
「それじゃあ、おとうさんのかたみってこと? すごくさびちゃってるけど、いいの?」
「形見は他にも、指輪やペンダントとか、いろいろありましたし。それに、遺髪も……」
「……そっか」
私はそれ以上は何も言わずに、ケイリスくんのお父さんがいるという地面に向かって手を合わせました。
───ケイリスくんのお父さん。貴方とは出会ったことさえないですけれど、ケイリスくんがこんなにも優しい子に育ったのは、きっと貴方のおかげに違いありません。どうか後のことは私に任せて、ゆっくりと休んでください。
ケイリスくんの『幸せ』は……貴方に変わって、私が一緒に探していきます。
***
帝都を出発してから、約一ヶ月。
ケイリスくんの過去が明かされたあの夜から数えるなら、ちょうど三日目の昼頃。
私たちはついに旅の目的地である、イースベルク共和国の首都〝プラザトス〟に辿り着きました。
対外的には身元不確かな私たち五人は、まず街へと入ることが第一の課題だったのですが、その辺りの交渉はダンディ隊長にすべて丸投げしちゃいました。むしろこのために騎士団と一緒に行動していたのですからね。
私たちが馬車の中でポケ─っと待っていると、プラザトスの関所に詰めていた守衛さんたちが馬車を覗きに来ました。私たちの顔ぶれを見た彼らの、「えっ、まじで?」という反応も無理ありません。黙っていたら普通の少年少女ですからね。
とはいえ、私たちの一見無害そうな外見が功を奏したのか、どうにか関門を通過させてもらえました。
「わぁ~。帝都とはいろいろと違うんですねぇ」
馬車の窓から首都プラザトスの街並みを眺めるネルヴィアさんの無邪気な感想に癒されながら、私は他の三人の様子を窺いました。
まずレジィ。一切興味なし。
次にルローラちゃん。彼女はそもそも人間の街に入ったのが人生で三度目くらいなので、ちょっと物珍しげに窓の外へ視線を向けています。ちなみに彼女の現在の外見年齢は五歳くらい。
───そして。
「……ケイリスくん。だいちょうぶ?」
「あ、はい。平気です」
ケイリスくんが外の街並みに物憂げな視線を向けていたので、心配になって声をかけてみたのですが……振り返った彼の表情は意外と本当に平気そうだったので、ちょっと拍子抜け。
そんな私の心情が顔に出ていたのか、ケイリスくんは私に向き直ると、
「きっとボク一人で抱え込んだままだったら、こうはいかなかったと思います」
そう言ってケイリスくんは、私の白金色の三つ編みに優しく手を触れました。
それはつまり、今は……。
私たちはそれ以上の言葉は必要ないとばかりに、微笑み合いました。
ケイリスくんが喜怒哀楽をストレートに表現することは珍しいため、そんな彼の笑顔を見たネルヴィアさんたちは意外そうにしていました。
しかし三日前、私の口からケイリスくんの事情は大まかに説明してあるので、私とケイリスくんの間で何かがあったことはみんな察しているとは思います。
ちなみにネルヴィアさんとレジィには、ケイリスくんがプラザトス出身だとか、現大統領と因縁があるとか、そういったかなり簡潔なことしか説明していませんが……今後のことを考えて、念のためルローラちゃんにはすべて包み隠さず事情を説明してあります。
……この陰謀渦巻く首都で、何事もなく目的を達成できればいいのですが。
私たちの馬車はしばらく騎士団の後ろを追随していましたが、やがて目的地に着いたようで、なにやら石造りの大きな建物の前に馬や馬車を停めていました。
そして私たちの馬車を御してくれていた若い騎士が、さながら従者のように扉を開けてくれます。
「皆さま、ここはプラザトス第三騎士団本部です。申し訳ありませんが、ゴルザス第三師団長殿へドラゴン討伐に関する報告を行いますので、どなたか同行していただけますか?」
あ、やっぱり私たちも行かなきゃいけないんですか。
それはそうですよね。ドラゴンと直接対峙して戦っていたのは、ほとんどネルヴィアさんとレジィだけですし。
下手に誤魔化すと面倒なことになりますから、ここは正直に報告するのが良いでしょう。
……ただし、いくつか問題があります。
まず、これから会うのはゴルザス第三師団長……つまりケイリスくんの兄です。なのでさすがにここでケイリスくんを連れて行くのは、どう考えてもマズイでしょう。まだその段階ではありません。
そして今まではケイリスくんやレジィの帽子とかマフラーは、わりと皆さん寛大に許してくれていましたが、親殺しのゴルザスに寛大さを期待するのは無謀でしょう。しかもレジィが獣人だと知れば、何をしでかすかわかりません。というわけで、レジィも連れて行けません。
同じような理由で、ルローラちゃんもアウトです。耳さえ見られなければ良いとは言っても、ゴルザスが何をしてくるかなんてわかったものではありませんからね。
しかし、ネルヴィアさんは筋金入りの人見知りです。そんな彼女を一人でゴルザスなんかのところへ送り込むのは不安で仕方ありません。よって、ネルヴィアさんに同行するのは消去法により私ということになります。
「ここはわたしとネルヴィアおねーちゃんでいってくるから、みんなはまっててね」
私の言葉に、ケイリスくんは少し申し訳なさそうに、ルローラちゃんは当然だろうと言わんばかりに、レジィはよくわかってないけどとりあえずといった感じに、三人それぞれが頷きました。
かなりの敷地面積を誇る第三騎士団本部といえど、さすがにドラゴン討伐隊全員が一斉に入るというわけにはいきません。そのため数人の分隊長と、彼らを率いるダンディ隊長が先陣を切って本部の玄関を潜りました。そしてそのすぐ後ろにネルヴィアさんに抱かれた私が続きます。
建物に入ってすぐのロビーには受付のような場所があって、そこには二十代半ばくらいの綺麗な女性が立っていました。受付嬢でしょうか?
ダンディ隊長が近づいて行くと、受付の女性は深々と頭を下げます。
「リルマンジー様。よくぞご無事で」
「うむ。早速だがゴルザス第三師団長に任務完遂の報告がしたい。こちらにいらっしゃるか?」
「はい。どうぞ、ご案内いたします」
そう言って受付嬢は、楚々とした足運びで私たちを先導し始めました。
……そういえばダンディ隊長の本名って、クロット・リルマンジーさんでしたっけ。いっつも誰かが言うたびに思い出しては、すぐに忘れちゃってる気がします。ちゃんと覚えなきゃ。
受付嬢の後ろをついて行って、長い廊下を歩いたり階段を上ったりしているうちに、やがて目の前に両開きの扉が見えてきました。いかにも偉い人が待ってますといった感じの豪奢な扉です。
扉の前に着くと受付嬢が横に退いたので、ダンディ隊長は堂々と一歩踏み出すと、扉をノックしました。
「クロット・リルマンジー大隊長、入室いたします」
すると中から『入れ』という野太い声が聞こえてきたので、ダンディ隊長は臆することなく扉を開きました。
扉の向こうは、執務室っぽい内装です。そしてその中央では、ゴツい顔立ちをした色黒な男が椅子にふんぞり返っていました。
彼の年齢は三十歳前後のはずですが、その割には随分と老けて見えます。中途半端に伸ばされたヒゲが清潔感を損なわせるのに一役買っている感じ。
それなりに鍛えてはいるのか体格はガッチリとしたものですが、これじゃあ騎士っていうより小汚い猟師みたいですね。
仮にもケイリスくんのお兄さんというくらいですから、勝手に中性的なイケメンを想像していたのですが……いやはや、なんという格差社会。遺伝子の暴力ですね。
と、初対面の私に内心でこっぴどくこき下ろされているなどとは夢にも思っていないであろう目の前の男───ゴルザスは、椅子にふんぞり返ったままこちらに三白眼を向けています。
そんな彼に、ダンディ隊長は気を悪くするでもなく淡々と報告を述べました。
「三日前にお送りした手紙でも報告しました通り、ドラゴン討伐を完遂いたしました」
ダンディ隊長の報告を受けたゴルザスは、そのゴツい顔を不快そうに歪めると、
「ビルバー隊を全滅させておきながら、よくもまぁいけしゃあしゃあと報告できたものだな」
「申し訳ありません。軍法会議にかけたかったのですが、炭になっておりまして」
「つまりは、貴様の監督不行届だろうが!」
「私の隊とビルバー隊は、同列の立場として派遣されておりました。当然、よその隊のお守りをした覚えはありませんな」
「言い訳をするな、愚か者が!!」
のらりくらりとしたダンディ隊長の受け答えに、ゴルザスは業を煮やしたようです。沸点が低いなぁ。しかも理屈が通じないタイプの人間です。
「手紙には、ルーンペディを訪れていた巡礼者が討伐に協力したと書いてあったが?」
「はい。彼らが襲撃を受けていたところに、我々が遭遇した形ですが」
「それはまさか、そこの娘だ……などと寝言は抜かさないだろうな?」
「そのまさかです」
ダンディ隊長がそう言うと、彼やその他の分隊長たちが道を開けるかのように左右へ退きました。
するとゴルザスの視線に晒されたネルヴィアさんが、小さく肩を震わせます。
そしてゴルザスはネルヴィアさんをジッと睨み付けながら、
「お前が手紙にあった、ドラゴンを斬った騎士とやらか?」
「え、えっと、その、斬ったというか、叩いたというか……」
「は?」
「あ、いえっ……!? その、はい、そうです……」
ネルヴィアさんのおどおどした反応に、ゴルザスは「ふん」と鼻で笑いました。
そしてダンディ隊長へ視線を向けると、
「……やれやれ。貴様も落ちぶれたものだな、クロット・リルマンジー」
ゴルザスはそう言いながら、そのずんぐりむっくりした身体を椅子から起こして立ち上がりました。そしてまっすぐにダンディ隊長へと歩み寄りながら、
「ドラゴンと戦うことに臆して逃げ帰ってきたばかりか、こんな小娘を『竜騎士』扱いか。やはり腕っぷしだけしか取り柄のない叩き上げの騎士というのは、誇りがなくて敵わないな」
「竜鱗と爪は持ち帰ってきましたが」
「俺はドラゴンの首を持ち帰って来いと命じたんだ。その意味が分かるか? 間抜けな騎士共が、森で見つけた『変わった形の石ころ』を持って帰ってこないようにするためだ」
ゴルザスのあんまりな物言いに、他の分隊長たちが殺気立つのがわかります。
しかしその言葉を受け止めているダンディ隊長が眉ひとつ動かさないのを見て、ゴルザスはますます付け上がったことを言いだしました。
「それに、お前たちが石ころ集めに精を出している間に、本来お前たちが守っているはずだった前線の一部が魔族に突破されたのだ。魔族の軍勢はこのプラザトスへと向かっているらしい……この落とし前をどうつけてくれるつもりだ!」
ゴルザスのその言葉に、分隊長の一人が即座に反論します。
「我々が前線を離れれば防衛線が薄くなり、突破されるリスクが高まると隊長が進言した際に、師団長殿は「策があるので任せろ」と───」
「そんなことを言った覚えはない!! 自分たちの不手際を俺に擦り付けるな、愚か者が!!」
反論を一方的に遮ったゴルザスは、顔を真っ赤にして叫びながらその分隊長を乱暴に突き飛ばしました。……まぁ、他の分隊長の反応を見る限り、正しいことを言っているのは突き飛ばされた彼なのでしょう。
こういう責任転嫁野郎は、前世の奴隷時代で見慣れたものです。腹が立つどころか、懐かしささえ感じちゃってる辺り私も末期ですかね。
あるいは、自分の会社の人間じゃないから安心して見てられるのかもしれませんけど。
しかし内心ではそう思っていたものの、よっぽど私がゴミでも見るかのような目をしていたのか、ゴルザスに目を付けられてしまいました。
「おい、だいたいなんだその赤ん坊は? 子連れでドラゴンと戦っていたとでも言うつもりか?」
ゴルザスはそう言いながら、ネルヴィアさんに抱かれている私にずかずかと近づいて来ました。
「……ふん。こんな髪型をしてるヤツに、ロクなのは居ないな」
そう言って、ゴルザスは私の白金色の三つ編みを乱暴に掴んで引っ張り上げました。
痛ッ……たいなぁ……! せっかくケイリスくんがセットしてくれた髪が乱れるじゃんか!
っていうか、その発言は聞き捨てなりません。それはケイリスくんと、彼の愛するお父さんお母さんへの侮辱です。
私が密かに魔力を叩き付けてやろうとした……その時。
「その薄汚い手を離せ」
内臓を鷲掴みにするような、底冷えする声が室内に響きました。
気が付くと、ゴルザスの太い首にはロングソードの刃があてがわれています。一瞬たりともゴルザスから目を離さなかった私でさえ、いつ剣が振るわれたのか全くわかりませんでした。
私はゆっくりと首を横に向けてネルヴィアさんの顔を窺うと……ああ、いつもレジィと喧嘩してる時みたいな、冗談っぽい怒りの表情なんかじゃありません。これ、マジのヤツです。
しかも私の魔力みたいに間接的な殺気ではなく、本物の殺気……。
ダンディ隊長や分隊長たちでさえ一歩も動けないほど張りつめた空気の中で、その殺気に当てられているゴルザスが上擦った声を辛うじて絞り出します。
「き、貴様……誰に剣を向けてるのか分かって───」
「離すのか、離さないのか……どっちだ」
ついさっきまでおどおどびくびくしていたネルヴィアさんの豹変に、ゴルザスは冷や汗を流しながら、ゆっくりと私の髪から手を放しました。
そしてネルヴィアさんはゴルザスの首を剣で押すようにして数歩後退させると、何事もなかったかのように殺気を引っ込めて剣を納めました。
「不愉快です。行きましょう、セフィ様」
ネルヴィアさんは私の髪を優しく撫でると、他の人になんて目もくれずに退室しちゃいます。
けれどもいろいろと国交的にマズイことを行うネルヴィアさんを、その場で咎めようなんて輩はついに現れませんでした。
それから私たちが勝手に退室したのに続いて、他の人たちもぞろぞろと師団長室から出てきました。
部屋の扉が閉ざされる直前、なにやらゴルザスが喚き散らしていたような気がしますが……まぁ、それはどうでもいいですね。
いきなり自分たちの上司に剣を向けたネルヴィアさんに、騎士の皆さんがどのような反応をするものかと私は少し不安に思っていたのですが、
「さすがですな、竜騎士殿。剣筋がまるで見えませんでした」
「よくぞあの無能に一泡吹かせてくれました! 胸が空く思いです!」
「カッコよかったです、ネルヴィア殿!!」
わりと格式や上下関係にうるさいイメージの騎士にしては、なかなか俗っぽい称賛が送られました。
うんうん。やっぱりあんな上司が好かれるわけないですよねぇ。
「しかしまさか、普段あんなにも温厚なネルヴィア殿があそこまでお怒りになるとは」
分隊長の一人が何気なく放った一言に、ネルヴィアさんはまだ目つきを鋭くさせたまま振り返ります。
「心から敬愛する主君に仕えることは、騎士にとって最上の誇りです。その誇りと、あまつさえ主君を傷つけられて剣を抜けないなんて、そんなのは騎士ではありません」
迷いも衒いもなく、まっすぐにそう言い放ったネルヴィアさんに、彼ら騎士の面々は感激したように頬を紅潮させて激しく頷きました。
どうやら今のは騎士的にすごくポイントの高い発言だったみたいです。もちろん私もそんな風に想ってもらえてすごく嬉しいのですが、しかし下手したら私よりも彼らの方がテンション上がってるように見えます。
いつも紳士的に感情を抑えているダンディ隊長も、この時ばかりは深く頷きながら目を伏せて、ネルヴィアさんの言葉に感じ入っているようでした。
……しかしその後、ネルヴィアさんは仲間たちが待っている馬車に戻ってくるなり、
「あああああっ、大変なことをしてしまいました! 勢いに任せて他国の師団長に剣を抜いてしまうだなんて! いえもちろんセフィ様を傷つけた蛮行に対し鉄槌を下したこと自体にはなんら後悔すべき点は無いのですがしかし帝国騎士としてあまりに浅慮な振る舞いでしたごめんなさいぃぃ……!!」
気を許している仲間たちの輪に戻ってきたことで緊張が解けたためか、どうやら冷静になって自分の行動を思い返してみたら、わりと過激なことをしてしまっていたことに気が付いたようでした。
確かにこれは、今後の対応を間違えたら国際問題に発展しかねない事件かもしれません。……〝普通だったら〟、ですけどね。にやり。
馬車の座席で頭を抱えているネルヴィアさんの隣で、私は彼女の肩に手を置きながら優しく呼びかけます。
「だいちょうぶだよ、おねーちゃん。ゴルザスなんて、たいしたことはできないよ。もしもなにかめんどうなことになったって、わたしがどうとでもしてあげるし……それに───」
涙目で私を振り返った彼女に、私は精一杯の笑顔を向けて、正直な気持ちを告白しました。
「おねーちゃんがわたしのためにおこってくれたの、とってもうれしかったよ。ありがとね」
そんな私の言葉を受けたネルヴィアさんは、真っ青だった顔色を見る見るうちに真っ赤に染めあげると、「はいっ!!」と元気な声を響かせてくれました。
ちなみに対面の席では、レジィが「そんなヤツ、オレ様が一緒に行ってりゃぶっ殺してやったのに」と言って唇を尖らせています。……連れて行かなくてよかった。
その隣では、待っている間に眠くなっちゃったのか、ルローラちゃんが可愛らしい寝息を立てて転がっていました。
「……すみません、お嬢様」
そして、同じく馬車の中で待っていてくれたケイリスくんが、思い詰めたような表情でいきなり謝罪してきました。
私は驚きながらも慌てて首を横に振って、
「ケイリスくんがあやまることなんて、なにもないじゃない」
「……ですけど、仮にもボクの家族が……」
「かぞくじゃないよ。かぞくは、あいてのいのちをねらったりはしないもの。そんなのはかぞくとはいわないよ」
私が厳しい表情でそう言い切ると、ケイリスくんは少し沈んだ表情を浮かべました。改めて、常軌を逸した自身の家庭環境を再認識してしまったためでしょうか。
私のせいでケイリスくんが落ち込んじゃったかもしれないことに焦った私は、一転して殊更に明るい表情で、
「それに、いまのケイリスくんはわたしのかぞくだしね! いろんはみとめないからっ!』
私が満面の笑みで言い放った宣言に、ケイリスくんは一瞬、呆気にとられたように目を丸くさせて……それから彼は、自分の三つ編みを撫でているのとは反対側の手で口元を覆うと、
「異論なんて……あるはずないです」
ちっちゃな声で、そう呟きました。
***
その後私は、ゴルザスのせいで乱れてしまった髪をケイリスくんに梳かしてもらうことにしました。
ふふん、あの発言や反応を見るに、どうやらゴルザスは三つ編みを本能的に忌避しているようなので、今後も会うたびに毎回ばっちり三つ編みにしてやります。あ、今度はネルヴィアさんも三つ編みにさせちゃおっかな。
そんな性格の悪いことを私が考えていると、そこへ騎士団への指示が終わったらしいダンディ隊長がやってきました。
「遅くなってすまない。これから私は中央法務所へ向かい、セフィリア殿の首輪の件を交渉して来よう」
「わたしもいったほうがいい?」
「いや、こちらでやっておけることはすべて済ませてから呼びに行こう。どうせ煩雑な手続きのせいで、長く待たされることになるだろうからな。今日はゆっくりしていてくれ」
おお、さすがは騎士様。ジェントルマンです。
お給料の発生しない待ち時間なんて、余命の無駄遣いでしかありませんからね。お気遣いにはしっかりと甘えて、久々に羽を伸ばすとしましょう。
せっかく共和国首都まで来たんです、みんなで観光とかしちゃいますよ。
……あ、でもついでに、ダンディ隊長に一つ聞いておきましょう。
「ゴルザスは、どうしてえらいポストにおさまっていられるの?」
私の問いに、ダンディ隊長は苦笑いを浮かべました。
「大統領閣下の推薦と、数々の勲功のおかげだな」
「ふぅん……? あんなのでも、ちゃんとかつやくしてるんだね」
「いや、どれもこれも現場に居合わせた者たちに言わせれば、他者の功績を横取りしているようだ。そしてそれを大統領閣下が一も二もなく承認して、無理やり重要なポストに登り詰めたのだ」
……うっわぁ。もはや隠す気さえないほどの身内贔屓じゃないですか。
おそらくゴルザスは、ミールラクスの陰謀に加担することを条件に、師団長の立場を要求したのでしょう。いえ、あるいは逆に……ミールラクスの方から話を持ち掛けて、師団長のポストを餌にして陰謀に加担させたのかもしれません。
だから部下からまったく信用も尊敬もされていないんですね。
そしてダンディ隊長は、おそらくゴルザスが自分にドラゴン討伐の任務を与えたのは、騎士団から信頼の厚い自分を排除したかったためだろうと説明しました。
しかしどの道ドラゴンを放置することはできなかったので従ったが、まさかゴルザスが本当にノープランで、自分たちの抜けた穴から前線がぶち抜かれるとは想定外だったと頭を抱えるダンディ隊長。せめて自分たちが戻ってくるまでの二週間程度はもたせてくれるだろうと、ゴルザスを買い被っていたそうです。
「……なんとかしようとはおもわないんですか? あんなのをほうちしてたら……」
「大統領閣下という後ろ盾がある以上、まともな手段では取り除けまい」
「じゃあ、ミールラクスをだいとうりょうからひきずりおろすとか」
「それも難しいな。何せあの男は裏社会と密接につながり、その金と武力で政界に莫大な影響力を持っていると聞く。アレの相手をするには相当な労力と時間がかかってしまうだろう。平時ならともかく、戦時中にそんなことをしている余裕は誰にもないのだ」
……内輪揉めをしている間に、魔族たちに漁夫の利を得られてはたまりませんからね。
それに話を聞く限りでは、下手にミールラクスを敵に回せば命が危ないようですし、明確な悪意によって自分たちの暮らしが脅かされでもしない限りは動きたくないという民衆の気持ちも理解できます。
ダンディ隊長はチラリとケイリスくんの顔色を窺うように視線を向けてから、険しい顔つきで口を開きました。
「だが、それもここまでだ。言い訳ばかりして問題を先送りにするのは、もう終わりにする。この国をあるべき姿に戻すため、今こそ騎士の誇りにかけて剣を抜こう」
そう宣言したダンディ隊長は、落ち着いた青い瞳の奥で、静かに炎を燃え上がらせていました。
***
急に知らない土地で自由行動を許されてもちょっと困ってしまうものですが、しかしプラザトス出身であるケイリスくんもいることですし、彼の行きたい場所やオススメの場所なんかを巡ってみるのがいいかもしれません。とりあえずは現時点で一つ、目的地は決まっていますけどね。
魔族が戦場の前線を食い破って首都へ侵攻中というゴルザスの言葉もあって、若干の不安を感じないでもありませんが……さきほどダンディ隊長が騎士団に指示を出していたのは迎撃準備でしょうし、私が心配するようなことはないはずです。
やむを得ない理由があるわけでもなく、正義感だけで戦争に参加するのは狂気の沙汰です。そこまで頭のネジが飛んではいない私は、平和的に観光でもしながら、首輪が外れるのをまったり待つとしましょう。……さすがにケイリスくんの手前、プラザトスのすぐ近くまで魔族が迫ってきたら見て見ぬフリはしませんけども。
とはいえダンディ隊長が私の首輪を外す手続きを優先できる程度には、魔族の侵攻具合は余裕があるのでしょう。大群の移動というのは足の遅い者に歩幅を合わせなければならないので、えてして時間がかかるものですからね。
といったわけで、私たちはプラザトスの宿の一室に集まっていました。
五人が一部屋にまとめて宿泊できる宿を探すのは苦労しましたが、おかげでベッドが三つもある広い部屋をとることができました。
なぜ五人一緒の部屋をとったかというと、それは警戒のためです。ここは敵地の中心……ケイリスくんはもちろんのこと、獣人であるレジィや、エルフであるルローラちゃんの正体が知られていれば命を狙われる理由には十分です。それに私とネルヴィアさんは、先ほど師団長に喧嘩を売っちゃいましたしね。
そのため万が一にも襲撃があった時、即座に対応できるようにしておかなければなりません。だからこその五人部屋なのです。
「ここからさきは、なるべくひとりでこうどうしないようにきをつけようね」
私の言葉に、ネルヴィアさんとレジィは即座に頷いてくれます。……でもこの二人、なまじ戦闘能力が高いだけに危機感が薄そうなんですよねぇ。私の指示だからとりあえず頷いてるって感じがします。
広々とした宿の一室で、三つ並んだベッドのうち、私は一番扉に近いベッドに腰掛けていました。そのベッドから二つ隣、一番奥のベッドにちらりと視線を向けると、そこではルローラちゃんがマイクッションを抱いておやすみ中です。
私の計画では、この後ルローラちゃんにはたくさん働いてもらうつもりですからね。今はそれに備えて、ぐっすり眠っておいてもらいましょう。
私は腰を下ろしているベッドに、そのままごろんと仰向けに転がりました。
はぁ~、一週間ぶりくらいのふかふか快適な感触!
これで温かいお風呂にでも入れたら言うことなしなのですが……まぁ、それも首輪が外れるまでの辛抱です。前世では何ヶ月もまともに帰宅できないなんてザラでしたが、この世界に来てからは随分と贅沢な暮らしに慣れてしまったものです。
帝都で暮らしていた頃はネルヴィアさんとかお兄ちゃんと一緒にお風呂に入ったりしていましたが、そういえばレジィやケイリスくんとは一緒に入ったことがありません。
帝都へ帰った暁には、是非ともみんなで一緒に入りたいものです。家族みんなで入浴……考えただけでワクワクします! その時はルローラちゃんもお招きしちゃいましょう!
……そういったデザートが後に控えていることを思えばこそ、この街に渦巻く陰謀の闇に、首を突っ込んでやろうって気にもなれるというものです。
私はベッドの上をもぞもぞ這うと、枕を引き寄せてぎゅっと抱きしめながら、隣のベッドに腰掛けているほかの三人に向かって、ごろんと身体を向けました。
「ここでしばらくやすんだら、さっきまちできいた『ルグラス・トリルパット』にあいにいこう」
私がそう言うと、例によってネルヴィアさんとレジィが元気な返事を返してくれます。
そしてその隣に座っているケイリスくんは、ちょっぴり緊張した面持ちでぎこちなく頷きました。
ルグラス・トリルパット───陰謀の大統領、ミールラクス・トリルパットの一人息子です。
歳はゴルザスとそう変わらないくらいの、三十歳前後。幼少時からミールラクスによって英才教育を施され、現在は政治家として活躍しているそうです。
しかしルグラスは清く正しい政治家を目指してお仕事に励んでいるようで、汚くあくどい政治家であるミールラクスとは度々衝突しているのだとか。
伯父の息子ということは、もちろんケイリスくんの従兄にあたる人物です。ケイリスくんも昔、何度か顔を合わせたことがあるそうですが……真面目で実直そうな好青年だったそうです。
どうして私がルグラスさんに会いに行くかというと、それはこの共和国の政治規則に起因します。
このイースベルク共和国における政治規則の中に『戦時中、大臣以上の政治家が何らかの不測の事態によって政務を遂行できなくなった時、二親等以内に政治家がいた場合には、その者が政務を代行すること』という条文があるためです。
この規則があるために、大統領や大臣となった人は身近な血縁者へと熱心な英才教育を施して政治家にさせることがあります。そして日頃から密接に意見を交換したり議論を交わしたり、懇意にしている政治家とコネクションを築いておいたりと、いざという時に政務を代行できるように備えておくのです。
とはいえこの条文が作られたのはかなり昔で、現代においてはほとんどの人が意識さえしないほど影の薄い条文なのですが……大統領選などの正攻法以外でミールラクスが大統領の座から引きずり下ろされることになれば、当然その後を継ぐのはルグラスさんということになります。
そのため、彼が噂通りの善良なる政治家であるかどうかを確かめておきたいと考えたのです。
私はケイリスくんと話し合った結果、ダンディ隊長にも五年前の真実を伝えていました。
最初はひどく狼狽えていたダンディ隊長でしたが、すべてを聞き終えた時、彼は私たちの話を信じてくれて、ミールラクスの不正を暴き鉄槌を下すことを約束してくれたのです。
もちろんその折には私も協力を惜しみません。お似合いの末路をプレゼントしてやるつもりです。
そういった事情もあって、これからミールラクスを相手取るにあたり、ルグラスさんが敵となり得るかどうかを確かめておきたいのです。
表情を強張らせているケイリスくんに、私は枕を抱いたまま体を起こして、まっすぐに彼と向き合いました。そして私は自分の三つ編みを撫でながら、彼の綺麗な瞳をジッと見つめます。
「もうこのまちで、ケイリスくんにつらいおもいはさせないから」
そんな言葉をかけられたケイリスくんは、自分が意図せず緊張を露わにしていたことに気が付いたのでしょう。彼は真っ白な頬をほんのり赤く染めると、嬉しそうに三つ編みを撫でながら、無言で小さく頷きました。
***
「ええ~~~っとぉ……」
潔いといいますか、迷いがないといいますか。
現在、私たちの目の前では、ケイリスくんの従兄である、件のルグラス・トリルパットが地面に膝をついて、深々と頭を垂れていました。
場所は、ルグラスさんが自分の名義で所有しているという、それなりの大きさの一軒家でした。
この国での政治家というのはほとんど貴族のような存在ですが、それにしては嫌味なところがないというか……たしかに大きいといえば大きいですが、その辺に建っている家とそこまで大差ありません。私の与えられている逆鱗邸の方がよっぽど立派に見えます。
とはいえ相手は仮にも大統領の御子息です。目撃情報とケイリスくんの記憶を頼りにルグラスさんの自宅を特定したまでは良かったものの、夜更けにアポなしで突撃して良いものかと悩んだりもしたのですが……。
いざこうして接見が叶ってみると、ケイリスくんの正体を明かした瞬間にルグラスさんは血相を変えて、このように土下座紛いの謝罪を敢行したのです。
……お茶を運んできてくれたらしいメイドさんが目を丸くして立ち尽くしているんですけど……これ、あとで問題になったりしませんか?
「ルグラスさん、顔を上げてください」
ケイリスくんも少し困惑気味に声をかけますが、ルグラスさんは激情を抑え込んだような声色で、
「いや、そういうわけにはいかない……! キミにはいくら謝っても足りないくらいなんだ!!」
地面に額をこすり付けそうな勢いでひたすらに謝罪の姿勢を取り続けるルグラスさんを見て、私は少し気の毒になりました。
きっと彼はあの夜の陰謀に関わってはいないのでしょうから、あれは父親がやらかしたことで自分には関係が無いのだと割り切ってしまえれば、どれだけ楽でしょう。
それができないのが彼の性格なのだとすれば、ミールラクスを父親に持つルグラスさんは、これまでどれほどの罪悪感と向き合ってきたのでしょうか。
私は念のためにルローラちゃんを振り返ると……彼女は眼帯をめくって翡翠色の瞳を露出させ、それから数秒後、左手の人差し指と中指を立てて軽く左右に振ります。
これは、『こいつはシロ』という合図です。やはり彼は陰謀に関わってはいないようでした。
それを確認した私は、今度はケイリスくんを振り返ります。
ルグラスさんの気持ちはわかりますが、私たちはべつに彼に謝らせるためにここを訪ねたわけではありません。
「ルグラスさん。貴方とお話がしたいと……お嬢様が仰っています」
ケイリスくんのその言葉に、ルグラスさんは恐る恐るといった風にしながら、ゆっくりと顔を上げました。人好きしそうな甘いマスクに、清潔感のある栗色の短髪。とても優しそうな垂れ目が印象的な顔が、こちらに向けられます。
それからどうにかルグラスさんを立たせた私たちは、ようやく話し合いの場に着くことができました。……ソファに座ってから、出されたお茶に決して手を付けようとしないケイリスくんの様子に、ルグラスさんが何とも言えない寂しそうな表情を浮かべていましたが。
「話というのは、父に関することでしょうか?」
おもむろにそう切り出してきたルグラスさんに、私は静かに首肯します。
流石にケイリスくんを連れてルグラスさんに会いに来たら、他に話すこともないでしょう。
ルローラちゃんの能力によって、ルグラスさんが陰謀に関わっていた可能性は消えています。
私は彼を全面的に信用するという前提で、単刀直入に要件を切り出しました。
「ミールラクスは、だいとうりょうになるべきおとこではありません」
「ええ、その通りですね」
まるで「今日は良い天気ですね」に対して「そうですね」と相槌を打つような気軽さで、ルグラスさんは当たり前のようにノータイムで同意しました。
仮にも父親を貶すような発言を彼がどう受け止めるか試してみたのですが、彼の心にミールラクスを政治家として尊敬する心は微塵もないようです。
彼は穏やかな青い瞳を憎らしげに細めて、
「父は、結局今日まで叔父さんを陥れたことを私に打ち明けることはありませんでしたが……しかし状況的に、父が裏で手を回したことは誰の目にも明らかでしょう」
いえ、五年経ってもクーデターとかが起きていないところを見るに、誰の目にも明らかというほど明らかではないようですけど。
けれどもルグラスさんのお宅に来る最中、ついでに現大統領の評判を聞き込みしてみましたが、ミールラクスはどうにも胡散臭い、きな臭いという声がよく聞かれました。あと無能だと。……そして、前大統領が罪を犯したなどという話は、どうにも信じられないという嬉しい声も。
それでもグラトスさんが息子と一緒にプラザトスを去り、そして二度と戻らなかったということは事実です。ミールラクスが用意した『動かぬ証拠』とやらのこともあり、状況的にはミールラクスが、心情的にはグラトスさんが支持されているようでした。
……ならば、その『動かぬ証拠』とやらを突き崩してやれば、民衆の心は一気にこちらへと傾きます。
ミールラクスが今も大統領として国のトップに居座っていられるのは、捏造した〝動かぬ証拠〟と、そして裏社会を牛耳っているが故の『暴力』があるためです。
しかしミールラクスが持つ二枚の手札は、私たち五人がいれば容易に切り崩すことができてしまいます。
『動かぬ証拠』はケイリスくんとルローラちゃん、『暴力』はネルヴィアさんとレジィがいれば、容易に封じることが……。
……って、あれ!? 私は!? ドラゴン退治の時も思ったけど、じつは私っていらない子っ!?
私はにわかにショックを受けつつも、すぐに気を取り直してケイリスくんに視線で合図を送ります。……本題を切り出そう、という合図を。
ケイリスくんは真剣な面持ちで頷きながら、
「ボクたちは近日中に、ミールラクスがあの夜に企てた陰謀を暴き出し、あの男を大統領の座から引きずり下ろすつもりです」
「そうか、わかった。それで私は何をすればいいんだい?」
「え?」
私とケイリスくんは目を丸くさせながら顔を見合わせて、それから再びルグラスさんの真面目くさった顔に視線を戻しました。
「……ええっと、静観してくれればそれでいいんですけど」
「なんだって!? キミたちだけで行動を起こすつもりかい!?」
「一応、リルマンジー隊長の協力は取りつけましたけど……」
「父は危険な男だ! キミたちがどんな計画を立てているかは知らないが 奴は他者の命を奪うことさえなんとも思っていないんだ……それこそ実の弟でさえも! 甘く見てはいけない!」
別に甘く見ているつもりはありませんが、こちらが先手を取れれば簡単にミールラクスの立場を脅かすことができると思うんですけどね。……いえ、そもそも先手を取れればという前提が、ミールラクスを軽んじているということなんでしょうか?
確かにそう考えると楽観的だったかもしれません。すでに私たちの計画はある程度向こうも把握し始めている、くらいの慎重さで動いたほうが良いかもしれませんね。
何よりこの行動は、単純に私の憂さ晴らしというわけではありません。ケイリスくんのお父さんの汚名を雪ぎ、汚職に塗れたイースベルクの政治を一度洗い流し、この国を……ケイリスくんの故郷を救うための行動なのです。
失敗は許されない以上、より注意深く、最善を尽くして、利用できるものはなんでも利用するくらいの心持ちが求められるのではないでしょうか。
……それにしても、他者の命を奪うことをなんとも思っていない……ですか。
「じゃあ、ケイリスくんをにがしてくれたっていう、かせいふちょうさんは……?」
「……すまない。彼女を助けることはできなかったんだ」
やっぱり……。
ほとんどわかりきっていたことではありますが、それでもケイリスくんは悲痛な表情で顔を俯かせてしまいました。
……もう二度と、彼にこんな思いをさせるわけにはいきません。
私は計画を見直し、認識を改めて、それから口を開きました。
「ではおことばにあまえて、ルグラスさんにもきょうりょくしてもらいましょう。……でも、いいんですか? かりにもじぶんのちちおやを、おとしいれることになりますよ』
私が一応念を押してみると、ルグラスさんは穏やかな瞳に強い意志を滾らせながら、
「当然です。本来あんな愚物が国のトップに立って良いはずがありません」
ぐ、愚物とな。今まで、よっぽど反面教師にしてきたのでしょうか。
「ケイリスくんの味わった陰惨な過去を思えば、私を連座で処断してもらっても構いません。アレの暴虐を止められなかった私にも大きな責任があります。……あの男は私を全く信用せず、近づけようとはしないのです。お互い様ですがね」
親子でありながら、最大の政敵でもあるようですからね。無理はありません。
ルグラスさんはテーブル越しに、再び深々と頭を下げます。
「どうか父を……ミールラクスを止めるために、力を貸していただきたい……!!」
私はチラリと、同じくソファに腰掛ける仲間たちに視線を走らせました。
ネルヴィアさんは酷く同情的で痛ましげな表情を浮かべています。かつて父親と仲違いの末に和解した彼女の目には、実の父を全く信用できず、ついには討つ覚悟を決めたルグラスさんの姿はどう映っているのでしょうか。
レジィはあまり興味が無いだろうと思っていたのですが、彼は薄っすらと目を細めた瞳に憐みの色を滲ませています。どうすることもできない弱者の葛藤に耳を傾けられるようになったことは、彼の保護者として本当に嬉しい限りです。
ルローラちゃんは目を伏せて、どこか居心地が悪そうにしていました。身内のしでかした悪行に苦しむ彼の様子は、彼女にとって決して他人事ではないはずです。だからルグラスさんに会いに行くと聞いたとき、眠いとか面倒だと泣き言を漏らさなかったのでしょうか。
そしてケイリスくんは……。
「ルグラスさん、ボクは貴方に責任があるとは思いません。そんなに思い詰めないでください」
とても冷静な表情で、落ち着いた声で、ケイリスくんはルグラスさんに慰めの言葉をかけました。
もしも私が彼の立場だったなら、こんな大人な言葉をルグラスさんにかけられたでしょうか?……きっと無理だったような気がします。
こんなにも強い子に育ってくれて、さぞやケイリスくんのお父さんお母さんは誇らしいことでしょう。
ルグラスさんはその言葉を聞くと、表情をくしゃりと歪めながら俯いて、「……ありがとう」と弱弱しい声を漏らしました。
……もしかして彼の性格からすると、罰してもらいたかったのでしょうか?
「ケイリスくんやグラトスさんにもうしわけがないとおもうのなら、わたしたちをたすけてください。……ただし、くれぐれもムチャはしないように、ですが」
私の言葉に、ルグラスさんはどこかホッとしたような表情になりました。やっぱり罪の意識の捌け口を求めていたのでしょうか。
それなら存分に働いてもらうとしましょう。ミールラクスのやり口や恐ろしさは、彼が最も知り尽くしているでしょうからね。
その後、私たちはしばらく情報交換をしてから、また明日の夕方ごろに会う約束をしました。
今日は夜も遅いですし……かといって、いきなり押しかけておいて泊まって行こうだなんて図々しさは持ち合わせてはいませんので、宿に戻ることにします。
こうして私たちと関わった以上、ルグラスさんにも危険が及ばないものかと心配したのですが、ルグラスさんは気軽に「大丈夫さ」と言ってのけました。曰く、先ほどのメイドさんは〝戦える人〟なのだそうです。
私たちを玄関まで見送りに来たルグラスさんは、そこでケイリスくんを見つめながらしみじみと、
「それにしても、あの可愛らしかったケイリスくんが、こんなに立派になっているとは」
そんな風に言われたケイリスくんは、照れくさそうに唇を尖らせました。
え~! なにその仕草!? 超あざといんですけどっ!!
それからルグラスさんは私に視線を移すと、
「それにあんな経験をしながらも、ケイリスくんがこんなにも優しい子に育ってくれたのは、もしかしてキミのおかげなのでしょうか?」
ルグラスさんの買い被りに、私は苦笑交じりに首を横に振りました。
私がケイリスくんと出会ったのは、つい数ヶ月前のことです。そんな私がケイリスくんの心の根幹に関わっているはずがありません。
彼がこんなにも優しい子に育ったのは、彼のお父さんとお母さん、それから帝都のセルラード宰相を始めとした温かい人々に囲まれて育ったためです。
と、私がそんなようなことをルグラスさんに伝えると、ケイリスくんが何とも言えない顔つきになりました。
……え? ど、どうしたのケイリスくん?
私が困惑していると、ルグラスさんとケイリスくんが二人でひそひそ話を始めます。……なんか怖い! ちょ、ちょっとやめてよ! 二人ともチラチラ私を見ながら、呆れた感じの表情っていうのがさらに怖いよ!!
結局二人が何をしゃべっていたのかはわからないまま、私たちはルグラスさんのお宅を後にしました。
***
プラザトスに着いてから二日目の昼下がり。
ケイリスくんの絶品手料理でお腹を満たした私たちは、夕方に再びルグラスさんを訪ねるまでの数時間をどう過ごそうかと話し合っていました。
ちなみに私は現在、ベッドに寝そべるルローラちゃんの背中を枕にしています。