しばらくそんな平和な時間を過ごし、先ほど下らない連中のせいで溜まっていたストレスをゆっくりと消化していると……不意にレジィの耳がピンと立ちました。私が顔を上げると、ネルヴィアさんはすでに剣を握っていて、ルローラちゃんは視線だけを入り口の扉に向けています。
「この気配は……偽勇者か?」
レジィが不愉快そうな声色でそう言うと、ネルヴィアさんも控えめに頷きました。なぜわかる。
数秒後、老朽化した廊下がギシギシと軋むような音が聞こえてきて、その足音は私たちの部屋の前でピタリと止まりました。そして何かを話すような声の後、ノックの音が響きます。
全員が扉の方を見て、それからみんな一斉に私へ視線を向けました。
……うっわぁ~。面倒ごとの匂いしかしないんだけど。
このタイミングで例の勇者ちゃん? 彼女の目的はいったい何? パッと思いつくのは、街の治安維持か、ドラゴン討伐隊の戦力増強のどちらかでしょうか。
まっすぐここを訪ねて来たところを見るに、居留守が通用するとも思えません。
私はいろいろと諦めつつ、ネルヴィアさんに「出て」とジェスチャーしました。
ついでにケイリスくんとルローラちゃんを、私とレジィの近くに招き寄せます。相手の出方がわからない以上、警戒しすぎるということはないでしょう。
ネルヴィアさんがゆっくりと扉を開けると、そこには白髪の老人と、夕陽のような赤い髪をした幼児が立っていました。ロンドブルム司教と、勇者クリヲトちゃんです。
ロンドブルム司教は軽く一礼すると、その皺だらけの顔で柔和に微笑みました。
「皆さん、夜分遅くに申し訳ありませんな。こちらの勇者様が皆さんとお話ししたいと仰いまして、伺った次第です」
……恐らく、今日の昼頃に私たちがクリヲトちゃんについて嗅ぎ回っていたことを、司教様がクリヲトちゃんにチクったんでしょうね。そこで私たちについて気になったクリヲトちゃんが、こうして直接見に来た……と。おそらく大筋はそんな流れでしょう。
「は、はぁ……お話、ですか?」
人見知りのネルヴィアさんが困ったような顔で私を見てくるので、私は傍らのケイリスくんにアイコンタクトを送ります。するとケイリスくんはすぐさま進み出て、応対を引き継いでくれました。
「今や街中で話題の勇者様とお話しできるというのは光栄なことです。それで、お話とは?」
私の目にはかなり上っ面だけに映ったおべんちゃらを口にしたケイリスくんに、クリヲトちゃんはこれといった反応を示すこともなく口を開きました。
「あなたたちが『リルル』と口にしていたと、ききました。どこでその名を?」
緋色の瞳がメラメラと燃え上がっているかのように錯覚するほどに、クリヲトちゃんは並々ならぬ激しい感情を内に秘めているようでした。もしもここで下手なことを言おうものなら、この場で戦闘になだれ込みそうに思えるほどの気迫です。とても二、三歳児とは思えません。
おそらくは司教様の心をルローラちゃんが読んだ直後、「間違いない、リルルの仕業だ……」と頭を抱えた時のことを言っているのでしょう。少し口が滑りましたね……。
問題なのは、クリヲトちゃんがどの立場から私たちに接触してきたかという点です。クリヲトちゃんがリルルに利用されているのか、すでに思惑を見破り敵対しているのか……はたまた全てを理解した上で、積極的に謀略の片棒を担いでいるのか。
「ボクたちは巡礼の一環として、つい最近まで帝国の方にも足を運んでいました。そこで、とある大事件の話を耳にしたんです。今や帝国で『リルル』という名を知らない者はいませんよ」
「……そうですか」
クリヲトちゃんの目元が、ピクピクッと動くのが見えました。表情と言えるほどの動きではありませんでしたが、しかし今まで怜悧な無表情を貫いてきた彼女の見せた、初めての反応です。
「ちなみに、その事件というのはどういったものですか?」
「帝都でクーデターを起こしたそうですよ。すでに事態は沈静化していますが、かなり大きな被害が出たようです。その首謀者であるリルルがどうなったのかは、ただの巡礼者であるボクたちの知り及ぶところではありませんが」
のらりくらりと煙に巻くようなケイリスくんの話術に、クリヲトちゃんは無表情だったその顔を僅かに曇らせます。……う~ん、今のところ、どちらとも取れる反応なんですよねぇ。
それからクリヲトちゃんは、明らかな疑念の視線を私たちへと送ってきました。
「……いまのはなしでは、彼女のやったことしかわかりません。ソレとわたしををむすびつけることはできないはずです」
「さる御方より、ボクたちは様々なことをお聞きしている……とだけ。これ以上は我々にも立場というものがありますので」
ケイリスくんが思わせぶりなことを言って、クリヲトちゃんの追及を強引に振り切りました。こう言われては、無理やり聞き出すというのは難しいでしょう。
黙り込んだクリヲトちゃんが、ゆっくりとこちらのベッドへ歩み寄ってきます。困惑した様子の司教様が止めようとするのも、ネルヴィアさんの手がゆっくりと剣の柄に伸びるのも、レジィがベッドから僅かに腰を浮かすのも、関係ないとばかりに歩を進め……。
「……ん? あれ? おねぇ……さま?」
突然、剣呑な雰囲気を霧散させたクリヲトちゃんが、ちょっと間の抜けた表情で口をポカンと開きました。
彼女の視線の先を追いかけると、私のすぐ後ろで小さな杖を密かに構えていたルローラちゃんが、私と同じく困惑した様子で固まっています。
そこでロンドブルム司教がハッとした様子で何かを言いかけますが、その前に……。
「おねぇさま!? やっぱりおねぇさまだよね!?」
途端に表情を輝かせたクリヲトちゃんは、夕日のような赤い髪を振り乱して駆け出し、短い手足でジタバタとベッドをよじ登ってきました。そして勢いそのままにルローラちゃんの胸に飛び込んできます。そして沈痛な面持ちで頭を抱える司教様。
「ちょ、なにしてんの!?」
「このにおい! やっぱりおねぇさまだぁ! そんな変装したって、わたしにはおみとおしなんですからね!! リルルおねぇさまぁ~~~!!」
ルローラちゃんの胸にぐりぐりと顔をこすりつけるクリヲトちゃんは、恍惚の表情で甘ったるい声を出します。それは先ほどまでの怜悧で謹厳な立ち振る舞いとは真逆の、今にも涎でも垂らしそうなほどにだらしない壊れっぷりでした。
「ア、アタシはリルルじゃないよ!」
「そんなウソにだまされませんよ! この花のようなあまいにおい! まちがいなくリルルおねぇさまです! しらばっくれて、わたしの愛をためそうとするなんて、おねぇさまはイケズです! だけどだまされませんでしたよ! 褒めてください! 愛でてください! でゅへへへっ!!」
「いや、だからちがうってば!」
蕩けきった表情で絡みついてくるクリヲトちゃんを、ルローラちゃんは強引に引き剥がします。そして不思議そうにしているクリヲトちゃんに、毅然とした態度で言い放ちました。
「アタシはルローラ! リルルの姉だよ! だからリルルじゃないの! わかった!?」
言い聞かせるようにして説明したルローラちゃんの言葉に、クリヲトちゃんはしばしきょとんとした様子でしたが……しかし数秒後、今度は一転して敵意に満ちた表情を浮かべます。
「ルローラ……それって、リルルおねぇさまをまもってくれなかったっていう、ダメ姉でしょ! よくもわたしのまえに、ノコノコとあらわれたね! おねぇさまのかわりに、わたしがぶへっ!?」
気がつくと私は、クリヲトちゃんの頬を引っぱたいていました。叩いてから「あ、やば」と我に返りましたが、まぁこれは仕方ないでしょう。私の仲間を侮辱したんですから。
殴られてベッドの上を転がったクリヲトちゃんは、信じられないといった様子で涙を浮かべています。近頃は勇者だ何だと持てはやされて、理不尽な目に遭ったことがなかったのでしょう。
「な、なにするの!? なんでぶったの!?」
クリヲトちゃんは意外とタフなようで、すかさず抗議してきます。涙目で。
一方私は幼気な子供のフリをして、無邪気な顔で小首をかしげていました。
しばし「ぐぬぬ」と私を睨みつけていたクリヲトちゃんでしたが、赤ん坊相手に無駄だと悟ったのか、コホンと咳払いをしてルローラちゃんに向き直りました。
「ふんっ! とにかく、あなたなんかをリルルおねぇさまのおねぇさまだとは、みとめないんだから! もしもわたしがあの場にいれば、リルルおねぇさまを守ってあげられボヘェっ!?」
今度はクリヲトちゃんの顔面を思いっきりグーでぶん殴ると、ベッドの上を転がったクリヲトちゃんはそのまま頭から床に落っこちていきました。慌てて駆け寄ったロンドブルム司教に抱き起こされたクリヲトちゃんは、グルグル回していた目をキッと怒りに燃やします。
「ちょっとそこのこども!! なんでこんなことするの!? どういう教育うけてるの!?」
顔を真っ赤に染めて、鼻血を垂らしながら憤慨しているクリヲトちゃんに、私は「ハッ」と鼻で笑って見せました。クリヲトちゃんが愕然としています。
「そ、そのなまいきな態度……あかちゃんとはおもえない……。まさか、帝国の『勇者』?」
神妙な顔つきで、クリヲトちゃんが核心を突く閃きを披露しました。これだけのヒントでまさか正解にたどり着くとは……と、私が彼女に対する評価を微修正していると、心底呆れたような表情を装ったケイリスくんがすかさず口を挟んできました。
「いや、なんで帝国の勇者様がお忍びでこんなところにいるんですか……」
するとクリヲトちゃんは「そ、そんなのわかってるし! ちょっと言ってみただけだし!」と、あっさり流されて頬を紅潮させました。……先ほど上げた評価は元に戻しておきましょう。
というか、これでクリヲトちゃんがリルルに心酔しているのはわかりましたね。クリヲトちゃんが魔術師じゃなければ、ルローラちゃんの読心で終わりなのに……やりづらいなぁ。
あと気になるのは、クリヲトちゃんがリルルに騙されて利用されているのか、すべてわかった上で従っているのか……という点でしょうか。
そんな私の考えを先回りするかのように、ルローラちゃんが悲しそうな表情で切り出します。
「可哀想に……アンタもリルルに利用されているんだね。帝国ではリルルに騙されて、たくさんの人が不幸になっているんだよ。アンタもそんな哀れな手駒の一人なんだね」
「なっ!? おねぇさまがそんなことするはずないでしょう! たしかにおねぇさまはちょっと……いやけっこう……かなりヒネくれててナチュラルに人を見下すド畜生なところもあるけど! でもドラゴンにおそわれて死にかけてたわたしをたすけてくれたんだから!」
……リルルはなんというか、部下から当たり前のように残念な子扱いされてるんですね。しかしそれでいてかなり慕われている様子なのが不思議です。
けれどこれだけ慕われていて、命じたらなんでも従いそうなのに、帝都ベオラントでのテロに呼ばなかった……? というより、そんな計画は知らなかった様子です。
つまりクリヲトちゃんは、リルルの比較的良い面だけを知っていて心酔している? 少なくとも悪事に荷担していそうな雰囲気ではありません。
今にもこちらに噛みついてきそうなクリヲトちゃんに、ルローラちゃんは可哀想なものを見るような目つきで訊ねます。
「そのドラゴンを明日、たおしにいくんでしょ? 勝算はあるの? 一回は負けてるんでしょ?」
「あのときは、わたしひとりしかいなかったからまけたんだよ! 騎士団がいればまけないし!」
グッとちっちゃな拳を握るクリヲトちゃんに、私はちょっと意味が分からず首を傾げました。他のみんなも怪訝な表情をしていて、我慢できなかったのかレジィが口を挟んできます。
「いや、あんな雑魚どもをいくら集めたって同じだろ。まともなのは隊長っぽいオッサンだけだったぞ。クソみてぇな足手まといも多かったしな。あれじゃあ死にに行くだけだ」
「むっ! そんなことない! あいつらはリルルおねぇさまが手を回してよんでくれた騎士たちなんだから! リルマンジー隊を剣に、ビルバー隊を盾にしてたたかえば、かてるってリルルおねぇさまは言ってたし!」
リルマンジーって、たしかあのダンディな隊長さんですか。彼は強そうでしたね。レジィがまともって言ってるのは彼のことでしょう。
そしてビルバーっていうのが、あの山賊モドキですね。なんか当たり前のように盾にするって言ってますけど、それって肉盾にするって意味ですよね? さすがナチュラル畜生エルフ、人を人とも思わない運用です。
でもあの山賊モドキたちは危なくなったら真っ先に逃げそうですけどね。それどころか手柄を独占するために味方の足を引っ張ったりもしそうです。リルルなら上手いこと丸め込んで統率できるのかもしれませんが、クリヲトちゃんには無理なんじゃないですかね……。
「それにしても、おねぇさまはぶじなのかな……ドラゴンの〝タイムリミット〟までにはもどるっていってくれてたのに……」
「タイムリミット?」
「おねぇさまがドラゴンをだまして、半月だけ人間をおそわないようにしてくれたそうなの。あしたで半月だから、もうたたかわないといけないんだけど……」
人間を襲わないように? なるほど、だから村を襲ってから今までドラゴンは沈黙を守り続けているんですね。……ドラゴンを騙すというか、そもそもリルルとドラゴンがグルだっていう可能性の方が高いと思いますが。
ともあれそういうことなら、明日ドラゴン討伐を行わなければならないというのも納得です。私が首輪を取り外すまで待ってくれたら良いなと思っていましたが、そうもいかないようです。そしてもしも明日ドラゴン討伐が失敗すれば、そのままこの宗教都市や商業都市などの大都市が滅びてしまう恐れもあります。
となると、あとはクリヲトちゃんの実力に……ひいては彼女が扱える魔法術式にかかってるのですが……よし、ルローラちゃんにこっそり耳打ちして、彼女の口から訊いてもらいましょう。
私は「うぅ~」とか赤ちゃんっぽく唸りながら、ルローラちゃんにギュッと抱き着きます。そしてクリヲトちゃんやロンドブルム司教から口の動きを悟られないように、ルローラちゃんの尖った耳に口を寄せました。
「ねぇ」
「ひぁあああんっ!?」
……そして私が囁き声を発した瞬間、ルローラちゃんは変な声を上げながら飛び跳ねます。
ギョッとした全員の視線が集まる中、ルローラちゃんは尖った耳の先まで真っ赤に染めながら、
「エルフは耳が敏感だから……」
と、消え入るような声で説明してくれました。し、知らなかったんだよ、ごめんね……。
視界の端でクリヲトちゃんが「これはイイことをききました。これでリルルおねぇさまに、あんなことやこんなことを……でゅへへ……」とか言っていたので、この隙に今度こそルローラちゃんに「どんなまほうをつかうのか、きいて」と耳打ちします。息がかからないように気をつけながら。
「ねぇ、クリヲト。アンタはどんな魔法を使うわけ? ドラゴンへの有効打はあるの?」
「ふんっ! わたしのまほうは国家機密なんだよ? そうやすやすとおしえるわけないでしょ」
「リルルが昔おねしょしたときの話、聞きたくない?」
「わたしがつかえるまほうは『減速』『加速』『軽量』『冷温』のよっつだよ」
おや国家機密が二秒で暴かれましたよ?
そして魔法による有効打がないことも判明しましたね。冷温とやらで凍死させることができない限り、勝つどころかダメージを与えることさえできないでしょう。むしろこれでよく勝てると思いましたね。
私が内心で呆れていると、すぐ隣で話を聞いていたケイリスくんが驚愕の表情を浮かべているのが見えました。何か気になることでもあったのでしょうか?
一方レジィは、心底うんざりした様子で深々と溜息をついています。
「悪いことは言わねぇからやめとけ。お前はドラゴンを舐めすぎだ」
「な、なめてない! わたしは、ちゃんと……」
「テメェみたいな雑魚が百人集まろうが、ドラゴンなんざ倒せるわけねぇだろうがボケッ!!」
とうとう怒鳴り声を上げたレジィに。クリヲトちゃんはビクリと肩を震わせて固まってしまいます。そして大きな赤い瞳からぽろぽろと涙をこぼし、大声で泣き始めてしまいました。
「うわぁあ~~ん!! だって……だっでぇ~~!! またっ、うぢの村みたいにぃ、みんな黒焦げで死んじゃうからぁ~!! 騎士団はぢっちゃい村なんでごないがらぁ~~!! ザコでもがんばるがらぁ~~!! 命がけでがんばるからぁ~~!!」
お人形のような顔をくしゃくしゃにして、クリヲトちゃんは涙や鼻水を流しています。
おいおいと泣き喚くクリヲトちゃんから視線を外した私は、他のみんなの様子を窺いました。ルローラちゃんはリルルがしでかしたことの罪悪感からか表情が暗く、レジィは泣かせてしまったことが気まずいのかバツが悪そうにしていました。
そして感受性の豊かなネルヴィアさんはもらい泣きしており、ケイリスくんは辛そうな顔で三つ編みを握りしめて私を見つめています。
……薄情かもしれませんが、彼女がリルルの関係者である以上、演技で私たちを欺こうとしている可能性は否めません。以前、私もリルルには騙されてますしね。
私はルローラちゃんの右目を覆う眼帯を、指でトントンと叩きます。すると私の考えを察してくれたルローラちゃんが翠玉色の瞳でクリヲトちゃんを射抜き、そして私に小さく頷きました。どうやら演技ではなく、本気で泣き崩れているようです。
……これは、仕方ないかなぁ。
おいおいと泣き喚くクリヲトちゃんへと、私は溜息交じりに口を開きました。
「かりにも『ゆうしゃ』をなのるなら、そんなだらしなくしちゃダメだよ」
突然私がしゃべり始めたことで、クリヲトちゃんとロンドブルム司教は驚愕に目を瞠りました。それから二人は顔を見合わせ、「まさか」といった表情を浮かべます。
さすがに私の魔法が封じられている今、うちの子たちにドラゴンと戦うよう指示を出すつもりはありません。初対面の人たちよりも、仲間たちの命が優先です。そこは譲れません。
しかしクリヲトちゃんが魔術師だというのなら、やりようはあります。現状の問題は、クリヲトちゃんの戦闘力が足りていないこと。ドラゴンに対する有効打がないことです。それなら……。
「まほうをおしえてあげる。だからあとはじぶんでなんとかして」
私が正体を明かすことについてのリスクに頭を痛めながらそう言うと、クリヲトちゃんは涙で濡れた赤い瞳をぱちくりさせながら、「ひっく」としゃっくりを漏らすのでした。
***
クリヲトちゃんに魔法を教えるにあたり、まずは彼女の得意な属性を突き止めることから始めました。かつて御前試合で戦ったボズラーさんが風の魔法を得意としていたように、本来魔術師というのは自分の得意な分野というものがあり、まずはそれだけを極めるのだそうです。
ボズラーさんが風を、ルルーさんが肉体の形状を、リルルが肉体の時間を操ることを得意とするように、クリヲトちゃんにも得意な分野があるはずです。そして大抵は、最初に習得できた魔法が最も得意であることが多いとのこと。
だからすでに魔法を習得しているクリヲトちゃんの適性を知ることは、簡単だと思っていたのですが……そこには思わぬ落とし穴がありました。
「クリヲトさん。貴女、リバリー魔導隊の隊員ですよね?」
不意にケイリスくんが放った問いに、クリヲトちゃんは飛び上がるくらいギクッとしてから不敵に笑いました。
「なっ、な、なななんのことかしら」
変な汗を流しながら目を泳がせるクリヲトちゃんが、震える声でしらばっくれています。
「先ほど貴女が使える魔法として挙げていたものは、リバリー魔導隊の隊員が、リバリーさんから『祝福』として授けられる魔法のはずです」
ケイリスくんの指摘に、クリヲトちゃんがついに「ギクッ」と口にしちゃいました。もうそれを口にしちゃったら自白と同じでしょうに……。
聞けば、リバリー魔導隊の隊員が用いる魔法は、威力自体は大したことないものが多いのだそうです。例えば『冷温』なら対象の温度をちょっとだけ下げるだけなのだとか。
しかし彼女たちは集団戦闘に特化した戦術を用いるため、魔族に対して十人で『冷温』を重ね掛けしたりして倒すみたいです。きっと練度が半端じゃないんでしょうね。
習得が極めて容易な代わりに質の低い魔法を、数で補うのがリバリー魔導隊の戦い方なのでしょう。そしてそれはつまり、隊員一人で戦う場合はとても弱いということを意味するわけで……。
ところでクリヲトちゃんは自分の魔法……リバリー魔導隊の魔法を国家機密だと言っていましたが……いや、まぁいっか。今はとにかくクリヲトちゃんのことです。
とにかくクリヲトちゃんはろくな修行もせずに『祝福』で魔法を習得したため、適性とかそれ以前の問題でした。魔法術式の基礎くらいは知っているようですが、ほぼド素人だったのです。
「……よくそれで、ドラゴンとたたかおうっておもったね」
「うっ……! じゃ、じゃああなたがたたかってよ! ほんものの『勇者』なんでしょ!?」
「さっきもいったけど、いまはまほうをつかえないんだって。リルルのせいでね」
すでに私が帝国の勇者であることは伝えています。というか、私に関する情報はこのイースベルク共和国にも広まっていたようです。なので先ほど私がしゃべった時点で誤魔化しようはありません。
「とにかくあしたのあさまでに、まともなまほうをつかえるようになってもらうからね」
「うぅ、そもそもあなたがリルルおねぇさまをやっつけたせいで……」
「あ、そう。おしえるひつようがないならいいよ。たすけるぎりもないし。じぶんでがんばってね」
「ごめんなさいおしえてくださいおねがいします!!」
すぐさまベッドに頭を叩き付ける勢いで土下座するクリヲトちゃん。じつはさっき私たちがリルルを倒したことを知ったクリヲトちゃんに、散々罵られたのです。ちょっと当たりが強いことくらい我慢してもらいましょう。
しかし本来この世界の常識では、魔法を習得するには数十年単位の研鑽 が必要とされています。二十代半ばで実戦レベルの魔法を使えるボズラーさんが、稀代の天才と呼ばれるほどなのです。ならば一晩で魔法を使えるようになるためには、何かしらの裏技を使わなければなりません。
そしてその裏技については、一つ心当たりがあります。
「ねぇ、リバリーさんの『しゅくふく』って、どんなものなの?」
「そ、それをおしえるのはさすがに……これはほんとにおしえちゃヤバイやつだから……」
「ふ~~~ん。じゃあもういいよ。おかえりはあちらです」
「わ、わかったからぁ!! でもぜったいほかのひとにはナイショだよ!? ほんとにおねがいね!? バレたらリバリーさまにおしおきされるんだから!!」
そう前振りをしてクリヲトちゃんが取り出したのは、リバリーさんが操る魔法の根幹を担う術式が焼き印された、手のひらサイズの革の巻物でした。相手に触れながらこの魔法を発動すると、その相手からの祝福を受けることができるのだそうです。
ю◉Эи 祝福 Ш ю◉Эи Ш
Ж
Гдпи¯Ч нЧш мдЛч€б Ъ
Эп¢ёйи€Ш мдЛч€б.ЧЭё€пдм€ ШЪ
Ж
「これは……おもってたとおり、『ライブラリ』っぽいね」
「ら、らいぶらり……?」
要は、リバリーさんが図書館としてすべての術式を本のように管理していて、契約している人たちはそこから術式を引き出して利用できるという仕組みです。
やってることは、他人の脳内から術式を読み取って発動できるルローラちゃんと真逆。自分の脳内から魔法の術式を譲渡するような形です。
私の首に嵌められた魔導桎梏のせいで不発に終わる可能性もありますが……ダメだったら一夜漬けでクリヲトちゃんの頭に術式を叩き込むだけです。
「さっそくためしてみよう」
そう言って私が手を差し出すと、クリヲトちゃんはわずかに逡巡してから、私の手を取って自分の額に添えるようにしながら祈り始めました。
「───『祝福』」
クリヲトちゃんがその魔法を発動した瞬間、私の脳内をなんとも言えない感触が撫でていきました。とても感覚的で確たることは言えないのですが、なんとなく、目の前のクリヲトちゃんと何かが繋がったような気がしたのです。
クリヲトちゃんの方にも何か変わったことがないかと思い、俯いたままの彼女の顔をのぞき込むと……唇まで真っ白になったクリヲトちゃんが滝のような汗をボタボタと垂らしながら、限界まで目を見開いていました。
「えっ? ちょ、クリヲトちゃん? だいちょうぶ?」
私が心配して声をかけると、クリヲトちゃんは「ひぃ!?」と幽霊でも見たような悲鳴を上げてひっくり返り、私から後ずさりました。
その反応に私が困惑していると、クリヲトちゃんは落ち着かない様子で視線を彷徨わせながら、震える自分の身体を抱きしめました。
「クリヲトちゃん? ほんとにどうしたの? なにかしっぱいしちゃった?」
「い、いえ……!! だいじょうぶ、です……」
全然大丈夫には見えませんけど……しかし失敗していないというのなら、早いところライブラリ関数の読み込みが成功しているのか試したいのですが。
クリヲトちゃんが落ち着くまでしばらく待っていると、彼女はようやく少しだけ冷静さを取り戻して、まともに話せるくらいまで回復しました。
「この『祝福』は……じぶんと、あいてのまりょくを、つなげるから……あいてがどれくらいまりょくをもっているのか、はっきりわかるんだよ……」
顔面蒼白でそう告げたクリヲトちゃんの様子に、私はなんとなく事情を察しました。
「わたしのまりょくがおもったよりもおおくて、びっくりしちゃったってこと?」
「おおいなんてもんじゃない! こ、こんなの……にんげんじゃないよ……!!」
[悲報]ブラック企業プログラマーは人間ではない模様。
なんだかすごい言われようですが……要するに私が最近習得した、魔力をぶちまけて浴びせる例のアレを食らってしまったような状態なのでしょう。いえ、魔力のパス的なものが繋がって直接感じ取ることができるのなら、もっと酷いのかもしれません。
「まぁまぁ、ちょっとおちついてよ」
私はクリヲトちゃんに……ではなく、彼女を怖い顔で睨みつけている仲間たちに落ち着くよう声をかけました。べつに『人間じゃない』とか言われても、今更傷ついたりはしませんから。
「そんなことより、ちゃんとまほうをつかえるのか、ためしてみようよ」
私はケイリスくんに教わって、この世界の文字で『そよ風』という魔法名に設定した術式を構築して、クリヲトちゃんに発動してみるよう促しました。
クリヲトちゃんはいまだに怯えた様子ながらも、私の言葉に従って魔法名を唱えます。
€Йч€бп Эпч そよ風 Ш ю◉Эи Ш
Ж
Гдпи¯а Эпч жЭпиЪ
жЭпи ф жЭпи - Г₀₀Ъ
б€чйбп жЭпиЪ
Ж
「……『そよ風』」
その瞬間、クリヲトちゃんの掌からふわりと優しい風が巻き起こり、彼女の夕陽のように赤い髪が舞い上がりました。
「うそ、ホントに……はつどうした……?」
まだ睫毛に涙の粒をつけたクリヲトちゃんが、信じられないといった表情で呟きました。
私はそんな彼女の様子を眺めながら内心胸を撫で下ろしつつ、彼女に訊ねます。
「それで……ドラゴンをたおすためには、どんなまほうがほしい?」
自慢じゃありませんが、制圧能力にかけては、私は帝国魔術師でも指折りですよ。
***
翌朝、私たちは陽が昇る前に宗教都市ルーンペディを発ちました。また面倒事に巻き込まれては堪りませんからね。
夜空が徐々に白んでいくのを窓から眺めながら、私はようやく肩の荷が下りた気分で深々と溜息を漏らしました。
あの後、私とクリヲトちゃんはしばらくライブラリ魔法の使い心地を試しました。その結果、ライブラリ魔法というのは何も考えずに運用してしまうと、通常の魔法よりもはるかに燃費が悪いということがわかりました。
というのも、魔法の発動者が未熟だと、発動の際に威力の減衰があるようなのです。さながら、バケツのような器しか持っていない人が、滝の水をすべて受け止めようとするかのように。
そして発動しようとしている魔法の規模や威力が大きくなるほど、加速度的に減衰の度合いも高まります。だからリバリーさんも、魔導隊の隊員たちに使わせる魔法はごく簡単なものに限っていたのでしょう。
とはいえ、ドラゴン相手にみみっちい魔法をいくら放っても無駄ですから、クリヲトちゃんには燃費が悪いことは覚悟の上で、大規模な魔法を使用してもらいます。昨晩の様子を見ている限り、クリヲトちゃんが大規模魔法の発動に耐えられるのは、せいぜい二回といったところです。
私たちにできる手助けはここまでです。あとは自分たちの手で国を守ってもらいましょう。
「セフィ様、あの子のことを心配されているんですか?」
「え?」
対面の座席に座ったネルヴィアさんが、膝枕してあげているルローラちゃんを撫でながら、そんなことを訊いてきました。
「……そんなかおしてた?」
「はい。きっと魔法が使えたなら、セフィ様はお一人でドラゴンを倒しに行っていたのではないですか?」
……どうかな。そこまでする義理も理由もないわけだし。
私が妙な居心地の悪さを感じていると、ネルヴィアさんは困ったように苦笑しました。
「じつを言うと、私は安心しているんです。セフィ様がまた無茶をされるんじゃないかと、気が気ではありませんでしたから。セフィ様は私やレジィだけをドラゴン討伐に同行させるだなんて、絶対にされませんから、必ずご自身もついて来ようとしたはずです」
それは……そうでしょうね。可愛い家族たちを死地に送り込んで、自分だけ安全な場所で悠々と待っているだなんてできるわけがありません。
「本当は、エルフの里にケイリスさんを奪還しに行くときも、セフィ様には安全な場所で待っていて欲しかったんです。ましてや囮として潜入するだなんて……胸が締め付けられて、苦しくて死んでしまいそうでした。……結果的にセフィ様が同行していなければ、ルローラさんに捕まっていたでしょうが」
自分の膝で眠るルローラちゃんの長い髪を、ネルヴィアさんがそっと指で梳きました。
「セフィ様が魔法を使えなくても、私たちが力を合わせればドラゴンにだって勝ててしまうかもしれません。けれど万が一、誰かがドラゴンの牙や爪によって致命傷を受ければ、セフィ様は危険を顧みず、その首輪を破壊してしまうでしょう」
「……だろうね。とりあえずドラゴンは、ぜつめつさせるとおもう」
「ですから私は、ドラゴンと戦うのは反対でした。個人的には彼女……クリヲトさんの境遇には同情しましたし、可能な限り力になってあげたいとは思いました。しかし、私が最も優先すべきはセフィ様です。セフィ様の身が危険に晒されかねないのなら、私は他の何を見捨てることにも躊躇はありません。たとえそれが、セフィ様の意に反する結果になったとしても」
またそんな、狂信者じみた極端なことを言って……と思いましたし、きっとこれも彼女の偽らざる本心なのだろうことは、ネルヴィアさんのまっすぐな目を見ればわかります。しかしそれとは別に、これはクリヲトちゃんを助けずに放り出した私の自責の念を、少しでも軽減しようとしてくれているのだろうということも、感じていました。
だから私も多くは語らず、ネルヴィアさんに心からの笑みで応えます。
「ありがとう、おねえちゃん。わたしもおんなじきもちだよ」
私がそう言うと、ネルヴィアさんはほんのりほっぺを赤らめて、嬉しそうにはにかむのでした。
***
ルーンペディを発ってからは特に何事もなく、果てしない草原に覆われた丘陵地帯を進んでいました。雲も少なく暖かな陽気で、ともすればピクニックにでも来たような気分になってしまいそうです。……私の首輪と、ドラゴンの一件さえなければ。
「お嬢様、デザートができましたよ」
馬車を止めて昼食をとり終えた私たちは現在、馬を休ませるついでに食休みしていました。一刻も早く進みたいところではありますが、それで馬を潰してしまえば本末転倒ですからね。
喉をゴロゴロ鳴らして甘えてくるレジィを可愛がっていると、そこへケイリスくんがフルーツを切り分けて持って来てくれました。ルーンペディで買っていたのでしょう。
「ありがとう、ケイリスくん」
お礼を言ってフォークに手を伸ばそうとすると、その前にネルヴィアさんがササっと近づいてきてフォークを手に取り、フルーツを私の口元に差し出してきました。
「はい、セフィ様、あーん」
「ん? うふふ。あーん」
ネルヴィアさんの可愛らしい行動に思わず頬を緩ませながら、私はネルヴィアさんの差し出したフルーツを食べようとして……。
「ぱくっ」
「ああーっ!! 何やってるんですかレジィ!!」
その直前にレジィが横からフルーツに食いつき、ネルヴィアさんを小馬鹿にするように「ハッ」と鼻で嗤いました。額に青筋を浮かべたネルヴィアさんは、魔剣フランページュを無言で抜剣しています。まったく、この二人は仲が良いんだから……。
「こ~ら~。レジィ~?」
私がレジィのほっぺたを指でぐりぐりすると、レジィはとても嬉しそうに「ごふぇんなはい~」と謝ってきます。尻尾がぶんぶん振られてるせいで、誠意は微塵も感じませんが。
そんなやり取りを見越していたのか、ケイリスくんがフルーツを追加で持って来てくれたので、今度こそ私は食後のデザートにありつけました。
特に小さく切り分けられているフルーツを、すぐ近くで気持ちよさそうに眠っているルローラちゃんの鼻先に近づけてみます。するとちっちゃなお鼻がひくひく動いて、桜色の唇が開きました。
そこにフルーツを入れると、もくもく口が動いて、それからふにゃっと表情が綻びます。なにこれ可愛い。
それから私がしばらく、ルローラちゃんの餌付けに夢中になっていると……。
「……っ!!」
私は反射的に、ある方角を振り返りました。私たちが今いる場所は、なだらかな丘陵地帯の中でも小高い丘になっていて、遠くまで見ることができます。
私の視線の先には、遙か遠くに見渡す限り広がる黒々とした樹海がありました。その一部からたくさんの鳥が飛び立っていきます。
「セフィ様? どうかされましたか?」
「……たたかいがはじまった。クリヲトちゃんが、わたしのライブラリまほうをつかった」
私の言葉に、ネルヴィアさんはハッとした様子で樹海に目を向けます。
ライブラリ魔法が発動されると、そのライブラリを構築している私の脳にも負担が来ます。この世界の魔術師風に言うなら、魔力の消費があるってことです。
そしてどうやらライブラリ契約をした者同士は、互いの魔力を強く感じ取ってしまうため居場所がわかるそうなのです。クリヲトちゃんの魔力は小さすぎるのか、普段は目の前にいてもまったく感じ取れませんでしたが……魔法を発動した瞬間だけは、微かに距離と方角がわかります。
リバリーさんのライブラリではなく私のライブラリを使ったということは、相手はおそらくドラゴンなのでしょう。
私のライブラリ魔法は消費が激しいため、できればこの一撃で勝負を決めてほしいものです。
と、考えている内にライブラリ魔法の二回目が発動されました。
「……またつかった。だいちょうぶかな」
昨晩お試しで魔法を発動したときは、二回目の発動で死にそうな顔をしていましたが……。
それからしばらくして、食事の片付けを終えた私たちが馬車に乗り込んだところで、遠方の樹海から激しい火柱が上がり、黒々とした煙が立ちのぼるのが見えました。
「あれは……ドラゴンブレスか」
険しい表情のレジィが口にした言葉を聞いて、私は下唇を噛みました。ドラゴンは種類によって様々なものを口から吐き出すのですが、中でも最もメジャーなのが火炎の息吹なのだそうです。
つまり、戦いはまだ続いている……。
そしてついに、三回目のライブラリ魔法が発動されました。
果たしてこの一撃で決着は着いたのか、それとも……。
「……お嬢様、行きましょう。今は彼らの無事を祈ることしかできません」
「そう、だね……」
神妙な面持ちで馬車を走らせたケイリスくんに、私は力なく頷くことしかできませんでした。
***
丘陵地帯を進み続けること数時間。私たちの進む道を阻むかのように広がる森が、姿を現しました。馬車が止まり、御者台からケイリスくんが降りてきます。
「ここの森はたしか、抜けるのにかなり時間がかかったはずです。今から入ったら途中で夜になりますね」
ケイリスくんの言葉に、私は空を見上げました。お昼に休憩をしてから数時間は経っているため、陽はそこそこ傾いています。陽が沈むまでできる限り進むか、明日の朝を待ってから一気に森を抜けてしまうか……。
私がケイリスくんと方針を話し合おうとすると、そこでレジィがおもむろに立ち上がって、ケイリスくんを馬車に引っ張り込みました。
「……レジィ?」
「日暮れがどうとか、それ以前の問題みたいだぞ」
森の方へ鋭い視線を向けて馬車を降りたレジィに続いて、ネルヴィアさんが剣に手をかけながら馬車を降ります。私は寝ているルローラちゃんを揺り起こしながら、二人の動きを見守りました。
「おい出てこいザコ共。ドラゴン退治ごっこは飽きたのか?」
レジィが退屈そうな声色でそう呼びかけると、少し間を置いて森の中から見覚えのある連中が姿を現しました。昨晩、ルーンペディの店で暴れていた自称騎士の山賊モドキたちです。
「……驚いたねェ。なんでわかった?」
「風呂に入れ。言いたいことはそれだけだ」
相変わらず汚らしい容姿に下卑た表情を貼り付けた隊長の男……名前は忘れましたが、そいつが手で合図すると、手下の山賊モドキたちが馬を駆って私たちの馬車を素早く取り囲みました。
「ったく、運が良かったぜ。このタイミングで食料と女が手に入るたぁな」
「隊長、もうヘトヘトっすよ! ルーンペディに戻んのは明日にしやしょう!」
なにやら彼らが皮算用を始めていますが、よく見ると全員負傷していたり汚れていたりと、昨日見たときよりボロボロな有様です。
こいつらがここにいるということは、ドラゴン退治は成功したのでしょうか? それとも途中で逃げ帰ってきた? クリヲトちゃんや、あのダンディな隊長さんたちはどうしたのでしょう?
私がそんなことを考えている間、馬の上で弓を取り出した山賊モドキたちが、ニヤニヤと私たちを品定めしていました。
「……ってなわけだからよォ、痛い目見たくなけりゃあ大人しくしてもらおうか。従順にしてれば命だけは勘弁してやるかもしれねぇぞ」
ふむ……よく見ると、あいつらが乗ってる馬たちは見るからに怯えてますね。馬車を遠巻きに囲んではいますが、じりじりと少しずつ後退しています。
全方位から同時に矢を射かけられたら、さすがにレジィでも手が足りないかも知れませんし……先に仕掛けてきたのはあちらですから、さっさとやってしまいましょう。
「むむむ……えいっ」
ささやかな気合いのかけ声と共に、私は最近ちょっと慣れ始めた魔力の解放を行います。じつはクリヲトちゃんと魔力の経路が繋がったことによって、魔力とやらをなんとなく感じ取ることができるようになったのです。
今回は頑張って、なるべく横方向に集中して魔力が広がるようにしてみました。するとその甲斐あってか、馬車を取り囲んでいた馬たちは途端に暴れ出し、山賊モドキたちを吹っ飛ばしながら散り散りに逃げていきました。
ちなみに私たちの馬車を牽いてくれている二頭の馬は、もはや慣れてしまったのか微動だにしません。訓練されすぎている……。しかし最近抜け毛が酷い。
さて、落馬して頭から落ちたり、狂乱した馬たちに蹴り飛ばされたりして、山賊モドキたちの半数以上が動かなくなりました。残っているのは隊長の男を含めた十人ちょっとです。
「クソッ! 殺せ! テメェら、ぶっ殺せ!!」
隊長が唾を飛ばしながら叫んだ瞬間、近くの盗賊に向かって駆けだしたネルヴィアさんが魔剣フランページュを一閃。剣の側面でぶん殴られた山賊モドキはボールのように吹っ飛んで、その先にいた仲間たちをボーリングのピンのごとく蹴散らしました。
少し離れたところにいた山賊モドキたちが矢を放ってきたりもしましたが、いつの間にかレジィが馬車の前に立ち塞がっていて、その手に大量の矢が握られています。
それから三十秒後。そこには数十人にもおよぶ山賊モドキたちが転がっていました。南無三。
「ちょっとアイツらに、じじょうをきこっか」
ドラゴン退治はどうしたのか、なんでこんなところにいるのか、クリヲトちゃんたちはどうなったのか……聞きたいことはいろいろあります。
ケイリスくんがレジィに、隊長の男をこちらへ連れてくるよう呼びかけてくれているうちに、私はルローラちゃんへ視線を向けます。すると彼女は、右目を覆う眼帯を指先で叩きました。
「適当に質問したら、あとはアタシにまかせてくれていいよ」
「ん~……ごめんね、おねがい」
現在のルローラちゃんの外見年齢は三歳前後。あまり余裕はないのですが、仕方ありませんか。
一瞬、私があいつの頭部に延々と魔力を流し込み続けるという尋問を思いつきましたが、結局引き出した情報が正しいのかを確かめるためにルローラちゃんの力を借りるなら、二度手間になりますね。ここは大人しく彼女の厚意に甘えましょう。
レジィに髪を掴まれ引きずられてきた隊長が、馬車の前に投げ捨てられました。無精ヒゲと脂汗が見苦しい隊長は、見下ろす私たちに怯えきっています。
「な、なんなんだァ、テメェらは……!? バケモンが! さては魔族かッ!?」
レジィは獣人だから魔族に分類されますし、隊長さん、大正解です。賞品はありません。
赤ん坊の私がしゃべると面倒なことになるかも知れませんので、代わりにケイリスくんが馬車から降りて対応してくれました。
「たしか、ビルバー隊長でしたか? ドラゴン退治は失敗だったようですね」
「……」
恨みがましく黙っているのは、図星だったということでしょうか? それでは……。
「勇者クリヲト様やリルマンジー隊長も同行していたはずですが、その様子だと自分たちだけで逃げ帰ってきたんですか?」
「……」
「ドラゴンとの戦闘が起こったことはわかっています。となると、ドラゴンと接触する前に逃げたか、戦っている最中で勝手に逃げだしたのでしょうか?」
ビルバーという名前らしい隊長は黙り込んだまま、原っぱに這いつくばりながら油断なくこちらを睨みつけています。大方、逃げるチャンスでも窺っているのでしょう。
本来なら質問に答えない態度に苛立つのでしょうが、こっちには反則エルフがいるのです。
馬車の窓からビルバーを見下ろしたルローラちゃんが、眼帯を取り去って翠玉の瞳を解放します。そして数秒ほどジッと見つめてから、険しい表情で眼帯を着用しました。
「ケイリス、もういいよ。……クリヲトはドラゴンの拘束までは成功していたみたいだね」
ルローラちゃんの言葉に、私を含めた全員が目を丸くします。拘束に成功したのなら、ドラゴンは倒せるのではないでしょうか?
「リルマンジー隊長の部隊が引きつけている間に、クリヲトが重力魔法で不意打ちしてから、凍結魔法で拘束したみたい。それから全員が鎖や縄で拘束して、あとは時間をかけて攻撃してトドメ刺すだけの状態にまでは持っていけたんだよ。……こいつらが邪魔をしなければね」
私たちの視線が、ビルバーに集中します。ビルバーは私たちが知り得ないはずの情報が筒抜けになっていることに、目を剥いて呆然としていました。
「ドラゴン討伐を自分たちだけの手柄にしようとして、こいつらはリルマンジー隊に不意打ちで襲いかかったんだよ。ドラゴンとの戦闘や拘束でほとんど力を使い果たしてたリルマンジー隊は、そのせいで大打撃を受けたってわけ」
「……では、ドラゴンはどうなったんですか?」
「その乱戦の隙を突いて、ドラゴンブレスを放ったみたいだね。ブレス自体はクリヲトが魔法で防いだおかげで直撃は免れたようだけど、その熱でドラゴンを拘束してた氷が溶けて自由になっちゃった。そのあと魔法の使いすぎで失神したクリヲトをドラゴンが狙ってきたから、リルマンジー隊長がクリヲトを連れて退却したっぽいね。そのあとこいつらも一目散に逃げてきた感じだよ」
唯一痛手を与えてきたクリヲトちゃんを、ドラゴンはまず始末しようとしたのでしょうね。リルマンジー隊長……あのダンディさんが良い人で良かった。
……そしてこの山賊モドキは想像以上のクズだったようです。昨日の夜ルーンペディで顔を合わせたときに再起不能にしておくべきでした。
ビルバーは自分の悪行が余すところなく露見していたことで、青ざめて硬直しています。私たちがこいつを生かしておく理由が完全になくなりましたからね。
私たちが遠くからドラゴンブレスを見たのが、正午ぐらい。今はそこそこ陽も傾いて四時くらいでしょうか。普通に考えれば、生存はまず絶望的でしょうが……。
「クリヲトちゃんは、たぶんまだいきてるとおもう」
私の漏らした言葉に、みんなが少し驚いた様子でした。まぁドラゴン相手に数時間も逃げ続けるのは難しいのでしょうが、私にはそう言えるだけの根拠があります。
じつは私がクリヲトちゃんに『祝福』を与えたあのときから続いている、彼女と魔力的に繋がった感覚がまだあるのです。私の方からはクリヲトちゃんがどこにいるのかはわかりませんが、それでも生きてはいるのではないかと思います。
「たぶんだけど、クリヲトちゃんがめをさましたら、わたしのところにくるんじゃないかな?」
「どうしてですか?」
「ドラゴンがじぶんをねらってるのに、ルーンペディとかにかえれる?」
私の予想に、ケイリスくんは「なるほど」と深刻な表情で頷きました。ドラゴンに村を焼かれたクリヲトちゃんが、そんな状態で街に入るとは思えませんからね。
そしてあのダンディな隊長さんも、共和国の首都プラザトスにドラゴンを引き連れて帰るなんて事はしないでしょう。となると、クリヲトちゃんがアテにできるのは私たちだけです。しかも今の私たちは街から離れていて、クリヲトちゃんは私の居場所を感じ取れますからね。
「このへんをドラゴンがうろついてるかもしれないし、きょうはここにいよう」
この山賊モドキたちがこの辺をうろついていたということは、ドラゴンが潜伏していたというボロザ樹海とやらは、ここの森と繋がっているのでしょう。クリヲトちゃんを捜しているドラゴンと、うっかり鉢合わせする可能性もないわけではありません。
満場一致でここを今日の野営地に決めた私たちは、続いて山賊モドキたちの処遇を考えることにしました。数十人を縛ったり運んだりするのは現実的ではありませんし、下手に街へ帰せば有ること無いこと吹聴して面倒事を引き起こすかもしれません。
「とりあえず手足をへし折って森に捨てるか?」
レジィが真顔ですごいことを言い始めましたが、こいつらへの処遇としてはかなり良い線行ってるんですよね。野放しにできる連中ではありませんし。
私がレジィの案に賛同しかけたところで、ケイリスくんがそれに待ったをかけました。
「いえ、それで生き残りが出れば余計に面倒なことになります。彼らにこれ以上関わる必要はありません。作戦行動中に重大な軍規違反を働いてドラゴン討伐を妨害したんですから、リルマンジー隊長の部隊と合流できたら即決刑をお願いしましょう」
「ソッケツケイ、ってなんだ?」
「レジィ様、もしもドラゴンに襲われてるときに、ボクがお嬢様をドラゴンに投げつけて逃げたらどうしますか?」
「殺す」
「それが即決刑です。要するに、戦時中にとんでもないことをした軍人は、裁判するまでもなく現場判断で処断して良いという決まりなんです。共和国軍法の二十三条に昔から明記されています」
なるほど、『敵前逃亡は銃殺刑』みたいなものですか。たしかにドラゴンほどの強大な魔族を一度は討伐寸前まで持って行きながら、それを私欲で台無しにしたんですからね。妥当な措置です。
「そ、そんなワケがあるかッ!! この俺を誰だと思ってやがる! ゴルザス第三師団長から直々にドラゴン討伐を任された騎士隊長! ビルバー様だぞ!!」
「ええ、プラザトスに戻られたら権力で揉み消されるかもしれませんね。……まぁ、おそらくそうはならないと思いますけど。あなたはどうせ捨て駒でしょうし」
「なっ……? 捨て、駒……?」
慌てるビルバーに、ケイリスくんはどこか気の毒そうな目を向けました。
まぁこのクズの処遇は、まともな方の隊長さんに任せるとしましょう。とにかく私たちは、彼らと合流するまでこいつらを一人も逃がさなければ良いのです。
というわけで、レジィが全体を見張り、ネルヴィアさんがロープで山賊モドキたちを拘束し始めました。途中で暴れたり逃げようとした人もいましたが、二秒後には静かになっていました。
ケイリスくんはうちの馬車を牽いてくれている馬から馬具を取り外し、労ってあげています。今日はもうここで野宿なので、明日のためにもしっかり休ませましょう。
ルローラちゃんはさっきの読心で外見年齢が二歳になってしまったので、睡眠を取って回復中です。代わりの利かない無二の能力なので、今は休養に専念してもらっています。
一方私は何をしているかと言うと、特にすることもないので、クリヲトちゃんの居場所を探ることができないか、魔力に意識を集中していました。
私はこれまで魔力というのは、脳の体力と完全に同義だと考えていました。しかしどうやら魔力というのは、身体から漏れる体温や、磁石が持つ磁場のように、確かな物理現象の一部であるらしいことがわかりました。そうでなければ、魔力の放出でガラスが割れることはないでしょう。
ならばクリヲトちゃんとの魔力的な経路も、感じ取ることができるはずなのです。
「むむ……まりょく、まりょく……」
自分の身体から漏れている不思議な感覚に意識を集中させていると、不意にすぐ近くの森に違和感を覚えました。なんだか、魔力が集中しているような感じがしたのです。
「もしかして……クリヲトちゃん?」
私は馬車の窓に張り付いて、森の方へと視線を向けました。馬車の近くで見張りをしているレジィと、全員を縛り終えて戻ってきたネルヴィアさんが、不思議そうに首をかしげています。
「ねぇ、レジィ? あのへんに、なにかいない?」
私は違和感を覚えた辺りを指さして、レジィに訊ねました。するとレジィは怪訝そうにしながらも森の方へと歩いて行き……。
「───ッ!? ご主人、逃げろ!!」
レジィが血相を変えてこちらを振り向き、そう叫んだ瞬間。
景色が黒く溶け込んだような、澱んだ森の暗がりに───。
血走った金色の瞳が二つ、不気味に浮かび上がりました。
「ドラゴンだッ!!」
レジィがその名を叫んだのと同時、轟音と共に立ち並ぶ木々を紙切れのように引き裂き、なぎ倒しながら、巨大な黒い影が姿を現しました。
『グォォオオオオオオオオッ!!』
ソレは、漆黒の鱗に覆われた……映画なんかでよく見るような、まさしくイメージ通りのドラゴンそのものでした。ただし翼が生えていないため、空は飛びそうにありませんでしたが。
金色の瞳だけを炯々と輝かせながら、ドラゴンは闇に溶ける巨大な体躯をこちらへと向けました。
ワニのように身体を伏せているため大きさはよくわかりませんが、恐竜博物館なんかで見たティラノサウルスの実物大模型と同じか、あるいはそれ以上の大きさに見えます。
……正直言って、ちょっとチビりそうでした。身体がデカいというのは、生物として単純明快に覆しようのない強さと直結するものです。その迫力、威圧感は凄まじいものがありました。
馬車の外で馬の世話をしていたケイリスくんが尻餅をついたのと同時に、レジィが漆黒のドラゴンに向かって駆け出します。
ドラゴンの太く強靱な左腕が横薙ぎに振るわれ、レジィはそれを高く飛び上がって回避すると、近くにあった木を足場にして飛びかかり、勢いそのままにドラゴンの背中に爪を振るいました。しかしレジィの攻撃を受けた黒い竜鱗からは、〝ギャリン!!〟という金属音が鳴り響きます。
「クッソ、硬ってェ……!!」
攻撃が通らなかったレジィはドラゴンの背中を蹴って、凄まじい勢いで迫るドラゴンの尻尾をギリギリで回避します。
私がその一連の攻防を呆然と見守っていると、焦燥に顔を引きつらせたネルヴィアさんが馬車の扉をぶち破る勢いで開けて、私とルローラちゃんを両脇に抱えるようにして引っ張り出しました。
「一旦逃げましょう! 戦うのはせめて、クリヲトさんと合流してからです!」
ネルヴィアさんはそう言いながら私とルローラちゃんを右腕に移すと、まだ尻餅をついていたケイリスくんの襟を掴んで強引に引っ張り起こし、そのまま馬の背中に放り投げました。そして私とルローラちゃんをケイリスくんに押しつけると、彼女ももう一頭の馬に飛び乗ります。
「ケイリスさん! しっかりしてください!」
「は、はいっ!!」
まだショック状態から抜け出せていない様子のケイリスくんですが、ネルヴィアさんの呼びかけによってどうにか我に返った様子でした。
するとその時、両手を後ろ手に縛られたビルバーが立ち上がって走り出しました。数十人を縛るほどの縄がなかったため、拘束は手首だけだったのです。
「ハハハッ!! やっぱり俺らは悪運が強ェ! オラ逃げるぞオメェら!!」
隊長であるビルバーの声に従って、他の仲間たちも続々と立ち上がり走りだしました。
あいつらを逃がしたくはありませんが、しかし今はとにかく私たちが生き残ることが先決です。
「よぉし、おいドラゴン!! そいつらはキッチリぶっ殺しといてくれよなァ!! ハハハハァ!!」
そんな捨て台詞を残して見晴らしの良い草原を逃げていく山賊モドキたち。すると漆黒のドラゴンは奴らをチラリと一瞥すると……背筋が凍るような、愉悦に満ちた笑みを浮かべたのです。
ドラゴンの巨大な顎から、ゆらりと黒い炎が立ち上りました。続いてドラゴンの全身を覆う竜鱗が赤熱し、莫大なエネルギーを凝集させた口を山賊モドキたちの背中に向けます。
次の瞬間、ドラゴンの口から〝闇〟が放たれ、一瞬にして山賊モドキたちを飲み込みました。
闇が触れた原っぱは激しく燃え上がり、瞬く間に焼き尽くして炭化させていきます。どうやらあれは光を一切発しない性質を持つ、超高温の炎みたいなもののようです。
そしてそんな黒い炎に飲まれた山賊モドキたちは、悲鳴をあげる間もなく消し炭になってしまいました。
「あ、ああ……ッ!!」
そんなショッキングな光景を目撃してしまったケイリスくんが、また激しく動揺してしまいます。私も目の前で人が死ぬという光景にショックを受けましたが、すぐ目の前でケイリスくんが取り乱したのを見て、なんとか冷静さを保てました。年上として狼狽えるわけにはいきません。
「ケイリスくん、おちついて! いまはとにかくにげよう!」
ケイリスくんのほっぺを両手で挟んで私の方へ向かせると、彼の表情に理性の色が戻り始めました。ケイリスくんは私とルローラちゃんをどうにか片手で抱きしめると、もう片方の手で手綱を握りました。馬には鞍も何もないため騎乗は大変でしょうが、そんなことを言っている場合ではありません。
「ケイリスさん、先に行ってください! 私は後ろを守りながら追います!」
ネルヴィアさんのその声に押されるようにして、ケイリスくんが馬を走らせます。私の魔力に慣れてしまった馬たちは、ドラゴンの出現にすらほとんど反応を見せませんでした。まさかドラゴンが飛び出してくるよりも、私を馬車に乗せているほうが脅威だとでもいうのでしょうか?
しかし今だけは好都合です。淀みなく走り出した馬を駆って、ケイリスくんは森の中へと突っ込んでいきました。
「もりのなかにいくの!? だいちょうぶ!?」
「この子たちは馬車馬ですから、騎馬のような速度は出ませんっ! ドラゴンの方が足が速かった場合、平原で走っていればすぐに追いつかれます! そ、それにあれだけの巨体なら、木々が密集している森の中は走りづらいはずです!」
ケイリスくんはそう説明しながらも、巧みな手綱捌きで馬を操り、器用に木々の間を抜けていきます。むしろ後ろを走っているネルヴィアさんを引き離すほどの勢いです。
ケイリスくんの肩越しに後ろを見ると、遠くの方で木々が薙ぎ倒されていく様子が見えました。ケイリスくんの言うとおり、木々が邪魔で素早く走っては来られないみたいですね。
「この馬ではそう長くは走れません! 振り切るよりも、どこかの物陰でやり過ごしましょう!」
「ケイリス、あっち!」
するとルローラちゃんが指で示した先に、剥き出しの岩や石柱がいくつも並んだ、遺跡の廃墟のようなものが見えました。もし私たちが草木に紛れたらさっきのドラゴンブレスで一緒に焼き払われてしまうでしょうが、岩なら隠れるのに最適です。
すぐにケイリスくんが馬の手綱を操り遺跡地帯へと向かいますが、そこで私は背後からドラゴンの暴れる音が聞こえないことに気がつきました。後方には遠くを走るネルヴィアさんしか見えません。
まさか、撒いた……? と私が安堵しかけたところで、ルローラちゃんの叫び声が響きます。
「右っ!! ドラゴンきてるよ!?」
咄嗟に私とケイリスくんが右側を見ると、異様なことに一切の音を立てていないドラゴンが、巨大な口を開けながら、凄まじい勢いでこちらへ突っ込んでくるところでした。
「ひゃあああああっ!?」
「うわぁああああッ!!」
私とケイリスくんの悲鳴が重なった瞬間、横から矢のように飛んできたレジィがドラゴンの目を素早く引っ掻き、それによって軌道が僅かに逸れたドラゴンの突進は、私たちのすぐ近くに生えていた巨木に直撃しました。ドラゴンの口に触れた部分が、顎の形にくり抜かれています。
命からがら遺跡地帯に逃げ込んだ私たちは、不規則に地面へ突き立っている巨大な岩や石柱の間を縫って走り続けました。
「どこか、ドラゴンがはいれないようなところはないかな!?」
「そ、それはドラゴンブレスを撃ち込まれて終わりじゃないですか!?」
私たちが隠れる場所を必死になって探していると、またもや一切の足音もなく漆黒のドラゴンが私たちの進む方向に先回りしてきました。
「……っ!? やばっ───!?」
そしてドラゴンがこちらへ突っ込んでくる直前、飛び出してきたレジィが再びドラゴンに肉薄しますが、今度はドラゴンが激しく頭を振ったことで、逆に吹き飛ばされてしまいます。
「レジィ!?」
ドラゴンは宙を舞うレジィには目もくれず、その巨大な金色の瞳で私たちをギョロリと睥睨してきます。
生物としての本能的な恐怖によって身を竦ませる私たちに、漆黒のドラゴンが勢いよく飛びかかってきて……。
「はぁぁあああああああっ!!」
直後、とてつもない衝撃や破砕音と共に、ドラゴンは近くの石柱に叩き付けられて粉砕しながら、その巨体を横たえました。
こんな芸当ができるのは、一人しかいません。馬から飛び降りて魔剣フランページュを振るったらしいネルヴィアさんが、地面を転がりながら受け身を取って私たちに駆け寄ってきます。
「大丈夫ですか、セフィ様!?」
「う、うん……ありがとう、おねーちゃん」
今、わりと本気で死を覚悟しちゃいましたよ……。
ネルヴィアさんが乗ってきた馬が、私たちの元へと駆け寄ってきました。
先ほど吹き飛ばされたレジィも無事だったらしく、立ち並ぶ石柱を蹴って空中を移動しながら、ネルヴィアさんのすぐ隣に着地します。
「クソ、気配を完全に消す開眼持ちだ。だからアイツの接近に気がつけなかった」
レジィがそんな呟きを漏らしていると、ドラゴンが起き上がってきました。しかも獰猛な唸り声に混じって、低く濁った不気味な声で言葉を発しているようです。
『グルルル……貴様ラ、何者ダ……? コノ気配……人間デハアルマイ……』
……まさか私に言ってませんよね? というかしゃべれるんですねドラゴンさん。
ドラゴンの問いに対して、レジィは少し考えるようにしてから、被っていた帽子を取り去りました。当然、その中に収まっていた獣耳がぴょこんとその姿を現します。
レジィの獣耳を見たドラゴンは少しだけ金色の瞳を見開いて、
『獣人族……人族ニ寝返ッタトイウ噂ハ、本当ダッタノカ……!!』
ドラゴンは目を血走らせて、その巨大な口からゆらりと黒い炎を立ち上らせます。あれはまさか、ドラゴンブレス……!?
ドラゴンのその行動に対して、ネルヴィアさんは弾かれるようにドラゴンの元へと駆けだしていきます。するとネルヴィアさんの接近を見たドラゴンは忌々しげに口を閉じて、ネルヴィアさんに左腕を振り下ろしました。
……ドラゴンブレスを中断した? そういえば、先ほど私たちを追いかけているときには撃ってきませんでしたね?
しかしドラゴンの巨体から繰り出される攻撃は強力で、ただ乱雑に振るわれただけのそれをネルヴィアさんは魔剣フランページュで受けますが……ドラゴンに比べてあまりにも小さなその身体はあっさりと、十メートル以上も吹き飛ばされてしまいます。
それでも彼女は地面に叩きつけられることなく、器用に受け身を取って衝撃を殺すことには成功したようですが……その顔にはありありと恐怖の感情が浮かんでいました。
……いきなりこんな巨大生物と戦うだなんて、怖くて当たり前ですよね。思い返せばネルヴィアさんは、これまでもドラゴンと戦うことには否定的でした。
それでも私たちを守るために勇気を振り絞って、立ち向かってくれているのでしょう。
吹き飛ばされたネルヴィアさんと入れ替わるようにして、今はレジィがドラゴンの周囲を飛び回って時間を稼いでくれています。しかしレジィにはドラゴンに対する有効打がないため、あまり時間を稼ぐことはできないでしょう。
私は『霹靂』を取り出しながら、戦う覚悟を決めました。ネルヴィアさんだけに恐ろしい思いはさせません。私も戦います!
「おねーちゃん、ムリしないで! みんなでたたかおう!」
私の呼びかけにネルヴィアさんは表情を強張らせると、「ま、まだやれますっ!!」と焦ったように大声をあげました。その反応に私が面食らっている隙に、彼女はドラゴンに向かって猛然と走りだしてしまいます。
再び突撃してきたネルヴィアさんを叩き潰そうと、ドラゴンは左腕を振り下ろしました。
けれどもネルヴィアさんは剣で受け止めるのではなく、襲い来る巨腕の側面へと剣を叩きつけます。恐ろしい勢いで迫っていた腕はネルヴィアさんの一撃を受けると、重く金属的な音を響かせながら弾かれて、その軌道を大きく逸らされてしまいます。
『……ッ!!』
その光景に目を見開いたドラゴンは忌々しげに唸りながら、弾かれた左腕を何度も振り回しました。ネルヴィアさんはそれを必死に弾きながら防いでいましたが、とうとう業を煮やしたドラゴンが、地面を蹴って突進を仕掛けてきます。あの巨体は避けることも逸らすこともできません。
「レジィ!!」
私の叫び声よりも一瞬早く、目にも留まらぬ速さで駆けつけたレジィがネルヴィアさんの首根っこを捕まえて、ドラゴンの攻撃範囲から辛うじて脱しました。
しかし凄まじい風圧でバランスを崩した二人へと、ドラゴンはすれ違いざまに振るった尻尾を叩き込みます。衝撃はネルヴィアさんが魔剣フランページュで受け止めたようですが、二人はそのまま吹っ飛んで、近くの石柱へと叩き付けられてしまいました。
「きゃあっ!?」
「ぐうッ……!!」
尻尾の一撃をまともに防いだネルヴィアさんも、石柱に叩き付けられた二人分の衝撃を受け止めたレジィも、すぐには動けそうにありません。そしてそんな二人に、ドラゴンはその巨体で間髪入れずに飛びかかりました。
二人が死ぬ……!!
「やめろッ!!」
私は無我夢中で魔力を解き放ち、その全てをドラゴンに向けて撃ち出しました。続けて少しでも二人が逃げる時間を稼ごうと『霹靂』を構えましたが、その前にドラゴンは突進を中断して、私の方を振り向いて身構えました。
ドラゴンがあまりにも過敏な反応を見せたため私が面食らっていると、ドラゴンはその黒い巨体をジリジリと後退させながら、くぐもった声を発します。
『グゥゥ……ナンダ……今ノ莫大ナ魔力ハ……!? 竜王……イヤ、アノ忌々シイ『黒』ニモ匹敵シカネン……!!』
ドラゴンがよくわからないことを呟いている内に、動けるようになったらしいレジィがネルヴィアさんを担いでこちらに駆けてきました。ドラゴンは二人を横目で一瞬見ましたが、すぐに私へと視線を戻します。
『白髪ノ赤子……貴様カ……!! 先ホドモ、得体ノ知レナイ赤髪ノ赤子ガ……強力ナ魔法ヲ使ッテイタ……』
先ほど魔力の放出と共に叫んでしまったせいで、ドラゴンに私が魔力の持ち主だとバレてしまったようです。クリヲトちゃんに手痛い目に遭わされていたせいで、赤ん坊が強いわけがないという先入観もないようです。しかしこれは、ある意味で好都合でしょうか?
今はまだ私が魔法を使えないということを、ドラゴンは知りません。私が逃げ回っていることに違和感は覚えているでしょうが、まだあと一回か二回くらいは魔力の放出でハッタリをかますことができるかもしれません。
「……レジィ、おねーちゃん、だいちょうぶ?」
私はドラゴンから一瞬だけ視線を外して、二人の様子を窺いました。
「オレは、問題ないぜ……まだまだいける」
「……だ、大丈夫、です」
かなり疲れている様子ではあるものの、まだまだ戦意旺盛といった様子のレジィ。それに対して、ネルヴィアさんはすっかり顔色を失っていました。先ほどレジィに投げ捨てられてから尻餅をついたままで、剣を持つ手も震えています。……たった今、危うく死にかけたのです。無理もないでしょう。
しかし現状では、ドラゴンを倒すどころか逃げ切ることさえできそうにありません。一体どうすれば……。
「右腕、痛めてるみたいだよ」
するとその時、私といっしょにケイリスくんに抱かれていたルローラちゃんが、ドラゴンの方へ視線を向けながらそう言いました。
「みぎうで?」
「さっきからあのドラゴン、攻撃するときは必ず左腕でしてるでしょ。だから一瞬だけ心を読んでみたんだよ。そしたら右腕が痛くてかなりイライラしてるみたい。きっとクリヲトが凍らせたっていう場所が、右腕だったんだよ」
ルローラちゃんの言葉に、私はなるほどと頷きました、言われてみれば先ほどから、左腕か尻尾による攻撃しか見ていません。
「言われてみりゃあ……たしかに亀裂みてぇなモンが見えるな」
獣人の視力を持つレジィが目を細めながら、傷の位置を確認してくれました。遠くて私には全く見えませんが、凍結されたまま無理やり動かして腕が割れてしまったのでしょうか。
「レジィ。きずぐちに『へきれき』をたたきこむ。わたしのあしになって」
「……よし、わかった」
「ちょっ、セフィ様!?」
レジィが馬上の私を抱きかかえると、ネルヴィアさんが慌てて立ち上がりました。
「そんな、危険です! それなら私が……!!」
「おねーちゃんは、ケイリスくんたちをおねがい! さきににげてて!」
私の指示にネルヴィアさんがなにかを言う前に、レジィが私をギュッと抱きしめて勢いよく駆けだしました。『霹靂』は安全機構のせいで私にしか撃てないため、私が行くしかありません。
先ほどから不気味なほどに動きを見せなかったドラゴンでしたが、私たちが接近するのを見て勢いよく地面を蹴り、先ほどの突進を繰り出してきました。
けれども今回狙われたのは、機動力のあるレジィです。素早く左に跳んで突進を躱すと、ドラゴンの右側から腕を狙うタイミングを計ります。
「ご主人、見えるか? 肘の外側だ」
「ん~……おっけー、みえた。チャンスはいっかいだね」
ドラゴンは右腕の負傷を隠しているつもりでしょうから、まだ私たちが気づいていることを知りません。まだ警戒が緩い今が、最初で最後のチャンスです。
よほど痛いのか右腕を使うつもりはまったくないらしく、ドラゴンの右側に回り込んだ私たちに対し、尻尾が横薙ぎに振るわれます。レジィは私を抱えているためか激しい動きはせず、石柱を盾にすることでやり過ごしました。
「チッ、かなり警戒してやがるな……どうにか隙を作らねぇとダメみたいだ」
隙……隙か。
私がチラリと後ろを振り返ると、かなり遠いところでケイリスくんとルローラちゃんが心配そうにこちらを見ていて、ネルヴィアさんは馬に乗ってこそいますが先ほどの場所からほとんど動いていません。
「おねーちゃん! わたしたちのことはいいから、さきにいって!! どうにかじかんをかせいでみせるから!!」
私の言葉に、ネルヴィアさんは驚きと困惑の表情を浮かべました。対してドラゴンは、ニタリと口角をつり上げながらネルヴィアさんの方へ顔を向けました。
『ヤハリ……先ホドノ魔力ハ、ハッタリダナ……? ナラバ、先にアチラヲ片付ケテヤロウ……』
そう言うや否や、ドラゴンの口から黒い炎が立ち上りました。有効打を与えることのできるネルヴィアさんが離れた場所にいるため、撃ち出すことができると考えたのでしょう。……わざわざネルヴィアさんを囮にするようなことを叫んで、そうなるように誘導したのですから。
ドラゴンの黒い鱗が赤熱し始めたところで、レジィが素早くドラゴンに駆け寄り右腕のすぐ近くにたどり着きました。赤く光っているおかげで、鱗に走った亀裂が見えやすくなっています。
私は取り出した『霹靂』を構え、亀裂が最も大きい場所に狙いを定めて引き金を引きました。
〝ズガァァアアアアンッ!!〟という雷鳴の如き銃声が響き渡り、撃ち出された銃弾は至近距離からドラゴンの右腕を抉ります。ネルヴィアさんたちの方へ意識を向けていたドラゴンもこれには堪らず、ドラゴンブレスを中断して絶叫をあげました。
『グギャァァアアアアアアアアアアッ!?』