ちなみにこの交代睡眠制における私の役割は、眠っている子に膝枕─というより、腿枕ももまくら? 股枕?───をしてあげつつ、眠っていない子に構ってあげるというお仕事です。……なんか保母さんみたい。

夜もネルヴィアさんとレジィは交代で睡眠をとるので、寝ている子には添い寝をしてあげます。なぜなら、そうやって私が関わってクッションにならないと、即座に二人は衝突してしまうのです。もう、この子たちは……。

つまり私の睡眠時間は結構少なくなるわけですが、私は一日に三十分ずつ、六回くらい眠れば健康でいられるので、そんなサイクルで生活していても体調に支障はきたしません。

前世では最高で六日連続徹夜とかもやらされたことがありますし。

馬車の隣でパチパチと燃える松明を四人で囲みながら、私は隣に座っているレジィに視線を向けました。

「ねぇレジィ。まぞくはけんりょくもちいも、うつくしさだってつよさがきじゅんだってまえにいってたよね?」

「んあ? まぁ、そうだな」

「じゃあ、まぞくからみたらリュミーフォートさんはめがみみたいなそんざいなの?」

「んー、鍛錬バルビュートは人間だから、その時点で毛嫌いする奴もいると思うけどな。でもあの強さを前にしたら、結構な奴が惚れると思うぞ」

ふーん、やっぱりそうなんですか。

となると、今の私はレジィから見て、以前よりずっと『美しくない』存在になっちゃってるわけですね。

私と同じようなことを思ったらしいネルヴィアさんが、すかさずフォローを入れてくれました。

「セフィ様。私はたとえ、セフィ様が力のすべてを失ったとしても、生涯お仕えしますからね! 〝私は〟!」

「バッ……バカお前! オレ様だってご主人にずっとついてくっての! 今のは魔族の一般論っていうか……!」

「しかし私と違って、あなたにとってはセフィ様よりユジャノン閣下の方が美しいと感じるのでしょう?」

「べ、べつに人間だって顔で全部選ぶわけじゃねーだろ! オレ様にとっては、獣人族を助けてくれて、しかも強いのに偉ぶったりしないで、オレ様にも構ってくれるご主人の方が好きだ!!

えっと、つまり『結婚はしてるけど、アイドルの大ファンです!』みたいな感じなのでしょうか?

……いえ、そのたとえだとなんか私が惨めに思えるのでやめましょう。

私の全盛期を知っているレジィたち獣人族から見れば、今の私は『超絶美人だけど、一時的に顔に怪我して包帯巻いてます』といった感じなのかもしれません。

きっとこの首輪が外れたら、この子たちもまた惚れ直してくれることでしょう。

そもそも、それがなくてもレジィは弱い者にもわりと優しいところがありますしね。

あのリルルにそそのかされてリュミーフォートさんを探していた理由も、仲間の獣人族をこれ以上酷い目に遭わせないためにっていう理由だったそうですし。

そしてその目的を後回しにしてでも、私が獣人たちを殺さないよう監視するために付き添ったりしてましたし。

仲間の前ではツンツンした態度を取っていますけど、レジィも彼らのことはとっても大切に思っているのです。

ネルヴィアさんのイジワルによって、私の不興を買ったのではないかとあせりまくるレジィを見ながら、私はレジィを安心させようとして……視界の端に恐ろしいものが見えてしまいました。

「…………っ!?


ケイリスくんの顔を、かなりビッグなサイズの蜘蛛くもが這いまわっていたのです。


私は一瞬で全身に鳥肌が立ち、内心で悲鳴を上げてしまいました。

うわーっ、うわーっ! ムリ! やだやだ、キモイ!! 絶対ムリ!!

あんなの私だったら絶対失神してます!! 見てるだけで死にそう!!

プログラマーにとって虫は天敵なんですよぉ!!

ネルヴィアさんも「ひうっ!?」と小さく悲鳴をあげて後ずさっています。

あんな惨状でも動じないとは、さすがはいつも冷静沈着なケイリスくん……。

……なんて感心していたのですが、しかし何やら様子がおかしいことに私は気が付きます。

本当に動じていないのであれば、さっさと顔についた蜘蛛をペシッと払いのければいいのでは?

どうして指一本動かさず、蜘蛛を顔面に這いずらせたまま放置しているのでしょうか?

……あっ。

も、もしかして……!?

私はちょっと躊躇ためらいましたが、それでもなけなしの勇気を振り絞ってケイリスくんに飛びかかると、彼のっぺたについていた私の手よりも大きな蜘蛛を、手の甲で思いっきり払い飛ばしました。

あっさりと飛んで行った蜘蛛は地面に落下すると、そのまま大慌てで森の中へと走って行きます。

ひいぃぃぃっ!? 触っちゃったぁ! グロイ! きもい! ゲロ吐きそう!

私が半泣きで蜘蛛に触れた場所を服で擦っていると、不意にケイリスくんが私にしがみついてきました。えっ、何!? 何事!?

突然のことに驚いたものの……しかし彼の身体が震えていることに気が付くと、私はすぐに冷静になりました。

うん……いきなり顔面をでかい蜘蛛が這って平気とか、それもう人間じゃないよね。

よく見れば、ケイリスくんはちょっと涙ぐんでいました。わぁ、初めてケイリスくんの感情っぽいものを見た気がします。よっぽど虫が嫌いなのでしょう。

まぁ、帝都で貴族の使用人なんてやっていたら、虫なんてほとんどお目にかかることは無いのかもしれません。

それにケイリスくんが公園で走り回ってセミとかカナブンを捕まえてる絵面なんて想像できませんし、ちっちゃい頃も虫とは無縁の生活だったのでしょう。すっごい育ちが良さそうですしね。

私は「よしよし」とケイリスくんを撫でてあげて落ち着かせてから、彼の手を引いて馬車に連れ込みます。

そして髪が顔に触れるたびにビクッとしちゃってるケイリスくんと、ついでに青い顔をしてるネルヴィアさんの手を握ってあげながら、私は二人が眠るまで傍で付き添ってあげました。

……で、私はというと、あんなショッキングなものを見た後では眠れる気が全くしなかったので、その日は一晩中レジィと二人で見張り番を務めたのでした。

***

ほとんど丸二日かけて、ようやく森を抜けた私たち。そこからさらに半日ほど進んで日が傾きかけた頃、ようやく目的地を前方に見据えることができました。

『商業都市トーレット』

獣や魔物避けのために築かれている防壁の内側には、背の高い建物はないようです。

きっと敷地内には、一階建てや二階建ての商店が所狭しと軒を連ねているのではないでしょうか。

さて……森を抜けたことで、虫対策として着込んでいたらしい厚着を脱いで涼しげな格好となったケイリスくん。

蜘蛛の一件からしばらく恥ずかしがって顔を合わせてくれなかった彼ですが、ようやく立ち直ったようです。

そんな彼は前方を見据えながら、神妙な顔つきで呟きました。

「……普段なら、もっと行商や他の街から訪れた客が、街を活発に出入りしているはずです。やはり噂は本当みたいですね」

確かにざっと見渡す限り、トーレットの周辺に馬車は見当たりません。

それに、ここへ来るまでの森では一度も他の馬車とはすれ違いませんでいた。森は一本道になっていますので、森を通る馬車があれば見落とすはずはないでしょう。

私たちはある程度トーレットの街に近づいてきたところで、変装用の服に着替えました。すなわち、ネルヴィアさんは傭兵っぽい私服と鎧、レジィは巡礼服、ケイリスくんはスーツと厚着で、私は首を隠すためにマフラーを巻きます。

そうこうしているうちにトーレットの出入り口の一つに辿たどり着きました。

例によってケイリスくんは「ルーンペディからの巡礼中です」という言葉で警備兵をやり過ごそうとして、しかし今度はがっつり引き止められてしまいました。

一瞬ヒヤリとしたものの、けれどそれは私たちへの警戒というよりも、むしろ私たちへの配慮といった感じです。

警備兵のお兄さんは申し訳なさそうな表情で、「今はほとんどの商店が機能してないから、買い物に来たのなら入るだけ無駄だよ」と教えてくれました。

少し考えるように押し黙ったケイリスくんは警備兵のおじさんに、マフラーで隠した口を開きました。

「……いえ、近くを通ったついでに、知り合いが無事かを見に来たんです」

「どこの地区の知り合いですか?」

「あっちの方ですね」

「東地区ですか。襲撃は南西地区だったので、きっと大丈夫だと思いますよ。どうぞ」

「ありがとうございます」

丁寧な応対をしてくれた警備兵のお兄さんに頭を下げながら、私たちはトーレットの街へと入ることができました。

こんなに警備がザルで良いのか? とも思いましたが、よくよく考えたら現在は人族と魔族の戦争中で、しかも人族同士は軍事同盟を結んでいるわけで。人間を街に入れないなんて、帝都や首都みたいな最重要都市以外ではそうあることではないですよね。

ちなみにケイリスくんに『このまちにしりあいがいるの?』と訊いてみたところ、「いませんけど」という答えがあっさりと返ってきました。……あなた、涼しい顔して平気で嘘つきますよね。

エルフ族による襲撃があったのは南西地区で、数メートルはある防壁が吹っ飛ばされており、そこから十数メートル以内の商店が全壊ないしは半壊の憂き目に遭っていました。

さらに、おそらくは倒壊した商店のどこかから出火してしまったらしく、商店が密集しているトーレットは瞬く間に延焼してしまい酷い火災となってしまったのだとか。

不幸中の幸いだったのは、まだ住民が寝静まる前の襲撃だったため、近くにいた民間人が逃げる余裕があったというところでしょうか。

それでも、兵士たちや民間人の一部に怪我人が出たものの、死者が一人もいないというのは奇跡としか言いようがありません。

火災の隙に乗じてエルフ族が撤退したため、その後消火活動に専念することができたのというのも僥倖ラッキーでした。

街の住民たちによると、エルフ族は何の前触れもなく、突然自分たちに襲いかかって来たのだとか。

大方のエルフのイメージに反して、この世界のエルフ族はあまり積極的に魔法を使うことはないそうです。使えないということではないそうですが。

しかし魔族でいうところの開眼シャンテラにも似た特殊能力を備えているという彼らは、魔法なんか使わずとも、中途半端な魔術師よりもよっぽど厄介な戦士なんだそうです。

ケイリスくんが街の人たちに聞き込みをしてくれたところ、襲撃してきたエルフ族は十名ほど。

それが、南西地区を警護していた合計二百名ほどの自警団を終始圧倒し続けていたというのですから、その練度の高さがうかがえるというものです。

魔族の戦闘強度に換算すれば、ざっと〝二十人級〟以上です。うわぁ、絶望的。

しかもそんなに強いエルフ族が、〝エルフの森〟にはまだどれくらいいるのやら。

その上、今回の襲撃からもわかるように、エルフ族はどうやら中立という立場を捨て、人族へ完全に敵対する意思を見せているようです。

それがどのような理由によるものかはさっぱりわかりませんが、今度またエルフ族が襲来してくれば、今度こそトーレットは滅ぼされてしまうかもしれません。

むしろ今回の襲撃の被害がこれだけで留まったことが奇跡とも言えます。もしも全勢力を送り込まれていたら、あるいは火災の間も襲撃を続行されていたら、この街が滅んでもおかしくはありませんでした。

街を半壊させることで目的を達したのか、はたまた撤退せざるを得ない事情ができたのかはわかりませんが。

私たちはあらかた街の中を見て回って、さまざまな人たちの話を聞き終わりました。

すると馬車を操るケイリスくんが私を振り返り、陰鬱いんうつな表情でぽつりと漏らしました。

「……お嬢様。この街は、どうなると思いますか?」

「エルフのもくてきがわからないいじょうは、なんとも。ただまんがいち、もういちどエルフがおそってくるようなことがあれば、こんどこそ……」

私の答えに対し、ケイリスくんが目を伏せてくちびるみました。

私に聞くまでもなく自明なその結末を、彼としては受け入れがたいようです。

そしてケイリスくんは何度か口を開いては閉じを繰り返すと、非常に躊躇いつつもその言葉を口にしました。

「お嬢様……エルフ族の襲撃から、この街を守───」

「だめ」

そして私は、彼が勇気を振り絞って吐きだした訴えを、即座に棄却したのです。

その判断が無情なものであるということは、私も自覚していました。ケイリスくんがどれほどの覚悟をもって私にその話を持ち掛けたのかは、彼の表情を見れば一目瞭然です。

そしてその上で、私は彼の〝トーレットを守りたい〟という願いを一蹴したのです。

「トーレットに寄りたい」というケイリスくんの願いを無条件で聞き入れた私が、「トーレットを守りたい」という彼の願いを無条件に一蹴した様子を見て、他の二人も驚いているみたいです。

……私だって、できることなら手の届く範囲にいる人たちはみんな救いたいですよ。

最優先は家族や親しい人たち、次点で自分自身、次にその他の人たちという明確な優先順位こそ存在しますが、だからといって目の前で命の危機に瀕している人たちがいれば、私だって迷わずに助ける道を選ぼうとします。

しかし、今の私にはみんなを守るだけの力がないのです。

敵はエルフ族が最低でも十人。どう楽観的に考えても、これが総勢ということはないでしょう。

あちらから攻めてくるのを待つのであれば、あと何週間ここに留まっていればいいかわかりません。かと言ってこちらから攻めれば、戦闘場所は敵のホームグラウンド。地の利は敵にあり、かつ罠も張り放題。

おまけに一人一人がレジィ並みの特殊能力を持ち、連携までしてくるとなれば……。

こちらは人族の中ではかなり強い方、という程度でしかないネルヴィアさん。獣人族の分靈体エステリアであるレジィ。戦闘能力はほぼ無いであろうケイリスくん。そして魔法も使えない私。

戦力差は歴然。正面からぶつかれば、レジィ以外は全員足手まといになる可能性すらあります。

まともに戦っても勝ち目が薄い……かどうかはさておき、たとえ一割でも負けて殺される可能性があるのなら、私はそれを看過できません。

かつて私はネルヴィアさんを引き連れて獣人討伐に出かけたこともありましたが、あれは放っておけば私の村や帝都にいずれ侵攻してくることが、目に見えていた状況でした。その上で私も全盛期の力がありましたし、あらかじめ防御魔法までかけていました。だからこそレジィという強力なイレギュラーにも対応できたのです。

「せめてわたしのくびわがはずれないかぎりは、エルフのところにはいかないよ」

私の言葉を聞いたケイリスくんは、弱弱しい態度で「……はい」と呟きました。

……まるで親に激しく叱りつけられた子供のように打ちのめされてしまっているようです。そんな彼の様子に罪悪感が刺激されないでもありませんが、だからといって大幅に低下した現在の戦力で強敵の集団へと挑む愚行は犯せません。

……私は痛む胸を抑えつけ、『トーレットを見捨てる』という選択を下しました。

広告塔プロパガンダとしての勇者にはなりましたが、本物の勇者になった覚えなど微塵みじんもありません。見ず知らずの他人のために命を賭してまで戦うというのは、ある種の狂気だと思います。

私が何が何でも守ると決めているのは、数少ない親しい人たちだけ。それ以上を望むのは高望みというやつでしょう。無茶をして本末転倒になってしまっては、元も子もないのです。

「いまわたしがいちばんまもりたいのは、ネルヴィアさんと、レジィと、それからケイリスくんだよ。みんなをきけんにさらすようなことは、ぜったいにしたくないの」

私の断固とした態度と発言に、もはや返事さえすることもできずうつむくケイリスくん。

そしてネルヴィアさんが心配そうな顔で見守る中、やがてケイリスくんは私へと頭を下げました。

「……出過ぎたことを言って、すみませんでした。もう陽が沈んでいますから、明日の朝、すぐにここを出発しましょう」

明らかに、渋々といった風な順従。今回のやり取りは、もしかすると今後の私とケイリスくんとの間に深い溝を刻むことになったかもしれません。

最近ようやくいろいろな表情を見せてくれるようになっていたケイリスくんが、再び以前のような遠い目をするようになってしまうかもしれません。

それでも……やっぱり私の家族なかまの安全には、決して代えることはできないのです。

少なくとも私はこの時点で、これが最善の選択だと信じて疑いませんでした。

***

そして……もっとケイリスくんと話し合っておけばよかったと私が後悔するのは、その日の夜になってからのことでした。

───私たちは現在、夜の森を全力で駆けていました。

ランタンがなければ一メートル先すらおぼつかない闇の中、私はレジィの背中にしがみつきながら、ネルヴィアさんはトーレットで借りた騎馬を駆りながら、立ち並ぶ木々をかろうじて避けつつ、もう何時間も走り通しています。

私は後悔の念に押し潰されそうになりながら、いなくなってしまったケイリスくんの無事を必死で祈っていました。

この夜、かろうじて火災を免れたトーレットの宿屋は避難民でいっぱいということで、私たちは街中にもかかわらず馬車で寝泊まりすることになっていました。

今日は見張り番を立てる必要性も特になく、四人でいっしょに雑魚寝していた、そんな折。

私が夜中にふと目を覚ましたのは、なにか虫の知らせのようなものが働いたのかもしれません。

いつの間にやらケイリスくんの姿が見えないことに気が付いた私は最初、それなりに楽観視していたように思います。きっと、トイレか何かだろうと。

けれども十分待って、二十分待って、三十分が経とうとした頃、さすがにおかしいということで私は彼を捜しに行こうとして、そこで馬車の扉の外側に手紙が張り付けられているのを発見したのです。

嫌な予感にかられた私はすぐにネルヴィアさんを起こして手紙を読んでもらうと、私の悪い予感がどうしようもなく的中してしまっていたことに否応なく気づかされました。

私たちはすぐにレジィを叩き起こすと、ケイリスくんの不在を伝えて、匂いで彼を追ってくれるように頼みました。

街の出入りを見張っていた兵士によると、ケイリスくんは馬貸しから借りたと思しき騎馬で、倒壊した南側の外壁からまっすぐにエルフの森の方面へと消えていったそうです。

……最悪だ。どうしようもなく最悪すぎる。

きっとケイリスくんは、エルフの里に行って彼らと交渉するつもりなのでしょう。どうして人間の街を襲うのか、どうすれば襲わなくなるのか、それを確かめるために。

無論、エルフたちがそんな話し合いに乗ってくれる保証なんてどこにもないどころか、可能性としては絶望的。有無を言わさずに捕らえられたり殺されたりしてもなんらおかしくはありません。

ケイリスくんだってそんなことはわかりきっているはずなのに、それでも彼はエルフの森へ向かいました。

私は、彼の『トーレットを守りたい』という想いの強さを、侮っていたのでしょう。

私の説得によって納得してくれたと。納得はしなくとも、折れてはくれたと。そう思い込んでしまったのです。

ケイリスくんは私が頼りにならないと見限り、それならば自分だけでも動くという覚悟の元、飛び出していったのです。

迂闊でした。間抜けでした。最悪の失態でした。

ケイリスくんのことをよく知りもせず、彼は冷静で思慮深く、短慮な判断や行動を冒さないと勝手に決めつけて、こんな事態になるまで彼の気持ちに気が付けなかったのです。

ケイリスくんが残した手紙には、身勝手な行動についての謝罪と、それから「もしもボクが帰らなかったら新しい御者を雇って、ボクはいなかったものとしてください」なんて不吉な文言まで記されていました。

これで、ケイリスくんにもしものことがあったら……。

私が不安のあまり思わず涙を滲ませて、夜の森を高速で駆け抜けるレジィの背中に顔をうずめた……その時でした。

不意にレジィが減速したかと思えば、後続で馬を駆るネルヴィアさんを片手で牽制けんせい。速やかに制止すると、静かに木の陰へと身を潜ませました。

それからネルヴィアさんが下馬して馬留柵を設置している間に、レジィは私を背中に括りつけていた戒めを解いて、胸に抱き直しました。

「……見張りがいる。エルフだな。しばらく待って、やり過ごすぞ」

真っ暗な森の中にちらほらと差し込む月の光。それでも私の目には真っ暗で何も見えませんが、レジィの野生の瞳には何かが見えているのかもしれません。

その後、レジィがGOサインを出すまで待機して、そこからは足音を立てないように、けれども素早く、木々の陰から陰へと身を潜ませながら前進していきます。

レジィの夜目と嗅覚があってこその芸当ですから、並みの人間ではあっさりと偵察のエルフに見つかってしまったことでしょう。

そうして三回ほどエルフの巡回をやり過ごしたところで、やがて前方の暗闇に小さな明かりがポツポツと見え始めました。

レジィの表情を窺うと、彼は神妙な面持ちで頷きながら、

「エルフの集落だな。……で、どうするご主人?」

「え?」

「ケイリスを引っ張ってきて逃げるのか? それとも、エルフ族を壊滅させるのか?」

……それはケイリスくんの扱われ方次第でしょうか。

もしもケイリスくんが客人としてもてなされていれば、まぁ、それでよし。ケイリスくんが捕らえられていたなら、奪還して即座に脱出。

万が一にでも、重傷を負わされていたり、殺されていた場合は……。

私は不穏な想定を頭から追い出すと、潜めた声で二人に告げます。

「きほんてきには、ケイリスくんをつれてにげるよ。なるべくたたかいはさけよう」

私の言葉に二人が頷いたことを確認してから、改めて集落へと視線を向けました。どうやらエルフたちはこちらの接近に全く気づいていないようです。

この場所まではレジィの嗅覚を頼りに、ケイリスくんや、彼の駆っていたと思しき馬の匂いを追ってきました。つまりケイリスくんがすでにここへたどり着いていることは、残念ながらほぼ確実。

こんな真っ暗な森の中、大した目印もなくエルフの里を探し当てることができたケイリスくんは、よほど運がいいのか、はたまた何か訳ありなのか……。

ともあれ、ここにケイリスくんがいることはほぼ間違いないのです。ならば当然、助け出さなければなりません!

しかしそれ以前に、まずケイリスくんがどういう状況なのかを把握しないことには、こちらの行動を決められません。

もしもケイリスくんが監禁や拷問でも受けているのなら、私はこの森に火を放ってエルフたちの注意を引くくらいのことは平気でやりますが、もしも現在ケイリスくんがエルフたちと順調に交渉を進めている最中なのだとしたら、私たちの過激な行動は自分たちの首を絞める結果となりかねません。

ならばどうやってケイリスくんの状況を知るか、という話ですが……。

「……しかたない。わたしが、おとりになるよ」

そう言って私は髪を雑に結びながら、私を心配する二人への説得を始めるのでした。

***

「えっ、なにこれ!? と、と、とにかくみんなに報告しないとっ!!

そんな女性の声が聞こえたかと思うと、甲高い笛の音がエルフの森に響き渡りました。

即座に森の各所で呼応するかのように笛の音が鳴り響くと、やがて遠くからこちらへ接近してくる足音が聞こえてきました。

じきに足音が私の周囲を取り囲むと、足音の主たちは困惑したような声色で口々に言葉を交わします。声の感じからして、三人くらいでしょうか。

「……これ……人間の、赤ちゃん?」

「どうしてこんなところで倒れているのかしら?」

「さっきの人間の子供かなぁ?」

「……髪の色が全然違う」

「さっきの人間とおんなじ三つ編みだし、関係はあるかもしれないわね」

「と、とにかく、まだ生きてるなら里に連れてってあげようよ!」

「……族長、怒るかも」

「さすがに赤ん坊だし、大丈夫じゃないかしら?」

そんなやり取りの後、うつ伏せで地面に横たわっていた私の身体が持ち上げられた瞬間、私は閉じていた目をぱっちりと開きました。

私を抱き上げていたのは、最初に私を発見した少女でした。艶やかな金色のショートカットが可愛らしい少女でしたが、まるで人形のように作り物めいた美貌はゾッとするほどです。その耳は長く、そして尖っていました。まさに噂にたがわぬ『エルフ』の特徴です。

私を抱える少女の両隣では、背が高く切れ長の瞳が色っぽい少女と、切り揃えた前髪の奥で眠たげな目をしている小柄な少女がこちらを見つめています。

突然目覚めた私にギョッとした様子のエルフ少女たちでしたが、目配せをし合った彼女たちは示し合わせたように明るい笑みを浮かべました。

「よ~しよしよし! もう大丈夫でちゅよ~!」

「怖くないからね~」

「……いい子いい子」

先ほどまでよりも声のトーンがだいぶ高い猫なで声で、私をあやし始めるエルフ少女たち。この時点で私は彼女たちへの評価を『人類の敵(?)』から『なんか面倒見の良いお姉ちゃん』へと格上げしました。

人間だからと問答無用で攻撃を仕掛けてこなかったことで、少し離れた茂みに隠れさせているネルヴィアさんとレジィには潜伏を続けてもらうことにします。

わざと見回りのエルフに見つかることで、エルフたちの人間に対する認識をやんわりと探る目的だったのですが……少なくとも赤ん坊を手にかけるほどの外道ではないようです。人当たりも良くて優しそうな子たちですし、この感じならケイリスくんも問答無用で殺されてたりはしていないでしょう。

「にぃに、にぃに……」

私はわざと舌っ足らずな感じでそう言いながら、クルセア司教直伝・篭絡四十八手『大切なあの人に……』を披露します。すると寂しそうに目を伏せてギュッと胸元で手を握りしめる私の仕草に、エルフ少女たちは同情を寄せるように眉尻を下げました。

「今『にぃに』って言ったよね?」

「お兄さん? やっぱりあの人間と関係があるみたいね」

「……連れてってみよう」

三人は頷き合うと、私を抱えたままエルフの里の方へと歩き出しました。私を抱き上げてくれている少女の首に腕を回すふりをしながら、茂みに隠れてこちらを窺う家族たちにハンドサインで指示を出します。

『プランBへ移行。潜伏を続けて目標ケイリスくんを捜索しつつ、指示を待て』

『了解』

『了解』

指示を終えた私はくるりと振り返って、エルフ少女たちの注意を引くためにあざとい笑顔を振りまきました。三人とも私に構うことに夢中で、間近に迫る侵入者に気が付く様子はありません。

エルフ少女たちに運ばれながら周囲を観察していると、やがて鬱蒼と茂る木々が途切れ、見渡す限りの幻想的な光景が眼前に広がりました。

非常に背が高く巨大な木々が、一定間隔ごとに並びながら、どっしりと太い根で地面を掴み泰然とそびえています。その木々は太く丈夫な根が地上数メートル分ほど露出していて、網目のように張り巡らされた根の内側には、木造だったり石造りだったりする建屋が構築されています。一見すると小屋の屋根から巨大な木が生えているか、あるいは木の根に小屋が飲み込まれているようにも見えますが……こういうのもツリーハウスと言うのでしょうか?

家から生える巨大な木々はかなり高い場所からしか枝が生えないようで、そのため枝葉によって頭上の視界がさえぎられることがないため、この集落は森の中にあっても閉塞感へいそくかんとは無縁の立体的な奥行きと開放感を備えていました。

そして何よりも目を引くのが、巨大な木々の表面を覆っている『光るこけ』です。オレンジ色の暖かな光をぼんやりと灯すそれらが集落中を照らし、夜の森を幻想的にライトアップしていました。ときおり苔の欠片ががれ落ちるのか、オレンジ色の光がまるで飛び交う蛍のように舞い散っています。

そんな神秘的な光景に私が見とれていると、、私を抱いたまま移動していたエルフ少女たちは目的地に到着したようです。先ほどの会話から察するに、この集落の族長の家でしょう。

エルフ族の族長が住んでいるらしい家屋は、エルフの森の中でもとびきり大きな樹の根元に建てられている木造の建物でした。

私を抱えたエルフの少女は、立派なしつらえの扉をノックして「族長!」と元気な声で呼びかけると、そのまま返事も待たずに扉を開けて入ってしまいました。

室内には、すらりと背の高い女性のエルフが一人。

まつ毛の長い怜悧れいりな碧眼はすべてを見透かすかのようで、ちょっとギクリとしちゃいました。

……彼女がエルフ族の〝族長〟ですか。なんだか言いしれない威圧感を覚えます。彼女は自身の身長よりも長い木製の杖を手にしているのですが、ソレからもなんか嫌な感じがします。

そんな族長さんは切れ長の瞳をさらに細めながら、私を抱える快活なエルフ少女をギラリと睨みつけました。

「あのね、ララ。貴女には何度も……そう、何度も注意しているけれど、返事も待たずに扉を開けるのなら、ノックの意味がないでしょう」

「あ、あはは……ごめんなさい族長」

〝ララ〟と呼ばれて怒られた少女は、私を片手で抱いたまま照れくさそうに頭を掻きます。

その反省しているんだかわからない態度に、族長さんは疲れたように頭を抱えてから、ララさんに抱かれた私に鋭い視線を向けました。

「それで、用件はその赤ん坊についてかしら? いったいどこからさらって来たの?」

「攫うってなんですかっ!? すぐそこで拾ったんです!」

慌てて弁解をしたララさんは、それから私を発見した経緯について説明を始めました。あらかた説明が終わると、族長さんは静かに瞑目した後、険しい目つきで私を睨みつけます。

「事情は分かったわ。しかし解せないわね。あの人間を捕らえた後、周囲に仲間が潜んでいないかを確かめるために索敵したでしょう。なぜその時は見つからなかったの? そもそもこんな場所に赤ん坊を連れて来る意図が見えないわ。何から何まで不可解に過ぎる」

うっ……痛いところを突いてきますね。時間がないから強引な手法を取ってしまいましたが、冷静に考えるとこの作戦は穴だらけなのです。

族長さんの指摘に、ララさんや他の二人の少女も難しい表情で黙り込んでしまいました。

しかし少しの間考え込んでいた少女たちのうち、大人っぽい子が思案気に口を挟みます。

「でも族長。この子を見つけたのは巡回エリアAですよ? 一番内側の警戒網です。いくら小さくて見えづらいとはいえ、こんな赤ん坊がそれより外側の警戒網を突破したとは思えませんよ」

「そうですよ! 理由はわかりませんけど、きっとあの人間が里に入る前に隠したんですよ!」

「……小さいから、索敵した子たちが見落としたのかも」

ララさんたちが口々に援護射撃を行うと、族長さんはこめかみに白くて長い指を当てながら、

「いくつか可能性が考えられるわ。まず、あの人間がどうしても赤ん坊を手放せない事情があり連れてきてしまったので、仕方なく茂みに隠したという可能性。あるいは、彼の仲間が陽動のために赤ん坊を貴女たちに発見させて、その隙に何かしらの行動を起こそうとしている可能性。最後に、その赤ん坊を私たちに奪われたという筋書きで、この里を襲撃する大義名分を得ようとしている可能性。さて、どれかしら」

族長さんの言葉に、ララさんたちはギョッとしたように肩を震わせました。自分たちがまんまと敵の思惑通りに行動してしまった可能性に、青ざめているのでしょう。事実、私の潜入が陽動だという読みは当たらずとも遠からずです。

「とにかく、その赤ん坊は危険よ。下手をすればどこかの国の貴族の子供を誘拐してきたのかもしれないわ」

「ええっ!? それはさすがに……」

思わず反射的に否定しようとしたララさんでしたが、その前に両脇の少女たちが私のことを覗き込んできて難しい表情を浮かべました。

「でもこの子の服、かなり良い生地を使ってるのよねぇ。貴族って言われても納得だわ」

「……服のことはわからないけど、なんとなく育ちがよさそうな気はしてた」

うぐっ……言われてみれば、これって貴族になってから用意された服かも……。

もう少し質素な服を用意しておけばよかったかと私が後悔していると、そこでいつの間にか近づいて来ていた族長さんが、私の首に巻いていたマフラーをズラし、その下に隠されていた〝魔導桎梏〟を露わにしました。それに初めて気が付いたらしいララさんたちが驚愕に目をみはり、それからその美しい顔に露骨な嫌悪を浮かべます。

「これは……首輪!? まさか、奴隷!?

「こんな赤ん坊に首輪をめるなんて!」

あれ、これってヤバい……? ケイリスくんに嵌められたと勘違いされたら大変なのですが。

「とにかく急いで警戒に当たる必要があるわ。ララ、貴女はその赤ん坊を連れて、私と一緒に座敷牢へ向かうわよ」

「は、はい! あの人間に話を聞くんですね!」

私を抱えているエルフ少女のララさんが、さらっとケイリスくんの生存を示唆してくれました。座敷牢とやらに囚われていたのですね。

「ロルは非番のエルフたちを集めてもう一度、里の周囲を索敵してらっしゃい。今度はねずみ一匹見逃さないように、感知系の神霊術カタラを持ってる者を連れて行きなさい」

「……了解」

眠そうな目をした小柄なエルフ少女、ロルちゃんが緩慢な仕草で頷きます。そして感知系とかいう不穏な単語が聞こえましたが、ネルヴィアさんたちは大丈夫でしょうか。

レジィから聞いたのですが、エルフ族は魔族が言うところの開眼シャンテラに相当する異能を全員が持っていて、それを神霊術カタラと称しているそうです。まともにやりあっていい勢力ではありません。

「そしてレリーは……」

族長さんは、最後に残った少女に目を向けてから、少しだけ逡巡するような素振りを見せ……。

ルローラを呼んできなさい」

族長さんがそう言った瞬間、それを聞いていたエルフ少女たちはギョッとしたように肩を震わせました。私を抱いているララさんの手が汗ばんでいきます。

「……そ、そこまでの事態なのですか……?」

「念のためよ。なんだか胸騒ぎがするわ。恐ろしい何かがこの里に迫っているような気がする。ルローラの神霊術カタラで、あの人間から急いで情報を引き出す必要があるわ」

「わかりました……」

若干顔色が悪くなったように見える、レリーと呼ばれた少女が族長さんの家から飛び出して行きます。ルローラというエルフがどんな人かは知りませんが、今の彼女たちの反応からして恐ろしい存在であることは間違いなさそうです。きっと私にとっても出会わない方がいい相手でしょう。

今の口ぶりからして、そのルローラという人も私たちに続いて座敷牢にやってくるはずです。そしてその場所には、ほぼ間違いなくケイリスくんが囚われていることでしょう。

『急いで情報を引き出す』ために呼ばれるのなら、催眠とかで口を割らせるような能力か、あるいは拷問まがいの恐ろしい能力を持っていることも考えられます。

となると、勝負は私たちが座敷牢へ着いてから、ルローラというエルフが到着するまでの間です。

***

それから数分後。族長さんの家を出た私たちは、集落の外れにある古びた小屋を訪れていました。他の建物と同様に屋根から木が生えていますが、その木はボロボロで今にも朽ちてしまいそうです。普段は使用されていない建物なのだろうということは明白でした。

そして二部屋の座敷牢だけが収まっているその小屋へと運ばれた私は案の定、待ちわびていた再会を果たすことができたのです。

座敷牢の一つには、中学生くらいの少年が一人、捕えられていました。

色素の薄い茶髪の前髪を切り揃え、後ろ髪は三つ編み。冷めた目つきと、陶磁器のように白い肌。

私が何としても、もう一度会いたいと願った少年が、そこにはいました。

ララさんに抱かれて座敷牢に入ってきた私を見たケイリスくんは、信じられないものを見たような顔で、こちらを凝視していました。

「その反応……どうやらこの赤ん坊は、貴方と無関係ではないようですね」

族長さんの言葉にハッとしたケイリスくんは、慌てて顔を背けます。しかしあそこまで露骨な反応をしてしまった以上、今さら無関係を装うこともできないでしょう。

族長さんはケイリスくんの囚われている座敷牢の格子木に近づき、冷徹な声で呼びかけます。

「こんな赤ん坊まで連れてきて、一体どういうつもりかしら?」

「いえ、あの……ボクにも何が何やら……」

族長さんがケイリスくんを問い詰めようとしていますが、むしろどうして私がここにいるのか訊きたいのはケイリスくんの方でしょう。

するとそこで、ズンズンと遠慮なく距離を詰めたララさんが、格子木の傍まで寄って行って私のマフラーをずらしました。

「ちょっと人間! この子、首輪ついてるじゃない! 奴隷なんでしょ!? あなたのことはちょっとだけ見直してたのに、やっぱり奴隷商人と繋がってたんだね!」

奴隷商人? ララさんは一体何を言っているのでしょうか?

話が読めずに困惑する私を置いてけぼりにして、ケイリスくんとララさんの口論はエスカレートしていきます。

「ち、違います! お嬢……その子供は帝国の人間で、ボクたちはその首輪を外すために共和国の首都に向かっている最中だったんです!」

「そんなこと信じられないよ! 首輪なんて自分たちですぐに壊せばいいじゃない!」

「よく見てください。その首輪は共和国での一級犯罪者に嵌められる魔法の首輪です! 不用意に壊せばどうなるかわからないんです」

興奮気味のララさんは、ケイリスくんの説明にまだ納得がいっていない様子で「ぐぬぬ」と唸っています。するとそんな彼女の肩に手を置いて黙らせた族長さんが、鋭い目つきでケイリスくんを見据えました。

「今の話で、気になることが出てきたわね。一つは、一級犯罪者とやらに使用される首輪が、なぜ赤ん坊に嵌められているのか。そして帝国と共和国は長年小競り合いをしているのでしょう? それなのに国境を越えて首都まで交渉に向かうということは、首輪を嵌められたのが大人数か、あるいはその赤ん坊がよほど高貴な身分なのか……私たちの予想では、貴族の子供だと考えているわ」

「……っ」

「だとすれば護衛や世話役が同行していないはずがない。少なくとも貴方一人だとは思えない。だというのに、その赤ん坊は森に一人で放置されていたそうよ。貴方だって、わざわざ連れてきた赤ん坊を森に放置して交渉に臨んだりはしないでしょう。……つまり、貴方の仲間がすでにこの里に辿り着いている」

族長さんの指摘に、ケイリスくんは苦しげな表情で私に視線を向けました。まぁ、魔法も使えない今の私が一人でこんなところまで来られるわけがありませんからね。あの二人が来ていることは想像に難くないでしょう。

まさか今の会話だけで真相にたどり着くとは思いませんでしたが、しかしどの道〝ルローラ〟というエルフがここへたどり着くまで、もうあまり時間はないでしょう。

つまり何が言いたいかと言うと───今さら気がついても、もう遅い。

私はずっと口の中に含んでいた『馬笛』をモゴモゴと吐き出すと、そのまま全力で吹き鳴らしました。

「……ララっ!? 赤ん坊が何かやってるわ! それを取り上げなさい!!

「え、あっ!? なに!? なにやってるの!?

族長さんに言われるがままに、ララさんは私が咥えていた馬笛を奪い取りました。どうやらエルフ族にはその音が聞こえなかったようですが……しかし一人だけ、この音を聞き取ることができる仲間を、私は連れてきています。

あらかじめ決めておいた、笛のリズムによる簡易命令。私がたった今鳴らした命令の内容は、『目標発見。全員突入。戦闘はなるべく回避』です。

直後、私たちがいた小屋の扉が乱暴に蹴り破られ、一陣の風が吹き荒れました。

「無事みたいだな、ケイリス。……ったく、面倒かけんじゃねぇよ」

気が付くと私はララさんの腕から奪い取られ、レジィの腕に優しく包み込まれていました。一瞬にして私を奪われたララさんが目を白黒させて混乱していますが、一方で族長さんは「なぜ獣人族が……!?」と違った意味で驚いているみたいです。

しかしすぐに気を取り直した族長さんが杖を振るおうとした、その時。

ケイリスくんの背後の壁が、轟音ごうおんと共に爆散しました。

「セフィ様! ケイリスさん! ご無事ですか!?

座敷牢の壁が崩壊し、その向こうから魔剣『迅重猛剣じんじゅうもうけんフランページュ』を携えたネルヴィアさんが乗り込んできます。彼女は私とケイリスくんが無事であることに安堵の表情を浮かべてから、すぐに表情を引き締めてケイリスくんの腕を掴みました。

よし、これで後は脱出するだけです!

「みんな、にげるよ!」

赤ん坊である私がそう叫ぶと、ネルヴィアさんに気を取られていた族長さんとララさんがギョッとしたように私を振り返りました。その驚愕の隙を突くような形で、私を抱えたレジィは素早く駆け出し、ネルヴィアさんもケイリスくんの手を引きながら追いかけてきます。

「み、皆さんどうしてここに……!?

「たすけにきたにきまってるでしょ!」

私はケイリスくんの問いかけに当たり前の答えを返しながら、周囲の状況を確認します。今や敵の襲来を告げる警笛がひっきりなしに吹き鳴らされ、里にいるエルフたちが私たちに向かって駆け寄って来ています。軽く見回しただけでも、その数はざっと十数人は下らないでしょう。先ほど里の外へ索敵に出て行ったエルフたちもいるはずですから、もたもたしていればどんどん増援が駆けつけて来るはずです。

ケイリスくんがいる以上、そう素早くは移動できません。ならば馬に乗って逃げるというのが現実的ですが、エルフたちの警戒網を潜り抜けてここまで連れてくることはできなかったので、馬を繋いでいる場所までは走って行かなければいけません。

周囲からは一人一人が異能を備えた、大勢のエルフ族が敵意を持って襲い掛かってくるでしょう。ハッキリ言ってかなりまずい状況です。

エルフの里に突入したのは早計だったでしょうか……いえ、それは結果論ですね。時間をかけていたらケイリスくんが酷い目に遭わされていたかもしれなかったのです。

「待ちなさい、人間たちよ!!

不意に上から聞こえてきた声に、私たちは驚いて頭上を仰ぎ見ます。するとそこには宙に浮かんでこちらを見下ろす族長さんが、自身の背丈よりも長い木製の杖を掲げていました。そして族長さんの傍らにはララさんも浮かんでおり、彼女は族長さんが杖を握っているのと逆側の腕を掴んでいます。これってもしかして、どちらかの能力は『飛行』? だとしたらかなりヤバいです。

「逃がすつもりはありません! 貴方たちにはたっぷりと話を聞かせてもらいましょう!」

そう言って族長さんが長大な杖を振るうと、ほぼ円形であるエルフの里の外周からオレンジ色の光が溢れ出し、数秒後にはすっぽりと囲い込んでしまいました。

「くそっ!」

レジィが悪態をつきながら、足元に転がっていた石を拾い上げてオレンジ色の光に投げつけます。里の外周を覆う薄っすらとしたヴェールのようなそれは、しかし衝突した小石を甲高い音を響かせながら弾き返し、外へ通すことはありませんでした。

結界……!? 閉じ込められた! 族長の放つ神霊術カタラだから効果範囲が広いのか、それともあの大きな杖が特殊な道具なのか……。

そうこうしている内に、駆けつけてきたエルフたちの一部が私たちの元へと辿り着いてしまいました。その数、六人。そのうち四人は手にした弓に矢をつがえ、残りの二人は一メートルほどの木の杖をこちらに向けてきます。そして、私たちへと一斉に矢が放たれました。

「ケイリス、ご主人を守ってろ!」

抱えていた私をケイリスくんに任せたレジィが、爆発的な踏み込みと共にエルフたちへと突っ込んでいきました。普段は帽子の下に隠している獣耳も露わにして、本気モードみたいです。

「俺様のご主人に手ぇ出してんじゃねぇよ!!

気が付くとレジィは一瞬にしてエルフたちのど真ん中まで浸透していて、まず近くにいた二人のエルフが強烈な蹴りを受けて宙を舞いました。レジィの手には数本の矢が握られており、どうやら先ほど私たちに放たれた矢はすべて掴み取ってしまったようです。

レジィの途轍とてつもない速度にエルフたちが体勢を立て直すよりも早く、残りのエルフたちも次々に薙ぎ払われて地面に倒れこんでいきました。

そしてレジィがエルフたちの相手を引き受けてくれている間に、私たちを庇うように立ちふさがってくれているネルヴィアさんへと指示を出します。

「おねーちゃん! けっかいを、フランページュでこわせる!?

私はひとまず退路を確保するために、あの結界を力ずくで破れるかどうかを試してみることにしました。

「は、はい! やってみます!」

ネルヴィアさんは結界へと駆け寄り、勢いそのままにフランページュを全力で叩き込みました。するとオレンジ色のヴェールのような結界は〝バヂィッ!!〟という音を響かせながら、その表面を大きく揺らがせました。あれ、意外といけそうだね?

しかし先ほどネルヴィアさんが剣を叩き込む直前に、結界の色が濃くなったような気がします。

私が視界の端で族長さんの様子を窺うと、彼女は大きな杖をこちらに向けていました。そしてやはり結界は色の深みがどんどん増していき、見るからに強固なものとなってしまいました。

もしかして結界が破られるかもしれないと思って、強化した? それはずるい!

しかしネルヴィアさんはそんなことには構わず、凄まじい勢いで魔剣を叩き込み続けます。すると結界はまるで暴風に煽られるカーテンのように激しく揺らめきます。族長さんに目を向けると、彼女は苦しそうな表情をしていて、さらには手にした杖に亀裂が走りました。あともうちょっと!

「───っ!! ケイリスさん、もっと私の近くへ!」

しかし突然ネルヴィアさんが弾かれるように駆け出し、そんな叫びを上げました。彼女の視線の先を追うと、増援のエルフたちがこちらに駆け寄ってくるのが見えます。その数は先ほどより増えて、二十人くらいは見えます。さ、さすがにあの数はヤバい!

先頭を走っていたエルフ族の男性が短い杖を振るうと、強烈な風が吹き荒れました。吹き飛ばされないように足を踏ん張った私たちは、その場へ釘づけにされてしまいます。

それに続いてエルフたちは私たちから十分に距離を取ったまま杖を掲げます。するとレジィがその場から飛び退くのと同時に、直前まで彼が立っていた地面が爆発しました。そしてそれを避けたレジィが「ぐっ……!?」と急によろめいた瞬間、彼の周囲の地面から土の槍が何本も飛び出してきます。重力でも操られたのか動きの鈍くなったレジィでしたが、なんとかその槍を回避しました。

ああいう遠距離戦を得意とする集団は、仲間への誤射を恐れるため接近戦に弱いものです。そのためレジィも迷わず駆け出し彼らへと肉薄したのですが……そんなレジィの前に、短剣や手甲を装備した体格の良いエルフたちが立ち塞がります。

その武闘派エルフたちは、自身の神霊術カタラなのか味方からの支援なのかは知りませんが、とんでもない速度や反射神経を備えているようです。妨害によってレジィの動きがかなり鈍っているとはいえ、彼の猛攻を数人がかりで抑え込んでいます。

そして手が空いている後衛のエルフたちが私たちの方へ向き直ると、炎や氷や岩の塊が放たれ、レジィの頭上を飛び越えて私たちの元にまで飛来してきます。

「ケイリスさん! できるだけ身を低く───っ!?

瞬時に私やケイリスくんの前に立ちはだかったネルヴィアさんでしたが、ちょうとその時、彼女の動きを阻害するかのように地面が激しく揺さぶられ、周囲の風が逆巻き始めました。そして彼女の近くにいた私とケイリスくんも、当然その影響を受けてしまいます。

「あうっ!?

突き上げるような地面からの衝撃に身体が浮かされ、さらには立っていられないほどの強風に揉まれたケイリスくんは尻もちをついてしまいます。彼に抱かれた私も転倒の衝撃に「うっ!」と小さく呻きながらも、無数に迫る神霊術カタラの弾丸に身をさらしていたネルヴィアさんへと振り返ります。

するとそこには、飛来してくる数多の攻撃を凄まじい勢いですべて叩き落としていくネルヴィアさんの姿がありました。あの地震と暴風の中でも立っていられるなんて、どんな体幹してるんですか!

レジィの方を見ると、彼は武闘派エルフたちに邪魔されながらも、遠距離攻撃を仕掛けてくる後衛を叩こうとしているようでした。敵を近づけまいとする神霊術カタラの猛襲を掻い潜るレジィによって、エルフたちは少しずつ蹴り飛ばされて数を減らしていきます。

と、私はそこで蹴り飛ばされて倒れていたエルフが、別のエルフの放つ暖かな光を浴びた後、起き上がって戦線に復帰するのを目にしました。

「かいふくさせてる! レジィ、まずはかいふくやくをたたいて!」

「だぁーっ、くそ!! なぁご主人、回復できねぇくらいぶちのめしちゃダメか!?

「それじゃあ、ケイリスくんがここにきたいみがない! できるだけ、ケガさせないで! おねがい!」

私の無茶なオーダーにも、レジィはなんだかんだで応えてくれるようです。最大の武器である爪や牙を使うことなく蹴り飛ばして、まずは回復役っぽいエルフの少女を昏倒させました。

本来ならエルフの集団に囲まれたこの状況で、手加減なんてしている場合ではありません。私たちの身の安全を最優先にすべきです。しかし進退窮まって、いよいよどうしようもなくなるその時までは、人族とエルフ族の対立を解消しようとしていたケイリスくんの想いを尊重したいのです。

私を抱くケイリスくんの腕に力が籠められるのを感じながら、私はどうにかこの窮地を脱する方法を考えていました。

エルフたちを倒せない以上、私たちはこの圧倒的不利な状況で敵の息切れを待つしかありません。そうなると真っ当に戦い続けるのは馬鹿らしいでしょう。

となると、私が族長さんを説得するか、結界を破って逃げるしかありません。しかしエルフ族が説得に応じるような性質なら、ケイリスくんを問答無用で投獄して放置するような真似はしなかったでしょう。ましてや私たちが座敷牢をぶち壊して捕虜を奪い、ここまで派手に暴れ回った以上、平和的な解決は見込めません。しかも結界の術者である族長さんが上空にいて手出しできない以上、直接結界を破壊するしかないでしょう。

私は背後にある結界をチラリと窺います。オレンジ色に輝く結界は、先ほどよりも色の濃度が薄く、つまり強度も下がっているはずです。おそらく結界の強化は疲れるのでしょう。しかし一撃で座敷牢を崩すほどの破壊力を持つネルヴィアさんが結界に近づけば、族長さんは即座に結界を強化してその破壊を防ごうとするでしょうし、そもそも私やケイリスくんを神霊術カタラの猛襲から守ってくれているネルヴィアさんは、たとえ命令したって結界の破壊には向かわないでしょう。

───だから私はベビー服の前をはだけてオムツの中に手を突っ込むと、その中からズルリと金属製の武器を取り出します。

それはかつて帝都で魔導工学の学者・ロットさんと共同で開発した、魔法銃『霹靂へきれき』。単純な一撃あたりの威力では、ネルヴィアさんの魔剣フランページュさえも凌ぐでしょう。

いきなり私がそんな物騒なものを取り出したためか、すぐ後ろからケイリスくんの「えっ」という声が聞こえてきます。が、私はそれを無視しました。不思議そうにこちらを見ている族長さんが目を丸くさせている今しかチャンスはないのですから。

まだ強化されていない結界に私が『霹靂』の銃口を向けると、そこでようやく族長さんが不穏な気配を感じたようですが……もう手遅れです。

『ズガァァアアアアンッ!!』という雷鳴のような轟音が響き渡りました。『霹靂』から放たれた銃弾は吸い込まれるように結界へ直撃すると、そのままオレンジ色に輝くそれを紙のように引き千切って貫通しました。一部を破られた結界はまるでシャボン玉のように弾けて、破れた部分を皮切りに残りのすべてにも破裂を波及させて消滅してしまいます。さらに、上空で浮遊している族長さんの持っていた大きな杖が、甲高い破裂音と共に爆散して降り注いでいました。

「おねーちゃん! レジィ! にげるよ!!

私が言い切るよりも早く駆け出していた二人は、突然の轟音や結界の破壊という不測の事態に固まっているエルフたちを振り切り、私を抱いたまま座り込んでいたケイリスくんを引っ張り起こし、そして里の外に向かって走り出しました。

よぉし! 外の森にさえ逃げ込んでしまえばこっちのものです! 見通しの悪い場所では同士討ちを恐れて好き放題できないでしょうし、先ほど私たちに陽動や不意打ちを食らったばかりで里の防衛戦力を減らすわけにはいかないはず。必然的に追手の数は絞られます。

やった! 何とか逃げ切った!


「いや、逃け切ってはいないけどね?」


里の外に広がる森に逃げ込もうとした私たちは、〝シャラン〟という金属音を耳にしました。そしてその瞬間、目の前に再びオレンジ色の結界が出現したのです。

「えっ!?

危うく結界に激突するところだった私たちはたたらを踏むと、背後から聞こえてきた声へと振り返ります。するとちょうど上空からゆっくりと降りてきたエルフの女性が、音もなくふわりと着地したところでした。歳の程は……三十歳くらいでしょうか?

地面に届きそうなほどに長い金糸のような髪と、雪のように白い肌。フリルがふんだんにあしらわれた純白のドレスは、いわゆる白ロリファッションを彷彿とさせます。スレンダーな身体を覆うゆったりと広がった長袖やスカートは、エルフ族の神秘的な容姿も相まって天使のようです。似合ってはいるのですが、比較的質素な服装が多いエルフ族の中ではとびきり浮きまくっています。

他のエルフたちは全体が木製の杖を持っているのに対して、彼女はところどころが金属で装飾された美しい杖を所持していました。先端には大きな輪っかが飾り付けてあり、さらにそこへ複数の小さなリングが通されています。まるで修験僧が持つ錫杖しゃくじょうのようでした。

しかし何よりも目を引くのが、長いまつ毛に縁どられた眠たげな両目です。こちらから見て右側の瞳は他のエルフ族と同じで透き通る蒼玉サファイアのような色合いなのですが、左側の瞳は翠玉エメラルドのような色合いで、しかも怪しげな輝きを放っていました。比喩ひゆとかではなく、本当に光っているのです。

「……ルローラ。随分と遅かったわね」

「そうだね、族長。危うく逃げられるところだったわけだ」

ルローラと呼ばれた女性の返答に、族長さんは苦虫を噛み潰したような表情を浮かべます。暗に『自分が来なかったら逃げられていた』とでも言いたげな物言いに、思うところがあるのでしょう。

というか、ルローラ……? それって先ほど族長さんたちの話に出ていた恐ろしいエルフの名前ではなかったでしょうか。ケイリスくんから『情報を引き出す』という目的のために呼び出されていたはずですが……今あの人、上空から舞い降りてきませんでしたか? 飛行系の能力? てっきり洗脳や暗示のような能力を持っているのかと思っていたのですが。

ルローラというエルフは私たちに振り返ると、心底気だるげな声色で話しかけてきました。

「さてと。人族のアンタたち。ああ、獣人もいるけどさ。とにかくアンタたちは捕まえるよ。そう易々と人間に遊びに来られちゃ困るんだよね」

……どうしたものでしょうか。結界を破って逃げる作戦は失敗してしまいました。というか族長さんの杖は壊れたはずなのに、どうやって即座に結界を張り直したのでしょうか?

もしかしたらこのまま捕まるのが一番いい手なのかもしれませんが、果たしてエルフ族がどこまで信用に足るものかもわかりません。私たちをただ捕まえるだけで済ませる保証も、捕まえたあとで解放してくれる保証もないわけですし。

……などと考えていると、ルローラというエルフは私に翠玉エメラルドの瞳を向けました。

「まぁそう考えるよね。でもさ、アタシと戦っても勝ち目はないよ? それは保証する」

……考えてることがバレた? いや、ただのハッタリ? 私が攻撃的な表情をしていた? 私たちの剣呑けんのんな雰囲気を察して先手を打った?

───『ルローラの神霊術カタラで、あの人間から急いで情報を引き出す必要があるわ』

……心を読む神霊術カタラ

「おおっ? ご名答。すごいね、大したもんだ」

まじですか! まじで心を読むのか! ていうかそれはヤバイ! 帝国の中枢にいる私の心が読まれるのは、国家レベルの問題です!

焦る私を視て、ルローラというエルフは眠たげな瞳を愉快そうに細めましたが……しかし直後、その余裕が打ち砕かれます。

「はっ? 何これ? 読めない? 何この言葉……こんなの知らない」

心を読むというその仕組みはわかりませんが、もしも考えていることを、言葉を、文法をそのまま読み取るという能力なら。彼女が知らない言語、知らない文法で思考をしたらどうなるのか、試してみたのです。ダメ元で試してみただけでしたが、どうやら成功したみたい。

日本語は読めない

この世界の外国語だったらどうかわかりませんが、少なくとも『異世界の言語』は変換エラーとなるようです。……よかったぁ。これで私から情報が漏れる心配はしなくて済みそう。

そしてハッタリとかではなく、本当にあのエルフが心を読めることが判明してしまいました。

「みんな、あのエルフはこころをよむ! かんがえたことはぜんぶバレちゃう! きをつけて!」

どう気を付ければいいのかはわかりませんが、とりあえず注意喚起。そして私は、彼女がどうして私たちの前に一人で出てきたのか、その意図を考えます。

心を読むという能力は確かに強力です。しかしそれが真価を発揮するのは頭脳戦や情報戦においてであって、直接戦闘で輝く能力ではないでしょう。どれだけ動きを先読みできたところで、それ単体ではネルヴィアさんやレジィの動きについていけるわけがないのですから。

こちらの実力を軽んじているとか油断しているということもないでしょう。心が読めるのなら尚更、警戒を深めるはずです。護衛も引き連れずに一人で私たちの前に出てきた理由がわかりません。

とはいえ油断は禁物です。ついこの間だって、個人では大した実力のないリルルとかいう女に、手酷く好き放題やられたところなのですから。幸いにも私だけは読心を免れたのですから、上手く立ち回って交渉を持ち掛ければ光明が見えるかもしれません。

……と、そう考えていたのですが。

「リルル? 今、リルルって言った!?

急に大声を出して驚愕を露わにしたルローラさんが、私の方を見て聞き返してきました。え、リルルを知ってるの? もしかして知り合い? というか心を読まれた? いや、リルルという単語にだけ反応したってことは、この世界の固有名詞だけは読み取れたってことかもしれません。

ルローラさんの能力に考えを巡らせていた私でしたが、しかし『リルル』という単語に反応して、私以外の仲間たちはリルルについて考えてしまったようです。

そしてそれが悲劇の始まりでした。

「は? 帝都で戦った?……ちょっと待って皇帝が剣で消し飛ばした!? 殺したのっ!?

いやちょっと待って待って! たしかに消し去ったけど殺してはいない!!  みんな適当なこと考えないで!? リュミーフォートさんが管理する別空間に閉じ込めたって陛下が言ってたでしょ!? そうか、ちゃんとリルルの現状を理解してたのは私だけなんだね!?

私が真実を訴えて釈明するよりも早く、俯いてしまったルローラさんが肩を震わせました。

「よ……よくもアタシのを……!!

「いや、だからころしては……いもうと!? えっ!? ちょっとおちついて、はなしを……!!

「話はあとで聞く!! 座敷牢にぶち込んでからね!!

すっかり冷静さを欠いた様子のルローラさんは、輝く翠玉エメラルドの瞳を血走らせながら叫び、手にした錫杖を地面に突き立てました。すると先端についている金属の輪が〝シャラン〟という音を響かせるのと同時に、彼女の周囲から炎や氷や岩石などの塊が出現し、一斉に私たちへと殺到します。

なんで!? 神霊術カタラは一人につき一つじゃなかったの!?

私が驚いている間にも、レジィは私を抱いているケイリスくんを引き寄せました。そして迫り来る弾丸の雨から逃れるために駆け出そうとしたところで、足元の地面が激しく突き上げられてバランスを崩し、さらには真上から私たちを押し潰そうとする見えない圧力に襲われました。

「がっ……!? う、おおッ!!

それでもどうにかバランスを持ち直したレジィは、足をもつれさせたケイリスくんを小脇に抱えて駆け出しました。私たちを追いかけて来る無数の弾丸は、ネルヴィアさんが殿しんがりを務めて必死に叩き落してくれています。

私は周囲のエルフたちに視線を向けますが、彼らは誰一人として戦いに参加する素振りをみせません。それどころか不安げな顔をして私たちから距離を取る始末。先ほどは彼らがルローラさんの合図に合わせて援護射撃をしたのかと思いましたが、そういったわけでもないようです。

再び〝シャラン〟という錫杖の音が響き渡り、無数の遠距離攻撃が飛んできました。さらに今度は私たちを抱えて走るレジィの足元で複数の爆発が巻き起こり、同時にネルヴィアさんの背後から土の槍が飛び出しました。二人とも辛うじてそれらの攻撃をかわしたものの、かなりギリギリです。このまま戦いを続けていれば、いずれ決定的な打撃を受けてしまいかねません。

「ネルヴィア! やるぞ!!

そんな言葉と同時に、私とケイリスくんを近くの大樹の後ろに隠したレジィが、目にも留まらぬ速さでルローラさんへと突っ込んでいきます。飛来する色とりどりの弾丸を難なく掻い潜ったレジィは、一瞬にしてルローラさんの背後へと回り込んで蹴りを放ちました。レジィの蹴りは直撃すれば、大柄な獣人でさえ吹き飛ばされるほどの威力です。

───しかしそれを、ルローラさんは振り返りもせずに片手で受け止めて見せました。

「なっ……うぉおおお!?

さらにルローラさんはレジィの足を掴んで振り回し、そのまま地面へと勢いよく叩きつけます。身体強化に加えて重量操作の神霊術カタラでも併用しているのか、レジィが受け身も取れずに叩きつけられ、その小さな体を地面へとめり込ませました。

その隙を突く形でネルヴィアさんがルローラさんへと肉薄すると、鬼気迫る踏み込みからフランページュによる横薙ぎの一撃が放たれます。どうやらルローラさんはフランページュを錫杖で受け止めることを選択したようで、『ガキィィイインッ!!』という金属音が響き渡りました。