そして私を抱えたレジィが降りたのを確認すると、そのままパタンと扉を閉めてしまいます。自分も降りようと腰を浮かせていたネルヴィアさんが、ポカンとして固まっていました。

「ネルヴィア様は馬車番をしててください」

ケイリスくんはそれだけ言うと、つかつかと商店の方へ歩いて行ってしまいます。

ああ……ネルヴィアさんが膝を抱えてうずくまっちゃってる……す、すぐ戻るから待っててね。

私たちがケイリスくんに追いつくと、彼は立ち並ぶお店には目もくれず、一直線に人通りの少ない道へと入っていき、さらにそこから路地裏のような薄暗い道へと進んでいきました。

しばらくそんな道を歩いていると、やがて路地の突き当りにひっそりと佇んでいる建物が見えてきます。

ケイリスくんがその建物へ入ったので後に続くと、室内は随分と寂れており、薄暗くてなんだか不気味です。

そしてその奥では、まるで浮浪者のような外見の男がテーブルの上で胡坐あぐらをかいて、ニヤニヤと人の悪そうな笑みを浮かべていました。

うわぁ、私は苦手なタイプの人だなぁ……と若干引いていると、ケイリスくんはまったく臆することなく彼の目の前まで歩いていき、なんと持っていた金貨袋を彼に投げ渡してしまいました。

ちょっ、なにやってるの……!?

浮浪者っぽいおじさん……略して浮浪者さんは、すぐに袋を逆さまにして中身をぶちまけると、一枚ずつ丁寧に数えていき、それらを十枚ずつ積み上げて並べていきました。

そしてすべて数え終えると、彼はそれらの金貨をテーブルの端に押しのけてから、建物の奥にある古ぼけた棚へと歩いて行きます。

浮浪者さんは棚の中から袋を取りだすと、すぐにこちらへと戻って来て、ケイリスくんの前のテーブルに中身をぶちまけました。どうやらそれも金貨みたいです。

ケイリスくんは迷わずそれらを数え始め、そして全部数え終えると「確かに」と小さくつぶやきました。

それからケイリスくんは空っぽになった金貨袋に、浮浪者さんが持ってきた金貨を詰め直していきます。

けれども彼は、それらの金貨のうち数枚ほどはそのままテーブルの上に残して、

「入りきりませんね。すみませんけど、処分しておいてください」

「……まいど」

ケイリスくんの言葉に、ニヤリといやらしい笑みを浮かべた浮浪者さんは、ケイリスくんが最初に渡した金貨と、今残した数枚の金貨をかき集めると、それぞれ別々の袋に詰めて、再び奥の棚へと戻しました。

そしてケイリスくんは何事もなかったかのように私たちの方へ戻ってくると、「じゃあ、行きましょう」と言って、またつかつかと歩いて行ってしまいます。

私とレジィはわけもわからず、互いに顔を見合わせて……それから、彼の背中を追いかけました。

***

その夜、私は宿屋で一緒の部屋になったケイリスくんに、昼間の浮浪者さんとのやり取りについて訊ねてみました。

するとケイリスくんは、何のことはないといった風に、あっさりとその答えを教えてくれます。

「両替ですよ」

「……りょうがえ?」

おもむろに立ち上がったケイリスくんは、リュックの中から二つの金貨袋を取りだしました。

そして彼はそれぞれの袋から一枚ずつ取り出すと、ベッドに寝そべっていた私の目の前にかざしてくれます。

「こっちが、帝国紋の刻まれた金貨。そしてこっちが、共和国紋の刻まれた金貨です」

「あ……ほんとだ、ちょっとちがう……」

「共和国では帝国の金貨が使えないということはありませんけど、少なくとも金貨を見れば、どこに暮らしてるかは一発でバレます」

そ、そっか……じゃあお昼の浮浪者さんは両替屋さんみたいなもので、帝国の金貨を渡して、共和国の金貨を受け取ってたってわけですか。

「じゃあ、なんまいかきんかをうけとらなかったのは、てすうりょうみたいなものなの?」

「いえ、口止め料です」

「……え?」

「基本的に、両替屋は手数料を取りません。その代わり、騎士や探偵などに『いつ、どんな人間に両替したか?』という情報を漏らします。両替なんてする人間は、亡命とか潜入とかが目的ですからね」

「だから、くちどめりょう……?」

「ええ。切羽詰まっている人間ほど多く払ってくれますし、騎士や探偵はその口止め料よりずっと高額な賄賂を渡さなければ情報を引き出せません。つまり、手数料なんかよりもずっと儲けられるんですよ」

……あくどい商売してるなぁ。

でも、そういう稼ぎ方もあるのか……勉強になりました。

私は将来、できるだけ働かずに贅沢ぜいたくな暮らしをしていきたいという夢を持っているので、そういう楽ちんでリターンの大きいシステムを考え付きたいものです。

疑問が解消してすっきりした私は、しかしすぐに思いついた新たな疑問について訊ねてみました。

「そういえば、ケイリスくんってどこのしゅっしんなの?」

「え? ああ……帝都ですよ」

「そうなんだ? もしかして、おとうさんとかおかあさんもしようにんさんとか?」

「まぁ……そうですね」

「それなのに、こういうシステムとか、きょうわこくのまちについてしってるなんてすごいね」

「……勉強しましたから」

そっか、やっぱり偉い人に仕える執事としては、そういうことも勉強するんですね。

ケイリスくんは金貨を袋に戻してリュックにしまうと、扉の前に鈴のようなものを設置しました。多分、扉を開けると大きな音が鳴るという仕組みなのでしょう。夜盗対策かな?

お昼に馬車の扉を開けてくれた時も思いましたけど、できる男って感じでかっこいいですね。

ケイリスくんは再びベッドに戻ってくると、隅っこの方にそっと腰を下ろしました。

そして、チラリと私へ視線を向けると、

「あの……お嬢様。本当に、ボクもベッドにご一緒してもいいんですか?」

「え? だって、ベッドはひとつしかないでしょ?」

「でも、ボクは使用人じゃないですか」

「だからどうしたの?」

「え……あ、いえ……」

ケイリスくんが何を遠慮しているのかわからず、私はちょっと困ってしまいます。

もしも私がムキムキのおとこだったり、グラマラスな美女だったりしたら、確かに遠慮しても仕方ないと思いますけど。

そもそも、ここに来るまでの馬車ではほとんど雑魚寝ざこね状態でしたしね。

私がジーっと見つめていると、やがてケイリスくんは観念したのか、「……失礼します」と言いながら、おずおずと私の隣に寝そべりました。

ふわりと良い匂いが漂ってくるのを感じながら、そういえばケイリスくんの顔をこんなに近くでまじまじと見たのは初めてだということに思い至ります。

いつもは三つ編みに結んでいる髪はほどいて下ろしてあり、服装もスーツではなく薄い寝間着です。

普段は洗練された執事然とした雰囲気からか大人びた印象を覚える彼ですが、今のケイリスくんからは年相応の幼い雰囲気も少し感じ取れます。

ちょっといつもと格好が違うだけで印象まで全然違って見えるのは、不思議なものですね。

普段のケイリスくんなら、ぼーっと数キロ先を見つめているような遠い目をしているのですが、今はしっかりと目の前の私を見てくれています。

……あれ? でも思えば、今回の旅について来てくれるようになってからは、ケイリスくんが遠い目をしてることはなくなったような……。いったいどういう心境の変化でしょうか?

少なくとも私に興味があるわけではなさそうですが。

まぁ、そもそもケイリスくんが私に仕えてくれているのも、陛下の御命令で仕方なくってところだと思いますしね。

……そう考えると、なんだか途端に寂しいような……。

ただでさえお母さんやお兄ちゃんとずっと会えずに寂しい思いをしているのに、私に興味のないケイリスくんと二人っきりというのはちょっと辛いものがあります。

……いや、こんな考えではだめですね。

私の持論モットーは、『こちらから愛を示さなければ、向こうも愛は示さない』です。

ケイリスくんに好意的な感情を向けてほしければ、私の方から歩み寄らなければなりません。

そこで私は、クルセア司教たちに仕込まれた、四十八の篭絡技ひっさつわざの一つ『今夜は帰りたくないの……』を披露してみることにしました。

この技は、保健所のチワワも裸足で逃げ出すようなウルウル瞳の上目遣いと、相手の服をちょこんと掴むことで、対象の庇護欲をくすぐり陥落させる技です。

私はちっちゃな手でケイリスくんの服をちょこんと掴むと、私に視線を向けてきたケイリスくんへと熱っぽい視線を送ります。

そして期待を込めてケイリスくんの反応を窺っていると、彼は無言で私の頭をそっと撫でて、

「もう寝ましょうか、お嬢様」

そう言うと、ケイリスくんはベッド脇のランプを消しました。

……うーん。いまいち技は不発に終わった感が否めませんが、しかし私に一切の興味がないケイリスくんに頭を撫でさせる程度には効果を発揮したとも言えます。

きっとお母さんなら即死でしたね。

私は技の成果にそこそこ満足しつつも、それでも寂しさからかケイリスくんの服からは手を離すことができず、そのまま目を閉じました。

……隣の部屋からずっと聞こえてきている激しい闘争の音は、完全に聞かなかったことにします。

ネルヴィアさんとレジィは、明日オシオキですね。

***

次の日。

私はケイリスくん経由で、隣の部屋で一晩中揉めていた二人をこってり絞ってやりました。

……どっちが私と一緒の部屋になるかで揉めてたからケイリスくんと同室にしたのに、これじゃ全く意味がないじゃありませんか。

久々のお仕置きに喜ぶレジィを踏みながら、私は深々と溜息をつきました。

食材とか生活用品は昨日のうちに買ってしまいましたし、この街ですることはもうありません。

うっかり正体がバレてしまうのも面倒ですから、さっさとこの街を発つとしましょう。

宿屋を出たケイリスくんが、馬車庫に入れておいた馬車を取りに行ってくれている間、私たち三人はノローセの街並みを眺めていました。

すると何やら、向こうの通りが騒がしいことに気が付きます。

何かイベントでもやっているのかと思いましたが、ずば抜けて視力のいいレジィがポツリと、

「……なんだあれ。子供が蹴られてるぞ」

レジィの言葉に、私とネルヴィアさんは驚愕きょうがくしました。

そしてそれが事実であれば、放っておくわけにはいきません。

勝手に待ち合わせ場所から離れるのはケイリスくんに悪いですが、緊急事態です。

私は、私を抱えてくれているレジィをペチペチ叩いて、騒ぎの起こっている方向を指さしました。

「えっと、助けに行くのか?」

私がうなずくと、レジィは「んー、わかった」と気乗りしない感じに応えてから、かなりの速度で駆け出しました。ちょっとちょっと! もう少し人間っぽい速度で走って!

あっという間に騒ぎが起こっている場所へ到着した私たちは、そこで十歳くらいの男の子が、小太りな果物屋のおじさんに蹴られてボロボロになっているのを見ました。

私はやや遅れて追いついて来たネルヴィアさんを、ジッと見つめます。

彼女はそれだけで私の意図を察したのか、人だかりに向けて大きな声で呼びかけました。

「こ、子供相手に、何をしているんですか!」

ネルヴィアさんの声に、子供を蹴っていたおじさんや、その周囲の人たちが一斉にこちらを振り返ります。

人見知りのネルヴィアさんはそれだけで「あぅ……」と萎縮してしまいますが、それでも彼女の正義感がそれに勝ったのか、言葉を続けてくれました。

「そ、その子が、一体何をしたっていうんですか……?」

ネルヴィアさんの問いに対して答えてくれたのは、私たちのすぐ近くにいたおばちゃんでした。

「……あの子、帝国の子なのよ」

「帝国の子……って、それだけで、あんな仕打ちをするんですか!?

ネルヴィアさんの反応に、おばちゃんは面倒くさそうに頭を掻いてから、蹴られていた男の子を指さしました。

「見てよ、あの身なり。あれはね、帝国から〝移民〟してきた子なのよ」

「……移民?」

「帝国から流れてきた子だね。そういうのが、この街の隅っこにある貧民区スラムにはいっぱいいるんだよ。それでその一部が、あの子みたいに泥棒に走るってわけ」

移民……ですか。なるほど。

何らかの事情で帝国にいられなくなった人たちが、国境を越えてこの街へ流れ込んでくるのですね。

つくづく国境沿いの街には、いろいろと面倒なことが起きるようです。

そして帝国で居場所を追われるような人間は、何かをやらかしたか、あるいは暮らしに窮したか……どっちみち、この街の人たちにとっては厄介者でしかありません。

当然、お金なんて大して持っているはずもありませんから、こうして生きていくために犯罪に手を染める。するとますます移民者の立場が悪くなっていくという悪循環に陥っていると。

もしも刑務所のようなところへ放り込めば、彼らの衣食住を保証することになり、この街の財政に大打撃を与えかねません。

だからこそ、ああやって痛い目に遭わせてスラムへ追い返すという対応をしているのでしょう。

帝国と共和国は同盟関係であり、その上お互いの国境間の行き来にも制限は設けていません。

だからこそ大っぴらに彼ら移民を拒絶することもできないわけで。

それに追い打ちをかけるように、過去の帝国との遺恨まであるとなっては……私にはどうしようもありません。

……こういう複雑な事情って、私の最も苦手とする分野なんですよね。

魔法で吹っ飛ばして解決、みたいなのが一番やりやすくて助かるのですが……。

「以前は隣町のトーレットが引き取ってくれてたんだけどねぇ……今はエルフのせいで、もうそれどころじゃないし」

そんな呟きを漏らしたおばちゃんは、そこでふと、私たちの顔を改めてまじまじと見つめながら怪訝けげんそうにまゆひそめました。

「ところであんたたち、共和国民じゃないのかい?」

あっ! もしかして、この移民問題って共和国では常識だったのでしょうか!?

せっかくケイリスくんが両替までして身元を偽ってくれたのに、こんなにあっさり墓穴を掘るなんて……!

いえ、まぁ、もう街を出るところなのでバレてもさして問題はないような気もしますが、しかし今後どこでしっぺ返しが来るかわからないのが怖いところです。

私とレジィはしゃべれないので、わたわた慌てているネルヴィアさんが上手いこと誤魔化してくれることを期待していると……。

私たちの背後から、カツン、と高らかな靴音が響きました。

「勇者様いわく。『貧しきに罪は無し。弱きに罰は無し。等しく隣人に手を差し伸べ、同じき方角を見据えよ』」

突如として聞こえてきた新たな声に、私たちは一斉に振り返りました。

そこには、帽子を目深に被って赤いマフラーで口元を隠したケイリスくんが立っていました。

すぐそこに馬車が停まっているので、待ち合わせの場所にいない私たちを追いかけてきてくれたのでしょう。

たった今彼が口にした語句は……おそらく教典の一説か何かでしょうか?

早足で人だかりをかき分ける彼は、懐から一枚の金貨を取りだし、ボロボロの男の子に投げてよこしました。

「うちのお嬢様の教育に悪いので、今日のところはこれで収めてくれませんか?」

ケイリスくんがチラリと私へ視線を向けると、その場の全員の視線が私へ集中しました。

すかさず私は、クルセア司教直伝・篭絡四十八手ろうらくしじゅうはって『乱暴しないで……』を発動し、怯えたような表情と仕草で皆さんの同情心をあおります。

地面に横たわったまま目を丸くする男の子と、目を伏せて深々と溜息をつく果物屋のおじさん。

それからおじさんは男の子の手から金貨を引ったくると、金貨一枚分の果物を袋に詰めて、男の子に押し付けました。

「……また同じことをしやがったら、エルフの森に投げ込んでやるからな」

果物を手にした男の子は、しばし呆然とそれを眺めていましたが……すぐによろよろと立ち上がると、足を引きずりながら薄暗い路地裏へと消えていきました。

それを見届けたケイリスくんは、「……行きましょう」と言って早足で馬車に歩み寄ると、馬車の扉を開けてくれます。

彼に続いて私たちが「お、お騒がせしましたぁ~」と逃げるように馬車へ乗り込むと、すぐに馬を走らせるケイリスくん。

……馬車を操るケイリスくんの横顔には、怒りとも悲しみともつかない感情がにじんでいるように見えました。

***

国境の街ノローセを後にした私たちは一路、『商業都市トーレット』のある地方を目指します。

ケイリスくんが言うには、トーレットという街はありとあらゆる商店が集まる、共和国のデパート的存在なのだとか。

商業都市なんて言うと、アーケード通り的なものを想像してしまいますが、実際は商店がたくさんある大きな街のはずです。

トーレットと言えば、ノローセでおばさんがその名を口にしていました。

曰く、「以前はノローセの移民を引き取ってくれていたが、今はエルフ族のせいでそれどころではない」と。

そのことをケイリスくんに伝えてみたところ、彼も馬車を取りに行っている間に情報収集を行っていたらしく、トーレットの事情についてはある程度把握しているみたいでした。

どうやら現在、トーレットは半ば壊滅状態にあるとのこと。

国境都市ノローセ商業都市トーレットの中ほど、ややトーレット寄りの位置には、『エルフの森』というのが広がっているそうです。

位置関係のイメージとしては、三角定規を思い浮かべてもらえば早いでしょうか。三十度の角がノローセ、六十度の角がトーレット、そして九十度の角がエルフの森といった感じです。尚、エルフの森は人族領と魔族領のほぼ中間地点にあるようですね。

そして一、二ヶ月ほど前……森に棲むエルフたちが突然侵攻してきて、トーレットを襲撃したといううわさが流れているのだとか。

それまでのエルフ族というのは人族にも魔族にもくみすることなく、中立の立場を保っていたという話です。

だと言うのに、それが突然人族への攻勢に転じたというのは、誰の目にもおかしなことでした。

人族に近い外見をしているという理由で獣人族が迫害を受けていたということを考えれば、私の知っているエルフ族も同じような境遇なのではないでしょうか?

私のそんな疑問に、しかしレジィは首を横に振りました。

「あいつらは、自称『第三の種族』だからな。私たちは人族でも魔族でもありません、だから争うなら勝手にどうぞ野蛮人共ってスタンスらしいぞ」

……なんかすっごいプライド高そうな人たちですね。めんどくさそうです。

それで大した力もないのであればまだマシなのですが、どうやらエルフ族は高い実力まで備えているようでして……。

レジィによると、エルフ族の多くが分靈体エステリアの持つ特殊能力・開眼シャンテラのような力を備えているのだとか。

つまりレジィみたいな能力者がたくさんいるってことですか? なにそれ怖い。

その上で種族間の結束が異常に固いとくれば、彼らの森を攻め落とすのは困難を極めるでしょう。

対立している種族同士の板挟みにされていながらも独立した立場を保ち続けることができるのは、そういった理由によるものなんですね。

どんな事情があるのか知りませんが……とにかくエルフ族の襲撃を受けたというトーレットは現在、復興のためにてんやわんやだと思われます。

それに下手に突ついてやぶから蛇を出すのも怖いですから、できるだけ関わり合いになりたくありません。

できればトーレットには寄らず、直接次の街へ向かってしまうのが良いでしょう。

……そう思っていたのですが、

「お嬢様。……その、トーレットに寄ってもいいですか?」

御者席で馬車を操っていたケイリスくんが、突然そんなことを言い出したのです。

もしかして何か買い忘れたものや、ノローセでの『両替』みたいな裏テクを使いたいということなのでしょうか?

そう思って訊ねてみると、ケイリスくんは目を逸らして言いよどみながらも、ポツリと答えを漏らしました。

「いえ、そういうわけではないのですが……その、壊滅状態というのがどの程度なのか、見ておきたいんです……」

トーレットの被害状況を確認したい?

まさかケイリスくんに限って、野次馬根性を発揮しているわけではないでしょう。

何かトーレットに思い入れでもあるのでしょうか? 昔ケイリスくんが仕えていた人が、今はトーレットに住んでいるとか……。

何にしても、ケイリスくんがわざわざ寄りたいと言っているのですから、私がそれに反対する理由はありません。

私の仲間かぞくが行きたいと言えば、私は大抵の場所にはついて行ってあげる所存です。

実際、一度は魔族領にあるレジィの故郷にまでついて行って、村に残っていた獣人たちをアルヒー村に移住させる説得を手伝ってあげたこともありますしね。

私は座席の上で立ち上がると、格子窓に張り付くようにしてちょこんと顔を出してケイリスくんに応えます。

「うん、もちろんいいよ!」

わざわざ理由なんて聞かなくても、ケイリスくんに限って妙な理由ではないでしょう。

私が手放しで彼の願いを聞き入れてあげると、彼はやや驚いたような反応を示してから、

「……ありがとうございます、お嬢様」

そう呟いて、ほんのちょっとだけ柔らかい笑みを浮かべたような気がしました。

***

その後は何事もなく馬車を進めていき、やがて迂回のしようもないほど広範に広がる森に差し掛かりました。

ケイリスくんの手にしていた地図によると、〝エルフの森〟と地続きになっている森みたいですね。

とはいえ森には迷いようもないほど明らかな交通路が一本道で通っているため、普通に進んでいればエルフの森になんて近づくこともなく突破できるはずです。

ただ、自然豊かなこの森には動物も数多く存在するようで、獰猛どうもうな肉食獣が徘徊しているとのこと。

それを聞いたときには、襲われやしないものかとかなり心配したものでした。

ノローセに流れ着いた移民が自分たちの足でトーレットを目指さないのは、この危険な森が途中に横たわっているからだと言われているほどなのです。

そして実際、私たちの馬車が通りかかった道沿いに、クマにも似た大型獣が姿を見せたことがありました。

今や大した力もない私は大いにビビっていたのですが、しかしネルヴィアさんが警戒心も露わに剣に手をかけて窓際に移動すると、クマはうなり声を上げながらも足を止めてしまいます。

おお、ボールウルフを戦わずして戦意喪失させたこともあるネルヴィアさんの威圧によって、あちらも迂闊うかつに手は出せないようです。ネルヴィアさんかっこいい!

とか思っていたら、今度はレジィが窓際に寄って鬱陶うっとうしそうに目を細めると、クマは「グッ……」と呻き声を漏らし、一歩後ずさりました。

野生の勘が、レジィの秘めたる実力を感じ取ったのでしょうか。

仮にも獣人族の頂点に立つ者ですからね。獣たちもレジィには逆らえないのでしょう。

この二人がいるおかげで、野獣も手を出してこられないんだなぁ……と思いつつ、せっかくなので私も動物を近くで見てみたくなりました。

そこで私は窓際に寄って、半ば動物園感覚で野獣へと笑顔で手を振ってみます。

すると、

「グオォォオオウッ!?

なんとも情けない悲鳴をあげながら、クマに似た野獣は一目散に逃げ去ってしまいました。なんでだよ!?

野獣にまで逃げられるという稀有けうな経験をしたことによって惨めな気持ちになった私が窓際から離れると、そんな私にネルヴィアさんとレジィがキラキラした尊敬のまなざしを送ってきていました。

いや、今そういうのいらないですから……余計に惨めな気持ちになるだけですから……。

下等な動物共には私の魅力がわからないのだ! という暴論で自分を無理やり納得させた私は、拗ねて座席で不貞寝をしてやります。

ふーんだ! あんなゴツイ生き物、こっちから願い下げですし!

いいもん、私には家族がいるもんね! べーっだ!

***

トーレットへ向かう森の中で簡単な食事を済ませた私たちは、できるだけ木々が少なく見晴らしのいい場所で野営の準備をしていました。

と言っても、食事にしても野営の準備にしてもほとんどはケイリスくんが済ませてくれるため、私を含めた他の三人は、もっぱら周囲の警戒しかしていないのですが。

基本的にネルヴィアさんとレジィは戦闘専門、ケイリスくんがその他すべてを担当という割り振りになってしまっているため、どうにもケイリスくんの負担が大きいような気がするんですよね。せめて私が自由に魔法を使えたなら、いろいろとお手伝いできることもあったのでしょうけど。

ケイリスくん本人は気にしなくていいと言っていますが、しかし他の人にたくさんお仕事があって私だけ楽をしていると、どうにも落ち着かないというか……。

はっ!? いけないいけない! うっかり前世の奴隷時代のくせで……。

しかし彼らは私にとって、ほとんど第二の家族みたいな存在です。できるだけ負担を減らしてあげたいと思うのは、私の社畜根性ではなく親心みたいなものです。

そのため私はみんなに、「わたしにもできることはないかな?」みたいなことを訊いてみたのですが、返ってきた答えは満場一致で『そこにいてくれるだけでいい』というものでした。やだ、この子たち優しい……。

しかしネルヴィアさんとレジィが口にした『そこにいてくれるだけでいい』と、ケイリスくんが口にした『そこにいてくれるだけでいい』では、大きく意味が異なります。

昼間、野獣が私を見て逃げ出したことを鑑みるに、ケイリスくんの意図はおそらく「存在しているだけで獣除けになってくれているよ」って事でしょうね……。

……あるいは「余計な事はしないでくれ」という意味かもしれませんが。

そんなわけで私たちは小さな松明たいまつに火を灯し、夜がけるのを待っていました。

昼間はネルヴィアさんとレジィが馬車の中で代わりばんこに睡眠をとり、夜中はケイリスくんに眠ってもらうというサイクルを組んでいるため、今は全員で起きている時間なのです。

私たち四人だけならまだ元気ですけど、ちゃんと馬も休ませてあげないといけませんからね。

……ところで私やレジィが馬にえさを与えようとすると全然食べてくれないのですが、なんですかこれ。

獣人のレジィはいいですよ? でも私は? WHY?