「ルイさん。明日は冬のしゅくさいですけれど、準備はどうしますか?」

「え? もうそんな時期だっけ」

 父さんの三周忌が無事に終わった頃。ほっと気の抜けた朝を過ごしていたぼくは、ナニーのエミリーさんに言われてはじめて気がついた。

 ソル王国では、冬のなかで最も夜が長いとされる日に、冬の祝祭が行われる。

 この日はリュミネ神の光が失われ、再び蘇る日と言い伝えられていた。つまり、古い年が終わり、新しい年が始まる日とされているのだ。

(いわゆる冬至のことだと思うんだけど……。前世で言うところの、クリスマスとおおみそとお盆をごちゃ混ぜにしたような日なんだよなあ)

 元日本人のぼくからすると少し奇妙に感じるのだけれど、冬の祝祭は飲めや歌えやの賑やかなお祭りではない。むしろ、家族や親戚が家に閉じこもって、静かに過ごす日とされている。

 というのも、祝祭当日は神の光がないのを良いことに、蘇ったアンデッドが町をかっすると言われているからだ。

(まあ、真偽のほどは定かじゃないけど……)

 そんな危険なアンデッドから守ってもらうために、先祖の霊を丁重に家に迎え入れたり、神の光に見立てた暖炉の薪やろうそくを、一晩中燃やし続けなくてはいけない……そうなのだけど、いまではみんなでご馳走を食べて、新しい年を晴れやかに祝う行事になっていた。

(そういえば、ここ数年は父さんのミサの準備や慣れない育児に忙しくて、すっかりお祝いするのを忘れてたなあ)

「でも、エミリーさん。準備っていまからでも間に合うのかな?」

「今日まではどこの広場でも市が開かれているので、急いで買い出しに行けば大丈夫だと思いますよ」

 ぼくの膝に当たり前のように座って、布絵本で遊ぶリュカを見る。

 甘えん坊のリュカも三歳を前にして、昔ほどは手がかからなくなってきた。冬の祝祭は準備が大変なのだけど、いまならできるかもしれない。

(それにやっぱり、リュカには楽しい思い出を残してあげたいし……)

 ぼくは父さんと母さんと冬の祝祭を過ごした思い出があるけれど、リュカにはないのだ。

「……よし。今年の冬の祝祭は、ちゃんとお祝いしよっか」

「まあ、いいですね」

「ふゆのちゅっちゃい?」

 ぼくたちの話が気になるのか、布絵本を放り出したリュカがもぞもぞと動き、ぼくと向かい合わせになって抱きついてくる。

「悪い子は、おばけにぱくっと食べられちゃう日なんだぞ~。こしょこしょ~」

「きゃあ~~~!」

 ぼくがふざけてリュカの脇腹をくすぐると、リュカは甲高い声をあげて身をよじる。かつては、ぼくが父さんにされたことだ。

「りゅー、いーっこ!」

「あはは。そうだね、リュカは良い子だもんね。じゃあ、良い子のリュカは、準備のお手伝いをしてくれるかな~?」

「あ~い」

 ぼくは元気良く右手を挙げたリュカの頭を撫でる。やると決まれば、さっそく買い出しだ。


 その日のうちに、食料はエミリーさん、飾りつけはぼくと分担して、それぞれ買い出しに向かう。

 もっこもこに着込んだリュカはぼくが抱っこ紐で抱っこして、厚手のマントに一緒にくるまった。幼児の高い体温のおかげで、吐く息は白くともぼくは寒さ知らずだ。

「リュカは寒くない? 大丈夫?」

「しゃむくにゃ~い」

 家を出て、歩いて十数分のところにある近所の広場へと向かう。

 広場に着くと、買い物を楽しむ家族連れで大賑わいだった。どことなく、前世のクリスマスマーケットに近い雰囲気だ。祝祭にかこつけて、日が短い冬の貴重な娯楽という側面もあるので、仕方のないことだろう。

 ぼくは時どきすれ違う顔見知りと挨拶を交わしながら、売り物を見ていく。

 食べ物・雑貨・手編みの衣料品・木工品と、様々なものが売られていて心が惹かれるけれど、なにせ買わなくてはいけないものが四つもある。急がないと日が暮れてしまいそうだ。

「モミの木~、モミの木~。モミの木はいかがかね~。背高のっぽから赤ちゃんサイズまで、豊富に取り揃えているよ~」

「あ、モミの木だ」

「もみもみ?」

 リュカの言い間違いに、ぼくはつい吹き出してしまった。モミの木売りのおじさんにも聞こえてしまったのか、笑いを噛み殺している。

「こりゃ、可愛らしいお嬢ちゃんで……いや、坊っちゃんかな?」

「あはは、弟です。この子くらいの大きさのモミの木を、一本ください」

「あいよ~!」

 モミの木は魔除けの力があるとも、冬でも緑の葉をしげらせることから縁起が良いとも言われていて、飾りつけに欠かせないのだ。

 ででんと横倒しで並ぶ木々のなかから、ぼくはリュカの身長と同じくらいの幼木を買う。まずは一つ。

 父さんが生きていた頃は、気張って大きな木を買っていたけれど、持ち運びできないのだから仕方ない。

「まいどあり~! 良い祝祭を!」

「良い祝祭を」

 モミの木を収納ストレージにしまうと、次はヒイラギのリースだ。

 ヒイラギの刺々しい葉には魔除けの力が宿るとされ、玄関の扉に飾る習わしがある。

 農閑期のこの時期、リース作りは王都近くの村々にとって、良い副収入になるらしい。手仕事のリースを背負子しょいこや荷車にたくさん積んで、王都まで売りにくるのが恒例なのだ。

 作り手が多いことから、リースにはリボンが巻きつけられたものや松ぼっくりが飾られたものなど、独自の工夫が凝らされたものがたくさんある。ぼくは目移りしてしまった。

「うう~ん。どれにするか迷うなあ。リュカはどれが良いと思う?」

「うんちょね~、ありぇ!」

 びしっとリュカが指差したのは、特大のどんぐりふくろうたちが止まったかわいらしいリースだ。丁寧に彩色されたふくろうはどれもコミカルな表情をしていて、一つとして同じものがない。

(あれ……。もしかして、ぼくよりもリュカの方が趣味が良かったりする?)

 兄として一抹の不安を覚えながらも、ぼくはリュカが選んだそのリースに決める。これで二つ。

「こんなにちっこいのに、坊主は目が高えなあ! そうだ! おんなじ作り手のもんで、モミの木に吊るす用の飾りもあるんだが、揃いでどうだい!?

「わあ! とりしゃん、かあいい!」

 子どもだけのぼくたちを良いカモ……と思ったかどうかは定かではない。売り子のおじさんがごそごそと荷車から取り出した木箱には、同じどんぐりふくろうの飾りが十個一揃いで入っていた。

 ふくろうたちは松ぼっくりや姫りんごを模した木のボールに乗って、まるでぶらんこを漕いでいるように見える。

(くっ……! このおじさん、商売上手だ……!)

 リュカの反応を見ればわかる。こんなものを見せられたら、買わないわけにはいかない。

「にぃにー……」

「……揃いで買うから、ちょっと負けてください」

「はっはっはっ~! 兄貴は辛えなあ! そんな弟思いの兄ちゃんに免じて、おっちゃんもお勉強しようってもんだ!」

 きっぷの良いおじさんは豪快に笑って、値引いてくれる。それでもやっぱり高くついたけれど、ぼったくりというほどの値段ではなかった。

「はあ……。まだ二つ買うものはあるけれど……。ちょっと疲れちゃったから、奮発して甘いお菓子でも食べよっか。リュカ、母さんやエミリーさんにはしーっ、だよ?」

「! りゅー、しーできりゅ!」

 冬の祝祭は、みんな財布の口が緩む。ぼくだけじゃないはずだ。

 それを狙って、普段は滅多に食べられないはちみつを使った贅沢なお菓子や、はちみつ酒が出店に並ぶ。家に持ち帰って食べるのもよし、食べ歩きするのもよしの名物だ。

 ぼくが幼い頃、『母さんには内緒だからな』と父さんとこっそり食べた焼き菓子の美味しさは、いまでも忘れられない思い出になっている。

「おねえさん。すごく美味しそうな、はちみつケーキだね。一つちょうだい」

「あんらまあ、口のうまい子だねえ! どれ、特別に少しだけ大きなやつを包んであげるよ」

「やった! ありがとう!」

「ありあとー!」

 子ども好きそうなご婦人が売り子をする店は狙い目だ。こんなやりとりだって、市のだいだったりする。

 持参したハンカチに包んでもらったケーキは、手のひらサイズなのにずしりとした重さがあった。焼き菓子特有の香ばしい香りがたまらなくて、ついつい唾を飲んでしまう。

 ぼくは道すがらホットミルクも買うと、広場を囲う石垣に座って、さっそく兄弟仲良くお菓子をかじりはじめた。

「「ん~~~!」」

 疲れた体に甘さが染み渡って、言葉が出ない。

 たっぷり入った木の実のざくざく食感が良い。それに、はちみつのあとに香るほうじゅんなバターと爽やかなジンジャーが、より一層贅沢な気分にさせてくれた。

「にぃに~、おいち~ね~」

 うっとりとほっぺに両手をあてて、一丁前にため息をつくリュカ。幸せそうなその笑顔に、ぼくまで嬉しくなる。

 父さんが生きていたら、きっとリュカにもしてくれたであろうことを、代わりに兄のぼくがしてあげたい。『自分には父親がいなかったから』なんて、引け目を感じる隙がないくらいに。

「にぃに、みりゅく、のみゅ!」

「はい、どうぞ」

 ごくごく、ぷっは~と良い飲みっぷりのリュカの口に生えた、真っ白なおひげを拭いてあげる。

 そうして、しばしの休憩で一息ついたぼくたちは、残り二つ、丸太の薪と蝋燭を求めて、よいしょと重い腰をあげたのだ。


 翌朝。手早く朝ごはんを済ませたら、エミリーさんと手分けして家中を掃除する。これは綺麗に清めた家に先祖の霊を迎え入れるため、という意味らしい。

 そうはいっても、二階建ての家は部屋数がそれなりに多い。どんなに洗浄クリーンを駆使しても到底一日では終わらないので、お昼で切り上げたら、あとはお楽しみの飾りつけだ。

 ぼくはヒイラギのリースを玄関扉の外側に吊るし、モミの木はリビングの暖炉脇に立てる。

「それじゃあ、リュカくん。飾りつけのお手伝い、してくれるかなー?」

「あいっ!」

 大人しく一人遊びをしてくれていたリュカは、待ってましたとばかりにぴょこぴょこと飛び跳ねた。かわいい。

 兄弟仲良く共同作業で、モミの木に飾りを吊るしていく。リュカは踏み台に乗ったり、時にはぼくに抱き抱えられながら、真剣な表情だ。

「とりしゃん、こっちー。おはにゃ、ここ!」

 昨日買ったどんぐりふくろうの飾りだけでは物足りないので、掃除がてらなんにしまい込んでいた飾りもすべて引っ張り出してきた。少しいろせてはいるけれど、どれもまだ使えるものばかりだ。

(懐かしいなあ……。このリボンの飾り、母さんが昔作ってくれたやつだ……)

 端切れのリボンを蝶の形に結んだもの。ひだを寄せて花のように丸めたもの。小さな布ボールに、虫避けの乾燥ハーブを詰めたもの。

 母さんが手ずから作ってくれたこの飾りを木に吊るすのが、幼いぼくと父さんの仕事だったのだ。

 そんな母さんも、いまはどこかに出掛けてしまっている。

「できちゃー!」

 ぼくがこみあげる感傷を振り払って最後の一つを飾りつけると、リュカはきっらきらのお目々で喜んだ。

 たくさんの飾りが吊るされたモミの木は、とても豪華で見栄えが良い。リュカは子リスのように何周も木の周りをくるくる回って、うっとりと眺めている。

「はは。リュカ、まだ終わりじゃないよ。最後の仕上げが残ってるんだ」

 ぼくはおがくずの詰まった木箱から、そっと星の飾りを取り出した。

 枝で組んだ五芒星に麻紐をぐるぐるに巻きつけただけのこの飾りは、亡くなる前の年に、ぼくが父さんにねだって作ってもらったものだ。

『モミの木には星だろう』なんて単純な考えからだったけど、いざ飾ってみれば星一つで何倍も華やかになって、父子おやこ揃って得意げに母さんに披露した記憶がある。

「さあ、リュカ。星さんをかっこよく飾ってあげて」

「あい!」

 星を抱えたリュカを、ぼくが抱き抱える。『よいちょ、よいちょ』とつぶやきながら、リュカはモミの木のてっぺんに星をしっかりとめ込んだ。

「ふぅ~。よち!」

 リュカは額の汗を拭うふりをして、自分の仕事ぶりにご満悦そうに笑う。

 前世のクリスマスツリーみたいに、電飾イルミネーションが光り輝いているわけでも、きらびやかな金色の星でもない。

 けれど、モミの木のてっぺんで瞬く麻の星は、部屋を、ぼくたち兄弟を、優しく照らしてくれているような気がした。


 さすが、冬のなかで最も夜が長い日、というのは伊達ではない。

 正午を告げる教会の鐘がゴーンゴーンと鳴ったなと思ったら、数時間もせずにまた鳴った。今度は、太陽が西に沈み始めたことを告げる鐘だ。

「え? もう日暮れ? いけない、火をつけて回らないと」

 飾りつけが終わり、キッチンでエミリーさんの手伝いをしていたぼくは、慌てて暖炉に大きな丸太の薪を放り込む。

 次に、暖炉の棚・テーブル・窓ぎわと、部屋のあちこちに置かれた巨大な蝋燭に火をつけていった。

 窓の外は早くも薄暗くなりつつあり、人々はみな家路を足早に歩いている。持ち回りで夜警を担う近隣の男衆たちが、松明やランタンを片手に急かす様子もあった。

 蘇ったアンデッドが町を闊歩するのは、完全に日が暮れてから次の太陽が昇るまで。その間は、神の火を灯した家から、決して出てはいけないとされている。

「あ、こら。だめだよ、リュカ。蝋燭の火を消しちゃ。おばけが来ちゃうよ?」

「えへへ~。にぃに、ごめっちゃ~い」

 子どもというのは、どうして蝋燭の火を見ると吹き消したくなるのだろうか。ぼくの後ろをよちよちとついて回っていたリュカが、隠れて蝋燭をふぅーふぅーしていた。

『めっ』とぼくが怒ると、悪戯いたずらがバレたリュカはまさにてへぺろという感じで笑うので、かわいくて怒るに怒れない。

 そうこうしているうちに母さんも帰ってきて、すっかり外は暗くなってしまった。

「みなさん。そろそろお食事ができますよ」

 エミリーさんが、テーブルいっぱいにご馳走を並べていく。

 ポテトグラタン、冬野菜たっぷりのポトフ、根菜とキャベツのマリネ、ハム・ソーセージ・チーズの盛り合わせ、赤ベリーソースを添えたミートボール、木の実やドライフルーツを入れて固く焼きしめたパン……。

 とてもではないけれど、四人では食べきれない量だ。

「チキンも焼き上がりましたよ」

「わあ~~~! しゅごい!」

 さらには、どどーんと丸ごと一羽のローストチキンまで!

 オーブンから取り出したばかりのチキンは、まだ脂がジュージューと音を立てていて、食欲をそそるハーブとガーリックの良い匂いがする。

 リュカはお手々をぱちぱちと叩いて、もう大興奮だ。

「冷めないうちに、食べよっか。……それじゃあ、いただきます」

「「「いただきます(いたっきまちゅっ)」」」

 ぼくは悪戦苦闘しながら、チキンを切り分ける。理由はよくわからないけれど、昔から切り分け作業は家長の役目と決まっているから、らしい。

 その昔、父さんがやっていたのを思い出しながら脚の関節を外し、胴体を切り開く。すると、パリッと香ばしく焼けた皮の下から、しっとりした白い肉と詰め物のりんごや干し葡萄が顔を覗かせた。

「うわ~、美味しそう!」

「にぃに、おにきゅ、くーだしゃい!」

 本来はレディーファーストなのかもしれない。けれど、今夜は無礼講とばかりに、母さんとエミリーさんははちみつ酒で乾杯をしている。水を差すのは良くない。

 なので、お皿を持って待ち構えているリュカに、先に取り分けてあげた。

「んんん~~~。おいちっ!」

 さっそくチキンを口いっぱい頬張ったリュカは、それはもう良い笑顔だ。

 ぼくも骨付きの脚を手で掴んで、豪快にかぶりつく。脂がしたたる肉は口の中でほろほろと解けて、ほのかなりんごの甘みと塩っけがもう最高に堪らなかった。

「にぃに、ぱーちー、たのちいね~」

「そうだね、リュカ」

「まちゃ、はちみちゅけーき、たべりゅ?」

 リュカが無邪気な顔をして、大きな声で言う。それを女性陣が聞きつけてしまった。

「あら、リュカ。はちみつケーキを食べたの?」

「あい! にぃにと、はんぶんこ! おいちかっちゃ!」

「まあ、それはよかったですね。リュカちゃん」

 母さんとエミリーさんには内緒で、はちみつケーキを食べたことがバレてしまった。

 二人ともほほんではいるけれど、目が笑っていない。甘いお菓子の恨みは恐ろしいのだ。

「もう、リュカ~~~。しーっだよって言ったのに……」

「あっ! ないちょ!」

 リュカがはっとして、慌ててちっちゃな手で口を押さえたけれど、後の祭りだ。でも、その仕草がかわいくて、女性陣もぼくもついくすくすと笑い出してしまった。


 ご馳走をたらふく詰め込んだお腹が苦しい。

 お酒で頬をうっすらと赤くした女性陣は、少し前に自室に引き上げていった。ぼくとリュカも、そろそろ子ども部屋に戻ろうとしたのだけど……。

「にぃに、りゅー、ここ、ねんね……」

 もじもじしたリュカが、リビングで寝たいとおねだりしてきた。

 リュカのその気持ちは、ぼくにも少しわかる。

 赤々と燃える暖炉と蝋燭に照らされたリビングは、いつもと違ってとても幻想的な雰囲気なのだ。そんななか、モミの木の下で見る夢は、さぞや気持ちの良いものだろう。

「今日くらいは、まあいっか。じゃあ、にぃにとここでねんねしようか」

「やっちゃー!」

 抱きついてきたリュカを受け止めて、手早く寝支度を済ませる。

 モミの木の下にクッションを敷き詰め、リュカと二人で毛布に包まった。自分の家なのに、なんだか屋内キャンプをしているかのような気分だ。

 部屋には、パチパチと暖炉の薪がぜる音だけが響く。モミの木からは、ヒノキのような木と森の良い香りがした。

 ゆったりと落ち着いた、静かな夜である。

「……にぃに、あちた、ぱーちー?」

「明日は違うよ」

「えええ~~~」

 腕の中で、リュカがひそひそと聞いてくる。よっぽど今日が楽しかったのだろうけど、それにしても気が早い。

「次は、リュカの三歳のお祝いかな」

「いちゅ?」

「ん~、あと十回、ねんねしたくらいかな」

「! たくしゃん、ねんね、しゅる!」

 長く寝れば寝ただけ、早くお祝いの日にでもなると思ったのか、リュカは慌てて目をつむる。もうすぐ三歳の幼児は行動の予測がつかなくて、おもしろかわいい。

「にぃに、とんとん、しちぇ~」

「はいはい」

 苦笑いを噛み殺しながら、リュカのご要望どおりにとんとんする。そのうちに、どうやらぼくも一緒に眠ってしまったらしい。……そうして、ぼくは夢を見たのだ。

 夢なのに『これは夢だ』と奇妙な自覚がある。しかも、不思議と映画でも観ているかのような三人称視点なのだ。

 すやすやと眠るぼくとリュカの枕元に座るのは……父さんだ! けれど、その体は半ば透けていて、生きている存在ではないとわかる。

(父さん……冬の祝祭だから、ぼくたちに会いに来てくれたのかな?)

 優しい眼差しの父さんがぼくたちに手を伸ばした、その時。強風でも吹いたのか、ガタガタッと窓がきしんで、窓ぎわに置いた蝋燭の火がふっと消えてしまった。

(蝋燭、一晩中燃やしておかないといけないのに……)

 火の消えた蝋燭を見た父さんは険しい顔で眉を寄せ、シッシッと手を振る仕草をした。まるで何かを追い払うかのように。

(……? アンデッドでも来てたのかな? なんて、まさかね……)

 気を取り直したのか、父さんは改めてリュカの頭を撫で始める。決して、触れることはできないのに、愛おしくて堪らないという手つきで。

 リュカが生まれる前に、亡くなってしまった父さん。せめて生まれてくる子どもを一目見たいと言っていた、その夢が叶ったのだ。

(甘えん坊の食いしん坊だけど、リュカはすくすくと成長しているよ、父さん)

 しばらくリュカを撫でていた父さんは、次にぼくへと手を伸ばす。

 透き通ったその手がぼくの頭に触れた瞬間、言葉にならない父さんの思いが、一気に押し寄せてくるような気がした。

 ──ルイ、すまない。いくら長男とはいえ、まだ子どものお前を、子どものままでいさせてやれなくて。不甲斐ない父さんと母さんで、本当にすまない。

 ──どうか、愛する息子たちがひもじさに泣くことも、病にあえぐこともなく、温かく幸せに満ちた人生を歩めますように。

(父さん……!)

 ぼくたち兄弟の幸せを願う父さんの心の声に、ぎゅっと胸が締め付けられる。

(リュカはかわいくて仕方ないし、色んな人に助けてもらいながら、なんとか暮らしているよ。だから、そう心配しないで)

 父さんに伝えたい言葉はいくらでもあるのに、実際のぼくは眠っていて、声に出して届けることができない。それがどうしようもないくらい、もどかしかった。

 そうして、ぼくがただ見ているしかないなか、父さんは名残惜しそうに笑うと、すうっと跡形もなく消えてしまったのだ。


 翌朝。冬の朝が明けるのはとても遅い。真夜中と勘違いしてしまうほど空は暗いけれど、新しい朝だ。

 蝋燭の火は夜の間にすべて消えてしまったらしく、かろうじて暖炉の炎だけがかすかにくすぶっている。

「朝、か……」

 爽やかとはほど遠いぼんやりさ加減で、ぼくは目が覚めた。まだ頭にかすみがかかっている気がする。

(なんだかとても優しくて、幸せな夢を見たような……)

 そう思ったぼくは、ふと違和感を感じて頬に手をあてる。

 いつの間に泣いていたのか、ぼくの頬は涙でしっとりと濡れていた。