あるところに、とても強い魔力を持つ魔女がいました。

 その力ゆえに、ふつうの人よりも遥かにながい時を生きてきた魔女ですが、いまではすっかり皺くちゃの老婆です。

 痩せた体に不吉な闇色のローブを纏い、くの字に折れ曲がった腰を杖で支えています。

 魔女の力の源であるその杖は、世界樹の枝から作られていました。頭には、血のように赤いせきが埋め込まれています。

 おもむろに、魔女は杖を三回、大地に打ちつけました。

 すると、あら不思議。ミイラのような魔女の手に、美味しそうなショートケーキが現れたのです。

 むしゃむしゃむしゃ。魔女は生クリームが鼻につくのも構わず、ショートケーキをむさぼります。

「ふんッ。まずくはないねッ」

 三口で食べ切った魔女は、しゃがれた声で減らず口を叩きました。ひねくれ者の魔女は、褒めるということを知りません。

「アァ、物足りないッ。もっともっと、うまい菓子をアタシに寄越しなッ!」

 そう、この魔女。実は大の甘党で、お菓子を食べることだけが生きがいなのです。

 再び魔女が杖を打ちつけると、今度は地響きをとどろかせて大地が盛り上がり、大きなお城になりました。

 さらにもう一度、魔女が杖を打ちつけると、光の輪が城から森・川・山へと広がり、国を丸ごとお菓子に変えてしまったのです。

 こうして、お菓子の国を築いた魔女は城の玉座にどっかり座ると、使い魔のカラスたちが運んでくる菓子を、片っ端から平らげていきました。

「まだだッ。まだ物足りないッ! もっともっと菓子を持ってきなッ!」

 足るを知ることのない強欲な魔女は、際限なく菓子を求めます。むしろ食べれば食べるほど、『これじゃない』という気持ちが増していくのです。

 古今東西、ときに次元の壁を超えて。ぜいを凝らした菓子、美しい見栄えの菓子、花のように雅な菓子があると聞けば、魔女は魔法の力で強引に奪い取ります。

 それでもまったく満足できない魔女は、ある日、思いついてしまいました。

「ふんッ。これはという菓子が見つからないねッ。そうだッ! 良いことを思いついたよッ! アタシが満足する菓子がどこにもないのなら、作らせれば良いんじゃないかッ」

 そうして、魔女は厳しい修行を積んだ菓子職人、門外不出のレシピを知る修道女シスター、菓子作り名人の主婦を次々とさらっては、自分だけのためにお菓子を作らせはじめたのです。


 コンコンコン。パカッ。

 リビングで一人遊びをしていたリュカは、大好きな兄のルイが料理をはじめた音を聞きつけて、キッチンに向かいました。

「にぃに~、おりょうり?」

「そうだよ。ポリーヌさんに教わった、新しいおやつを作るからね。楽しみにしてて」

「おやちゅ! みりゅ~!」

「はいはい。そう言うと思ったよ」

 ルイは慣れた様子でリュカの脇を抱え、踏み台の上に立たせます。そこは料理をするルイの手元がよく見える、リュカ専用の特等席でした。

 リュカが横から覗き込むと、ルイはボウルにほぐした卵黄・人肌のお湯・オイル・はちみつ・小麦粉・すりおろしにんじんを順番に加え、よくかき混ぜています。

 まるで魔法のようなルイのさばきに、リュカはうっとりしました。

 自分のために、ルイが手間暇かけて美味しいおやつを作ってくれているのです。そのことを、リュカは三歳ながらもちゃんと理解していました。

「にぃに、しゅごい!」

「あはは。ありがとう」

 次にルイは別のボウルにメレンゲを泡立てると、何回かに分けて卵黄生地と混ぜ合わせます。

 生地が綺麗なオレンジ色に混ざったら、底の深い両手鍋に流し込み、あとは薪ストーブのオーブンでじっくりと焼くだけです。

「にぃに~、まだぁ?」

「まだ、もうちょっとかかるよ」

 オーブンから漂う甘い匂いに、リュカがそわそわとしながら待つこと、数十分。

 厚手のミトンを手にはめたルイは、ついにオーブンから鍋を取り出しました。

 ほかほかと湯気の立つ、割れ目さえも美味しそうな『にんじんシフォンケーキ』の焼き上がりです。

「わあ、我ながら美味しそう!」

「ごくり……」

 本当は一度冷ました方が美味しいのですが、よだれを垂らしたリュカはこれ以上「待て」が出来そうにありません。

 苦笑したルイはナイフを使して鍋からケーキを外すと、六等分に切り分け、二切れずつお皿に盛り付けました。

 さあ、待ちに待ったおやつの時間です。

「リュカ。お手々を合わせて……。いただきます」

「いたっきまちゅっ!」

「ふうふうして、冷ましてから食べるんだよ」

「あいっ!」

 リュカはちっちゃなお手々で上手にフォークを使い、大きな一口をふうふうして、ぱくり!

「おいちっ!」

 焼きたてのケーキは、格別の美味しさです。リュカは思わずほっぺを押さえました。

 ルイも一口食べると、「はじめてにしては上出来だ」と頷きます。

 雲のようにふわふわで素朴な甘さのケーキは、愛情も栄養も百点満点です。唯一の欠点は、お腹にたまった感じがしないことでしょうか。

 案の定、二切れをぺろりと平らげたリュカは、物足りないと訴えました。

「にぃに~、おかあり……」

「じゃあ、もう一切れだけね」

 残った二切れを兄弟で仲良く分け、見事に完食しました。これで夕飯もしっかり食べられるのだから、育ち盛りの子どもの食欲、恐るべしです。

 大満足のルイとリュカがごそうさまをした、その時。突然、お菓子の国の魔女がどろんと姿を現しました。

!? な、だ、だれ!?

 見るからに不審な人物に、ルイは慌ててリュカを背中に庇います。

「チッ。一足遅かったかいッ」

 そんなルイを意に介さず、魔女は空っぽのお皿を見ると、いまいましそうに吐き捨てました。

 そう、遥か遠くお菓子の国から美味しそうな匂いをぎつけた魔女は、いつものようにお菓子を奪い取ってやろうとやってきたのです。

 けれども、時すでに遅し。お菓子はすべて兄弟の胃の中です。

「ふんッ。こうなったら仕方ないねッ。小僧、あんたをアタシの城に招待しようじゃないかッ。一生アタシのために、菓子を作るんだよッ!」

「はあ!?

「にぃに~! こあい~~~!」

 魔女が杖を床に三回打ちつけると、ただの空間にぽっかりと大きな穴が開きました。穴はものすごい勢いで、ルイとリュカを吸い込みはじめます。

「うわあああ!」

「にぃに~~~!」

 突然の出来事に、二人はろくな抵抗も出来ないまま、穴に吸い込まれてしまいました。

 ぐるぐると世界が回るようななか、ルイの意識は薄くなり……途切れた瞬間、あろうことかリュカの手を離してしまったのです。


 ミントキャンディーの草原で大の字で寝ていたリュカは、ぱちりと目を覚ました。

 かわいいあくびを一つこぼし、子猫が顔を洗うようにくしくし。両手を地面について、「よいちょ」とお尻から起き上がります。

「ほわあ~~~」

 空にははくとうの小鳥が飛び交い、あちこちでロールケーキ馬の群れが草をんでいます。

 リュカの足元をうろちょろしていたチョコレート蟻は、陽の光でとろりと溶けてしまいました。

 食いしん坊の勘、とでも言うのでしょうか。あたりに漂う甘い匂いに、リュカは自分がお菓子に囲まれていることに気がつきました。

「おかち!」

 草に手を伸ばそうとしたリュカは、はっとしてお手々を背中に隠します。

「おやちゅ、おちまい……」

 今日のおやつは、もう食べてしまいました。

 リュカは「これ以上おやつを食べると、夕飯が食べられなくなるから今日はおしまい。また明日ね」と、大好きな兄のルイが言っていたのを思い出したのです。

「にぃに……えみー……」

 ふいに、心細くなったリュカはきょろきょろとあたりを見回します。周囲には誰もいません。

 なんと言ってもリュカはまだ三歳。いつも兄のルイか、ナニーのエミリーのどちらかが必ずそばにいて、一人になったことがありませんでした。

「にぃにー! どこー! ……ひっく、えっく、びええええええん」

 リュカがいくら名前を呼んでも、二人は姿を現しません。

 大好きな兄とはぐれ、世界にひとりぽっち。リュカの胸は、寂しさで張り裂けそうでした。青い瞳から、大粒の涙がぽろぽろとあふれてきます。

 そんなリュカの泣き声を聞きつけて、一頭のロールケーキ馬が近づいてきました。

「ブルルン。おやおや、人の仔が迷子になっているよ。一体全体、どうしたんだい?」

「ぐすん……えっぐ……おうましゃん……」

 リュカは馬にぺろんと涙を舐められ、びっくりして泣き止みました。

「人の仔。お前の群れは、どこに行ってしまったんだい?」

「う? あにょね、にぃに、いにゃいの……」

「ブルルン。ふむふむ、兄を探しているのか。それは困った」

 仔どもは群れの宝です。馬は見るからに幼いリュカを放っておけませんでした。

 馬は魔法の力でしゅるしゅると体を小さくすると、リュカに言います。

「さあ、人の仔。われにまたがりなさい。一緒に兄を探してあげよう」

「おうましゃん……ありあとっ!」

 リュカは「よいちょ」と短いあんよで馬にまたがりました。すると、馬はまた魔法の力を使って、今度は体を元の大きさに戻します。

「人の仔、づなをしっかり握ってなさい。さあ出発だ。ヒヒーン」

「ひひーん!」

 リュカがグミのづなをしっかり握ったことを確認すると、馬はさっそうと走り出しました。

 ロールケーキでできた馬の胴体は、ふんわりふかふかです。リュカのお尻を優しく包み、衝撃をすべて吸収してくれるので、ちっとも揺れません。

「はやーい! しゅごーい!」

「ブルルン。そうだろう、われはとても速いのだ」

 リュカの言葉におだてられた馬は、あっという間に草原を駆け抜けます。

 さらにその先、橋のないソーダ川も何のその。ぴょーんと跳び越えると、キャラメルの森にたどり着きました。

 森のなかの狭い獣道を、馬はゆっくりと進みます。

「さてさて、人の仔の兄はここにいるのかな?」

「にぃに~! どこー?」

 どんなに探し回っても、ルイを見つけることはできません。

 けれど、一つだけ収穫がありました。この森にせいそくするあめ猫を、枝の上に発見したのです。

「もし、猫よ。この仔の兄を見なかったかい?」

「えええ~? 兄~? あーし、ネイルしてたから、わかんにゃ~い」

 猫は舐めて磨いた鋭い爪に、息を吹きかけながら答えます。

「にゃーにゃー、かあいい!」

「あら~ん。あーしの美しさがわかるにゃんて、坊や見る目があるじゃにゃ~い」

 猫は軽い身のこなしで馬の背に飛び降りると、リュカに頭をこすりつけます。

 リュカがちっちゃなお手々で撫で撫ですると、猫の毛はとろけるような極上の手触りでした。

「ごろにゃ~ん。坊や、にゃかにゃかのテ・ク・ニ・ッ・ク、じゃにゃ~い。決めた! あーしも一緒に坊やの兄を探してあげる。お礼は、にゃでにゃでで構わにゃいわ~」

「にゃーにゃー、いっちょ!」

 ご機嫌なリュカと猫を背に乗せ、馬はさらに歩を進めます。やがて、森の奥に練乳の泉を見つけました。

 泉ではマシュマロくまが練乳をすくって、ぺろぺろと味わっています。

「もし、くまよ。この仔の兄を見なかったかい?」

「兄、くま?」

 呼びかけられたくまは、のったりと振り返って首を傾げます。その拍子に、こてんと転がってしまいました。

 むっちりむちむち、わがままボディのくまはもがきますが、いかんせん手足が短いので一人では起き上がれません。

 小さくなった馬から降りたリュカは、「うんしょ、うんしょ」とくまの背中を押してあげました。おかげで、くまは起き上がることができたのです。

「ありがと、くま! お礼に、ボクも一緒に兄を探すくま!」

「やっちゃー!」

 リュカはくまの手を取って、にぱあっと笑います。

「そうくま! ボク、探しものにぴったりの鳥物を知ってるくま!」

 くまはそう言うと、足元に生い茂る抹茶の葉をちぎり、ぴゅ~いと草笛を鳴らしました。

 しばらくすると、くまの影から一羽のカラスが飛び出したのです。

「呼ばれて飛び出てカー、カー、カー。なにか用カア」

「物知りカラスさん。この子の兄の居場所を知っていたら、どうか教えてほしいくま!」

「……カー、カー。この森を抜けたさらに奥。果樹園の一軒家で、それらしいヒトを見かけたことがあるカア」

「さすが、物知りカラスさんくま! ありがとくま!」

「とりしゃん、ありあと!」

 リュカたちは再び馬にまたがり、カラスに別れを告げます。

 そうして、喜び勇んで駆け出した後ろ姿を、カラスは「馬鹿なやつらカア。探す手間が減ったカア」とあざけるように鳴いて見送ったのです。


 リュカたちは森を抜け、ウエハースの道をどんどん先に進みます。

 ブルーハワイの波が打ち寄せる海岸線を歩いた先に、やっと果樹園が見えてきました。

 季節感なんてお構いなし。春夏秋冬の果物が生る果樹の隙間から、赤いお屋根がぴょこんと顔を覗かせています。

「あ! きっとあれに違いないくま!」

 とうとう家の目の前までたどり着くと、リュカはクッキーの扉をノックしました。

「こん、こん、こ~ん。にぃに~、あ~け~て~!」

 扉が開いたらすぐにだっこしてもらう気満々で、リュカは両手をあげて待ち構えます。

 きぃっとかすかな音を立てて扉が開くと……そこには、ルイが立っていました。

「弟よ、よく来たカア。さあ、中に入るカア」

「?? にぃに? だっこ……」

 姿かたちは大好きな兄のルイです。なのに、何かがおかしくてリュカは訳がわかりません。

 ルイはまるでせいこうに作られた等身大のろうにんぎょうのようで、動きもマリオネットみたいにぎくしゃくしています。

 それに、いつまで経っても抱っこをしてくれないのです。

 だんだん悲しくなってきたリュカは短いあんよでだんを踏み、をこねます。そして、ついには地面にごろんと寝転がってしまいました。

「だっこ、ちて~~~! びえええん」

 リュカはこの世の終わりのように泣き叫び、全身でイヤイヤをします。

「ブルルン。なぜ、だっこをしてやらないのだい? 本当に人の仔の兄なのか?」

 馬がそう言うと、ルイはぎくっと動きを止めます。

「まるで、物知りカラスさんみたいなしゃべり方くま! おかしいくま!」

 くまがそう言うと、さらにルイはぎくぎくっと身を震わせたのです。

 そして、猫がふらりと近づいて、くんくんとルイの匂いを嗅ぐと……カッと目を見開き、毛を逆立てて言いました。

「あーし、わかっちゃった! 兄にゃんて嘘っぱち。こいつ、お菓子の人形じゃにゃ~い!」

「カー、カー。バレてしまったら仕方ないカア! お前らは人質カア! 永遠に、この家に閉じ込めてやるカア!」

 そう、このルイ人形。実はあの魔女の使い魔たるカラスが影に潜み、魔法の力で操っていたのです。

 悪事を見破られてしまったカラスが、リュカたちを襲おうとしたその瞬間。猫ご自慢、ナイフのように鋭い爪がしゅぱぱぱっとさくれつしました。

 ……一瞬の空白のあと、人形はれきのごとく崩れ去ってしまったのです。

「あ~ん、もう! つまんにゃいものを、っちゃったじゃにゃ~い!」

 ぷりぷりと猫は怒ります。その隙に、命からがら人形の影から飛び出したカラスは、逃げようとしました。

 けれども、そうは問屋がおろしません。猫は持ち前の動体視力でカラスを捉えると、華麗なジャンプではたき落としたのです。

「ふん! さあ、あーしの爪でミンチにされたくにゃければ、兄の居場所を教えにゃさ~い?」

「そう、くま! 逃がさないくま! 正直に教えるくま!」

「ずる賢いカラスよ。人の仔の兄はどこにいるんだい?」

 喉元に爪を突き立てられたカラスは、ついに観念して白状しました。

「カー、カー。大きなヒトは、魔女様のお菓子の城に連れ去られたカア……」

 三匹は真実を話したことに免じて、カラスを解放してやりました。

 それから、いまだに地面に寝転び、すんすんと鼻をすするリュカに寄り添うと、みんなで必死に慰めたのです。

「坊や、にゃきやみにゃさ~い? お菓子の城に行けば、今度こそ兄に会えるわ~」

「そうくま! みんなで魔女から、とらわれの兄を助けるくま!」

「乗りかかった船さ。われはどこまでも人の仔をのせて走ろう」

「……ぐすん……あいっ」

 体を起こしたリュカは裾で涙を拭き、ついでにちーんと鼻もかみました。そして、きゅっと決意を結んだ唇で、宣言したのです。

「にぃに、たしゅけ、いく! わりゅいまじょ、やっちゅける!」


 時は少し戻って、一方のルイはというと。お菓子の城は玉座の間で、意識を取り戻しました。

 はっと飛び起きて周囲を探しても、リュカの姿が見当たりません。顔から血の気が引いたルイは、魔女に詰め寄りました。

「リュカは……弟はどこ! 無事なの!?

「さあてねッ。無事かどうかは、小僧次第さッ。ほれ、起きたなら、さっさと菓子を作んなッ!」

「くそっ……! ぼくたちを家に帰して!」

「ふんッ。菓子でアタシに『うまい』と言わせることができたら、家に帰してやるよッ」

 ルイは「イーヒッヒッ」と意地悪に笑う魔女を睨みつけ、唇を強く噛み締めます。

 リュカのことがあまりにも心配で、大切な弟を守れなかった自分が不甲斐なくて、うっかり気を抜くと泣いてしまいそうでした。

「リュカを人質に取るなんて……!」

 腹立たしいけれど、いまは魔女の言うことに従うほかないとルイは思いました。

 同時に、大人しく従ったふりをして、いつか絶対にリュカと二人で逃げてやる、とも。

 本当は次元の穴を通り抜ける際に、リュカはルイとはぐれてしまったのですが……そんなこと、ルイは知るよしもありません。

 そうして、ルイは魔女に命じられるがまま、機械的にお菓子を作りはじめたのです。

 お菓子の城のキッチンは、現代日本並みに高性能な設備が完備されていました。

 さらに、隣のパントリーには、ありとあらゆる食材が揃っていたのです。すべて超一流の高級品で、庶民には手の届かないものばかりです。

 見たこともない様々な言語で書かれたレシピ本だって、棚にずらりと並んでいます。

 料理が好きな人間にとっては夢のようなキッチンですが、ルイはちっとも嬉しいとは思いませんでした。

「リュカはどこにいるんだろう……。せめて一目でも無事な姿が見られたら……!」

 お城のあちこちには、くるみ割り人形のようなお菓子の兵隊が、やりを持ってかっしています。

 不審に思われたり、ましてや逃げ出そうとすれば、すぐに見つかって捕えられてしまうことでしょう。

 それでも、ルイはキッチンから玉座へとお菓子を届けるわずかな時間、兵隊たちの目を盗んではリュカを探し続けました。

 何度お菓子を作り、どれだけの時間が流れたことでしょうか。時間の感覚があやふやです。

 ルイのしょうそうが最高潮に達しようとしたその時、お城がにわかに騒がしくなりました。

「……? 何かあったのかな?」

 キッチンから通路を覗くと、兵隊たちが一斉に玉座の間へと向かっています。ルイもその後を追ってみることにしました。

 玉座の間に近づくと、何やら争っている声が聞こえます。

木偶でくの坊のあんたたちにゃんて、あーしの爪の敵じゃにゃいわ~!」

「くらえ、くま! 必殺☆むちむち・アタ~ックくま!」

「人の仔の邪魔をするものは、われに蹴られて砕けてしまえ」

 そう、ルイを助けるために、猫・くま・馬をおともに連れたリュカが、城に乗り込んできたのです!

 猫の爪に切り刻まれ、くまのタックルを喰らい、馬の後ろ脚に蹴られ、玉座を守らんと立ちはだかっていた兵隊は、すべて粉々になってしまいました。

「わりゅいやちゅ、やっちゅけた!」

 おともたちの暴れっぷりを呆然と見ていたルイは、馬の背中に乗って叫んだ小さな子どもが、リュカであることに気がつきます。

「リュカ……!」

 ルイが名前を呼ぶと、リュカも気がつきました。

「にぃに~~~!」

 ルイは無我夢中で馬に走り寄り、リュカをひしと抱きしめます。

 舌足らずの声に、形状記憶のように腕に納まる小さな体。榛色の髪の柔らかさやほんのり香る汗の匂いも。すべてがルイの愛おしい弟、リュカそのものです。

「良かった……! 無事で、本当に良かった……!」

「にぃに、りゅー、たしゅけ……ひっく……きちゃ……びええええええん」

 人質のリュカが、なぜここにいるのか。助けに来たなんて、一体今までどこで何をしていたのか。このおともたちは何なのか。

 たくさんの疑問がルイの頭に浮かびます。けれど、大切な弟を取り戻せた今となっては、さいなことでした。

 ルイとリュカを囲んで、猫・くま・馬が兄弟の再会を喜びますが……一人、空気を読まないものがおりました。

「よくも……アタシの兵隊を倒してくれたねッ……!」

 杖をドン! とついてゆうのように立ち上がった魔女は、歯を剥き出しにして怒り心頭です。

 おともたちがルイとリュカを庇うかのように、魔女に立ち向かいます。

 やるかやられるか。一触即発のその時、「ぐう~~~」とリュカの腹の虫が大きく鳴り響きました。

「にぃに~。りゅー、おにゃか、しゅいた……」

「リュカ……こんな時に……」

「……ちッ。きょうめじゃないかッ。小僧、さっさと菓子を持って来なッ! さもないと……どうなるかわかってるねッ!」

 気が削がれたらしい魔女は玉座に座ると、イライラと貧乏ゆすりをしはじめました。

 戦いを免れたルイはほっと胸を撫で下ろしましたが、それも魔女の機嫌次第です。

 今から菓子を作るのは時間がかかるうえ、この様子では魔女は待ってくれないでしょう。

 それに、お腹を空かせたリュカに、一刻も早く食べさせてあげたい。そう考えたルイは、収納ストレージにストックしていた料理を出すことにしました。

「作り置きだけど、ひとまずガレットのラップサンドをどうぞ」

「ふんッ。こんなシケた菓子をアタシに食べさせようなんて、小僧、良い度胸じゃないかッ」

 ルイは文句を半ば無視して、魔女にはりんごのガレットを。リュカと大活躍したおともたちには、鶏肉と野菜たっぷりのガレットを手渡します。

 手を汚さずに食べられるガレットのラップサンドは、具材次第でおやつにも主食にもなる万能料理なのです。

 ルイはたくさん作っておいて良かったと、しみじみ思いました。

「いたっきまちゅっ!」

 ルイがあかじゅうたんに広げたラグに、リュカとおともたちが座ります。そして、仲良くガレットにかじりつきました。

 こっそり魔女の様子をうかがうと、魔女も一つ二つ三つ……とガレットを頬張っています。

 庶民的な食材で作られたガレットは、高級食材に慣れた魔女が到底満足する味ではないだろうと、ルイは思ったのですが……。

「アァ、そうかッ。そうだったのかッ。どうりで、物足りないわけだよッ……」

 黙々とガレットを食べていた魔女が、ぽつりと呟きました。その白く濁った瞳から、つうと一筋の涙が流れます。

 ──さあ、ガレットが焼けたわよ。温かいうちにお食べなさい。

 ──えええ~。また、りんごのガレット? ねえ、ママン。あたし、たまにはほかのおかしがたべたいわ。

 魔女の脳裏に、懐かしい記憶が蘇ります。

 途方もないほどのながき時を生きる魔女だって、無から生まれたわけではありません。遠い昔には、家族と呼べる存在だっていたのです。

 もう今はない魔女の生まれ故郷は、小麦が育たない痩せた土地でした。日々の食事は蕎麦やライ麦といった雑穀ばかり。

 代わりにりんごだけはたくさん採れたので、ママン定番のお菓子といえば『りんごのガレット』だったのです。

「懐かしい……ママンの味だッ。そうだッ、こんな味だったねッ……」

 途方もない時の流れのなかで、大切な家族の声を忘れ、顔を忘れ、思い出を忘れ……そして、『もう一度、ママンのお菓子が食べたい』という願いさえも、魔女は忘れてしまっていたことを思い出したのです。

「貧乏ったらしくて、地味で、素材の味そのものなのに……なんで、こんなにうまいんだろうねッ……」

「! いま、うまいって……!」

 魔女の口から漏れた言葉に、ルイは驚きます。

 すっかりガレットを食べ切った魔女は、どこか満たされたような穏やかな表情で言いました。

「ふんッ。小僧を死ぬほどこき使ってやりたいが……約束は約束だからねッ」

「じゃあ、本当にぼくたちを家に帰してくれるんだね!?

「アァ、魔女に二言はないよッ」

 ぷいっとそっぽを向いた魔女が杖を三回床に打ちつけると、ルイの目の前に人ひとりが入れるほどの穴が現れました。向こう側に、懐かしい我が家のリビングが見えます。

「坊や、良かったじゃにゃ~い」

「おちびちゃん、元気でくま!」

「人の仔よ、達者で暮らすのだぞ」

「にゃーにゃー、くましゃん、おうましゃん、ありあと!」

 リュカは猫・くま・馬を一匹ずつ撫で撫でぎゅっ! として、お別れを済ませました。

「みんな、リュカに優しくしてくれて、本当にありがとうね」

 ルイはリュカを抱っこします。はぐれないようにと、収納ストレージから取り出しただっこ紐でしっかりと括りました。そして、魔女の顔を見つめます。

 理不尽な魔女に対して怒る気持ちは、もちろんあります。

 けれど、母の味を恋しがって泣く魔女の姿に、ルイは思うところがないわけでもありませんでした。ルイだって、前世の味を恋しがったことが何度もあるのですから。

「……ぼく、食べたいものは、自分で作れば良いと思うよ」

「ハンッ! この偉大な魔女のアタシに向かって、舐めた口だねッ」

 思いもよらなかったルイの言葉に、きょをつかれた魔女は憎まれ口を叩きます。その様子に少しりゅういんが下がったルイは、えいやと穴に飛び込みました。


「うーん、うーん」

 岩に押し潰されているかのような息苦しさを感じて、ルイは目が覚めました。

 それもそのはずです。リュカがルイの胸の上で、すぴすぴと鼻を鳴らして眠っているのですから。

「あれ……なんでぼく、だっこ紐なんてつけてるんだろう……?」

 つけた覚えのないだっこ紐に、ルイは首を傾げました。それに、なんだかとても不思議で、長い夢を見ていたような気分なのです。

 ぐるっとリビングを見渡しますが、見慣れた我が家に何もおかしなところはありません。

 けれど、ルイはなぜか「帰ってこられて良かった」と、心から思ったのです。


 とある森に、老婆が人目を忍ぶかのように住んでいました。

 老婆の家からは、頻繁にりんごの甘酸っぱい香りと生地を焼く香ばしい匂いが漂ってきます。

 近くに住む村人たちは、恐ろしい見た目の老婆を気味悪がって近づこうとしません。ですが、怖いもの知らずの悪ガキというのは、どこにでもいるものです。

「ババア! 遊びにきてやったぜ!」

「ちッ。何度言えばわかるんだいッ。うちは子どもの遊び場じゃないんだよッ。……ったく、親の顔が見たいもんだねッ」

 甘いお菓子の匂いに誘われた悪ガキが訪ねてくると、老婆はぶつくさと悪態を吐きながらも、素朴なりんごのガレットを振る舞ってくれるのだとか……。