はじめまして

 メロディアと一緒に旅をするようになって、一週間ほどが経った。今のところ、順調に旅を続けられている。すっかり緑の濃い季節に様変わりした。

「めろちゃん、おてて、たっちー!」

「ククー!」

「いいこ~、いいこ~。ちゅぎー、おしゅわりっ」

「クククーン」

「めろちゃん、しゅっごーい!」

 お昼を食べ終わってのんびり日向ぼっこをしている間に、舌足らずのリュカがメロディアに芸を仕込んでいた。ちなみに、監督・監修は僕だ。

 三歳児と小動物の赤ちゃんがわちゃわちゃとじゃれあっている様子は、とてもかわいい。

 大人たちなんて、揃いも揃って強面な顔がデレデレと笑み崩れている。

(まさか本当にできるようになるとは、思ってなかったなあ)

 しつけとふれあいの一環で芸を教え始めたところ、赤ちゃんながらも賢いメロディアは、あっという間にタッチとお座りができるようになってしまった。

 ……ただし、リュカが言ったら、だ。僕が同じことを言っても、メロディアは無視する。

 メロディアがリュカの言うことを聞くのも芸を覚えたのも、おそらくリュカに才能があるからこそなんだろう。

(ほんと、リュカの才能はすごい)

 メロディアがお腹を空かせている・のどが渇いている・眠たいといったことを、リュカが一生懸命教えてくれるので、思いの外なんとかなっている。

 餌やりと水分補給は馬車を止めて行い、トイレは馬車に固定したケージ内のスライムゼリーでするようにしつけた。その都度、全力で洗浄クリーンだ。

 運動は、僕たちの休憩時間に合わせて水遊びや紐遊びをする。ひまがあれば、こうして芸も仕込んだ。

 なかでも、泳ぎが得意なミンクリスらしく、一日一回は水遊びをせがまれるのが恒例だった。二本脚で立ち、うるうるお目々で僕を見上げて「クククー」と鳴くのはずるいと思う。

(僕の言うことはちっとも聞かないのに、こういう時だけはちゃっかりしてるんだから)

 深めの大鍋に水生成ウォーター発熱ヒートでぬるい温水を張ってあげると、メロディアはみず飛沫しぶきをあげて泳ぎだした。

「めろちゃん、おみじゅ、どじょー」

「クククー!」

 リュカも途中の村で買い求めた子ども用のじょうろで、メロディアに水をかけてあげている。一緒に遊んでいるうちに、服をびしょびしょに濡らすまでが、もはやお約束だった。

 そして、気の済むまで水遊びをしたら、馬車に戻ってメロディアはハンモックでお昼寝に勤しむ。

 頭上でゆらんゆらんと揺られながら、ヘソ天状態で気持ちよく爆睡しているその姿に、僕もドニも苦笑してしまった。

 くつろいでくれている分には問題ないのだけど、まるきり野生を忘れてしまったかのようだ。

(ミンクリスって、ヘソ天になるんだね……)

 膝で眠るリュカの頭を撫でる。一人と一匹の健やかな寝息を聞いているうちに、僕たちは国境を超え、ついにアグリ国内へと入った。


 気がつけば、旅はもう終盤だ。

 アグリ国に入ってから、目に見えて自然が多くなった。さらには渓谷・川・湖が多く水が豊富なためか、空気も澄んでいるような気がする。

 故郷であるソル王国は年中乾燥していて砂っぽかったので、僕にとってアグリ国は過ごしやすかった。

 そんな環境の違いに、体が慣れてきた頃。僕は喉に違和感を覚えるようになった。なんだかいがらっぽくて、時どき声が掠れてしまうのだ。

(風邪でも引いたかな?)

 でも、痛いわけではないし、咳もでない。ひとまず水筒から水を飲んで、喉を潤す。

「にぃに、おうた、うたって~」

「ククク~」

 肩にメロディアを乗せたリュカが、僕の服を引っ張っておねだりしてくる。

 ふとしたいたずら心で「メロディアはふわふわでかわいい、栗色でまんまるだ」と歌ってみたところ、リュカがものすごく気に入ってしまった。

 要は、前世の有名な童謡の替え歌だ。

 それからことあるごとにせがまれて、もう何十回歌ったかわからない。

 僕が歌うのに合わせて、リュカも元気いっぱいに歌う。しかもメロディアまで鳴くので、馬車はとても賑やかだった。

「にぃに! もっかい!」

「えー、しょうがないなあ~、めー……こほんっ」

「う? にぃに、だいどーぶ?」

「あーあー。こえが……」

 無理に声を出そうとすると、裏返ったりガラガラ声になってしまってうまく話せない。

 正面に座っているドニが、心配そうに眉を寄せて僕のおでこに手を当てた。その手があまりにも大きすぎて、僕の目が半分隠れてしまう。

「ルイ坊ちゃん、ちょいとおでこを失礼して……。熱はないですな。喉に痛みはありやすか?」

「(ふるふる)」

「うーん。こりゃあ、坊ちゃんの歳からすると、声変わりかと思いやす。ガキの頃、俺もそんな感じでしたぜ。しばらくは、無理に喋らない方が良いでさあ」

「(こくこく)」

(なるほど、声変わりかあ。言われてみると、この感じは確かにそうかも)

「にぃに、おかぜ?」

「(ふるふる)」

「リュカ坊ちゃん。ルイ坊ちゃんは風邪ではないですが、しばらくは歌えませんで。代わりに、せんえつながらこのドニが歌いやしょう」

 そう言って、意外にもドニが歌い出した。ちょっとダミ声だけど、低い歌声の響きは悪くない。

 僕はリュカと一緒に手拍子を取る。そのうち声変わりも終わるだろうと、この時は楽観的に考えていた。けれど……。

 その日の夜、僕たちはスールート村に泊まることになった。ヴァレーの手前にある村のなかでは、一番大きな村だ。

 スールート村はごく小規模ながらも市が立つので、旅商人や近隣の村々から人が集まって、それなりに栄えているらしい。おかげで、久しぶりに小屋ではなく、ちゃんとした宿屋に泊まることができた。

 日もどっぷりと暮れ、さあそろそろ寝ようという頃。リュカと揃ってベッドに横になった僕は、体に違和感を覚えた。なんだか足全体、特に膝がズキズキと痛むのだ。

(我慢できないほどの痛みではないけれど、動いたり寝返ったりすると響く……)

 リュカを起こさないようにそろりそろりと何度も寝返りを打ち、まんじりともしない夜を過ごした僕は、翌朝、見事に寝坊してしまった。

「にぃにー。おっきちて~! あしゃにゃの!」

「クク!」

 ぷんぷんと怒っているリュカとメロディアに、ぺちぺちと頬を叩かれて目が覚める。痛みは何事もなかったかのように引いていた。

 さすがに不思議に思って、自分を鑑定してみる。万が一、何かの病気だったらいやだ。

「鑑定」


【名前】ルイ・ヴァレー

【年齢】十四歳

【性別】男

【スキル】計算・鑑定・生活魔法

【賞罰】なし

【状態】健康(寝不足/成長期)


「ねえ、ドニ。僕、状態は健康だけど、寝不足・成長期なんだって」

「十中八九、成長痛かと思いやすがね。あまりにも痛むようなら、旅の治療師に診てもらいやしょうか? ちょうどこの村に滞在しているそうなんでさあ」

 ドニの提案は嬉しいけれど、治療師に診てもらうのだって安くはない。このくらいの痛みで、と気がとがめた。

「そんなに強い痛みでもなかったし、もう痛くないから、ひとまずは良いかな」

「へえ。なら、しばらくこの村に滞在しやしょうか。ヴァレーまではもう数日ですが、この先は小さな集落しかありやせん。また痛みが出た時のために、治療師がいるこの村にいた方が良いかと」

「そうだね。ちょっと寝不足でしんどいし、二~三日この村でゆっくりしようか」

 なんて話をドニとしていた、その日の夜。

(体の下半分が痛くて、寝れない……! 特に膝! めちゃくちゃ痛い!)

 少しでも身じろぐと、昨夜よりもさらに強い痛みにうめいてしまう。体中にじーんと響き、関節の内側が爆発するような感覚だ。

 あまりの痛さに、僕は生理的に涙がでてきてしまった。

(成長痛って、こんなに痛いものだっけ!?

 前世でもこんなに痛くはなかったはずだ。それとも、世界や人種が違うからだろうか?

 僕はどうにも我慢ができず、なんとか身を起こした。

 そして、万歳姿で寝ているリュカを起こさないように注意しつつ、申し訳ないけれど隣のベッドのドニを叩き起こす。

「ふわぁ~あ。……ルイ坊ちゃん、こんな時間にどうしたんですかい」

「どうしても成長痛が痛くて、寝れないんだよ……」

「この時間に治療師に診てもらうのは難しいですぜ。朝一にはお連れしますんで」

 こんなことなら、日中、治療師に診てもらえば良かった。

 前世を含めるとだいぶ大人な年齢のはずの僕ではあるけれど、さすがに本気で泣きそうだ。

「……仕方ねえ、ちょっくらうつ伏せになってくだせぇ」

 そんな僕を見るに見かねて、ドニが自警団仕込みのストレッチとマッサージをしてくれる。

 普段の僕なら、何が嬉しくておっさんに体を触られなきゃいけないのかと、断固拒否するところだ。だけど、いまはわらにもすがる思いだった。

 ぐっぐっぐっと、肩・背中・手・足と順に指圧される。

 最初はうめくほど痛くて仕方がなかった。けれど、ちょうど良い力加減と関節や筋肉が痛気持ちよく伸びる感覚に、ほっと体のこわばりが解けていく。

(気持ち良い~)

 痛みが軽くなると、体もぽかぽかと温まってくる。僕はゆっくりと夢の中に落ちていった──


 翌朝になると、少し違和感があるくらいで痛みは感じなかった。でも、念の為、ドニが治療師を宿に連れてきてくれる。

 やってきた旅の治療師は、痩せ型の丸メガネをかけた男性だった。三十代後半くらいだろうか。

 僕はさっそく、問診と触診を受ける。

「ふむ。成長痛のようだけど、潜在的な病気の可能性もあるので、一応検査スキャンしましょうか」

「はい。お願いします」

「では。検査スキャン

 僕の体にかざされた治療師の手が、ふわっと光る。触れるか触れないかぎりぎりの距離をあちこち移動して、病気がないかを検査しているようだ。

(何度見てもスキルで病気を探せるとか、ファンタジー……)

 僕がその様子をぼんやりと見ていると、すぐに検査は終わった。

「……ふむ。病気や炎症は見当たりません。成長痛ですね」

「やっぱり……」

「湿布を数日分、お渡ししましょう。痛みを鎮める薬や寝つきを良くする薬もありますが、副作用もあるので、あまりおすすめはしません」

「どのくらい、痛みは続きますか?」

「個人差はありますが、数日で治ると思います。可能なら、しばらくこの村に滞在された方が良いでしょう。私もそのくらいまではこの村におりますので。数日経っても、もし痛みが治らないようなら、また診せてください」

 あえなく、この村にしばらく足止めされることが決定してしまった。

(身長を伸ばしたくて、毎日ミルクを飲んでたからだろうけど、何もいま成長期が来なくても……! ヴァレーまでもう近いのに……!)

 じりじりと焦れながら、痛みが治るのを待つ。とにかく眠くて仕方なくて、僕は一日中寝て過ごした。……いつの間にか懐に潜り込んでいた、リュカとメロディアと一緒に。

 体の節々が痛む夜は、ドニにマッサージをしてもらう。さらに、湿布を貼ったり、足場で体を温めた。

 思いがけずにやってきた成長痛は丸三日も続き、四日目にしてやっと痛まなくなったのだ。

「ん~~~、爽快!」

「にぃに、だいじょぶ?」

「ククク~?」

「もう大丈夫みたい」

 僕はベッドから上半身を起こして、ぐーっと伸びをする。心配そうに僕を覗き込むリュカとメロディアを、順に撫でた。昨夜は久しぶりに痛みを感じずに眠れたので、体が軽い。

「油断は禁物ですぜ、ルイ坊ちゃん。もう何日か様子を見て、ぶり返さなければ出発しやしょう」

「わかったよ、ドニ」

 その後、大人しく二日ほど様子を見たけれど、問題ないみたいだ。宿でごろごろするのはとっくのとうに飽きた。なので、早々に出発することを決める。

(いよいよ、あと少しでヴァレーだ)

 そうして、期待と緊張を胸に、僕たちはほぼ一週間ぶりに旅を再開したのだった。


 街道をはずれ、ヴァレーへと続く山道を進む。次第に、標高はゆるやかに高くなった。

 途中、宿なんてない小さな集落で小屋を借りる。みんなで残り少ない晩を過ごした。

 ド田舎、なんて言葉が生優しい場所だ。夜になれば自分の手すら見えない闇に覆われてしまう。なので、何をやるにも難儀する。

 けれど、一つだけ良いことがあった。星がとても綺麗なのだ。

 この星を見ないのはもったいないと、夕飯を野外でとることに。焚き火を囲んで、肉や野菜を串に刺して焼いたり、収納ストレージに眠っている残り少ないストックを食べる。春になって暖かくなったからこそ、できることだ。

「にぃに~。りゅー、ペッコンたべちゃい!」

「はいはい。ベーコンね。これが焼けてるから、どうぞ。あとは、かぼちゃと玉ねぎも。野菜もちゃ~んと食べるんだよ」

「あい!」

 ゆらゆらと燃える焚き火でじっくり焼くと、肉も野菜も特別美味しく感じられる。これぞ旅の醍醐味だろう。

 お腹いっぱい食べた。いまだお酒を飲んでいる大人たちは放ってく。僕とリュカは草っ原に適当な布を敷き、ごろんと横になった。

 ため息が出るほど美しい、満天の星がきらめく夜空だ。

「すっごい……」

「にぃに~、きりゃきりゃっ」

「ククククッ」

 ほのかに顔を炎に照らされたリュカが、夜空を指さして不思議そうにしている。リュカのお腹に仰向けで抱き抱えられているメロディアも、心なしかうっとりしているようだ。

「あれはね、お星様だよ」

「ほちしゃん!」

 あの輝く星の名前も、天の川のように見える光の帯の正体も、僕にはわからない。というか、そもそも「星」なのかすら疑問ではある。

(でも、綺麗なものは綺麗だ)

 さんざめく光を遮るものは何もなく、空気も澄んでいるから余計に綺麗に見える。

 じっと目をこらすと、強く弱く、青白黄と色とりどりに瞬く星は、手を伸ばせば掴めそうだ。

(そういえば、人は死んだら星に生まれ変わるんだっけ?)

 僕はふと、そんなことを思い出す。前世では口に出すのも恥ずかしい、ロマンチックな考えだと思っていた。けれど、魔法のあるこの世界ならあり得るかもしれない。

「父さんもお星様になって、僕たちを見守ってくれてるのかな」

「う?」

「……ううん。なんでもないよ、リュカ。お星様、綺麗だね」

 父さんは星になっていようといなかろうと、きっと僕たちを見守ってくれているはず。

 僕がそう思った瞬間。すぅーっと一筋の流れ星が、夜空を切り裂くように降った。

「おおお! 流れ星だ!」

「ほわ~~~。ほちしゃん、おっこちた!」

「ククク!」

 一瞬の出来事だったけれど、リュカとメロディアもしっかりと見られたようだ。目も口もぽかんと開けて、夜空に魅入っている。

「あのね、リュカ。流れ星に願い事をすると、願いが叶うんだって。リュカは、何をお願いする?」

「ん~~~。おいちい、ごあん!」

「ぷっ。あははは。リュカは食いしん坊だな~」

 三歳児らしいリュカのかわいい願い事に、僕は吹き出してしまう。そこまで願うからには、この先もずっとリュカには美味しいご飯を食べさせてあげたい。

「あちょね~。にぃにと、じゅーっとじゅーっと、いっちょ!」

「クククー!」

「あ、めろちゃんも! いっちょ!」

 抗議するかのように声をあげたメロディアに、リュカは願い事を言い直す。その間にも、一つ二つと星が流れていった。

 リュカの願い事に胸を打たれて、僕の目にはほんの少し涙がにじむ。

「……うん。そうだね。ずっと一緒だ」

 星を映してきらきら光るリュカの瞳に、僕は笑いかける。淡い輪郭のぷくぷくほっぺを撫でると、無邪気に声をあげるリュカがたまらなく愛おしかった。

 願い事は一つだけと言うけれど、それだけじゃ足りない。リュカがすくすくと大きくなりますように。毎日、笑顔でいられますように。兄弟二人、穏やかに暮らせますように。……願い事を数えれば、キリがなかった。

 ぽつりぽつりと長く尾を引くように降る流星群に、僕は願いを込める。

 一つも見逃すものかと、僕はしばらく黙って天体観測と洒落込んでいた。けれど、すぴーすぴーと二つの安らかな寝息が聞こえてきて、僕の感傷的な気分なんて吹き飛んでしまう。

「……良い子は寝る時間、だもんね。ゆっくりおやすみ。リュカ、メロディア」

 収納ストレージから取り出した毛布を、そっとかけてあげる。そんな僕たちを、星は静かに見守ってくれているようだった。


 数日かけて、山間に点在する小さな集落をいくつか経由する。そして、今朝、いよいよ僕たちはヴァレー一歩手前の集落を旅立った。

 すでにチボーは一人だけ、夜も明けぬ早朝に出発している。単騎で先行して、先ぶれを出すとのことだ。

(もうお昼か……。僕たちが今日到着するってことを、おじいちゃんとおばあちゃんはそろそろ知る頃かな?)

 緊張で、そわそわとお尻が落ち着かない。そんな僕とは裏腹に、馬車はぐんと速さを上げると、助走をつけてゆるやかな山道を登っていった。

「坊ちゃん方、そろそろヴァレーが見えてきますぜ」

「! やっと、か……。長かったような、短かったような……」

 山道を登りきった先の小高い丘で、馬車を止めてもらう。僕は一人馬車を降りると、丘から町を一望した。

(あの町が、ヴァレー。父さんのふるさと……)

 ヴァレーは左右を山に囲まれた、小さな町だ。

 どちらの山にも、斜面に段々畑がびっしりと並ぶ。美しい緑の横しま模様だ。きっとあれが葡萄畑なのだろう。農作業をしているらしき人々が、小さく見えた。

 さらに町の奥には、真っ白な雪を纏った白の山脈が連なっている。

(空がどこまでも高い……。良い眺めだなあ……)

 白の山脈から吹き降ろしているのだろう。春にしては冷たい風が、ひゅうひゅうと僕の髪をかき乱した。

 僕は大切に収納ストレージにしまっていた父さんの骨壷を取り出して、そっと胸に抱く。

 父さんが生まれ育ったこの素晴らしい景色を、帰りたいと焦がれていた故郷を、どうしても見せてあげたかったのだ。

(父さん、見てるかな。やっとヴァレーに帰ってこられたよ……)

 しばらく静かに町を眺めたあと、僕はきびすを返す。

 馬車に乗り込むと、再び走り出した。町へと向かって坂を下りはじめる。……のだけど、どうにも様子がおかしい。

 ガタガタと馬車が激しく揺れる。何かがきしむような音が、だんだんと大きくなった。

「わあああ!」

「にぃに~! こあい~~~!」

「クックック~!」

「坊ちゃん方、口を閉じて、しっかり掴まっててくだせぇ!」

 僕はお腹にリュカとメロディアを庇いながら、天井からぶら下がったストラップを必死で握る。口を開くと、舌を噛んでしまいそうだ。

 足を踏ん張り、お尻を強く打ちつける衝撃に耐える。しばらくして、やっと馬車は止まってくれた。

「お二人とも大丈夫ですかい? ひとまず、馬車から出やしょう」

「う、うん。ひどい目にあった……」

「びええええええん」

「クク~ン」

 先に馬車から降りたドニに、リュカとメロディアを手渡す。続いて僕も力の入らない足をなんとか動かして、よろよろと馬車を降りた。

 そのまま地面にへたり込みながら、大泣きしているリュカをあやす。幸い誰にも怪我はないようで、どっと安心感が押し寄せた。

「おい、ブノワ! 何があった!」

「……隊長。車軸、亀裂」

 ブノワは馬たちを落ち着かせたあと、馬車の車輪周りをつぶさに確かめる。すると、後輪に異変を見つけたのか、難しい顔をしながら首を振って、そう告げた。

「ちっ。ついてねえ。ヴァレーはもう目と鼻の先だっていうのに……」

「ええっと、つまり馬車はもう使えないってこと?」

「へえ。車軸が本格的に折れちまうと、横転する可能性がありやす。危機一髪でしたぜ」

 想像以上に危ない状況だったことに、肝が冷える。本当に、何事もなくて良かった。

「こうなれば、馬車はここに置いて行くしかないでさあ。あとで誰か人を遣って回収させやす。ルイ坊ちゃんは、歩けそうですかい?」

 僕はまだ少し震える足で立ち、屈伸や伸脚をする。極度の緊張で固まってしまった体がゆるんだ。これなら、町まで歩いて行ける気がする。

「うん。大丈夫そう」

「良かったですぜ。さあ、リュカ坊ちゃんは俺が抱えていきやしょう」

「やぁー! にぃに!」

「ちょっ……! 首が、締まる……!」

 僕たちがすったもんだしている間に、ブノワがテキパキと馬たちを馬車から外して、馬具を取りつける。どうやら、二頭の馬はこのまま一緒に引いていくようだ。荷物のほとんどは収納ストレージに入っているので、荷支度もそう時間はかからない。

 結局、僕は意地でも離すもんかとしがみつくリュカとメロディアを仕方なく背負って、ヴァレーの町へと歩き出した。


 ヴァレーの町に続くこの道は、人通りも馬車通りも少ないのどかな田舎道だ。脇に生い茂る芝生や雑草が、そよそよと風にそよぐ。遠くには、放牧されているらしき動物の姿も見えた。羊かヤギかは、豆粒ほどの大きさなので判別がつかない。

 日差しの気持ち良さに目を細めると、遠くの葡萄畑で農作業をしていた人たちが、「おーい」と大きく手を振ってくれる。

(もしかして、僕たちのことが知られているのかな?)

 余所者扱いされたらどうしようと、不安に思っていた。それだけに、歓迎しているかのような素ぶりが嬉しくて、僕も大きく手を振り返す。

 町に近づくにつれて、ぽつぽつと家が多くなる。道も土から石畳へと変わった。いよいよ町中に入ると、広い通り沿いには古い石造りの建物が立ち並ぶ。人通りも格段に増えた。

「あら~。ドニじゃない! やっと帰ってきたのね」

「おう。ただいま帰ったぜ」

 さすがに、ドニは自警団団長なだけあって顔が広いのだろう。活気が増してくると、年配のご婦人を中心にあちこちから声がかかる。

 やけにすれ違う人が女性ばかりだなと思ったら、この通りは衣料品店が多く集まるファブリック通りなのだそうだ。帽子・靴・布地・レース・染料といった、華やかでカラフルなお店が目につく。

 薄茶色のひなびた石壁につたが這い、真っ赤な薔薇があちこちで綻び始めている。風情ある美しい古都といった雰囲気だった。

「ヴァレーって、すっごく綺麗な町並みだね……」

「そうでしょう。春のヴァレーは特に花が多くて、そりゃあ目にも楽しいんですぜ」

 ドニがニカっと歯をみせて笑い、自慢気に言う。それが嫌味ではないくらい、ヴァレーの町は心魅かれるところが多かった。僕はきょろきょろと右に左に大忙しだ。

「……にぃに~。りゅー、ありゅく!」

「クククー!」

 賑やかな町の雰囲気に、リュカの気分も上向いたのだろう。背中から下ろすと、よちよちと歩き出した。

「あら、かわいらしい坊やね~」

「こんちゃっ!」

 ご婦人方がリュカに手を振ると、リュカも小さなお手々をふりふりと振り返す。

 途端に「きゃあー!」と上がった歓声を聞くに、リュカのかわいさはご婦人方をめろめろにしてしまったようだ。

「ドニ、その子たちはヴァレー家のお孫さんだろう? 噂は聞いてるよ。よかったら、これを持ってっておくれ。うち自慢の葡萄マフィンだよ」

「おー、悪いな」

「ありがとうございます!」

 目尻を下げたパン屋の女将さんから、小さなピクニックバスケットを手渡される。ふわんと漂った甘く香ばしい匂いに、リュカの目が釘付けだった。

「おかち! りゅー、おにゃか、ぺこぺこ!」

 リュカはよだれを垂らし、そわそわと落ち着きがない。その様子に、僕たちは中央広場のベンチで小休憩を取ることに。気がつけばお昼をとっくのとうに回っていて、僕もお腹が空いていた。

 馬を二頭引き連れたブノワは、通行の邪魔になってしまう。先におじいちゃんたちのやしきに向かうと言うので、そこで別れた。

 ブノワを見送ると、手を綺麗にしたリュカはさっそく紫色のマフィンをぱくり! 大きな一口を頬張った。

「んんん~! あまあま、おいち~!!

「ククク!」

 リュカの口の端についた食べかすは、メロディアがお掃除してくれる。

 僕もマフィンを二つに割ってかぶりつく。すると、バターのコクとたっぷり入った生の葡萄の甘酸っぱさが、口いっぱいに広がった。

(美味しい~! 葡萄の濃い果汁がじゅわっ、生地はしっとりでいくつでも食べられそう……!)

 きっと、このヴァレーで収穫した葡萄を存分に使っているのだろう。ほっぺたが落ちそうなほど、絶品だ。

 無我夢中で食べていると、広場の屋台や食堂がこぞって差し入れをしてくれる。ドニがいるから、僕たちの素性なんてみんなすっかりお見通しのようだった。

「坊ちゃんたち! うちの黒葡萄ジュースを飲んでってくれ! ヴァレーに来たなら、これを飲まなきゃ話になんねえよ!」

「うちの白葡萄ジャムとヨーグルトのサンドイッチも、最高さね! 濃厚さっぱりで、この広場じゃあ隠れた名物なのさ!」

「ヴァレー家に待望の跡継ぎっちゃー、こりゃあめでてーことだわなあ!」

「おい、そこの酒屋のせがれ。とっときのワイン樽を開けてくれっ! わしのおごりで、振る舞い酒じゃっ!」

 まるで競うかのように手渡される品々に、僕は目を白黒させる。その間に人が人を呼び、いつしか広場はお祭り騒ぎになってしまった。

 樽が開けられ、人々の手にワインが入ったジョッキが行き渡る。どこからともなく音楽隊が現われて、楽器を奏ではじめた。

 待ってました! とばかりに人々はジョッキを空高く掲げる。すると、一斉に歌い出した!


『さあ、掲げろ! 叫べ! 神々の祝福に 乾杯!

 さあ、鳴らせ! 高く! 豊穣の大地に 乾杯!

 さあ、飲めや! 歌え! 葡萄の実りに 乾杯!

 乾杯! 乾杯! 乾杯!』


 洋梨型のリュートやヴァイオリンみたいに弓で弾く三弦楽器の音が、高らかに響く。おっちゃんたちのスプーンカスタネットは、玄人顔負けの軽快なビートを刻んだ。

 きっとヴァレーでは乾杯のさいに必ず歌う、お決まりの曲なのだろう。

 最後の「乾杯!」を歌い終わると、みんなぐびっぐびっぐびっと喉を鳴らして、ワインを一気飲み。ぷっはーと気持ちの良い飲みっぷりだった。

「んっく、んっく、んっく……。っはぁ~~~~。ぶどーじゅっちゅ、おいち!」

「ククク!」

 リュカも差し入れの黒葡萄ジュースをぐーっと飲み干して、ご満悦だ。

 僕もせっかくだから飲みたい。けれど、入れ替わり立ち替わり町の人たちが「ヴァレー家の栄光に乾杯!」とジョッキを差し出してくる。無下にはできなくて、僕はガツンとジョッキをぶつけ返すのに大忙しだった。

「ド、ドニ。どうしよう。なんだか大変な騒ぎになっちゃったよ」

「それだけ、町のやつらもみんな坊ちゃん方を歓迎してるんでさあ。とはいえ、こりゃあ参りやしたね……」

 飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎだ。リュカとメロディアもたらなステップを踏んで、お尻をぷりんぷりんと振っている。ノッリノリだ。

「旦那様方が、きっと首を長くして待っていると思いやす。本来ならヴァレー家の邸へは、ワイン通りを抜けるのが早いんですが……」

「ワイン通り……。さらに絡まれる気しかしないんだけど」

「へえ。俺もそう思いやす。なので、一本遠回りの道を抜けていきやしょう。こっちですぜ」

「うん」

「やあー! おどりゅの~~~! おろちて!」

「ククー!」

 踊り足りなくてジタバタともがくリュカとメロディアを抱き抱える。僕たちはこっそり祭りの賑わいからとんそうした。

 ドニの後に続いて、色とりどりの花苗店・薬局のような薬草店・治療院などが軒を連ねる通りを足早に抜ける。すると、町の外縁をぐるっと一周するという、円状の道に躍り出た。

「? どこからか、すごく綺麗な音色が……」

「ああ。神殿のパイプオルガンでしょう」

 神殿は町の外れ……といっても、この外縁の道から歩いて目と鼻の先、白の山脈へと真っ直ぐ続く道の始まりにあった。丁寧に刈り取られた芝生のなか、白の山脈を背景にこじんまりとたたずんでいる。

 正面には、古代ギリシャ神殿を思わせるような六本の支柱が立つ。三角屋根には葡萄の葉と果実が左右対称に彫刻されていて、まさに優美な白亜の神殿といった感じだ。

 その右隣には背の高いとんがり屋根の鐘塔が、左隣には宿舎のような二階建ての建物が隣接している。

(小さいとはいえ、地方にある田舎町にしてはすごく立派な神殿だ……)

 僕は神殿を見上げながら、大きく開け放たれた扉から漏れる天上の調べに、思わず聴き惚れてしまう。腕のなかの重みも静かになったので、つい油断して下ろしてしまった。

 幼児という生き物は、目や手を離すとすぐに走り出すものだとわかっていたはずなのに。案の定、リュカは地面に下ろした途端、幼児とは思えぬ足の速さでぴゃあ~と駆け出してしまった!

「あ! リュカ! 待って!」

「リュカ坊ちゃん!」

「きゃあ~~~!」

「ククク~!」

 メロディアを肩に乗せたリュカは、神殿へと一目散。数段あるゆるやかな階段をハイハイの要領で上る。そして、いくら扉が開いているとはいえ、勝手に神殿のなかへと入ってしまった。

「もう、リュカ! 勝手に行っちゃだめでしょっ」

「ほわあ~~~」

「クク~ン」

 小さな背中を追って、僕たちも慌てて神殿のなかに入る。すると、リュカは通路のド真ん中で立ち止まっていた。僕が怒っているのも気に留めず、リュカもメロディアもぽかんと口を開けて音色に聴き入っている。

 リュカたちがほうけるのも無理はない。神殿のなかに入ったことで、より一層全身で生演奏を感じられた。

 出入口真上の二階テラスから奥の祭壇へ。天井の高い神殿ホール全体に、パイプオルガンのうねるようなクレッシェンドが響く。高低差のあるいくつもの音色が絡みあい、美しくも力強く奏でられるクライマックスに、僕はぶわっと鳥肌が立った。

(すっごい……!)

 音色に導かれるように、僕は一歩、また一歩と祭壇に近づく。

 ワイン樽や杯、果物といった供物も所狭しと捧げられている。最奥には、この神殿でまつられている神々なのだろう、三体の神像が並んでいた。

(確か、前世では引っ越しをしたらその土地の神様にご挨拶をしなさい、なんて話があったっけ)

 僕は前世ではそれほど信心深くなかった。イベントとしてのクリスマスを楽しみ、新年は人混みを避けて二日か三日に初詣に行く。そんなごく平均的な日本人だったけれど、『魔法』という不思議が目に見える今世では違う。

 あたかもここに神々がおわすかのような厳かな雰囲気に、僕は自然とひざまずいて祈っていた。リュカもメロディアも僕を真似て、隣でちょこんと正座している。

「……ルイ、リュカ」

 どれくらい時間が経っただろうか。パイプオルガンの最後の和音が、余韻を残して宙に消える。すぐ背後からかすかに足音がして、名前を呼ばれた。

 ゆっくりと目を開けて振り返った先には、品の良い老夫婦がたたずんでいた。二人とも六十歳前後だろうか。

 旦那さんは年老いて少し痩せてはいるものの、高い身長とがっしり体型に合わせたビロードのジャケットを着こなしている。さらに、短く綺麗に整えられた白髪や口髭は渋い貫禄がにじみ、まるで往年のハリウッド俳優を思わせるかのようなイケオジだ。

 奥さんも美しく年齢を重ねられたのだろう。老いてもなお色艶の良い端正な顔立ちを見るに、きっと若い頃は相当モテたのではないかと思う。いかにも貴婦人らしく白髪を夜会巻きにし、シンプルで上質なドレスを纏っていた。でも、足が悪いのか杖をつきつつ、旦那さんにエスコートされている。

「旦那様、奥様……!」

「ああ、ドニ。まったく、探したぞ。なにやら広場で騒ぎになっていると足を運べば、神殿に迷い込んでおったとは」

「面目ねえ……」

 バツが悪そうに、ドニが頭をかく。ドニは老夫婦を旦那様、奥様と呼んでいた。

(……ってことは、この二人が僕たちのおじいちゃんとおばあちゃん……?)

 思ってもみなかったタイミングでの出会いに、僕は呆然と立ち尽くす。頭が真っ白だった。

「いや、良いのだ。よくぞ無事に孫たちをヴァレーまで護り届けてくれた。感謝する」

「はっ!」

 おじいちゃんはドニの肩を叩くと、またおばあちゃんの手をとって、ゆっくりと僕たちの方へと歩いてくる。

 手を伸ばせば触れられそうな距離で立ち止まった二人に、僕はごくりと唾を飲んだ。

「あ、あの。こんにちは、僕はルイです! この子は弟のリュカです。さあ、リュカ。おじいちゃんとおばあちゃんに『こんにちは』だよ」

「あーいっ! じぃじ、ばぁば、こんちゃーっ!」

「その、初めまして。……おじいちゃん、おばあちゃん」

 おじいちゃんとおばあちゃんに会ったら、きちんと挨拶をしないと。そう思って何度も練習をしてきたはずなのに、いざ僕の口をついて出た言葉は、ひどくつたないものだった。

 せめてもの救いは、子どもらしく元気に挨拶してくれたリュカのかわいらしさか。

 僕は恐る恐る、おじいちゃんとおばあちゃんの顔をうかがう。

(あっ。おじいちゃん、どこかで見たことがあると思ったら、背格好や目元の雰囲気が父さんにそっくりなんだ……)

 親子なのだから当たり前の話ではある。けれど、僕はおじいちゃんに父さんの面影を見て、懐かしさをぐっとこらえた。

 その隣のおばあちゃんは絹のような瞳を潤ませながら、くしゃくしゃの笑みを浮かべている。

「ああ……! 会いたかったわ、ルイ、リュカ……!」

 おばあちゃんは矢も楯もたまらずといった様子で、膝をついて僕とリュカをぎゅっと抱きしめてくれた。香水だろうか、ふわんとラベンダーの良い香りが鼻をくすぐる。

「わたくしに顔をよく見せてちょうだい。……まあまあ。ルイもリュカも、お揃いの青い瞳なのね。ルイなんて、マルクの小さな頃にそっくりだわ。わたくしの孫たちは、なんてかわいいのかしら……!」

 皺だらけの手が頬を触ったかと思ったら、また抱きしめられた。おばあちゃんの細い体はかすかに震えて、僕の肩をじわじわと濡らす。

「ばぁば、ないてりゅ? よちよち」

「あらあら、なんて優しい子なの……」

 心配そうに小さなお手々で肩を撫でて気遣うリュカに、おばあちゃんは声を詰まらせながらも嬉しそうだ。

 そんなやりとりを目にしたおじいちゃんは、ふっと柔らかい笑みを浮かべてリュカの頭を撫でる。その後、不器用にぎこちなく僕を抱きしめて言った。

「ルイ、リュカ。遥々ソル王国からよくぞ来てくれた」

「おじいちゃん……」

「神々に愛されしワインの町……ヴァレーにようこそ」

 ステンドグラスから差し込む光が、僕たちを照らす。おじいちゃんとおばあちゃんの目元を濡らす涙が、きらきらと輝いて眩しかった。

(僕たち、本当にヴァレーにたどり着いたんだ……)

 再び、ゆったりとしたパイプオルガンの音が鳴り響く。まるで、僕たちを祝福するかのように。

 温かい二人の温もりに包まれながら、僕は無事に祖父母と出会えた喜びをいつまでも噛み締めていた。