ルイとリュカ。それぞれのとある一日

「にぃにー! あしょび、いこー!」

「えええ~。まだ、教会に行くには少し早いよ?」

「いいの! たくしゃん、あしょぶの!」

(にいには全然良くないんだけどなあ……)

 宿の朝食を食べ終わると、すでに元気いっぱいのリュカがぼくを急かす。

 リュカは、教会で仲良くなったお友達のアリスちゃんと遊びたくて仕方ないのだ。

 ぼくとしては少し食休みをしたい。だけど、予備の着替えやハンカチなどが入った手提げ袋を持って、準備万端のリュカに根負けする。仕方なく、歩いて十分の教会に向かった。今日の護衛はチボーだ。

「おはようございます」

「ししゅたー、おあよう、ごじゃいましゅっ!」

「リュカくん、おはようございます。元気にご挨拶できましたね」

 少し屈んだ修道女シスターとおはようのタッチをしたリュカは、うんしょうんしょと自分で靴を脱いで、入口の靴箱に入れる。

 そして、部屋の後ろにある棚に手提げ袋をかけると、リュカは積み木で遊んでいた姉妹らしき二人に、さっそく話しかけた。

「おあよ!」

「お~よっ」

「あー! リュカくんだあ。おはよ~」

 妹の方は、まだ二歳になるかどうかくらいだ。両手に積み木を握って、ぶんぶん振り回しながら、よだれを垂らしている。

 八・九歳くらいに見えるお姉ちゃんが、甲斐甲斐しく妹のお口を拭いてあげる姿に、ぼくはほっこりしてしまった。

「いっちょに、あしょぼー!」

「どっじょ!」

「いいよ~。はい、どうぞ」

「ありあと~!」

 姉妹はリュカを快く受け入れて、積み木を手渡してくれる。

 仲良く遊び始めた三人に、手持ち無沙汰でテオドアさまから借りた本を読んでいたぼくは、目を細めた。

(教会に通い出してから、リュカはできることがぐっと増えて、赤ちゃんっぽさも抜けてきたなあ)

 きっと年の近い友達と遊んだり、話をしたりするのが良い刺激になっているのだろう。舌足らずは相変わらずだけど、やジェスチャーがかなり増えた。

 これも、修道女シスターたちがさりげなくお行儀を教えてくれたおかげである。

 まだリュカは三歳なので「元気にご挨拶しましょう」とか、「おもちゃを貸してもらったら、『ありがとう』を言いましょう」といった簡単なことでも、ぼくやドニたちとは違う大人から教わるというのは、貴重な経験だった。

 ぼくは教会図書館に通う方が多いけれど、リュカの成長が見たいがために、たまの教会通いをやめられずにいる。

 中身は大人に近いけれど、これも子どもの特権だ。

 しばらくすると、アリスちゃんやほかの子どもたちが一斉にやってきた。子どもが十数人も集まると、賑やかを通り越して騒々しい。

「さあ、小さい子はこちらにいらっしゃい」

「「「はーい(あーい)」」」

 修道女シスターの呼びかけで、六歳くらいまでの子が集まる。大きい子は、それぞれ読み書き計算の練習・織物・刺繍といった作業を始めた。

 ぼくは引き続き本を読みながら、ほかの子の勉強を見てあげる。

 だいたいいつも修道女シスターは二人、多くても三人しかいない。なので、自然と子どもたちもみんなで助け合っていた。

「今日はもののかたちで遊びましょう。行きますよ。……さん、はい! まーる、ばつ、さんかく、し・か・く。まーる、ばつ、さんかく、し・か・く」

 修道女シスターの掛け声に合わせて、子どもたちが手で大きく丸・バツ・三角を作り、最後はLの形をした両手の親指と人差し指をくっつけて四角にする。

 どの子も元気良く声をあげて、楽しそうだ。

「つぎは手を繋いで、大きなまるを作りましょう」

 その言葉に、子どもたちが仲良く手を繋いで輪になり、くるくると回る。……と、先ほどリュカと一緒に積み木で遊んでいた二歳の女の子が、足をもつれさせて、ぽてんと尻もちをついてしまった。

 まだよちよち歩きなので、足元が覚束ないのも無理はない。

「ふぇっ……え~~~ん」

 もっこもこ布おむつのお尻はさほど痛くないはずだけど、衝撃に驚いたのか、その子は泣き出してしまった。

 リュカは泣いている子にすぐさま近寄ると、頭を撫でて慰める。

「よちよち。いちゃい、いちゃ~い、ばいば~い」

「ひっく、ひっく」

「だいじょぶ。いちゃいの、どっかいっちゃよ!」

「ぐすん……ぐすん……あ~い」

 リュカが両手を握って「しぇーの」で起こしてあげると、その子はすっくと立ち上がって、またみんなと一緒に遊び始めたのだ。

(~~~尊い……!)

 一部始終を見ていたぼくは、膝から崩れ落ちて床をばんばん叩きたい衝動をこらえて、手で口を抑える。

 初めて教会に来たときは、人見知りを発揮してぼくの影に隠れていたリュカが、まさか率先して年下の子の面倒を見るとは思わなかった。

(ここではリュカも『お兄ちゃん』だもんな……)

 きっとずっと兄弟二人、閉じこもったように暮らしていたら、ここまで柔らかく繊細な情緒は育たなかったかもしれない。

 日々、目覚ましく成長する様を見て、ぼくはリュカを教会に通わせて良かったとしみじみ思ったのだ。


 それから、しばらく経ったある日。ぼくはテオドアさまの案内で、さんさんと早春の日差しが降り注ぐ教会図書館の南側に向かっていた。

「ほっほっほっ。ここはわしの隠れ家なのじゃ」

 いかにもドッキリが成功した! と言わんばかりに、楽しげなテオドアさまがぼくにウィンクをする。

 それも無理はない。そこには、小さいながらも立派な温室があったのだ。

(この世界にも、温室ってあったんだ……!)

 想像もしていなかった光景に、ぼくは目を見張り言葉を失う。

 温室と聞いて思い浮かぶのは、ガラスなどの透明素材で建てられた建物だ。けれど、この温室は少し違っていた。

 ぼくの身長の倍はある高い煉瓦の壁に、サップ・プランツ製の透明な板を何枚も組み合わせた屋根が立て掛けられている。いわゆる直角三角形の珍しい形をした温室のなかは、外側から見ても青々とした緑を茂らせていた。

「ちいと足元が悪いからの。気をつけるのじゃぞ」

「は、はい」

 テオドアさまが、間口の扉に掛かった錠を鍵で開けた。

 その後ろ姿に続いて、ぼくも恐る恐るなかに入る。室内はまさに、春のような暖かさだ。かすかに薬草の良い匂いがする。

「わあ~。あったかい!」

「外は風が冷たかったからの。なおさらじゃろう」

 厚手のマントや手袋でしっかりと防寒していても、寒さで縮こまっていた体からほっと力が抜けた。

(広さは五~六畳くらいかな?)

 壁には何かの樹木が二本、沿うように枝を伸ばしている。さらに、ひと一人がやっと通れるくらいの通路を挟んで、斜辺側には花壇があった。

 温室のなかははっきり言って狭いけれど、それでも建設コストは相当なものだろう。

(この温室一つで、いったいどれだけの人手やお金が掛かっていることか……)

 金貨が数十枚羽を生やして飛んでいく姿を想像して、ぼくはつい身震いしてしまった。

「この温室はの、エスパリエ・ウォールという技術を使っておってな、日中どころか夜も冷え知らずなのじゃ」

「エスパリエ・ウォール?」

「そうじゃ。日中、日差しでぬくもった煉瓦の壁は、夜になるとゆっくりと熱を放つのじゃよ。さらに、壁のなかは空洞になっておっての。壁の裏にある小さな炉から火をつけて、温めることもできるのじゃ」

「へえ~!」

 昼間に貯めた熱を、夜に使う。自然の蓄熱技術に、ぼくは感心しきりだった。

「この壁の樹は無花果いちじくでの。熟した実は丸々と太って、それはもう甘くて美味いのじゃ」

「それは良いですね……! この温室なら、ほかの果物も育てられそうだ」

「ほっほっほっ。その通りじゃ。昔はスグリを育てていた時期もあったかのう。……季節外れの、しかも質の良い果物は貴族に高く売れるからの。良い収入源なのじゃ」

 何事も費用対効果ではあるので、温室栽培はソル王国でも有数の教会図書館くらいでしかできない贅沢かもしれないけれど。それにしても、すごい技術だ。

「さてさて、前置きが長くなってしまったのう。今日の講義は『基礎薬草の栽培技術と効能』の復習と応用じゃ」

「はい!」

 テオドアさまはそう言って、花壇を指し示す。

 花壇にはまだ肌寒い季節にもかかわらず、五種類の薬草が生い茂っていた。そのうち、カモミールだけは、すでに可憐な白い花を咲かせている。

「いまはセージ・ローズマリー・タイム・カモミール・ラベンダーが植っておる。どれも医学や料理において幅広く使われるものじゃ。さて、中でも風邪に重宝するものはどれか、覚えておるかの」

「ええっと、風邪はセージとタイム、だったかと。特に、タイムは咳によく効くはずです」

「正解じゃ。冬はどうしても風邪を引くものが多くなる。重宝する薬草なれば、覚えておいて損はないじゃろう」

 そうして、しばらく実地で効能・栽培方法・採取方法を学ぶ。薬草は子どもや妊婦は注意が必要なものが多いので、学ぶのも真剣になった。

「……植物って不思議ですね。一見ただの草や花に見えるのに、こんなにもいろんな効果を持ってるなんて」

「そうじゃのう。先人たちが知恵と工夫を積み重ねた賜物じゃ」

 ぼくはテオドアさまに教えてもらいながら、採取のついでに古い葉や花を剪定して、水生成ウォーターで土が湿る程度に水をやる。

 前世ではベランダ菜園すらやったことがなかったので、初めての経験だ。

「……わしも長いこと植物と触れ合ってきたがの。薬草どころか、植物は知れば知るほど奥が深く、かくも美しいものかと驚かされるものじゃ」

「テオドアさまでもそうなんですね」

「もちろんじゃよ。色・形・数……。意味のないものなど、何一つないと気づかされるのう。必ず、すべてに意味があるのじゃ」

「意味……?」

 ぼくは手を止めて、テオドアさまを見た。そんなこと、これまで考えたこともなかった。

「例えば色じゃ。無花果いちじくは未熟なうちは緑じゃが、熟すごとに赤くなるじゃろう? あれは、鳥に果実を食べてくれと言っているのじゃ。種を運んでもらうためにの」

「ああ。なるほど……!」

 確かに言われてみれば、自然界では実が赤くなるものが多いような気がする。

「葉は乾燥が強ければ厚く、湿気ていれば細長くと、環境に適した形でつくのじゃよ。そして、最たるは数じゃ!」

 テオドアさまは、子どものように目を輝かせて語る。

 老いてもなお、探究の意欲は衰えないどころか、ますます楽しくなって仕方ないというその様子に、ぼくは圧倒されるようだった。

「花びらの枚数をよくよく観察すると、たいていは三・五・八・十三・二十一・三十四・五十五と分類できるのじゃ」

「? それが何か……?」

(あれ。なんだっけ。前世で聞いたことがあるような……)

 思い出せそうで思い出せないもやもやに、ぼくは頭をひねる。

「三+五=八、五+八=十三、八+十三=二十一……。前の二つの数を足して次の数を得ると、不思議なことに規則性が見えてくるのじゃよ」

(規則性……。あ! あああー! 思い出した! フィボナッチ数列だ!)

 ぼくは、前世で理系の大学を卒業している。大学の入試で、フィボナッチ数列の問題が出題されたことを、やっと思い出したのだ。

 ぽんと手を叩いて口を開けたぼくに、テオドアさまは興が乗ったのか、うんうんと頷いている。

「ごく稀に花びらの枚数が四・七・十一のものもあるがの、規則性は変わらんのじゃ。はてさて、かような法則を、いったい誰が決めたのか……。植物自身か? 神か? それとも、自然そのものか」

 思慮深さをたたえた静かな瞳に、ぼくはぞわりと鳥肌を立てて唾を飲む。

(最初は変わった人だなあって思ったけど、とんでもない……! めちゃくちゃすごい人じゃないか!)

 前世では『自然界の神秘』とも言われていた数列に、この世界で独自にたどり着いたひとがいる。そんなひとに教わっている事実に、ぼくは心から感謝するのだった。