(でも、懐いていたエミリーさんとお別れしたと思ったら、旅が始まって、いきなり知らない男が三人も一緒にいるようになって。リュカにとってはそれだけでも慣れないのに、ぼくまでいなくなっちゃったんじゃないかって、すごく悲しくて怖かったんだろうな……)

 少しだけだから、すぐ帰ってくるから大丈夫。そう言って、好奇心を抑えられなかった自分を、ぼくはものすごく反省する。

 お詫びに、ドニたちも巻き込んでリュカと遊び倒し、たくさん抱っこをした。

(リュカ、重くなったなあ。赤ちゃんの頃はあんなに小さかったのに……。いつまで抱っこできるかな。ううん、それ以前に、いつまで抱っこさせてくれるだろう)

 そんなことを思いながら、ぼくがどれだけリュカのことを大切に思っているのか、リュカに伝える。

 元日本人男子としては言葉にするのが恥ずかしいのだけれど、やっぱり言葉にしなければ伝わらないこともあるのだ。

「にいにはね、リュカが一番大事なんだよ。ずっとそばにいるからね」

「えへへ~。ずっと、いっちょ!」

 そうやって、数日リュカと一緒に過ごし、たくさん甘やかしたおかげで、後追いはだいぶ落ち着いてきた。

 なかなかに激しい遊びにも、体を張って付き合ってくれた大人たちは、るいるいとベッドに横たわっている。南無。

(とはいえ、正直そろそろぼくも外に出て、気分転換したいなあ)

 リュカが大切なことに嘘偽りはないけれど、それとこれとは話が別だ。

 元気があり余っている三歳児をずっと室内に留めておくのは可哀想だし、相手をするぼくも大人たちも飽きるし参ってしまう。

 何か良い方法はないかと思っていると、ドニが懇意の商会から良い話を聞いてきてくれた。

「ルイ坊ちゃん。この地域のリュミネ教会は、子どもを預かって簡単な行儀作法や読み書きを教えてくれるそうなんでさあ。しかも、天気の良い日は、広い庭で遊べるんだとか」

「! そこって、リュカやぼくも行けるの?」

「へい。ヴァレー家と懇意にしている商会が、紹介状を書いてくれるそうで。いかがしやしょう」

「ぜひ、お願いして!」

 まさに天の助け。きっとその商会や教会から何か対価を要求されるのだろうけど、そんなめんどくさい交渉事は全部大人にぽいっと丸投げだ。

 ぼくはありがたい話に、一目散に飛びついた。


 そして、今日。まずはお試しで朝から昼までの半日、ぼくとリュカはくだんの教会にお邪魔することになった。

 ドニの案内で迷路のように入り組んだ裏路地を進み、十分くらい歩いただろうか。見えてきた教会は、赤煉瓦造りのおもむきある建物だった。どことなく、前世の赤レンガ倉庫と雰囲気が似ている。

 道の脇には、芝生が生い茂る庭園が広がっていた。隅の一角には畑も見える。冬だから緑が少なくて薄茶色ばかりが目立つけれど、質素ながらに温かい雰囲気だ。

 正面奥の右手にはとんがり屋根の聖堂が、左手には洋館風の二階建て建物があり、渡り廊下で繋がっていた。

(へえ~。建物は思ってたよりもこじんまりとしてるなあ)

 ちょうど聖堂から出てきた柔和そうな年嵩の修道女シスターが、ぼくたちを出迎えてくれた。

「ようこそいらっしゃいました」

「今日はお世話になります!」

「では、ルイ坊ちゃん、俺はここで。帰りはブノワかチボーを迎えに来させやす」

「うん。わかった」

 ドニを見送り、修道女シスターの後に続いて左手の洋館風の建物に入る。

 保育スペースになっている一階は、この世界にしては珍しく土足厳禁らしい。入口で靴を脱いでから室内にあがった。床にはふわふわの絨毯が敷かれていて、足の裏が気持ち良い。

 部屋には、よちよち歩きの赤ちゃんからぼくと同じくらいの年齢の子まで、十数人の子どもたちがすでに集まっていた。みんな、床に置かれたクッションに思い思いに座っている。

 なかには、兄弟姉妹で来ている子たちもいるみたいだ。お姉ちゃんらしき子が、ころころと床を転がる妹を追いかけている。懐かしい。リュカもあのくらいの頃、同じように床を転がっていた。

「リュカ~、にいに、歩きにくいんだけど……」

 室内に入ってからずっと、リュカは気配を消し、ぼくの足にぴったりとしがみついて隠れている。どうやら人見知りをしているようだ。

(ぼくたちが住んでいた王都は、子どもが遊べるような場所なんてなかったし、身近に年の近い子もいなかったからな……)

 ぼくが幸先の悪さに不安を感じていると、先ほど案内してくれた年嵩の修道女シスターが、子どもたちに向かって話しはじめた。

「みんな、おはよう。今日は初めましての子たちがいるから、ご挨拶しましょうね」

 修道女シスターに促されて、ぼくとリュカは簡単に自己紹介をする。小さな子たちが、きょうしんしんでぼくたちを見ていた。

「こほん……。ぼくはルイ。十三歳だよ。いまは旅の途中で、しばらくこの町に滞在する予定なんだ。短い間だけど、よろしくね。それと、この子はぼくの弟で……。さあ、リュカ、なんて言うんだっけ?」

「……りゅー、ちゃんちゃい、でしゅっ」

 ぼくの後ろからリュカがひょこっと顔を出して、挨拶する。顔の横で、右手の親指から中指までを立てて、「三歳」を小さくアピールしているのがかわいい。

 昨夜、寝る前に一緒に練習した成果が、ちゃんと発揮されていた。

「弟のリュカです。良ければ一緒に遊んでね」

 ぺこりとお辞儀をすると、ぱちぱちと可愛らしい拍手が起こる。

「さあ、まずはみんなで元気良くお歌を歌いましょう」

 修道女シスターの指揮に合わせてアカペラで歌う。その後は、子ども向けの神話の読み聞かせや、工作の時間だ。

 小さな子たちはみんな揃って一緒のことをするみたいだけど、ぼくと同い年くらいの子たちは、部屋の隅で別の修道女シスターから織物や刺繍を習っていた。

 ぼくは今日のところはリュカに付き添って、小さい子組に交ざる。

 リュカは結局、歌の時間はずっとぼくにしがみついたままだった。でも、読み聞かせのパペット人形に興味をかれてやっと離れてくれた……と思ったら、工作の時間には一人で機嫌良く粘土遊びをしていた。意外と順応性が高い。

「リュカ、何を作ってるの?」

「んとにぇ~、むちぱん!」

 粘土遊びにまで食いしん坊のへんりんのぞかせるリュカに苦笑してしまう。ちっちゃなお手々から正体不明の物体が量産されていく様子を、ぼくは静かに見守った。

 しばらく室内で遊んで過ごしたら、待ちに待った外遊びの時間だ。今日はとても天気が良いので、芝生遊びは爽快だろう。

「ぼくたちもお外で遊ぼっか」

「あい!」

 片付けを済ませて、靴を履く。小さな子たちは、もう我先にと外に飛び出して遊んでいた。

 そのうちの一人、リュカと同い年くらいの女の子が、ぼくたちに気がついてこちらにやってくる。その子はリュカの前で立ち止まると、もじもじと恥ずかしそうにしつつも、手を差し出した。

「あのねー、ありすといっしょに、あーそぼっ!」

「う? いっちょ?」

「うんっ! あそぼー!」

「……あいっ」

 リュカは首を傾げて迷いながらも、差し出された女の子の手を握る。すると、わあーっと女の子が走り出したのに引っ張られて、芝生を駆けていった。

 そのまま、二人で追いかけっこや競争をしたり、虫でも見つけたのか急にしゃがみ込んで、芝生の草をぶちぶちと引っこ抜き始めたり。自然の中で、子犬のように無邪気にじゃれあっている。

(二人がもうかわいすぎる……! 尊い……!)

 あまりの可愛さに、ぼくはその場に崩れ落ちた。

 リュカは、ずっとぼくにベッタリだった。このまま兄離れできるのか、ちゃんと友達ができるのかと、内心心配していたのだ。

 でも、そんなぼくの心配をよそに、こうしてリュカに初めての友達ができて、きゃあきゃあと楽しそうに笑っている。

(ああ、でも……。ちょっぴり寂しいなあ……。むしろ、ぼくの方が弟離れできないかも)

 ぼくはごろんとふかふかの芝生に寝転がった。空気は冷たいけれど、空は青く日差しが暖かい。

 目を閉じて風を感じていると、リュカと女の子も近くにやってきて、ぼくのお腹や太ももを枕に寝転がった。

「おひさま、ぽかぽか~」

「にぃに、ねんね~?」

 ぼくは寝たふりをする。そのまま、二人の舌足らずなおしゃべりに聞き耳を立てているうちに、うっかりうたた寝をしてしまったようだ。

 修道女シスターの「お昼ですよー!」という声で飛び起きた頃には、外遊びの時間は終わっていた。

 みんなでポテトパイとスープの昼食を囲む。食べ終わる頃にチボーが迎えに来てくれたので、ぼくたちは宿に帰ってきた。

 宿に帰るや否や、リュカはお友達……アリスちゃんと一緒に遊んだことを話したくてしょうがないようで、自分からチボーたちに喋りかけている。よっぽど楽しかったのだろう。

「りしゅとー、おしょと、いっちゃ!」

「へ~。リュカ坊ちゃん、良かったっすね!」

「(こくこく)」

「……この様子じゃあ、問題なさそうですな。正式に通う、と伝えておきますぜ」

「うん。お願い」

 お試しは大成功だろう。むしろまた連れて行かないと、リュカが泣き出す可能性がある。

 こうして、無事にリュカの教会通いが決まったのだ。


 決まったことと言えばもう一つ。リュカが教会に行っている隙に、ぼくは教会図書館に通うことを目論んでいた。

 ドニががんばって探してくれたけれど、結局ぼくが通えそうな私塾や家庭教師は見つからなかった。なので、大人しく自習に励むつもりだ。

「リュカが教会でお友達と遊んでいる間に、にいにもお勉強しに行ってきて良い?」

「あいっ!」

 もちろんリュカにはちゃんとお伺いを立てた。でも、あとから修道女シスターに聞いたところによると、リュカは遊ぶことに夢中で、ぼくがいないことにそもそも気がついていなかったそうだ。

 何はともあれ、やってきた二回目の教会図書館。

(そう言えば、次に来たときは、受付に名前を伝えて呼んでくれて良いってテオドアさまが言ってたな……)

 きっと社交辞令だろうと思いつつ、いつか館内でばったり会ってしまった時が気まずい。

 悩みながらも一応受付に伝えたところ、書庫の最奥にあるテオドアさま専用の閲覧室へと案内された。受付に促されて、ぼくは室内へと足を踏み入れる。

「ほっほっほっ。少年……いや、ルイ。やっと来たのう。首を長くして待っておったのじゃよ。さあ、遠慮することはない、その椅子にかけてくれんかの」

 丸眼鏡をかけたテオドアさまは、茶目っ気まじりにぼくを温かく出迎えてくれた。恐る恐る、ぼくはテオドアさまに勧められた向かいの椅子に座る。

 閲覧室は机と椅子が二脚あるだけの小さな部屋で、出窓から差し込む光があたりを優しく照らし出す。

 壁は手の届く範囲はすべて薬棚になっており、その上は天井まで本・壺・薬草入りの瓶で埋め尽くされていた。窓際や床など至るところに植物が置かれ、束の薬草が干されているところがテオドアさまらしい。

「どれ、今日は何を学びに来たのじゃ?」

「えっと、もしヴァレー地方の植生や葡萄の栽培についての本があればと思って……」

 ぼくがそう言うと、テオドアさまは「はて?」とつぶやいて尋ねてきた。

「もしやルイは、あのワインで有名なヴァレー家の子どもなのかの」

「そうです。……と言っても、ぼく自身も最近知ったんですが……。父が亡くなって、色々あったから……」

「そうじゃったか……。ふむ。では、わしで良ければ葡萄の栽培や、ワイン造りのあらましを教えようかの」

「でも、いいんですか? 忙しいんじゃ……?」

「ほっほっほっ。なあに、図書館長は名誉職での。さらには隠居寸前で、ひまを持て余しているのは本当のことなのじゃ」

 ぱちりとウィンクをして楽しそうに笑ったテオドアさまは、言葉どおり葡萄栽培や醸造の本をすすめてくれたり、教会に残っている古い資料も見せてくれた。

 昔、リュミネ教会では、葡萄を栽培してワインを造ることが多かったらしい。儀式に使ったり、売って貴重な収入を得たのだとか。

 資料を補足するかのように、テオドアさまがおもしろおかしく話してくれるワインの歴史や当時のこもごもに、ぼくは引き込まれる。数時間なんて、一瞬で過ぎてしまった。

 それからというもの、ぼくが教会図書館に通うたびに、テオドアさまは植物学・哲学・文学・芸術といった様々な学問を、マンツーマンの家庭教師さながらに教えてくれるようになったのだ。