陰気なソンブル村と風の民

 その日、宿を取ろうとしたソンブル村は、いつもとは少し様子が違った。

 いつもなら、騎馬のチボーが先に村人と交渉をして、宿として泊まれそうな場所を確保する。

 そうしたら、村人の案内で馬車を移動させるのだけど、今回は一向にチボーが戻ってこないのだ。

 カーテンを開けて窓から外の様子をうかがうと、どうやら交渉が難航しているように見える。

「だから! なんべんも言わせんなっ! この先にも村はある。宿はそこで取んなっ!」

「はあ!? 何言ってんっすか! もう日が暮れるっていう時間に、馬車を走らせる馬鹿がどこにいるんすか!」

 おそらく村長らしきもじゃもじゃ頭の中年男とチボーが、馬車のなかにいても聞こえるくらい、大きな声をあげて口論しだした。

 中年男が、なぜそんなに頑ななのかはわからない。ぼくたちとしても、そんな態度なら無理に泊まりたくはないのだけど、もう西陽はだいぶ傾いている。

(だ、大丈夫かな……。チボー……)

「ぐすん。にぃに~。りゅー、ちゅかれたぁ……」

「ああ、そうだよね。今日もずっとお利口さんだったもんね」

 疲れと空腹でぐずり出したリュカが、ぼくのお腹に顔をぐりぐりと押しつける。地味に頭が鳩尾みぞおちにめり込むのだけど、甘んじて受け止めた。

「はあ……。しょうがねえ。ルイ坊ちゃん。ちょっくら行ってきますんで、俺が出たらしっかり内扉のかんぬきを掛けてくだせぇ」

「うん。わかった」

 微動だにせず、どっしりと座っていたドニも、さすがに痺れを切らしたのだろう。しぶしぶ腰に剣をいて、外に出て行った。

 ぼくはドニに言われたとおり、内扉のかんぬきを掛けながら、その後ろ姿を見送る。

「……おい、あんた。宿を貸せないってのは、どういう了見だ」

「そ、そんな剣なんて持って、お前らみたいな余所者が、この村に何の用だ!」

 いきなりぬっと登場した大男のドニに、中年男はびびって腰が引けている。でも、威勢はまだ衰えていないのか、ドニにまで噛みついた。

「宿を、貸せない、理由は、何だと、聞いている」

「ちっ……。か、貸せねえなんて言ってねえ。ほかにも村はあるって言っただけだ」

 ドニの超絶ドスの効いた声に、中年男は苦し紛れの言い訳を並べ始める。

 ぼくには聞こえなかったけれど、ダメ押しにドニが中年男に何かをぼそっと言ったようで、中年男の顔色がみるみる悪くなった。ついでに、なぜかチボーも。

「金なら払う。一晩宿を借りたら、俺たちは大人しく出ていくさ」

「……しばらく使ってねえ小屋だ。用意させるから、少し待て」

 中年男は搾り出すように言うと、そそくさとどこかに消えていった。

 ドニはその姿をいちべつすると、馬車に戻ってくる。

「坊ちゃん。すいやせんでした」

「ううん。何とか屋根のあるところに泊まれそうで良かったよ。……でも、どうしてあのひと、あんな態度だったんだろう?」

「閉鎖的で、余所から来る人間を拒む村もありやす。ここは一晩過ごしたら、さっさと出発しやしょう。わかってるとは思いやすが、決して一人にはならないでくだせぇ」

「うん。もちろん」

 中年男は用意させると言ったが、待てど暮らせど戻ってこない。

 本格的に泣き出してしまったリュカをゆらゆら揺らしながら、ぼくは馬車のすぐ外を歩いて待つ。もちろんドニも一緒に。

 騒ぎを聞きつけたのだろう村人たちが、家の戸をうっすら開けて、ぼくたちを見ているのがわかる。

 もう西陽は地平線に近い。家の暖炉や蝋燭の光が線となって、いくつも外を照らしていた。

(……なんだか、大変な村に来ちゃったなあ)

 うとうとしているリュカを抱っこしながら、ぼくはそう心の中でぼやく。このときの嫌な予感がまさか的中するとは、露ほどにも思っていなかった。


 結局、しかめっ面した中年男が戻ってきたのは、日が半分以上沈んだ頃だった。さっさと乗り込んだ馬車の外から、チボーがまた中年男に絡まれている声が聞こえる。

「おい、お前ら。子どもを二人も連れて、こんな時期にどこ行こうってんだ」

「……」

「なんだ、言えねえことなのか? えぇ?」

 案内中、中年男はこちらのことを根掘り葉掘り聞こうとしてきた。

 かと思えば、チボーが護衛の役目として、村に食堂はあるのか、干し草や食材を買えるところはあるのかと仕方なく尋ねると、「そんなの余所者に教えるわけねえだろ。自分たちで何とかしろっ」の一点ばりなのだ。

(何したいんだろう、このひと……)

 漏れ聞こえてくる会話を聞くだけで、ぼくはぐったりな気分だった。

 そして、あろうことか、中年男は村はずれの小屋にたどり着くと、用は済んだとばかりにさっさと帰ってしまったのだ。ろくすっぽ説明もせずに。

 仕方なく、ぼくたちは小屋のそばに馬車を停めて、なかに入る。

 しばらく使っていなかったという言葉は本当のようで、室内はかなり雑然としていた。

 とりあえずスペースを作るために大急ぎで物を端に寄せました、という感じだ。

(過去一、ひどい……)

 まずはすでに恒例の、防犯確認だ。この村の信用度が低いせいか、ドニがいつもより念入りに調べている。すると、どこかでカタンと物音がした。

「「「!」」」

 さすが、自警団。その物音に一瞬で警戒体制に入ったドニたちが、剣を抜く。

 ぼくは寝入っているリュカを抱っこしたまま、訳もわからないうちにブノワに庇われていた。チボーは扉をうっすら開けて、外の様子をうかがっている。

「おい、そこに隠れているやつ。出てこい!」

 物音の発生源であるらしい部屋の隅のクローゼットに向かって、ドニが鋭く言い放つ。

 ……カタ……カタ……カタンと、震えるようにまた物音がした。

(っ、怖い……!)

 今世では初めての危険に、ぼくは血の気が引いていく。ぎゅうっとリュカを抱きしめて、できる限り体を丸めた。

 ドニたちが守ってくれるから、大丈夫。そうわかっていても、百パーセントではない。最悪、ぼく自身の体を盾にしてでも、リュカだけは守りたかった。

「団長、外にほかの仲間はいないっす!」

「おう」

 チャキッとかすかに剣の音がしたあと、ドニがゆっくりとクローゼットに近づいていく。

 扉に手をかけ、ばっと勢いよく開けたなかには……。

「ご、ご、ご、ごめんなさい~~~! ころさないで!」

 両手を挙げ、降伏姿勢でガタガタと震えながら大泣きする、少年がいたのだ! 少年はまだ幼さが残る顔つきをしていて、年はぼくより一つ~二つほど年下に見える。

「……殺さねえから、手を頭の上に置いて、そこに座れ」

 少年だろうと、ドニは警戒を緩めずに床にひざまずかせる。すると、いきなり少年の体をくまなく触り始めた。

 相変わらず、少年は鼻水を垂らしながら、びえんびえんと豪快に泣いている。

「……よし、ナイフなんかは持ってねえ」

 その言葉に空気が緩み、みんな剣を納めた。ぼくもほーっと大きく詰めていた息を吐き出す。今になって、膝ががくがくしてきた。

(……この騒ぎでも起きないリュカって)

 よっぽど疲れていたのか、それとも大物なのか。とはいえ、すぴすぴと鼻詰まり気味のかわいい寝息に気分がほぐれたのは、助かったけれど。

「おい。なぜ、ここに隠れていた。盗みか」

「びえん……ぐすっ……えっぐ……。ち、ちがう」

「見たところ、風の民だろう。まさか、この村に住んでいるのか?」

(風の民……?)

 確かによくよく見ると、少年はどこか懐かしい黒髪に浅黒い肌で、アグリ国では見かけない風貌をしている。長い前髪はひと房だけ金髪で、とても目を惹いた。

「ぐすん……おれ……おねがい、します! たすけて……!」

 そういうと、少年は見事な土下座を披露したのだ。

「質問に答えろ。それに、俺たちがお前を助ける義理なんてない。それこそ、村の誰かを頼れ」

「むらのみんなにも、たすけてっていった! でも、かぜのたみはいやだって……びえええん」

 少年は、ぽろぽろと見事な大粒の涙を流して泣く。

「それなら、俺たちだって無理だ」

「でも……このままじゃ……ぐすん……。かあちゃんといもうとが、しんじゃう! おねがい、いもうとはまだ、あかちゃんなんだ……えっぐ……」

「!」

(母ちゃんと、赤ちゃんの妹……)

 少年の悲痛な言葉が、痛いほどぼくの胸に突き刺さる。

「……助けてほしい、理由はなに?」

「ルイ坊っちゃん」

「ドニ。事情だけでも聞いてあげよう? 断るのは、それからでも遅くないよ」

「はぁ……。しょうがないでさあ」

 やれやれとドニが肩をすくめる。ひとまず少年を立たせると、ぼくたちはテーブルについた。


 こくりこくりと、ぼくが収納ストレージから出したお茶を飲みながら、少年の話を聞く。リュカをベッドに寝かせたいけど、離すと起きそうなので抱っこのままだ。

 少年はフルモアと名乗った。

 フルモアは風の民の母親と、この村出身の父親との間に生まれた子らしい。生まれてから十一歳になる今まで、ずっとこの村で育ってきたのだとか。

 少し発音が独特で聞き取りづらいところがあるのは、風の民である母親の影響かもしれない。

 この村出身の父親がいるのにどうしてぼくたちに助けを求めるのかと思ったら、どうやらいま父親はほかの村に出稼ぎに行っていて、家には母親とフルモアと妹の三人しかいないのだそうだ。

「ねえ、ドニ。そもそも、風の民ってなに?」

「おっと、そこからですかい。風の民ってえのは、アグリ国の東も東。その周辺国を放浪しながら生きる、民族のことでさあ」

「へえ。初めて聞いた……。でも、その風の民だからって、何でここまで……」

 はっきりと村八分のような、とは言い難い。けれど、ドニにはしっかり伝わったようだ。

「……国も家も財産も持たず、ほとんど身一つで旅に暮らしているといえば、聞こえはいいんですがね。風の民は『所有』の考えがなく、お前のものは俺のもの、俺のものは民族みんなのもの、みたいな考えなんでさあ」

「えっ。それって……。もしかして売り物とか、風の民以外の誰かのものとか関係なく?」

「へえ。しかも、根無し草で明日をも知れぬとなれば、その時その時の感情で行動するんでさあ。意図せずとも盗み、ころころと気分も言うことも変わる風の民に振り回されりゃあ……。騒動が起きないわけねえですぜ」

 ドニが淡々と風の民について話す。

 行く先々でそうやって揉め事を起こした結果、「風の民」はどこに行っても鼻つまみもの扱いなのだそうだ。あの中年男の余所者を嫌うぴりぴりした態度も、村に風の民がいるのが要因の一つなのかもしれない。

(でも、だからって、フルモアはこの村で生まれ育った子なのに……)

 フルモアはぎゅっと唇を結び、両手を握りしめている。その瞳は、もう決壊寸前だ。

「かあちゃん、かぜのたみはやめた。ずっといえがほしかったって、おれにいったんだ」

 ぐいっと、フルモアは乱暴に涙をぬぐう。そして、にっと笑った。

「だから、おれはこのむらのこだ! かぜのたみ、ちがう!」

 フルモアの言葉が本当なら、彼らはやっとこの地に腰を落ち着けて、必死に生きようとしている家族にしか思えない。

 どんなに冷たく邪険にされても、健気に村人たちと馴染もうとしていなければ、「このむらのこ」なんて言ったりしないとぼくは思うのだ。

「……それで、お母さんと赤ちゃんが死んじゃうっていうのは、どうして?」

「ん~っとね……」

 たどたどしいフルモアの言葉を何とか聞き取ったところによると、母親が数日前から青い顔をして寝込むようになったらしい。

 母乳を満足にもらえないからか、赤ちゃんも何だか元気のない様子なのだそうだ。

 村の大人に助けを求めても、「寝てればそのうち治る」と取り合ってくれないと言う。

 いても立ってもいられなかったところに、子連れの旅人……ぼくたちが村に来たことを小耳に挟んで、同じ子どもなら助けてもらえるかもと思ったらしい。

 それで、村人の目につけば邪魔されるからと、単身密かに小屋に忍び込んだ……というのが、今回のてんまつのようだ。

「お母さんが、青い顔をしてた? ほかには何かある?」

「ん~っと、めがまわるとか、あたまがいたいって。あ! あと、からだがおもい!」

「……もしかして、赤ちゃんってつい最近生まれたの?」

「そう! ふたつき? まえ」

(話を聞く限りは、貧血みたいだけど……)

 リュカが生まれる前に、ポリーヌさんや近所の主婦たちに聞いたことがある。出産後は血が足りなくて、めまいが酷かったと。

(多分母乳に含まれる鉄分も足りなくなってるから、赤ちゃんの元気もないんだ)

 あくまでも、少年に聞いた情報から出した推測でしかない。しかも、素人判断だ。

「実際に見てみないと、やっぱり情報が少なすぎる」

「坊っちゃん。そりゃあ、だめですぜ」

 ぼくがつぶやいた言葉に、ドニがすかさず待ったをかける。

「でも」

「いいえ、だめでさあ。護衛としちゃあ、みすみす坊っちゃんを危険な目に合わせるわけには、いきませんで」

「そんな、大丈夫だって」

「こればっかりはだめでさあ。諦めてくだせぇ。もし感染る病だったら、どうするんでさあ」

「それは……」

 ドニの言うことはわかる。ブノワやチボーの顔を見ても、二人ともドニと同じ意見のようだ。ふるふると、諦めろと首を振っている。

「最悪、リュカ坊っちゃんにまで感染るかもしれないんですぜ? 助けたい。その気持ちはよくわかりやす。……けれど、ほかの誰かを助けて、本当に守りたいもんが守れなかったときの後悔は、しんどいもんですぜ」

「……」

 貧血だと思う理由は説明できない。会いさえすれば、鑑定ができるのに。もっとも、感染る病気の可能性もあるのも確かだ。

(ドニの忠告は正しいし、無下にできない。それに、ぼくだって大切なリュカを悲しませたり、危険な目に合わせたくないんだ。けれど……)

 臆病な八方美人。ぼくの悪いところだ。

 それがわかっていても、ぼくはフルモアを見捨てられない。……だって、この子はぼくだ。前世の記憶を持たず、頼りになる大人が誰も周りにいなかったかもしれない、ぼくなんだ。

「おねがい……リリー、いもうとのごはんだけ。あかちゃんのごはん、もってない?」

 強くこぶしを握ったぼくの腕を、フルモアがくいくいと引っ張る。ぼくよりも年下なのに、細かい傷がたくさんついて荒れた手だった。

 ぼくは、その手をしっかりと握ってフルモアの目を見る。

「赤ちゃんのごはんはあげる。でも、ぼくは直接、助けてあげられない。……だから、フルモア、きみ自身でお母さんと妹を助けるんだ」


「生活魔法は使える?」

「うん!」

(良かった……使えないって言われたら、どうしようかと思った)

 内心ほっとしながら、どうしても捨てられなくて取っておいたリュカの哺乳器と粉ミルクを、収納ストレージから取り出す。取っておいて、本当に良かった。

 そう、ぼくが直接赤ちゃんの面倒を見てあげられないなら、フルモアにお世話の仕方を叩き込んでしまおう作戦だ。

 ぼくがミルクの作り方を口頭で説明しながら、フルモアが手を動かす。

 哺乳器に洗浄クリーンをかけ、水生成ウォーター発熱ヒートでお湯を出したら、哺乳器半量で粉ミルクはさじ一杯。

「人肌……ちょっとぬるいかな? くらいまで冷めたら、赤ちゃんにあげるんだ」

 ぐっすり寝ているリュカが起きないのを良いことに、飲ませ方やゲップの仕方も実演して見せる。

 ついでに、もうこのまま朝まで寝てしまいそうなリュカに、おむつをつけるところも見せた。

 リュカは三歳。トイレの失敗は減ったけれど、夜はまだおむつをつけて寝ることが多いのだ。

 フルモアにはもちろん後始末の仕方も教えたけど、最初はきっと怖気づくだろう。主に、で。でも、きっとそれも経験だと思う。

 おむつ用スライムシートは、リュカもまだ必要なので全ては渡せない。なので、半分をフルモアに分けてあげた。

 今はソル王国内の少し大きな町なら、おむつ用スライムシートはふつうに買える。ぼくたちは、その時に補充すれば良いのだ。

 次に、収納ストレージからレバーペーストの瓶を二つ取り出す。

 王都ミネライスは養鶏が盛んだったので、もちろん内臓も食べた。これは王都のパン屋でたまたま見つけて、鉄分補給に良いとストックしていた虎の子だ。

「色は変だけど、女性の体に良いジャムだよ。そのままでも、パン粥に乗せて食べても良い。毎日、少しずつ食べれば元気になるから。あ、ナマモノだから、絶対収納ストレージで保管するんだよ?」

「わかった!」

 瓶もフルモアに渡す。次々とぼくがフルモアに物を押しつける様子を、ドニたちは呆れたように見ていた。

「あとは、やっぱり治療師か薬師に、お母さんを診てもらえると良いんだけど……。この村にはいないの?」

「いない……。でも、となりむらに、まじょばあがいる!」

「え! 魔女婆!?

 この世界にも、いやこの世界だからこそ、本物の魔女がいるのだろうか? そう思うと、ぼくは少しだけわくわくした。

「さんば! やくそう、いっぱいしってる」

「ああ。なんだ。産婆さんか」

「そんちょうに、まじょばあよんでっていったけど、だめだって……」

 フルモアはしゅんとしょげて言う。

「ここから隣村まではどのくらい?」

「いったことないけど……。あさあるいていっても、おひさまがまうえにはこないって、いってた」

(っていうことは、徒歩で二~三時間くらいってこと? 馬車ならもっと早くだ)

 思っていたよりもそう遠くはない。かと言って、まだ子どものフルモアを、見知らぬ村に歩いて行かせることもできない。

「……フルモアのお父さんは、いつ頃帰ってくる予定なの?」

「りもんのしゅうかくが、おわるころ。とうちゃん、はるがくるまえには、かえってくるっていってた。たぶん、もうそろそろ?」

(リモン……ってことは、もしかしてシトロノー村?)

 確かに、シトロノー村ならこの村までほぼ一本道で移動しやすい。それに、リモンは冬が収穫時期だから、稼げそうではある。

 下手に手を出すより、お父さんの帰りを待つべきだろうか。でも、お父さんが帰ってくるまで待って、もしお母さんの容体が悪くなったら?

(そうだ……。ぼくの父さんみたいに、大丈夫だって思ってたら、あっという間に容体が悪くなることだってあるんだ)

 ぼくは迷いが吹っ切れて、ガバッと頭を下げた。ドニたちに向かって。

「ドニ、ブノワ、チボー。明日、隣村の産婆さんを連れてきてほしいんだ。お願いしますっ」

「坊っちゃん……。また、なんでそんなに肩入れするんでさあ。村のことは村のこと。無闇に俺たちが首を突っ込むのは、逆に気を悪くさせるだけですぜ」

「わかってる……」

 ここで、泣くな。そう思うのに、涙が込み上げてくる。

「最初はたいしたことないって言ってたのに、ぼくの父さんは死んだ。それから、リュカを育てるのだって大変で、たくさんの人に助けてもらったんだんだ。自分は助けてもらっておきながら、フルモアを見捨てるなんてことできないよ……」

「おねがい、します!」

 フルモアも、ぼくの隣で深々と頭を下げる。

「はあ……。仕方ないでさあ。そこまで言われちゃあ、ちょっくらひとっ走り、遣われにいきやしょうかね」

「! ありがとう、ドニ……!」

「やったー!」

 ぼくとフルモアは嬉しくて、ハイタッチ! 喜びをわかち合う。

「護衛としちゃあ、だめですがね。使用人からしてみれば、甘くても優しい坊っちゃんの方が、好ましいってことでさあ。それを支えるのが、使用人の役目ってもんでもありやすし」

「情がないやつより、全然マシっす!」

「(こくこく)」

 ドニは頬をかいて、困ったように笑う。ブノワやチボーも、ぼくに親指を立ててくれていた。

 気がつけば、窓の外はどっぷりと日が暮れている。チボーに付き添われて、フルモアは急いで家へと帰って行った。

「おいしいみるく、はやくいもうとに、あげたい! ありがとう!」と飛び切りの笑顔を残して。


 翌日のお昼過ぎ。少し寝不足のぼくは、あくびをかみ殺しながら小屋で朗報を待っていた。

 早朝、隣村へと出発したブノワ。馬車をかっ飛ばし、太陽が中天に昇る前に産婆さんを連れて、戻ってきてくれたのだ。

 いま、チボーの案内で産婆さんはフルモアの家に出向いて、診察をしてくれている。

「にぃに~。ちゃんと、みててっ!」

「見てる見てる」

 リュカは最近、フェクレールの町で買った馬の人形に、母さんお手製のくまの人形をまたがらせて、乗馬ごっこをするのが好きなのだ。

 飽きずに遊んでくれているのは良いけれど、いかんせんその様子をぼくに見ていてほしいという、謎のこだわりがあるのは困る。

 おかげで、ちょっとでも気を逸らすと、リュカに怒られるのだ。

「ぱっから、ぱっから~。ぎゅ~~~ん」

(リュカ。にいに、馬はぎゅ~んはしないと思うよ。あと、馬に熊をまたがらせるのも、ちょっと……)

 兄の心、弟知らずで遊んでいるのを眺めていると、扉がノックされる。

「オレ、オレっす! ただいま戻りましたっす!」

「おい、チボー! 俺じゃなくて、ちゃんと名乗りやがれ!」

「いや~、名乗んなくても、団長だってオレってわかってるじゃないっすか」

 そんな漫才みたいなことを言いつつ、ドニが内から扉を開ける。すると、杖で二人の間を割って、いの一番で部屋に入ってきた人物がいた。

「イーヒッヒッ。邪魔するよォ」

 しゃがれ声が不気味に響く。真っ白な長い髪に、鷲鼻。折れ曲がった腰に、杖をつきながらもどこか機敏な動き。

 真っ黒なローブ姿の老婆は、想像通りの「魔女」だった。

(唯一惜しいのは、三角帽子を被ってないことくらいかな……)

 魔女婆は遠慮なんてすることなく、空いた席にどかっと腰を下ろす。

「アンタがアタシをここに呼んだんだってねェ。ヒッヒッヒッ」

「はいっ」

「あの母親は、血が足りなかっただけさァ。感染るもんじゃない。だから、血を造り浄めるイラクサの粉。それと産後のはらを整える、アタシ特製ローズヒップとラズベリーリーフの薬草茶。この二つを、しこたま渡しておいたよォ。イーヒッヒッ」

 見た目は奇怪な魔女だけど、仕事っぷりは至極真っ当な魔女らしい。

 確か、前世の記憶で鉄分はビタミンCと一緒に摂ると良い、というのはうっすら記憶にある。ローズヒップはビタミンC爆弾と言われていたはずだ。

「その、イラクサの粉ってなんですか?」

「ヒッヒッヒッ。これさァ」

 魔女婆が取り出したのは、小さな壺だった。

「手を出しなァ」というので言われた通りにすると、小さなスプーンで粉末をひと掬い分のせられる。見た目は、抹茶みたいだ。

(鑑定)


【名前】イラクサ(粉末)

【状態】優

【説明】食用・飲用可。イラクサの葉を乾燥させ、粉末状にしたもの。血を造り、浄めるなどの効果を持つ。老若男女に使用可。


 試しに鑑定をしてから、ぼくは思い切ってぺろっと舐めてみる。

(匂いは、なんとなく海苔っぽい? 味はほんのりミント風味のような……。でも、全然癖がなくて食べやすい! これならリュカも嫌がらないかも!)

「ふつうに、美味しい!」

「イーヒッヒッ。そうだろうォ? 料理に混ぜても、お湯に溶かして茶として飲んでも良い。栄養たっぷりさァ。その壺は、おまけでアンタにやろう。奮発して支払ってくれたからねェ。そのちっこいのにも、食わせてやんなァ。ヒッヒッヒッ」

 そのちっこいのと言われたリュカは、いつの間にかぼくの椅子の後ろに隠れていた。片目だけ顔を出して、魔女婆に釘付けだ。

「アタシは、依頼主には結果をちゃーんと伝える主義なのさァ。難癖つけられちゃ、商売あがったりだからねェ。さあて、用は済んだよッ。そこのニイサン、ほれ、無口で無愛想なアンタだよッ。こんなところまでアタシを連れてきたんだ。帰りも当然送ってってくれるよなァ。イーヒッヒッヒッ」

 そういうと、魔女はブノワを追い立てて、風のように去っていった。

 今から魔女を送っていくとなると、ブノワは日暮れまでに戻って来れるかギリギリの時間だ。ということは、必然、今日もここに泊まることとなる。

「坊っちゃん。預かってた金の残りっす。魔女さん、奮発して支払ってくれた、なんて言ってったっすけど、最初は五銀貨しか受け取ろうとしなかったんす」

「えええ! 診察と出張代、それに、こんな高品質な薬で五銀貨は安すぎだよ! その倍は覚悟してたのに」

「そう思って、無理やり追加で五銀貨握らせたっす」

「でかした! チボー!」

 この村に来てから、初めて善性の大人に会ったかもしれない。強烈な印象だったけど、颯爽と人を癒し、去っていくのは痛快ですらあった。

「じゃあ、その余ったお金で、この小屋の延泊交渉してきてね」

「……はいっす」

 とぼとぼと、肩を落として小屋を出ていくチボー。

 何はともあれ、これで午後はゆっくりできるのかと、ぼくはリュカを抱き上げる。すると、かわいいそのお口からは、聞きたくなかった言葉がつぶやかれた。

「にぃに~。い~ひっひっ! い~ひっひっ! ……にてりゅ?」


 結局、ブノワは一日で村と村を二往復した。

 さすがに、その次の日の朝に出発……とはいかず。もう一泊休養をとったぼくたちは、やっと出発することになった。

(まさか一泊でもごめんだと思った村に、三泊もすることになるなんて……)

 フルモアは、あれからちょこちょこ小屋に顔を出してくれた。

「かあちゃん、ぐっすりねれるようになった。いもうとも、みるくたっくさんのんでる! ありがとう、るい!」

 その満面の笑みを見ると、ぼくは心から良かったと思うのだ。

「坊っちゃん、そろそろ行きやすぜ」

「うん!」

 小屋を出ると、フルモアと赤ちゃんを抱いた見知らぬ男性が、見送りに来てくれていた。

 フルモアとは正直似ていない顔立ちだけど、きっとお父さんなのだろう。フルモアは手を繋いで、安心しきった顔をしている。

「るい! とうちゃん、かえってきた!」

「本当に! ありがとうぉございました! 昨日夜近くに、出稼ぎから帰ったんですぅ。俺ぁ、フルモアから話を聞いて、なんてぇお礼を言っていいかぁ……。ああ、魔女婆に払った十銀貨もぉ、どうぉか受け取ってぇください」

 訛りがあるお父さんは、ぺこぺこと頭を下げる。そのポケットから取り出したお金を、ぼくはありがたく受け取った。

「おれ、いまはなんもかえせない。でも、ぜったい、いもうとまもる! るいみたいに、ひとをたすけられる、かっこいいあにきになる!」

 太陽みたいな眩しい笑顔で宣言したフルモアに、ぼくは嬉しくて恥ずかしい気持ちだ。

「あっあ~」

 お父さんの腕に抱かれた赤ちゃんが、声をあげた。

 まるで、フランス人形のように可愛らしい赤ちゃんだ。大きなくろに、くるくるの金髪。頬にうっすらと紅が差して、元気そうに見える。

「元気になって良かったねえ~。ミルク、いっぱい飲んで大きくなるんだよ」

 ぼくの人差し指を小さなお手々で握った赤ちゃんに、最初で最後の挨拶を告げて、馬車に乗り込んだ。

「さようなら~」

「「ありがとう~!」」

 初めて、集落から旅立つ際に村人に見送ってもらう。馬車から見えなくなるまで、ずっとずっと、後ろの道に親子の姿は立っていた。