(ははは。元気だな)
湖を眺めながら食事や遊びを楽しんでいると、空の端が徐々に橙色に変わってきた。冬は日没の時間が早いのだ。
ずっとリュカの相手をしてくれていたドニが、チボーたちと交代したのか、どかっとぼくの隣に座る。
「いやー、まいったまいった。子どもってのは、本当に元気ですぜ」
「でも、きっとこれで疲れて、夜もしっかり寝てくれるよ」
そのまま二人並んで、黙って湖を眺める。憂いを帯びたような湖も美しくて、魅入られたように時間が過ぎた。
「にぃにー!」
遊びは気が済んだのか、ていやとチボーの手を振り払って、リュカはぼくに向かって一生懸命走ってくる。抱き上げると、冷たいほっぺが顔に当たった。
「そろそろ、宿に戻ろっか」
「あーい!」
湖でのんびりと贅沢な時間を過ごしたぼくたちは、宿へと歩き出した。
待ちに待った夕食だ。日中、村を歩いて回り、湖で遊んだのでお腹がぺこぺこだった。
宿で腕を振るう料理人の旦那さんは、元王宮料理人なのだとか。
昨夜、ぼくたちが食事を絶賛すると、女将さんが給仕の合間に自慢げに教えてくれた。だから、今夜の食事も期待が持てる。
「今夜の料理は、王都の方々は見慣れないかもしれません。湖で獲れた、新鮮な旬のフラット貝を使った料理です。とても美味しいので、ぜひ試してみてください。白ワインともよく合いますよ」
その言葉に、大人たちはさっそく食前酒を注文していた。まったくもう。
「小さなお子さんは好まれないことが多いので、大人とは別の料理です。大人の方も、もし食べてみて合わないようでしたら取り換えますから、気軽におっしゃってください」
(そんな前置きが必要だなんて、フラット貝って一体どんな味なんだろう?)
ぼくたちが不思議に思っていると、すぐに前菜と食前酒が並べられた。
前菜は、薄く切ったパンにクリームチーズ・貝のペースト・茸のソテーがのったカナッペだ。茸とバターの焦げた良い香りがする。
リュカには半身に切ったゆで卵に、クリームチーズと白身魚のソテーがのったサラダが出された。こちらもなんだかおしゃれで美味しそうだ。
「「「「いただきます(いたっきまっちゅ)。乾杯~!(っぱ~い)」」」」
カナッペを手でつまんで食べると、貝の旨みがぶわっと口に広がった。この味は……牡蠣だ!
磯の風味は全くしない。でも、茸の香りとよく合って、もう一つまた一つと食べたくなる。
(この村、というかソル王国自体が内陸の国だから、湖は淡水のはず。そういえば、今まで気づかなかったけど、サーモンも淡水だと獲れないんじゃ……?? どういうこと?)
前世の知識と照らし合わせると、この世界の生態はやはり前世とは少し違うのかもしれない。混乱しそうになるけれど、考えても答えはでない。そういうものだと割り切るしかないだろう
そんなことより、ぼくには目の前の美味しい食事の方が大切だった。美味しいは正義だ。
さくっと前菜を食べ終えて、わくわくしながら次の料理を待つ。
フラット貝中心のコース料理であの前置きだとしたら、もしかしたらもしかするかもしれない。
「お待たせしました。生フラット貝です。こちらはお好みでリモンを絞りかけるか、このワインビネガーとエシャロットのソースをかけて、食べてください」
(うわあ! やっぱり来た! 生フラット貝だ! ここでこれが食べられるなんて!)
ぼくは白くつやつやに輝き、見るからにぷりっと美味しそうなフラット貝に、目が釘付けだった。
ちなみに、リュカにはかぼちゃとサーモンのチーズ焼きがココットで出されている。スプーンで食べられるので、幼児には大変ありがたい。
大皿に隙間なく並べられた大きなフラット貝は、一人三つは食べられるだろう。ぼくは争奪戦も辞さない覚悟だったけれど、生の貝に大人たちは怖気づいていた。
「……生の貝なんて食って、腹壊さねえのか?」
「オレ、生はちょっと無理かもっす……」
「おい、ブノワ。お前、先に食ってみろ」
「(ふるふる)」
誰が毒味役をするか押しつけあっている。そんな醜い大人たちは放っておいて、ぼくはリモンをたっぷり絞りかけ、ちゅるんっと食べた。いや、飲んだ。
(……ああ! 美味しい!!)
身は大きくぶりんぶりんで、噛むごとに貝の凝縮した旨みが口いっぱいに広がる。
やっぱり磯の香りは感じられないけど、その分リモンの香りが強いので、これはこれでむしろ良い!
「坊ちゃん、生の貝をそんなに嬉々として食うなんて……」
「男っすね」
「(じー)」
「もぐもぐ。こんなに美味しいのに。みんなが食べないなら、ぼくが全部食べるから」
「……そんなに美味いっすか?」
「ものすごく」
きっぱりと言い切ったぼくに、チボーが恐る恐る一つ食べてみる。初めは顔を歪めていたのに、次第に目を輝かせて「うまいっす!」と叫んだ。
それを聞いて、ドニとブノワもやっと食べ始める。二人ともチボーと同じように目を輝かせると、白ワインをがぶがぶ飲んだ。
(みんなして現金なんだから)
食わず嫌いをしていたのに、今では目の色を変えて、貝と白ワインのループを楽しんでいる酒飲みな大人たちには呆れてしまう。
あっという間に、あんなにあったはずの生フラット貝は、食べ尽くされてしまった。空殻がお皿の上で山になっている。
「あら、みなさん食べられたようで良かった。生はやっぱりいやがる方がいるんですけど、フラット貝はこの村の隠れた特産なんですよ」
皿を下げに来た女将さんが、にこにこしながらそう言った。
この世界では食材に火を通すのが当たり前なので、王都ミネライスでは特に生食はゲテモノ扱いされる。
それに、貝は独特の苦味があるし、感触を好きではない人もいる。好みがくっきり二分されるので、前置きがあったのは納得だった。
次の料理は、フラット貝のほかに白身魚や野菜がたっぷり入ったミネストローネだ。ぎゅっと凝縮した魚介と野菜の旨みに、元気が湧き出てくる。
生フラット貝で冷えた胃がスープで温まった頃に、女将さんが次の料理を運んできた。絶妙なタイミングで料理が提供されるのも、この宿の良いところだ。
「こちらは、旦那自慢のベシャメルソースを使った、フラット貝のグラタンです。宿でも一二を争うくらい大人気なんですよ。お子さまはフラット貝の代わりに白身魚です」
殻を器にした、見た目も豪華なグラタンだ! 湯気すらも美味しそうに見える。
スプーンを入れると、大きな身が丸々一つ入っていた。熱々なので、よだれが出そうになるのを堪えながら、ふうふうと冷まして一口食べる。
「んんん……!」
貝はもちろん美味しい。でもそれ以上に、貝の旨みを纏った濃厚なベシャメルソースが最高だった。しっとりと滑らかな舌触りで、味に奥行きがある。さすが元王宮料理人。ソースが本当に秀逸だ。
「……にぃに、しょれ、なあに?」
一人だけ深皿のグラタンだったリュカが、ぼくたちが食べている貝の殻に興味を持ったみたいだ。きょとんと不思議そうに見ている。
「これもグラタンだよ。リュカのはお魚で、にいにたちのは貝のグラタンなんだ」
「かい? おいちい?」
「とっても美味しいよ」
「りゅーも、かい、たべちゃいっ!」
「うーん。火が通ってるから、幼児が食べても大丈夫なはず。……じゃあ、にいにのをちょっと食べてみる?」
「やっちゃー!」
一応、女将さんにも問題ないことを聞いてから、リュカにあげる。喉につまらないように貝を一口サイズに切り、少し冷ましてから殻に戻して渡した。
リュカはスプーンで上手にすくって食べる。
「むぐむぐ……。かい、おいちい!」
「はは。なら良かった。子どもは貝の苦味は苦手だと思ってたけど、リュカは好みが渋いね」
「それを言うなら、ルイ坊ちゃんもですぜ。二人とも、将来はとんでもねえ大酒飲みになりやすな!」
「間違いないっす!」
「(こくこく)」
ぼくも、リュカの白身魚のグラタンを少しもらって食べてみる。こちらも文句なく美味しい。
それに、気のせいでなければ、このベシャメルソースは白身魚に合うように調整されている気がする。フラット貝のものと比べると、さっぱりと優しい味わいだ。
女将さんたちはリュカが食べやすいように気を遣ってくれるし、それでいて料理にも手を抜いていない。ぼくはすっかりこの宿のファンになってしまった。
(お願いしたら、ストック用の料理を作ってもらえないかなあ。この料理が、旅の間でも食べられたら幸せなんだけど……)
あとで、女将さんに交渉してみよう。いまは閑散期でお客さんは少ないようなので、頼めば作ってくれるかもしれない。
ぼくがそう考えていると、最後の料理がやってきた。
「最後の料理は、フラット貝のオイル煮です。そのままでも、焼きたてのパンにのせて食べても美味しいですよ。お子さまは、シザーズシュリンプのソテーをどうぞ」
スキレットに、たっぷりと贅沢に注がれたオイルの湖には、フラット貝の剥き身が隙間なく敷き詰められている。
ぐつぐつという音と、暴力的なバジルとガーリックの香りに、どうしようもなく食欲がそそられた。
「「「「ごくっ……」」」」
四人で競うように取り分け、少し冷ましてから身をそのまま頬張る。まだ中は熱々で、涙目になりながらほふほふと味わった。
(火がしっかり通って、身が引き締まった貝も美味しい! バジルとガーリックの組み合わせなんて、反則すぎるよ……!)
丸パンを手に取ると、ソル王国では珍しいふかふかと柔らかいパンだった。これならぼくもリュカも食べられる。
パンに貝をのせてぱくり。その次はパンをオイルに浸し、たっぷりのバジルとガーリックごとスプーンですくってぱくり。もう結構食べたはずなのに、いくらでも食べられそうだった。
むさ苦しいおっさんたちが唇をテカテカにテカらせて、お互いを指差しあってゲラゲラと笑っている。その様子を見て笑っている、ぼくの唇もきっと。
そうして、すっかり食べ終わる頃には、うっすらと汗ばむくらいだった。はち切れそうなお腹を抱えて、ぼくたちはちょっぴり臭う幸せのため息を吐き出したのだ。