それからも、リュカのいないところで何度か話し合う。けれど、ぼくと母さんはどこまでも平行線で、家の雰囲気は最悪だった。


 そうこうしているうちに父さんの三周忌も無事に終わり、年明けにリュカの三歳の誕生月を迎えた頃。うちに、ダミアン商会の見習いがやってきた。

「旦那様が、このあと時間があれば来てほしいと言ってましたよ」

(もしかして、お願いしていた件のことかな)

 その伝言を受け取ったぼくは、エミリーさんにリュカをお願いして、さっそく商会へと向かう。

 実はあの昼食会の後、ぼくはベルナールの情報を集めてもらえないかと、ダミアンさんにお願いしていたのだ。きっと、そのことで何か収穫があったのだろう。

 最近のダミアン商会は国内に五つある主要な都市にも支店を出して、手広く商売をしている。ぼくに支払われる契約金からもわかるくらい、もうかっているようだ。

 そうなると、商売先は庶民だけではなく、貴族になることもあるだろう。情報だって勝手に集まってくるはず。そう見込んで、情報収集をお願いしたのだ。

(それに、ダミアンさんくらいしか頼める人がいないし……)

 以前より、忙しさも相当増していると思う。そんな中でダミアンさんを頼るのは躊躇ためらわれたけど、ぼくもなりふりなんて構っていられない。

 お願いするにあたって、もちろんいくつか商売のネタを提供したので、これは立派な商談だ。商人にタダで何かをお願いすることほど、怖いものはない。

(お願いしたは良いけれど、鬼が出るのか蛇が出るのか)

 久しぶりに訪れた商会で、ぼくは商談部屋に案内される。あまり待つことなく、ダミアンさんも部屋に入ってきた。

 ダミアンさんは相変わらず、立派なビール腹だ。その柔和な笑みは前世の恵比寿様みたいで、なんとも福々しい。

「ダミアンさん、こんにちは。忙しいところ、ごめんなさい」

「ルイ、元気そうで安心したよ。こちらこそ、急に来てもらってすまないね。頼まれていた件で、いくつか話さねばと思って……まあ、まずは座っておくれ」

「はい」

 促されて、ソファに座る。上等な革を使っているのだろう。ソファは手触りが柔らかく滑らかで、体を包み込むような安定感があった。

「では、さっそくだがね。まずはベルナール・ド・モンフォールについてだ。貴族家の三男で、結婚歴があるのは間違いないようだよ」

「そう、なんですね……。それは嘘じゃなかったんだ」

「ベルナールの前妻は、それなりに裕福な商家の出身でね。その親戚筋に聞いたから、間違いない。だが、本当に聖職者なのかまではわからなかった」

「えっ。わからなかったんですか?」

 ぼくが驚くと、ダミアンさんは口髭を触りながら続きを話した。

「うむ。ベルナールが司祭を務める教会は、存在したのだが……。出入りが女性ばかりで、近所でも教会だとは思われていなかったのだよ。ただ、番頭や手代が言うには、そこで何やら怪しげな小物を売りつけているとか、財産のしんを勧められるとか。そんな話を客から世間話で聞いたそうなのだよ」

「じゃあ、母さんはやっぱりそこで……」

 半ば予想していたことだけど、これでベルナールが黒幕なのは確定だろう。

「これ以上となると、新教会の本部に問い合わせるしかない。そうなると、探っていることが相手に知られてしまう恐れがあるからね。ひとまず、調べられることはこのくらいだろう。あまり力になれなくて、すまないね」

「とんでもない。十分です。本当に、ありがとうございます」

 ぼくはかぶりを振る。危険を承知でここまでの情報を収集してくれたダミアンさんには、感謝しかない。

「あ。そうだ、一つだけ。モンフォール家について、ダミアンさんは何か知っていますか?」

「モンフォール家か……。確か、先々代までは貿易商人で、官職を買って貴族になったはずだよ。いわゆる、新興貴族というやつだ。貴族としては、決して家柄は良くない。しかも、先代がうまく立ち回れなかった結果、閑職に回されて、ずいぶんと懐具合が寂しいと数年前までは商人の間で噂されていたのだが……」

「何かあったんですか?」

 ダミアンさんの思わせぶりな言葉に、ぼくはいやな予感がしてならなかった。

「面白いことに、最近は羽振りが良いそうだよ。ことあるごとに商人を屋敷に呼んでは、豪遊しているのだとか」

「豪遊……。領地からの収入があるとか、ほうきゅうが良くなったという訳でもないんですよね?」

「そのようだね」

「それは、限りなく黒に近いんじゃ……」

「私もそう思うがね。確かな証拠はないし、相手は腐っても貴族だ。一介の商会や、ましてや庶民がどうこうできる相手ではないよ」

 もし、ベルナールが集めた金が、実家であるモンフォール家に流れているとしたら。ずぶずぶの関係も良いところだろう。そうじゃなくても、あくどいことに手を染めていそうな匂いがぷんぷんする。

 なんて厄介な存在に目をつけられてしまったんだろうかと、ぼくは頭を抱えた。しかも、今のダミアンさんの話で、ある疑惑が深まってしまった。

「実はぼく、少し前から疑っていたことがあるんです……」

「それは何かな?」

「──魅了もしくは洗脳といったスキルを、ベルナールが持ってるんじゃないか、って」

 ダミアンさんがはっと息をのんだ。

「それは……わからん……。そんなスキル、少なくとも私は聞いたことはないが……」

「でも、そうじゃないと、母さんがあそこまで変わってしまった理由がつかないんです。それに、今のダミアンさんの話だと、教会には女性ばかりが出入りしてるって」

 ぼくの脳裏には、父さんと母さんと三人家族だった時の記憶が蘇る。母さんはいつも優しく笑っていて、四季折々には手ずから服を仕立ててくれた。それに、ぼくをことあるごとに抱きしめるのが、好きだったんだ。

「母さんは、父さんが生きていた頃は、何よりも家族を大切にしてました。少なくとも、たった数年でぼくとリュカを放っておいても気にも止めなくなるような、そんな薄情な母親じゃなかった」

「……もし仮にスキルの影響があるとしたら、事は急を要するかもしれん。すでにルイたちは、ベルナールに目をつけられてしまっている」

 ダミアンさんは、おもむろに懐から一通の手紙を取り出し、ぼくに差し出した。

「ルイ、君の祖父母からの手紙だ」


 父さんが亡くなってから、ぼくは年に数回、祖父母と手紙のやりとりをしていた。

 祖父母と付き合いがある商会と、ダミアン商会も取引があるらしく、たいていは二つの商会経由で手紙を送り届けてもらっている。

 この世界に郵便システムなんてものは存在しないので、手紙を送ろうと思ったら旅商人や旅芸人に有料で届けてもらうことがふつうだ。でも、それだって途中で捨てられてしまったり紛失されたりして、相手に届かないこともよくある。

 名のある商会経由は行商ついでなので時間はかかってしまうけれど、信用問題に関わる分、一番確実だ。とはいえ、少なくない料金がかかるはずなのだけど、代金は祖父母が前もってすべて支払ってくれていた。

(ソル王国から隣のアグリ国までなんて、一体どのくらいの値段になるのか……。恐ろしい)

 だから、祖父母がどうやら裕福らしいということは、うっすらと気づいていた。

 そういった事情があるにせよ、なぜいまここでダミアンさんが手紙を差し出したのか。その意図がわからなくて、ぼくは戸惑ってしまった。

「まあ、読んでみればわかる」

 さあとダミアンさんに再び促されて、ぼくはやっと手紙を読み始めた。


『親愛なる孫たちへ

 お元気ですか? なかなかかわいい孫のあなたたちに会うことができず、寂しく思っています。

 季節ごとに送られてくる手紙が、私たちの唯一の楽しみです。

 最近、ようやく夏の手紙を受け取りました。

 ルイが事細かく書いてくれるので、すくすくと成長しているリュカの様子が、目に浮かぶようでした。

 この手紙が届く頃にはもう三歳かと思うと、幼子が成長するのは本当にあっという間で、感慨深い思いでいっぱいです。

(中略)

 ところで、ルイ。あなたたちの母については、少しですが聞き及んでいます。

 私たちは歳が歳なのでそちらに出向く事はできませんが、あなたたちのあまり良くない状況に、心配でいてもたってもいられません。そこで、一度そちらに人をることにしました。

 長く我が家で働いてくれていて、信用がおけるドニという者です。

 晩秋には出発して、雪で国境が閉ざされてしまう前には、そちらに到着できるはずです。

 あなたたちが安心してそちらで暮らせているのであれば、それに越したことはありません。けれど、もし何か困っていることがあれば、遠慮なくドニを頼ってください。

 それと……もちろん、ルイとリュカが良ければですが。ドニとともに、もし二人が私たちの元に来てくれるのであれば、大いに歓迎します。

 愛をこめて。心配性のあなたたちの祖父母 マルタン・ヴァレー、イネス・ヴァレーより』


「これは、どういう……?」

 いつも通り、気遣いにあふれた手紙に胸が詰まる。ラベンダーの香りをしのばせた手紙は、どこか温かみがあった。

 けれど、「あなたたちの母については、少しですが聞き及んでいます」とは一体どういうことだろうか。

 祖父母に心配を掛けたくなくて、ぼくは母さんのことを手紙に書いたことはなかったはずだ。

「それは私だ。毎回、ルイ宛ての手紙と一緒に、私宛ての手紙も受け取っていてね。何かルイたちに困ったことがあれば、助けになってほしいとお願いされていたのだ。それもあって、ルイたちの近況は私からも伝えていたのだよ」

「そうだったんだ……」

「その手紙にある通り、そろそろドニ氏が到着してもおかしくない頃合いだ。……ルイ。ドニ氏が到着したら、リュカを連れてこの国を出てはどうだろうか」

「それは、ぼくたちに祖父母の元に行けと?」

「うむ。国を出てしまえば、下級貴族のモンフォール家が手出しをしてくることはないはずだ。それに、君たちの祖父母は代々続くワインの生産者でね。ヴァレーといえば、隠れためいじょうとして有名なのだよ。大地主として葡萄の栽培から、醸造、販売までを一手に行っている。その伝手も影響力も、モンフォール家以上だろう」

「えええっ! そんなこと、父さんは一言も言ってなかった……」

「そうであろうな。マルクは跡を継ぐのがいやで、家を出たと聞いた。後ろめたさに明かさなかったのも、無理はない」

 まったく知らなかった父さんの過去に、ぼくは目を丸くした。

(父さんってば、やっぱり良いとこのおぼっちゃんだったんじゃないか……!)

「マルクは一人息子だったからな。ヴァレー夫妻の元に行くのであれば、ルイかリュカのどちらかを跡継ぎに、となる可能性はある」

「跡継ぎ……。そんなこと、突然言われても……」

「うむ。戸惑うだろうが、悪い話ではない。跡継ぎともなれば、手厚く保護されるだろう。そうでなくても、ルイ、君はまだ十三歳だ。少なくとも、成人する十六歳まではきちんとした大人のを受けるべきだと、私は思うよ」

(……ダミアンさんの言う通りだ)

 何より、リュカはまだ三歳だ。幼いリュカを安心して育てていくのに、環境はとても大切だと思う。経済的余裕も、社会的信用もあるらしい祖父母に頼れるのなら、頼った方が良いことはぼくでもわかった。

「でも、家や母さんをどうしたら……」

「家については、良ければ商会うちが管理しよう。向こうでの生活が落ち着いたら、また考えれば良い。決めきれないなら、ひとまず人に貸すのも手だよ。人が住まない家は、どうしても傷んでしまうからね。そうやって家を残しておいて、将来、この国に帰ってきたければまた住めば良い」

「確かに……。そうできると、良いかも」

 家を売らなくても済むのなら、売りたくない。ぼくはまだ、気持ちの整理ができていなかった。

「ただ、サラには酷なようだが、一緒には連れて行けないだろう。どんな理由があれ、ヴァレー夫妻にとっては、かわいい孫たちの育児を放棄して、息子以外の男に走った嫁だ。受け入れる事は難しいと思うのだよ。かと言ってここに一人残すのも、ベルナールのことを考えると難しいが」

「そう、ですよね……。でも、母さんは母さんだから。不幸にだけは、なってほしくないんです」

「であれば、一つ提案なのだがね。隣国であるローメン国の聖リリー女子修道院に、サラを受け入れてもらってはどうだろうか。女子修道院は男子禁制。外部との交流も、厳しく制限されていると聞く。ベルナールもおいそれとは手が出せないはずだ。サラも落ち着いて暮らせると思うのだよ」

 八方塞がりな状況で、ダミアンさんのその提案はまさに救いだった。

「そこは、簡単に受け入れてもらえるんですか?」

「いや。それなりの寄付金が必要で、ふつうは無理だがね。今回に限っては、交渉の余地があるのだよ」

「交渉の余地?」

(なんだろう。ぼくに関係することなのかな?)

「実は、その聖リリー女子修道院の院長から、商談の話が来ていてね。先方は孤児院で使いたいと、粉ミルクやおむつなどを所望しているのだよ。安価にゆうずうすると言えば、可能性はある」

「なるほど……。でも、女子修道院に入ったら、母さんとは二度と会えないんですか? リュカはまだ三歳なのに、一生母さんと会えないのかと思うと……」

「そんなことはない。女子修道院に入ったからと言って、何もすぐに修道女シスターになるわけではないそうだよ。生涯信仰に生きると誓わない限りは、世俗に戻ることができると聞いている。表立っては言えないが、一種の女性のための慈善事業だ。だから、ルイがもう少し大人になって問題がなければ、サラを近くに呼び寄せることもできるかもしれん」

「そうなんだ……! それなら……。ダミアンさん、その話、交渉をお願いします……!」

 いくら前世の記憶があっても、まだ子どものぼくではどうしようもないことだった。

 母さんを連れて行くか、ここに残していくか。そんな二択とは別の可能性を示して、手を差し伸べてくれる人がいる。感謝しかなくて、ぼくはダミアンさんに深く頭を下げた。

「本当にありがとうございます! この恩は、いつか絶対に返します!」

「ははは。そうだな。では、ぜひルイには跡を継いでもらって、ヴァレーのワインをゆうずうしてもらおうか。あまりの美味しさに、ほとんどが国内で消費されてしまって、国外にはなかなか出回らないのだよ。幻のワインを取り扱えるともなれば、商会の名が上がる」

 ダミアンさんが冗談めかして笑う。その気持ちがうれしかった。

 これで、家も母さんのことも、はついた。あとは、ぼくの心一つだ。

 脳裏に浮かぶのは、リュカの屈託のない笑顔。

(……リュカを守れるのは、ぼくしかいないんだ)

 こうして、ぼくはリュカを連れて、「この国を出る」と決めた。


 腹を決めたぼくはさっそく準備に取り掛かる。といっても、秘密裏にだ。

(母さんに怪しまれて、もしベルナールにバレたら……。妨害されるかもしれない)

 そうでなくても、子どものぼくが大量の買い物をすれば、不審に思う人が出てくるだろう。

 念には念を入れて、ダミアン商会で取り扱っていない品の買い物は、商人ギルドに依頼を出すことにした。一見、ぼくからの依頼だとはわからないように、ダミアン商会に間に入ってもらっている。

 ドニ氏が到着しないことには、話は進まない。けれど、到着してから準備を始めたのでは、遅くなってしまう。

 もうすでに季節は冬なのだ。この国はあまり雪は降らないけれど、物流はどうしてもゆるやかになってしまう。あれがほしい、これがほしいと思っても、のほほんとしていたら春まで手に入らない可能性があった。

 だから、多少の損や無駄は承知のうえで、ものが買える今のうちに準備を進めておく。

 この旅にはまだ三歳のリュカを連れて行くのだ。リュカのために、安全・健康・快適、この三つは絶対に譲れなかった。

「とはいえ、この世界、子連れ旅の難易度が高すぎる……!」

 ぼくの口から、ため息ともつかぬ愚痴が漏れてしまう。

 目的地であるアグリ国までは、大きな街道が整備されている。この国から、急げば馬車で三週間程の距離らしい。

 けれど、ぼくたちの場合、その倍はかかるつもりで準備した方が良いとダミアンさんに言われた。幼児リュカの体力を考えると小まめに休憩を挟み、雨雪の日は無理せずに休むのが良いだろう、と。

(確かに急ぐ旅じゃないし、ゆっくり兄弟二人旅を楽しみながら、おじいちゃんたちのところに向かえばいいか)

 そうして、人海戦術を駆使して、必要な品物を何とか揃えることができた。

 かなりの費用がかかってしまったけれど、必要経費だ。ヴァレーでの暮らしが落ち着いたら、また稼げば良い。

 品物は商会の一室に集められたので、収納ストレージにしまっていく。

 収納ストレージには時間の概念がない。だから、食料品も腐ることを気にせず収納できた。

 それに、ぼくは魔力が多く、比例して収納できる容量も大きい。でなければ、この量の品物を収納することはできなかった。

 収納ついでに、木板に購入品や相談事項をリスト化していく。メモ書き程度だけど、これがあるだけでも、ドニ氏との情報共有が円滑にできるはずだ。


 ▼ 収納ストレージに保管

 ・医療品

  ・下級ヒールポーション×十本

  ・傷軟膏×五つ

  ・虫よけ薬×五本

  ・虫刺され薬×五本

  ・酔い止め薬×十本

  ・ヒール草×十束

  ・保湿薬×五つ

  ・包帯×二つ

 ・食料

  ・塩×二袋

  ・大豆×一袋

  ・パン×十食分

  ・チーズ(ハーフカット)

  ・木の実×一袋

  ・常備野菜×三食分

  ・ハム・ベーコン・ソーセージ×各三食分

  ・トマトソース×二瓶

  ・ピクルス×二瓶

  ・レバーペースト×二瓶

  ・ドライフルーツ×一袋

 ・水

  ・小樽×二つ

  ・水筒×三本

 ・調理道具

  ・ナイフ×二本

  ・鍋×二つ

  ・フライパン×一つ

  ・銀食器シルバーセット 二人分

 ・リュカ専用

  ・粉ミルク×二週間分

  ・哺乳器

  ・布おむつ×十枚

  ・おむつ用スライムシート×五十枚

  ・おまる

  ・おもちゃ

  ・抱っこ紐

  ・幼児用ハーネス

 ・布類

  ・古布×一箱分

  ・クッション×五つ

  ・マットレス×一つ

  ・毛布×四枚

  ・毛皮×二枚

  ・衣服×上下十セット×二人分

 ・雨具

  ・長靴×二つ×二人分

  ・かっぱ×二着

  ・傘×二本

  ・綿入りの温かい防寒具×二つ

 ・

 ・

 ・


 ▼ 要相談

 ・旅装。特にリュカ。

 ・移動手段。馬車や護衛の手配はどうするか。

 ・移動中の暖房・防寒手段。加湿はどうするか。

 ・野営道具。種類や購入の必要はあるか。

 ・母さんの説得方法。工房への根回し。


 抜け漏れはあるかもしれない。けれど、旅の合間に立ち寄る町や村でも、補給はできるはず。だから、あまり気にしすぎないことにした。

(あとは、リュカが小腹空いた時用に、すぐに食べられる料理のストックを作って、と……)

 まだまだ一息つくのは早い。準備することはほかにもたくさんあった。

 次は、家の管理委託契約だ。

 こちらはダミアン商会が契約書を用意してくれたので、内容を精査するくらいで問題はない。取り交わしは、ドニ氏の到着を待って行うことになっている。

 さらに、ずっとナニーとして住み込みで働いてくれた、エミリーさんとの雇用契約について。

 迷ったけれど、ベルナールのことは伏せ、国を出て祖父母の元に行くとだけ、エミリーさんに明かすことにした。

 ぼくたちが国を出るのなら、必然的にエミリーさんの雇用は終了になる。

 エミリーさんがいてくれたからこそ、ここまでリュカを育てることができた。

 なのに事情を何一つ話さず、さよならも言わず、この国を去るような不義理はやっぱりできないと、そう思ったのだ。

 リュカがお昼寝している隙に、子ども部屋でエミリーさんと話をする。

「──というわけで、ぼくとリュカは、近いうちにアグリ国の祖父母の元に行くことにしたんだ」

「そうですか……。まだ小さくて手のかかるリュカちゃんのためにも、その方が良いのでしょうね。それに、子育ては何かと物入りです。すべての責任を、まだ十三歳のルイさんが負わなくても良いと、わたくしも思います」

「エミリーさん。本当に、今までありがとう。リュカはエミリーさんに懐いているから、出発の時は泣いて暴れそうだよ……」

「生まれた時から、ずっと傍にいて面倒を見てますもの。寂しくなりますね……。あの、出国日はそのドニ氏がいらっしゃるまで、わからないのですよね?」

「うん」

 ぼくがそう返すと、エミリーさんはにこやかに笑って言った。

「では、それまでは私もナニーとして務めさせていただきます」

「エミリーさん、いいの? ぼくはすごく助かるけれど……」

 雇用が終了するとなると、エミリーさんは次の仕事や住まいを探す必要があるはずだ。最後の最後まで、甘えてしまっても良いのだろうか?

「ええ、もちろん」

「……! ありがとう! ぼくたちの都合だから、給金とは別に違約金代わりの手当もだすよ。そのくらいでしか、返せなくて悪いけれど……」

「まあ! むしろそこまで考えていただける方が、めずらしいです。ありがとうございます」

「それと、このことは母さんにはまだ内緒にしててね。お願い。ドニ氏が来てから、説得をする予定なんだ」

「ええ。わかりました」

 これでやっと粗方の目処は立ったけれど……。

(これが最後にして、最大の問題かもしれない。……リュカにどう話そう)

 この国を出て、兄弟二人で祖父母の元に行くこと。エミリーさんや母さんとは、お別れだということ。

 幼児に言ってもわからないだろうから話さない、はおかしい。でも、幼児だからきっとすべてはわからない。

 ぼくはいまだに、どう話すべきか決めかねていた。


 今朝は朝食が終わると、そそくさと母さんは外出していった。エミリーさんも、今日は週に一度のお休みの日なので不在だ。

 この機会を逃すと、次はいつ母さんが外出するかわからない。なので、ここぞとばかりに旅の間に食べる料理を作り置きしようと思う。

 幸い、いつも通りなら母さんは一度外出すると夕方まで帰ってこないので、余裕はあるはずだ。

 手洗いと洗浄クリーンを済ませ、作り置き用に分けていた材料を、収納ストレージから取り出す。

 そうして、ぼくがキッチンで下ごしらえを始めると、窓際で遊んでいたリュカがよちよちと近寄ってきた。

「にぃにー、ごあん、ちゅくってる?」

「そうだよー」

「りゅーも! おてちゅだい、しゅる!」

 食欲旺盛で食べることが好きなリュカは、最近お手伝いにもきょうしんしんだ。

 きらきらした青いお目々で「りゅーも、やりゅ!」と言われると、かわいいのだけれど困ってしまう。

(ぼく一人で作った方が、早いんだけどな~。まぁ、仕方ないか)

 大人しく遊んでいてくれた方が、ぼくとしてはありがたい。けれど、断ると泣いてしまうので、リュカにも簡単なお手伝いをしてもらうことにした。

「それじゃー、リュカくん。にいにのお手伝い、してくれるかな~?」

「あーい!」

 リュカがふんすと張り切って、右手を上げる。かわいい。

 さっそく、リュカに生成りのエプロンを着せる。このエプロンは、胸にフェルト生地の黒猫ワッペンが縫いつけられている。リュカのお気に入りなのだ。

 リュカの手洗いと洗浄クリーンを済ませ、まずは豆や野菜を洗ってもらう。

 本人は椅子にちんまりと立って「んしょ、んしょ」と一生懸命洗っているつもりだけど、いかんせん水遊びしているようにしか見えない。

 その様子を尻目に、ぼくも大鍋三つに水生成ウォーター発熱ヒートで熱々のお湯をはった。その一つにリュカが洗ってくれた豆を入れて放置する。水戻しはさすがに時間がかかるので、湯戻しで時短して、豆の水煮を作るのだ。

 残りの鍋にはそれぞれ芋と卵を入れて、火にかける。

 豆・芋・卵はあればあるだけ助かる食材だし、今回は色々なメニューに化ける予定だ。

 そこまでやってから、すっかり水浸しのリュカのエプロンに乾燥ドライを掛け、次のお手伝いをお願いする。

「さて、次は玉ねぎの皮むきできるかな~?」

「できりゅ!」

 幼児という生き物は飽きやすいものだけど、リュカはまだまだやる気があった。

「じゃあ、お願いね。でも疲れたら、にいににちゃーんと言うんだよ? わかった?」

「あいっ!」

 まずは一度、お手本を兼ねて一緒にむいてみる。

 リュカのちっちゃな指先では、玉ねぎのてっぺんをつまむのは難しいようだ。なので、ぼくが少しだけむいて取っ掛かりを作ってあげると、あとは上手にむけていた。

 リュカは黙々と集中していて、つんとかわいいアヒル口になっている。意外と、こういう作業は合っているのかもしれない。

 リュカのお手伝いを見守りながら、ぼくも野菜を切ったり、粉類などをざっくり計量しておく。しばらくすると、「ぐうぅぅぅ」と大きくお腹の鳴る音がした。ぼくではなく、隣のリュカからだ。

 少しお昼には早い時間だけど、お手伝いをいっぱいがんばったためか、お腹を空かせてしまったのだろう。

「りゅー、おにゃか、ぐーぐー!」

「お腹すいたんだね」

「おにゃか、しゅいた~」

 とりあえず、へにょんと情けない顔のリュカに果物をあげる。その間に、ぼくは昼食作りだ。


 まず、丸々大きくて、ずっしりとした冬キャベツを粗く千切りにする。

 それに、チーズ・小麦粉・水・塩を入れて混ぜ、フライパンで蒸し焼きに。

 中までしっかり火が通ったらトマトソースをかけ、贅沢に目玉焼きまでのせる。なんちゃって洋風お好み焼きの完成だ。

 これに、下ごしらえ済みの食材を組み合わせた、茹で鶏の温野菜サラダと豆のスープを添えれば、急いで作った割にはちゃんとした昼食になる。

「リュカ、お待たせ~。よく噛んで食べるんだよ」

「あい! いたっきまーちゅ!」

 ほっぺを丸くして、もりもりと食べるリュカを見るのは楽しい。本当に、良い食べっぷりだ。

 ぼくとしてはやっぱりお好み焼きにはソースが良いとか、出汁や山芋がほしいとか、ないものねだりをしてしまう。

 なので、正直、味に全然集中できないのだけれど、「美味しい!」と食べてもらえるのはやっぱり嬉しかった。

「リュカ、美味しい?」

「おいちい! りゅー、にぃにのごあん、しゅきっ!」

「ははは。それは良かった」

(お手伝いをがんばって疲れているだろうから、食べ終わったらお昼寝しちゃいそうだな)

 リュカは結局、お好み焼きをもう一枚おかわりして、ごちそうさまをした。このちっちゃな体の、どこに入っているのだろうか。それほどよく食べた。

「リュカ、お腹いっぱいでしょ。お昼寝しよっか」

「やー! おてちゅだい、しゅるっ! ねにゃい!」

 リュカは嫌々とぐずったけれど、もうまぶたは閉じてしまいそうだ。首もかくんかくんしている。

「お昼寝して、起きたらまたお手伝いしてね」

 そう言いくるめ……もとい約束して、体温の高いリュカをゆらゆらと揺らす。リュカは何かむにゃむにゃ言った後、すんなり眠ってしまった。

 今日はぼくしかいないので、リビングに毛布を敷いて、起こさないようにそっと寝かせる。リュカが赤ちゃんの頃、背中スイッチ対策で身につけた技がきらりと光った。

 寝かしつけに成功してしまえば、もうぼくの勝ちだ。

 リュカには悪いけれど、起きる前にすべて終わらせてしまおう。よし、と気合を入れると、ぼくはとうの勢いで、残った作業を片付けていった。

 下ごしらえはほぼ終わっているので、あとは煮たり焼いたりするくらいだ。

 二~三時間かけて、なんとかぼくはリュカの目が覚める前に、料理を作り終わる。

 サンドイッチ・芋のガレット・豆と芋のクロケット・お好み焼き・蒸しパン・鶏肉と豆のトマト煮込み・野菜のスープ・シチュー・ニョッキ・マッシュポテト・マッシュ豆・ゆで卵・茹で鶏・温野菜など……。

 我ながら短時間でよくここまでの品数を作ったものだと、謎の達成感があった。

(リュカの食いつきが良くて、かつ飽きが来ないものを数多くって張り切ったら、むしろ作り過ぎちゃったかもしれない……)

 備えあればうれいなし。ぼくとリュカだけではなく、ドニ氏が食べることもあるかもしれない。そうぼくは自分を納得させ、リュカをお昼寝から起こしにかかった。