疑惑の恋人

 育児と家事に追われる間に季節が通り過ぎ、年の終わりに父さんの一周忌を迎えた。

 今日は、父さんの葬儀でお世話になった司祭様の教会で、ついとうミサを行う。家族のみのひっそりとした略式ミサだ。

 それでも、王都ミネライスで一二を争うほど歴史ある教会で行うので、庶民にしてはずいぶんと立派なものだと思う。それもこれも、優しく理解のある司祭さまのおかげだった。

(ありがたいよなあ……。色々親身になって教えてくれたり、まだ赤ちゃんのリュカもミサに参加して良いですよって快く了承してくれたり……)

 しかも、大きな教会なので、普段は貸切を行なっていないらしいのだけど、今回は特別にぼくたち家族だけの貸切にしてくれたのだ。万が一、リュカが泣き出しても、気兼ねしないようにと。

 もちろんミサは有料で、略式といえどお礼金や心付けを合わせると決して安くはない金額だ。それでも、ほかの教会から提示された金額と比べると、貸切とは思えないほど破格の値段だった。

(葬祭にお金がかかるのは、どこの世界でも同じなんだなあ……)

 あまりにも世知辛い。よほどのことがない限り、三周忌までは家族でミサを行うのが一般的と聞いた。いったいよそのご家庭はどうお金を工面しているのかと、一瞬遠い目をしてしまったぼくは悪くないと思う。

 そういったことから、この教会の司祭様なら心と懐に余裕を持ってミサに臨めるうえ、きちんと父さんにリュカの顔を見せることができると思ったのが、決め手だった。

 当のリュカは、今日はちょこんとお行儀良く長椅子に座ってくれている。レースで縁取られたおろしたての刺繍入りシャツに、もこもこベストが女の子みたいでかわいらしい。

 手には母さん手作りのくまの人形を握りしめ、あぐあぐと耳を噛んでよだれまみれにしていた。きっと、最近生えてきた歯がかゆいのだろう。

(聖堂内が思いのほか薄暗くて泣くかと思ったけど、ご機嫌そうで良かった)

 正面を見上げると、万華鏡のようなステンドグラスから差し込む七色の光が、喪服のぼくたちをぼんやりと照らす。祭壇には捧げ物のパンとワインと一緒に、火が灯ったろうそくが一本置かれていた。

「祭壇に行きましょう。一礼をしてから、リュミネ神の光を拝領します」

 司祭様のその言葉で、一人ずつ祭壇の前に行く。一礼し、司祭様から手渡された小さな燭台のろうそくに、火を移した。

 母さんとぼく、二本のろうそくに火が灯ったら、ミサの始まりだ。

「これより、ついとうミサを執り行います。亡き人との思い出とリュミネ神の光を胸に、共に静かに祈りましょう」

 司祭様のはじまりの挨拶に、ぼくは立ったまま目を閉じる。リュカを挟んで隣に立つ母さんから、すすり泣くような気配がした。

(父さん。リュカはもうすぐ一歳になるよ。ぼくも、次の春には十二歳だ。子育ては想像以上に大変だけど、たくさんの人に助けてもらって、なんとかやってるよ)

 ぼくは心の中の、笑顔の父さんに語りかける。神や妖精がいる世界なら、きっと空の上の父さんにも、届くような気がした。

 そうして、静かに長いもくとうを捧げる。そのあと、司祭様が壇上で聖書を開いて、祈りの一節を口ずさんだ。穏やかなその声はさざなみのように響き、心にみ渡るようだった。

 司祭様の声に合わせるかのように、「あ~う~あ~う~」とリュカが楽しそうに声を上げる。歌を歌っているとでも思ったのだろうか。

 父さんが亡くなって、いまだに悲しくて寂しい。けれど、それだけではない温かさが、確かにそこにあった。

(リュカのためにも、また一年がんばろう。父さん、どうかぼくたちを見守っててね)

「……これにて、ついとうミサを終わります。どうぞ、ご唱和を。……神の光とともに」

「「神の光とともに」」

 略式なので、ミサは三十分ほどで終わる。ろうそくもちょうど燃え尽きた頃で、絶妙な時間配分だった。

 早々にお暇しようと、リュカを椅子から抱き上げる。けれど、ジタバタと身をよじって嫌がられてしまった。

 ぼくは仕方なく地面に降ろし、リュカをズボンの裾をつかまり立ちさせた格好で、母さんと一緒に司祭様にお礼を言う。

「「司祭様、ありがとうございました」」

「なに、実に良いミサでした。可愛らしい赤子の歌声に、お父様もリュミネ神も喜ばれたことでしょう」

「そうだと良いんですが……。また来年もぜひ、よろしくお願いします」

「ええ、もちろん」

 そんな挨拶を交わしていると、リュカが「あっあっ」と教会の中央通路へと両手を伸ばす。

(……両手?)

 少し前につかまり立ちができるようになったばかりのリュカが、ぼくのズボンから手を離し、生まれたての小鹿のようにぷるぷると足を震わせて一人で立っていた。

 ぼくも母さんも驚き、固唾を飲んでリュカを見守る。

 よち、よち、よち。

 ちょっぴりガニ股気味の覚束ない足取りで、一歩、二歩、三歩と歩いたリュカは、そこでぽてんと尻餅をついた。

「リュカが……。あ、歩いた……?」

「うそ、もう歩いたの?」

 いま見た光景が信じられなくて、ぼくも母さんも呆然とする。さらにリュカは空に向かって、手をひらひらと振って見せた。

「あぁ~う~うぅ~」

「バイバイしてる……?」

「リュカ……。もしかして、マルクがそこにいるの……?」

「おお、神よ……!」

 母さんはぺたんと床に座り込むと、リュカを抱きしめて空を見上げる。青い瞳から幾筋もの涙が、頬を伝っていた。

 リュカはきょとんとして、母さんの腕のなかから今度はぼくに向かって手を伸ばす。ぼくはひざまずいてその手を握った。

「ああ……マルク……」

「父さん……」

 父さんが見守ってくれていると信じたい気持ちが、ぼくたちを錯覚させたのかもしれない。思い込みの、決めつけかもしれない。

 それでも。

 それからリュカは、一歳半近くまでよちよち歩きをすることがなかったので、ぼくは奇跡だと思うのだ。


 父さんの一周忌のついとうミサでの出来事をきっかけに、母さんはまた情緒が不安定になってしまった。父さんを亡くした悲しみを、思い出してしまったからだろう。

 エミリーさんにリュカを任せて、ぼくは一人、二階の主寝室に母さんの様子を見に来ていた。

 キングサイズほどの大きなベッドの縁に、ぼくは腰掛ける。

 母さんはクローゼットに仕舞い込んでいた父さんの服をひっぱり出して、抱きしめながら泣いていた。

 ここのところ食欲がないと言って食事を疎かにしていたので、少し体の線が細くなったように見える。

「……母さん」

「うっうっ……」

 大切な人を亡くした悲しみが薄れるには、時間が必要だろう。その必要な時間が、人によってまちまちなこともわかっている。

 そのうえで何かを言うことも、逆に何も言わないことも、母さんを傷つけるような気がして、ぼくは途方に暮れてしまった。

「うっ……ルイ……こんなお母さんで、ごめんなさい。うっうっ……」

「ううん。そんなことないよ」

 ぼくはそっと母さんの腕に手を置く。暖炉に火は入っているのに、ひんやりと冷たかった。

「わ、わかっているの……。このままじゃ、だめだってことくらい……」

「うん……」

「でも……うっうっ……どうしようもなく悲しくて、仕方ないのよ……! あぁ……」

「うん……」

 泣くことはストレス解消になると、前世で聞いたことがある。

 少しでも母さんの心が軽くなるなら、泣いて気持ちを吐き出した方が良い。ぼくは母さんが子どもみたいに泣き疲れて寝るまで、ただ黙ってそばに寄り添っていた。

 冬の寒さと、どんよりとした灰色の曇り空。さらには日が短かい季節だったことも、母さんのゆううつに拍車をかけたのかもしれない。

 母さんは日によって部屋から出ずに泣いたりぼうっとしていることもあれば、天気の良い日はぼくとリュカと一緒に散歩ができることもあったりと、しばらく気分の浮き沈みが激しい日々が続いた。


 そうして一進一退しながらも、春になるにつれて泣き暮らすことが減ってきた母さんは、簡単な裁縫の内職を始めたのだ。

「習い性かしら。裁縫や刺繍をしていると、気が紛れるのよ。だから、結婚前に働いていたお針子工房から、簡単な内職の仕事をもらってきたの」

 そう話す母さんの顔は、心なしかすっきりしたような穏やかな表情だった。

(思いっきり泣いて、少しは悲しみを乗り越えられたのかな?)

 細かい手先の仕事は集中力を使うし、心を整理する良い時間にもなったのだろう。無理をせず、徐々に元気を取り戻していった母さんは、夏前にはすっかり回復したかのように見えた。

「ルイ。そのう……お母さん、またお針子として働きに出ても良いかしら……?」

 ぼくの十二歳の誕生月もとっくに過ぎ、リュカは一歳五ヶ月になっていたある日。母さんはリュカを抱っこしながら、おずおずと話を切り出した。

「働きに出るって、内職の仕事をもらっているお針子工房に?」

「ええ。通いで良いから、正式に戻って来ないかって声を掛けられたの。これからリュカが大きくなるにつれて、お金もかかるわ。リュカのために、お給金は貯めておこうと思うの」

(確かに、いまは父さんが残してくれた貯蓄とダミアン商会との契約金で生活できているけれど、リュカの将来を思うと不安はある……。それに、お針子仕事は母さんにあっているみたいだし)

 唯一心配なのは、母さんの体調くらいだ。いまは元気そうに見えるけれど、またいつぶり返すかわからない。かといって、期間が空けば空くほど、復職は難しくなる。

 ぼくが心の中で考え込んでいる様子を、反対されていると勘違いしたのだろう。母さんはしゅんと肩を落とした。

「やっぱり、お母さんが外で働くなんて、だめかしら……」

「う、ううん。良い機会だよ! 戻ってきてほしいって言ってもらえるなんて、ありがたいね」

「ええ。そうなのよ。ありがとう、ルイ!」

 ぼくは慌てて、母さんの背中を後押した。家のことやリュカの世話は、ぼくとエミリーさんの二人でも何とかなる。

(きっと、外に働きに出ることは、母さんにとって良い気分転換になるよね)

 考えてみれば、母さんはまだ三十歳そこそこなのだ。若いのに家に閉じこもってばかりいては、気が詰まるだろう。体調が良くなるどころか、むしろ悪化しかねない。

 母さんの嬉しそうな顔を見て、ぼくはそう思った。

 ……このときの判断は、間違いではなかったはずだ。


 夏真っ盛り。突き抜けるような濃い青空と、日差しが眩しい季節だ。

 日向はもちろん暑いけれど、乾燥しているので前世の日本のようなじめじめとした湿気はない。窓を開ければ、風のよく通る室内はちょうど良い爽やかさで、クーラーがなくても過ごせるほどだった。

「さてと、リュカたちがお散歩から戻ってくる前に、ぱぱっとおやつを作っちゃうか」

 いまは、エミリーさんがまだ涼しい午前のうちにと、リュカを散歩に連れて行ってくれている。その隙に、ぼくはリュカに邪魔されることなく、掃除や洗濯を済ませることができた。

 あとはリュカのおやつを、とぼくは腕まくりをして、エプロンをつける。

 作ると言っても、石造りの薪ストーブキッチンに火を入れると部屋の中が暑くなってしまうので、火は使わない。生活魔法で作れる範囲の、簡単なものだ。

 使うのは、卵・ヤギ乳・干し葡萄の三つだけ。

 ぼくはしわしわの干し葡萄を一つ摘み食いしながら、まずはこぶし一握り分を細かく刻む。さすが、白い粉を吹くほどの糖度の高さだ。ねっとりと包丁に張りつく。

 ベタベタに苦戦しつつもペースト状にまで刻めたら、陶器のお皿に入れ、浸るくらいのヤギ乳を加える。よくかき混ぜたら、スプーンで味見だ。

(あっま!)

 本当に砂糖を使っていないのかと疑うくらい、濃く強い甘さがする。足りなければ干し葡萄を追加しようと思っていたけれど、十分だ。

 そのまま、発熱ヒートで一分ほど温める。急ぐと膜ができてボソボソするので、ゆっくりと。目安はスプーンで押して、ふにゃっと柔らかく潰れるくらいだ。

(うん。良さそうだ)

 干し葡萄が戻ったら、濡らした布の上に皿ごと放置する。これで早く粗熱が取れるはずだ。

 冷ましている間に、ボウルに卵を二個割り入れてよくかき混ぜ、さらにコップ一杯半のヤギ乳を加える。真っ黄色から優しいクリーム色に変わるこの瞬間は、いつ見ても楽しい。

(美味しい色になってきたなあ)

 このままでも問題はないけれど、一手間をかけてしてあげると、ぐっと食感が良くなる。

 茶漉しは生憎ないので、洗浄クリーンをかけたガーゼのような布で卵液をす。そこに、戻した干し葡萄をヤギ乳ごとドバッと入れた。

 軽く混ぜながら、卵液と底に残った干し葡萄を四つの陶器のコップに均等に注げば、あとは生活魔法頼みだ。

発熱ヒート

 手をかざして、体感二~三分ほど温める。湯気が立って、表面全体がぼこんぼこんと膨らんできたら頃合いだ。

 発熱ヒートをやめ、あとは余熱で火を通せば良い。計十五分くらいでおやつが作れてしまった。

(よ~し。簡単プリンの完成!)

 るんるん気分で、ぼくが薪ストーブキッチン横の小さな流しで洗い物をしていると、二階から階段を降りる足音がした。母さんだ。

 いつもの服装とは違う綺麗目なワンピースドレスを着て、片編みの髪にはスカーフが飾られている。

「ルイ。お母さん、少し出かけてくるわね」

「え……? でも、今日は仕事が休みの日だったよね」

「ええ。その、お友達と予定があって……。早めに帰るわ」

「わかったよ。気をつけていってらっしゃい」

 ぼくは手を振って、母さんを見送る。せっかく母さんの分もプリンを作ったのだけど、仕方ない。

「ただいま戻りました」

「あっーあっー!」

「! おかえりー!」

 母さんと入れ替わりに、リュカとエミリーさんが帰ってきた。麦わら帽子を被ったリュカは、たくさん遊んできたのだろう。汗で髪が額に張りついている。

「お外遊び、楽しかったひと~」

「あ~ぃ」

 にっこにこでご機嫌なリュカが、右手をあげてお返事をする。かわいい。

 ぼくは夏の熱を放つ小さな体を抱き上げて、まずはリビングで水分補給をさせる。そのあとは濡れタオルで体を拭いて、お着替えだ。

「今日はねー、にいにがおやつを作ったんだよ~」

「ぅあーっ! あっ!」

 おやつの言葉に反応して、リュカが万歳する。早く早くと言うかのように、ぼくの服の裾を引っ張ってきた。

 リュカをテーブルの椅子に座らせて、冷ましておいたプリンを皿に開ける。少し分離してしまったのか、ホエーのような水が出ていた。コップを軽く揺らして逆さにするだけで、つるりんと綺麗に取れる。

(おおおー! まごうことなきプリンだ!)

 見栄えは自画自賛するくらい完璧だ。干し葡萄がところどころに見えて、食欲をそそる。

 エミリーさんもちょうど身支度から戻ったので、三人揃っておやつの時間だ。

「「いただきます」」

「あーうっ!」

 リュカはお手々をぱちんと合わせたら、スプーンを握って一人で食べはじめる。緊張の一瞬だ。

 あ~ん。ぱく。もぐもぐ。

「どう、リュカ。美味しい?」

「あっきゃ~~~!」

 左手でほっぺをぺちぺち。最近、リュカお気に入りの「美味しい」のサインだ。内心、かいさいをあげてガッツポーズしたぼくも、やっとプリンを食べはじめる。

「……うん。美味しい」

「本当に。ルイさん、美味しいですよ」

 硬めのプリンだ。卵液の部分はあんまり味がしないけれど、干し葡萄と一緒に食べれば十分甘くて美味しい。干し葡萄のしゃりしゃりした食感が、少しだけ残っているのも良かった。

(前世のプリンとは全然違うけれど、これはこれでありだ)

 リュカを見ると、瞬殺で食べ……いや飲んでいた。噛んでいるのか心配になるくらいの早さだ。

 あっという間にプリンは皿から姿を消す。リュカはおもむろにお皿を持って、残っていた水の最後の一滴まで飲み干した!

「リュカちゃんったら、よっぽど美味しかったのでしょうね……」

「にいにの作ったプリン、気に入ってくれたのかな。また今度、作るからね」

 口の端にプリンをつけたままのリュカは、にっぱあとご機嫌だ。

「にっ、にぃ」

「「!」」

 ぼくは驚いて、持っていたスプーンを皿に落としてしまった。

「い、い、いま、リュカが……! にいにって言った……!?

「確かに言っていましたね……!」

「~~~! リュカ~。もう一回。にいに、だよ。にいに」

「ぅあ~、にぃー!」

 リュカはいつ喋り始めるのか、第一声はどんな言葉なのか。なかなか喋りそうで喋らなくて、ずいぶんとヤキモキした。

 ずっとずっと楽しみにしていたリュカの初めての言葉が「にいに」だったことに、ぼくはもう泣きそうだ。我慢ができずに、席を立ってリュカを抱きしめる。

「すごい! リュカ、にいにって言えたね~」

「にっ、にっ」

(母さんも出かけなければ、この場にいれたはずなのに……!)

 そう思うと残念だけど、早く帰ると言っていた。帰ってきたら、またリュカに披露してもらおう。きっと、「ママ」や「母さん」の練習をする良い機会にもなる。

 ぼくはそう思っていたのだけれど、結局母さんが帰ってきたのは、すっかり夜も更けてリュカが寝ついたあとだった。


 それから、母さんは休みの日に出かけることが多くなった。

 気がついたらふらっといなくなっているので、引き止めることもできない。そんな母さんの様子を、ぼくは不審に思い始めていた。

(もしかして恋人でもできたのかな……。でも、それならなんで、何も言わずに出かけちゃうんだろう)

 ぼくだって、母さんには母さんの人生があることを頭ではわかっている。けれど、亡くなった父さんのことを思うと、素直に喜べなかった。

 それに、あんなに嘆き悲しむほど父さんを愛していたはずの母さんが、ほかの誰かに心を寄せるなんて、考えたくもなかった。

(……母さんからちゃんと話があるまで、静観、かなあ)

 母さんも良い年をした大人なのだ。まだ子どもの息子に、あれこれ言われたくないだろう。そう思っていたけれど、どうにも母さんの様子がおかしい。

 決定的だったのは、父さんの二周忌を目前に初霜が降ったある日、成金趣味な祭壇が家に届けられたことだった。

「え! ちょっと、母さん! この祭壇はなに!?

「立派でしょう? いまなら特別価格だって言うから、買っちゃった。これにお骨をまつれば、きっとマルクも喜んでくれるわ」

「はぁ!? 一体いくらしたの!?

「秘密よ。でも、お母さんの貯めていたお給金で買えたから、心配しないで」

「いやいや、そういう話じゃないでしょ……。来月は父さんの二周忌で、ただでさえ出費がかさむのに……。それに母さんの給金は、リュカのためにって貯めてたやつじゃないの? ねえ。いまからでも返品して、お金を返してもらおうよ」

「いやよ! そんなこと、できるわけないじゃない! ルイなら喜んでくれると思ったのに、お母さん、悲しいわ……」

 ぼくが必死に説得しても、母さんは頑として返品を認めず、泣くばかりだった。

 どこで買ったのかさえ、教えてくれない。そんな母さんにぼくはほとほと困って、頭を抱えてしまった。

(参った……。いかにも怪しい押し売りじゃないか。こんなこと、どこの誰に相談したら良いんだろう? こんなとき、父さんがいてくれたら……)

 いまの母さんから、目を離してはいけない。そんな気がして、それからぼくは些細なことでも母さんに声をかけるようにした。

(母さんの恋人? が怪しいやつなのか、それとも、また気持ちが不安定になってるのか……)

 けれど、子どものぼくの心配は、母さんには届いていないようだ。

 むしろ、母さんはさらに出かけることが増え、時どき、朝帰りもするようになってしまった。

 たまに家にいるなと思っても、ぶつぶつと祭壇に向かって祈っていることがほとんどで……。とてもではないけれど、異様にすら感じるいまの母さんを、リュカに近づけることはできなかった。


(母さん……なんでこうなっちゃったんだろう)

 ぼくは薄く開いた扉の隙間から、母さんの様子をのぞいて独りごちる。

 母さんがはじめて祭壇を買ってきてから、半年。元々は夫婦二人の主寝室だった母さんの部屋には、きっとまた買わされたのだろう、怪しげな置物や絵画がいくつも飾られていた。

(よくもまあ、この半年でここまで増えたもんだよなあ……)

 我が家の財産や権利は、長子相続したぼくの名義になっている。だから、たとえ母さんでも、無条件に自由にはできない。地下貯蔵室の金庫のお金は、エミリーさんを雇う前にとっくのとうに収納ストレージに入れていた。

(もし、母さんが相続していたら、最悪、使い込まれてたかもしれないな……)

 そうは言っても、時間の問題かもしれない。世間からけんえんされているけれど、高利貸しはいるのだ。

 ぼくは恥を忍んで、やっとダミアン商会の女将ポリーヌさんに相談した。迷惑を掛けたくなかったけれど、もう限界だった。

 家族ぐるみで付き合いがあり、大人で同性のポリーヌさんになら、母さんも気を許して話しを聞いてくれるかもしれない。

「すみません……。そういう訳なので、ポリーヌさんからも母さんに話しかけたり、気にかけてもらえませんか」

「そんなことになってたとはねぇ。もちろんだよ。よく頼ってくれたねぇ」

 ぽんぽんとぼくの肩を叩く、ポリーヌさんの手がとても優しい。その温かさに、ぼくはうっかり涙が出そうだった。

 ポリーヌさんと別れ、その足で母さんの勤める工房にも、話を聞きに行く。

(母さんがおかしくなったのは、働きに出るようになってからだ……。もしかしたら、工房の人なら、何か知っているかもしれない)

 そうして、人目を避けるように訪れたぼくを、初老に見える工房長はいぶかしんだ。訪問の約束もなく、突然子どもが訪ねてきたら困惑するのは当たり前だろう。

 けれど、ぼくがサラ……母さんの息子であることを明かして事情を説明すると、一つ思い当たる節があると話してくれた。

「サラから、お針子仲間のローラと仲が良い、なんて話を聞いたことがあるかい?」

「いいえ」

「なるほど……。私は一度、休みの日に二人が一緒にいるところを見たことがある」

「母さんが休みの日に……」

「ローラは『教会のボランティアや地域の交流会に参加してみない?』と、お針子たちに声を掛けていた。だから、私は二人が一緒にいるのを見て、てっきりサラは仲の良いローラの誘いに応じたのだろうと思っていたのだが……」

(それって……まさか……)

 その話に、ぼくはぴんときていた。まさに、前世でも聞いたことがある、宗教勧誘の手口だったからだ。きっと、祭壇や置物などは、その教会で買わされたのだろう。

(母さんはローラって人に誘われて、宗教にはまったのか……)

 工房長も、難しい表情を浮かべている。

「今のところ、サラもローラも、休まず真面目に働いてくれている。だから、あまり表立ったことはできないが……。それとなく、私からも話してみよう」

「よろしく、お願いします」

 母さんが宗教にはまった経緯はわかったけれど、朝帰りの理由はわからなかった。その教会で出会いがあったのか、それとも違う理由があるのか……。

 リュカもすくすくと成長して、もう二歳を過ぎた。最近は「にぃ~、だっこ」や「まんま、おいちっ」と話す言葉が一気に増えて、ますますおしゃべり上手だ。

(兄のぼくですら、こんなにリュカの成長に一喜一憂しているのに……。なんで母さんは、かわいい盛りのリュカに無関心でいられるんだろう?)

 ぼくのなかで、やり場のない憤りとやるせない悲しみが、ぐるぐると渦巻いていた。


「にぃ~、にぃ~」

 頬をぺちぺちと叩かれる感覚で、ぼくは夢から覚める。

 寝ぼけ眼を開けると、ぼくの胸の上にはもうあと二ヶ月で三歳になるリュカが寝そべっていた。

「にぃ~、おっき、ちゃっ」

 リュカはぼくを起こせたのが嬉しいのか、ぱちぱちと拍手し、にぱあと屈託なく笑っている。

 ぼくはそんなご機嫌なリュカの背中を支えながら、ゆっくりと体を起こした。

「ふわぁ。リュカ、どうしたの?」

「ちっち、ちた~」

 寝起きの頭はまだぼんやりしていて、何度もあくびが出る。

 カーテンをちらっとめくって外を見ると、まだ暗かった。けれど、地平線が少しだけ橙色に染まっているので、朝は近いようだ。

 いつもは朝までぐっすりのリュカだけど、おむつの濡れた感触がいやでこんな時間に起きてしまったのだろう。

照明ライト

 小さな光を天井に灯して、枕元にいつも置いてあるおむつ替えセットのかごを引き寄せる。

「はーい、ごろんしてー。キレイキレイしておむつ替えようね」

「あ~い」

 リュカはもみじのようなお手々を上げ、良い子のお返事だ。

 ぼくはリュカの汚れたおむつを脱がし、洗浄クリーンをかける。ぷるんっとした幼児のお尻をこっそりと楽しみつつ、手早く保湿剤を塗って新しいおむつをかせた。

 赤ちゃんの頃からお世話をしているので、もう手慣れた作業だ。

(おむつ交換って、洗浄クリーンがなかったら、なかなかヘビーな作業だよなあ。本当に、生活魔法が使えて良かった)

「はい、できたよ」

「にぃ~、あっと~」

「どういたしまして」

 きちんとお礼が言えるかわいい弟にほっこりしつつ、布おむつから汚れたスライムシートをがし、くるっと丸めてごみ箱に入れた。

 布おむつはけておいて、日が昇ったら洗濯する。あとは、水生成ウォーターで手を洗って、最後に自分に洗浄クリーンをかけたら終わりだ。

「さ、リュカ。起きるにはまだちょっと早いから、にいにともう少し寝よう?」

「や~」

 リュカの青いお目々はぱっちりで、いやいやと首を振って二度寝をいやがる。

 だけど、照明ライトを解除した真っ暗な部屋で、ぼくがリュカのまんまるなお腹をぽんぽんしてしばらくすると、親指をしゃぶりながら寝息を立て始めた。

(ふふん。にいにの勝ち)

 あっさり眠ってしまったリュカに、ぼくはほくそ笑んだ。

 けれど、こうしておむつを替え、寝かしつけまでしている自分は、まるで『兄』というより『父』だなと考えて、思わず遠い目をしてしまう。

(……ばかなこと考えてないで、ぼくも寝よう)

 ため息をついて、ぼくはまたリュカを抱え直して眠りにつくのだった。


 今度こそぼくが目覚めると、だいぶ日が高くなっていた。

(よく寝たなあ……)

「にぃ~、ぽんぽん……」

 ぼくが伸びをしていると、リュカのぽんぽこりんなお腹から、怪獣みたいな音がした。

 急いでごはんにしようと、手早く自分とリュカの身支度を整え、リビングに向かう。すると、ここ数日姿を見かけなかった母さんが、キッチンに立って朝食を作っていた。

「……おはよう、母さん」

「おあよっ」

「おはよう、ルイ。リュカ。ちょうど良かったわ。もうできるから、座っててちょうだい」

 鼻歌混じりの母さんに、「今朝は珍しく家にいるんだね」と嫌味が喉元まで出かかったけれど、ぐっと飲み込む。

 過去に一度我慢できずに言ってしまって、泣かれたことがあるのだ。できれば、朝からいやな雰囲気になるのは避けたかった。

 良い匂いのする遅めの朝食が、テーブルに並べられる。

 メニューは、パンケーキ・野菜のスープ・サラダ・果物だ。ぼくと母さんのお皿には、さらにバターとハムがついていた。

「美味しそう。いただきます!」

「いたっきまっちゅ」

「はい、召し上がれ。おかわりもあるから、たくさん食べるのよ」

 ぼくが手を合わせると、リュカもぼくの真似をして、にぱっと笑う。すごくかわいい。

 我が家は、ぼくが小さな頃から食前・食後の挨拶は日本式だ。父さんの実家がそうだったらしい。

 今世はそもそも、食事の挨拶はこれといった決まりがない。よそのご家庭では、お祈りをすることもあれば何も言わないこともあり、結構大雑把……もとい、おおらかだ。

 リュカは右手にフォークを持ち、左手でパンケーキを手づかみしている。あぐあぐとほっぺを膨らませて一生懸命食べている姿は、小動物みたいで和んだ。

 ぼくはリュカの様子を見て、一口サイズに切ってあげたり、食事用スタイのポケットに入ったものを拾って食べさせる。それほど手を出さなくても、もうリュカはひとりでごはんが食べられた。

 ちなみに、いまリュカが使っている食事用のスタイも、ダミアン商会と販売している商品だ。

 離乳食が始まってすぐの頃、あまりにも服が汚れてしまうので、ポリーヌさんに相談して作ってもらった。

 初めは哺乳器の飲み口を応用したスライムゼリー製のみだったけれど、今では布製やポケットだけ着脱できるものなど種類がある。実は、地味に売れているらしい。

「おぃちっ! もっちょ~!」

 今のところ好き嫌いがなく、食べることが大好きなリュカは、おかわりを要求してくる。

 食事をいやがらないので助かっている反面、将来のエンゲル係数がいまから恐ろしかった。

「そうしたら、パンケーキとスープをおかわりしよっか」

「あいっ! おか~りっ!」

 リュカはおかわりを食べても、フォークをくわえてまだ物足りない様子だ。仕方がないので、デザート代わりにヨーグルトを出してあげる。

 それを平らげたところで、やっと満足して「ごっしょーしゃまでちたっ」をした。リュカのぽんぽこりんなお腹が、はちきれそうだ。


 食事が終わり、ぼくが「後片付けでもするか」と席を立とうとした時。見計らったかのように、母さんが口火を切る。

「あの……お母さんね。実はその、お付き合いをしている男性ひとがいるの……」

(え……。いまその話をするの?)

 唐突な母さんの話に、ぼくは心の準備ができていなくて、びっくりしてしまった。

「交流会で知り合ったのよ。とても優しくて、親身になって相談に乗ってくれるようなひとなの。責任あるお仕事をしているのに、社会貢献にも積極的で……。本当に尊敬しているわ」

「……ふうん。そうなんだ。母さんが出かけたり、家にいない日は、その男性ひとと一緒にいるの?」

「え? えぇ、そうね」

(はあ……。本当に良識のある大人の男が、小さな子持ちの母親を家に帰さないなんてこと、するわけないのに……)

 すっかりその恋人に心酔しているらしき母さんに、内心呆れてしまう。ぼくからしてみれば、母さんは騙されているとしか言いようがなかった。

「その、それでね。もしよければ、その男性ひと、ベルナールさんって言うのだけれど。ルイとリュカを紹介したいの。近いうちに、四人で食事でもどうかしら」

(今日母さんが珍しく家にいたのは、この話がしたかったからか……)

 そんなことだろうと、わかってはいたけれど。それでも、もしかしたら、ちょっとはぼくたちをかえりみてくれるようになったのかも……と思った自分の甘さに、ぼくはつい天井を見上げてしまう。

(正直に言えば、絶・対・に、会いたくない。……でも、ずっとこのままって言うのも、リュカのために良くない)

 母さんのことを、リュカが『母親』として認識しているのかもわからない。そんな状況で、これからもリュカを育てていくのは、あまりにもかわいそうだ。

(……よし。一度会ってみるか。どういう人なのか、この目でちゃんと見極めよう。ぼくが偏見を持ち過ぎているだけ、なのかもしれない。案外、会ってみれば話のわかる人な可能性もあるし……)

「わかったよ、母さん」

「本当? お母さん、うれしいわ!」

「ただし! 条件が三つあるんだ。すべての条件を飲んでくれるなら、会うよ」

「そんな、条件なんて、わざわざつけなくても……」

「それが無理なら、会わないから」

 ぼくがぴしゃりと言うと、母さんは苦虫を噛みつぶしたような顔をした。

「……条件を教えてちょうだい」

「一つ。まずはぼくだけで会うこと。リュカはエミリーさんにみてもらって、お留守番ね。二つ。うちじゃなくて、どこか外の食堂を使うこと。三つ。時間帯は、ブランチからランチのみ。条件はこの三つだよ」

「……ベルナールさんに聞いてみるわ」

 母さんはそう言うと、「約束があるから」とそそくさと立ち上がる。そして、ぽかんとしたぼくを振り返ることなく、家を出て行った。


 くだんの恋人にどう説明したのかはわからないけれど、数日経って母さんから三人での食事会の日程が決まったと告げられた。

「ベルナールさんが、『二日後のお昼なら構わない』ですって。忙しいひとなのに、わざわざ予定を空けてくれたのよ」

 そう言って指定されたお店は、この辺りでは少し格式が高いと噂に聞く料理店だった。

(うーん。正装とまではいかないけれど、ジャケットは着用しないと浮きそうだなあ)

 その日の夜、ぼくは寝る前にクローゼットを確認したけれど、手持ちにちょうど良いジャケットがない。ここ数年は、汚れても良い実用的な服装ばかりだったから当然か。

(こんなことでお金を使うのはいやだけど、初っ端から相手に弱みを見せるようなことはしたくないし……。買うなら、明日しかない)

 ぼくはため息をついて、翌日、ジャケットを買いに行くことにした。

 翌朝。エミリーさんにリュカをお願いして、久しぶりに出かける。ついでに、父さんの三周忌のミサの手配もしてしまおうと、教会にも寄ることにした。

 ぼくも三回目ともなれば、手慣れたものだ。司祭様とも顔見知りなので、世間話も交えながら問題なくお願いすることができた。

 そうして、昼を過ぎた頃にやっとお目当てのジャケットも手に入ったので、まっすぐ家に帰る。リュカとは数時間しか離れていなかったのに、やたらと恋しかった。


 ぼくたちの家は、町の中心地から少し北に外れたエリアにある。生産エリアと産業エリアのちょうど中間で、どちらにもアクセスが良い。だからこそ、長屋が隙間なく立ち並ぶエリアだ。

 どの長屋も、だいたい造りや間取りは同じ。ハーフティンバーと呼ばれるはんもっこつぞうで、二階建て。家の真ん中を貫くように煙突が通っていて、一階のリビングと二階の主寝室に前世憧れの暖炉があった。

 庭はないけれど、代わりに地下に貯蔵室がある。家族で住むには十分な広さだ。

 先住者が引越すので手放すからと、ちょうど角のこの家を父さんが貯金をはたいて買ったのは、ぼくが三歳の時だった。

 父さんが「この家なら家族がいつ何人増えても大丈夫だな!」と、誇らしげに言っていたことを思い出す。

 そんな住み慣れた我が家にぼくが帰ると、リュカは二階の子ども部屋でエミリーさんと手遊びをしていた。

「ただいまー。エミリーさん。交代するから、休憩してー」

「あらルイさん。お帰りなさいませ。それではお言葉に甘えて、休憩させていただきますね」

「にぃに、おかーり」

「リュカ~、ただいま~。にいにと遊ぼっか。何がしたいかな~?」

「やっちゃー! こりぇ~! にゃーにゃーの、ごほん!」

 万歳したリュカがせがんだのは、布絵本の読み聞かせだった。

 このパッチワークの布絵本を、リュカはとても気に入っている。もう何回読んだかわからない。

 表紙には黒猫の大きな口に見立てたポケットがついていて、同じく布で作られたにんじんをリュカが「どっじょー」と食べさせた。

 次のページでは、折りたたまれた猫の手でぼくが「いない、いない、ばあ」をすると、きゃあきゃあと笑う。別のページでは、リュカは真剣なアヒル口で猫の首にリボンを結ぼうとした。

 セリフもないわずか数ページの布絵本を、「たのちぃ~!」とぴかぴかの笑顔で喜んでもらえると、ポリーヌさんに作ってもらった甲斐がある。

 はじめは、売り物にするつもりなんてなかった。裁縫は苦手なぼくが、純粋にリュカのためだけに製作を依頼したのだ。

 けれど、出来栄えが想像以上に良すぎたせいで、ポリーヌさんの商人魂に火をつけてしまった。

「ルイ、これは売れるよ!」

 目に金貨を浮かべたポリーヌさんに詰め寄られて、あっという間に契約を結ぶことに。

 どうも、ぼくが少しでもカラフルになればと、軽い気持ちで伝えた『パッチワーク』がウケたらしい。

 服飾工房から出るれを商会が安く仕入れて、裁縫や手芸が得意な主婦たちが内職で作る。これなら材料費・人件費を抑えつつ、多少の利益を上乗せしても、庶民価格で売ることができた。

 しかも、その時どきで仕入れる布や材料は全く違う。物語が同じでも、素材や柄は一冊ずつ異なるので、選ぶ楽しさがあった。

 何より、本来は高価な本が手頃に買えると、評判になっているようだ。

(リュカが喜ぶうえ、ぼくも商会も服飾工房も主婦も、みんな稼げて万々歳と思ったんだけど……)

 ただ、一つだけ思わぬ誤算があった。物語や仕掛けを、出来るだけたくさん考えてほしいと、ポリーヌさんにお願いされたことだ。

 ぼくだって、創作が得意なわけじゃない。無い知恵と前世の記憶を絞り、この世界の植物・動物・数字・文字を使ったアイデアを編み出した。

 ずいぶんと頭を悩ませたけれど、その分、契約金が良い収入になってくれたので文句はない。


 布絵本を読み終えたあとは、体を使った遊びもした。こまめに水分補給を挟みつつ、ボール遊び・かくれんぼ・積み木・輪投げと、とことんリュカと遊ぶ。しばらくすると、リュカのぽっこりお腹から「ぐぎゅぅ~~」と音が鳴った。

「はは。リュカ、ぽんぽん空いてるんだね。おやつにしよっか」

!! おやちゅっ、たべうっ!」

 リュカのお腹がしきりに催促してくるので、ぼくはありもので手早くおやつを作る。

 あまのある芋を細かくさいの目に切ったらヤギ乳に浸し、生活魔法の発熱ヒートをかけた。本当は芋は茹でるか蒸すかした方が良いのだろうけど、今日は時短する。

 鍋がふつふつと煮えて芋が柔らかくなったら、お塩をひとつまみ。フォークで芋を粗く潰し、干しておいたりんごを細かく切って混ぜる。

 ある程度混ざったら、一口大に丸めて、フライパンに押しつけるように焼く。十三歳のぼくにとって、火の扱いはすでに手慣れたものだ。

(うん。こんがり良い焼き色。なんちゃって芋のおやきの、完成!)

 送風ウィンドで人肌にまで冷ましてから、一人六つずつ盛りつける。リュカの目は、すでにおやきに釘付けだ。よだれがこぼれそうになっている。

「はい。今日のおやつは、芋のおやきだよ」

「おあき、いたっきま~しゅっ」

「めしあがれ~」

 リュカはフォークを握りしめたまま、ぱちんとお手々を合わせた。さっそく、あ~んと大きなお口で、一心不乱に食べている。本当にかわいい。

 ぼくも、自分で作ったおやきを食べて頷く。飽きの来ない、素朴な甘さが良かった。何より芋は育ち盛りのお腹にたまる。

「リュカ。おやき、美味しい?」

「あいっ、おいち!」

 そうして、すっかり綺麗に食べ終えてごちそうさまをする頃には、リュカはお腹がいっぱいで、首がかくんとしては「はっ!」と起きるを繰り返していた。

(くくく。さっきから、すごい半目だ)

 ぼくは音もなく笑いながら、そっとリュカを抱き上げる。リュカは指をちゅっちゅ吸いながら、しがみついてきた。そのまま、慎重に階段を登って、子ども部屋のベッドまで連れて行く。

 ぼくも隣に横になって、お腹をとんとんしてあげる。すると、すでに限界だったリュカはすやぁと眠ってしまった。

 近頃はぐんと冷え込み、風も冷たくなってきた。脇に抱いた幼児の体温が、ほこほこにぬくくて気持ちいい。

(もうちょっとだけ……添い寝、だけ……)

 そう思ったのを最後に、ぼくもいつしかリュカと一緒の夢に落ちていった。


 次の日。約束した昼食会の日だ。

 リュカをエミリーさんに預け、昨夜は家に帰っていた母さんと料理店に向かう。

 今日の母さんはぼくの目から見てもわかるほど、張り切ってめかし込んでいた。ぼくと同じ焦茶色の長い髪を、綺麗に結いあげている。うっすらと口紅もさしているみたいだ。

 服装も華やかで上品だった。こんな母さんは初めて見る。レースの襟がついたシンプルな白のブラウスに、深い緑のエプロンワンピース。紅のロングコートに、毛糸のショールがよく似合っていた。前世なら、どこのモデルさんかと思うくらいだ。

(女性は恋をすると綺麗になるっていうけれど、本当にそうなんだな……)

 マナーとしては、母とはいえ、着飾った女性を褒めるべきなのだろう。けれど、どうしても父さんのことを思うと、もやもやと複雑な気持ちだった。

 ぼくは口を開いては閉じてを繰り返し、結局、黙々と母さんの後ろを着いていく。

 母さんは地元の個人商店が集まる買い物通りを真っ直ぐ進み、交差点右、北大通りを颯爽と歩いていく。

 この大通り沿いは大手の商会や高級店が多く立ち並び、馬車も人通りも多い。それに、すれ違う人の身なりもどことなく良い気がした。

(うちのすぐ近くにある生産エリアは、ふんじんまみれの職人たちが多いからなあ)

 こっそり人間観察をしているうちに、目的の料理店にたどり着く。扉には流れるような字体で、「ビストロ・デリス」と店名の看板が立てかけられていた。

 母さんが受付の案内係に名前を告げると、「お連れ様はすでにお越しです」と正面通路へと案内される。右側から賑やかな声が聞こえるので、きっとそちらは広間の客席になっているのだろう。

 案内係の後に続いて、ぼくと母さんは深紅のじゅうたんが敷かれた廊下を歩く。煉瓦の壁には細工の凝ったしょくだいや、花々を描いた絵画がかけられていた。

(さすが、お洒落で落ち着いた雰囲気の店だ)

 前世でそれなりの大人だったぼくは、この雰囲気にも呑まれずに平静を保っていられる。けれど、ふつうの庶民の子どもならカチンコチンに固まり、しゅくしてしまっていただろう。

 そこまで思い至らずにこの店を予約したのか、それとも意図してなのか……。どちらにしても、ろくでもない。

(ドレスコードの厳しい超高級店ではないにしても、このグレードの店の個室を予約できるなんて、母さんの恋人はどんなやつなんだろう……)

 警戒心を高めつつ、案内係が開けてくれた最奥の個室の扉をくぐる。小さなシャンデリアが光輝く部屋のなかで、上等な身なりをした金髪の男性が座って待っていた。

(四十代後半、かな? 確かに、母さんが惚れたのもわからなくはないくらいの男前だけれど……)

「やあ。君がルイか。私はベルナール・ド・モンフォール。会えて光栄だ」

「こちらこそ、会えてうれしい、です。ルイです」

 立ち上がったベルナールに握手を求められたので、礼儀として応じる。ベルナールは薄く微笑みを浮かべているけれど、目が笑っていない気がした。

(家名があるってことは貴族なのかな。でも、貴族が何で母さんと付き合ってるんだろう?)


 昼食会は、一見和やかに始まった。

 ぼくは果実水、大人二人は食前酒で乾杯をして、まずはアミューズをいただく。

 手でつまんで食べられる一口サイズのミートパイは、とろっとした肉のフィリングと、チーズの塩気が良くあっていた。

(さっくさくで美味しい、はずなんだけど……。こんな状況でなければ、もっと素直に味わえたのに……! ああ、もったいない……!)

 ベルナールはなかなか機知に富んでいるようで、食事の合間にあれこれと話題を振ってくる。

 ぼくは怪しまれないように賢く、けれどあくまでもぼくとつな少年に思われるように、気をつけて受け答えた。変に怪しまれたくはないけれど、隙も見せたくない。

 綱渡りのような時間のなか、順に運ばれてくるサラダ・スープ・パスタを機械的に胃に収めていく。

 そうして、大人たちに適度にアルコールが入ったのを見計らって、ぼくは思い切って質問をしてみることにした。

「──あの、ベルナール、さんと母さんは交流会で知り合ったんですよね? なんの交流会なんですか?」

「教会のだ。私が司祭を務める教会に、サラがボランティアに来るようになったのが、きっかけだな」

「司祭様? あれ、でも家名が……」

「ああ。確かに、私は貴族家出身だが、三男でね。家を継げず、聖職の道に進んだのだ」

 そう言って、ベルナールはわずかに肩をすくめた。

「そう、なんですね……。でも、聖職者って、生涯独身という決まりがあったような……?」

「この王都は旧教会が多いが、私は新教会の所属だ。わかりやすく言うと教派が違う。新教会は戒律が厳しくなく、酒も結婚も認められている」

「へえ。はじめて知りました」

「新教会自体、最近になって数が増えた教派だからな。知らないのも無理はない」

 ベルナールは赤ワインを楽しみながら、顔色も変えずに余裕の態度だ。

 対して、母さんが心配そうな眼差しを送ってくるけれど、ぼくは気づかないふりをした。

「その、それでもやっぱり貴族の方だと、母さんとでは色々と障りがあるんじゃあ……。ぼく、母さんには幸せになってほしくて……。心配で……」

 ぼくは肩を落として少しうつむき、いかにも孝行息子然と言ってみる。

(やっぱり釈然としない。母さんと結婚したいとか、大切だっていう雰囲気が全然感じられないんだ……。何が目的だろう? 母さんがはまっている宗教の司祭ってことは、祭壇をはじめ、絵画とか置物はこいつに買わされたものじゃないのかな……? でも、それを直接聞くと、さすがに警戒されそうだし……)

「私も前妻とは死別している。いまさら再婚するのも……と思っていた矢先に、サラと出会ったのだ。実家は兄が継いでいて、縁遠くなっている。再婚に口を挟むようなことはないだろう」

 ベルナールは空になったグラスを置く。そして、テーブルの上で指を組んで、深い紺の瞳でぼくをじっと見つめた。そのくらい蛇のような瞳に、ぼくは少しされてしまう。

「……私が言っても信じてもらえないと思うが、サラに子どもがいると知ったのはつい最近でね。君にはずいぶんと心配をかけてしまった。だが、どうかこれからは安心してほしい。私が父親代わりとなって、サラや君たちを守ろう」

「ベルナールさん……」

 母さんが感激したように手を口に当て、潤んだ瞳でベルナールを見つめている。

 一瞬、ぼくは何を見せられているのだろうかと白けた。けれど、タイミングよくメイン料理が運ばれてくる。

 目の前に置かれた、いかにも柔らかそうな若鶏のポワレにナイフを入れた。皮はパリッパリ、身はジューシーで肉汁たっぷりだ。

(もう色々お腹がいっぱいで、味がわからない……。貴重なタンパク質なのに……)

 それでも残すのはもったいなくて、ぼくは気力で食べ切った。


 重い胃をさすっていると、やっと最後のメニューのデザートと紅茶が運ばれてきた。

 紅茶は良い茶葉を使っているのか、とても良い香りでやさぐれていた気分が少しほぐれる。一口飲んで、ほっと一息ついたところで、母さんが明るい声をあげた。

「そうだわ! もう少しでマルクの三周忌だったわね。ねえルイ、今年はベルナールさんの教会で、ミサをお願いするのはどうかしら?」

「えっ! 母さん、それは無理だよ。もういつもの教会にお願いして、手付金も支払ってるし……」

(それに、父さん昔の男のミサを、ベルナール今の男の教会でやるなんて……。どうかしてるよ)

 いかにも良い案を思いついたという様子の母さんに、ぼくは内心引いてしまう。

「あら、そうなの……。残念だわ……」

「今年はしようがない。来年は、ぜひ私の教会で行うことを考えてくれ」

「……わかりました」

「それにしても、今の話を聞いて感心した。君はその歳で、よく立派に家長として全うしている。ふつう、なかなかそうは行かない。サラから聞いているが、お父上から継いだ財産もよく管理しているとか」

 その言葉に、ぼくはいよいよ本題が来たかとゆっくり深呼吸した。

「……いえ。それほどでもないです。周りに助けてもらって、やっとです」

けんそんを。そのうえ、商会と専売契約を結ぶほどの商品をいくつも開発して、家計を支えているとか。実に、素晴らしい。私の教会では寡婦や孤児たちの支援も行っているが、資金のねんしゅつは頭の痛い問題でね。君さえ良ければ、ぜひ何か良い案がないか、協力してほしいところだ」

 ベルナールは、母さんからぼくの情報を正確に聞き出しているようだ。そのことに、薄ら寒いものを感じずにはいられない。蛇に睨まれた、蛙のような気持ちだ。

「たまたま、思いつきが当たっただけで。毎回うまくいっている訳ではないんです。子どものぼくでは、とてもじゃないけど役に立たないかと……」

「ふっ。まあ、この話は後日詳しくしよう。近いうちにぜひ、君の弟も一緒に教会に来てくれ」

「……もう冬ですから、春になって暖かくなった頃にでも」

「ああ」

 ベルナールは意図を感じさせない微笑みのまま、頷いた。ぼくを子どもだと思って侮っているのか、終始、ゆうしゃくしゃくだった。


「それじゃ、お母さんとベルナールさんはこの後少し行くところがあるから」

「いずれ、また会おう」

 弾むような声の母さんはベルナールと腕を組んで、中央広場の方へと去っていった。

 その後ろ姿を、虚無感に襲われながら見送る。ぼくも二人に背を向け、元来た北大通りをとぼとぼと歩きだした。

 前世みたいにアスファルトで舗装されていない土ぼこりの乾いた道は、少しでこぼこして歩きにくい。

 ちょろちょろと、細く流れる小川にかかる橋を渡る。冷たい風に吹かれて、枯葉と一緒にとげとげとした木の実も頭の上から降ってくる。この木の実は当たると地味に痛いのだ。

 頭上に注意しながら、ぼくは厚手のマントを体に巻きつけるように閉じて、家路を急ぐ。けれど、頭の中では「ぼくはこの先どうしたら良いのだろうか」をずっと考えていた。

(ベルナールは、うちの財産や商会との契約を気にしていた。ということは、きっと目的はそれだろう。それに、しつこく教会に来るように誘ってきたのも気になる……)

 得体の知れない、厄介そうな人物に目をつけられてしまった。それだけは、間違いない。ぼくは途方に暮れて立ち止まり、どんよりとした曇り空を見上げた。

(はあ……。もう少し情報がほしいなあ。ベルナール自身のことや教会の実態、それに貴族だという実家のことも……。事と次第によっては、身の振り方を早く考えないと、まずい気がする……)

 今はぼくをかいじゅうしようとしているみたいだけど、いつどんな手を使って財産を奪おうとするか、わかったものじゃない。

 奪われるのが、財産だけなら良いのだ。いや、本当は良くはないけれど。でも、もし一番大切な、まだ幼いリュカが狙われたら?

「……リュカを守るためなら、何だってする。だって、ぼくはお兄ちゃんなんだ」

 そうつぶやいて、ぎゅっとこぶしを握る。善は急げだ。ぼくはくるりと身をひるがえし、ダミアン商会へと向かって歩き出した。