異世界生活155日目

 翌日。僕が目を覚ますと、広場から物音が聞こえてくる。パチパチとたき火のぜる音。それに加えて木の焦げる匂いが微かに漂っている。

「あれ、まだ夜明け前か」

 普段なら熟睡している時間だけれど……どうやら相当早くに目が覚めたらしい。窓の外は薄暗く、朝焼けには今しばらくかかるだろう。

 ふと家の中を見渡せば、スヤスヤと寝息を立てるみんなの姿が──。魔物の毛皮に身を包んだり、隣の人と抱き合っていたり。いつもの見慣れた光景が目に飛び込んでくる。

(そっか。今日の夜番は杏子さんか)

 出入口側の僕とは正反対の場所。部屋の一番カドに1人分の空きスペースがある。他の子が日替わりで寝床を交代するなか、杏子さんだけはずっと同じ場所で寝ていた。

(ちょっと早いけど起きるか)

 早起きしたにもかかわらず、今日は不思議と眠気を感じなかった。というより、普段に比べて目覚めが良い。朝は苦手なほうなんだけど……どういうわけか、意識がハッキリとしている。

 みんなを起こさないよう静かに起き上がると、入り口の扉に手を掛けて外を覗く。


「あら、今日はすいぶんと早いのね。もしかして起こしちゃったかしら」

 僕に気づいた杏子さんが、かまどに薪をくべながら振り返る。

「そんなことないですよ。今日はたまたま目が覚めちゃって」

「そう、ならいいけど。せっかくだし座ったら?」

 彼女は言いながら、お得意の水魔法を発動する。空中に浮いた水の玉が、みるみるうちに沸騰。木のコップに注がれると、フワッと湯気が立ちのぼった。

 僕はそれを受け取りつつ、彼女の隣に腰掛けてからひとすすりする。

「ふー。今日も天気が良さそうですね」

「そうね。作業がはかどるわ」

 杏子さんとの会話は、いつもこんな感じで短めだ。お互い気負うこともなく、一緒にいるだけで心地よさを感じる。僕より6歳年上の彼女。異性としても魅力的だけど……どちらかと言えば、頼れるお姉さんという印象が強い。異世界に来てから5か月あまり。彼女を恋愛対象として見たことはなかった。

 それは杏子さんにしても同じこと。僕に対する信頼感はあれども、男として見たことは一度もないそうだ。以前、何かの拍子にそんなことを語っていた。

「ねえ勇人。私の勘違いかもしれないけど──」

 かまどの火を見つめながら、何かを言いたげな様子の杏子さん。コップのお湯をひと啜りすると、続く言葉を投げかけてくる。

「なんか今日って、いつもと空気が違くない?」

「え、空気……ですか?」

「あなたの直感ほどじゃないけど、何かが起こりそうな気がするのよね」

 僕には普段と変わらないように思えるが──。

「なんとなくソワソワするような……って、ごめん。どう表現していいかわからないわ」

 しばらく話を聞いてみるも、結局、違和感の正体はわからず仕舞いだった。落ち着かない気分ではあるようだが、決して悪い感覚ではないらしい。ひとまず万が一に備え、今日は近場で狩りをすることに決まった。

「にしても珍しいですね。いつも冷静な杏子さんが……」

「明日の遠征を前に緊張してるのかも?」

「あー、確かに。それはあるかもしれませんね」


 と、そんな一幕があってから数時間後──。僕は立花と葉月を連れて狩りに出かけていた。大兎や大猪など、今日は肉を残す魔物を狙っている。

 狩り始めて1時間と少々。お目当ての獲物は早々に見つかり、既に結構な成果を出していた。

「どうする勇人、もうちょっと集めておくか?」

「そうだね。念のためにもう少し狩っておこう」

 数日程度の遠征ならともかく、何週間も森をさまよう羽目になるかもしれない。そこに魔物がいるとは限らないし、拠点に残るメンバーの保存食も用意したい。僕らは立花の提案に乗って、拠点近くで狩りを続けることにした。幸運なことに、出会う魔物は大兎と大猪ばかりだった。ゴブリンや大蜘蛛とはほとんど遭わず、その後も大量の肉を手に入れていった。


 杏子さんの言葉は気になっていたけれど、今のところは順調そのもの。どこにも異常は見当たらないし、あと1時間もすれば拠点に戻れるだろう。

『このまま何事もなく帰れそうだ』と思っていた矢先のこと──。

 拠点の方角から甲高い笛の音が鳴り響く。

「ねえ、これって……」

「まずいんじゃない?」

「うん。すぐに戻ろう」

 警笛の回数は計3回。これは日本人が現れたときのサインだ。次の音が聞こえてこないことから、襲撃には至っていないようだが……。

 それから数分とかからず拠点に到着。森を抜けて川辺に出ると、物見やぐらの上に杏子さんの姿が──。彼女が見ている方向には日本人が3人。しかもその人たちが立っている場所には薄緑色の膜が張られていた。

「杏子さん、大丈夫ですかっ!」

「ええ、まだ何もされてないわ」

 1人は大人の女性。もう1人は中学生くらいの男の子。そして最後の1人は30代くらいのおじ……お兄さんだった。

 3人とも立派な剣を腰に下げ、衣服も上から下まで身綺麗にしている。顔は日本人で間違いないけれど、服は日本製のものではなさそうだ。どこで手に入れたのか、どこぞの民族衣装っぽい出で立ちだった。

 今までの襲撃者とは違い、すぐに襲ってくる様子は見られない。ある程度距離を取り、こっちの対応を待っているかのようだ。僕らは拠点の入り口まで移動。杏子さんと合流したのち、詳しい経緯を聞いていった。

「なるほど。彼らは海の調査に──」

「うそかホントか、北のほうに村を作っているらしいわ」

 杏子さんの話によると、彼らは70人ほどで共同生活をしているらしい。全員が日本人なのか、それとも現地人が混ざっているのか。詳しいことはまだ聞いていないそうだ。海産物を目当てに訪れたところ、偶然にもこの拠点を見つけたんだと。

「にしても、あの膜……じゃなくて結界でしたっけ。いったい、どんな能力なんでしょうか」

 今も点滅を続けている薄緑色の結界。彼らの周囲はもちろんのこと、訪れた方角に向かってどこまでも延びている。ファンタジーに詳しい杏子さんなら何か知っているかもしれない。そう思って聞いてみたところ──。

「たぶん、敵対者の侵入を防ぐ壁でしょうね。魔物とか人間とか……もしかしたら魔法や物理攻撃すら効かないかも」

「なっ。そんなのほとんど無敵ですよね。僕らじゃ到底かなわないんじゃ?」

「でしょうね。なるべく刺激しないようにお帰り願いたいわ……」

 結界内からの一方的な攻撃。それこそ魔法でも撃たれたらひとたまりもない。相手の強さは不明だけれど、ヘタに手を出さないほうが良さそうだ。


「じゃあ勇人くん、明日もよろしくね」

「はい。啓介さんもお気をつけて」

 対話を始めて数時間。警戒していたのも束の間、彼らが帰る頃にはすっかり打ち解けていた。

「杏子さんもありがとう。話を聞いてくれて助かりました」

「それはこっちのセリフ。あなたたちに会えて幸運だったわ」

 今まで遭遇した日本人とは全然違う。相手の丁寧な対応を前に、ついつい心を許してしまう。それは杏子さんも同じみたいで、いつになく彼女の表情が柔らかい。

(にしても、なんでだろう。この人と話しているとすごく落ち着く……)

 啓介さんはとても親しみやすい人だった。初めて会ったはずなのに、気づけば彼のことを信用していた。「この人は味方になってくれる」と、確信めいた予感に満たされている。

 危険に関する直感ならこれまで幾度も経験してきた。けれど今回のそれは全くの別物だ。彼に魅かれていく自分に心地よさすら覚えていた。


 結局、この出会いをキッカケにして、僕らの環境は一気に様変わりしていく。

 それまでのサバイバル生活から一変、勇者パーティーの物語が始まることに──。

『異世界の冒険者生活』

『この世界に召喚された本当の理由』

『いずれ訪れる決戦の日』

 少し先の話ではあるけれど、どれもあの人抜きでは語れないことばかりだ。


 村長の彼と勇者の僕。2人の関係が長く続くことを、このときの僕はまだ知らない。