外伝 南の勇者の異世界転移


 間もなく夏も本番という休日──

 僕は電車に揺られながら、1人、行きつけの美容院へと向かっていた。

 近くでお祭りでもあるのだろうか。土曜の昼間だというのに車内はほどほどに混み合っている。

 まあそうは言っても、せいぜい座席が埋まる程度のこと。いつもの大混雑に比べたら、まるで天国のような環境に思える。

 今年で最後の高校生活。とくに不満はなかったけれど、朝のラッシュだけはいまだに苦手だ。

 ふと周りを見渡すと、乗客の年齢層は20代前後の人が多い。女性は大きなバッグを抱え、逆に男性陣は身軽な装いをしている。

「あの、突然すみません」

「もしかしてイベントの参加者ですか?」

 それからしばらく──。

 ドアの付近に立っていると、すぐ隣にいた2人の女性が話しかけてきた。お揃いのキャリーバッグを引っ下げ、興味深そうな顔でこっちを見つめる。こうして声をかけられることはよくあることだけれど、ナンパ目的という感じではなさそうだ。

「いえ、たぶん違うと思いますけど……って、今日は何かあるんですか?」

 そのあと会話を続けていると、2人が話しかけてきた理由がわかってきた。どうやらここから3駅先で、コスプレイベントが開催中とのこと。僕の容姿を見て、何かのキャラクターを連想したらしい。アニメのことはわからなかったが、2人の語り口は相当なもの。話を聞いているうちに、だんだんと興味が湧いてくる。

「でね。その主人公が滅茶苦茶かっこいいんですよ!」

「勇人くん、すごく似合いそうだなって」

 なんでも異世界へ飛ばされた主人公が、いずれ勇者として大活躍するらしい。たくさんの仲間とともに、魔王から世界を救うという物語だった。僕がその主人公にそっくりで、思わず声をかけてくれたみたいだ。ちなみにイベントは夜まで続き、彼女たちは午後からの参戦を予定していた。

「じゃあ僕はここで。イベント、楽しみにしてますね」

「うん、絶対連絡してよー」

「待ってるからねー」

 最寄もよりの駅に到着したところで、2人とはいったんお別れ。プシュッと自動扉が開いて、ホームに降り立とうとした瞬間のことだった。


 いきなり目の前が真っ白になると、次に目を開けたときには見知らぬ森に立っていた──。

(なんだこれ……?)

 延々と続く深い森。不自然なほど澄みきった川。下流のほうに目をやれば、広大な海がどこまでも広がっている。それまでの喧騒けんそうとは一変、川のせせらぎだけが耳に残った。

 何より奇妙に思ったのは、自分がやけに冷静なことだ。明らかな異常事態にもかかわらず、不思議と動揺することはなかった。「まあ、どうにかなるだろう」と、根拠のない自信が溢れてくる。ふと川を覗いたとき、笑みをこぼしていることを自覚した。

 そんな僕は、導かれるように下流へと歩いていく。

 海へ行けば何かあるかもと、気づけば足を向けていた。2分ほど歩いたところで、川の終着点へと到着。てっきり海岸が見えると思っていたのだが……。そこは断崖絶壁となっており、川の水が滝のように流れ落ちていた。

 ざっと見積もっても、落差は30メートル以上ある。とてもじゃないけど下まで降りられそうにない。というか、降りたところで意味はないだろう。右を見ても左を向いても、砂浜はおろか岩場すら存在しない。辺り一面、どこまでも深い青が続いている。

(おかしいな。何かあると思ったんだけど)

 どうやら僕の直感は空振りに終わったようだ。それから周囲を探索すること少々。どうあがいても海に降りられないこと以外、大した情報は得られなかった。

 ──と、元の場所に戻ろうとしたとき、森のほうから物音が近づいてくる。ガサガサという音に加え、かすかに人の話し声が混じる。僕は少しだけ距離を取ると、河原に落ちていた石を拾って身構えた。


 しばらくすると、すぐ近くの森から3人の女性が姿を現す。そのうちの2人は僕と同年代だろうか。もう1人の女性は少し年上に見える。こんなときに思うことではないけれど、3人ともすごく綺麗な女性だった。

「杏子さん、あそこに男の人が……」

「やっぱり私たちだけじゃなかったのね」

 その口ぶりから察するに、彼女たちも同じ状況下に置かれたのだろう。キャンプとかハイキングとか、そんな暢気のんきな雰囲気には到底見えなかった。何やら話し合ったあと、僕のほうへと近づいてくる。

 やがて目の前まで来たところで、年上の女性が口を開いた。

「ごめんなさい。いきなりで悪いんだけど、あなたは1人でここへ?」

「いや、どうなんでしょう? たぶん僕だけだと思いますけど──」

 自分が電車に乗っていたこと。突然まばゆい光に襲われたこと。気づいたらこの森にいたことを話していく。と、やはり3人も似たような現象に遭遇していた。目の前が真っ白になった途端、気がつけば森の中に立っていた。それぞれ別の場所にいたそうだが、森をさまよっているうちに合流したらしい。


 それからなんやかんやと話し込み、今はお互いの自己紹介を終えたところ。杏子さん、立花さん、葉月さんの3人は全くの初対面だと判明する。唯一の共通点といえば、そのとき、外出していたことくらいか。住んでいる場所はバラバラだし、もちろん僕との面識もなかった。

「でもなぜかしら。結城ゆうきくんと話していると妙に落ち着くのよね」

「あっ、それわかる」

「うん、私も同じことを思ってた」

 ここまでの話しぶりから、立花さんと葉月さんからは明らかな好意を感じていた。杏子さんもそれに近いが、異性に向けるものとは違うような……。まあどんな感情にしろ、警戒されるよりはマシだろう。ひとまず微笑んで返し、なおも話を続けていく。

「にしても、ここはどこなんでしょう。まさか死後の世界ってことはないですよね?」

「そうね。たぶんだけど……異世界に来ちゃったんだと思う」

 僕の問いかけに対し、間髪入れずに答える杏子さん。

 その真剣な表情から察するに、冗談を言っているわけではなさそうだ。異世界という単語を聞いて、ふと電車でのやり取りを思い出した。

「異世界っていうと、勇者とか魔王がいる世界のことかな」

「そこまではわからないけど……って、結城くんはそういうのに詳しい人?」

「いえ。たまたまそんな話を聞いたんですよ。僕自身は全然です」

「あ、そうなのね……」

 一瞬だけ見せた笑顔から一変、杏子さんの表情に陰りが見える。落胆するほどではないものの、気恥ずかしそうにうつむいた。ちなみに他の2人も僕と同様、そういった知識には疎いようだ。杏子さんとのやり取りを前に疑問符を浮かべている。

「でも杏子さんの言うとおり、ここは異世界かもしれませんね」

「……大丈夫よ。無理に合わせなくてもいいわ」

「いや、そうじゃなくて。ほらあそこ」

 僕が指さしたのは川べりの上流側だ。ここから50メートルほどの距離に『小さな怪物』が姿を現す。森からフラッと飛び出してくると、そのまま川の水を飲み始めた。

「あんな生物、地球には絶対いませんよね」

 振り返った3人も気づいたらしい。ビクッと震えて後退すると、僕の背後へと回り込む。

「間違いないわ。あれはゴブリンよ……」

「ですね。僕にもそう見えます」

 ファンタジーに疎い僕でも、さすがにゴブリンくらいは知っている。背丈は1メートルくらいだろうか。ギョロっとした目玉にとんがった鼻。昔見た映画のそれとソックリな見た目だ。

「ねえあなた。なんでそんなに冷静なわけ?」

「それがよくわかんないんですよ。驚きはあるんですけど、不思議と恐怖を感じません」

 そう答えたと同時、喉を潤したゴブリンが立ち上がる。僕らを視界に捉えると、一目散に襲い掛かってきた。それほど素早くないけれど、確実に距離が縮まっていく。

「ねえ結城くん、どうするの?」

「森に逃げたほうが……」

「いや、ちょっと戦ってみます。みんなは少し下がって」

 恐怖にひるむ立花さんと葉月さんの2人。杏子さんは……何やらブツブツと呟いている。

 いずれにしても、闇雲に逃げるのは悪手あくしゅだ。こうして出くわした以上、他のゴブリンとも遭遇する可能性がある。複数を相手にするくらいなら、この場で確実に仕留めたほうがいい。この気持ちが勇気なのか蛮行なのか。とにかく僕の中には戦うという選択肢しかなかった。


 さっき拾った石ころを握りしめ、自らゴブリンの元へと駆け寄っていく。

(うわっ、なんだこれ。体が軽い……)

 もはや気のせいというレベルではない。踏み出す一歩一歩に確かな力強さを感じる。みるみるうちに距離が詰まると、ゴブリンの顔が直前にまで迫った。

「ンギャッ」

 顔面に拳を叩き込むと、ゴブリンが悲鳴を上げて吹っ飛んでいく。1回、2回、3回と、川辺を無造作に転がったあと、最後はあおむけの状態で静止する。

(腕力も上がっているみたいだ。って、さすがに死んだよな……)

 陥没した顔面。あらぬ方向に曲がった首。ビクリとけ反ったゴブリンが、次第に黒いモヤへと変化していく──。やがてモヤが霧散すると、その場に残ったのは皮の腰蓑が1つ。それと小指の爪ほどの黒い石だった。

「みなさん、もう平気だと思います」

 目の前のゴブリンは完全に消えたし、周囲に危険な存在もいないようだ。なんの根拠もないけれど、なんとなくそんな気がする。3人が駆け寄ってくると、杏子さんが黒い石を拾いながら口を開いた。

「結城くん、あなたすごいのね。いきなり人型を殺れるなんて……」

「なぜかイケそうな気がしたんです。理由はわかりませんけどね」

「そう。やっぱりそういうことなのかしら──」

 最後のほうはよく聞こえなかったが、杏子さんは納得顔で何度も頷いている。他の2人は安心したのか、僕のすぐ近くで腰を下ろした。

「さて、と。これからどうしましょうか」

 現在地がわからない以上、むやみに歩き回ったところで意味はない。ここが異世界なのかはさておき、地球じゃないことは明らかだ。川沿いを歩いたところで、変な生物に出会うのが関の山だろう。

「まずは食糧と寝床の確保かしら。それと武器になるものが欲しいわ」

 杏子さん曰く、視界の悪い森の中は避けたほうがいいらしい。一度迷えば最後、戻ってこられる保証はないそうだ。ゴブリンは森から出てきたし、僕も奥の方へ行くのは反対だ。とくに川向こうの深い森は危険だ。「あっちには絶対行くな」と僕のナニカが警鐘を鳴らしている。

「じゃあ、みんなで取り掛かりましょう。時間はかかるけど、そのほうが安全です」

「そうね。足手まといにならないよう頑張るわ」

「アタシも!」

「私も精一杯手伝います」

 かくして、僕たち4人は行動を共にすることに──。誰が言い出したわけでもなく、ごく自然な……いや、ある意味不自然な流れで共同生活が始まった。

 なぜこんなところへ来てしまったのか。これからどうすればいいのか。理由も目的もわからないけれど、僕の気持ちは不気味なほど落ち着いていた。