第4章 時は分かれて果てしなく


 1980年代以降に発展した今日こんにちの宇宙観コスモスは、ビッグバン・モデルと定常宇宙論の両方の特質を併せ持っていると言える。イメージとしてはこんな感じだろうか。果てしなく拡張し続ける海(フレッド・ホイルが定常宇宙論の説明に用いたのとまったく同じ数式で表わすことができる)に、量子的なゆらぎで泡ができ、その泡の中では、インフレーションの瞬間やその後の状態によって「ビッグバン」や「スモールバン」が起こる。そしてこの状況には始まりも終わりもないのだ。ある泡に住んでいる者たち(いや、必ず存在するとは限らないが)は、その他の泡を知ることはできないので、そこの住人たちにとっては、その泡こそが「全宇宙」になる。こうやってたくさんの宇宙が存在する状況を「単元宇宙ユニヴァース」ならぬ「多元宇宙マルチヴァース」と呼んだりする。《訳注:宇宙(universe)のuniは「単一の、唯一の」という意味なので、それを「多数の、多様な」を意味するmultiに変えた造語。》しかし、こういうことを本当に理解していると言えるのは、ごくごく少数の専門家だけだ(ましてや通俗的な科学ライターになど分かろうはずがない)。

 こうした多元宇宙論は、どうやら物理学者たちの気持ちを高エネルギー状態へと「励起」するようだ。多元宇宙論は、今の「この宇宙」がなぜ「こう」なのかを無理なく説明できるからだ。読者諸氏はもう分かっておられるだろうが、今の物理法則の範囲内でも、宇宙は違った状態になっていたかもしれないのだ。クォークの質量や重力の強さなどの物理定数は、違った値を持っていても不思議ではないのだ。ダークエネルギーなどはまさにその格好の例だろう。アインシュタイン方程式によれば、ラムダ項はプラスでもマイナスでも、どんなむちゃくちゃな数値でも構わないはずなのだ。例えばそれが原子核のエネルギー密度のようなとんでもなく高い値になることだって可能だったのだ。もしそうなら、宇宙は人間どころか星も何も作り出す間もなく瞬時に膨張しきってしまっただろう。しかし実際には、ダークエネルギーの値は、今この現実のダークエネルギーの値だ。これと同じことは、自然界に存在する全ての定数について言えることなのだ。

 ならば、私たちのこの宇宙は、一体なぜ、「まさしくこの通り」なのだろうか? 一体なぜ、星も物質も「まさしくこの通り」、とりわけ私たち人間が「まさしくこの通り」に存在するのだろう? もし多元宇宙論を取るなら、答えは簡単だ。どんな宇宙も存在してはいるのだ。ただ、私たち人間のようなものが存在できるような宇宙でないと、その宇宙で何が起こっているのかを考察可能な知的生命体が現れないというだけの話だ。この手の論理は宇宙論における「人間原理」と呼ばれている。こうした多元宇宙の泡も含めた一切合切が、インフレーション理論の中でも最もシンプルなカオス的インフレーション理論の結果として起こっているのだ。そして正しい科学理論の例にもれず、カオス的インフレーション理論で予測された通りのことが観測されたのだ。

 理論的予測のうち、すでに検証されて実証を得たものの1つが、インフレーションに関わるエネルギーに生じた量子的ゆらぎが、スケール不変のパターンで宇宙の物質の分布に「刷り込まれて」いることだ。その量子的ゆらぎのパターンはインフレーションによって急激に押し広げられ、今日こんにち、宇宙の大規模構造として観測することができる。

 最初期宇宙における量子効果は時空に歪みを生じさせており、それが空間の暴力的なまでに強烈な膨張によって空間に残されたリップルとなっている。それが「原始重力波」として知られるものだ。宇宙に刻まれた原始重力波の痕跡は、その中を通り抜ける電磁放射にある影響を及ぼしている。しかしそれは、光がレンズを通り抜ける時に屈折するような影響とはまた違う。とりわけ、背景放射となった光子に、ある特徴的なやり方で影響を与えるのである。《訳注:ここで言及されている「痕跡」は、前者はインフラトン場のゆらぎの痕跡、後者は偽真空のゆらぎの痕跡で、2つは全く別なものである。本書ではインフラトンや偽真空という言葉は一度も使われていないが、著者はそれらの用語もしくは概念を認めていないのかもしれない。不確定要素の多い最先端の分野では、そういうことは珍しくない。》

 重力波というのは、一般相対性理論による予見の中でも最も風変りに思えるものだが、しかしそれでも、それは間違いなく存在する。《訳注:ここでいう重力波はgravitational wave(もしくはgravitational radiation)で、流体力学でいうところの重力波(gravity wave)とは別物なので注意。》とはいえその波はあまりにも弱いので、極めて限られた状況の下でしか物質に影響を与えることはない。だが、そうした特殊な状況は、2つの中性子星がお互いの周りを回っている二重パルサーの中にはある。中性子星は直径10キロメートルほどの球体に太陽と同じくらいの質量が詰まった、極めて密度の高い天体で《訳注:密度は太陽の1014倍以上とされる》、それが近接した短い軌道で短時間に公転し合っているのが二重パルサーだ。2つの恒星はあまりにも近いため、互いの軌道は太陽の内側に収まるほどで、公転周期は数時間程度である。こうした連星系からはエネルギーが放射状に広がり、空間にある種の「波」を作る。それが双方の中性子星の軌道に変化を与えるのだ。そして二重パルサーの観測から得られたその変化は、まさに、アインシュタインの理論が予測した通りのものだったのである。重力波の存在が証明されたとあらば、「時の始まり」からやって来る原始重力波の影響を探すために背景放射をさぐるには、充分すぎるほどの動機があろうというものだ。《訳注:二重パルサーの公転周期は、重力波によって連星系のエネルギーが外に「持ち出されて」徐々に短くなっていることが観測されており、この値が一般相対性理論の予測値とほぼ一致したのである。これは重力波の「間接的検出」だが、この観測を行ったジョゼフ・テイラーとラッセル・ハルスは、1993年にノーベル物理学を受賞している。》

 原始重力波の痕跡は、宇宙誕生から10−36秒後に残されたものだと考えられている。その瞬間の波の大きさは、当然だが、その瞬間の「地平線」の大きさ、つまり光が10−36秒間に進む距離を越えてはいない。インフレーション終了後、「地平線」の大きさは、今日こんにちでは第2章で言及した通り、地球から見た天球の1度角ほど――満月の約2倍の大きさ――になっている。天文学者たちはもちろん、背景放射に残された原始重力波の痕跡のサイズがどんなものかを知っている。そしてまた彼らは、どういう種の「空間の歪み」を探せばいいのかも分かっている。

 重力波には、四重極放射という特徴的な性質があり、これが背景放射に、見間違えようのないパターンを生み出す。これがある特有の偏光放射として観測されるはずなのだ。宇宙誕生から「宇宙の晴れ上がり」までの約40万年間、光子は電子などにはばまれて自由に飛び回れなかった時代だったということは第2章で見た通りだ。その時期に光子が電子等とぶつかって散乱すると偏光が起こる。

 光や電磁波には「E(電場)モード」と「B(磁場)モード」として知られる2種類の偏光パターンがある。Eモード偏光は、偏光サングラスが私たちの役に立っているのと大いに関わりがある。太陽光は視線(観測者と観測対象を結ぶ直線)に対して垂直方向の波動を持っており、それは360度の全ての方向に対して波打っていると考えてみよう。偏光レンズはそれに対し、ある特定の方向に波打っている波しか受け入れず、それ以外の波はカットしてしまうのだ。物質の密度に生じたゆらぎは、宇宙を伝わってやってきて、背景放射にEモード(スカラー・モード)偏光のパターンを生じる。しかしBモード偏光には、特有の渦巻きのパターン(テンソル・モード)が現れるのだ。これは物質密度のゆらぎからは決して現れないパターンで、原始重力波からしか生じないのだ。

 インフレーションはこの2種類の偏光を生じさせているはずなのだが、天文学者たちはその両モードの相対的な強弱差に興味を抱いている。それはインフレーションの間に起こったことを詳しく教えてくれるはずだからだ。それはテンソルゆらぎをスカラーゆらぎで割った比率から推定できる。その値は数式上ではrで表わされるのだが、これがゼロより大きければ原始重力波が背景放射に痕跡を残していると考えることができるのだ。《訳注:インフラトンのゆらぎからはEモード偏光が生じ、原始重力波からはEモード、Bモードの両方のゆらぎが生じるが、後者のEモード偏光は前者より弱いので、前者に埋もれてしまうような形になる。なので、原始重力波の痕跡を探すなら、インフラトンのゆらぎでは生じないBモード偏光を探すべし、ということになる。》

 2014年初頭、科学衛星プランクから、背景放射の偏光について最高精度の観測データが公開された。《訳注:プランクはヨーロッパ宇宙機関(ESA)の科学観測衛星で、2013年10月に運用を停止しており、以降、データの解析が行われ、順次公開されている。ただしプランクの設計段階では原始重力波のBモード偏光についての理論は存在しなかったので、プランクはその観測に特化した衛星ではない。Λラムダ-CDM宇宙モデルの比率はプランクのデータから割り出された。》全天サーヴェイのデータでは、原始重力波の痕跡は認められなかった。プランクのデータでは、観測機器の精度を考慮に入れても、r値の上限は0.11とされた。全天サーヴェイの後、対称範囲を狭めて精査した観測も行われていたので、2014年の終わりには解析が終わり、その中から待望のより高い上限値が得られると期待されていた。あとは待つばかりというその時、青天の霹靂がやってきたのだった。2014年の3月、地上の電波望遠鏡を使用しているある観測チームが、(天球上の角度で)1から5度のスケールの偏光を検出したと言い出したのだ。彼らが提示したr値は0.2だった。衛星プランクが示した上限の、実に2倍である。

 この観測結果を報告したのは、南極に拠点を置くBICEP2だった。《訳注:(Background Imaging of Cosmic Extragalactic Polarization)、バイセップツーと読む。2014年当時はすでに運用が終了しており、データが解析されているところだった。2015年末現在、BICEP3が運用されている。》天体観測において、場所は非常に重要である。なぜなら、標高3000メートル以上の高地では、大気は冷たく安定しており、湿度も低く、地球上では最も宇宙とコンディションが近い場所になるからだ。南極にあるBICEP2はそれとほぼ同等の利点を持っていた。宇宙のある特定のゆらぎが発する微弱なシグナルを捉えるため、観測には4Kに冷却された放射センサーを512個も使用し、約3年の間、2013年末まで運用されたのだった。BICEP2チームは、背景放射のあちこちに、0.1マイクロKほどの差異が生じているという結論を出したのである。これはそれまでに観測された密度のゆらぎに対応するシグナルより、100倍も弱い。

 BICEP2がBモード偏光を検出したことに疑いの余地はない、観測チームは、それがインフレーション時代の宇宙からやってきた原始重力波の証だと確信した。しかし、他の天文学者たちは彼らほどの確信を持つことができなかった。彼らが提示したr値は、衛星プランクが示した上限を大きく上回っている。それは何か他の要素が背景放射に影響を与えたからではないのだろうか。邪魔者の最大の候補は、私たちの天の川銀河にある塵だ。マイクロ波がセンサーに到達するまでに、そうした塵のある空間を通過している。塵が光子を散乱させた時にも、Bモード偏光の渦巻きパターンが生じるのだ。

 BICEP2チームはこうした影響も考慮したと言っていたのだが、本当に充分に考慮したと言えるのだろうか。2014年6月20日、フィジカル・レヴュー・レターズ誌に公式の発表がなされた。しかしその時には、BICEP2チームは批判を受け止めて、やや控えめにこう書いている。「背景放射より手前にある塵による影響の可能性を考えに入れなければならず、このr値は今後得られるはずのデータによって下方修正されることもあり得る」と。

 「今後得られるはずのデータ」には、解析が完了していない衛星プランクのデータや、BICEP2の後継プロジェクトであるBICEP3によって得られるはずのデータも含まれている。2014年の夏、BICEPチームとプランク・チームは公式に提携し、データを共有することとなった。これから得られる観測結果をより間違いなく解釈できるようになるという点では、これは間違いなくいいニュースだ。そして何よりも、衛星プランクのデータには、塵の影響についての情報がたくさん詰まっているはずだ。最も、本書の執筆の時点では、じれったくてたまらないが、BICEP2の結果が原始重力波なのかどうか、はっきりした結論は出ていない。しかしそれでも、こういう報告が出てくるのはそれだけでも意義のあることで、ここに書き記しておく価値は充分にあるのだ。《訳注:BICEPチームが2014年6月の発表を行う直前の5月、プランク・チームが、塵の影響がかなり大きいとするデータを発表した。さらに3カ月後の9月には、衛星プランクのデータ解析がBICEP2の観測領域と重なるところまで進み、BICEP2のデータは塵の影響で説明できてしまうとされ、BICEPチームは2015年1月、前年の発表を公式に撤回した。2015年1月に配備されたBICEP3の最初のデータは、2016年に発表される予定。岐阜県神岡鉱山に設置された重力波望遠鏡KAGRAは規模とノイズの少なさで世界最高精度の重力波望遠鏡だが、2015年末から試験運用を開始し、将来的には原始重力波の直接的検出を視野に入れている。》

 この原始重力波探査の物語には、重要な登場人物が2人いる。1人は極大の世界である宇宙論で、もう1人は極微の世界である量子物理学だ。この重力波検出のニュースに興奮したのは宇宙論学者たちだけではなく、素粒子物理学者たちもそうだったのだ。なぜなら、原始重力波が生み出されたのは宇宙のエネルギー密度が「原始の力(primordial energy)とほぼ等しい時点であるはずだからだ。ならば原始重力波を研究すれば、「原始の力」のことも分かるはずだ。自然界の4つの相互作用(重力、電磁気、強い核力、弱い核力)は、インフレーション理論によれば、相転移によって分割される前には、ある1つの究極の「原始の力」、別な言い方をすれば「プランク・エネルギー」があったと考えられている。宇宙はプランク長の大きさの段階で量子的ゆらぎによってインフレーションが始まったわけだが、その瞬間のエネルギー量を「プランク・エネルギー」と呼ぶのである。

 物理学では、単位量あたりのエネルギー量を「電子ボルト(eV)」という単位で表わす。本来の1電子ボルトのエネルギー量は非常に小さなものだ。100ワットの白熱球を1つ灯しておくのでさえ、毎秒6×1020eVが必要だ。eVでプランク・エネルギーを考えるとしたら、かなり大変なことになってしまう。なので、プランク・エネルギーについては質量という形で考えたほうがいいだろう。読者諸氏は覚えておられるだろうが、エネルギーは質量として換算できるからだ。質量は厳密に言えばeV/c2 (cは光速)という単位で表記されるのだが、科学者たちは便宜上c2を省略してeVと表記することが多い。この単位系では、電子の質量は0.51 MeV(メガ電子ボルト)、陽子の質量は938 MeVあるいは約1 GeV(ギガ電子ボルト)になる。プランク・エネルギーもしくはプランク質量をこの単位系で表わすのなら、約1.22×1019 GeVとなる。これを私たちの日常の単位系で表わすと10万分の1グラムになり、非常に少なく感じられるが、実はこれは素粒子スケールではものすごく大きな数字なのだ。宇宙誕生時には、この陽子1000京けい(1016)個分のエネルギーが直径プランク長レベルの直径10−20 cmに詰め込まれていたのだ。これを「プランク密度」というのだが、これは大雑把に言って1 cm3あたり10100グラム、原子核密度の1080倍という、想像もつかないようなものなのである。

 ジュネーヴのCERN(欧州原子核研究機構)が有する大型ハドロン衝突型加速器(LHC: Large Hadron Collider)はプランク・エネルギーの100万分の1(最大10万分の1)に相当する数TeV(テラ電子ボルト)のエネルギーを用いて粒子の衝突実験を行っている。《訳注:LHCはスイスとフランスにまたがって設置された巨大粒子加速器で、直径は27キロ。2年間にわたった改修工事を終え、2015年4月からは従来の8 TeVから13 TeVにパワーアップして再稼働した。》

 しかし、それでも出力はまだまだ足りていない。宇宙が原始重力波を産み出した時のエネルギーは、プランク・エネルギーの1000~100分の1相当である1016 GeVもあったのだ。人間が作り出した粒子加速器がいつそれに追いつけるか分からないことを考えると、素粒子物理学者たちが原始重力波のデータを加速器代わりに使えると期待して喜んだのも無理はない。一方、宇宙論の世界では、原始重力波の研究で最初期宇宙の研究云々だけではなく、他の宇宙が存在することの証拠が見つかるかもしれないという期待があるのだ。

  前述した通り、もしインフレーション理論がちゃんと機能していて、これまでに集まった証拠エヴィデンスに間違いがないのなら、宇宙はただ1つだと考える必要はない。もし量子的ゆらぎが私たちの宇宙が生まれるきっかけを作ったのなら、私たちの宇宙にできた量子的なゆらぎが別な子宇宙を作るきっかけになっていてもいいはずだ――カナダのペリメーター研究所のリー・スモーリンが取り組んでいるのがこの問題だ。何も、新しい宇宙が私たちの宇宙の中にドッカーンと爆発して現れ、私たちの宇宙を破壊してゆくというわけではない。新しい宇宙は、固有の時空の中で膨張し、私たちの宇宙とは小さなワームホールを通じてつながっているのだ。もしこの仮説が正しいのなら、LHCと大して変わらない規模の粒子加速器で粒子を衝突させて小さなブラックホールを作り、そこから子宇宙を発生させることだってできなくはないはずだ。こうしたアイディアは空想でも創作でもなく、ちゃんとした現実的な科学的背景を持っているのだが、これを用いた面白いSFが1つある。物理学者にしてSF作家であるグレゴリー・ベンフォードの小説Cosm (1998年)だ。《訳注:Cosmは、粒子加速器実験で重イオン粒子同士の相対論的速度での衝突が行われ、新たな宇宙を作ってしまうというストーリー。科学的アイディアのみならず、研究者間の人間関係や研究所内の権力構造なども生々しく描かれている。残念ながら日本未訳。》

 この手の仮説が検証しにくい机上の空論になりがちなのは仕方がないかもしれない。が、もっと現実的でシンプルなインフレーション理論を展開しているのがリンデだ。一般相対性理論の方程式に少しだけ調整を加えることで、常に指数関数的に膨張する宇宙を記述することができる。リンデの言うカオス的インフレーション・モデルもしくは永久インフレーション・モデルだ。私たちの宇宙の外には、膨張し続けるメタ世界がある。私たちの宇宙やその他の宇宙、何もかも一切を含んだ総体的宇宙コスモスだ。その中のどこか適当なところに、たまたまインフレーションが止まる場所ができる。膨張し続ける海にできた泡のようなものだ。それが私たちの宇宙であり、どこか遠くにあるかもしれないし、案外近くにあるかもしれない他の宇宙たちだ。瓶を開けた瞬間に炭酸水の中にできる泡のようなものだ。それぞれの泡は、それぞれの状況によって、ビッグなバンなりスモールなバンなりを起こして、違う物理定数を持った宇宙になる。もし永久インフレーション・モデルが正しければ、私たちの宇宙は、その他大勢の1人に過ぎない。

 多元宇宙論に関して、背景放射からは一体どんな証拠が得られているだろうか。さて、どう言ったらいいのだろう、実を言うと、すでに観測によって確立された背景放射地図の上に、何やら奇妙なヒントがぼんやりと浮かび上がっているのだ。どうも私たちの宇宙は、少しばかり「傾いて」いるらしいのだ。背景放射の場所ごとのゆらぎは、本来ランダムなもののはずなのだが、天球(宇宙)のある側のゆらぎのほうが、もう一方の側のゆらぎよりいくらか大きいのである。これはWMAPダブリューマップとプランクの、2つの科学衛星の結果のどちらにも表われているので、観測機器のエラーとは考えにくい。これは一体、何を意味しているのだろう? 物理学者たちはこういう新たな謎が大好きだ。なぜなら、それによって宇宙についての新たな知見が得られるからだ。想像力を掻き立てられる可能性の1つは、それはビッグバン以前の何か、膨張し続けるメタ宇宙から私たちの宇宙の種ができた時の何かの痕跡だということだ。

 もう1つの可能性は、もっとわくわくするものだ。何しろ、それはもっと検証しやすいからだ。メタ宇宙の中に幾つものマルチヴァースがあるのなら、遠い過去に、そのうちの1つ、もしくは幾つかが私たちの宇宙に衝突するようなこともあったかもしれない。2つのシャボン玉が空を漂いながら接触し、そして離れてゆくようなイメージだ。「衝突」というより、そっと触れ合って離れてゆくとイメージしたい。「衝突」では、どちらのシャボン玉も壊れてしまう。どうも宇宙論学者たちは「衝突」だのと物騒な言葉を使いたがる傾向がある。ともかく、そういう「衝突」が起こるとどうなるか考えてみよう。まず接触した部分がぶるぶると震え、その振動が徐々に空間に広がってゆく。そういう振動を受けた領域では、背景放射にはリップルの痕跡が残るはずだ。宇宙同士の「衝突」の痕跡は、背景放射の上に、ある特徴的だが非常に弱い、宇宙の航跡コズミック・ウェイクと呼ばれる円盤状の偏光を残しているはずなのだ。幾つかの研究チームが、そうした特徴がどのように観測されるのかを計算している。コンピュータの中で2つの宇宙泡(小さなマルチヴァースだ)のモデルを作り、その両者が接触した状態をシミュレーションした研究がそれである。途方もないことのように聞こえるが、思ったよりは簡単なことであるはずだ。なぜなら研究者たちの作り出す宇宙モデルは、重力や、インフレーションのエネルギーや、一般相対性理論の縛りからは逃れられないので、可能なモデルは自ずと絞り込まれてくる。銀河の有無や分布などはささいな問題なので、無視してもいい。こういうことなら、研究者たちは、さまざまなタイプの宇宙に残されたリップルが、どんな場所からどう「見える」のかを、いかようにも分析することができる。

 こんな研究が何の役に立つのかと思われるかもしれない。しかし、こうした研究は、少なくともある1つの重要なことを教えてくれる。それは、多元宇宙論は現実に「検証できる」ものだということだ。ほんの数年前までは、そんなのはデタラメだの、非科学的すぎて証明できるわけがないだのと言われていた。だが今や、そんなのはいわれのない中傷だ。多元宇宙論仮説は検証できないどころの騒ぎではない、もうほんの数カ月後にでも検証できてしまうかもしれないのだ。背景放射の偏光に関して言えば、衛星プランクの観測結果には、BICEP2の観測範囲よりもっと広範囲のデータが含まれているので、Bモード偏光の渦巻きはより広い範囲で見つかるかもしれないのだ。《訳注:残念ながら衛星プランクのデータはBICEP2の結論を支持せず、2015年1月、BICEPチームは報告を撤回した。本稿の日本語訳を行っている時点(2015年12月初頭)では、原始重力波検出も多元宇宙論仮説の証明も報告されていない。が、衛星プランクのデータの最終報告は2016年にずれ込む見通しで、ここから何かが見つかる可能性は皆無ではない。》

 真実はすぐそこにある。さあ、今夜も空を仰ぎ、宇宙を見つめよう。