第1章 ビッグバン
ビッグバンは宇宙の始まりではない。宇宙生成のごく初期のある段階を指す名称だ。その瞬間、全宇宙は原子核1つ分程度の極めて小さな空間に詰め込まれており、強烈な高温になっていた。この状態を「ホット・ビッグバン」(火の玉状宇宙)と呼ぶのである。こうした知識は、実験や観測によって得られた確固たる成果にもとづいたもので、それによって私たちは、物質を極限まで圧縮した状態から今日の世界に至るまでの道のりをはっきりと理解することができるのだ。
だが、アインシュタインの一般相対性理論と宇宙観測の結果を駆使すれば、我々はビッグバンよりももっと前の出来事、宇宙の全てが究極の一点に凝縮された瞬間である「タイム・ゼロ」について考えることもできる。《訳注:厳密に言えば量子力学も必要になる。》しかしその相対性理論などの我々が知っている物理法則も、タイム・ゼロとビッグバンの間のどこかの「特異点」と呼ばれる瞬間より前には通用しなくなってしまう。このタイム・ゼロとビッグバンの間についてのことを考えるインフレーション理論というものもあるのだが、それについてはまたあとで話すことにして、まずはビッグバン理論成立の過程を見てみよう。
アインシュタインが一般相対性理論を完成させたのは1915年のことだった。《訳注:一般的に、彼がアインシュタイン方程式を発表した1915年12月2日が「一般相対性理論の誕生」とみなされる。》その理論は、空間や時間、物質、そして重力の振る舞いを表わす一連の方程式を定めている。2年後彼は、空間と時間と物質から成る究極のシステム――つまり宇宙そのものに他ならない――の振る舞いを記述するためにそれらの方程式を使った。
当時、宇宙は大局的には不変不滅のものと考えられていた。いつからあるのかさえ分からないくらい古い森のようなものだ。木々は生まれ、そしていつしか朽ちてゆくが、森自体は何世紀も変わらないように見える。それと同じで、個々の天体が発生してそれぞれの「人生」を過ごして消滅し、また新たな天体が現れるということはあっても、全体としては変わらない宇宙というわけだ。しかしアインシュタインは、自分の方程式がそうした不変不滅の宇宙というモデルを許さないことに気づいて愕然とした。後に「アインシュタイン方程式」と呼ばれるこの式の計算結果は、膨張もしくは縮小する宇宙はあり得ても、決して不変の宇宙など無い、と告げているではないか。
これは自分の方程式に不備があるのだと考えた彼は、宇宙を膨張縮小させないために新たな係数を方程式に導入した。これがいわゆる「宇宙定数」である。《訳注:この宇宙定数は宇宙斥力やΛ項とも呼ばれ、宇宙が膨張縮小しないための力を表わす。縮小を否定するならΛ値はプラス、膨張を否定するならマイナスになる。》
それからまもなく、ロシアの数学者アレクサンドル・フリードマンは、アインシュタイン方程式を用いて宇宙全体の空間と時間の振る舞いを表わすことを思いついた。だがロシア革命とそれに続く内戦による混乱で、この成果が発表されたのはようやく1922年になってからであった。フリードマンは1925年、自分の着想がその後どのように発展するかを見届けることなくわずか37歳で死去したが、彼の業績は研究史上、この上ない大躍進の一つであることは間違いない。
フリードマンは当初、一般相対性理論の方程式が描き出すのは単なる理論上の宇宙モデルに過ぎず、現実の宇宙のことが分かるとは限らないとわきまえていた。単なる宇宙モデルに過ぎないのだったら、膨張したり縮小したりしても構わないじゃないか。そう考えたフリードマンは、3つの宇宙モデルを考案する。1つは小さく生まれて永久に膨張し続けるモデル、もう1つは膨張してから自重でつぶれるモデル、さらにもう1つは、膨張と縮小を繰り返す「跳ね返りモデル」だ。
フリードマンは知らなかったが、彼がその宇宙論を発表した頃にはすでに、アメリカの天文学者ヴェスト・スライファーによって、遠宇宙の星雲はいわゆる「赤方偏移」を起こしていることが観測されていた。赤方偏移とは、遠ざかる物体から発せられた光は波長の長い赤の側に寄って見えるという現象で、天体の発するスペクトルに赤方偏移が認められるということは、まさに宇宙が膨張している証拠に他ならない。短命だったフリードマンにとっては遅きに失したが、1920年代の半ばには、カリフォルニア州のウィルソン天文台で観測を行っていたエドウィン・ハッブルがさらに決定的な証拠をつかんでいた。
ハッブルはスライファーが観測した「星雲」と呼ばれるものの多くは「銀河」であり、私たちの太陽系が存在するこの銀河の外にも、いわゆる「系外銀河」が存在することを突き止めた。銀河とは、重力に引き寄せられた何10億個もの星の集まりだ。現在の天文学では私たちの住む銀河を他の銀河系と区別するために天の川銀河と呼ぶが、1917年の時点ではアインシュタインでさえこの天の川銀河が全宇宙であると考えていた。が、ハッブルの観測は、天の川銀河の外に大小さまざまの銀河が存在することを裏づけるものだったのだ。
銀河の一つ一つが森だと想像してみよう。赤方偏移が観測されたことで、これらの森が互いにどんどん離れて行っていることが分かったわけだ。現在では、数100から数1000の銀河が集まって「銀河団」を形成しており、その銀河団同士が離れて行っているということが分かっている。しかし便宜上、ここから先は銀河団と銀河はあまり区別をせずに「銀河」と書くが、話を分かりやすくするためなので、どうか大目に見て欲しい。《訳注:銀河団や銀河が宇宙の膨張で拡散しないのは、今のところ銀河間や銀河内に働く重力の効果が宇宙膨張の効果を上回っているためであり、原子がばらばらにならないのは、同様に、電磁気力等粒子間に働く力のほうがはるかに強いため。》
1920年代も後半に入ると、スライファーやそれに続く観測者たちのおかげで、赤方偏移の追試が充分に行われ、宇宙の膨張はほぼ確実になってきた。何はともあれ、どうやらアインシュタイン方程式の宇宙定数は必要なかったらしい。しかし残念なことにフリードマンの数学的な研究は天文学者にはあまり知られておらず、逆に赤方偏移が観測されたことは数学者にはほとんど知られていなかった。数学上の発見と天文学上の発見の関連性に気づいた最初の人物は、ベルギーの天体物理学者にしてローマ・カトリックの司祭ジョルジュ・ルメートルである。彼はフリードマンと基本的に同じ計算を独自に行なっていたが、自分が一番乗りでないことにはまだ気づいていなかった。
赤方偏移のデータを把握していたルメートルは、1927年の論文で、アインシュタイン方程式がまさに宇宙の膨張を示していると指摘した。言わば、銀河は一つ残らず、神が宇宙の膨張を今日の私たちに授けるための御聖体なのだ! 決定的に重要なのは、銀河が互いに離れてゆくのは銀河が空間を動いているためではなく、空間そのものが拡張しているという点である。膨らんでゆく風船にくっついた粒々を想像してみると分かりやすい。ということは、時間を遡れば銀河同士の距離は今より短かったことにならないだろうか。
ルメートルは1927年の論文で、赤方偏移と距離には関連性があると指摘している。観測点(地球)と観測される銀河Aの間の距離を1とすると、2倍の距離にある銀河Bが遠ざかる速度は2倍、4倍の距離にある銀河Cが遠ざかる速度は4倍になるのだ。銀河間の空間は宇宙中のどこでも同じ割合で膨張しており、遠くの銀河ほど遠ざかるスピードが速くなる。そしてその現象はどの銀河からも同じように観測されるのだ。宇宙には中心になるような特別な場所などないのである。
あいにく、ルメートルが論文を発表したベルギーの雑誌はフランス語だったので、世界中の天文学者に読まれているというわけではなかった。ルメートルはイギリスの著名な天文学者アーサー・エディントンにも英訳していない論文を送ったのだが、重要性を認めてはもらえなかった。
一方、ハッブルもその2年後に赤方偏移と距離の法則性に気づいたのだが、ハッブルの発表は英語でなされたため、英語圏では大変な反響をもたらしたのだった。ルメートルがこれを不満に思ったのは当然だろう。彼がエディントンに自分の論文の存在を思い出させると、これはまずいと思ったエディントンはそれを英訳して王立天文学会の月報に掲載した。だが、全ては後の祭りだった。赤方偏移と距離の法則は、今日もなお「ハッブルの法則」と呼ばれている。《訳注:2011年の史料調査により、論文を英訳したのはルメートル本人であり、その英語版ではハッブルの業績と重なる部分を自ら削除してしまったことが判明した。削除の理由は不明。》
しかしハッブルは、この法則に物理学的な解釈を試みることもなければ、膨張宇宙論を理論的に解明しようとしたわけでもない。彼の関心は理論よりも観測にあったので、赤方偏移のデータはただ銀河との距離を測るためだけに使ったのだった。一方ルメートルは計算によって時間をどこまで遡れるのだろうかと思索した。時間を遡ってゆくと銀河同士は接近し合うだろう。それから銀河たちは合体してしまうだろう。天体もみな接近し合い、衝突して合体し、しまいには何だか分からない小さな塊になってしまう。
どこまで行けばいいのだろうか? ルメートルは重大な決心をする。どこまで遡るか、それはあらゆる物質が原子核の密度、すなわち1 cm3あたりおよそ1014 g(100兆グラム)に達するまでだ。そこまでやってもいいのだ! ルメートルは1930年代に、物質の始原状態についての研究を進めた。ルメートルはその論の中でたびたび、「宇宙卵」や「始原原子」(「始原核」のほうがよかったかもしれないが)という言葉を使っているが、それが過去のいずれかの時点で何らかの理由によって膨張を始め、膨張しながら物質を生み出し、それが星や銀河のみならず惑星や人間の素になったと考えていた。彼は放射性物質が崩壊しながら放射線を出すのに似たプロセスを想像していたのだった。
当時、この説をまともに受け止める者はほとんどいなかった。なぜなら、ハッブルの法則をもとにした最初期の計算では、「始原原子」の分裂は地球や太陽や他の天体が誕生した時点より後ということになってしまったからだ。もちろん、恒星や惑星が宇宙そのものより古いわけがない。やがてこの計算は間違っていたと判明した。さすがに今では宇宙自体よりも天体のほうが古いなどという結果は出ていない。《訳注:ハッブルの法則自体は単純なものだが、観測に依存する「ハッブル定数」というものが関わっているため、観測の精度によって計算値が変化しやすいのである。》
そんな中、ルメートルの説をまともに受け止めた人物がいた。彼はこれを、宇宙が超高密度状態からどのように発達したのかを明らかにするために応用しようと考えたのだった。それがロシア生まれのアメリカ人理論物理学者、ジョージ・ガモフである。1940年代、ガモフは後輩のラルフ・アルファやロバート・ハーマンとともにその研究を行った。
彼らはまず、宇宙卵からは最も単純な元素である水素が生成されたと仮定し、膨張の初期段階に水素からヘリウムへの核融合がどのくらい起こるかを計算した。その結果、宇宙は約75%の水素と約25%のヘリウムという組成になる。これは、40年代に躍進した恒星研究によってはじき出された恒星の水素:ヘリウム比と一致している。しかし核反応は宇宙が高温でなければ起こりえない。宇宙が膨張していけば温度は自然と下がり、核融合は停止、ヘリウム合成も停止する。ヘリウム合成終了の後の最初期宇宙は物質と放射線が飛び交う灼熱の火の玉だった。ちょうど現在の太陽の表面のようなものだったはずだ。《訳注:ガモフらはこの研究で、宇宙全体のヘリウムや他の重元素の総量が恒星の核融合で作られたにしては多すぎるので、それらの元素は恒星が作られる前からあったはず、つまり宇宙には核融合が起こり得る灼熱の「始まり」があったという結論を得たのである。この『アルファ・ベータ・ガンマ理論』の論文の不備を1950年に指摘、訂正したのが、日本の物理学者、林忠四郎である。》
ガモフの研究チームはさらに、火の玉状宇宙が発する放射エネルギーが今も宇宙を満たしているだろうと考えた。ただしその波長は赤方偏移によって電磁スペクトルのマイクロ波領域にまで引き延ばされ、ラジオのノイズ程度にまで弱まっているはずだ。
物理学の世界では、電磁放射のエネルギーを温度で表記する。使用される単位はK(ケルビン)という。Kの1度の間隔は私たちが日常使っている摂氏(セルシウス度、℃)と同じだが、最下限値は絶対零度と呼ばれ、−273℃を下回る。《訳注:水が凝固して氷になるのが0℃=273.15 Kと定義される。つまり絶対零度0K=−273.15℃である。》絶対零度以下の温度は存在しない。ビッグバン後の火の玉状宇宙から発せられるエネルギーは、最初のうち数1000 K、すなわち現在の太陽に等しい温度にまで達しているはずだ。余談だが、この手の電磁波エネルギーは研究史上の紆余曲折を経て「黒体放射」と呼ばれるが、太陽のようにその黒体放射が可視光の域に達しているものはもちろん「黒く」はない。
ガモフらは、現在の背景放射は数Kになっていると計算した。ガモフは1人でこのアイディアを作り出したわけではない。が、この説に夢中になって何年間も精力的に追求し続けたのはガモフだけだった。のちにこの説が広く知られるようになってきた時には、アルファやハーマンの功績もほとんどガモフに帰されるようになってしまい、彼らはせいぜい脚注で言及される程度の存在になってしまったのである。1950年代には彼らのうちの誰一人として、第二次世界大戦中に開発されたレーダー技術を駆使すれば背景放射が観測されるようになることを知らなかった。《訳注:当時、高性能レーダーにはすでに、宇宙背景放射はノイズとして捉えられていた。》数年も経つとガモフもアルファもハーマンもそれぞれ別な研究を始め、火の玉の残留放射に関する考察は科学雑誌の読まれもしないページにひっそりと埋もれることとなった。
そんな50年代だったが、1つだけいいことがあった。火の玉宇宙論にはとりあえず名前がついたのである。「ビッグバン仮説」だ。その名は、もともとはイギリスの天文学者フレッド・ホイルがあるラジオ番組で、何かリスナーに分かりやすい言葉はないかと考えて、「大バクハツ仮説」と言ったのが発端だった。彼自身もまさか定着するとは思わなかったようだが、この名称は現在も使われている。《訳注:ちなみにホイルはSF作家としても知られ、作品の多くが早川書房等から邦訳出版されていた。代表作は『暗黒星雲』や『十月一日では遅すぎる』など。》
ホイルはビッグバン理論にとって最大のライバルたる「定常宇宙論」支持者の中心的存在だった。ホイルやヘルマン・ボンディ、トーマス・ゴールドらケンブリッジ大学の研究者たちがその仮説を完成させたのは1940年代、ちょうどガモフらのビッグバン仮説と同じ時期であった。定常宇宙論は、銀河が互いに離れつつあるという観測結果から、宇宙が膨張しているという事実が導き出されること自体は認めていた。が、銀河が離れてゆく理由は宇宙の膨張ではなく、銀河間に新しい物質が発生しているからだとしたのである。中性子の形で発生した物質は陽子と電子の形に崩壊し、この陽子と電子が水素原子となり、それが集積して新しい天体になり、銀河となり、隙間を埋めていく。これで全体としての宇宙は時間が経過してもほぼ同じに見えるというのだ。こうした物質の「創生」は100億年に1度、銀河と銀河の隙間に1 m3あたり1個の水素原子が存在すれば事足りるという。気の遠くなるような話である。
ホイルは偶然にも、水素とヘリウムよりも重い元素群が恒星内の核融合でどのように発生するのかを解明する研究チームの責任者でもあったのだが、この研究が将来的にはビッグバン仮説に利するようになるとはまだ気づいていなかった。これまでのところでは、あれこれの研究成果を定常宇宙論にあてはめることができないわけではない。
定常宇宙の構図に「タイム・ゼロ」は存在せず、時間がいくら経過しても宇宙の見た目は基本的に変わらない。ホイルの主張は中性子が銀河間にぽんと出現する等、おかしなところはあったが、宇宙の全物質が数10億年前一瞬にしてぽんと出現するビッグバン仮説とて、奇妙さという点ではどっこいどっこいである。事実、ホイルのみならず多くの学者が、ビッグバン仮説よりも哲学面で説得力のある定常宇宙論を支持したのだった。
だが、物理学者リチャード・ファインマンの指摘する通り、いかに説得力がある仮説であっても、「実証できない仮説は誤り」なのだ。1960年代半ば、実証という重りが載せられたことによって、全てがビッグバン仮説に向かって劇的に傾いた。アメリカの天文学者アーノ・ペンジアスとロバート・ウィルソンは、ニュージャージー州ホルムデルで新しい長距離通信アンテナをテストしていたが、その最中に3 K弱の微弱な電波ノイズが宇宙の全方向から発せられていることに気づいた。彼らにはこのノイズの正体が何なのかどうしても分からなかったが、ほどなくして近隣のプリンストン大学から回答がもたらされた。それはビッグバンの残留放射だというのだ。《訳注:背景放射の検出を研究していたプリンストン大学とこのベル研究所アンテナ施設は、偶然にも地理的に近いところにあった。プリンストンの研究者たちはペンジアスからこの件の問い合わせがあった時、発見の先取権争いに負けたことに気づき、潔く認めたという。ペンジアスとウィルソンはこの無欲の勝利によって1978年にノーベル物理学賞を受賞している。》
研究者たちはこの時ようやく、この電磁波は20年前にアルファとハーマンが予見していたものだったと気づいたのである。遠回りではあったが、この一連の流れは科学の方法論が完璧なまでに機能した一例であろう。ビッグバン・モデルは見ることのできない宇宙の性質をつきとめ、観測はそのモデルが正しく、宇宙はまさにその通りの性質を持っていると証明したのである。背景放射の発見が発表された1965年こそ、ビッグバン仮説が「仮説」ではなく「理論」に昇格した年だと断言できる。宇宙の始まりを解き明かす最良の理論だ。
その後およそ15年間に、特に背景放射を精緻に観測することによって、理論はより発展し洗練されていった。ビッグバンで何が起こったのかがより詳しく分かるようになっていった。その集大成とも言うべき研究が、1979年にソヴィエトの宇宙学者イーゴリ・ノヴィコフが1973年に発表した『宇宙の進化(Эволюция Вселенной)』(英訳は1983年にケンブリッジ大学出版局より出版)であろう。物理学の知識がないといささか読みにくい専門書だが、かいつまんで説明しよう。
ノヴィコフはこう述べている「一般的な物理法則は、物質が限界の超高密度に達するまでは不変である」と。これは前述した「タイム・ゼロの直後に来る特異点」のことだ。特異点の宇宙を特徴づけるのは、熱力学的に均質であることだ。それは亜原子粒子と放射の相互作用が質量や温度の変化よりも速く起こる状態のことだ。その瞬間の宇宙は言わば、もっと前の瞬間の自分がどんなだったかという「記憶」がない。それ故、瞬間ごとの状態は、質量や温度やその他の要素によってその瞬間ごとに決まる。ノヴィコフに言わせれば、私たちが超高密度状態にあった物質の特性についてまるで何も知らなかったとしても、その時以降に何が起こったのかを論じる妨げにはならないのだ。実際、私たちは、背景放射を計測することで、過去の宇宙の温度を推定することができる。ビッグバンは間違いなく熱かったのだ。ノヴィコフは1979年当時にこう言っている。「宇宙の物質がかつて超高密度で高温だったという仮説は現在では完全に立証され、もはや修正の必要はない」。それは実に21世紀に入って10年以上経った現在でもまったくその通りである。
ビッグバンを語るのならば、複合亜原子粒子と放射の相互作用についての説明も避けて通ることはできないだろう。原子は陽子と中性子、電子から成っているが、このうち陽子と中性子はバリオン(重粒子)に属し、電子はバリオンに比べるとはるかに軽く、レプトン(軽粒子)の仲間に属する。電子よりももっと軽いレプトンもあり、ニュートリノに至ってはほとんど質量がない。このニュートリノは宇宙論の中でも重要な素粒子なので、のちに触れることにしよう。放射は光子(光の粒子)の形も取り得る。《訳注:放射(光を含む電磁波全て)は、量子力学的に言うと波動と粒子の両方の性質を併せ持つという意味。》現在この宇宙では、バリオンと光子の比率は、バリオン1個に対して背景放射の形を取った光子はおよそ10億個が存在する計算になる。真空中では1cm3あたりに換算したらたったの500個程度の光子しかないことになる。大変な真空っぷりだ。
しかしビッグバンの瞬間にはまるで様子が違った。私たちが学校で教わる通り、物体の密度はその物体の体積が変われば変化する。体積が小さくなれば密度は高まるということだ。体積の値は半径を3乗することで得られるので、1を半径の3乗で割れば密度の変化が分かる。銀河間の距離が現在の半分だった時(つまり宇宙の大きさが現在の半分だった時)、密度は23、すなわち現在の8倍となる。しかし、放射のエネルギー密度《訳注:単位体積あたりに含まれる放射エルネギー総量》は光子の数だけでなく、それぞれの光子の波長にも左右される上、波長は赤方偏移の影響を受ける。それらの影響を加味すると、放射エネルギー密度は、半径の4乗に比例して増減する。つまり、宇宙の大きさが現在の半分だった時、背景放射エネルギーは現在の16倍(24)にあたる。この調子で宇宙を縮小し続けたらどういうことになるか、もうお分かりだろう。
ビッグバンまで遡り続けると、放射エネルギーの密度が通常の物質よりもはるかに高密度になってしまうのだ! ノヴィコフいわく、「宇宙膨張の最初期においては、質量の大半を占めていたのは『光』である」ということになる。ここで言う「光」とは、可視光だけではなく、可視光や電磁を含んだ放射全般のことだ。ここでアインシュタイン方程式に従えば、放射エネルギーと物質エネルギーには互換性がある。つまり、放射は物質になり得、物質は放射になり得るのだ。光子は粒子を作り出すに足りるエネルギー量を有しているのである。
では、そのビッグバンの中で何が起こったのかを見てゆくことにしよう。
灼熱状態の宇宙から、無数の粒子のペアが対生成した。それぞれの粒子には、必ず反粒子があったのである。質量はまったく同じ、性質は全く正反対、言わば鏡に映った自分自身のようなものだ。例えば、正の電荷を持つ陽子には負の電荷を持つ反陽子という具合だ。そして陽子と反陽子が対衝突すると、陽子分のエネルギー全てを放出しながら完全消滅してしまう。物質と反物質の対生成から1万分の1秒ほどの間に、宇宙は素粒子と放射が激しく渦巻く灼熱地獄と化しただろう。そこでは陽子・反陽子、中性子・反中性子、電子・陽電子のペアが放射から対生成したり、対消滅して放射に戻ったりを繰り返していたのである。これはまさしく、ノヴィコフの言う熱力学的平衡の一例である。このような状態は、宇宙の膨張によって温度がたったの数1000億Kに下がった時に変化する。宇宙誕生から100分の1秒後のことだ。
この時点では、物質はまだ星や私たちを作り出すのには程遠い状態だった。宇宙はただ放射と素粒子・反素粒子のごった煮で、物質を形成すべき粒子は放射から発生して対消滅することを繰り返すばかりだった。原子核を形成すべき陽子と中性子――今の私たちにとってはこの上なく大切なものだが――はまだ非常に少なく、割合で言えばバリオン1つに対して光子は数10億もあるというありさまだった。ところで、原子を構成する粒子は、バリオンである陽子、中性子のみならず、実際にはレプトンである電子も含めて「バリオン物質」と呼ばれる。電子はバリオンに比べればあまりにも質量が軽いので、名称上は割を食ってしまった形だ。「バリオン物質」があるということは、「非バリオン物質」もある。今日では、宇宙は「ダークマター」と呼ばれる非バリオン物質に満たされていることが分かっているが、それは物質と相互作用を起こすことがなく、ただ宇宙全体の質量の問題にだけ関わってくる粒子だ。それはこれまで述べてきたような現象にも登場してこない。ダークマターは恒星や惑星や生命が今なぜこうして存在するのかには何の影響も及ぼしていないのだ。ただ、宇宙膨張の速度や、物質が集まって銀河や星になる過程など、重力にしか関わってこない。《訳注:ダークマターは黒く見えるわけではなく、「光学的に観測できない」という意味でユーモア交じりに「暗黒物質」と称される。正体の候補として幾つかの素粒子の名が上がっているが、2015年現在はまだ確定されていない。》
宇宙誕生から100分の1秒後、まだ比較的数が少なかった陽子と中性子は、電子や陽電子、ニュートリノの絶え間ない砲撃にさらされていた。反ニュートリノが陽子と衝突すると陽子は中性子に転換し、反ニュートリノは陽電子に転換する。ニュートリノが中性子と衝突すると、ニュートリノは電子に、中性子は陽子に転換する。これらの作用は逆向きに起こることもある(中性子に陽電子が衝突すると陽子と反ニュートリノという具合)。宇宙の温度が充分に高い間は、素粒子は互いの立場を入れ替えることはあったが、総体として陽子と中性子の割合が変わることはなかった。しかし宇宙誕生から10分の1秒が経って温度が300億Kにまで下がった時、均衡はまた新しい状態へと変わっていったのだった。
この変化は、中性子が陽子よりもごくわずかに多くの質量を持っていたために起こったことだった。宇宙の温度は下がり、電子やその他の粒子が持つエネルギー量も低下した。軽い陽子から重い中性子への転換のほうが、重い中性子から軽い陽子への転換よりも困難になってゆく。前者を上り坂、後者を下り坂と考えると分かりやすいだろう。その結果、10分の1秒ほどの間に、宇宙のエネルギー密度が3000万倍ほどになった時、バリオン1つに対し光子は10億個になり、中性子と陽子の割合は50%ずつではなく、中性子38%陽子62%になった。
次の大きな変化は、宇宙誕生から3分の1秒後に起こった。これまで活発にバリオン物質との相互作用をしてきたニュートリノが、それを渋り始めたのである。ニュートリノは現在、太陽内部の核融合反応でも発生しているが、それを地球上でとらえるのは恐ろしく難しい。何しろ3000光年分の厚さの鉛でも、半数を食い止めることさえできないのだ。ビッグバン初期の宇宙の恐ろしいほどの密度に比べれば、鉛の密度など無いも同然なのである。かつてニュートリノは容易にバリオンと反応したが、タイム・ゼロから3分の1秒後には、宇宙はその反応が不可能になるほど希薄なものになってしまったのだった。ニュートリノが陽子、中性子、電子との熱力学的平衡を離脱することを「ニュートリノ・デカップリング(neutrino decoupling)」と呼ぶ。宇宙はニュートリノからすれば「透明」な状態になったのである。
それ以降、ニュートリノは物質に阻まれることなく宇宙を直進してゆき、その存在の証拠をほとんど残さなくなってしまった。しかし、光子(放射)に関しては宇宙背景放射(CMB)が観測されたのと同じように、ニュートリノに関してもいつの日か宇宙ニュートリノ背景(CNB)が観測される日が来るだろう。《訳注:前述の宇宙ニュートリノ背景は、ニュートリノ・デカップリングによって生じた。》おそらくバリオン1つに対して10億個ほどのニュートリノがあるはずだ。しかしビッグバンに対してはこの件はあまり大きな関わりを持たないので、ニュートリノについてはこれ以上言及しなくてもよいだろう。
宇宙のタイム・ゼロから1.1秒経つと、宇宙の温度は100億Kまで下がり、密度も水の380万倍程度にまで薄まった。ニュートリノ・デカップリングはすでに起こっている。今や中性子と陽子の割合は24対76になっている。温度がさらに下がるにつれて、電子・陽電子のペアは発生が対消滅に追いつかなくなり始める。宇宙の「進化」はだんだんペースダウンし、タイム・ゼロから13.8秒後には、温度は30億Kに下がる。電子・陽電子のペアはもはや全く生成しなくなり、残ったペアがただ対消滅するばかりとなった。もし電子・陽電子の量が最初から完璧に均衡が取れていたら(そしてバリオン物質と反バリオン物質のバランスも完璧であったなら)、今私たちの世界を作り上げているおなじみの原子は存在しなかっただろう。恒星も惑星も人間もいない宇宙だ。しかし、物理法則の中にまだ解明されきっていない何らかの不均衡があったため、ビッグバンのさなかに10億個の陽電子に対して10億と1個の電子が作られ、10億の反バリオン物質に対して10億と1個のバリオン物質が作られたのだった。この10億分と1個の微差が、ビッグバンの後に反物質ではなく物質が残った理由と考えられる。そして光子がバリオン1つにつき数10億あったからこそ、宇宙は「目に見える」ものとなったのだ。《訳注:ポール・ディラックが提唱した反物質が実際にはほとんど存在しない理由として、物質・反物質の数にこのくらいの微細な不均衡があったと仮定したのが、人道活動家としても高名なソ連の物理学者アンドレイ・サハロフであり、これを「サハロフ状況」と呼ぶ。まだ実証されてはいない。》
さて、宇宙の物語はここから、その僅差でビッグバンから残ったバリオン物質、すなわち私たちを作っているこのありふれた「物質」が主役に就任する。
宇宙誕生13.8秒後以降は、重水素の原子核(陽子1、中性子1を持つ《訳注:通常の水素は中性子を持たない。》)が一時的に作られたものの、まだ収まらない粒子同士の衝突ですぐに破壊されてしまった。中性子はこの時点では、ペースはだいぶ落ちてきたものの、まだ陽子に転換されていた。中性子と陽子の割合は今や17対83になっている。タイム・ゼロから3分と2秒後、温度は10億K、現在の太陽の中心部の70倍程度にまで下がり、これまでに述べてきたような粒子間の相互作用は事実上停止したのだった。
しかしここで、今までになかったことが起こる。残りの中性子が電子と反ニュートリノを放出しながら自然崩壊して陽子に転換したのである。以降、余った中性子は同様にして100秒毎に10%の割合で崩壊する。しかし陽子とともに原子核を形成した中性子は安定的で、崩壊はしなかった。《訳注:プラスの電荷をもつ陽子と電荷をもたない中性子を原子核として結び付けているのはもちろん電磁力ではない。中間子によって伝えられるより強力な「強い核力」が働いているため、電磁力で結びついている物質より安定性が高いのである。》
この時、バリオンの13%は中性子の形を取っていた。宇宙はもう充分温度が下がっていたので、重水素の原子核は崩壊することはなかった。以下の核反応は、かつてジョージ・ガモフやその共同研究者たちが先鞭をつけ、その後幾多の研究者たちが参入して解明していったものである。
重水素の原子核は、通常の水素の原子核である陽子に中性子が衝突してとらえられるような形で発生する。そこにさらに中性子が取り込まれると、核が陽子1中性子2から成る三重水素になる。しかしこの三重水素は安定性が低く、電子と反ニュートリノを放出《訳注:β崩壊》して、陽子2と中性子1を持つヘリウム3の核へと転換する。そのヘリウム3の核にまた別な中性子が取り込まれると、陽子2中性2を持つ通常のヘリウム(ヘリウム4)の核が作られる。
いったんヘリウムの生成が始まると、残りの中性子も一気にヘリウム生成への道を辿った。これが先に述べた、バリオンの13%が中性子だった時に起こったことだった。どのヘリウムも原子核に陽子と中性子を2つずつ持つようになると、どの核の質量もほぼ同じになる。こうした反応を経て、結果として宇宙の全質量は74%が水素(陽子1)、26%がヘリウム(陽子2中性子2)となったのだった。これはガモフたちが高らかに予言し、観測された恒星の組成と一致した、まさにその水素:ヘリウム比である。
しかしビッグバン核合成はその名の通り、短いビッグバン期の間にしか起こらなかった。宇宙誕生3分46秒後に始まり、宇宙誕生5分(300秒)までしか続かなかったのだ。それ以降の宇宙は、核反応でより重い元素を作り出すには冷たすぎ、希薄すぎた。窒素や酸素、炭素などが作り出されるのは、恒星が生まれるまで待たなければならない。ホイルらが言った通り、恒星は言わば原子の圧力釜なのだ。
では、もう一方でレプトンである電子はどうしていたのだろうか。宇宙誕生から30分、電子よりわずかに数が少なかった陽電子が対消滅によってほとんど姿を消し、この対消滅のエネルギーは放射の形で宇宙を満たしたのだった。この頃は放射(光子)は電荷を持つ粒子――今宇宙にある負の電荷を持つ電子、正の電荷を持つ陽子(水素の原子核)、そしてヘリウムの原子核の全て――と強く相互作用を起こしていた。しかしこの時点では、「火の玉状宇宙」の温度はだいぶ下がったとはいえ、まだ太陽の中心部の20倍に相当する3億Kあり、まだ安定した原子が生まれるにはまだ熱すぎたのだった。正電荷の原子核は負電荷の電子を捉えはするものの、飛び回る光子にすぐにはじき出されてしまうのだ。この頃はまだ、宇宙は放射の時代だと言えるだろう。放射はまだ物質に対して強力な相互作用を持っていたのである。この状態は数10万年もの間続いた。
しかし宇宙誕生から40万年ほど経つと、宇宙の温度は数1000 K程度にまで下がる。だいたい今日の太陽表面と同じくらいの温度で、原子も安定性を保てるようになってくる。電磁波は電荷が中性の状態になった原子とは反応しにくいため、どの原子核も電子と結びついてしまうと、物質と放射はだんだん相互作用が弱くなってゆく。つまり、光は物質からデカップリングし、物質に取り込まれることなく自由に宇宙を飛び交うようになるのだ。それがさらに冷却されて、現在我々が観測している宇宙背景放射になったのである。太陽の表面温度と同じくらいのあたりでこういうことが起こったのは偶然ではない。我々が太陽を見ることができるのはまさに、太陽の表面温度は光子が物質から逃れることができるからに他ならない。私たちが検知できる背景放射は、宇宙誕生から30~40万年後の、宇宙が太陽表面と同程度の温度だった時の最後の散乱光なのである。《訳注:煩雑になるので文中にはあまり注を入れなかったが、要するに、宇宙誕生から約38万年後に温度が太陽表面程度に下がり、原子核は電子を安定的にとらえておくことができるようになったため電荷的に中性になり、放射(光子)は物質(原子)に捉えられることなく宇宙を直進し、今日私たちが知っている光や電波となったということだ。その結果、この時期の放射はまだ宇宙に放射の形のまま残っている。これが宇宙の膨張によって波長が引き伸ばされ、3K放射となったのである。標準宇宙モデルで宇宙誕生から38万年後に起こったこの放射と物質(原子)の分離は、「宇宙の晴れ上がり(recombination)」と呼ばれる。》
これがビッグバン期の終わりであると断言することはできない。諸説あることは認めよう。筆者は個人的に、ビッグバンは特異点の10万分の1秒後から始まり、特異点から34分40秒後、陽電子が消滅した時点で終結と考えている。ビッグバンの期間に関してどの説を取るとしても、ここに記述した何秒にどんな現象が起こったとかいうことは、どれも憶測ではない。エネルギー値や温度、密度は、全て確立された物理法則にのっとったものであり、その物理法則はCERN(欧州原子核研究機構)やアメリカのフェルミ国立加速器研究所、《訳注:日本の高エネルギー加速器研究機構》などの素粒子加速器によって実験的な裏づけが取られている。筆者は、保守的に過ぎるかもしれないが、すでにはっきりと実証されている現象についてだけ語っている。1970年代のことを思い出して欲しい。ビッグバンは謎だらけだったが、パズルを一片ずつはめ込んでゆくようにして研究され、1979年にはノヴィコフが概要を明らかにしたのではなかっただろうか。ビッグバン以前のことについてはまだ解明しきれていない部分はあるものの、ビッグバン理論は空想でもでたらめでもなく、確立された科学論なのだ。