真夜中には貴方を数えて
そっと部屋の扉を開ける。
目の前にあるのは、エヴラール辺境伯の城館の長い廊下だ。
夜中を過ぎ、既に時間は夜中の一時。
点々と蠟燭の明かりが灯されているので、薄暗いながらも壁や床の様子が見える。防犯のために灯しているのだが、この世界の明かりは蠟燭か油灯が主流なので、前世の電気のように広い範囲を煌々と照らしてはくれない。
子供ならば嫌がるような薄暗さだが、転生したと気付かずに十四年、電気のない世界が普通だと思って暮らしてきた私に恐れるものなどない。
パトリシエール伯爵の館は、どこにそのお金があるのかと思うほど、夜も蠟燭を使って館内を明るくしていたけれど、教会学校なんて完全に消灯してたので、真っ暗でも動き回れる。
「厨房、厨房っと」
そっと扉を閉め、私は廊下を歩いた。
私はこの辺境伯の城館で暮らし始めたばかりだが、厨房の場所は一番に覚えた。食事をするのも厨房の隣の部屋、お茶を用意するにも、菓子を用意するにも厨房へ行かねばならないのだから。
布靴なので歩くと底が少し冷たい。昨日から急に寒さが増したのだ。
もうすぐ秋も終わりだなとか、冬用のしっかりとした底の靴を用意しないといけないなとのんびり考えていたのだが、夜中はやっぱり冷たさが段違いだ。
明日か明後日には気温もまた上がるかもしれないけれど、油断せずに早めになんとかしようと思いつつ、厨房へ到着した。
汲み置いてある水甕から、手持ちの硝子ガラスのデカンタに水を入れ、今度は部屋へ戻る。
深夜の館の中は静かだ。
外には見張りの兵もいるけれど、中は皆眠っているので静まり返っている。
だから物音などはよく聞こえた。
主に自分のぺたぺたという足音。デカンタの水が階段を上る時に跳ねて、ぽちゃりと立てる音。
さらには不意に開く扉のきぃっと蝶番がきしむ音とか……。え、この音がするってことは、誰か廊下に出てきた?
階段を上りきったところで、音がした方向を見る。
そして私は、少し離れた部屋の扉から顔を出したレジーと、目が合った。
彼も眠れなくて起きてしまったのだろうか。
白い簡素なシャツと暗い色のズボンはゆったりとした作りなので、寝間着だと思う。質はよさそうだけど絹じゃないのは、冬の足音が迫る頃合いなら当然か。暖かそうな暗色の毛織のガウンを羽織っている姿は、一歳しか違わないのにどこか大人っぽい。
この城館に来てまだ日の浅い自分が、真夜中に歩き回っていたことにばつが悪い気持ちになった。だから私はつい普通に話すのではなく、変なことを聞いてしまったのだ。
「えっと……レジーも飲む?」
とデカンタをちょっと持ち上げてみせた。すると目を瞬いたレジーが、ちょっと笑って私を手招いた。
えーっと、王子様の部屋とか、夜中に勝手に入っていいのかな。
「メイベルなら隣で寝てるよ。気にしないで」
本人にそう言われたのと、じっと廊下で立ってるのも寒いので、レジーの部屋にお邪魔してみた。
中に入ると、ふわりと暖かい空気に包まれた。見れば暖炉に火が入っている。レジーが自分で火をおこしたのだろうか。それともメイベルさんが気を使って、遅くまで火を燃やし続けていたのか。
部屋の内装も淡い色合いの風景画が飾られて、温かみがある。寝台の近くの壁に掛けられた大きなタペストリーも、美しい模様が織り込まれたものだ。
エヴラール辺境伯の館は、華美ではない。そもそもが国境の領地。何度も繰り返しサレハルドやルアインと戦ってきた土地だ。美しい絵画を飾る暇があったら剣を買え、みたいな考え方が領主一族に根付いているらしく、あまり装飾品は多くないので、ちょっと驚いた。
部屋に入ると、レジーがコップを渡してくれる。
「水、飲むんだろう?」
「ありがとう」
そもそも喉が渇いて厨房まで遠征してきたのだ。さっそく借りた木杯で水を飲む。
けれど胃に落ちていった水のせいで、内側からも冷えて思わず身震いする。部屋は暖かいけれど、冷えきってしまったらしい身体では寒い。早々に暖かい布団の中に潜りたい。
だがレジーも水が飲みたいようだったし、そもそも水を分けてあげようと思って部屋に入ったのだ。だから木杯に水を注いで渡す。レジーも一気に水をあおった。
「レジーは喉が渇いて目が覚めたの?」
「それもあるかな。キアラは?」
「ちょっとね。夢見が悪くて……」
私は時々だけど夜中に起きてしまうことがある。
それでも眠るのは好きだ。上手くいけば前世の夢が見られる。それなりに友達同士でいざこざがあったり、お父さんとお母さんが喧嘩してハラハラさせられたこともあったけれど、縋れる情が何もなかったこの世界よりは、優しい思い出が多いから。
「だけどすぐ寝直せるから、気にしないで。レジーはどうなの?」
「元から眠りが浅い質だから」
まだ十五歳だというのに、深く眠れないとか……気の毒に。だからついかわいそうになって言ってしまったのだ。
「何か寝つけるような方法探してみる?」
するとレジーが面白そうに口の端を上げた。
「何か方法があるの?」
言われて考える。私が思いつく方法はそれほど多くはない。そして子守唄など却下だ。王子様に上手くもない歌を聞かせるなんて、恥ずかしくてのたうち回ることになりそうだ。
だから順当なものを提案した。
「羊を数えるとか」
「羊?」
「うんそう」
レジーは不可解そうな顔をしたけれど、試すと言うので私は彼を寝台に追いやる。私は側に椅子を移動させてそこに座った。
「じゃあ横になって、目を閉じて」
素直に従ったレジーの首元まで、毛布やキルティングの上掛けを引き上げる。レジーのちょっとくすぐったそうな顔を見て、なんだか彼が急に子供っぽく見えた。
「口に出さなくてもいいんだけど、その状態で数えるの。羊が一匹、羊が二匹……」
数えてあげている私は、自然とレジーの寝顔を見つめることになる。
銀色の睫長いな。
どれだけ綺麗なお父さんとお母さんがいたら、彼のように整った顔立ちの子供が生まれるんだろう。ベアトリス夫人も美人だし、レジーとよく似てるよね。王家がそもそも美形一族なんだろうな。
そんなことを考えつつ、数える羊が三十匹になった時、レジーがため息をつきながら苦情を口にした。
「……これ、もしかして退屈になったり疲れたりしたら眠るだろう、っていうのを狙った方法?」
「かもしれない」
確かに私のほうは口が疲れてきた。しかもまだ身体が眠り足りないのか、ちょっと眠い。
「けど百匹までは数えるらしいって、どこかで聞いたような……」
「じゃあ、キアラが実践してみなよ」
そう言ってレジーはさっさと起き上がると、寝台から降りて私の側に膝をつく。
「え? うわああっ」
「静かにしてキアラ。メイベルが起きちゃうよ」
突然レジーが私を持ち上げたのだ。お姫様だっこされたかと思うと、レジーの寝台に寝かされた。あげくに靴を脱がされる時に足先に彼の手が触れて悲鳴を上げそうになる。
驚いているうちに上掛けをきっちりと掛けられ、レジーは椅子に座った。
さっきと二人の位置が入れ替わった状態だ。
寝ている状態で顔を見下ろされて、なんだか恥ずかしい。
しかも寝台の中、レジーがいたからぬくもりが残ってて……うう、暖かくてもうここから出るのが嫌になりそうだ。私と違って冷え性じゃないんだろう、足下あたりまでちゃんと暖かい。ぬくぬくだ。
レジーのほうは楽しそうな表情で私の頭近くに手をついた。
「じゃ、数えるよ」
彼は自分が数えて、私がちゃんと眠るかを検証するつもりらしい。
っていうか、私がここで眠ったらマズイでしょ! お互い成人前だけど、思春期の女子が男性の部屋で眠るとか問題すぎる。