その時、扉が強くノックされた。

 同時に、窓を通して部屋の中にまで響いてくるのは、金槌で叩く警戒を促す半鐘の音だ。

 我に返り、急いでレジーから離れた私は、扉をすぐさま開けた。

 そこにいたのは、厳しい表情のグロウルさんだった。

 辺境伯からの呼び出しがきたらしい。レジーは急いで部屋を出ていった。

 物言いたげなレジーを見送った後、私の所にも召使いのおばさんが連絡に来てくれる。

「あんたのこと奥様が呼んでたよ? それにしても、こんな細っこいのに最近は魔獣の関係で城の外まで行ったり、大丈夫なのかい?」

 よく食事時に「もっと食べなさいよ」と、大盛りを勧めてくるおばさんだ。ちょうどベアトリス夫人の所に出入りしていて、用を頼まれたのだろう。

 心配されて、ありがたいやら申し訳ないやら。

 ……あと、現実に戻ってきた気分になった。

 ほんの数秒前まで、どこか現実じゃないような感覚でふわふわとしていた。だから、いつもなら考えないような発想が浮かんで、レジーのことを抱きしめてあげたいとか、もっと近づきたいとか思ってしまったのかもしれない……。

 さっきまでのことを振り返ると、とたんに恥ずかしくなる。

 何浸ってたのよ私! しかもあのままじゃうっかりキ、キ、キ……スとかしちゃったかもしれない?

 いやいやありえない。レジーは王子なんだよ? お互いにしか理解できないことがあるから、そういう意味で特別だと思ってくれてるだけで、心配だけどつい、どうしたらいいのかわからなくなったから、あんな行動に出たのに違いない。

 私も、どう言ったらわかってくれるんだろうって、混乱したから。

 大丈夫だってことを、上手く言えなくて。

 妙な雰囲気に、流されそうになっただけで……お互いに。

 でもおばさんが心配してくれたおかげで、はっと気付いた。私が守りたいものは、今やレジーだけではない。辺境伯も、父を失うかもしれないアランのことも、私と仲よくしてくれるおばさん達や調理場の人達も、みんな無事でいてほしいんだ。

 とにかく正気に戻してくれてありがとうおばさん、と思いながら、私は軍議を行うという主塔二階の会議場へ走る。

 

 そこに集まっていたのは、ごく少数だった。

 辺境伯夫妻とアランとカインさん。そして辺境伯領の騎兵隊や守備連隊の隊長、そして一足先に来ていたレジーやグロウルさんだ。

 私は侍女として、ヴェイン辺境伯の隣に座るベアトリス夫人の後ろに立つ。マイヤさんとクラーラさんもいたので、その隣に収まって、ちょっとほっとした。

 参加する侍女が私だけだったら、肩身が狭すぎるので。

 けれどヴェイン辺境伯による話が始まってすぐ、私は頭から色々なものがすっ飛ぶほど驚いた。

 私とカインさんで捕らえた男が白状したらしい。ルアインの軍が、既に国境の近くまで迫っていることを。しかもその侵入経路が、北からだという。

「北から!?」

 それは予想外の侵攻ルートだった。

 彼らが守っていた老魔術師は、南側にエヴラール辺境伯側の目を引きつけておく役目を負っていたらしい。でも北側から侵入するなら、これから交渉を行おうとしているサレハルド領を通らねばならないはずだけど……。

「サレハルドは裏切ったのでしょうか」

 長卓の上座に座ったレジーの言葉に、すぐ右手斜めに座ったヴェイン辺境伯が首を横に振る。

「そこまでは捕らえた男も知らされていないようです。北から軍が来ること。それに呼応するように城を攻めることを命じられていたようですね」

「では、魔獣や魔術師まで同時に襲撃してくる可能性があるのですね?」

「そうだ」

 アランの問いに、ヴェイン辺境伯がうなずく。

 思わず私は唇を嚙んだ。あの魔術師を倒しておけば、そちらの部隊に気を払う必要がなくなっていただろうに。

「軍の規模はどうなんでしょう」

「それも知らされていなかった。敵も陽動を行わせた者が捕まえられることを、想定していたのだろう。ただ、サレハルドを通過しての進軍だ。大軍を動かしても、国境を越えるよりこちらは察知しにくい。かなりの規模だろう」

 ベアトリス夫人の問いにヴェイン辺境伯が答えたものの、情報の足りなさをその場にいた皆が実感しただけだった。

「まずはそれが正確な情報だったとしての、対応を話そう」

 レジーが話を振ることで、ヴェイン辺境伯は現状で立てられる作戦について話した。

 まず敵は二方向から来るのが確実として、国境の北から侵入するルアイン軍への対応を遅らせるため、ルアインの別働隊がなんらかの行動を起こすだろう。

 そのため、少なくとも三か所での戦闘が予想された。

 私は唸りそうになる。ゲームの場合、城だけの戦闘になっていたのは、城へと攻め込まれるまで対応がとれなかったからだ。今回は城へ迫る前に対処できる。

 しかし国境の防備の要として、ある程度の兵力を常に保っているとはいえ、国を挙げて侵略してくるルアインの兵力に勝てるものなのか。

 しかもエヴラール攻城戦はプレイヤーの手慣らしに戦闘が行われたわけでもないので、兵の配置は不明。手がかりがないので、戦を経験している大人の采配に期待するしかない。

 ヴェイン辺境伯も敵が大多数で侵入してくることを想定しているので、大きく読み誤るということはないだろう。

「国境の守備はある程度残さねばならないだろう。茨と峡谷と山のおかげで、国境の防壁以外からはこちらに侵入するのは難しい。だから三百を残す。あとの三百を召集した軍に加える」

 その他に、明日の朝までに城に集められるのが千人。

 これは城の内と外に待機させている兵力だ。魔獣の討伐で警戒をしていたため、通常よりも多い人数だという。

 次に至近の分家からの派兵を合わせたら、最終的に三千三百にはなると言った。

 ここには民間からの兵は含んでいないらしい。そちらは召集するのに時間がかかる。今すぐ伝令を走らせて、それから二日猶予があれば近隣から召集した兵が六千集まるという予想だった。

 三日あれば、なんとか一万まで集められる。これは辺境で、紛争に慣れた土地だからこそ可能な数らしい。畑作に精を出している皆さんが、自分達の領地と家族を守るため、武具を常備して、すぐに駆けつけられるようにしているからだ。

 しかし捕虜の自白によれば、ルアインの軍はもう侵攻してきていてもおかしくはない頃合いだという。

 ──レジーの到着に合わせているからだ。

「ルアインは、王位継承者であるレジナルド殿下を殺めるつもりだろう。その後王都へ駆け上って陛下を亡き者にすれば、王権の代理人が王妃となる。王妃がルアインの要求をのめば併合は完了だ。そのためにレジナルド殿下を、サレハルドとの国境近くまで出向かせるタイミングを狙って実行していたのだと思う」

 ルアインは交渉が必要になるよう、サレハルドとエヴラール領に問題を起こしたのだ。そして王妃派の貴族もいる中で、ルアインの側にレジーの動きを隠し通すのは難しい。公務であればなおさらだ。

「私は偵察が戻り次第、軍を率いて進路上に布陣する。出立は明日か明後日の朝になるだろう」

「自ら出られるのですか?」

 ベアトリス夫人が表情をやや曇らせた。

「私どもがついておりますよ。必ず辺境伯には城にお戻り頂きますので」

 騎兵隊長がそう請負う。ベアトリス夫人はうなずいたが、不安そうだ。

「私の足も、ほぼ完治しております。代わりにと言いたいのですが、大軍を指揮するには未熟な身ですもの。足を引っ張る結果になっては申し訳が立ちません。だから城の守備と殿下の警護は私にお任せ下さいませ」

 そう、ベアトリス夫人の足は完治したのだ。戦に彼女が参加できることも、ゲームの時よりずっと有利な点だろう。

 さらにいうと、ヴェイン辺境伯がルアインの機先を制すことができれば、少しは防衛戦も有利になるだろう。そう言ったのは辺境伯自身だ。

「ルアインは全ての軍をエヴラール城だけに傾けるわけにはいかないだろう。日数をかけてこちらを攻略しようとしたなら、他の領地でも防備を固められて攻めにくくなる。攻略しきれなければ、数隊を残して先を急ぐか、奇策を講じるはずだ」

「奇策ですか?」

「魔術師がいるのだろう? 魔獣を扇動して城に攻撃をしかけてくるだけではなく、魔術師自身にも攻撃をさせると考えている」

 問いに答えを得たアランは、渋い表情をして言う。

「では、そちらには私が行きます」

 アランの回答に、辺境伯も目を見張る。

「お前には、ベアトリスと一緒に城の防衛をさせ、万が一の時には、殿下を脱出させる役目を頼むつもりだったが……」

「この一か月、私も魔獣の討伐に参加しております。『魔術師を探し出せる者』と一緒に、城へ攻撃を加えられる前に抑えに出ます。ただ、敵は魔獣を連れていることが予想されるので、弓兵と歩兵をいくらかお貸し頂きたいのですが」

 ヴェイン辺境伯は、しばらく目を閉じてアランの申し出を吟味しているようだった。

 目を開いた後は、もう引き留めることもなくなっていた。

「ではお前に任せる。兵の数の要望はあるのか?」

「百三十もあれば十分かと。魔獣達は、毎回三十匹程度の集団で襲撃を繰り返していました。それと魔術師と敵兵に対処するためには、その前後の数が必要かと」

 この一か月の討伐で、アランは魔獣の出現数の限界をそれと見極めたのだろう。さすがは主人公。用兵のために必要な観察眼とかが備わっている。

 そして「魔術師を探し出せる者」というところで、アランはこちらに視線を向けてきていた。

 アランは一緒に来いと言っているのだ。私が魔術師の居場所を見つけられるから。

 いつもはアラン達の討伐に、私が乗じて魔術師を探すという形だった。連携をしていたわけではなく、ただカインさんが許可をとってくれたから同時に行動ができていただけで。

 そのアランが、私を自分の作戦行動の中に入れようとしている。

 受け入れてくれた、という気持ちと同時に、この状況になるまでアランに信じてもらえなかった自分が嫌になる。それでもアランが差し伸べてくれた手をとりたい。

「キアラをお借りしたい、母上。彼女のことはまたウェントワースに任せます」

 ベアトリス夫人が私に「どうする?」と視線を向けてきても、はっきりとうなずくことができた。

「しかし彼女は、とても戦えるようには……。それに今から狼煙を上げたら、協力者となってくれる南西の二家からの援軍が、二日ほどで到着します」

 レジーが苦言を呈した。あくまで私を守ってくれようとしているのだろう。

 ヴェイン辺境伯や騎兵隊長達も、その言葉に心動かされた表情になる。剣など持てそうにない私に、不安を感じたのだろう。だから私は言った。

「既に一度、魔術師を捕まえることには成功しています。魔術師を守る人間がいたことは予想外で取り逃しましたが、今度は逃がしません」

 厳しい表情になるレジーと、視線が合う。

 どうしてわかってくれない、と言われている気がする。

 けれど私の答えはもう揺るがない。緊張感のある場が、私の心を引き締めてくれた。

 ──私は、みんなを守りたい。

 死にたくないけど、今ここで動かなければ絶対に後悔するから。

 しかも攻城戦に魔術師の存在があることも、魔獣の襲撃も予想外だ。ルアイン軍の侵攻ルートまでもがゲームと違う。なら万全に備えても、城を守り通せないかもしれない。

 だから魔術師と魔獣だけでも減らさなければ。

 剣が使えない私でも、それなら役に立てるだろう。それが起こりうることを知って生まれた、私のいる意味だと思うから。

 

 一人一袋。

 大きくはないものの、小さな袋を通常の荷物とは別に背負った集団が、朝日に背中を押されるようにエヴラール城を出発した。

「小さいのに重いな……」

「お前のは粉か? 俺のはごつごつして鎧に傷がつきそうだよ」

「僕の袋さ……もしかして肉?」

 兵士達はひそひそと話しながら、先導する騎馬に従って進む。

 おしゃべりしたくなるのも無理はない、と私は思う。使用法は説明されたけれど、変なものを持たされて行軍させられているのだ。魔術師と魔獣という、人間よりも厄介だろう相手と戦うために。

 私としてもこれは「上手くいったらしめたもの」という作戦なので、確実なことが言えないため、彼らの不安を取り除くことができないでいる。

 私のほうは動きやすいように男物の衣服を借りて、カインさんの馬に同乗させてもらっていた。騎士見習いの少年が貸してくれた、黒っぽい上着とズボンに、ブーツを履いている。

 手には鎖を巻きつけて石のペンダントを持ち、魔術師のいる方向を探っていた。

「このまままっすぐ……」

 私がつぶやく言葉を拾ったカインさんが、他の騎士に伝えて進路を修正していく。

 そうしてかなり近づいたと感じたのは、城から数時間離れた街道だ。

 私は方位しかわからないので、森の中を突き進むルートをとってしまうことになったが、おかげで人の背丈二つ分ほどの崖の上から、敵の様子を先に視認することができた。

「いた」

 老魔術師とそれを囲む五人の兵士達。その前方に魔獣の群れがいる。

 ささやき声で発見が伝えられ、攻撃のために整列しながら兵士達も敵の姿を確認していた。

 街道を進んでいるのは、行動しにくいからだろう。森を突っ切るのは重労働だ。

 ただ魔獣の数が多い。

 いつもは三十匹程度だが、今日は風狼と空クラゲが五十匹ほどいるのではないだろうか。もしかすると今までは力を温存していただけで、五十匹があの老魔術師のキャパシティなのかもしれない。

 しかし混成部隊のせいか、時折魔獣同士で諍いを始めそうになったりしていた。

 ……魔術師が抑えているようだが、相手は人ではないので上手くいかないようだ。やがて魔術師は風狼を先行させ、やや後方に空クラゲを配置し、自分達はさらに後方から追う形に組み替えていた。

 しめた、と私は思う。

 すぐにカインさんを振り返れば、彼も今後の行動を察してくれたのだろう。馬首をめぐらせてアラン率いる一隊から離れようとした。

「キアラ」

 アランがそんな私を呼び留める。

「十騎連れていけ」

「え、でも」

 十人も騎兵を連れていけば、兵の数が減ってしまう。風狼も空クラゲも、こんな低い崖はものともしないだろう。すぐに白兵戦になってしまうかもしれない上、今まで以上に大量の魔獣を相手にするのに、大丈夫なのだろうか。

「人間の兵を相手にするなら、騎兵が一番だ」

「ありがたく好意を受け取りましょう、キアラさん」

 カインさんが騎士を貸してもらえと言う。

「そうしてもらわなくては困る……レジーになんて言われるか、わかったもんじゃない」

 アランのほうも、さらに勧めてきた。しかもレジーの名前を聞いて、私もさすがに断り切れない気分になる。私がこうして出ることに、結局いい顔をしなかったレジーだ。大怪我を負って帰ったら私も怒られるだろう。

 お互いにレジーにお小言をもらうのが嫌な者同士で合意する。少し人数を減らしてもらい、五騎を借りることにした。魔術師を守る敵兵も五人なので、その人数がいれば十分だろう。

 私達は、すぐに崖を迂回して街道へ向かう。

 その間にアランは攻撃準備を整えていた。

 崖下に数人が袋の中身をまき、弓兵は弓に矢をつがえて一斉に射た。

 放物線を描いて落下する矢を見て、魔獣達は崖上にいるアラン達に気がついた。風狼は一斉に矢を放ったアラン達へ向かって走り出し、空クラゲはふわふわと移動を開始する。

 さすがに敵の兵士達は、老魔術師を置いてはいかなかった。私達が不意打ちで老魔術師を捕まえたことがあったので、また狙ってくると警戒しているのだろう。

 裏をかくには、時機を見定める必要がある。

 離れた場所で馬から下りた私達は、木立に隠れて敵の様子を観察する。

 先行していた風狼達は、すでに崖下に迫っていた。そのまま登ってしまうかと思いきや、風狼達が逡巡したようにその場をうろつき始める。

 彼らが気にして匂いを嗅いでいるのは、肉である。

 ここまで兵達に運ばせ、先ほどばらまかせたものだ。

 やがて風狼達は、アラン達の元へ急行するよりも、食事を優先させることにしたようだ。

「おい、なんで狼どもが動かないんだ?」

「わしのほうはちゃんとやっとるわい!」

 老魔術師と行商人ふうの格好をした敵兵達が、この事態に騒ぎだす。

 それを見た私は、しめしめと思った。

 私は魔獣が操られているとわかって、その理由を推測していた。たぶん魔獣は魔術師くずれと同じように、あの赤い飲み物を飲まされ、師弟関係と同じ制約に縛られているのではないか、と。

 なのに、どうして魔術師くずれのように砂にならないのか。それは魔獣が、元々魔術師に近い存在だからだと思う。

 契約の石を体内に取り込まなくても、魔術を使える身体なのだ。おかげで砂になって死ぬことはないのだろう。

 けれど少量の契約の石では、師弟関係のような強制力を持たせるのは難しいはずだ。それなら……生きていく上で必要な欲には、勝てないのでは? と考えた。

 予想どおり、狼達は食欲を優先した。ていうか魔獣だからって、あの魔術師達は餌やりを気にしていなかったのではないだろうか。狼のがっつき方がすごい。あまり小さくない肉の塊を、ろくに嚙まずに飲みこんでしまっている。

 ある程度食べたところを狙って、アランがまず矢で攻撃を加えた。

 肉につられて油断していた狼が数匹、矢が刺さって動けなくなる。

 しかし攻撃されたことで、狼達の気持ちが食欲から逸れた。崖を駆け上がり、アラン達に襲いかかろうとした。

 風を起こして飛び上がった狼達は──飛び上がりすぎてアランたちの頭上を越してしまう。風狼自身もぎょっとしたように足をばたつかせ、なんとか着地したが、動揺して行動が遅れたことで、アラン率いる兵士達への対応が遅れた。そんな風狼をアラン達は一気に片付けていく。

「上手くいきましたね」

 カインさんのささやきに、私はうなずいた。

「こんなドンピシャだとは思いませんでした」

 種明かしをすると、肉の中に鉱石の粉やカケラを入れていたのだ。

 風を起こす魔術を使うため、時折魔術師が媒介として利用する流晶鉱だ。この知識を得たのは、エヴラール辺境伯の城の書庫にあった、何代か前の領主の日記からだ。

 魔術師が集めていた魔獣にはパターンがあった。

 風狼、空クラゲ、どちらも風を起こす属性の魔獣だ。そして風狼は、この鉱石が採掘される場所の近くに生息している。風狼は定期的にこの石をかじって、風を起こす力を維持しているのだろう。

 そこで考えたのが、魔獣達に魔術の媒介となるこの鉱石を過剰摂取させることだ。

 取り込みすぎた媒介。そのせいで魔術が暴走するのではないかと思ったのだ。

 でも失敗する可能性もあった。その時には魔獣の数だけ減らし、一度退却。それからもう一度態勢を立て直してアタックすることにしていたのだが。

 予想どおりの結果に、私の口角が上がる。

 風狼の様子がおかしいことを見て取った老魔術師は、空クラゲを急いで向かわせた。

 しかしそちらには粉にした流晶鉱をばらまく。これの用意に、一番時間がかかったかもしれない。崩れやすい鉱石で助かった。

 浮く力に魔術を利用していたのだろう空クラゲは、粉がかかると高さを調節できずに空高く舞い上がりすぎたり、地面すれすれまで下りてくる。

 接近戦を挑むには、長い触手や棘が怖い空クラゲだが、そうして混乱しているおかげで、弓兵達は次々と射落とすことができていた。

 落ちたクラゲは土の上でばたついた。止めを刺すにはさらに矢を射なければならない。けれどアランはそちらではなく、浮いているものを射落とすことを優先させていた。

 完全に倒せなくとも、無力化できればそれで十分だ。

 この状況に、真っ先に焦ったのは老魔術師だった。

「わ、わしゃ逃げるぞい!」

「おい!」

 反転して駆け去ろうとした老魔術師を、兵士の一人が捕まえる。

「契約が違うだろうが!」

「これは契約違反じゃないわい、また魔獣を集めてここまで来ればいいんじゃろが? ヒヒッ」

「しかし本隊の行動に間に合わない!」

「だが手駒が足りないのは事実だ……」

 一気に混乱し、敵は逃げたい者と逃げるわけにはいかない者とに分かれて言い争いを始めた。

 私達はそこへ突入する。

 間近まで迫ったところで、気付いた敵兵が剣を抜くが、もう遅い。

 カインさんの一閃で、一人が斬り伏せられる。

 血しぶきに私は怯みそうになった。

 歯を食いしばる間に他の四人の兵士も、一緒に行動していた騎士によって倒される。

 あっという間の出来事に、老魔術師は呆然とした表情をしていた。

 けれどくっと笑い声を漏らす。

「ヒヒッ。これは僥倖じゃな。おかげでわしは自由の身だ。ウヒヒヒ」

「……どういうこと?」

 カインさんの後ろから尋ねた私を見て、老魔術師は目を瞬く。

「ほう、こないだの嬢ちゃんか。ウヒヒ。もう敵対する必要もなくなったからの、教えてやろう。わしは持病の薬と引き換えに、この仕事を受けたんじゃ」

 老魔術師は、近くに倒れた敵兵の一人の荷物を取り上げた。

「この薬さえあればいいのよ。あとは遠くに逃げてしまうだけじゃ。もうお前さん達の敵になる必要はない。さらばだ! イッヒヒヒ」

 笑う老魔術師が浮かび上がる。風の魔術だ。

「ま、待て! そんな理屈が通るか! 自由にさせておいたら城を攻めるつもりだろうが!」

 こちら側の騎士が叫んだが、老魔術師はヒョッヒョッヒョと笑うばかり。

 しかしその笑い声が唐突に途切れた。飛来した矢が老魔術師の肩に突き刺さったのだ。

 飛ぶ力を保てなくなったのか、ゆるゆると地上へ下りてくる老魔術師の背中に、さらに矢が突き刺さる。

「え!?」

 何が起こったのか、私はすぐには理解できなかった。

 しかも矢は三度飛来する。

 老魔術師の頭に刺さりかけたそれをカインさんが弾いたものの、地面に落ちた老魔術師は、明らかに致命傷を負っていた。

 遠くに、駆け去る騎馬が見えた。一騎のみということは、もしかしてこういう事態に備えて、監視をつけていたのだろうか。

「口封じかいな……わしとしたことが、気付かなかったとは。ヒヒッ」

 老魔術師もそう考えたのだろう。

 カインさんが、すぐさま矢を放った刺客を五人の騎士に追わせる。

 私はどうしたらいいのかわからないまま、老魔術師の側に膝をついた。

「だ、大丈夫です?」

「大丈夫に見えるかのう?」

 オーソドックスな質問に、皮肉で返されてしまう。老魔術師はくくっと笑った。

「これで……わしの人生も終わりか。まだすべきことがあったというのに……」

 つぶやいた老魔術師は、一度目を閉じてから私を見上げた。

「お前、魔術師になりたいと言ったな? 本当になれるんかいな」

「なれるわ。私は魔術師になれるのを知ってるの」

「ほぅ、なんでじゃ?」

「あるかもしれない未来を一つ、知ってるの。その未来では、サレハルドの交渉のため王子がやってきたとたんに、ルアインに侵略されてた。そして私は、魔術師として土人形ゴーレムを操ってた」

 この場にカインさんと老魔術師しかいないので、私はそう告げた。

 言ったはいいものの、バカにされると思っていた。妄想を未来とはき違えているんだろう、と。しかし老魔術師は違った。

「未来視に、土人形ゴーレムか……ヒヒヒッ。そうか、そういうのもいいかもしれん。夢がある」

 私の答えを聞いた老魔術師は、一瞬遠い目をした後でぐっと目を細めて私に問いかけてきた。

「お前さんが、わしの願いを叶えるのに挑戦するなら、弟子として魔術師の契約をしてやってもいい」

 え、本当に? 驚くが、死に瀕したこの老魔術師が今更、噓をつくようには思えない。

「願いって、どういうもの?」

「……土人形ゴーレムに命を吹き込むように、わしの魂を作ったものの中に閉じ込めるのだ。失敗しても、このままでも死ぬだけだからの。試す価値はあろう。上手くいけばわしはさらに長い時間を魂だけでも生きていける……とにかくまだ死にたくないのだ。試すのなら、お前さんの要求どおりにしてやる。どうせ一旦死んだ後、魂になってしまえば師弟間の戒めなんてものも働かないじゃろ。ヒヒヒッ」

 ああそうか、と私は納得した。

 捕獲に失敗した時、この老人は私をじっと観察していた。もしかすると、魔術師になった私の手を借りられないか、と考えていたのかもしれない。今も、現世にとどまる方法があるのならと、私に取引を持ち掛けたくらいなのだから。

 しかしこれは好機チャンスだ、と私は思った。

 この切羽詰まった状況で、他に師になってくれそうな魔術師がいるとは思えない。それに老魔術師が言うとおり、死に瀕した彼ならば、妙な制限をつけられることもない。

「いいわ。でも成功は期待しないで」

「キアラさん……」

 即決した私を、カインさんが止めようとする。けれど私は首を横に振った。

「元々の目的が達成できるんだもの。この機を逃したくないんです」

「ヒヒッ、思い切りのよい若者はいいもんじゃな。早く契約の石を寄越すがいい……その赤い石じゃ」

 老魔術師は、私が持っていたペンダントを指さす。やはりこれは契約の石だったようだ。

 茨姫がこれ以外を使ってはいけない、と言ったのは、契約のため? もしかして私の未来を予知していたのだろうか。

 ペンダントから石を外すと、地面から持ち上げる力も尽きた老魔術師の手に載せる。彼はぐっと石を摑んだ。

 カチッと音がした後で老魔術師が手を開けば、石が十分の一ほど欠ける形で割れていた。

「本来なら、弟子への負担を考えて大きさの比率は三対七くらいにするのだがな。死にかけの老いぼれにはこれが限界だ。あとは己でなんとかせよ……わしに石を飲み込ませたら、お前さんもすぐに飲み込め」

 うなずいて、私は老魔術師の手から二つに割れた石を取り上げた。

 緊張しているのだろう、指先が震える。それでも欠片を老魔術師に口に押し込んだ。するりと飲み込めたようだ。それから私も、思いきって残りの石を飲み込む。

 口の中に含んだ石は、喉を傷つけることなく、まるで液体になったかのように胃に落ちていく。そうして食道から肺へ、心臓へ、血管を伝って内臓から自分の全身にさらに何かが広がって──。

「…………っ!」

 内側から、炎を飲み込んだような不思議な感覚と痛みが走る。

 さらに細胞の一つ一つに、何かが針を刺すようにして侵入してくる感覚。

 自分が叫びながら地面を転がっているのを感じるけれど、どこか別の人の出来事のように遠い。いつまで続くかわからない痛みと熱が、じわじわと身体に染みこんでいく。

 そこから自分の身体が、液体のように崩れては元に戻るような、嫌悪感をもよおす感覚に、私は頭の片隅で悟る。

 たぶん魔術師になりそこなった人たちが砂になって崩れるのは、このまま元に戻らなかったからだ。死に際して暴れたりするのは、痛みのせいだろう。

 私の身体は、時折元に戻りにくくなる。そのたびにどこからか指令を受けたように、崩壊が押し留められ、その間に身体の戻る力が回復する。

 たぶんこれが、師によるフォローなのだろう。

 やがて内側から発する熱に汗が浮かぶのを感じ……私はハッと目を覚ました。

「キアラさん、キアラさん!?」

 いつの間にか、私はカインさんに抱き起こされていた。

 真っ青な顔色で私に呼びかけていたカインさんは、しっかりと目を開き、瞬きする私を見て、ほっとした表情になる。心配してくれたようだ。大変申し訳ない。

「無事ですか?」

「……大丈夫です、生きてる……と思います」

 なんとか答えた私は、自分の身体を見回し、指先を動かして確認する。

 どこも砂になったりはしていない。でも麻酔が切れかかった時のように、自分のものじゃないような、変な感覚がうっすらとある。

 まるで身体が変質したような──と想像して、背筋が震えそうになった。

 私は魔術師にはなれたと思う。けれど魔術師というのは人間と同じ存在なんだろうか。人じゃない何かに変質したのだとしたら……。

 けれど考えたってどうしようもない。

 身体は動かせるので、カインさんに礼を言って起き上がった。動くと違和感もなくなっていって、私の心の中の不安も小さくなっていく。

 老魔術師は私の隣に横たわっていた。けれど呼吸がとても小さく、今にもとぎれてしまいそうだ。

「……宣言したとおり、魔術師にはなれたようだな? ヒヒッ」

 かすれた声で笑う老魔術師に、私はうなずく。

「魔術ってどう使うの?」

 次にすべきは、老魔術師との約束を果たすことだ。

「お前さんは……土人形ゴーレムを作れると言っておったな。なら……地面に手を当てて想像するがいい。自分の内にあるのと……同じ力を土から集めて……成形」

 老魔術師の言葉は、とぎれとぎれになりつつある。その目もうつろだ。……さっきの契約で力を使い果たしてしまったのだろう。

 言われたとおりにしようとして、座り込んだまま地面に手をついた私は、はたと思い出して尋ねる。

「ところで私の師になる人の名前は?」

 名前を聞かないと、魂なんて呼べないんじゃないか。そう思ったのだ。

 すると老魔術師は、かすれた声で一言告げた。

「ホレス」

 それ以後、老魔術師は瞬きもしなくなる。ややあって、端から少しずつ砂のように崩れ始めた。……やっぱり魔術師は、亡くなると砂になってしまうようだ。

「キアラさん、魔術師が……」

「うん、急ぐ」

 私は目を閉じ、言われたとおりに自分の中に感じる「魔術」の力と同じ物を、土の中から感じようとする。

「しかし、もうこうなっては、約束を果たさなくてもいいのでは?」

 カインさんが、老魔術師を放っておいてもいいのではないかと言う。確かにそういう選択肢もある。けれど私はそれをしたくなかった。

「約束はなるべく守りたいんです。だって人生の最期を私のために使ってくれたから」

 これでレジー達を私でも守れるようになったのだ。その分の恩は返したい。

 私は意識を集中する。初めて尽くしの上、これ以上導いてくれる人もいない。

 老魔術師の言葉を思い出して試行錯誤しながら、なんとか土の中全体に、自分の中にある熱と同じものを感じられるようになった。

 これを成形して……と考えたところで、ふと「土人形ゴーレムってどんな形がいいんだろ」と思った。

 普通に考えるなら、ゲームで見たような巨大ゴーレムだ。

 けれどホレスという名前の老魔術師が宿ると考えると、さすがに巨大すぎる。でも小さい物となると、なんかレゴみたいなのしか思い浮かばない。

 こう、両手で持てるぐらいの大きさがいいんじゃないかな。もし会話ができるなら、口とか目とかもいるよね?

 そんなことを考慮した末に浮かんだのが、宇宙人顔な遮光器土偶で。……そういえばホレス師匠の顔は、どこか宇宙人っぽいよね。ぴったりかもしれない。

 いやいやそれはかわいそうだから別なものにしようかな、と思った瞬間に集中が切れた。

「げ……」

 目を開くと、そこには土偶ができ上がっていた。

 私が抱えやすい大きさの、高さ三十セル未満の小さな土偶だ。

 しかしホレス老人は、半分ほど砂になっていた。

 もう後戻りはできない。だから土人形ゴーレムの中にホレス老人の魂を引き寄せようと念じた。するとホレス老人から、小さな赤い石の粒がいくつか漂ってきて、土偶の中に入り込んでしまう。

 その瞬間、カッと土偶の宇宙人みたいな目が光った。

「おお、これがわしの新しい身体か!」

 壺の中に顔をつっこんでしゃべったような反響した声が聞こえた。もちろん、目の前で全部砂になりかけたホレス老人と同じ声だ。

 えっと……成功はしたけど。これ喜んでいいの?

 ちらりと横を見れば、カインさんの頰がひきつっている。やっぱ変だよね?

 でもホレス老人は器用に土偶の手足を動かしてご満悦の様子だ。

 まぁ外見はとにかく、確認したいことを優先しよう。

「えっとホレス……師匠?」

 一応師弟関係も成立したから、師匠と呼ぶべきだよね?

「師匠? ウッヒッヒッヒ」

 師と呼ばれたのが嬉しいのか、赤茶けた土の色をした遮光器土偶が身をよじらせる。この笑い方は間違いない。ホレス老人だ。

 一応、肩と首と大腿部と腰が動かせるようだ。そんなつもりで作ったわけじゃないが、可動域の広いプラモデルみたいなことになってる。

 そして恥ずかしがる土偶はなんかキモいです。

「この術ってどれくらいもつんでしょ? 私初めてでよくわからないんですけれど、師匠の新しい身体っていうか、この出した人形っていつまでもつのかと」

「ヒッヒッヒ、若い娘の初めてを、わしが奪ってしまったとはのぅ」

 ホレス師匠の返事に、慌てたようにカインさんが私の耳を塞ごうとしてくる。きっと女の子に下ネタを聞かせちゃいけないと思ったのだろう。

 しかし知らなければわからない程度だし、私は前世にて鍛えられた素地がある。……ほら、中学生男子とかって下ネタ好きだから。耳に入っちゃうんだよね。だから心配しないでとカインさんに言おうと思った私は、ふと気付く。

 この土偶師匠、やっぱり私と一緒に移動するんだよね? てことは、レジーやアランのみならず、辺境伯夫妻の前でも色々口からだだ漏れる可能性がある。

 よし、今から注意しておこうと考えた私は、下ネタを口にする土偶に、淡々とデコピンの刑を執行した。

「おうっ、痛くはないが何か衝撃だけは来るのぅ」

「なんだ痛くないんですか……まぁ、次はこれでは済まないかもしれませんよ? 私は流せますけどね? 周りの人がうっかりこの新しい身体を踏み潰して壊すかもしれませんし、自由すぎる発言はなさらないほうがいいのでは?」

「ちっ、やっぱり普通じゃない弟子では、恥ずかしがりもしないか。面白くないのぅ」

 やれやれといったジェスチャーをした土偶は、諦めたように答えた。

「さっきの質問じゃが、わしの身体はお前さんが魔力を足す限りもつじゃろ。普通なら時間が来ればそれで終わりだろうがのぅ。通常は命を吹き込むといっても、術者の魔力をかりそめの魂として吹き込んでるだけじゃろ。だがこれは、わしが入ってるからの」

 ホレス師匠の魂が入っている分、耐久時間が増すようだ。

「まぁ、補給なしでも三日ぐらいはなんとかなりそうな感じかのぅ」

 そう言われて連想したのは、電池式のおもちゃだ。電池が切れたらとたんに動かなくなる。けれど電池がもつ限りは、持ち主が旅行に行ったって平気、みたいな感じだろうか。

「何にせよ、わしの魂が在り続けるためには、お前さんと一緒にいなければならんだろう」

「うん、そんな気はしてました」

「え、連れていくんですか!?」

 カインさんがぎょっとしたように叫ぶ。

 今まで静かだったのは、やたら奇矯な造形の土人形ゴーレムを私が作ってしまったり、あまつさえその人形がしゃべりだす状況についていけなかっただけだろう。

「魂を生き延びさせる……っていうと変な表現ですけど、それと引き換えに魔術師になる手伝いをさせたんですから、そのつもりでしたよ。あとここで放置したら、変な噂が立つと思うんです。私の名前と恨み事を叫びながら、砂になっていく土偶のせいで……」

 それは勘弁してほしい。戦の中で生き残っても、変な評判がある子になってしまっては、やっぱりエヴラール領にいづらくなってしまう。それは嫌だ。

「……いや、まぁ……そうですね」

 私の説得に、カインさんはなんだか苦悩するような表情でうなずいた。

 ややあって、先ほどホレス師匠を射た男を探しに行った騎士達が戻ってきた。逃げ足が早く、捕まえられなかったようだ。

「でも大丈夫。師匠の魂は捕獲しましたし、後できりきり吐かせますから問題ありません」

「捕獲とか、物騒な表現を使う娘だのぅ。まぁ、わしの弟子になるような人間ならばそんなものか、イヒヒッ」

 証言者は確保してるので、落ち込まないでも大丈夫ですよと言ったのだが、騎士達はぎょっとしたように土偶なホレス師匠を凝視していた。

「え……これ」

「ちょっと待て。今確かにしゃべったよな?」

「空耳じゃない……だと?」

 突然の師匠のメタモルフォーゼについていけないようなので、彼らのことは一度置いておくことにした。

 私は師匠の砂になった身体と衣服を、街道脇の林に埋める。今の私には、スコップも必要ない。ただ土を掘り起こすイメージを、大地に散在する魔術の力に伝えるだけだ。

 この時魔術に驚いた騎士達に、カインさんがわけを説明してくれていた。

 埋め終えると、師匠が持っていってほしいという物を、師匠の背負い袋に入れて持つ。魔獣への対処は終わったのだ。早く城に帰らねばならない。

 小脇にホレス師匠を抱えた私は、またカインさんの馬に乗せてもらった。

 カインさんはやっぱりまだ複雑そうな表情をしており、彼について自分の馬に跨った騎士達も、困惑顔でちらちらと土偶を見ている。

 慣れるのにはしばらく時間がかかるかもしれないな……。

 そんなことを考えながら崖の上まで戻ったのだが、そこはホレス師匠の魔術的な拘束が途切れたため、魔獣たちが三々五々に散って静かになっていた。

「アラン!」

 手を振ると、真剣な表情のアランが馬を駆けさせて近づいてきた。

「キアラ、お前倒れていたみたいだが、無事……のわぁっ!? 何を持ってるんだお前!」

 私の腕を摑もうとしたアランは、その小脇に抱えていた師匠な土偶を見て、思わず手をひっこめた。

「初めまして、これが私の魔術の師匠になったホレスさんです」

 アランに紹介せねばならないと考えた私は、はいこんにちはーと、土偶師匠の両脇を支え、お人形のようにお辞儀させてみた。

「おい弟子よ。わしゃぬいぐるみとは違うんだがの?」

「わかってますよ。だから初めましての挨拶は必要だと思ってやったんですが」

「しゃべって……る……」

 どういうことだ? と困惑した表情のアランは、助けを求めるように私の後ろにいるカインさんに視線を向けた。が、カインさんはゆっくりと首を横に振る。その後目を向けられた騎士達も、何かを悟ったような表情で一斉に首を横に振った。

「アラン様、やはり魔術師というのはこちらの想定を超える存在なのかもしれません……」

「むしろ想定外な考え方をするからこそ、キアラ嬢は魔術師になれたのではと」

 騎士達の言葉にアランが首を傾げ、それから目を瞬いて私に向き直る。

「お前、本当に魔術師に……なったのか?」

 遠くから見ただけでは、何をしているのかよくわからなかったのだろう。私がうなずくと、アランがほっとしたような、困ったような表情になる。

「そうか……じゃあ、お前が言ったことは、本当に……」

 つぶやいたアランは、おもむろに馬から下りた。

 彼を追ってきた騎士も慌てて下馬し、アランの馬の手綱を摑む。その間に私の足元まで来たアランは、うつむいたまま膝をついた。

「え、なんで!?」

「必要だからだ」

 アランは淡々と告げる。

「僕は謝罪しなければならない」

 顔を上げたアランは、心細そうな目をしていた。そのアランに頼まれて、私はカインさんに土偶を渡し、馬から滑り下りる。

 土偶を押し付けられたカインさんが慌てた声を出した。薄気味悪そうな顔をしながらも、落とさないでいてくれる。

「あの、謝罪ってまさか……」

「お前を噓つき呼ばわりしたことだ、キアラ」

 一か月ほど前のあの日。私が前世のことを、アランに叫んだ時のことだ。

 アランは信じてはくれなかった。ただカインさんの説得に応じて、黙って私のすることを見ていた。そして昨日からは、本当にルアインがエヴラールを攻めてくるとわかった上、私は言ったとおりに魔術師になった。

 疑いようもない事態になって、アランは謝罪しなければならないと思ったのだろう。

 律儀な人だ。でもこんなふうにみんなが見ている場所で、主家の人間が使用人に膝をついちゃいけない。だから私は止めようとしたのだ。

「ま、まぁ、それはいいから……」

「いや、よくない。けじめはつけるべきだ……僕はお前を傷つけたんだから」

 しかし馬から下りたのはさらに失敗だったかもしれない。立ち上がってほしくてアランの肩に手を伸ばしたら、その手を摑まれた。

「え……と、ちょっ!」

 次の瞬間には、私の指先を額に導く──それは、尊敬すべき女性にする仕草だ。

「キアラ・コルディエに謝罪をささげる。これで許してくれるとは思っていない。後でもかまわないから、謝罪を受け入れるために何をすべきか僕に教えてほしい」

 慌てる私をよそに、アランは謝罪を終えてしまう。

「何をするべきかって、えっと」

 正直、こんな大公開状態で大っぴらに謝罪されたら、人の注目を浴びてしまってどうしたらいいのかわからなくなる。

「ほんとは、こっそりと、にしてほしかった……」

 すると謝罪をしてすっきりしたのか、アランは笑顔で立ち上がった。

「うやむやにしたくなかったからな。その要求はもうのめないから、別なことで頼む」

 そうしてアランは再び騎乗し、騎士や兵士達に帰還すると告げる。呆然としてしまった私は、カインさんに笑われて我に返り、また同乗させてもらった。

「アラン様にしてやられましたね」

「本当ですよもう……。カインさんはアランと付き合いが長いんですから、止めて下さってもよかったのに」

「基本的には、思い立ったら即行動の人ですからね。今のは止める間もありませんでしたし、区切りがついてキアラさんも少しはすっきりしたでしょう?」

 そう言われると、もう疑われていないとわかって、私も心が軽くなってはいる。

「若いっていうのは、いいことだのぅ」

 のんびりとそんなことを言う土偶の首を絞めてみたが、なにせ相手は無生物。苦しがりもしなかったので、ちょっと悔しい。

 移動を始めた私達は、約二時間後にはエヴラール城の近くに戻ってくることができた。

 そこで私達が目にしたのは──エヴラール城へと迫っている軍勢と、黄色の地に黒で描かれた獅子のルアインの旗だった。

 

「なんで……なんで!?」

 理解できなかった。

 今朝、まだ敵の姿は見えず、という斥候からの報告があったばかりだった。

 とはいえ、次の斥候が帰って来るまでの間に、敵が急接近していては困るからと、ヴェイン辺境伯は城から千の兵を率いて、私達とほぼ同時に出発していたのに。

 なのにルアイン軍がこんなに早く城を囲んでいただなんて。

 足止めすらもできずに、ヴェイン辺境伯は蹴散らされてしまったのだろうか?

 確かにルアイン軍の数は多い。でもぱっと見で人数を当てられるほど、私は軍隊を見慣れているわけではないので、推測も難しかった。

 予想ができなくて。気が焦る。

「カインさん、早く、お願いです!」

「わかってます……!」

 カインさんは顔をしかめながら、馬に拍車を当てた。

 身体が跳ね飛びそうになる私を、片腕で抱きとめてくれる。私は鞍にしがみつきつつ、師匠を抱きしめるので精いっぱいだ。

 私だけではなく、ルアインの旗を見た瞬間、誰もが馬を走らせた。

 アランも、置いていかざるを得ない歩兵達に、万が一の場合の指示を出してついてきた。

 とにかくみんなにまだ無事でいてほしい。そうだという情報がほしかった。そしてルアイン軍の攻撃が始まっているなら、すぐにも駆け付けて全力で阻止するのだ。だって間に合わなければ何もかもがおしまいになってしまう。せっかく魔術師になれても、何の役にも立たない。

 馬から放り出されないように耐えながら、私の眼裏にちらつくのは血を流して倒れるレジーの姿だ。

 せめてレジーが外に出ていませんように。それだけを願って願って、ようやく全容が見える場所へやってきた。

 木立と岩に隠れられる地点で、私達はようやく馬を止める。

 緩い丘陵地帯の坂を進みゆく、兵士達の波。その先にあるのは、一年半の間に、私の「帰る場所」として馴染んだエヴラールの石積みの城だ。

 ルアインの黄色の地に黒で描かれた獅子の旗が、刻一刻と城へ迫っていく。その歩みが止まるのは、城壁から射かけられた矢が降り注ぐ間だけだ。

 矢が途切れると、ルアインの黒っぽい鎧を着た兵士達は盾を降ろし、じわじわと間を詰める。城壁を乗り越えて侵入するつもりなのか、長い梯子までも担いでいた。

 こちら側からは見えないけれど、門にもルアインの軍は押し寄せてきているのだろう。

「ち、父上は……」

 アランが呆然としたように目の前の光景を凝視している。

 ヴェイン辺境伯はどうしたのか。それすらもわからない。しかも早く敵軍がやってきたということは、城のほうも、徴集兵をあまり集められなかったと考えるべきだろう。分家からの派兵も、ごく近くの者が間に合っていれば御の字ではないだろうか。

 なら、城の兵力は……そう多くない。

 私はめまいがしそうだった。

 まるで、ゲームのオープニングそのものの状況だ。

 このままでは負けてしまう。中にいるレジーやベアトリス夫人達も無事ではいられないだろう。

 どうにかするための手はただ一つ。

 千の兵に匹敵するだろう圧倒的な力。それを使える自分が何とかするのだ。

 私はカインさんの馬から滑るように下りると、地面に手を当てて魔術を使おうとした。やり方はわかっている。あとはゲームでキアラが呼び出したような巨大な土人形ゴーレムを作り出して……。

「待て、弟子よ」

「師匠、だってっ!」

 なんでこの状況で待てというのか。

 反論しようと振り返って、投げ出した後で上手く着地し、一人で立っている土偶の顔を見た瞬間、ふっと私の中にあった焦りが鎮火する。

 日常に引き戻されたような感覚になった。

 そういえば師匠に顔が似てるからって、土偶を作っちゃったんだとか。みんなにぎょっとされたことを思い出したせいだろう。

 思い出し笑いをしそうになって、だけど何も口から出てこない。焦りと攻撃的な気持ちが消えうせたら、急に絶望に襲われて、涙がこみ上げてきそうだった。

「ししょお……」

「おいおいおい、わしの弟子のくせに泣くな。わしは昔からふてぶてしいのが売りなんじゃ、イヒヒッ」

 いっひっひと笑う土偶に、私は「うーっ」と唸る。

「だって、もうルアインの軍を魔術で蹴散らすくらいしか方法が思いつけないのに、どうして止めるんですか!」

「何をする気なのかはだいたい予測できるがのぅ。お前、巨大な土人形ゴーレムを出して兵士を潰していけばよいと思ったのだろう? しかしよく見るがいい。土人形ゴーレムで一気に踏み潰した足下に、仲間がいては元も子もなかろうが」

「なかま?」

 息をのんで、遠くを見つめる。

 黒っぽい兵士達の群れの中に、ルアイン以外の旗はない。ないけれど、人並みがずっと向こうのほうでわずかに混乱を起こしているのがわかる。

 ぱっと火花が上がったように見えた。とてもたいまつが火花を散らしたとか、そんな小さなものではない。悲鳴のようなものも聞こえる。

「あれ、まさか魔術!?」

「そうさのう。肉体を失った今だからこそ言えるが、ルアインに通じておる奴らは、魔術師が上手く増やせないならば、魔術師くずれを戦に利用できないかと考えていたようでな。もしかするとそういった奴が投入されて、あそこで暴れ狂っておるのかもしれん」

 ホレス師匠の言葉に、私は叫んだ。

「もっと悪いじゃないですか!」

 完全な魔術師ではないとはいえ、魔術師くずれも術をまき散らしてあたりを破壊するのだ。厄介な相手に違いない。

 しかしホレス師匠は「イッヒッヒ」と笑う。

「考えてみよ、不肖の弟子よ。そんな魔術師くずれなんぞを使うということは、そこに敵がいるからではないのか?」

「え……あっ!」

 そこで話を聞いていたアランが割って入ってきた。

「まさか、向こう側で父上が戦っているのか!?」

「お前さんの親父かどうかはわからんがな、軍を率いて外に出ているのなら、可能性があろう」

 ヴェイン辺境伯が生きている可能性がある。

 少しだけ心が上向いた。アランも希望を持てたからか、冷静な表情に変わってきた。そんな私達にホレス師匠は悪い材料を提示してくる。

「もう一つ問題がある。魔術師になったばかりのお前では、すぐには全ての魔力を扱えぬのだよヒヒッ」

「なんでですか?」

「契約の石だ。あれがお前の体に馴染んだばかりで、下手に魔術を使い続ければ、活性化しすぎて契約時のようにお前の身体をむしばむだろう。わしを入れる小さな人形や、一人分の墓になりそうな穴だけならまだしも、大軍を蹴散らして仲間を救うことまで考えるのなら、奴らを踏み潰せるほどの巨大な土人形ゴーレムを……まぁ、十体は必要だろうのぅ。お前さんにはまだ耐えられまい。死ぬぞ? ウヒヒヒ」

 思わず唇を嚙みしめる。

 死ぬ……。私が最も避けたいことだ。けれど出し惜しみして、レジー達が死ぬのも嫌だ。

 そんな私に、師匠は続けて語った。

「だから弟子よ心して聞け。あれは川の流れだ。無理に背後に岩を落とせば、その衝撃で下流へ向かう勢いが増すだけじゃ。水の道を変えるにはどうする。川を埋め立てたいのならどうするべきだ?」

「川……?」

 ホレス師匠の言葉に、私は睫の先で火花が散ったようにハッとする。

 まず、現在の敵兵は、城への攻撃とヴェイン辺境伯を倒すのと、両方に人を割り振っている。

 そして私は土人形ゴーレムを一体しか使えない。

 私が城を守るため、一体だけの土人形ゴーレムを正門前に置いたとする。

 すると敵兵は、倒すのが難しそうな土人形ゴーレムがいるほうではなく、もっと簡単に倒せるヴェイン辺境伯達を先に片付けようとするのではないか。

 でも私は土人形ゴーレムを一体しか使えないので、ヴェイン辺境伯を救うことができない。

 かといって土人形ゴーレムをヴェイン辺境伯を助けるために動かせば、今度は敵が城へ殺到するだろう。わけのわからない土の巨人より、城を落とすほうがまだマシに思えるだろうから。

 イタチごっこだ。どちらをも救おうとしたら、私の力がすぐに尽きてしまい、手をこまねいて見てることしかできなくなるだろう。

 洪水に対して、土嚢を積む作業に似ている。対処はできても、応急処置に近いものだ。

 ではもっと効率よく、ルアイン軍を城に寄せつけないようにするには……?

 そんな私の思考を、アランが援助してくれる。

「動きが速い騎兵じゃなくて……歩兵が攻城のために前面にいる。ほとんどが平民からの徴兵だ。側には状況を管理し、指示を出せるように騎士がいるはず。それらの動きを統括しているのは本陣で、それはおそらくこの軍の中央だ」

 最も守られ、兵達の流れが避けていく中洲のような場所を、ルアインの本陣だとして想像する。そこは将である人間を守るため、騎兵で固められているだろう。

「歩兵は一ターンの移動距離が短くて、彼らは命令がなければ動けない。移動距離が長い騎兵は、どこに土人形ゴーレムが現れても先に仕留めに来る? となれば……」

 頭の中で、ゲームの兵の配置図を思い描く。

 けれど動かした後の状況までも頭の中で処理するのは難しくて、私は草の生えていない地面に近くに落ちていた石を使ってがりがりと描いていく。

「ホレス師匠……こんな感じ?」

「ほう。いい感じだの」

 わかりやすく騎士を「K」、兵士を「P」、魔術師くずれを「M」で表記して配置すると、師匠が感心したような声を出す。

 カインさんとアランが頭を寄せてきて、私は彼らに自分の計画を話す。

 そうして話し合った内容を加味して別な図を描けば、二人もうなずき、ホレス師匠も不敵な笑い声を立てた。

 方針が決まった。

「行こう、カインさん。アラン……敵将を討つ」

 そうして私は地面に手をついた。

「さぁ出ていらっしゃい、土人形ゴーレム!」

 ゲームのキアラが使った「土人形ゴーレム作製」の魔法を私はイメージする。

 地中にある自分の中の魔力と同じ力がゆったりと近くに集まる。

 それらは、周囲の物質を動かし、私の意思を感じ取って形を変え、やがて地表に現れた。

 やや角ばった輪郭の、巨大な人の形。

 石を組み合わせたロボットのような形をした二足歩行の土人形ゴーレムは、地の底から這い上がるように立ち上がった。樹木の枝先ほどの丈があるので、たぶん身長は十メートルほどだろう。

 想像どおりの土の人形は、私の意思を感じ取ってルアインの軍へと向き直り──走り出した。

 その時、ルアイン軍では兵が動揺し始めた。

 ルアインの兵士達は、急に起こった不自然な地揺れにうろたえたのだ。

「な、何だ?」

「地震?」

 その揺れには地を穿つような音まで付随している。

 まるで巨大な何かが走ってくるかのように。

 すぐに誰かが、もうもうと舞い上がる土煙に気付いた。原因はあれかと目をこらした者達は、現れた奇怪な化物に誰もが悲鳴を上げた。

「何だあれは!?」

 指をささずにはいられない。自分達の何倍もの大きさがある、土色の巨人が走ってくるのだ。

 その組成が土なのはわかる。所々に黄色い野の花が咲く草や枯葉が交じっているからだ。

 巨人の四角い頭にある、暗い闇がとどまったような眼窩を見た瞬間、ルアインの兵士達は一斉にその進路から逃げだした。

「ぎゃあっ」

 支え手を失い梯子の下敷きになった者が、さらに土の巨人に踏まれて、その姿は土くれの中に埋まって消える。

 草の根が飛び出している土人形ゴーレムの足に蹴られた者が、宙を舞った後で動かなくなった。

 その光景に戦慄する者達の前を、二十騎ほどの騎馬が土人形ゴーレムを追いかけるように駆け抜けた。そのマントの色は青。ファルジアの騎兵だ。

 わかってはいても、誰もがすぐには動けない。こんな土人形ゴーレムと相対したことなどないのだ。もっと小さなサイズの魔獣が相手ならばまだ討伐の経験がある者がいただろうが。

 動けないうちに、城から矢が降り注ぐ。

 そちらへの注意を怠っていた者が矢に倒れ、さらに軍が混乱した。

 果敢に土人形ゴーレムに立ち向かう者がいないわけでもない。本陣から駆けてきたらしい騎士達が何人か、土人形ゴーレムに向かって剣を振りおろす。

 けれど土人形ゴーレムの足を止めることはできなかった。

 土と草が飛び散り、青いマントの集団が駆け抜ける。

 土人形ゴーレムの駆け抜けた痕が刻まれるように、ルアイン軍に一筋の人垣の道ができていった。

 一方で、青いマントの集団である私達も必死だった。

「まっ、まだ!?」

「もう少しだ! おいかまうな走れ!」

 遅れないように、馬に土人形ゴーレムを追いかけさせるアランと私を乗せたカインさん、そして騎兵達。

 速すぎれば土人形ゴーレムの足に蹴られそうになるし、遅ければ我に返った兵士や騎士の標的にされかねない。誰だって得体の知れない、倒せるのかもわからない代物より、斬れば血が出るとわかっている人間を相手にしたいだろう。

 私達はまっすぐに戦場を突っ切りながら、敵兵の注意を城からこちらに向けさせようとしていた。

 行き先はルアイン軍の向こうの火花が散っていた地点。おそらくは友軍……ヴェイン辺境伯がいるのではと思われる地点だ。

 巨大土人形ゴーレムの走りは意外に速い。

 もっと歩く程度だと思ったが、しっかりと腕を振って太腿を上げてのフォームにしてはとろいものの、一歩一歩が大きいので、馬で追いかけるのがぎりぎりの速度だ。

 ちょっとでも距離が開くと、土人形ゴーレムを動かす力が届かなくなりそうなので、カインさんには土人形ゴーレムに蹴られないぎりぎりの場所を走ってもらっている。

 そんな私達は、移動することに全精力を傾けているので、かなり早く目的地に近づいていた。

 それに対して、敵の動きは鈍い。まず一度土人形ゴーレムから逃げ、呆然としている間に私達は追いかけられない場所まで遠ざかるのだ。ゲーム的に言うならば、土人形ゴーレムを見たショックで一ターン消費するような有様だ。

 けれど幻惑の魔法にも似た効果があるのは、最初だけ。遠くからでも土人形ゴーレムが確認できるため、見慣れた敵から少しずつ行動が速くなっていく。

 その証拠にルアインの騎士達が集まり始めた。けれど私としても、土人形ゴーレムを走らせる以上のことはできそうにない。

「くっ……片手間に土の壁でも作れたらいいのに……」

「イッヒッヒ、欲張るな弟子よ。お前さんは魔術師になったばかりであろう」

 小脇に抱えるわけにもいかず、背負った袋に入れたホレス師匠に笑われる。

 私もそれはわかってる。いうなれば、まだ魔術師レベル一の状態だ。それじゃあれこれとできるはずがない。やりすぎれば戦いが始まったばかりだというのに砂になって戦線離脱だ。それは嫌だ。だからできる限りのところで、なんとかするしかない。

 私達を守る盾でもある土人形ゴーレムは走り続ける。必死についていくだけなのに、万の軍勢の中をたった二十騎で横切ることが怖くて、早く早くと焦る。

 時間が引きのばされたかのように長く感じた。

 その合間に、巨人に踏み潰された遺体や、矢で射られて捨て置かれた遺体を見かけて、思わず目を閉じそうになる。

 肩をぎゅっと縮めてその光景がもたらす恐怖に耐えた。

 吐き気がする。怖い。

 戦で死ぬ人の姿を、私は初めて目撃して、大いにうろたえていた。

 けれど心が揺らぐと土人形ゴーレムの動きも悪くなる。だから地上を見ないようにして、まっすぐ向こうを睨むようにした。

 そんな私を支えてくれている、カインさんの腕に少しだけ力がこもる。私の怯えに気付いてくれたのだろう。私は優先すべきことだけを考えるようにした。

 そして、待ち望んだ時がやってきた。

 土人形ゴーレムの前の人垣がほどけていく。その先に、炎が見えた。

「着いた!」

 私は急いで土人形ゴーレムの足を止めさせる。

 土煙を上げて立ち止まったその先に、人魂のように炎をいくつも発生させては、火薬のように破裂させてまき散らす人の姿があった。かなり広範囲で爆発が起き、魔術師くずれだろう人物の向こうにいる兵士達の集団は、後退を余儀なくされている。

 魔術師くずれのほうは、黒っぽい革鎧に、焼け焦げて煙を上げる黒いマントを羽織っていた。

 それだけで、どういうことなのか私は察した。ルアインは魔術師くずれを作るため、兵士を一人犠牲にしたのだ。

「なんてむごい……」

 前線に立って戦っても、待つのは死かもしれない。けれど抗う術はわずかながら残る。だがこんなふうになっては、もう苦しみながら死ぬ以外に何もできない。

 助ける方法もない。近い手段は、たった一つだけだ。

 それを土人形ゴーレムに命じようとする前に、私の横から飛び出す人がいた。

「せぇええっ!」

 気合いとともに、火花の中へ果敢に飛び込んでいったアランが剣を振り下ろす。

 馬上用の剣は長く重く、刃の餌食になった魔術師くずれの頭から赤い血しぶきが上がった。

 どっと倒れた魔術師くずれの兵士は、すぐにさらりと砂へ変じていく。赤い血までもが。

 斬り捨てたアランは、その向こうにいる人々を見て、厳しい表情ながら目を輝かせた。

 彼らは青いマントを身に着けていた。槍を構えた兵士の後ろに騎馬がいる。中に青翠の房をなびかせた兜を被った人がいた。

「父上!」

 アランが叫ぶ。相手は手を振る。青いマントの兵士達も嬉しそうに表情を緩め、手を振った。間違いない、ヴェイン辺境伯だ。

 よかったと思った瞬間、気が抜けそうになった。

「次の行動に移りましょう」

 カインさんが声をかけてくれたおかげで、完全に油断しそうなところを踏みとどまる。

 馬が反転したおかげで、こちらを警戒しながらも、魔術師くずれに巻き込まれないようにしていた敵兵が、私達を取り囲む輪を狭めようとしてくることに気付いた。

 私は二通り考えていたプランのうち、一つを実行することにする。

「アラン、次の手に出るわ!」

 私が促せば、ヴェイン辺境伯に駆け寄りかけたアランも表情を引き締める。

「大丈夫なのか?」

「私にしか、できないことだから」

 お互いに短い言葉を交わし、そして動く。

 アランはヴェイン辺境伯率いる兵五百人ほどと、ここまでついてきた騎士達を固め、ヴェイン辺境伯にざっと計画を伝える。彼はすぐにこちらへ振り返って、うなずいた。

「カインさん、ここまでありがとう」

 そう言って私は馬から下りる。ここからは私一人でやらなくてはならない。馬も邪魔になってしまうからだ。

 しかしなぜか、カインさんもいっしょに下りた。

「え?」

 驚く間に、カインさんは自分の馬を、辺境伯が連れていた歩兵の一人に預けてしまう。

「な、何してるんですか!?」

「君についていくんだ」

 そう言った彼は、ひょいと私を抱えてしまう。

「ちょっ、カインさん!?」

 手足をばたつかせて暴れようにも、私はカインさんを蹴飛ばしたいわけでもないし、落ちて怪我をしたいわけでもない。困り果てた私に、カインさんが実に爽やかな笑みを見せる。

「さぁこれで私を連れていくしかなくなりましたね?」

「でもカインさん、ここからは都合があって私一人で……」

「邪魔はしませんよ。でもキアラさんが力尽きそうになったら、抱えて逃げる人間も必要だろうと思いましたからね」

 笑いながらも、間近で見るカインさんの目は笑っていない。

 私はきゅっと唇を引き結んだ。

「もう大分、お疲れでしょう?」

 お見通しだという言葉に、でもうなずくわけにはいかない。認めたら、そこから気持ちが崩れていきそうだった。ただでさえ土人形ゴーレムに集中し続けて疲弊してきたせいか、吐き気までしてくるような有様なのだ。

「ベアトリス様には、キアラさんを連れ出すにあたって、必ず守るようにと厳命されているんです。だから離れませんよ」

 宣言され、私は観念してうなずく。

 いずれにせよ時間がない。敵兵の驚きを利用するにも、私の魔術を操れるだろう残り時間にも。

 私は土人形ゴーレムに腕を伸ばさせ、カインさんにその掌の上に上がってもらった。

 土人形ゴーレムの肩に上がると、

「うわ、眺めよすぎ……」

 私は思わず顔をしかめてしまった。

 丘陵を埋め尽くすおびただしい人の数に、威圧される。集団を見なれない私でも、だいたい数の予想がついた。絶対万はいる。カインさんやアランの予想したとおりだ。

 これは、不意を突かれて襲撃されたら逃げるしかないだろう。備えをしたつもりの今でも、籠城するのがやっとだったのだろうから。

 すぐに全てをひっくり返せるとは思えない。けれど、できるだけのことはする。

 見回した後、私は抱き上げてくれていたカインさんに礼を言って、土人形ゴーレムの肩に下ろしてもらう。

 少し休ませてもらえたおかげで、立つのに支障はない。

 でもそのままでは土人形ゴーレムが動いた瞬間に滑り落ちるのがわかっているので、肩に少し埋まるような形で、矢間みたいな囲みを備えたくぼみをつくって、そこにカインさんと二人で入った。

 ややあって土人形ゴーレムに矢が射られ始める。

 巨大土人形ゴーレムの動きを警戒しているルアイン軍にも、肩によじのぼったことで私が魔術師だとわかったのだろう。けれど矢は届かない。柵に届きそうなのもあって、ちょっとびびったけれど。

 実はそこだけ少し不安だった。矢って結構遠くまで届く。高い木ぐらいの土人形ゴーレムの肩に乗っている状態では、いい的になりそうだった。でもなんとかなりそうだ。

 視線を転じて、城への距離を測る。

 土人形ゴーレムを走らせて二十歩ほどだ。近くてよかった……と思ったところで、城壁上の矢間にいる人影に目が吸い寄せられる。

 青いマントを羽織った兵士だと思った。けれどマントの長さが違う。

 最初は姿勢のよさに目を引かれた。淡い色の軍衣を着た姿に、私は悲鳴を上げそうになった。

「なんであそこにいるの!? ちょっ、誰か早く引っ込ませて!」

 レジーだ。

 高所に吹く風に、銀の束ねた髪がなびいているのがわかる。

 ゲームの映像が脳裏をよぎった私は、足が震えそうになった。そんな場所にいて矢を射られたらどうするのか。城門を突破されたら、真っ先に危険になるのはそこじゃないのか。

「カインさん、どうにか、どうにかして! レジーに矢が当たっちゃう!」

「落ち着いてキアラさん」

 思わず隣のカインさんの襟元を摑んで訴えてしまうが、カインさんも真剣な表情をしながらも、私をなだめてくる。

「大丈夫ですよ。あの城壁より高い場所は、主塔だけです。まだ侵入されていない上、この風向きなら、レジナルド殿下のいる場所に敵の矢は届きません」

「でも……」

 ゲームと同じことが起こったらどうするのか。

 思わずレジーを睨んでしまうが、遠くに小さく見える彼が、ふと笑みを浮かべて右手を上げる。

 矢間から、何か藁のようなものがばらまかれ、次いで何かの液体が城壁から降り注ぐ。

「油か?」

 カインさんの言葉どおりのものだと思ったのか、敵兵もやや距離を取っただけで留まる。油さえかからなければ、火矢を放たれても消えるまで待てばよいのだから。

 レジーが手を振り下ろすと同時に、城壁から火矢が放たれた。

 ほぼまっすぐ下へ向かって射られた矢によって、地上に落ちた藁が燃え上がった。

「……煙が」

 巻き起こったのは予想以上の煙だった。しかもやや緑っぽい。煙はその場に雲をつくるようにもうもうと固まり、少しずつ敵側へと流れていく。

 姿勢を低くしながら煙をやり過ごそうとした敵兵だったが、とりまかれたとたんに苦しみだし、這うように逃げ始める。それを見た他の敵兵が一目散に走り出し、城に近い前線が混乱していった。

「何の煙? 毒? そんなの城に……あ」

 私はようやくその意図を察した。予定変更だ。唾を飲み込んで、私は下のアランに手を振る。

「まっすぐ進んで! 城の門へ飛び込むつもりで!」

 声は届いただろう、うなずくのが見える。ややあってアラン達が固まって走り出した。

「行きますよ、摑まってて下さいカインさん!」

 気合いを入れ、アランに先行するように土人形ゴーレムを走らせた。予定よりも短い十歩。──城の門前から二歩分離れたそこで、九十度反転した。

 土人形ゴーレムも城へ駆け込む騎士と共に動くと思ったのだろう、進路を避けたと思ったルアインの兵士達の上を進む。

「……っ」

 私は唇を引き結ぶ。

 きっとたくさんの人が踏み潰されてるはずだ。だけど怯んじゃいけない。考えちゃいけない。

 土の柵にしがみつきながら、土人形ゴーレムを動かすことに集中した。

 あまり上半身を動かさないよう土人形ゴーレムを進ませているが、どうしても上下に揺れてしまう。気を抜くと、ぽんと放り出されそうになるほどだ。

「おっと」

 最初は土人形の動きに困惑していたカインさんも、すぐに順応して、私の腕を摑んでいてくれる。ありがたい。無事に帰ったら、感謝を込めて土下座しよう。

 地上は土人形ゴーレムの方向転換に混乱しているようだ。単体でルアイン軍の中に突っ込んでくる巨大な土の塊が、恐ろしいのだろう。踏み潰されないよう進路上から逃げ出す者達と、矢を射ろと指示する者とで、全てがごちゃまぜになっていた。

 一方のアラン達は、まっすぐに城を目指す。

 アラン達の目的は、ヴェイン辺境伯達を逃がすことだ。辺境伯達は出陣後にルアイン軍と遭遇して、かなり長い時間戦っていたはず。

 出発時は千はあっただろう兵力が、半数以下に減らされるほどの、熾烈な戦いを強いられていたのだ。疲労と共に、絶望的な状況では心も折れそうになっていただろう。

 疲弊しきった辺境伯達では、自ら血路を開いて城へ飛び込むことなど不可能だ。だからこの作戦が必要になる。

 まずはエヴラール城へ向けて、土人形ゴーレムも突進すると見せかける。そうして道を作ったところを、アラン達とヴェイン辺境伯一行が走り抜けるのだ。

 幸い、辺境伯達があまり遠くには離れていなかった上、土人形ゴーレムが脅したことで道は開けている。

 その上、レジーの起こした煙のおかげで、近くにいた敵兵の多くが城門近くから離れている。一方で、こちらから城門へ向かう途上には、煙が流れてきていない。レジーがそうなる箇所に煙を焚いたのだろう。

 アラン達も、かなり楽に城門近くまで到達できるはずだ。

 私はその間に、ルアイン軍に攻撃をしかけるのだ。

 カインさんが支えていてくれるおかげで、私は土人形ゴーレムを走らせることだけに集中できた。

 けれどその行動が辛い。土人形ゴーレムで何人を踏み潰しただろう。何人を蹴り殺してしまったのか。唇を引き結んで考えないようにしながら、私はようやく目的地を見つける。

 十重に騎士達に囲まれた場所。

 ルアインの旗を持つ兵が集まる場所に、騎乗する何人かの立派なマントを身に着けた人達の姿が見える。遠目にもきらめいて見えるのは勲章だろうか。

 私は目をつぶって、土人形ゴーレムに一気にそこを駆け抜けさせた。

 一度通り過ぎて、土人形ゴーレムを反転させる。

 確認しようかと思った。自分がちゃんと殺せたかどうか。確認しなければ。

 そう思ったら、背筋がぞわりとした。吐き気がこみ上げて、土人形ゴーレムに伝えている魔術がとぎれそうになる。土人形ゴーレムの左腕がもろりと取れ、ただの土くれになって落下した。

 次の瞬間、カインさんが自分の胸に押し付けるようにして、私の視界を隠してしまった。

「急いでください。そのまままっすぐこの巨人を進ませて」

「……うっ」

 うん、という言葉も出なかった。けれどカインさんの言うとおりに土人形ゴーレムの足を動かす。

 足を止めた土人形ゴーレムが、再び走った。

 今度は矢が当たらないようにしっかりと身を伏せて。土人形ゴーレムの柵に摑まり続ける。

 そうでなければ、その場に吐いて倒れてしまいそうだった。

 カインさんは、そんな私の状態に気付いて、視界を遮ったのだろう。見ればショックを受けて、なんとか保っている土人形ゴーレムが崩れかねない。

「あと十歩です」

 言われて、少しは心が落ち着いた私は顔を上げた。

 再び走る巨大な土人形ゴーレムから逃げ惑い、前線の軍は崩れている。けれど城門ではまだ競り合いが続いていた。

 敵の中にも、予想以上に勤勉な騎士達や兵士がいたようだ。アラン達を押しのけて中に入ろうと奮闘している。

 外から辺境伯達を招じ入れるためには、門を開かなければならない。それは敵にとって千載一遇のチャンスでもある。特に、こんな巨大な土人形ゴーレムがファルジア側に味方しているならば、なおさらだろう。

 それをアラン達が抑え、薄く開いた門から他の者が中へと退避していた。

 私はアラン達を手伝うつもりだった。疲労で上手く頭が回らないけれど、敵を追い払わないと城に入れないことは私にも理解できる。

 けれど今の私に、そんな余裕はなかった。城の中へ逃げるだけで精いっぱいだろう。

 とはいえ逃げるにも、方法を考えなければならない。土人形ゴーレムから城壁に飛び移ることも考えたが、それだと私が離れたとたんに土人形ゴーレムがくずれてしまう。結果、城壁近くに土人形分の土嚢を積み上げ、敵が壁を登りやすいよう山を作ることになる。それは困るので、手前で解体することにした。

 私はゆっくりと、土人形ゴーレムに膝をつかせたつもりだったが。

「ひょえええっ!?」

 背負い袋の中で大人しくしていた師匠が、悲鳴を上げる。

 土人形ゴーレムを動かす加減を間違えて、落下する速度が速すぎたのだ。遊園地のフリーフォール同然の感覚に、カインさんも息をのんだのがわかった。

 ジェットコースターが好きではない私も、それがダメ押しになってしまい、とうとう土人形ゴーレムへのコントロールを失ってしまった。

 土が崩れた。

 もろりとほぐれていったせいか、土が柔らかく、投げ出された衝撃はひどくはなかった。

 失敗したのがわかったけれど、ここで後悔している暇はない。

 起き上がろうとしたが、腕や足が震えて上手くいかない。けれど私を抱き上げてくれる人がいた。薄くだけ開けられる目で確認できた。一緒にいてくれたカインさんだ。

「しっかりして下さい!」

 そう言いながらカインさんが走る。

 一方、敵も魔術師を倒す好機チャンスを逃さない。

 カインさんに抱き上げられたかと思うと、鉄が打ち合わされる音に胃が縮む思いをした。

 周囲は、私をめがけて走ってくるルアインの兵士達ばかり。

 庇うようにアランが馬で駆け付けてくれた。馬上からどこで手に入れたのか、槍をふるった。

 一気に四人の兵士を薙ぎ払う。

 私では決して手が届かない膂力といい、まさに主人公の名に恥じない戦いぶりに見とれそうになる。

 その間に、カインさんが私を連れて城門へ近づいた。

 けれど行く手もかなり混乱している。青いマントの味方と黒いマントの敵が入り交じっている。あげく、その中で私は一人だけ目立ってしまっていた。

 抱えられている女の子。それだけで屈強な男だらけの兵士達の中では嫌でも目につくのだ。抱えて走るカインさんも、息を切らせている。

 なのに私も、見捨ててと言えない。

 死にたくない。そう思ったから逃げ回ってきた。だからもう、自力ではどうにもできなくなったのに、見切りをつけることができない。だからカインさんやアランにごめんと謝るしかない。

 そんな自分が嫌になりそうだった。辛くてぎゅっと目を閉じそうになった私の耳に、一つの声が届く。