4章 そして運命の鐘は鳴る
その日の夜のうちに、レジーが到着した。
出迎えたのはヴェイン辺境伯と、軽傷だったおかげで歩けるほどに回復していたベアトリス夫人、アランとその護衛騎士、侍女の私達だ。
宵闇の中、馬を走らせてきたレジーは、二十騎以上の騎士達に囲まれていた。
騎士達が馬から下り、レジーが最後に地上に足をつける。
控えていた兵士が馬を廐舎へ引いていくと、レジーがヴェイン辺境伯に話しかけた。
「ご無沙汰しています、辺境伯。早馬で連絡を送りましたが、慌ただしく訪問する非礼をご容赦願いたい」
レジーは目立たないよう黒のマントとフードを被っていたが、こぼれる銀の髪がたいまつの炎に照らされて赤金に輝いていた。
その姿に、私は泣くまいと唇を嚙みしめる。
レジーが来た理由は、既に聞かされていた。サレハルドでも魔獣が頻繁に出没するようになり、それを扇動していたらしい人間を捕らえてみれば、ファルジアの者だったという事件があったのだ。
ファルジア王国側は、サレハルドから事態の対処への要請が来てそれを知った。そこでエヴラールの事件について先方に知らせ、両国で事件の解決にあたることを提案し、サレハルドとの交渉の席を設けることになった。その交渉役に、国王の代理人としてレジーが指名されたのだ。
時期と詳細以外は、ゲームとほぼ同じだった。
サレハルドとの交渉。レジーがやってくること。
なら、既にルアインが兵を伏せていてもおかしくはないのに、エヴラール辺境伯家では何も摑めていないのだ。
レジーがここに来てから、どれくらいでルアインが攻撃を始めるんだろう。焦れる気持ちを抑えながら、私はレジーの近衛隊長であるグロウルさんが、ヴェイン辺境伯に伝える要望を聞いていた。
滞在期間は二週間。滞在するのはレジーとその近衛騎士が二十五人。サレハルドとの交渉には、エヴラール辺境伯の城をお借りしたい……。
え、ここでやるの!?
驚いていると、レジーと目が合った。びっくりした? と聞きたそうな視線に、私はうなずいてしまいそうになる。
なんで、どうして。聞きたいけど、この場で一侍女の私が口を挟むわけにはいかない。
ここでやるとして、サレハルドの一団を迎え入れるため、門を開いた瞬間を狙って襲撃してきたらどうするんだろう? 交渉役だと思ったら、実はルアインの潜入部隊だったらどうしたらいい?
不安が膨れ上がる。早く捕まえた男が目を覚まして、ルアイン軍の居場所を白状してくれないだろうか。
焦りを感じつつ、私はベアトリス夫人に付き従って館の中に戻る。部屋へ向かう途中で、ベアトリス夫人が私に、明日いっぱいまでのお休みをくれた。昼間、私が魔術師を捕まえるため戦闘に参加していたことを、気遣ってくれたのだ。
捕まえた男の証言内容によっては、そちらに専念して侍女の仕事もしばらく休むよう言われる。
ありがたくそれを受け、私はまず地下牢へと向か……おうとしたが、止められた。先に来ていたカインさんが、私を制止したからだ。
「あまり、女性に見せられるようなものではないので」
やんわりと言われて、最初は理由がよくわからなかった。
「尋問ならお見せしてもいいとは思うんですがね、それ以上は……」
その言葉で私も察する。
捕まえた男が目覚めたので、尋問が始まっているのだ。けれど進み具合が芳しくないのだろう。拷問になるかもしれないので、見せたくないという意味に違いない。
正直、前世の感覚が残っているせいで「それ以上」を想像するのが怖いし、やめてほしいという気持ちもある。けれどその犠牲を厭ったあまりに、エヴラールの人々をたくさん死なせてしまうわけにもいかない。
私は聞かなかった振りをして、遠ざかることしかできなかった。
でもこうして耳を塞いでいる間に、私の受け入れられないことを、カインさん達が肩代わりしてくれているのだ。それがとても後ろめたい。
思い煩う私をなだめるように、カインさんが教えてくれた。
「どうも雇い主に義理立てしているようで、時間がかかっています。けれど弱みを握られてのことでもあるようで。もう少しで報告ができると思いますよ」
「そう……ですか」
私はうなずいて、部屋に戻ろうとした。けれど、カインさんが不意に私の手を摑む。
強く引き留めたわけではない。やんわりと、気になったので触れたという程度の力加減だ。
「あまり我慢しすぎなくてもいいんですよ」
何を言いたいのだろう。見上げると、カインさんが痛々しいものを見るようなまなざしを向けてきていた。
「まだ貴方は成人したばかりだ。これまで不幸が続きすぎて、感情をのみ込むことを先に覚えてしまったのかもしれない。けれど慣れないことから遠ざかるのに、負い目を感じる必要はないんですよ」
見透かされたのと、気遣ってもらえたことに驚いてしまう。そのせいか、素直に嬉しいと言って喜びたいのに、言葉をのみ込んでしまった。
だからなのか、カインさんが言葉を重ねた。
「女性は生死に敏感にならざるを得ない生き物です。殺すことを怖がる人のほうが、感覚としては正しいのだと思いますよ。同時に、私達としても、汚れ役をした後は、綺麗な存在と関わりたいものなので。貴方はそうやって庇われていて下さい。私のためにも」
「う……」
今、私の顔はゆでだこにも勝るほど赤くなっているに違いない。
だって綺麗な存在だなんて言われるとは思わなかったのだ。恥ずかしい。そんな素晴らしい存在じゃありませんのでと、土下座して撤回してもらいたくなる。
あああ、こんなことなら、すぐに「ありがとうカインさん」とか言っておけばよかった! そしたら、こんな恥ずかしい台詞を聞かされなくて済んだのに!
ていうかこの世界の人って、さらっとカッコイイことを言っちゃうのが普通なの!? そんなわけないか? 料理人見習いのハリス君だって、中学の同級生男子とそう変わりない調子だったし。
考えてみれば、レジーだって格好つけたこと言ってなかったっけ? でもあの人の場合は、こう、変な色気でその場の空気がコーティングされて、止めようがないんだよね。
頭の中が混乱する中、片手で顔を覆ってしまった私の様子に、どういう反応が心の中で起きたのかわかってしまったのだろう。カインさんがくくっと笑う。
「慣れていないんですね、誉め言葉に」
言い当てられて言葉もありません。
しかも余裕そうな態度で、手を握り直さないでくれませんか……。
恥ずかしさに呼吸の仕方も忘れそう。
するとカインさんが言った。
「ああ、さっきよりも随分元気そうな表情に戻りましたね」
「え?」
「後悔しすぎるのも、落ち込みすぎるのもよくありませんよ。判断を狂わせます。さ、今はとにかく休んで下さい、明日のためにね」
「あ、はい……」
にっこりと微笑んで手を離され、私はうなずいて歩きだした。
えっと、これはもしや、思い詰めていた私の緊張を取り去るためだった? そう思うと、恥ずかしさがぶり返す。
きっとカインさんはモテる人生を歩いてきただろうから、私みたいにのぼせる人間を何人も見てきただろう。いつものことだと思って、気に留めないでいてくれるとありがたい……じゃないと明日からやりづらいし。
そんなことを考えながら歩いていたからだろう。
いつもどおり部屋に戻って中に入って、すぐにノックされたので、つい何も考えずに扉を開けてしまったのだ。
「はい、誰ですか……うわっ!」
「開けながら確認したら、意味ないんじゃないかな、キアラ」
そこに立っていたのは、レジーだ。
「しかも私の顔を見て驚くとか、ちょっとひどいよね?」
「その、全然予想してなかったもんだから、驚いて……」
と答えている間に、またしても人の部屋に入ってきっちり扉閉めちゃうんだけど。なんか扉の外に、またグロウルさんが待機してるの見えたよ!?
「レジー。貴方も私も成人したのに、これってまずくないの?」
これ、と言いながら扉を指さすが、レジーは表情も変えない。
「問題ないよ。キアラは問題があるの?」
「だってそっちは王子なのに、ほら、変な噂が立ったら……」
まずいでしょう? いずれ王様になる人がさ、女使用人の部屋に入り浸ってるとか言われたら、遊び人だと思われてイメージが傷つくんじゃないの?
「噂が立つくらい別に。むしろ君の評判を気にするべきかな? 私と噂を立てられるのは、迷惑だった?」
嫌だとは言えない……。なにせ自慢して回りたいほどの、カッコイイ友人だ。噂だけでも立てられたい人はたくさんいるだろうし、私だって嫌じゃない。
でも逆に、レジーのスペックが高すぎて、現状で何の力も持ってない私に本気になったりはしないだろうと思うんだけど。むしろ、気がないからこそホイホイと女子の部屋に入ってくるんじゃないの?
そんなことを悩む私に、レジーがささやく。
「それより、今までどこへ行っていたの?」
唐突に方向性の違う質問をされて、私は思考がついていけない。
すぐに答えが出てこないことに、レジーは変な疑惑を抱いたのだろう。
「私には言えないような、悪いことをしていたの?」
「い、言え……」
ないや。
とてもじゃないが話せないよ! うっかり「言えるもん」とか口に出しそうになったけど、言わなくてよかった!
私ってばレジーとの約束を破って魔術師に襲いかかったり、その仲間をひっ捕まえたり、尋問結果を待って、もう一度魔術師に突撃しようと思っているのに。
でも何も言っていないのに、レジーの笑みがだんだんと怖くなっていく気がする。
「悪い子は、お仕置きするって言ったよね?」
レジー、その台詞ってナマハゲみたいだよ!? 心の中では茶化すようなことを考えながらも、私の頭の中は完全に修羅場だった。
え、何? 何かもうバレてて、だから悪い子呼ばわりしてるの? と。
緊張で背中に汗がにじむ。レジーが一歩私に近づいた。私は一歩後退りそうになったが、
「後ろ暗いことがないのに、どうして逃げるの?」
言われて立ち止まると、侍女の部屋なのだからと置いてくれていたソファに、私は手を引かれて座らされた。
レジーの隣だ。しかも摑まれた手はそのままである。これは完全に尋問から逃がさない、という態勢だ。内心で震えあがりながら、うっかり白状しないように緊張していたのだが、
「まずはこの件からにしようかな。伯母上を助けたのはいいけれど、君は囮になったあげくに、スカートをまくり上げたらしいね?」
「まくってなんていなくて! 走りにくいだろうからちょっと足元をすっきり……うぁぁ」
反論した後で、頭を抱えそうになった。いや、抱えようとしたけど、それより先にレジーに両手とも摑まれてしまった。しかもレジーは身を乗り出してくる。
「まぁ、それは君にとっての危機も回避したということで、少しは我慢しようと思う」
「お、怒らない?」
「保留ということにするよ……代わりに、アランに君の分まで被ってもらうつもりだけど」
近づいたその顔に、私はソファにのけぞるように遠ざかろうとした。
こんな至近距離でも変に見えない顔って、本当にすごいな! とか余計なことを考えてしまうのは、恐怖から逃れたいからかもしれない。
ていうか、アランが被るって何? よくわからないけども、そもそも私、どうしてこんなにレジーに怒られてるの?
「あの、でもレジーは別にお父さんでもないのに、どうしてそんな……ひっ」
レジーが口を耳元に近づけた。
「君を拾うよう、アランや辺境伯に勧めてそうさせたのは私だよ。君のことに責任を持つのは当然だよね? もちろん目に余る行動があれば、正すように言うことも私の役目だと思うんだ。君の最終的な保護者は私なんだからね」
「うぅ……」
納得するしかない。確かにレジーの言うとおりだ。王子のかわいそうな子を助けたいという望みを叶えるため、辺境伯は私を雇ったのだ。なら、最初に助けたいと望んで、辺境伯家に負担を強いたレジーにも責任はあるのだろう。
「で? さっきはどこに行っていたのかな? 近頃は城の外にウェントワースと頻繁に出かけているようだね?」
こ、これは……確実にレジーは知っている、と私は察した。
誰かに私の行動について聞き、約束を破ったと確信したからこそ、問い詰めに来たんじゃないだろうか。
「もちろん、命じられたことだったら君のせいではないから、確認はしたんだよ? そうしたら辺境伯も、事情はキアラに聞いたほうがいいというのでね」
しかもヴェイン辺境伯に梯子まで外された……。
「もう……知ってるんでしょう?」
私が言うと、肌のきめまで見えそうなほど近くにあったレジーの表情が曇る。
「……私との約束を破ったこと、だね。焦らなくてもよかったはずだよキアラ。こちらも、最大限状況を変更させようとしてきたんだ」
「サレハルドとの会談場所の変更のこと?」
レジーはうなずく。
「サレハルドからの交渉役も王族が来る。だからあちらも、そこそこの兵力を割いているはずだ。あと、隣の二つの領地を治める貴族に、領地の境界に軍を待機させてくれるように依頼した。エヴラールで被害を発生させている魔獣が、そちらにも流れていくかもしれない、という名目でね。万が一の増援として呼ぶ話もしているし、エヴラール領内までゆっくりと進軍してくるはずだ。魔獣退治の名目だから、それほど大規模ではないけれど」
「増援? 本当に!?」
増援が来るのなら、攻城戦になっても城の中に踏み込まれずに済むかもしれない。思わずほっと笑みが浮かんでしまう私に、レジーが微笑んでくれる。
「ようやく笑ったね、キアラ」
そう言って手の拘束を解いて、私の頰をそっと撫でた。
まるで寄り添う恋人みたいな仕草に、心臓の鼓動が強く跳ねる。
「けど、私が努力をしても、君には不足だったみたいだね」
「そうじゃないよレジー。私だってレジーに死んでほしくないから。だからできることを全てやって……」
なんとかわかってほしくて説明しようとしたが、途中で言葉は途切れてしまう。
頭を抱えるようにして、レジーに抱きしめられたからだ。
肩口に埋まるようにして口を塞がれてしまった私は、レジーが耳上をかすめるようにして唇を寄せたことに、背筋が震えそうになった。
「いくら茨姫が何も言わないからといって、無事でいられる保証もない。絶対はないんだ。もしかすると君が……砂になってしまうかもしれないだろう」
レジーの心配は理解できる。前世の話をしていない以上、彼はまだ私が魔術師になれる根拠を知らないのだから。
「他の人がもし砂になったとしても、本人が決断したのだからと私は諦めるだろう。けど、君が相手だとどうしていいのかわからないんだよ。だから約束させたのに。ねぇ、どんな約束なら君を拘束できる? もう、どこかの部屋の中に軟禁するしかない? それでも君は飛び出すだろう。本当は鎖で繫いでしまいたいけど、君に嫌われるのは嫌なんだ」
私はその言葉にこもった熱に、圧倒されていた。
鎖で繫いで監禁したいほど、私を閉じ込めて死へ向かわせたくないと言われているのだ。怖いことを言われているはずなのに、拒否できる気がしない。流されてしまいそうになる。
死なせたくないと言われて、こんなにも辛い気持ちになるとは思わなかった。胸が苦しくて、呼吸困難になりそうだ。これがレジーのお仕置きだというのなら、なんて辛いのだろう。
空気を求めて上を向けば、レジーの青い瞳と視線が合う。
何かを渇望するようなまなざしに、私も今同じような目をしているのだろうと思えた。
だから多分、二人とも同じことを考えている、と感じた。相手を死なせたくない。そのためならどんな無茶もするだろうと。
同じ望みなのに、嚙み合わない。それをわかっていて、お互いに無視している。
だからせめて、気持ちの強さだけでも相手に伝えたくなって、そんな想いが少しずつお互いの距離を近づけそうになって──。