思わず後退りすると、背中が扉に当たった。

 するとレジーはとんでもないことに、扉ドンどころか、私の両肩を摑んで押さえつけた。

「ななななな、どどどどど」

 一体何なのどうしたの! と言いたいのに、異常事態に私の口がうまく回ってくれない。

 レジーのほうは、暖炉に置いた燭台の明かり一つだけの部屋の中で、楽しげに微笑んだ。おい怖いよ! いろんな意味で!

「私は話し合いを今日すべきだと思う。君は動揺してる時に押したほうが、ぽろっと全てを白状しやすいから」

「げ」

 ちょっと待って。まさかそのために、パトリシエール伯爵の配下の様子を見た直後に、しかも二人きりで部屋にこもる状況を作ったってこと!?

「グロウルに聞かせていい話ではなさそうだったからね。彼には遠慮してもらうことにした。だけど君と私の仲では、隠し事はなしだよキアラ?」

 部屋に入ったのも、グロウルさんを排除して私の口を割りやすくするためとは。なんでそんなこと思いつくの!?

「くくくく、くろいよレジー!」

 思わず言ってしまうが、それでレジーが気を変えたりはしなかった。

「キアラ」

 真剣な表情に変わった彼が、私の肩を摑んだ手に小さく力を込める。

「君は何をどこで知って、私に二年後のことを忠告したんだい?」

「え、ええっと。夢で……」

 昼間そう言ったはずなので、私は同じことを繰り返した。

「夢にしてはあまりにも確信的だったよね?」

「ええっと、私実は教会学校でエレミア聖教に傾倒……」

「そのわりには朝夕の祈りの時間とか、完全に無視しているし、食事の祈りも結構おざなりだったと思うけど」

「う……」

 誤魔化せない理由は、全て自分の行動のせいだった。確かに不信心者の見本みたいなことしてたな私。だけど前世のことがあるからなおさらだけど、元から信仰心薄いんだよ……。

 だって教会のいうような神様だったら、今世の家族の元からも救い出してくれただろう。パトリシエール伯爵みたいな人に、養女にもらわれることもなかった。

 むしろ機械仕掛けの神的な存在だっていうなら、ちょっと信じなくもない。前世の、しかも別世界の記憶を持ってる私がいるのは、誤作動によるエラーの結果だと納得しやすいから。

 女神の笛の音だって、私にとってはエラー信号だと考えると理解しやすい。

 そんな私に、レジーは追及の手を緩めてくれなかった。

「私に噓をつくのかい? そんなに信じられない?」

 言った後で、レジーの表情がやや悲しげに歪む。私は心臓を摑まれたように苦しい気持ちになる。レジーを傷つけてしまったと感じたから。

「信じられないわけじゃ……」

 思わずそう言ってしまった私を、レジーが追い詰めていく。

「何かが怖くて言えないの?」

 肯定するわけにはいかなかった。

 だって知られたくない。もしかしたら自分がさっきのパトリシエール伯爵の配下みたいになるかもしれないなんて。それを話したら、レジー達に警戒されてしまいかねない。

 ……とにかく嫌われたくないのだ私は。それが一番怖い。

「私が怖いのかい? それとも話すことそのものが?」

 問いを重ねたレジーは、なかなか口を割らない私にため息をついた。

「キアラ、君は脅され慣れすぎてるね。なら、話したほうが怖くないと思うようなことをする?」

「えええぇえ!?」

 レジーの方針転換案に私は驚く。しかも話すほうがマシって、どんな怖いことをする気なの? ま、まさか首を絞められるとか? 剣で斬りつけられるとか。怖い想像が頭の中をぐるぐるとまわる。

 けど怖い気持ちは拭えない。

 何も言えずにいると、ふいに頰に何かが触れた。柔らかで、決して皮膚を傷つけることがないその感覚に、目を瞬く。

 まさか、今のってく……。唇!?

 頰にキスされたのだと気付いた瞬間、私は思わず座り込みたいほどに脱力した。

 そこを狙ったかのように、レジーがささやく。

「質問を変えようか。君は、自分が魔術師になろうとして、色々なことを調べようとしていたんじゃないのかい?」

「え、どうして気付い……」

 なぜそこまで感づくのか。驚いて問いを口に出してから、私は息をのんだ。

 しまった。これじゃ肯定したも同然だ! そもそもレジーがこんな、色仕掛けみたいなことするから! ていうか、なんでこんなやり方知ってるのよレジー! 十五歳でそれって怖いんだけど!

 動転する私の顔を、レジーは覗き込んで微笑んだ。

「茨姫に渡された石について調べるにしては、君は石に怯えた様子がなかった。むしろ魔術師のことばかり熱心に調べていただろう?」

 私の様子を見て変だと思っていたらしい。そして魔術師くずれが死んでからの表情や行動から、その可能性を考えていたという。

 なんて頭のいい人だと私は呻く。

 そんな人がどうしてあっさりと殺されてしまったのか……いや。こういう人だから、王妃達が邪魔に思って彼を抹殺したのだろうと気付く。

「でも魔術師になれる人なんて希少だ。なれるかどうかもわからないのにと不思議に思っていたけれど、君には確信があったんだね。だから二年後までに魔術師になるつもりで、私を守ると言いだしたんだろう」

 何てこと口走ったのよ私ぃぃぃ! 過去に戻って己に文句を言いたい。

 それにしても、ここまでまるっとお見通しな人を、私のあまりよろしくない頭でどうやったら言いくるめられるというのだろう。無理だ。私はとうとう観念した。

「赤い飲み物に、心当たりがあるの。私も、飲まされてた……から」

 答えを聞いたレジーは、やっぱり、と言いたげにため息をつく。

「身体は何ともないみたいだね? 今まで変わった様子はなかったし。さっきの驚き方からして、飲まされてたのが魔術師に関係するものだとも知らなかったんだろう?」

「……うん」

「そうか。ならよかった」

 レジーがほっとしたように微笑む。私はえ、と思って彼をじっと見てしまう。

「あの魔術師くずれみたいに、あたりに魔術をまき散らしたり、身体がおかしくなるかもしれないからって、私を幽閉とか……しないの?」

「何を言っているんだキアラ。そんなことしないよ」

 きょとんとした表情でレジーが言う。

「今現在問題が出てないし、君は魔法が使えない。なのにどうして閉じ込める必要があるんだい?」

「でも、もしかしたら今後、そういうこともあるかもしれないし」

「そうだな……」

 不安の原因を訴えると、レジーは少し考えて応えてくれた。

「とはいえ、魔術師の知り合いもいないから調べるのは難しいし、このまま辺境伯の書庫を漁っていても見つかりそうにないからね。王宮に戻った後で、私も調べてみるよ」

「え、本当!?」

 レジーはしっかりとうなずいてくれる。

 私はほっとした。王宮ならもっと情報が溢れているだろう。それに王家が魔術師を雇っていると聞いたことがある。王家の伝手で探しあてることができたら、かなり正確な情報を引き出すこともできるだろう。

「でもキアラは、それを飲まされてからどれくらい時間が経ってる? さっきの男の場合、雷草が生えていた所では問題なかったようだから、一度パトリシエール伯爵の元に戻った後か、この近くで別の人間に飲まされたんだろう。そこから考えると、飲まされてから長くても二週間しか経ってないはずだ」

「うーん。養子にもらわれた直後ぐらいには飲まされたから、もう何年も経ってるよ。最初は三日ぐらい寝込んで……その後も何度か飲まされたけど、ちょっと気持ちが悪くなるくらいだったような。だから特殊な毒か、伯爵家に連綿と伝わるゲテモノ系の滋養薬でも飲まされてると思ってた」

「滋養薬? また君は突飛な発想をするね」

 レジーが少し笑う。

「でも毒……みたいなものだろうね。本当に魔術師くずれみたいになって死んでしまうのなら、効果は毒と大差ないわけだし。でもそれを飲んで平気だったキアラは、本当に魔術師の素質があるのかもしれないな」

 レジーの言葉に、私はうなずく。

 素質がなければ死んでしまうのだから、結果的に無事だった私は、素質があったんだろう。前世のゲームのとおりに。

 疑問なのは、今現在どうして魔術が一欠片も使えないのか? だけど。

「それより聞きたいのは、どうして君が二年後のことを話しだしたのかってことだよ。パトリシエール伯爵から、何か聞いたのかい? 二年後に侵略する予定だというようなことを」

 レジーとしては、そちらのほうが重要な問題だったようだ。確かに、侵略戦争の気配があるのなら、今のうちに動きを摑んでおきたいことだろう。

 しかし私は誰かから見聞きしたわけではない。

「それは本当に、夢……白昼夢みたいに見たことなの」

「夢か……」

 渋い表情をするレジーに、私は夢物語だと言われてしまわないかと焦った。だから細部を変えてレジーに話した。

「上手く説明できないんだけど、小さい頃から、私が結婚してキアラ・クレディアスって名前に変わる夢を見てたの。その夢では、結婚後に魔術師にさせられて、王妃の侍女になるんだけど。その二年後にルアインが侵略戦争をしかけてきて、私は王妃のためにアラン達と戦って……アラン達に殺されてた。でもただの夢だと思っていたら、パトリシエール伯爵からのクレディアス子爵に嫁がせるっていう手紙を見て……。それで、すぐに逃げたの。夢のとおりになって誰かに殺されるのが怖くて」

 今ではもう、あの時とは違う理由で私はみんなの敵になりたくない。

 私を馬車に乗せ、領地で雇ってくれたアラン。息子のアランが信用したのならと、受け入れてくれた辺境伯夫妻。その全てを援助してくれた上に、友達だからと助けてくれるレジー。

 誰かを敵として傷つけるなんて考えられない。

 けれどそこまでレジーに話しても、彼を混乱させるだけだろう。だから私は話を切り上げた。

「何の根拠もない荒唐無稽な話だと思う。私のこと頭がオカシイと思ってくれてもいいから、お願いだから気を付けて。二年後に私の言ったとおりになってしまったら、私が恩返しにちゃんと守ってみせる。その時には拒否しないでいてくれると……嬉しいんだけど」

 私は全てを理解してほしいとは思わなかった。

 ただレジーが危険なこと、私が魔術師になれることと、レジーを助けたいと思ってることを知ってくれればいい。そう思ったのに。

 レジーは考え込んだ後で提案してきた。

「確かに根拠がない話を信じてもらうのは難しいだろうね。相手がエレミア聖教の司祭なら、夢だと言えば簡単に肯定してくれるだろうけど。でもキアラ。私としては今回のこともあるから、パトリシエール伯爵が何か大それたことを企んでいるのではないかと思ってはいたんだ。だから皆に、君の不安を上手く知らせたい。城が攻め落とされそうになるなんて、誰だって嫌だろう?」

「でも信じてくれないかも……」

「王妃が不審な行動をしていることと、今回の動きから、パトリシエール伯爵にかなり注意が必要なことを、私から言っておくよ」

 その言葉に、私は肩の荷が降りる気持ちになった。レジーの言葉なら、ヴェイン辺境伯もかなり気にしてくれるだろう。

 ようやく息がつけると思った私の耳に、レジーが再び顔を寄せてささやいた。

「そうしたら……君が魔術師になって、私を守らなくてもいいはずだ」

「え……」

 頰に口づけされたことを思い出して身体が硬直しかけた私は、彼の言葉に目を丸くする。

「でも、戦争が本当に起こったら、魔術師がいたほうが……」

 その後の戦況だって断然有利になる。もしレジーが攻城戦で死ななくても、その後の王国侵略がなくなるわけじゃない。必ずアラン達は戦わなくてはならなくなるはずだ。

「君が安全に魔術師になれる保証は? それに魔術師になるのは君が一番嫌いなことだったんだろう? そうしたくないから逃げたし、今度はひどい死に方をするかもしれないとわかったから、なおのこと君は魔術師になりたくないと思っているはずだ」

 そのとおりだ。

 つい黙り込んでしまうと、レジーはようやく一歩離れ、肩を摑んでいた両手で私の手を握りしめる。

「それに君が魔術師になるとしたら、考えられる方法は二つだ。茨姫の力を借りるか、君がパトリシエール伯爵の元へ戻ること」

 その選択肢を見透かされていたことに驚いて、私はびくっと肩を揺らしてしまう。

 茨姫のほうがマシだけれど、確実に魔術師になるとしたら、パトリシエール伯爵の元なのだ。代わりにクレディアス子爵との結婚が強制されて、逃げだした日のように眠らされたあげく……になりそうだけど。

 だから私にとっても究極の選択になる。でも他に手がなければそうするしか……と思っていた。

 私の考えなど予想がついていたらしいレジーは、笑って目を細める。

「私は君に、そんな真似はさせたくない。少なくとも二つ目の選択肢を選ぶようなら、私は君の目の前で死んでみせよう」

「なっ!?」

 なんで死ぬなんて言うの? あまりのことに絶句する私の手を持ち上げ、誓うように軽く指先にレジーの額が触れて、離れた。

「だから約束をしよう、キアラ。私に黙って、勝手に魔術師になんてならないって」

「なっちゃだめ……?」

 禁止されるとは思わなかったので、私は驚いてレジーの顔を見直す。言い間違えたわけではないようだ。彼は私と目を合わせると、はっきりとうなずいた。

「決して危険な道を一人で選んじゃいけない。必要があれば代わりに私がやる。だから私に許可なく、貴重な友達を失うかもしれない真似をしないって約束してほしい。いいかい、キアラ?」

 私を失わないために、禁止する。

 心の中で繰り返すと、目の前のレジーの顔がにじんでいく。

 頰を流れ落ちるのは、涙だ。鼻がつんとする感覚も、目を開けていられないほどの瞼の熱さも、どれくらいぶりに感じただろう。気付けば嗚咽をもらしながら顔を伏せてしまうほど涙が次から次へと溢れてくるのは、ずっと誰かにそう言ってほしかったからだ。

 魔術師になんかならなくていい。

 一人で危険なことをしなくていい。

 普通の子供みたいに、そう言って守ってくれる人が欲しくて。でも親などいないも同然の身では、無心に頼れる人などいなかった。

 本当は喉から手が出そうなほどほしかったのに、前世の記憶が絡んだ荒唐無稽な話をしたら、仲よくしてくれているレジー達が私から離れてしまうかもしれないと怖くなって、どうにもできなかった。

 けど、レジーは全て受け入れてくれたのだ。安心しすぎたらもう、涙を止めるのが難しくなっていた。

 それなのにレジーは、もっと泣きそうなことを言う。

「約束を破ったら、あとでお仕置きするからね?」

「うん……」

 何かが起こって約束を破らなければならなくなっても、レジーは怒っても離れないと、そう言ってくれているのだ。

 そんな彼を、本当に失いたくないと私は心の底から思った。

 

◇◇◇

 

「レ……」

 階段を上がったところで、アランはかけようと思った言葉を飲み込んだ。

 レジーと一緒にいたのは、護衛騎士のグロウルだけではない。キアラもだった。

 しかもレジーは、キアラの部屋に入って扉を閉めてしまう。

「な……」

 アランは声を上げるのを寸前でこらえた。待てレジー。お前まさか逢い引きか!? と心の中だけで叫ぶ。

 しかも相手はキアラだ。レジーがやけに同情して援助していると思ったら、まさかそういう理由だったのだろうか。

(まてまて俺。レジーがそう簡単に手を出すわけがない)

 レジーが普通の王子なら、つまみ食いごときは問題にはなるまい。けれど彼の場合はうかつに手を出せない状況がある。相手がルアインと繫がりのある貴族だったら、陥れられるかもしれないからだ。

 でもその前に。

(レジーがそもそも遊びをしかけるわけが……ないと思いたい相手だよな?)

 キアラは容姿が悪いわけではない。それなりに可愛いと思う。けれど王子の隣に立つには、性格がひょうきんすぎる。

 元伯爵令嬢ならばしとやかにしていればいいものを、平身低頭で謝罪を叫びながら寝台から床へ真っ逆さまとか、雷草を投げつけるとか、意外なことばかり実行しているのだ。今や彼女を見て元伯爵令嬢だと連想することはない。

 それに現在の彼女の身分だ。

 本人もそれでいいと受け入れたし、あの時レジーも反対しなかった。

 だから一緒にいるという未来を望んではいないと思ったのだが……。

(仲がよすぎるんだよな)

 いつもならば、辺境伯家に遊びにきたレジーとアランは四六時中一緒にいた。けれど今回、レジーはかなりの時間をキアラのために割いている。午前中はずっと書庫で一緒だし、時には今日のように午後まで時間をとることもあった。

 おかげで剣の稽古の相手がいない日は、アランもなんだかつまらない。

(い、いや違うぞ。何も悔しいからキアラにだめ出ししているわけではないんだ。ただ心配しているだけで……)

 と、そこでレジーがキアラの部屋から出てきた。

 レジーは出かけた時のままの格好だ。その肩だけ、羽織ったマントの色が濡れたように濃い色に見えた。

 雨は降っていなかった。さっきまでは濡れた箇所など見当たらなかった気がする。

「殿下、何のお話を……」

「野暮なことは聞かないほうがいいんじゃないのかな? グロウル」

 レジーはそんな返答をして、グロウルを絶句させていた。

「ま、まさか別れ話のもつれ……?」

 深夜に逢い引きして、服に濡れた跡まであるのだ。きっとあれは涙の跡……。もうその想像でアランの頭の中はいっぱいになってしまった。

 そのせいで、アランの声が聞こえてしまったのだろう。レジーが振り返り、見つかってしまった。

「か、帰りが、遅かったんだな」

 慌てながらも絞り出した挨拶の言葉がそれだった。

「うん、パトリシエール伯爵の配下が襲撃してきた件でね。詳しいことはアランも後で聞かされると思うよ。ちょっと大事になりそうな気配だから、辺境伯から説明されたり、対策に駆り出されたりもするんじゃないかな」

「うわ……僕、考えるの苦手なんだよ」

 貴族が関わるいざこざだ。真正面から打ち倒して終わりということにはなるまい。その後の頭脳ゲームさながらのやりとりや根回しのことを考えると、アランはさっきまでの動揺をすっかり忘れて、うんざりとした。

「予行演習にはいいんじゃないかな、次期辺境伯殿。少しは慣れるべきだよ、君だって頭脳労働が全くの不得意なわけじゃないんだから」

「向いてないんだよ。あげくにやたらそのあたりが上手い奴が側にいると、なおさらやる気がうせるのをわかってくれよ」

 その上手い奴とはレジーのことだ。

「そんなことを辺境伯殿に言ったら、殴られるんじゃないのかい?」

「むしろ聞かれたら怖いのは母上のほうだよ。父上より先に手が出るんだあの人」

 まるで父親が二人いるみたいだとぼやけば、レジーが笑う。

「でも慣れておいたほうがいいよ。私や辺境伯殿だってずっと側にいられるかわからないのに、一人になった時にどうするんだ?」

「……なんだ、それ」

 珍しく暗い未来を暗示するようなことを口にしたレジーに、アランは思わず聞き返す。

「世の中のものは有限なんだよアラン。私も、もちろん君も。備えることによって、失わずにいられることもあるだろう?」

 だから、忠告だよとレジーが言う。

 けれどアランの中に浮かんだ不安が消えない。そのせいだろう、思わず口走ってしまう。

「有限なのは仕方ない。だけどお前、そんな弱気でいて、もし本当に何かあったらキアラはどうするんだ?」

 レジーが珍しく目をみはる。

「キアラが、どうして?」

「えええ? だって、お前……その」

 部屋から出てきたじゃないかと言おうとして、一切気にしていないレジーの様子に、追及するのがためらわれる。

「気に入ってたみたいだし、キアラだってお前に一番懐いてるだろ。その……拾った責任というか」

「キアラは拾った相手に全力でよりかかる子じゃないよ。多分私がいなくたって、一人で生きていける」

 レジーに笑われてしまい、アランはちょっと拗ねた気持ちになった。

「だってレジー。お前やっぱりキアラのこと相当気に入ってるだろ。四六時中側にいたって気にならないくらいじゃないのか? それってほら、好きってことじゃないのか」

 アランに追及されても、レジーは表情を変えたりしなかった。

「うん、キアラは面白いよ。側に置いておけたなら、だいぶん私も気楽に過ごせそうだなと思う。でも……そうだね。彼女がそれをよしとするかは別の問題だと思うよ」

 わけのわからない回答がきた。

 面白いし側にも置きたい。けどそれはキアラが決定権を握っているというのだ。それでいてアランの質問に全て答えているわけではない。

 男女の仲なのかどうかが知りたかったのだが、それは綺麗にうわべをなぞって放置された格好だ。

 レジーは、たまにこんな謎かけみたいな答えしか返さないことがある。おそらくは本心を明かして裏切られることを怖れて……それが癖になっているのだ。

 ただこういう言い方をする時、レジーはもう何かを決めていながら、まだ誰かに話すべき時期ではないと考えているのだと、アランは気付いている。

(でも、何をどう決めたんだ?)

 キアラを側に置き続けることを決めているのか。いずれ離れる相手として、友人としての距離を保つと決めたのか。でも今は追及しても話さないだろう。

 アランはため息をつく。

「なんていうか……もし何かあれば言ってくれ。キアラはうちで雇ってる人間なんだし、もし見捨てなくちゃいけなくなっても、こっちで責任持つから大丈夫だからな?」

「……ねぇアラン。彼女を見捨てることは、私にとって自分を見捨てるようなものなんだ」

 そう答えたレジーは、いつになく真剣な表情をしていた。

「自分を見捨てるって」

 どうしてそこまで? まるで彼女なしでは生きていけないような言い方に、アランは困惑する。

「だから最後まで見捨てないよ。心配をする状況になるぐらいなら、たぶん私は彼女を連れていくと思う。君に背負わせなくてもいいようにね」

「レジー……」

 どこまで連れていくつもりだ、とは聞けなかった。

 それを口にしてしまったら、恐ろしい言葉を引き出しそうな気がしたからだ。

 

 次の日、泣いたと思われるやや目の腫れたキアラの顔を見て、アランはさらに混乱する。

「別れ話……じゃないんだろうけど」

 見捨てないと言うぐらいだ。たぶん別れてくれという話をしてたわけじゃないだろう。なのになぜキアラが泣くのか。

 泣く女性への対応がわからないアランは、彼女の目の腫れが治まるまで、なんとなくキアラを遠巻きにしながらぐるぐると考えてしまう。

 さらにアランを混乱させたのは、翌日になってみても、レジーとキアラに恋人らしいそぶりが一切ないことだった。

 そんなアランの苦悩をよそに、レジーが王宮に帰る日となった。

 エヴラール領も、気温の下がる日が多くなってきていたし、今日などは雪がちらつき始めていた。これ以上延ばしていては、すぐに雪深くなって、王都まで戻るのに難儀する。だから帰還するよう、レジーは周囲に説得されたようだ。

 白い息を吐きながら、レジーはにこやかにアランやキアラに言った。

「来年も遊びに来るよ。アランとはまた、新年祝賀の時に会うと思うけど。来てくれるよね?」

「もちろんだ」

「それまでキアラのこと、頼んだよアラン。変な虫がつかないようにね」

 最後に密やかに耳打ちされて、アランはようやく苦悩していた問題に回答を見つけた。

(そうかわかったぞ。レジーはキアラの保護者のつもりなんだ)

 娘ならば、一緒にいるのが苦ではないと感じてもおかしくないし、娘を見捨てるぐらいなら俺も死ぬ! と言う父親は世の中にたくさんいる。あの夜も、襲撃されて怯えていた娘を慰めるため部屋に入ったのだと思えば、納得がいった。

 疑問が解決し、すっきりとした気分だったので、アランは実ににこやかにレジーを見送る。そして隣でやや暗い表情をしていたキアラを励ました。

「まぁ、なんだ。気を強く持てキアラ」

「えっと……はい?」

 何故か驚かれてしまったが、最終的にキアラは笑顔を見せたのだった。

 

◇◇◇

 

 本格的な冬を前に、レジーが王宮へ帰った。

 いつか帰るということはわかっていたし、そもそも王子が長く王宮を空けているというのもよろしくないことなのだろう。

 レジーは一か月ほどゆっくりとエヴラール辺境伯家に滞在していたが、それ以前にも教会学校にアランを迎えに来てみたり、ここから王都へ帰るのにかかる時間のことも考えたら、彼は都合二か月ほど王宮を離れていた計算になる。

 移動時間の長さとか考えたら、そりゃ一年に一度しか来られないよね。

 正直なところ、一番気の合う人がいなくなったことは悲しい。何も言わなくてもわかってくれる人というのは希少だ。

 それに……うん。

 どう言ったらいいのかな。

 自分が死にたくないってことだけを考えていたのと、前世でもそんな事態に遭遇したことがなかったせいで……正直どうしたらいいのかわからない。

 前世だったら、人に話せば間違いなく自意識過剰だと言われかねないこの状況。

 いや、むしろ前世だったら気がないのに頰にキスとかする!?

 あの日から、私は動揺を引きずっていた。

 泣き止んで正気に返った後で、レジーの行動をどう理解したらいいのかわからなくなったのだ。

 前世だったら自分の価値とか無視して、期待したかもしれない。けどこの国は欧米的な感じだから、親が大きな子供の頰に口づけることも、よくあるのよ。

 だから頰キスのハードルが低いのだと思う。兄妹でっていうのも見たことあるし。

 なら、親愛のキスなんてものは家族同然に思えばすることもある……かもでしょ?

 私にそのあたりの自信がないのは、今世で普通の家庭生活を送ってこなかったせいだ。実家では幼少期から父親なんてほとんど私に関わらなかったし。母親はしてくれたかもしれないが、幼児だったから記憶が薄い。継母は私に手も触れなかった。そして養父からは完全な部下か使用人扱いをされていたし。

 おかげでこの国の一般家庭における親子の交流が、全くわからない。

 それにレジーや辺境伯が無事に二年後を乗り越えるまでは……そこから派生しそうな感情のことを考えると、本当に何もかもが怖くなって動けなくなりそうだと感じた。

 とにかく今の私の居場所はエヴラール辺境伯家だ。ここで働くと決めたのだからがんばろうと思う。

 さてここで問題になるのが、パトリシエール伯爵の手下による襲撃事件だ。

 ヴェイン辺境伯が先方に抗議をしたところ、部下が人違いをして暴走したのだろうという返事が返ってきた。その処罰もエヴラール辺境伯のほうで好きにしていいとのことだった。

 ヴェイン辺境伯は、そのうちの一人が魔術師くずれであったことをネタにつついてみたようだったが、当然ながら知らぬ存ぜぬで返された。私の証言も、辺境伯領にいないことになっているので使えるわけもなく、お手上げ状態になったらしい。

 残った問題は、領内に入り込んでヴェイン辺境伯の諜報員を殺したはずの人間が、捕えられていないことだ。

 こう何人も魔術師や魔術師くずれが出てくることは不可解なので、パトリシエール伯爵が何らかの企てを行っている、とヴェイン辺境伯は考えているらしい。

 私とベアトリス夫人、アランとその護衛のウェントワースさんを集めた場で、ヴェイン辺境伯がそれらの状況を説明してくれた。

「父上、企てとは……?」

 アランの問いに、ヴェイン辺境伯が苦い表情で言う。

「捕まえた者によると、何らかの魔術的な代物を飲んだことで、魔術師くずれとなったという。ということは、パトリシエール伯爵は大量に魔術師くずれを生産できるのだ。たとえすぐ死ぬ魔術師くずれでも、戦力として使えるような存在を作りだすことができるのなら……王国を覆しかねない戦を起こすつもりなのかもしれない」

 戦、という言葉に、その場にいた者達が小さく息をのんだ。

「パトリシエール伯爵が関わるとなれば、ルアインですか。しかし王女が王妃になったわけですから、動く理由がないのでは」

 ベアトリス夫人の意見に、ヴェイン辺境伯は首を横に振る。

「未だ王妃には懐妊の兆しがない……というか、国王と会うのは朝の礼拝時のみだと聞いている。その状況でルアインはファルジア王家を婚姻で乗っ取るのは難しいと考えたのだろう。むしろ王妃が世継ぎに固執しないのは、元から……ルアインは最初から開戦するつもりで、油断させるために妹姫を花嫁に差し出したのではないかと思う」

 私は心の中でうんうんとうなずく。

 ゲームの開戦経緯はそうだった。

 元からルアインは開戦するつもりで王妃を送り込み、兄妹揃って国内に協力する貴族を増やして虎視眈々と好機を狙っていたのだ。

 おかげでルアインの侵略がスムーズに成功し、アラン達が追い込まれたのが、ゲームの初期状態である。

「それなら、なぜエヴラールを標的にしたのでしょう?」

 ウェントワースさんが疑問を口にした。

「殿下を殺しても、王家には他に傍系の男子がいる」

「……アラン様ですか」

 ヴェイン辺境伯の言葉に、ウェントワースさんがわかりにくいながらも微妙に渋い表情をしている。彼もよくよく思い出してみれば、ゲームに出ていた。騎士なんで移動距離も長いのがとても便利で、たびたび彼を使っていた。そんな感じの騎士キャラが何人かいたもので、すっかりウェントワースという名前が脳内で埋もれていたようだ。

 この話の流れでヴェイン辺境伯は、エヴラール家がルアインを支持する派閥に狙われていて、ルアインから攻撃を受ける可能性があることを認識させてくれた。

 もしかするとこれを考えたのはレジーかもしれない。だとしたらありがたいことだ。誰だって、荒唐無稽としか言いようがない、私の夢の話を持ち出されるより、状況から導き出された現実的な予想のほうが、行動しやすいだろうし。

 そしてレジーは、私のことを正確にヴェイン辺境伯に伝えてくれたようだ。

「さて、話がここまでなら、キアラを呼ばずに済ませたのだが……。彼女もこれに関連して難しい状況にある」

 来た……と思って私は思わず緊張で肩に力が入る。

 ベアトリス夫人の後ろに立っていた私に、みんなの視線が向けられた。

「キアラも、魔術師くずれになった男と、同じ物を飲まされたことがあるという」

「え、じゃあキアラも……」

 驚愕の表情に変わるアランに、今にも泣きそうに目を潤ませ始めるベアトリス夫人。

「おおおおい、大丈夫なのかお前?」

 しかもアランは立ち上がって私の手首を摑む。

 何かあったら、保護者のレジーにどう言ったら……なんてよくわからないことを口にしているが、間違いなく心配してくれている。

 ……嬉しい。

 今一番私に近く接している二人が、私を異質なものとして怖がらなかったのだから。

 ベアトリス夫人はヴェイン辺境伯と顔を見合わせてしんみりと目の端を拭い……。

 って、私まだ死んでませんよー。死にたくないんですよー。そのために逃げてきたんですよう。そう主張したいが、するわけにもいかない。言えないことがあるっていうのは、面倒なものだ。

 ウェントワースさんは、色々な状況を想定し始めているのか、腕を組んで考え込んでしまっている。けれど子供にまでそんなことをするのかとつぶやいているあたり、さすがヴェイン辺境伯のところに仕官しただけあって、情に厚そうな人だ。

「素質があったせいなのか、運よく効かなかったのかはわからないが、身体に問題はないようだ。今のところ魔術が使えるわけでもないので、キアラはそれが魔術に関係するものなのかどうかも知らなかったと聞いている。そうだね、キアラ?」

 そこでヴェイン辺境伯が説明してくれるので、私は大人しくうなずいた。

「それに魔術師くずれと同じ物を口にしたと言っても、本当にその飲み物が原因で魔術師くずれになったのかどうかも不明だ。現物がないので確かめようがないし、捕らえた男が何かを勘違いした可能性もある」

 けれど念のため、ということで、私は状況が落ち着くまで城から決して出ないこと。そして私を出さないようにとヴェイン辺境伯はベアトリス夫人に命じた。

「殿下からの預かりものでもあるので、皆、彼女に注意を払ってやってほしい」

 そうして私は、城外へ出ることを禁じられた。詳細を知らない城内の人達にも、襲撃のことをベアトリス夫人が話した上で「かわいそうに外へ出るのが怖くなっちゃったみたいで。しばらく遠ざけて心を癒やしてもらおうと思うの」と言ったことで、不審がられることもなかった。

 むしろ外に出る機会すらない私のことを、ちょっと気の毒に思ってくれているようだった。

 

 そうして三か月後。

 辺境伯領のとある川原で、魔術師くずれが死んだ痕跡が見つかった。

 痕跡……というのは、本当に「そうかもしれない」という感じのものだったらしい。

 砂が詰まった人の衣服。その近くに一つ、黒焦げになって形すらほとんどなくなった人の遺体を発見したのだそうな。

 けれど見つけるまでに何日も、もしくは数か月もそこに放置されていたせいか、魔術師くずれの遺体だったのだろう砂は周辺の土に混じった状態だったという。

 なのでさらに一か月ほど、私への引きこもり指令は続いた。

 それまでの三か月で領内の監視体制を強化していたヴェイン辺境伯は、引きこもり延長期間に、不審者がいないことを確認した。

 ここでようやく私の引きこもりは終わりを告げることになる。

 とはいっても、ベアトリス夫人の侍女が私の仕事だ。剣が使えない上、一人で馬にも乗れない私では、ベアトリス夫人の外出という名の領地や国境への見回りについていけるわけもない。そう油断していた。

 

「さ、キアラ。外に出ましょう!」

 雪が解けたとたん、ベアトリス夫人が私を城外の見回りに連れ出そうとした。

「えと、でも奥様と一緒にいて何かあったら……」

 もし運悪く襲撃されたら、今度こそ私は詫び言を叫びながらエヴラール辺境伯領から出ていかなければならない。

 けれどベアトリス夫人は、からっとした表情で私に言った。

「大丈夫。むしろ私と一緒だからこそ、手を出せないでしょう。それに私の侍女なのですもの。使いに出す必要も出てくるでしょうし、少しずつ城下の人間や守備隊の人間とも関わって、顔を覚えてもらわなければね」

 そうしてベアトリス夫人や侍女のマイヤさんとクラーラさん、さらにはお伴の騎士二名と外出する日課が加わった。

 その際、私はマイヤさんの馬に同乗させてもらっていた。

 マイヤさんはベアトリス夫人の結婚前から側に仕えている人だ。商家の娘だったが、背が高くて力持ちだった。登城した際に父親を手伝って荷物を持っていたところ、ベアトリス夫人の目にとまり、侍女にならないかと勧誘されたのだという。

 ……さすがベアトリス夫人。剣を振るえそうな人かどうか、というのが侍女の基準なのは、今も昔も変わらないらしい。

 城下や国境の壁まで往復するうちに、私は自分で馬に乗れるようにもなった。

 

 秋にはまた、レジーがやってきた。

 二週間だけ滞在した彼は、以前王宮に出入りしていた魔術師の行方が、わからないことを教えてくれた。

 約束どおりに調べてくれた彼を見送ると、冬になる。

 辺境伯領付近は積雪がそこそこある地方なので、まずルアインも進軍してこないらしい。

 穏やかな日が続く中でも、私は魔術のことを忘れてはいなかった。

 切り札は必要だ。けれど一人で書庫の本を見るわけにもいかず、レジーとの約束もあるので身動きができない。

 そんな折、辺境伯夫妻とアランは王宮へ行った。新年祝賀の宴に出席するためだ。

 去年も三人は王都へ行ったのだが、今回はアランが十六歳になったので、彼も正式に参加するという。

 大変面倒そうなアランを送り出した私は、たまに話すようになった召使いのおばさん達と、城内や城下の話をしたり、一気食いをした後から「それで食事、足りるのか? もっといるか?」と尋ねてくるようになった料理人見習いのハリス君と話したりして、過ごした。

 やがて帰ってきたアランは、レジーからの手紙を預かってきてくれた。

 そこにはレジーが使いをやって茨姫に接触した話が書かれていた。

「え……うそ。そこまでしたの?」

 私は読んですごく驚いた。しかも茨姫の好みは十二歳以下の男子発言を聞いていたレジーは、森の近くにある村の子供を使い、茨姫との接触に成功したそうだ。

 ……釣ったのか。茨姫を。きっと小さな男の子の「茨姫様ー」という呼びかけに、彼女もほいほい出てきたに違いない。

 そうしてレジーは「魔術師になる方法と、魔術師も最後は砂になるのかどうか。パトリシエール伯爵が飲ませたようなもので、魔術師を作ることはできるのか」を尋ねたようだ。

 対する茨姫の返事というのが「何のために石をあげたと思ってるの? とキアラに言って。あと、絶対その石以外を使わないこと」だった。

 ごめん、わけがわからないよ。

 レジーもこればかりは自信なさそうに「これでわかる?」と書いてきている有様だ。

 とにかく、茨姫にもらった石さえ肌身離さずにいれば、諸々のことはなんとかなりそうな感じだ。それに好物のショタを鑑賞する機会に恵まれた茨姫が、噓を言うわけもない。

 だけど魔術に関する情報はこれ以上手に入らなさそうだ。

 茨姫が石を持っていればいいというのだから、どこかで必要な時に、役に立ってくれて、魔術師になる必要があった時にも利用できるのだろう。

 その後、春になってから一週間だけエヴラール辺境伯領へ滞在しにきたレジーも、同じ結論に落ち着いた。

「茨姫も、理由があって言えないことがあるようなんだ」

 内密の話をするからと、私はレジーに連れられて城外の小高い丘の上に来ていた。

 露出した岩の上に二人で並んで座ると、彼が冬の間にまた成長したことがわかる。秋には既に私より頭半分以上背が高かったのに、頭一つ分は背丈に差ができていた。私だって少しは身長が伸びてるのに。

 顔立ちも鋭角的になってきて……以前の天使みたいな美しさから、神像の美しさに移行した気がする。肩幅も増して、真正面に立つと小さめの私には壁みたいに大きく見える。雰囲気もだいぶ大人びたものになっていた。

 アランも成長痛らしきものに悩まされながらぐんぐん伸びていったので、ある程度は想像していたけれど……なんだろう。初めて見る人みたいに感じて、気恥ずかしくなる。

 そのせいで、出かける前から調子が狂って困っていた。

 馬に一緒に乗ろうといわれた時は、自分一人でも大丈夫と言えるようになっていてよかったと胸を撫で下ろしたのだ。

 この岩に腰掛ける時も、距離をとろうとしたのだが、そこはレジーにあっさりと間を詰められていた。

 十四歳の頃、茨姫の森で並んで座った時と変わらない距離であることが、心の底を微かにくすぐる。

 それを悟られないよう、私は平気そうな顔を装って返事をした。

「縛られてるっていうと、魔術師には何か制約があるとか?」

「そうみたいだね。でももらった石があればと言うのだから、何かあってもひどいことにはならないと私も思うよ。……それで、キアラは魔術に手を出さずに大人しくしていたんだろうね?」

「う、うん。ていうか調べようもないし」

 大人しくしているというより、手も足も出ないというのが正しい。

 ここだけの話だが、実はこっそりと魔法が使えないかと試してみたこともある。魔法の技名を口にしても何も起こらず、しかもマイヤさんに目撃されるという恐ろしい黒歴史を刻んでしまったのだが、絶対レジーには言わない。

「そう? アランからも一応暴れてないとは聞いているけど……心配なんだ」

 レジーは表情を曇らせて、岩の上をなぞる私の手に、自分の手を重ねてきた。

 ……うぉぉ。これ、すごく恥ずかしいんだけど!

 だって離れてはいるけど、君の護衛騎士二人がこっちをじっと見てるんだよ?

 二人の視線から隠れるように手に触れるとか、何この秘密の関係っぽい感じ!

 春の陽射しに照らされても、生ぬるい温度にしかならない岩と違って、レジーの手が温かい。そのせいで心臓がばくばくした。全力疾走したみたいに脈拍が激しくて、なんだかめまいがしそうだ。錯乱しかけた私はつい素直に尋ねてしまう。

「それで、えっと、レジー、この手は……なんで?」

「ああ、確認だよ」

「何の!?」

「君はまだ知らなくていいよ」

 何その意味深な言葉! 意味深だってのはわかるけど、わけは全くわからないんだけど!

 そんなレジーの滞在は一週間だったので、あまり長く話すこともできずに彼は去っていった。

 けれどさすが頭のいい人だ。

 この往復路で、二つの貴族家を訪問して味方にしてしまったらしい。アランが伝聞で教えてくれた。どこの貴族家かと思えば、ゲームで中立だったがために、容赦のないルアインの侵攻に後れをとって滅亡した家だった。

 もちろん王宮にいる間に、旗色を鮮明にさせるための種をそれなりにまいていたのだろうが、それでも中立の方針を貫いていた家の意見を覆させたのだ。私にとっては魔法のような仕業としか言いようがない。

 一体どうやったのか、今度会った時に聞こう。って……

「あと、半年?」

 レジーの死ぬ運命がめぐってくる秋まで、あと半年しかない。

 次に彼がやってくるのも、ゲームのとおりならば半年後になる。

 そう思うと焦りが心を支配し始めて、たまらない気持ちになる。でも私にできることは、茨姫を信じてペンダントにした件の赤い石を身に着け続けることぐらいだ。

 唯一の情報源である茨姫からこれ以上聞き出せないとなれば、私はじっと待つことしかできない。エヴラール領を勝手に出ることもできないのだから。

 そして初夏。

 今まで何事もなく過ぎたことで、誰もが油断していたのかもしれない。

 ベアトリス夫人に同行して、領地の北にある辺境伯の分家を訪ねていた私は、そこで新たな事態に遭遇することになる。