「お前は馬車の中で眠っているところを発見された」

 うんそれは理解できる。ウトウトしているところまでは記憶にあったから。

「夜中に荷馬車から引きずり出しても、お前は目覚めなかった。話しかけても揺すっても起きなかった。とりあえず不審者だからな。持ち物を改めさせてもらった。そうしたらお前の持っていたこの手紙に、薬が塗られていることがわかった」

 アランが差し出したのは、パトリシエール伯爵から送られてきた、結婚通告の手紙だ。

「え……なんで、手紙に……?」

 そこまでする必要があるのかと恐れおののいていると、アランが言う。

「キアラ・パトリシエール嬢。君が手紙に書かれている結婚から逃げ出さないように、眠らされることになっていたんだろう。けれど薬が効くより先に、君は逃げ出した。パトリシエール伯爵は、君が逃げ出しかねないと考えて、先手を打っておいたのだろう」

「う……」

 確かに私は手紙をもらってすぐ逃亡した。

 なにせ養女で、肉親の情はない。だから政略結婚が壊れてもかまわないと考えて、すぐさま逃亡を決意したわけだ。もう十四歳になったのだから、がんばれば自分一人でも生きていけるかもしれないと、そう思って。

 しかしまさか、政略結婚のために薬で眠らされて連れ戻される手はずになっていたなんて。……クレディアス子爵って同年配の男から見ても、薬で縛り付けないと結婚を承諾しないと推測できるほどひどい男だったのか。

 逃げてよかったと思ったとたん、安堵やら衝撃やらで、私はがっくりとうなだれてしまう。なんか、疲れた。

「大丈夫?」

 まだ手を握ったままのレジーが、親切にも尋ねてくれる。

「……気絶したいです。けど、そしたらまた面倒をおかけしてしまいそうで、耐えてます」

 人事不省になった人間は、運ぶのも厄介だろう。ただでさえ一度、眠りこけていたのを寝かせてもらったりしていたのだ。これ以上、悪印象を持たれたくない。

 だから必死に耐えていたら、またレジーがふき出す。本当によく笑う人だな……。

 その後、私は彼らに事情を話すことになった。

 お金で買われて養女になり、手紙に書いてあるとおり結婚させられそうになったが、相手の評判が悪すぎて逃げ出したことを。

 前世の記憶とか、ゲームの記憶がーなんて話せるわけもない。なので肝心要の「悪役になって死ぬとかカンベンして!」という話はできなかったのだが、養女として買われた身だという話だけで、私が強制的に結婚させられそうになった理由に納得してくれたようだ。

 世の中に情を持たない親子はたくさんいるだろうが、血の繫がらない親子だと聞けば、薬まで使って逃げ出さないようにされたことも、理解しやすかったのだろう。

「しかし一人で寮を飛び出して、どうする気だったんだ?」

 呆れたように言ったのは、私と対面するような位置にある寝台に腰掛けたアランだ。

 彼は私より一つ年上の十五歳。

 どうりで彼のことを知らなかったわけだ。学校の授業はたいていが男女別、もしくは年齢別になっていて、ごくわずかな神学の時間だけが男女合同の授業だった。誰がいるのやら、よほど興味があって調べるでもしなければ知りようがないので仕方ないと思う。

「路銀も一応あるし、どこか別な領地の片隅で、縫い子でもして暮らしていこうかと……」

「その前に、どこかの路上で人攫いにあうでしょうね」

 ぼそりと言ったのは、無表情な青年ウェントワースさんだ。アランの護衛騎士だという。

 ウェントワースさんの言葉はまったくもって正論だが、私には他にも逃げねばならない理由があるわけで。

 ……内緒にすることが多いって、あれこれと素直に話せなくて結構面倒だな。

 誤魔化すために目をそらしていたら、レジーという名のアランの従者が言った。

「結婚しても、道端で攫われるのと変わりない状況になっただろうけどね」

 確かに。見知らぬ人に売られるか、噂を聞き知ってる身元の確かなトンデモ親父に売られるかの差でしかない。

「どっちへ転んでも、泥沼に落ちるのだけは間違いないですね」

 レジーのおかげで、ウェントワースさんもそれ以上追及してくることなく、口を閉ざした。よしよし、レジー君ありがとう。

 それにしてもレジーは変な人だ。

 従者だっていうのに、主であるアランにもへりくだった様子がないし、何か複雑な出自の末に貴族に仕えることになった人なんだろうか。

 不思議には思ったが、彼らとはここまでの縁だ。追及すまい。むしろ関わっちゃいけないのだと思っている。なにせアランの名前だけではぱっと思い出せなかったのだが、私は彼の家名を聞いて悲鳴を上げそうになったのだ。

 アラン・エヴラール。エヴラール辺境伯の子息だという彼。

 レジーのことも見覚えがあるなとは思ったのだが、それはアランも同じだった。

 その原因は、教会学校で見たからというわけではなく、ゲームの主人公だったからだ。

 ……ゲームよりも幼い顔立ちなので、気付くのが遅れたんだよ。

 ゲーム開始時の彼は十七歳だったはず。今はまだウェントワースさんの顎までしかない身長がもっと伸びて、顔立ちも今よりずっと大人びたものになるのだ。

 男子の顔立ちって、中学生から高校生になったら、やたら大人っぽくというかごつい感じになってくるもんね。それにゲームのアランはもっと陰がある表情だったのだ。まっすぐ前しか見る気はない、みたいな。

 あともう一つ、アランって名前でぴんとこなかった理由がある。アランという名前がそれほど特別ではないからだ。教会学校で時々話をしたご令嬢の兄弟にも、二人ぐらいアランという名前の人がいた。

 おかげで「あー、この人もアランさんなんだ。生まれた当時流行してたのかなー」と適当に考えてしまっていたわけで。

 そういった理由で、まだ悪役にはなってないものの、一緒にいるのはなんか居心地が悪い。だって順当に(?)進んでいたら、私を殺すはずだった相手なんだから。

 それにゲームのようなしがらみはないけど、無賃乗車した身だ。やっぱり身の置き所がないような気がして、私は再び別れを促した。

「あの、とりあえず勝手に乗ってすみませんでした。身動きできないのも、そのうち治るでしょうし。ご予定があるでしょうから、どうぞ私を置いて出発なさって下さい」

 私が眠りこけていたせいで、日は大分高い位置にある。もうすぐお昼じゃないかな。

 きっと予定に支障が出ているはずだ。だから先に行ってくれと申し出たのだが、なぜか彼らは受け入れてくれなかった。

「でも、眠り薬まで使って学校から連れていかれる予定だったんだよね? ちょっと逃げたぐらいで、君の養父は諦めてくれるのかな?」

 不穏な言葉を口にするレジーに、アランが渋い表情をする。

「ただでさえ教会学校を出入りする者なんて少ないんだ。女の足で行ける場所を探しても見つからなかったら、同じ日に出発した僕達にも接触してくるだろう。おまけにあっちは使った薬の効果をよくわかっているはずだ。まだ効果が切れてない以上、道端に倒れていないのなら、宿に泊まっているだろうとしらみつぶしに探すだろう。お前、ここにいるとすぐ見つかるぞ?」

「う……」

 アランの言うとおりだ。

 眠らせたところを連れていくつもりなら、昨日のうちにパトリシエール伯爵は迎えを寄越しているだろう。すぐに私がいないことはわかってしまっただろうし、学校に近い町を探すのなど、それほど時間がかかるものではない。

 とはいえ私はまだ足を動かせない。

 どうしようかと頭を悩ませる私の耳に、ため息が聞こえた。

「正直、わけあってこちらも不審者を抱えたくはないんだが……」

 アランがちらとレジーに視線を向ける。

「私はいいと思うよ。それに君は優しいからね。足が動かずに狩られるのを待つだけの子羊を、見て見ぬ振りなんてしにくいだろう?」

 誉め言葉のはずなのだが、それを聞いたアランが顔をしかめた。

「お人好しだと言いたいんだろう。だが、それを薦めるお前も、相当なお人好しだと思うぞ」

「そう?」

 レジーはけろっとした表情で返した。

「だって、彼女を抱えることになるのはアラン、君のエヴラール辺境伯家だからね」

「警備上も秘密を守る上でも、余計な拾い物をするのはあまり褒められたことじゃないんだぞ?」

「わかってるよ。でも君だって、彼女を放り出すのは気分が悪いだろう?」

「ふん」

 アランは何か言いたそうにしながらも、レジーの言葉を否定も肯定もせず、私に向き直る。

 その頃には、私もさすがに察していた。

 どうやらアランが、私になんらかの手をさしのべてくれる気でいるらしい。遠くの町まで馬車に乗せていってくれるんだろうか。

 じっとアランを見つめると、彼も私が期待でいっぱいになっているのがわかったのだろう。

「そう喜ぶな。お前にとってはあまり歓迎できない話かもしれないぞ」

「でも、聞いてみないとわからないですし!」

 だから早く話して下さいな。そう言うと、レジーが「薬を盛られたはずなのに、落ち込みもしないし、ずいぶん前向きな人だなぁ」と感心したようにつぶやいた。

 だって落ち込んでなんていられない。逃げるのが先で、泣くのは後だ!

 そう心の中で答えながら待っていると、アランがため息交じりに告げた。

「お前の逃亡に手を貸してやらなくもない。お前が望むのなら、僕の家で雇ってやる。適当な町で放り出しても、身を持ち崩すのが関の山だろう。寝覚めが悪くなるぐらいなら、連れていったほうがマシだからな」

 雇う? てことは、主人公側の人間になるってことだ。なら、悪役になる可能性も低いと判断した私は、即答した。

「もちろんいいです! ぜひよろしく!」

「話を最後まで聞け」

 勢い込んで返事をすると、アランにストップをかけられた。

「うちで働く場合、パトリシエール伯爵といざこざを起こさないよう、お前の身分も家名も伏せてもらわなければならない。うちとパトリシエールは仲がいいわけではないからな」

 パトリシエール伯爵は昔飛び地としてルアイン側に領地を持っていた関係で、ルアイン寄りの人間だ。それもあっていずれ敵対するのだが、ルアインと戦う前線地でもあるエヴラールとは元から関係が悪いのだ。

「お前の存在を隠すために、平民の仕事をさせるかもしれない。それが嫌でも、許可なく領地から出ることは許さない。情報を漏らされては困るからな。決まりを破ったら、即牢屋行きだ。それでもこの話を受けるか?」

 念を押されたが、私にとっては願ってもない内容だ。アランの領地から出なければ敵役になる可能性はぐんと下がる。

 何より、馬車に無断で乗った女を寝台で眠らせてくれたあげく、今まで無体なことなどしなかった。きっとエヴラールの人々は紳士が多いのだろう。

 まぁゲームの主人公だもんね。品行方正に決まってる。

 しかも領主の元で雇われるなら、町でお針子仕事をもらって生活するよりも実入りが多いだろう。こんな好条件で安全な勤め先は他にない。

「問題ありません、ぜひエヴラール家に就職させてください! 平民扱いってことは家名は邪魔ですよね、ぽいっとします! 名前も変えたほうがいいですかね? ご要望があったらそうしますよ!」

 満面の笑みでそう言えば、アランは毒気を抜かれたように呆然とした表情で「本気か……」とつぶやき、ウェントワースさんが目を丸くした。

 そしてレジーは、またしてもお腹を抱えて苦しそうに肩を震わせ始める。

 アランはそんなレジーを見て、困惑しているようだった。普段はこの人、そんなに笑わない人なんだろうか?

 

 そんなわけで私はエヴラール家に就職が決まり、私を連れて出発した一行は、北東へ街道を進んでいた。

 まだ歩けない私は、荷馬車の中に座らせてもらっている。

 その時にウェントワースさんというあの青年騎士にお姫様だっこで運んでもらったんだけども、あれ、結構恥ずかしいね……。ただでさえ動悸・息切れで薬がほしくなるのに、レジーやアラン他、騎士の皆さまに見られている中というのは気まずかった。

 けれど持ち上げてもらって、なぜ足が上手く動かせないのかがわかった。痺れて感覚が全くなかったのだ。おかげで膝裏を支えられているのに、触られてる感触がないまま足が浮いてる状態で、気味が悪かった。

 ちなみに乗車する馬車も、本当は女の子だからアラン達と一緒の馬車に……とも言われたのだが、私が断った。平民扱いにするって言われたし、それなら仕える家のお坊ちゃまと同乗とかありえないんじゃない? と考えたのだ。

「それにしても、レジーって誰なんだろ……」

 湧いてきた記憶の中にあるゲームに、レジーのような人はいただろうか。

 結構大まかなことと、メインになる戦闘や攻略のことしか覚えていないせいで、見覚えがあるのに思い出せない。でもあれだけ主人公と親しいんだから、ゲームに出ているはずなんだけどなぁ。

「戦闘シミュレーションで、従者の出番がないから、なのかな?」

 そう考えると納得できる。あのゲーム、簡単な会話とかちょっとしたシーンのアニメーションは出てくるけど、それ以外は本当にストイックに戦闘ばかりのゲームなのだ。

 その可能性が高そうだと思いながら、私はようやく感覚が戻ってきた足を少しぱたぱたと動かす。

 実は荷台の箱を少し動かしてもらった上、ちょうどいい高さの箱の上に、クッションを敷いてもらっている。

 最初は足の力が入らなかったせいで、馬車が揺れるたびに転がり落ちそうになっていたが、一時間も経つと足も動かせるようになった。

「それにしても、やっぱり逃げてよかったわ」

 眠り薬のことを聞いて、しみじみと自分の判断は正しかったと思った。

 あの時逃げなかったら、危うく昏倒したところを「家の者でーす」とやってきた人間に回収されて……ああ、その先は考えたくない。王宮に勤める前提とはいえ、しばらくは年上すぎるおじさんの慰み者になりかねない状況だったんだから。

「ああ、だからかな……」

 ゲームのキアラが王妃に言われるがままに戦ったのは。

 そんな目に遭ったら精神的にどん底に落ちるだろう。その上で、王妃の側にい続ければ婚家に戻らなくて済むとなったら、王妃に依存して離れられなくなるのも当然だ。

 ……むしろ、パトリシエール伯爵がそうやって王妃に懐くよう仕向けた、とも考えられるので、あのおじさんの顔を思い出してぞっとしたわけだが。

 

 考え事をしているうちに、お昼になった。

 私もパンに切れ目を入れて、炙った肉をはさんだものを渡されて口にした。ちょっとぱさついているのは仕方ない。水で流しこんで一息ついたところで、私の視界に入る場所にレジーがやってくる。

 少し離れた場所でレジーは手招きしていた。周囲の騎士達も、それが見えているのに何も言わない。

 何の用事だろうと、私は素直にレジーの元まで歩いていく。

 彼は道を外れた木立の中に私を連れていった。秋の晴れた空が見える林の中は、乾燥した空気の中に降り積もった落ち葉の香りが漂っていた。こんな場所で何の内緒の話をするのだろう。

 首を傾げていると、立ち止まったレジーが微笑みながら言った。

「……君の脚。見せてくれる?」

「え、ええっ!?」

 脚見せてくれって何?

 だってこの世界で、十歳以上の女の子は足首から上は露出しちゃいけないし、うっかり見られたら「破廉恥な!」って叱られるんだよ? 見せてほしいって言われるシチュエーションなんて、色ごとが関係することぐらいのはずだ。

 はっ……まさかレジーって、こんな綺麗な顔をしておきながら、若い身空で女の子をつまみ食いするとんでもない人なんだろうか。

 怖くなって、私は一歩後退る。

 男女のことについて予備知識はあるものの、前世の記憶もなんでか十四歳止まりの自分だ。男女関係のごにょごにょ……な経験などないし、冷静に対処する方法が思いつかない。

 あと、前世知識では不埒な人間は突き飛ばして逃げてもいいことになっているが、身分の上下がきっちりしているこの世界で、平民扱いをオッケーした後の自分が、お坊ちゃまと親しい従者のレジーを殴ってもいいのだろうか?

 考えた結果、私はさらに一歩下がる。けれどレジーも同じだけ距離を詰めてきた。

 何歩か後退を続けた末に、私の背中が木にぶつかる。レジーは逃げられないように囲い込む形で、両手を私の肩の横に突いた。

 私は線路の遮断機を思い出した。脳裏にカーンカーンという「列車が通りますよ」な音がよみがえる。もう逃げられないと悟ったとたん、身体が震え始めた。

 するとレジーが小さく笑ってささやいた。

「ナイフと、瓶かな?」

 彼の言葉を聞いて、はっとする。

 脚に、そういえばナイフと毒薬の瓶を装備したままだ。さっきまで足の感覚がなかったせいで、すっかりそのことを忘れていた。

 他の誰にも指摘されなかったのは、スカートの下のガサガサとかさばるパニエ越しの上、小ぶりの品物だったおかげだろうか。

 けれどレジーは物騒なものを持っていることに気付き、脅して取り上げようとしているのだ。

「ウェントワース達に知られると、もっと厄介なことになるよ」

 続く彼の言葉から、私の推測は正しかったとわかる。

 しかもレジーは、今大人しく武器を提出したら、他の人には言わずに見逃してくれるようだ。おそらく「脚を見せろ」というのは、隠さないことで害意がないことを示せ、という意味だろう。

 そこまで理解して、私はかっと顔が熱くなった。すごい思い違いをしていた。めちゃくちゃ恥ずかしい。だって今の対応、完全にレジーが女として自分に興味を持ってると決めつけたものだった。そうじゃなかったのに!

 申し訳なくて泣きたい気分になりながら、私は蚊の鳴くような声で告げた。

「あの、後でお渡しします……」

 今後のことを考えても、レジーに自分は敵ではないとわかってもらわなくてはならない。だから素直に武器を引き渡すが、今すぐは難しいと話す。

 だが、彼の口から思いがけない台詞が飛び出した。

「今ここで外して?」

 思わず彼を見上げると、レジーは実に優しそうな笑みを浮かべたまま繰り返した。

「私の目の前で外してほしいな。ちゃんと武器がそれで全部か確認したいんだ。私に無理やりはぎ取られるよりは、良心的だろう?」

「う、うう……」

 レジーの言うことは正論だ。昨日今日会ったばかりの人間が何もしませんと言ったところで、信じられないだろう。私も言うとおりにはしたいが、見られた状態でスカートを持ち上げるとか、どんな羞恥プレイよ!?

 しかし拒否したらマズいことになる気がする。だから私は、現世の慣習に染まった意識を変えようと試みた。

 どうせスカートの下にはふくらはぎまであるドロワーズをはいているのだ。革ベルトもドロワーズの上から装着してるし。前世基準でいうなら、スカートの下にジャージを着てるような状態だ。素足をさらすわけではない。

 そうだよ、前世なんて太腿露出しまくった短パンとかはいて外歩いてたんだし! プールや海だと下着同然の水着姿さらしてたんだよ。

 ……よし、あまり恥ずかしくない気がしてきた。

 それでも最後に残った羞恥心から、一言レジーに断って後ろを向いた。

「ちょ、ちょっとお待ち下さい」

 私が従うと察してくれたのか、レジーも両脇についた手を離して一歩遠ざかってくれる。

 ほっとしつつ、極力レジーから見えないように、太腿に巻き付けた革ベルトを取る。

 スカートを持ち上げる関係上、後ろにいるレジーにもふくらはぎまでは見えてしまっただろうけど、なんとか膝上の露出は死守した。

 私は急いでスカートを直し、はい、と革ベルトごとレジーに渡す。

 受け取ったレジーも、それ以上確認させろとは言ってこなかった。……まあ、それ以上不審物を身に着けてないことを、先に確認してたのかもしれない。

 ってことはあれか? レジーはあちこち見たってこと!?

 今更ながらに気付いた私が羞恥心で叫び出しそうになっていると、レジーが尋ねてきた。

「なんで君はこんなものを持ってたの? 一人で外を歩くから用心しようというのはわかるけど、貴族令嬢は普通持ってないよね?」

「その……養父のパトリシエール伯爵が、どうしてかナイフでの戦い方を教えた上、学校へ入る時に毒薬を私に持たせたんです」

「……ふうん?」

 今更隠すようなものでもないと思うので、素直に私は答えた。とても興味深い話だったのだろう。レジーは真剣な表情になる。

「学校に持っていった後は、どこに捨てたらいいのか困ってそのまま……。けど、今回は一人旅をするつもりだったんで。護身のために持ってきたんです」

「確かに一人旅は危険だろうね。私でも護身用に何か持つだろう……わかったよ」

「あの、本当に信じてくれますか? 決してアラン様やレジーさんに使おうとか、そんなことは考えもしませんでした」

 私はぎゅっと両手を握りしめてレジーを見る。

 わかったとは言ってくれたけれど、毒薬とナイフを隠し持っていたのだから、私の話を信じてくれるかどうかはわからない。警戒を強めてしまっているのではないかと不安になる。

 危険な人間だからと、どこかに置き去りにされるのならまだいいが、エヴラール辺境伯領に着いたとたんに牢屋行きにでもなったら……あげくに一生出してくれなかったら。悲惨な最期を遂げるのが嫌で逃げたはずなのに、元の木阿弥になってしまう。

 それを恐れてレジーに聞いてみたのだが、

「君が素直に出してくれなかったら、いろいろ対応を考えなければならなかっただろうけどね。でもキアラ、君は自分の羞恥心よりも私に信用されるほうを選んだ、そうだろう?」

 レジーの微笑みに、私はようやく理解した。

 彼は無茶な要求をしても従うかどうかを推しはかるために、目の前でスカートの下の武器を外せと要求したのだ。

 彼らの信用を失わずに済んだようで、ほっとする。

 その後、レジーは私の手を引いて、近くを流れている川の側まで移動した。

 毒薬はレジーが匂いを嗅いで確認したところ、草木を枯らすようなものではなかったらしい。適当な木の根元に中身を空けてしまう。

 その時に、庭に捨てて局所的に草木を枯らしたら大騒ぎになるかと思って、捨てられずに困っていたと話すと、レジーはくすくすと笑った。

 それからナイフと革ベルト、空き瓶を、レジーは川の深い場所を狙って投げ捨てた。

 身を守る道具がなくなってやや不安にはなったが、少しほっとする。前世の記憶がよみがえったせいなのか、どうも物騒なものを持ち続けるのは、心臓に悪いのだ。

 すると、レジーが私の顔を見て目を見開いた。

「護身になるものを捨てられたのに、なんだかすっきりしてるみたいだね」

「……そうかもしれません。なんか、これでいよいよ伯爵家から遠ざかることができた気がして、せいせいしてるからかも」

 素直にそう言うと、なぜかレジーは私の頭を撫でてくれた。

 柔らかく撫でられる感触に懐かしさを感じた。

 こんなふうに撫でられたのは、いつ以来だったろう。今世の母が亡くなるまでのことではなかっただろうか。あのろくでなしな父は、そもそも私に構ったりしなかったから。

 亡き母をしのんでいると、レジーは私の手を引いて言った。

「さ、戻ろう」

 私はうなずいて、素直に彼の後をついていった。

 

 その後、レジーは休憩時間になると私を構いにきてくれるようになった。

 それどころか手を引いてアランや騎士達がいる場所まで連れていき、談笑の輪に強制参加させたりもした。

 どうもレジーは、私をみんなと交流させようとしてくれているらしい。ナイフ等を捨てたことで、レジーは私に対して警戒を解いてくれたのだろう。

 アランや騎士達も、最初こそどう接していいのか戸惑っていたようだが、二日経つ頃には私という存在に慣れてくれた。

 主に学校の話をするのだが、数々の私の失敗に彼らは笑ってくれたし、アランから勉学の質問をされて、真面目に勉強していなかったこともバレてしまった。

「お前……そんなんで成績大丈夫だったのか?」

 アランには本気で心配された。でも結果的に必要なかったし、放っておいてくれないだろうか。

 そんな和やかな雰囲気の中、私はぼんやりと馬車に揺られて移動を続けていた。

 しかしこの世界には、魔獣なるものが生息している。突風を吹かせられる狼とか。禿鷹が、その鳴き声で一瞬こちらの動きを止められるような力を持っているとか。

 ファンタジーだ。

 旅を続けて数日経った頃に出会ったのは、そんな魔獣の一種だった。

 私達は岩が転がる草原を横切っていた。道の先にあるのは深い森だ。道中、騎士達は周囲を警戒していた。けれど敵が動物らしい姿ではなかったこと、森ではなく草原からやってきたので、警戒しきれなかったのだろう。

 ざわりと、草の波が大きく揺れた気がした。

 強い風が吹いたのだろうと、私はなにげなく馬車の後部から外を見て、

「わ、わわっ!」

 驚いた。だって、草原の上にバチバチと火花が散っていたからだ。

 電気だろうか。紫電が草原の上を走り、あちこちで火花を散らし始める。

「雷草だ!」

 誰かが叫んで、正体がわかる。草の先を触れあわせて静電気を発生させる草……いや、動物か? 球根から生える根で歩いて移動するらしいと聞いたが。

「わ、ホントだ。そしてこっち来る!」

 めきょ、と自分の根を持ち上げた草が、もぞもぞ移動してくる。しかも静電気でバチバチさせながら。

 球根部分の皺が、なんか好々爺の顔に見えるのが微妙だ。馬車の中に思わずひっこんだ私は、火花が飛んでこなさそうなことに安心したが、繫がれた馬のことを忘れていた。

 甲高いいななきが響き渡る。

 馬車との連結具が繫がったまま馬が跳ねたのか、馬車がぐらぐらと左右にゆさぶられた末に、後部の幌から私は投げ出された。

「痛っ……ひぃぃ!」

 やわらかな草の上に落ちたのとかさばるパニエのおかげで、尻餅をついたくらいの痛みだけで済んだ。

 けれどすぐ目の前に、根っこをずるずる動かしながら進軍してくる、球根付きの草が迫ってくる。転がっている私には、腕の長さほどの全長がある雷草が、とても大きく見えた。

 慌てて逃げようとするが、突然のことに足が震えて立ち上がれない。無様に四つん這いで移動したものの、馬車は離れた森の手前にいた。

 そんな私の腕に、バチッと静電気の火花が当たる。

「痛っ、あちちっ!」

 ヤケドしたかもしれない。けれどその痛みで恐怖が頭からふっとんだ。立ち上がった私は、脱兎の如くその場から逃げ出す。

 暴れる馬を抑えるのと、アラン達のほうに雷草が近づくのを防いでいた騎士達が、一人で走る私にぎょっとした顔をする。

「え! 落ちたのか!?」

 どうやら私が落ちたことに、気付いてもらえていなかったようだ。

「とにかく後ろへ!」

 隊長格であるウェントワースさんに指示されるまでもなく、手綱を引いて馬が逃げ出さないようにしているアランとレジーの側に行く。

 息を切らせながら座り込んだ私を見て、二人も目を見開いた。

「え! 乗ってなかったのか!?」

「落ちたんですよ……」

 ぜいぜいと息をつきながら答えると、アランが「どうりで静かだと思った……」とつぶやいた。私、そんなにうるさくしてましたっけ?

 とにかく私の呼吸が落ち着く頃には、騎士達も雷草を追い払うことができたようだ。

 木の棒でフルスイングすると、ぺしゃっと気絶してくれる。

 それをなるべく遠くへ放り投げて終了だ。

 ああ、でもなんでこのへんが草原になっているのかわかった。雷草が生息してると、木が生えにくいからだ。物理的に焼け焦げるから。

 ほっとしたものの、街道沿いはまだあちこちでパチパチと火花が散っている。なんだか数が多い。大量発生という奴かもしれない。

「しばらくは道が使えないみたいだね」

 レジーの言葉に、馬車の側にやってきたウェントワースさんがうなずく。

「しかし雷草が収まるまで待つわけにもいかないぞ?」

 アランがそう言って、ちらりと私を横目で見た。まさか、パトリシエール伯爵が脱走した私を追いかけてくるかもしれないから、先を急ぐべきってことだろうか。

 気にしてくれているんだと思うと、なんだか心がほっこりする。知己でもない私を雇ってくれる上、逃げ切れるように配慮してくれているのだ。

 いい人だな。そして申し訳ないなと思った私は、思いついた次善の策を口にした。

「あの、よかったら私だけ森の中抜けていくんで……」

 食料とナイフを拝借できれば、よほどのことがない限りは大丈夫だと思ってそう言ったのだが。

「噓でしょ」

「バカかお前」

「賛同しかねます」

 三者三様の否定の言葉を頂戴した。

「先ほどの雷草からの逃げ方を見ていても、とても一人でどうこうできるとは思えないですね。なにせ、ここは茨姫が棲む森ですから」

「イバラヒメ?」

 ウェントワースさんの言葉に、私は首を傾げる。どこかで聞いたような気がするのだが、こう、はっきりと思い出せない。するとレジーが付け足すように教えてくれた。

「ファルジア王家の始祖の姫君だって話なんだけどね。茨を操る魔術を使う、永遠の命を持つ魔術師がこの森に棲んでるって話なんだ。どうしてか男嫌いらしくて、うかつに奥へ踏み込もうとすると茨に行く手を阻まれるそうなんだ」

 ファルジアの元姫……茨の魔法……男嫌い。それらの単語を聞いて、ハッと思い出す。

「あ……ショタコン姫」

 無意識に私はつぶやいてしまった。

 ゲームに出てきた助っ人キャラ。その森には女性しか入れず、女性キャラを仲間にしていれば参戦してくれる、外見幼女の魔術師だ。

 ただしキャラの設定資料が出た時、短い説明書きの最後に「ショタコンである」と書かれていたせいで、プレイヤー達の彼女を見る目が変わってしまった。

 ──おい、ショタコンかよ! と。

 これにて茨姫が男嫌いではないことが発覚。その後製作者側がさらに明かしたところによると、彼女は小さな男の子を眺めるのが好きで、彼らを怖がらせないよう、自分の容姿も幼くしているとか。少年以外は見たくもないと森の外に放り出すので、森の中は女性しか入れなくなったらしい。

 ちなみに女性には攻撃的ではない。そのため近隣の町や村の人々からは、女しか入れない森と認識されてるそうな。

「でも男嫌いの姫がいるところなら……って、そうか」

 続けて思い出したのは、ここが魔の森扱いされていることだ。

 長年、一人きりで暇をもてあましている茨姫。彼女はペットを飼っているのだ。それも狼から山猫、ネズミまで、ちょっと凶悪系な動物を。

 ペットの餌やりは「森の中にいっぱいあるから狩っておいでー」となるわけで。狩りの邪魔と判断された人間が襲われる。

 男性が入れないので、駆除するのも難しい。よって、ペット達が来ない森の端っこで、女性と子供が木の実などを採取するのが関の山、という魔の森になったわけだ。

 ゲーム設定を思い出して、無理かと肩を落とした私だったが、そこでアランが言う。

「なら外縁を回ろう。ほら、道があるだろう?」

 言われてみれば、外縁部には轍がある。ここで雷草に遭遇した人達が皆、森の外を通っていったのだろう。雷草も日光が当たらない日陰を避けるからなのか、いないようだ。なので皆がアランの案に賛同した。

 そして移動にあたって、私はアラン達の馬車に乗せられた。荷馬車に乗せていてはまた転がり落ちるのではないかと心配されてしまったのだ。

 ……なんか、大人しく乗ってることすらできない子みたいで、大変申し訳ない。

「けど、轍ができるほど馬車が通ったなら、街道が通りにくくなるくらい、雷草が増えてるってことじゃないのかな」

 窓の外を眺めながら言うレジーに、アランが同意する。

「そうかもな。ここの領地を治めてるのはベルトラン子爵家か。対策はしていないのか」

「貴族が通らないなら、掃除しなくても問題ないって感じじゃないかな?」

「かといって、僕達のほうからあれこれとは話しにくい相手だ」

「違いない」

 レジーの横にちまっと座っていた私は、微妙に政治的な臭いのする二人の会話を聞きながら、窓の外の景色を見ていた。

 なにせゲーム画面の俯瞰図とアニメーションの背景で見ていた風景が、現実に広がっているのだ。

 さすがに綺麗に描かれた絵そのままではない。枯れた蔦が垂れ下がっていたり、地面も枯葉が降り積もっている。

 今ちょろっと姿を現して走り去ったのは、リスだろうか。

 生き物の姿を見ると、ああ現実なんだな……としみじみ感じた。

 ぼんやりとしていた私だったが、馬車の横にいた騎士が振り返る姿を妙に思い、その視線の先を追った。

 私からではよく見えなかったけれど、どうやら誰か追ってきたらしい。

 馬車が止まったので、レジー達も異変に気づいた。

「何だ?」

 眉をひそめるアラン。

「誰かに呼び止められたみたいでしたよ」

 私が言うと、その表情が険しくなる。

「うちの馬車を呼び止めた?」

 するとアランは、馬車の前側の座席を上げ、荷物入れにするためか空洞になっているその底板を探る。すぐに取っ手を探し当て、底板を持ち上げた。その向こうに見えるのは地面だ。

「万が一の場合がある。お前とレジーはそこから外へ出ろ。森の中に隠れておけ」

「後で迎えに来てね」

 レジーはあっさりと言って、猫のようにするりと馬車の下の地面に下りる。

 よくわからないが、緊急事態っぽいので私もそれに従った。

 地面に足をつけてから気づいたのだが、これ、うっかりしてたらレジーにまたしてもドロワーズを見られるとこだったよ。かさばるドレスの裾が、空洞を通り抜ける時にどうしてもめくれてしまうから。

 当のレジーは、姿勢を低くして馬車の下に潜ったまま、外の様子をうかがっていたのでこちらを一顧だにしなかった。

 ほっとしながら私はレジーに並んだ。

 馬車の下は狭くて、ほとんど這いつくばる状態だった。外にいる護衛の騎士達の足や馬の足が見える。そして会話も聞こえた。

「ですから行方不明のお嬢様を、もし保護されていらしたらと……」

「保護したのなら、家に知らせを走らせている。いないと言っているのに確認させろということは、貴様は我らを疑っているのか?」

 ウェントワースさんの憤りを感じさせる口調に、相手も怯んだようだ。年齢的にはそれほど高くないのに、ウェントワースさんは背が高くて無表情なので、怖く見えるんだよね。

 ちなみにウェントワースさんと話をすると、頭を上向け続けないといけないので、首が痛くなる。

「いえいえ! ただ辺境伯のご子息は同じ日に学校を出発されたと聞きまして、何かお気づきのことがないかお伺いしたいので」

「アラン様を煩わせるわけにはいかん。それに我らがお迎えに行ったのだ。異変があれば私達でも気付くだろう」

「けれど皆さまは学校内をくまなくご覧になったわけではないでしょう? 本当に困っているのです。なにせ王妃様のご縁戚であるクレディアス子爵の花嫁になられる方でして。もうお式の準備も終えているのですよ」

 へりくだりながらも、しっかりと脅し文句を含ませてきている相手の言葉に、私はぞっとする。王妃の縁戚に不快な思いをさせるようなことがあれば、お前達の領地に何があるかわからないぞと言っているのだ。

「それを言うのなら、我がエヴラール辺境伯家は王の縁戚だが?」

 ウェントワースさんも負けてはいない。

 そうなんだよ。アランの家はというか、彼の母親である辺境伯夫人が国王の姉なので、アランは王位継承権を持っているのだ。格としてもエヴラール家のほうが上ではあるが、なにせ相手は王妃だ。競り合った末に面倒なことになるのではないか。心配していると、アランが馬車から顔を出したようだ。馬車の扉が開く音がした。

「おいウェントワース。一体何があった? なぜ馬車を止めた?」

「はい。パトリシエール伯爵の配下だという者が、ご令嬢を我らが連れ出したのではないかという疑いをかけてきまして」

「何だそれは。貴様、僕を疑うのだから、覚悟とそれ相応の理由があるんだろうな?」

 アランの尊大とも言える口調にも、パトリシエール伯爵の配下は怯みもしない。

「いえ、決して疑っているわけでは。ただ、そうと知らずにお連れになっている場合もあるかと思いまして、少し馬車の中を拝見させていただけないかと……」

 話を聞いている途中で、ちょいちょいとレジーに服の裾を引っ張られた。

 何かと思えば、馬車の下を覗くようにして手招きしている騎士がいる。森のほうにいる騎士の側は、どうやらパトリシエール伯爵の配下とは反対側になるようだ。

 音を立てないよう、慎重に這ってそちらへ出た私とレジーは、急いで森の中へ行くよう指先で指示される。

 一時的に姿を隠せと言いたいらしい。

 パトリシエール伯爵の配下が、馬車の中を覗き込み始めたようだ。森側の馬車の窓はアランによって閉められているので、今のうちだ。私とレジーは森の中へ移動して、ひとまず茂みの陰に隠れる。

 しゃがみこみ、無事に姿を隠せたことにほっとしていると、指先にパチッと静電気が走った。

「!?」

 右手の下を見れば、根っこを自分でひっこぬこうとしている、小さな雷草が一株あった。

 えっこらしょと作業を終えて歩きだそうとする雷草を見た瞬間、私は思わずひっつかんで遠くへ投げてしまった。

 ごめん。馬車から落ちてから雷草に追いかけ回されたことが、結構トラウマになってたみたいで、一秒でも早く自分の近くから排除したかったのだ。

 レジーが目を見開く中、雷草は綺麗な放物線を描いて──馬車の向こうに落ちる。

 バチバチバチ。

 落ちた雷草が、怒ったように火花を散らし、静かにしていた近くの雷草が反応した。

 突然火花が散り始めた状況に、再び馬達が大騒ぎする。いななきが重なり、竿立ちになる馬に騎乗していた者達が焦り、馬車が走り出した。

「ひょあああああっ!」

 馬車から悲鳴が上がったが、アランの声ではなかったので……大丈夫だと思う。

 そして素晴らしい速さで走り出した馬車と、それを追いかける騎士達がいなくなると、残されたのは乗り手のいない怯えきった馬が一騎と、森の側に避難したウェントワースさんと彼が騎乗していた馬だけになっていた。

 ウェントワースさんはさっと馬を森の中に乗り入れると、呼びかけてくる。

「レジー様、いらっしゃいますか?」

「僕はここだよウェントワース」

 立ち上がったレジーを見て、ウェントワースさんは言った。

「申し訳ないのですが、しばらく森の外縁部をお進み下さい。剣をここに置いていきます。馬車を早めに落ち着かせた後で別の者を迎えに寄越します。それまで、森の外にはお出でになられませんように」

「わかってるよ。君は相手と話しているし、人数が少ないから欠けるとすぐに不審に思われるだろうからね。伯爵の配下に気取られないように気をつけて」

「承知いたしました」

 ウェントワースさんは馬に括り付けていた剣をその場に置くと、すぐに立ち去る。レジーはすぐに剣を拾いに行き、自分の腰帯の鞘についている金具で固定した。慣れた様子から、レジーは剣を使えるのだろう。

「どうしてレジーさんも残るんです?」

 みんなレジーのことを大事にしている。なのに、護衛もなしに放置するというのだ。不思議に思っていると、私の所まで戻ってきたレジーが、にっこりと笑みを浮かべて答えた。

「私は君より強いからね。女の子一人を放置するのは忍びないだろう?」

「…………」

 正直、答えになってないと思う。だって私を放置したところで、特に問題はないはず。貴族令嬢としてではなく、平民として雇おうという相手に、そこまで手厚くするものだろうか。

 けど、さっきは私のこと隠してくれたんだよね。あれはトラブルを避けるためだったのかもしれないけど、思えばその時にレジーを馬車から抜け出させたのも変だった。

 私は思わずじーっとレジーの顔を見てしまう。

 学校では、アランの後を追いかけていくのを見た。だから子供相手ならば、そう隠すことはないのだろう。けれど貴族に仕える大人を警戒しているのだとしたら?

 教会学校は義務で通う所じゃない。繫がりを作りたい貴族や、子供達に結婚相手を探させるために入れる場合もある。ほんのちょっとではあっても、男女共学の授業があるので。

 それが必要ない貴族は、通わせない。もしかしてレジーは……。

「……ひゃっ!」

 突然レジーに手で目を覆われて、考え事が全てふっとんだ。

「ぼんやりしてどうしたの? ずっと同じ場所に留まりすぎると、獣が寄ってくる。行こう?」

 私を驚かせたレジーは、目元から手を離すと今度は私の手首を摑み、森の中を歩き出す。

 素手の感触が手首に緩く触れて、私は妙に緊張してしまった。

 手を摑まれたのは初めてじゃない。寝台からころがり落ちた時にも、レジーに手を摑まれて吊り上げられたわけで。急に顔に触れられたせいで、変に意識してしまったのだ。

 で、でも騙されないんだから、と気を引き締める。たぶんレジーは、私が彼を凝視していたので、詮索されたくないことに気付きそうだと思って、わざと驚かせたのだろう。

 でも私の中では既に確信になってしまっているので、びっくりした程度で忘れたりはしない。

 ……多分レジーは、貴族だ。

 しかも侍従というのは本当のことではあるまい。周囲とアランの対応から、今は「侍従の役」に甘んじているだけに違いない。

 だけど、アランと同年代の友達の貴族ってゲームにいただろうか?

 ゲームの記憶はところどころ曖昧だ。攻略順路とパーティー編成と、騎士をどこに配置するとかまで覚えてるっていうのに、他が微妙で困る。あの時は本当に、いち早くクリアするのが楽しかったんだよ……。台詞も半分くらい読み飛ばしたし。勝つことが楽しくて楽しくて。

 そんな私の記憶では、アランの仲間になる人というとお年を召された男性か、酸いも甘いも嚙み分けた頼りがいのありそうな青年期終了間際の人が多かったような……。

 内心で唸りながら考える私を連れて、レジーはまず森の奥へ向かった。

 森の外縁を回る道から、万が一にも姿を見られないようにするためだろう。

 暴走した馬車に乗っていたパトリシエール伯爵の配下が、森の外縁を回って元の地点へ戻ってきたら、見つかってしまうかもしれないものね。

 私はレジーに大人しくついていった。

 森の中を歩くなんて、人生でそうそうないことだ。前世では夏休みとか、山登りなんかで木で囲まれた場所を歩きはしたけれど、なにせここは静電気を発生させる変な草が生えてる世界だ。知識がある人に従ったほうがいい。

 案の定、触ると怪しい紫の煙を吐く草に近づきそうになって、レジーが慌てて手を引いて逃げてくれた。

「君、なんで、あんな怪しいものを、わざわざ、触るの……」

「ご、ごめんなさい」

 さすがに息を切らせたレジーに、私は謝る。

 触った草というのが木に蔓で巻き付いていて、ブドウみたいな実が生っていた。しかも甘い香りがして、美味しそうだなと思いながら触れてしまったのだ。その直後にレジーが私の行動に気付き、ブドウっぽい実がはぜて紫の煙が噴射される前に引き離してくれたのだ。

「あれ……毒なんだよね。軽いけど、痺れるんだよ」

「痺れ……うわぁ」

 こんな森の中で痺れて動きが鈍くなったら、間違いなく獣の餌になってしまう。

「お、お世話かけました……」

 私も言葉の合間にぜいぜい言いながら謝る。本当に最近は謝ってばかりだ。

「まぁ、今後気をつけて」

 ため息交じりながらも、レジーはそう言ってくれた。

 迷惑だとか、本当にわかってるのかとか責めてこない彼は、結構寛容な人だ。私の実家は言わずもがな、これが伯爵家だったとしても「せっかくいい生活をさせてるんだから言うことを聞け!」と物を投げつけられてもおかしくなかっただろう。

 でも走ったせいで喉が渇いた。

 ただでさえ直前に雷草に悲鳴を上げたりしたので、声がガラガラになりそうだ。水がほしい……と思った私は、ふいにバチッという放電の音を聞き、あたりを見回す。

「こんな森の中にまで雷草がいるのかな?」

 レジーにも聞こえたようで、雷草を探すように首をめぐらせていた。やがて私よりも目がいいのか、音の発生源を見つけたようだ。

「あっちだ」

 レジーに手首を摑まれたまま移動する。

 やがて見つけたのは、

「水!」

 森の中。ごく低いくぼみになった所に、岩と木の間からさらさらと流れ出す水と、滝壺のように水が溜まった場所があった。それをなんでか、雷草が輪になって囲んでいる。ちょっと楽しそうに見えた。

「ああ、そうか。増えすぎたから、生息範囲を広げようとしてるんだね」

「え、これ、開拓準備?」

 輪になって水場に入れないよう規制してるだけに見えたのだが。

「雷草にも水は必要だからね。開拓するにも水を確保しながら仲間を増やして、光を遮る木を少しずつ焦がしていくんだ。そうして開墾するって聞いたよ。私もこれを見るのは初めてだな」

「でも、森の中から木を焦がしていったら、うっかり火事になりません? 雷草も丸焦げになるような気が」

 火花を散らして電気を発生し焦がすのはわかるが、炭になった木は熱を持っている。倒れた先で乾燥した木や枯葉があったら、引火するだろう。

「そのための水でもあるんだよ。時々あたりを湿らせていって、延焼しないようにするんだ。時には運悪くそのまま火事になって、雷草もろともに炎上するんだけど」

 やっぱりリスキーな開拓方法だな、雷草。

「じゃあ、これって迷惑ってことですよね」

「そうだろうね」

 相づちをうつレジーに、私は「ならば」と提案する。

「この雷草、どけたいですよね」

「どうやって? 剣だと雷草の電気で、こっちの手が痺れてしまうよ?」

 レジーの驚いたような表情に、私はふふふと笑う。

 なにせ水があります。

 電気があります。

 ……実験するべきだと思う。

 しかも上手くやったら、すぐ水が飲める! おまけに湧き水! 煮沸しなくても安全だなんて素敵すぎる。

 喉が渇いて仕方ない私は、急いで大きな石を探した。ちゃんと持ち上げられる程度の石を見つけたが、苔むしている。探し直し、それよりもやや小さいが、表面が乾いたものを発見。今度はそれに生えていた蔦をくくりつける。柔らかいけれどしっかりしたものを選んだので、吊り下げてもすぐにはちぎれないだろう。

 石を抱えた私は、湧き水近くの木の根元に移動するが、雷草は「ここは通さん!」みたいな感じでバチバチして縄張り主張をするのみで、動きはしない。

 レジーが困惑の表情を浮かべる中、私は蔓の先を持って振り子のように動かし、湧き水の溜まった場所へ放り投げた。

 勢いがついているおかげで、石が落下すると大きく水が跳ね上げられた。

 それは周囲の雷草に降りかかり──。

 

「思った以上に派手になっちゃった……」

 水たまりの周囲には、炭化した雷草のなれの果てが転がっていた。それも指先で触れるともろっと崩れる。かかった水のせいで、火花を上げるほどの電気が本体に通電し、黒焦げになってしまったのだ。

 横たわる草の燃えかすに、私は思わず合掌。

「なむなむ……成仏してちょうだいね」

 つぶやいて冥福を祈った後、私は早速湧き水に手を伸ばす。口に含むと実にマイルド。冷たくて美味しゅうございました。

「レジーさんも飲んだらどうですか?」

 そう言って振り返ると、レジーは困惑を通り越して呆然としていた。

 私に呼ばれてもしばらく黙っていたが、やがて笑いだす。彼は水を飲んでからも、まだくすくすと笑い、それから尋ねてきた。

「君、伯爵家の養女だって言ってたけど、前の家は平民? それとも騎士の家とか?」

 たぶん、私の振る舞いがやたら乱暴だったから、貴族の子供じゃないと思ったのだろう。隠す必要もないのでさらっと話す。

「ほとんど平民同然でしたね。準爵士の家でした」

「それなら土地を持ってるんだね」

 準爵士は土地持ち貴族の端くれだ。王家の財政を補塡するため、王様がお金と引き替えに売った貴族位を何代か前の当主が買ったらしい。前世で言うドームや施設のネーミング権に似てる。

「ある程度は……。でも年々切り売りするような有様だったみたいです。それほど貧しかったわけではないみたいでしたが」

 全て伝聞と推測なので、曖昧な言い方しかできない。

 完全に貧しくなっていたら、使用人を雇ったり絹の服を季節毎に新調するのも迷うはずだ。一方で使用人の数は、半年ごとに一人のペースで減っていた。じわじわと資産が減っていたのだろう。

 だから私を養女にする代わりに金銭の提供をするといわれた時には、満面の笑みを浮かべていたのだ。

「キアラって名前は元の家族がつけたもののまま?」

「そうです。私がまだ文字も読めないほど小さかった頃に亡くなった、母がつけたそうで」

 急に私のことを聞きたがるレジーに付き合って、私は休憩がてら、近くの乾いた倒木に座った。レジーもすぐ隣に座ったので、内心ちょっとだけ、気恥ずかしくなる。

 だって今の私の年齢って、前世だと中学生くらいだ。思春期なのでお互いに意識してしまって離れる年頃ではないだろうか。

 でも今生は、そもそも同年代の男子とあまり関わらなかった。継母にいじめられてほとんど家の外には出られなかったし、伯爵家では厳しく使用人達と区別されて、遊ぶとかそんな感じじゃなかったし。学校は基本的に女の子としか話さない環境だった。

 ……なんか学校生活を除いた私の状況って、前世の記憶がうっすらとでもなかったら、コミュ障になってもおかしくなかったんじゃないの?

「君は元の家族のことはあまり話さないね。……亡くなったお母さん以外は、君にあまり優しくなかったんだね」

 避けていることだけで、レジーは察したようだ。

 でも「優しくなかった」と言われて、私はほっとする。大抵の人は、家族はお互いに思い合っていると信じている。だから愛情を持てない場合もあることを、理解してはくれない。

 わりと乳母任せの貴族でさえ、皆、家族は自分のことを思っている、何かあっても、愛情が損なわれることはないと考えているようなのだ。

 あげくに美しい家族の形を押しつけようとする。「そんなことはないわ、きっとお父様だって愛情があるはずよ。だって家族だもの。最後には理解しあえるはず」と。

 そう言われなかったので、すごく安心できた。でも、これを理解できてしまうレジーは……。

「レジーにも、優しくない家族がいるのね?」

 私が言うと、レジーは柔らかく微笑む。

「理解してくれる人がいて、嬉しいよ」

 その瞬間、彼との間に信頼関係が結ばれたような気がした。

 他の人には理解してもらいにくい感情を、分かち合える唯一の人になったからかもしれない。もちろん、レジーが私と同じことを感じてくれたかどうかはわからない。けれど、

「キアラの話、もっと聞きたいな」

 私を知ってくれようとするくらいには、レジーは私に心を許してくれたと感じた。

 そんなふうに、少しほんわかとした気持ちになった時だった。

「あら、私が来なくてもよかったみたいね」

 足音もしなかった。

 気配もなかったのに、その人は唐突に出現していた。

 湧き水の池を隔てた向こうに、銀色の髪の少女が立っていた。

 梳られた艶やかな髪は、真っ直ぐに黒みの強い赤の長衣にかかって、腰まで伸びている。

 紫色の宝石みたいに大きな瞳も綺麗で、うっとりするほど白い肌の上で薄赤の唇が動くのを、私は固唾をのんで見つめてしまう。

「最近、草が増えすぎたのか、縄張りを森の中まで広げようとしてて困っていたのよ。なにせあの草、木を黒焦げにするでしょう? うちのペットがヤケドしたら困るし、森を焼かれたらもっと困るものね」

 まるで知り合いのように語りだす少女の姿に、私は現実感のなさから、何度も瞬きする。

 いくら見直しても、彼女はそこにいる。

「……茨姫」

 彼女こそ茨姫だ。

 森の中で生活しているのに、綺麗に整えられた髪や衣服。絵で見た時はそうは思わなかったけれど、むっとする枯葉の匂いの中では、違和感がすごい。

 彼女を見たとたん、自分の身繕いがしたくなる。馬車から落ちたりした私は、絶対、髪ぼさぼさだよ……。教会学校の制服も黒だから目立たないけれど、枯葉とかくっついてた。

 そそくさとスカートを払う私を、茨姫は驚いたように見ている。

 あれ、私何かしたっけ?

「貴方……私のことを知ってるの?」

 尋ねられて、ようやく意味がわかった。名乗ってもいないのに正体を言い当てたのだ。さぞ驚いただろう。慌てて私は言いつくろう。

「あの、この森には茨姫が棲んでるって聞いてましたし、森の中に急に現れた人を見て……きっとそうだろうと」

「貴方、私の顔を見てそう言ったように見えたけど……」

「いえいえ、滅相もございません」

 違いますよーと主張し続け、ようやく茨姫は納得してくれたようだ。

 多少、疑いの残る表情をしていたが、彼女自身も私に見覚えがないので、追及しようがなかったのだろう。茨姫は私から視線を移した。

「……っ」

 茨姫がレジーを見て息をのむ。

 ──しまった! レジーは茨姫の対象年齢外だ!

「あの! 彼はちょっと発育がいいだけで、まだ十二歳なんです!」

「…………」

 レジーが一体何を言い出すんだ? とこちらに視線を向けてきた。

 うう、変なこと言ったとは思ってるんだよ。けど、ここで恩人のレジーを茨でぐるぐる巻きにされたあげく、適当に放り出されたら困る。だから弁護したのだけど、今度は茨姫までもが無言でじーっと私を見つめてくるようになってしまった。

「貴方、やっぱり私の知り合いか何か?」

 またしてもぎくっとした。うあああ。茨姫が年少男子の鑑賞が趣味だなんてこの世界の人は知らなかったんだった!

「いえいえ。噂を聞いて、そうかなーって」

「どんな噂?」

「えっと、女性か子供しか入れないとか。それなら青年期間近の男の子は嫌だろうなとか。ね? あはははははー」

 追及された私は、適当なことを言って笑って誤魔化そうとした。

「それでこの少年を見た私が怒ると思ってそう言ったの? しかも十二歳ぐらいって限定して、ねぇ……」

「十二歳以上だと小学……じゃなかった、ほら、成長早い子は大人っぽくなるし!」

 必死で言い訳を並べている間、茨姫はややしばらく私をじっと見ていたが……やがてうっすらと笑みを浮かべたのだ。

「そう……貴方、そうなのね」

 何か不穏な表情をしている。美少女がそういう顔をすると、本当に悪女みたいに見えるので怖い。私は内心で身震いした。

「まぁいいわ。とにかく雷草の駆除をしてくれてありがとう。手間が省けてよかったわ。それで貴方達は、森を抜けたいの?」

 雷草を倒したおかげで、どうやら茨姫は私達に好意的に対応してくれるつもりらしい。

「えっと、仲間とはぐれたというか。仲間の側に会いたくない相手がいるんで、別行動をとって、森の外縁を歩いてこそこそとついていこうとしているというか……」

「貴方は本当に茨姫なのですね?」

 そこでレジーが割って入った。直接茨姫に話しかけたことに、私は緊張した。だって守備範囲外の年齢の男性が話しかけて、茨姫の機嫌が急落しては困る。

「そうよ。私はこの王国を原初から見つめる者。私が幼い姿をしているから疑わしいのかしら? でも私はずっとこの姿を保っているだけよ」

 彼女は静かに答えて微笑む。

 意外なことに、友好的だった。茨姫は、本当にレジーが十二歳だと信じたのだろうか?

 首を傾げつつも、丸く収まっているので私は藪をつつかないように撤退しようと考えた。

「あの、それじゃ先を急ぎますんで、これで失礼します」

 前世の記憶の量が増えたせいか、日本人的にぺこぺことしながらその場を去ろうとしたのだが、それを止めたのは茨姫の言葉だった。

「貴方方が合流したいのは、ここから百メル先の森の側に停まっている馬車かしら? 幌馬車と箱馬車の二台でしょう?」

「え、わかるんですか?」

 茨姫はふふ、と笑う。

「森の中と、すぐ近くならば私は知覚できるのよ。住処に悪戯をする者がいたら、すぐに片付けなければなりませんもの」

 言われて私が想像したのは、森の木々に人感センサー付きのカメラが設置されている光景だ。茨姫の知覚って、警備システム並みなんだなと私は勝手に想像したのだが、そんな代物などお目にかかれないこの世界で育ったレジーは、心底驚いていた。

「森の中で起こったことは全てわかると?」

「そうよ?」

 当然のことのように茨姫は答えた。

「その気になれば、森の外のこともわかるわよ? 王族にどんな花嫁が来たのか。花嫁の故郷のことなんかもわかるわ。王都に暮らす人のことも、これから行く先のこともね。それ相応の代償があれば、知りたいことを教えてあげるわよ?」

 全てを見通す魔女のように語る茨姫に、レジーは表情を硬くする。

 ……なんだろう。まるで、言い当てられたくない秘密を暴かれたみたいな反応だ。

「ええっと、先を急ぐので、これで失礼しますね」

 とにかく引き離したほうがよさそうに思えたので、私はレジーの背中を押した。我に返ったレジーが、苦笑いして茨姫の前から立ち去る。私も後を追おうとしたのだが、

「ああ、貴方」

 呼び止められた瞬間、私の手に冷えた指先が触れる。

 ぎょっとして振り返ると、いつの間にかうっすらと微笑む茨姫が私のすぐ側にいた。

 え、テレポーテーション!?

「名前は?」

 驚く私に、茨姫が尋ねてくる。

「キ、キアラです」

 怖くてすぐに答えた私に、茨姫は小さな磨り硝子ガラスを丸めたような赤い石のペンダントを握らせてきた。端のほうにじわりと染みるような黒い色が入っていて、なんか不吉そうな物に見える。

「貴方だけに、特別にあげるわ。なくしたら……どうなるかわからないわよ?」

「え……ええっ!?」

 なんか怖い物を持たされたんだけど! しかも呪いの品っぽいこと言われて、喜んで受け取れないよ! でもここで逆らったら茨姫の機嫌をそこねて、森の中から出してあげないとか言い出されそうで困る。