1章 逃亡します!
「うそうそ悪役とか何なの……。いや絶対夢。夢よ。あははは」
思わず口から乾いた笑いが漏れる。
誰だって悪役になんてなりたくないだろう。悪役の最期なんて、悲惨なものが多いのだから。楽しい人生を送りたいよね? そもそもゲームと同じ世界って何ですかそれ?
でも待って自分、TVゲームだなんて滑稽なものはこの世界にない。きっと脳が夢を見ている時に、変な妄想を作り上げただけ……と思ったところで、気付く。
──この世界らしい考え方でいくならば、鮮明でしっかりと記憶に残る夢って、正夢だと認定されてしまうってことを。
「教会の仕事の一つが、夢解きじゃないのよー!」
近隣の王国に至るまで、ほとんどの人達が信仰しているエレミア聖教。基本的な教えは、清く正しく生きましょうという、よくある代物だ。だけど夢が神からの賜り物と位置づけられ、まるで夢占いみたいな夢解きを真面目に行っているのだ。
例えば「昨日、なんかすごく鮮明にあこがれのカレに告白される夢見ちゃった! きっとカレも私のこと好きなのよ!」と言うと、前世の日本では「夢と現実の区別がついてない変な人だ」と思われるだろう。
しかしこっちの世界で修道士のみなさんに夢の内容を話すと、夢解きの解説書をめくりつつ「相手が貴方を思っているからかもしれませんね」とか大真面目に解説されるわけだ。
とにかく私は正夢じゃない可能性を探して、脳内に増えた記憶を検証してみた。
「そもそもゲームのキアラは魔術が使えたはずだけど、私はそんなことできないし。それに、周りで使ってる人も見たことないんだけど」
魔法がこの世界にあることは知っている。
王宮お抱え魔術師なんてのも時々いるらしく、戦場ではかなりいい戦力になるというが、魔術師は希少だ。好戦的なルアインだって、最近の戦いでは魔術師を参戦させていない。
どうやってなるのかは門外不出で、魔術師からその弟子へと伝えられていくと小耳にはさんだことはある。ただ、悪魔と契約するのだとか噂されているが。なら、ここがゲームとそっくり同じ世界だとしたら、近い将来、私は悪魔と契約させられるっていうこと?
「やだよ悪魔と契約なんて!」
家族には恵まれず、結婚でも恵まれないことは決定している。その上悪魔と関わるなんて、人生ハードすぎない?
他に否定材料はないかと探してみたが、王妃の名前も一致。主人公の家であるエヴラール辺境伯家というのも存在する。隣国の名前はルアインで一致。……もう詰んだとしか思えない。
しかも敵役だ。
ゲームでは、王妃の引き入れた隣国の軍が駐留する砦や町に戦いをしかけると、何回かに一度、キアラが敵として参戦してくる。
巨大土人形ゴーレムを作製して戦う相手を増やして逃げてしまう、面倒な敵だ。
その後、王城の近くまで進んだ頃になって、ようやくキアラと戦えるようになり、主人公と仲間たちが倒すのだ。
呼び出した土人形ゴーレムを倒されると、キアラが誰かの剣で刺し貫かれる様子がアニメーションで表示される。
その殺害シーンを思い出した私は、鳥肌が立ってきた。
「うう、若い身空で死にたくない……ってそうだ。結婚しなきゃいいんじゃない?」
キアラ・クレディアスにならなければいい。今現在魔法は使えないのだから、結婚後に悪魔と契約させられるのだろう。今なら魔術師にもならずに、ひっそりと生きていけるのではないだろうか。それなら戦争に駆り出されることもない。
──よし、逃げよう。
決めた私は、寝台の下から小さなトランクケースを引き出し、鍵を開けて財布を取り出す。
そこには伯爵から教会学校へ入る前に渡されたお金が、十万シエントほど入っている。これは本来、貴族令嬢である私が寮の召使いに部屋の掃除を依頼したり、細々とした用事を代行させるために使うはずだったものだ。
けれど私は、自分で掃除もやっていた。毒薬を所持しているからだ。養父のパトリシエール伯爵が、私に持たせたのだ。万が一のためにとか言ってたけど、あのおじさんは毒を持たせて何をさせる気だったんだろう……。
毒は捨ててしまいたかったんだけど、適当に中身を空けた場所の庭の木とか草が枯れるのではないかと思ったので、何もできなかった。人が死ぬ量だけは教えられたけど、成分とか全くわからなかったから。
……そうか。毒を持たせるような養父のことだ。結婚した私に悪魔と契約させる可能性って、すごい高いじゃないか。
今更それに気付いた自分に呆れつつ、私は財布を黒いスカートのポケットにねじ込む。次にスカートをたくし上げて、太腿にナイフと毒薬の瓶を特製の革ベルトで括り付けた。
ナイフでの戦い方は、伯爵家に養子になった直後に教えられた。……これも護身のためとか言ってたけど。毒を持たせたり刃物で戦えるようにしたり、パトリシエール伯爵は私を暗殺者にでもしたかったのだろうか。
しかしこれからは身一つで生きていかなければならない。結構物騒なこの世界で、武器もなしに生きていける気がしない。そこに関しては感謝しよう。
さて準備はできた。
他の荷物を持たずに部屋を出た私は、なるべく落ち着いた足取りで寄宿舎を後にする。荷物なんて持っていたら、誰かに見咎められた時に「教科書を忘れて、授業棟へ取りに行くの」とか誤魔化せないので。
また、誰かを頼ろうとは思わなかった。浅く付き合う友達はいても、彼女達は生粋の貴族のご令嬢。親に逆らって一人で生きるんだ! と話したところで、驚かせ、戸惑わせるだけだ。下手をすると親切心から親元に連絡されてしまうかもしれない。それは困るのだ。
私は人と会わなさそうなルートを通って、教会学校の敷地の端まで移動した。
生け垣と学校の石壁の間に隠れ、一度息をつく。
すぐ目の前には、以前から知っていた壁にあいた穴がある。あとはここから出るのみだ。
教会学校のある丘から一番近い町までは、目と鼻の先だ。人ごみに紛れて衣服を取りかえてしまえば、教会学校から逃げてきたことを隠せるだろう。
その後は最速でこの領地から外へ出よう。
できれば他国へ行きたいが、見知らぬ土地で暮らすのでさえ大変そうなのに、風習も違う他国へ行くのは怖い。幸いこの国はそこそこ広い。有名な都市へ行かなければ見つかりにくいだろう。貴族令嬢として育てたはずの娘が、どこかの貧しい町で生活できるとは思うまい。
「田舎よ。田舎に行こう。でもちょっとは裕福な商人とかが暮らしてるぐらいの町がいいわ」
そういう所なら、仕事もそこそこありそうだ。
大まかな方針を決めた私は、夕暮れを待たずに教会学校の壁が崩れた場所から抜け出した。
学校の周囲は、丈の高い林に囲まれている。そこをつっきろうと足を動かしかけたその時、ふいに馬のいななきが聞こえた。
門のほうだ。普段は、司祭が出入りする時と、食料を運ぶ馬車が朝やってくる以外には教会学校を訪れる者はほとんどいない。急遽、家に帰ることになった生徒でもいるのだろうか。それともパトリシエール伯爵が、私を連れ戻そうと、手紙と同時に馬車も寄越していたとか?
様子をうかがいに行った私は、乗り込もうとしている人物を見てほっとする。私と同じくらいの年齢の男子生徒が馬車の前にいた。どこかで見たことがあるような気がする人だ。
自分と関係ないとわかって、気持ちに余裕ができたせいだろうか。荷物を積んだもう一つの馬車が私の目についた。幌がかかっていて中にどれだけの荷物があるのかはわからないが、そこに潜り込めないだろうか?
馬車に乗れば、早く遠くまで逃げることができる。もし伯爵が追っ手を差し向けてきたとしても、姿をくらましやすい。こっそり便乗して、教会学校がある王領の外へ出たところですぐ降りれば、相手にもそう迷惑はかからないだろう。
隙をうかがっていると、乗り込もうとしていた黒髪の少年が反転して学校内へ走っていく。忘れ物をしたようだ。従者らしき銀の髪の少年も後に続く。
護衛についてきたのだろう、馬上の騎士達五名もそちらに気を取られた。
──女神が笛を吹いた。
思いがけない好機チャンスがやってきた時、人はそう言う。美しい女神の笛の音に引き寄せられるように、奇跡がやってきたのだと。
その時の私にも、笛の音が聞こえた気がした。
気付けば、私は衝動的に走り出し、幌付きの荷馬車に乗り込んでいた。
女神の奇跡のおかげか、誰も私に気付かなかったようだ。しばらくして、馬車は何事もなかったかのようにゆっくりと動きだす。
ガタゴトと荷物が音を立てて揺れだしてから、私は馬車の奥へと移動した。
これなら物音を立てても見つかりにくいからだ。
大小さまざまな箱が詰まれた荷馬車の上は、足の踏み場もなかった。けれど大きな箱の中に布で覆った小さな棚が入っていたので、それを取り出して転がり落ちない場所へ置き、代わりに自分が入ることにした。
閉ざされた空間の、しかも見つかりにくい場所に潜り込んだ私は一息つく。
すると緊張の糸がほぐれたのか、急に眠くなってきた。
私は揺れるたびに箱の内側にぶつかって背中が痛むことも気にせず、いつのまにか眠り込んでしまったのだった。
◇◇◇
エヴラール辺境伯家の一行は、教会学校を出発して五時間後に小さな町へ到着した。
手配していた宿も小さなもので、煉瓦造りの民家を改造したような建物だった。子息であるアランにあてがわれた部屋も、手を広げて二歩歩いたらすぐに手が壁につくような狭さだ。
食事も加工肉を焼いたものと野菜が入ったスープに堅めのパンという簡素さ。
しかしアランも騎士達も、幼い頃から戦場を想定した粗食や野営訓練に慣らされている。国境防衛の要である辺境伯家だからこそだ。おかげで粗食にも文句はなかった。
食事後、アランは同じような年頃の従者と一緒に、宿の外を歩いていた。久しぶりに再会した者同士、話し合いたいことはいくらでもあった。
護衛を一人連れた状態で、二人は仲よさそうに会話をしながら先へ進む。しかし彼らの会話の内容を聞く者がいれば、奇妙なものだとわかっただろう。
「正直、大人しく馬車に乗ってるのは息が詰まるな」
「私もだよ。多少脚が辛くなっても、馬を駆けさせたほうが気分はいい」
「かといって、馬車以外に乗るわけにもいかないし」
「君はウェントワースの後ろにでも乗せてもらえばいいよ」
「噓だろ。十五歳にもなって男と二人乗りとかありえないって」
「馬が足りない以上、それしかないだろう?」
嫌そうな表情になるアランと、くすくすと笑う従者の少年の口調は、対等な関係にしか思えないものだった。
しばらく軽口を叩きあいながら歩いていた二人だったが、馬車を停めた車庫の近くで、従者の少年が足を止めた。
「……どうかしたのか? レジー」
「アラン、耳を澄ませてみて」
レジーと呼ばれた従者が青い瞳を閉じる様子に促され、アランも口を閉ざして耳に集中する。やがてアランの耳にも、レジーが何を聞き取ったのかわかった。
「…ソーセージ……クリーム……もう食べらんない」
かすかに聞こえる声。その源は、車庫に置かれた馬車の中だ。今、そこに馬車を停めているのはアラン達一行しかいない。
アランは表情をこわばらせる。
漏れ聞こえる声は女の子のものだが、油断はできない。なにせ辺境伯家の馬車に、誰にも気付かれずに潜り込めるような人間だ。暗殺目的の刺客かもしれない。
「しかしこれ、寝言か? 今のうちに引きずり出さないと」
護衛を呼ぶアランとは違い、レジーのほうは首を傾げる。
「でもさ、暗殺しようなんて人間が、馬車に乗ったまま居眠りする? 護衛だって宿の人間だっているんだから、悠長に寝てたらすぐ見つかるのに」
「レジーは暢気だなぁ」
呆れるアランだったが、レジーも寝言らしきつぶやきの主を調べることには賛成のようだ。
背後から近づいてきた護衛に、アランが命じる。
「誰か馬車の中にいるみたいだ」
「お調べしますので、離れていて下さい」
背の高い黒髪の騎士が、隠れてついてきていた他の騎士達を手招きした。一人をアラン達の側につけると、黒髪の騎士はもう一人と一緒に車庫へと入っていく。
声の発生源を確かめれば、人が潜んでいるのはアラン達が乗車していたほうではなく、荷物を積んだ幌馬車だったようだ。
馬車に乗り込んだ騎士が、大柄なせいで奥に入れず、箱をどかそうとしている。
「待ってウェントワース」
それを見ていたレジーが、するりとそちらへ駆けていった。
「おい、レジー!」
大声で呼ぶわけにもいかず、小声で引き留めようとしたアランだったが、その間にレジーは馬車の前側から荷台に乗り込んでしまった。
後部にいた騎士ウェントワースも、急いで止めようとやってきたが時既に遅し。呆然としている間に、レジーが再び前側の幌をかき分けて顔を出したので、全員がほっと息をついた。
「おい、レジー。勝手なことすんなよ。立場考えろよバカ」
「大丈夫だよ。……ほら」
そう言って幌を脱けだしたレジーが抱えていたのは、見覚えのある黒の制服を着た、薄茶色の髪の少女だった。自分達よりも年下のように見える。
「中で寝てたよ」
レジーはにっこりと微笑んで言う。
「しかもアランがいた学校の制服着てるってことは、身元も確かなんじゃない?」
特に危険はなさそうだというレジーに、アランはそれでもむっつりとした顔で注意した。
「制服なんて誰かの物を奪うことだってできるだろ。……まぁ、確かに平民の女には見えないけど。しかし抱えられても熟睡してるってどういう神経してんだ?」
「箱から引き上げても、全然起きないんだよね」
異常だった。熟睡していても、抱き上げられるようなことになれば普通は起きるはずだ。
「レジー様、その少女の身柄をお預け下さい。調べる必要があります」
騎士ウェントワースに言われて、レジーも腕の中の少女を差し出した。
ウェントワースは少女を抱えたまま、宿の部屋に戻る。アラン達もついていった。
宿の一室に入ると、彼は寝台に少女を横たわらせる。
それでも目覚めない彼女は、室内の明かりの中で見ると益々貴族令嬢にしか見えなかった。
少し乱れていても、毎日梳られていたのがわかる艶やかな淡い色合いの茶の髪。日に晒されすぎていない白い肌。水仕事の痕などない手や指。脱がせたブーツも、誰かのを借りたものではないようだ。ぴったりと彼女の足に合っているので、彼女のために仕立てさせた代物だろう。
さすがにウェントワースも、貴族令嬢がたまたま潜り込んだという線が濃厚になったと考えたようだ。
「本当に身元が確かな人物でしたら、アラン様から謝罪をお願いいたします」
そう言いながら、衣服のポケットの中を改める。入っていたのは、柔らかな木綿のハンカチ。そして財布。財布の中身もそこそこあり、平民の疑いはますます遠ざかる。
そして白い便せんを上着の隠しポケットから見つけた。
「手紙?」
「やはり学校の生徒だったようですね。ご覧下さい」
ウェントワースがアランに手紙を差し出す。受け取り、短い文面が書かれた手紙をレジーと一緒に読んだ。
送り主は、パトリシエール伯爵。彼女は娘らしい。
それにしては乱暴というか、使用人に命じるかのような内容で、しかも結婚相手が決まったこと。学業を切り上げ急ぎ婚儀を挙げるので、迎えを寄越すというものだった。
「しかもクレディアス子爵か……」
「さすがに気の毒だね」
親子ほどの年の差だけならまだしも、好色で妾を何人も家に囲っているという噂は、アラン達でも知っていた。ということは、手紙の宛先であるキアラという名のこの少女は、結婚を嫌がって逃げてきたのだろうか。
それにしても彼女はまだ目覚めなかった。着衣を探られたのだから、驚いて飛び起きてもおかしくないのに。
疑問に首をひねるアランの横で、レジーがすん、と何かを嗅いで言った。
「ああ、これが原因だよアラン。便せんに眠り薬が塗られてる」
「は!?」
アランは思わず手紙を取り落としそうになった。それを人差し指と中指で、ふわりと挟んでレジーが取り上げた。
「匂いがするから、中身を読んでいるうちに吸い込んで効果が出るようになっているんじゃないかな。時間が経ってるからもう効力は薄まってるみたいだけど、封筒から出した瞬間ならまだ拡散しきってないし、この子はかなりの量を吸い込んでると思うよ」
そうしてレジーが、じっと真剣な表情でキアラという少女を見下ろす。
「伯爵は、眠らせて逃げられないようにした上で、彼女を連れていく気だったんだろうな」
「自分の娘にしては、扱いがひどくないか?」
無理やり政略結婚させるため、睡眠薬までも使うというのはどういうことだろうか。
いつもは無表情なウェントワースも、気の毒そうな目を彼女に向けていた。
「嫌がるのは織り込み済みで、目が覚めたら既成事実後……にでもして、結婚から逃げられないようにするつもりだったんだろうな」
レジーは彼女に起こるはずだった出来事をさらりと推測する。
「なんにせよ、私達を狙う暗殺者などではないようだね」
◇◇◇
そんな話し合いがもたれていたとは露知らず。
私はぐっすりと眠り続け、日がそこそこ高くなる頃に目を覚ました。
深く眠っていた感覚は身体に残っていたので、堅い木の箱の中にいるっていうのに、どうしてこんなに熟睡できたんだろうと思いながら身じろぎする。
意外に自分は眠る場所が気にならない質なのだろうか。でもなんだかちゃんと寝台の上に横たわっているみたいだと考えながら目を開けると……私を覗き込んでいた見知らぬ年上の男性と目が合った。
「わわっ、ぎゃああああっ! げほげほっ」
驚いて叫び、そのせいで咳き込み、くの字に身体を丸める。
目に涙が浮くほど咳き込み続けていると、さっきの男性が背中をさすってくれる。うう、ありがとうございます。でも安心できない。
「あの、すみませ…ごほ…ん」
少しは落ち着いたところで礼を言って、手の主を見上げる。やっぱりさっきの男の人だ。
黒髪の青年は私の様子に動揺したふうもなく、背中から手を離した後も、実験結果を見守る研究者のような目を向けてくる。彼が着ている裾長の濃灰色の服は厚手の生地で、ところどころの装飾が手が込んでいる。その上から着ている青の長いマントといい、腰の剣といい、おそらくどこかの家に仕える騎士だろう。
私のほうも、寝起きでぼんやりしていたせいで、最初はほんとに何も理解できなかった。けれど一瞬後に、あ、ここ馬車の中じゃないや、と気付き。次にようやく自分が寝ていたのが寝台で、箱の中じゃなくどこかの部屋だと認識し。
飛び起きるとソッコーで土下座した。
「ひぃぃぃっ、無断乗車すみませんでしたあああっ!」
ようやく、馬車の中で眠ってるところを見つかったことを悟ったのだ。
黙って乗せてもらったことを許してもらうには、とにかく謝るしかない。だから平身低頭で私は謝り倒した。
「つい出来心で乗ってしまって、申し訳ないです! 馬車を見た瞬間、私の脳内で女神の笛の音が響いちゃって! あの、すぐにおいとましてもうご迷惑をおかけしませんので! そうだ乗車賃置いていきます! お詫びの気持ちも込めて色つけますんで、これで勘弁してやってください!」
ひどい動揺の中、震える手でポケットの財布から取り出したのが金貨だった。私はそれを置いて立ち上がろうとして、そのまま前のめりに寝台から落ちた。
「ぎゃあ!」
がたんと結構大きな音を立てて木の床に落ちた私は、痛いのと、心理的ダメージが大きすぎたのとで起き上がれなくなる。無断乗車の上、居眠りしていたのを発見されて、介抱されたあげくに寝台から落ちるとか、めちゃくちゃ恥ずかしい。今すぐどこかに隠れたい。
しかも青年は笑ってくれもしないのだ。気まずい……。
どうしていいのかわからなくて、落ちた体勢のまま動けずにいると、誰かが笑いだした。
「くくっ、あははっ、初めて女の子が寝台から落ちるの見た!」
屈託なく笑う声に、思わず顔を上げる。今まで部屋の中には無表情な青年しかいなかったのだが、いつの間にか部屋の扉が開いていて、そこに二人の少年が立っていた。
私が乗った馬車の持ち主だろう、教会学校の制服である黒のジャケットとズボン姿の黒髪の少年は、呆然としている。大笑いしているのは、その隣の銀の髪の少年だ。
首元で結んだ銀の髪は艶やかで、耳にかかる横髪に縁取られた顔も、それに負けないほど色素の薄い肌の色だ。笑いすぎて涙が浮かんでいる目は深い青で、濃紺のジャケットもその下の詰め襟の白い上着も、衣装の種類としては従者のものだ。裾長のジャケットには手紙等を入れておけるような大きなポケットがあるからだ。
でも彼の服を聖者の衣装と錯覚しそうになる。なぜならやたら綺麗な顔立ちをしていたからだ。
「て……」
天使がいる。そう口走りそうになって、私は自重した。
私と同じぐらいの年頃の男子だ。天使みたいだと言われて喜ぶかどうかわからない。けれど目が離せない。どこか懐かしいその顔から。
ややあって、こちらもどこか見覚えのある黒髪の少年が、銀髪の少年の腕をつついた。
「おいレジー笑いすぎだ」
「ごめんアラン。なんかツボに入っちゃって。……ところで君、大丈夫? 立てる?」
そう言ってレジーという名の銀髪の少年が、私に近づいて手をさしのべてくれる。
ぼんやりしていた私は、なにげなくその手を借りようと手を伸ばしたが、
「レジー!」
「レジー殿」
二方向から一斉に制止の呼びかけが響いて、思わず手の動きを止めた。
触ったからって嚙みつかないよと考えたものの、二人が警戒する理由に気付いた。
そうだ。私ってば無賃乗車した不審者じゃないか。従者とはいえ、不用意に不審者と接触するのを他の二人は危惧したんだろう。
だから自分で立ち上がろうと思ったのだが、ひっこめかけた手首がはっしと握られる。
「問題ないよアラン、ウェントワース。だってこれ、たぶん薬の影響じゃないかな」
引っ張り上げられて自然と立ち上がる形になった私だったが、
「えっ? わわっ」
足の力が入らなくて、腰を浮かせながらぶら下がってしまう。
寝すぎたからといって、足の力が萎えるものだろうか。自分の状態のおかしさに驚いていると、吊り上げるのをやめたのに、まだ手を握っているレジーが他の二人に話しかけていた。
「ほらね。逃がさないための薬の影響だと思うよ。慌てたぐらいで、寝台からああまで見事に落ちるのは変だと思ったんだ」
「え? 逃がさないため?」
どうやらレジー達にも寝台から落下する姿を目撃されてしまったようだが、それよりも気になる単語があった。逃がさないためって、一体誰からなのか。
そのせいで立ち上がれないってことは、薬を使われた?
いつ、どうやって? まさかこの人達のせいなのかと疑心暗鬼になる私に、それまで黙っていた黒髪のアランが教えてくれた。