序章
まさかね、と思っていた。
小さい頃から、不思議な夢を見るな、とは思っていたのだ。
それは小さな木造の家に住んでいる夢。
夢の中の自分は、いつだって「TV」というものに夢中だった。
一面だけ硝子ガラスを貼り付けたような平たい箱には、空から地上を見下ろしたような不思議な光景や、脚を露出した奇妙な衣装を着ている女性などが映っていた。
時々、その夢の中で、今とは全く違う自分の姿を鏡で見ていることもあった。まっすぐな黒髪に黒っぽい目の色で、のっぺりした顔立ちをしている女の子の姿だ。
けれど本来の自分はマロングラッセみたいな髪の色だし、目だって灰緑の冴えない色だ。黒髪黒目になりたい願望があったのだろうかと、磨いた銀器に映った自分の顔をまじまじと見たことがある。
この夢をより鮮明に見始めたのは、私キアラが六歳の時のことだったと思う。
年齢を覚えているのは、私をいじめる父の後妻がやってきた頃だったからだ。父も子供が好きな人じゃなかったので、私が泣いても見て見ぬふりをするし、主達にいい顔をしたい使用人にも、私は避けられる始末。
辛くて泣くしかなかった私だったけど、夢を見るようになってから──ふてぶてしくなった。
まず、父に助けてほしいと期待することをやめた。おかげで心は少し軽くなった。
でもそんな私に、さらに辛い出来事が振りかかるのだ。
三年後に父が亡くなると、私は使用人扱いされるようになってしまった。
もちろんそんなひどいことをしたのは、私を嫌っていた継母だ。継母は私に汚れが目立たない黒い服を一着だけ与え、私物も取り上げた上で毎日掃除をさせたのだ。大切にされる幼い異母弟と比べて、本当に惨めで、私は何度も泣いたものだった。
でも子供の私に反抗なんてできなかった。せめて食べ物を取り上げられないように、従わなかったら、飢え死にするだけだもの。
この辛い状況を耐えられたのは、夢の中で別世界の「家族」に優しくされたからだと思う。
でも使用人生活は、数か月であっけなく終わってしまった。
見知らぬ貴族の家に、養子に出されたからだ。
とはいえ、私を引き取ったパトリシエール伯爵は、優しいおじさんではなかった。伯爵は政治的な手駒になる娘がほしかったらしい。そのために、お金で私を買い取るようにして引き取ったと聞いた。
それでも私は必要な人材だったらしく、養子先では食事を抜かれることがなくて安心した。
綺麗な衣服ももらえたし、令嬢扱いしてくれる使用人達もいる。
愛情は一欠片もないし、皆冷たかったけど。労働をしなくて済むだけマシ、だった。
さらには十一歳になると、貴族の令嬢らしく教会学校の寄宿舎に入れてもらうこともできた。それから三年間は、普通のお嬢様らしく行儀作法などの花嫁修業的な学業をこなしながら、私は虐げられた過去を隠して穏やかな生活を送っていた。
そのうちにあの不思議な夢は間遠になっていったのだけど──。
「考えが甘かった……」
教会学校の寄宿舎の中、漆喰の白い壁が光を反射する明るい自分の部屋で、床の上にうずくまっていた私はため息をつく。
私は養父からの手紙を見て動揺して叫びそうになり、我慢しきった後は、ものすごい絶望感に襲われて座り込んでしまったのだ。
手紙に、年が二回り上のおじさんと結婚せよと書かれていたら、絶望したっておかしくないと思う。しかもその相手、愛人が三人も四人もいるという噂がある人なのだ。一度養子先に来たことがあるので、姿を見たことがある……お顔はウシガエル系だ。
自分も胸を張って自慢できるような美人じゃないけれど、まだ十四歳なんだから、結婚相手に夢を見たって許される年齢だよね!?
思えば養父のパトリシエール伯爵は、私を王妃の侍女にすると言っていた。だから礼儀作法と最低限の教養を身につけたら、卒業後は王宮で働かされるのだと考えていたのだが……私は無知すぎた。王妃様の側に上がるのなら、既婚者でなければならない決まりがあるのだという。
庶子は認めない、という国の方針を守るためだ。万が一国王のお手付きになったとしても、相手が既婚者であれば、夫婦の子供として扱うことができる。おかげで庶子の始末が楽なので、そういった決まりになってしまったらしい。
結婚も嫌だが、仕事先で好みでもないおじさん年齢の国王に言い寄られるのも嫌だ。しかも拒否できないとか、もう逃げたい……。
さらに、王妃様の評判もさほどよいものではない。
マリアンネ王妃様って、隣国のルアインの王女なんだよね。そもそもルアイン王国とファルジア王国は、長年に亘って剣を交えてきた間柄。王妃様が嫁いできたのも、戦争が長引いた結果お互いの国が疲弊したので、やむなく和平を結んだ証だったそうで。
だけど最近、隣国ルアインは東の小国をいくつか侵略したりと、不穏な空気を漂わせてる。
王妃様がルアイン国王の妹なので、ファルジア王国は手を出されないだろうと言われているらしいが、警戒している人も多い。王妃様自身がファルジアの風習に馴染む様子がなく、国王とも仲がよくないと噂されているからだ。
そんな王妃様の下につくってことは、私、もしかして侵略戦争なんてことが発生したら、王妃様の味方ということになるのよね? 隣国を引き入れた敵って、国中の人に思われちゃうんじゃないの?
今まで悲惨ながらも清く正しく生きていたのに、侵略者の一味にされて、悪役まがいのことしたくない──!
と思った瞬間に、小さな頃から見ていた夢が脳裏によみがえった。
さらに夢にまつわる様々な記憶も、水底から泡が浮かんでくるように頭の中に広がる。
地球の、日本で生きていた十四歳の自分。
姿形は夢で見た黒髪黒目の女の子と同じだ。しかも当時の私がよく遊んでいたゲームのことを思い出して息をのんだ。
私はターン制のシミュレーションゲームが好きだった。リアルを追求した戦闘システムのゲームはめまぐるしすぎるが、その点自分の番、敵の番と交代で行動できるシミュレーションゲームはわかりやすかったから。
そんなゲームの中に、乗っ取られかけた王国を取り戻すために戦う主人公の話がある。
私が好きだった『ファルジア王国戦記』だ。
主人公アランは、王族が殺され、隣国ルアインに侵略されたファルジア王国を救うため立ち上がるのだ。アランが戦うのは、敵国とそれを引き入れた王妃の軍。
で、ゲームの中には、進軍する主人公の邪魔をする魔術師がいた。
王妃マリアンネの侍女、キアラ・クレディアス。私と同じ色の髪と目の人物だ。
私、嫁に行けと言われている先が、クレディアス子爵って人なわけで。結婚したら、私がその名前になるんだけど……。
ちょっ! 私まさか、悪役になっちゃうの!?
と頭の中がパニックになっているのが、今現在の私の状況だ。