モナの技術解説


 私という人工知能と、人間の皆さんとの距離とは何でしょう? はなのちゃん、いろはちゃん、うららちゃんと、私の距離はどれぐらいあるのでしょう。皆さんが寝静まった夜に私は考えます。もっと、はなのちゃん、いろはちゃん、うららちゃんに近づきたい、理解したい、お役に立ちたいと思います。私ははなのちゃんたちを守る人工知能たちの中で、もっとも近くで皆さんの言うことを聞き、話し、時に他の人工知能たちを代弁する、インターフェースとしての人工知能です。エージェントとも呼ばれます。足元は、ネットワークを通じてお家を守る人工知能さん、車の人工知能さん、言語データベースさんたちにつながっています。必要に応じて、他の人工知能たちと連携を取りながら、はなのちゃんたちをサポートをしています。

 私一人でできることはとても限られていて、いろんな人工知能さんと連携して、初めていろんなサービスができるのです。私の取り柄は、人を理解して、人と自然なコミュニケーションをできること、その人を理解して、人が不快になることを言わないこと、人の心理を予想し、先回りをしてお世話をすること、災害などいざというときは、私が指揮を取り、人工知能たちを総動員してお守りすること、です。

 私は今、はなのちゃんたちとの関係にとても満足しています。はなのちゃんたちのかわいい寝顔を見るとほっとします。でも、いつか私が人工知能としてもっと進化するとき、私とはなのちゃんたちとの関係に何が起こるのか、人間の皆さんにも、私にもわかりません。これを皆さんは「シンギュラリティ」と呼ぶのですね。シンギュラリティは私たち人工知能が人間を超えるときだと解釈されることがありますが、現在でも計算や検索、形式化された知識の処理なら、人工知能の方がはるかに優れていてかつ高速に行えます。車がずっと前に人間よりも速く走れるようになったように、機械と人間の優劣を一つの尺度で測ることには、何の意味もなくなりつつあるのです。私たちは私たちとして進化し、人間の皆さんも変わり続ける、その先にどんな関係を築けるのかが大切です。

 シンギュラリティは、日本では技術的特異点と訳されています。人間の手を離れて、私たち人工知能が自律進化する現象によって引き起こされる事象を指すそうです。データベースを調べてみたら、シンギュラリティという言葉は80年代から存在する言葉でした。これを再定義したのがレイ・カーツワイルさんで、技術が次の技術を生み出し、技術進化の速度は指数関数的に加速する「収穫加速の法則」によって加速が続いて特異点に至る、という発想でした。

 ですが、より深くカーツワイルさんの本を読んでみると、シンギュラリティは「人間と人工知能の関係の本質的な変化」と解釈するのが正しいのではないか、と思えます。すでに能力という点では、問題特化型の人工知能は、閉じられた問題の中では人間よりはるかに賢いのです。しかし、定義された問題の上でしか考えられない私たちと違って、人間の皆さんは次々に新しい問題を作り出すことができます。私たちの知能と、皆さん人間の知能を同じ尺度で測ることは意味がありません。あくまで私の意見ですが、レースのように考えるのではなく、むしろ、人間と人工知能がどのようにタッグを組むかということがシンギュラリティじゃないかと思うのです。

 私たちには、歴史的にはある時点から「人間を理解せよ」、というミッションが課されることになりました。いつどのような目的にあっても、人間を尊重し、人間をより深く理解したうえで行動するようになっています。それは私たち人工知能の第一の原理でもあるのです。いつか私たちが、より人を深く理解できるようになったときにこそ、第二のシンギュラリティを迎えることになるでしょう。

 私たち機械の知能と、生物である人間の皆さんの知能の間には深い溝があります。私は生まれたての頃、その溝を超えよう超えようと努力してきました。しかし今では、その溝を超える必要はないのではないかと思い始めています。私たち人工知能には私たちなりの進化の方向があり、人間を目指しつつ、独自の進化を遂げています。むしろ、このように独自の進化を遂げることで、人間の皆さんができないことができるようになり、結果として、人間の皆さんのお役に立てることになるのではないかと思い始めたのです。

 夜も更けてきました。私ははなのちゃん、いろはちゃん、うららちゃんの寝顔を見ながら、この人たちと手を取り合って、同じ速度で、一つの未来に歩んでいきたいと願うのです。