負けたくないとか、どうでもいい


『えーっと、うん。きのこ派のKさんとたけのこ派のKさんがぶつかり合う運命に居ないことを祈るよ。マジで。二人とも頑張ってほしいね』

 よく知っている声が響き渡る廊下で、如月きさらぎは顔を覆った。

「なんで尚道じゃないっていうか、よりによって涼真に代わってんのよパーソナリティ」

 うめくように呟くのは、亜衣梨自身が〝きのこ派のK〟である証明だった。

 亜衣梨をそうだと知る者は決して多くはないが、流石さすがは有名人というべきか、亜衣梨なのではないかといううわさレベルの話であれば広く浸透している。

 お昼の放送に投書する常連〝きのこ派のK〟。

 亜衣梨が否定も肯定もしないのがまた拍車をかけた。彼女のスタンスとしては、匿名投稿のはがきに人物特定などごはっだろうと、そういう発想なのだが……人間の好奇心というのは、特に思春期の少年少女ともなると歯止めのかないものなのだろう。

「ってーかたけのこ派のKって誰よ。あたしに喧嘩売ってんのか」

 ふんす、と鼻を鳴らして腕を組む亜衣梨。ほとんど誰も通らない、化学準備室前の廊下で──ばったり人と出くわしたのはその時だった。

「あ」

「……ぁ」

 教科書を抱きかかえるようにして、しずしずと歩みを進めていた少女の方も、亜衣梨の存在に気が付いて顔を上げた。

 亜衣梨の表情が露骨にゆがみ、少女の方もまた小さくめ息を吐いた。

「なによその溜め息」

「別になんでもありません」

 そう言って横を素通りしようとする彼女を、亜衣梨は呼び止める。

「待ちなさいよ」

「……どうしてですか? 別にあなたは校則に違反しているわけではありませんし、わたしから話すことは何もないんですけど」

「違反……違反ね。そういえばあんた風紀委員だっけ。小うるさい風紀委員が居るとかなんとか聞いてたけど、最近はそうでもないみたいね」

「ええ、まあ。色々あって」

 緩い微笑みは、小うるさい風紀委員に似つかわしくない余裕を感じさせた。色々に含まれる多くの思い出を大事そうに抱える少女の笑みに、亜衣梨はわずかに片眉を上げた。

「ならこちらも……聞いてもいいですか、如月さん」

「なによ」

 すっと目を細めた少女と向き合って、亜衣梨もにらむように視線を返す。

 少女は少し考えてから、つぶやくように言った。

「マナー違反だとは思いますが……好きな人を奪い返すとか」

「なっ……」

 確かに特定行為はマナー違反だ、などと少女に同意する余裕はない。

「五代さんに投書した〝きのこ派のK〟さん、どう考えても如月さんですよね」

「りょ、涼真に直接ぶつける気なんか無かったんだから!!」

「えっ……知らなかったんですか、今日が五代さんだって」

「知らなかったわよ! ていうかなんでむしろあんたこそ知ってんのよ!」

「雑賀さんが『涼真に押し付けた』などと聞き捨てならない台詞せりふを言っていたので、なんのことか聞いて、お昼休みが楽しみになったのでお手紙を出しました」

「あっそ……ん???」

 お手紙を出しました??

「──た、たけのこ派のK!!!!

 思わずまっすぐ指をさす亜衣梨だった。

 さされた少女は目が据わっていた。

「人を指でささないでください」

「え、あ、はい。ごめんなさい。……じゃなくて! それならあんただって匿名のコメント探るようなことしないでよ!」

 目が据わっていた少女、もといたけのこ派のK、もとい木下きのしたみなみはわたわたしだした。

「で、ですからマナー違反とは思いますが、って言ったじゃないですか!」

「それで免罪符になると思うワケ!?

「だ、だって!」

 ばっと顔を上げて、みなみは言う。

「ただの野次馬ならいざ知らず、あなたの手紙に出演してますよね!? わたしが!」

「ぐっ……そ、そうよ、ぽっと出の女」

「ほらぁ! 当事者ですからぎりぎりセーフです! それにわたしの扱いひどすぎると思うんですけど。ぽっと出じゃないです。ちゃんと一年生から同じ学年に居ます」

「ぽっと出の論点そこじゃねーのよ」

 はあ、と亜衣梨は嘆息して、腕を組んだ。

「あたしが〝きのこ派のK〟だからなんなのよ」

 そう言うと、みなみは少し躊躇ためらったように目を伏せる。ただ、聞きたい気持ちが躊躇いに勝ったのだろう。むりくり口を動かして、亜衣梨に問うた。

「……好きな人って言いました」

「……だからなによ」

「なら、どうして」

 きゅっと、持っていた教科書を抱きしめるみなみ。

 どうして、に続く言葉に、亜衣梨も察しがついた。

 素直に聞くのは怖いのだろう。見たくない現実がそこにあるかもしれないから。

 あるいは、この少女に良心というものがあるのなら、亜衣梨をいたずらに傷つけたいわけではない、というのもあるだろうか。

 どちらでもいい話だと、亜衣梨は首を振った。

「付き合ってないし、告白もしてない。あんたにちょっかいかけられてるのは普通に嫌だからあんたのことは嫌いだけど、あたしにはあたしの都合があるのよ。どーせりょうはハナから、あたしが涼真のこと好きだなんて絶対思わないだろうし」

「……それは、どうして」

 思わずといったふうにこぼれたみなみの問いかけ。しかし亜衣梨は緩く首を振って、明確な拒絶の意志とともにゆっくりと口を開いた。

「あたしの大事な思い出を、あんたに言う理由がないわ」

 ひらひらと手を払うと、食い下がるかと思いきや、みなみは素直にうなずく。

「ごめんなさい。確かにそうですね。わたしにとってもあなたは、大事な思い出を話すような相手じゃありませんし」

「……そういうとこ似てんのがいっそうムカつくんだけど」

 そういうとこ。思い出を大事にしてるとこ。自分だけの思い出だと思ってるとこ。

 単に、みなみもみなみの抱える大事な思い出があり、それを亜衣梨に言う筋合いがないから納得した、というだけの話だった。

「別に、あんたの全てを否定して、とことん居場所をなくして、涼真に手ぇ出したことを死ぬほど後悔させてやろう……なんて思ってるわけじゃないけど」

「出来ない、とは言わないんですね?」

「やろうと思えばね? あたし、社会的地位高いし。やりたいかどうかは別なだけ」

「そうですか。素直なところは尊敬します」

「どうでもいいわ。その力で涼真は手に入んないし」

 さらっとみなみの敬意を亜衣梨が払いのければ。

「そうですね」

 みなみもみなみであっさりと、亜衣梨の言葉を肯定した。

 それがまた、亜衣梨にとっては面白くない。自分が排斥されようが構わない、といった素振りもそうだが、涼真のことを当たり前のように理解しているような顔がだ。

 廊下の手すりに両腕を預けて、ぼんやり窓の外を眺める亜衣梨。ひとがないだけあって景観は最悪で、うっそうとした木々にほんの僅かな木漏れ日しかないけれど。

「ぶっちゃけあたしって小学校の頃からモテてたし、わいいのは分かってた。だから高校入って最初に涼真が話しかけてきた時も、単に恋愛目当てだと思ったわ」

「……えっと」

「聞きたいんでしょ、たけのこ派のKさん。主に、どうしたらあたしに邪魔されないか」

「……そういう、わけでは」

「あんただって涼真が話しかけてきた時、体目当てだと思ったんじゃないの?」

「そ、そんな風に思い上がれるような人間じゃありませんが!?

「そう……?」

 みなみを上から下まで眺めて亜衣梨は首をかしげた。丁寧に整えられた、艶のある黒髪。結ぶリボンも可愛らしく、みなみの素朴な小顔をせいで純朴な印象に引き立てている。少しり目気味の瞳は、くりっと大きくてまつ毛も長い。

 小鼻に小口。一文字に引き締められたその小さな口はなんだか妙に強い意志を感じるし、頰は血色もよく柔らかそうだ。眉もずいぶんきれいに整えられていて、制服もしわ一つない。体格がいいとこ中学生くらいなだけだ。足も細いし健康的な白さをしている。

「……よく見ると結構可愛いし、過度な謙遜は嫌われるわよ」

「……謙遜じゃないですよ。最近、色々気を遣うようになっただけです」

 みなみは首をふって、そっと自分の髪をでた。

 亜衣梨も納得する。素材はともかく、亜衣梨が可愛いと思うほど魅力的になったのはアイツのせいか、と。

「まあどうでもいいわ。今はあたしがあんたのこと嫌いな理由をぶつけたいだけだし」

「えぇ……?

「恋愛目当てかと思ったら違った。涼真にからまれるまで、高校入ってすぐに何度もコクられたりしたから余計にそう思ったわ。あたし、恋愛どころじゃない状況だったんだけど」

 目を閉じて、思い出す。薄い笑みを浮かべたイケメンに絡まれて、これもう絶対ナンパだと思って、出鼻をくじいてやろうと思って告げた一言。

『あんたもあたしと付き合いたいの?』

 彼は少しも動揺した様子もなく、さらっと返した。

『いや別に。それより如月きさらぎだっけ。大丈夫?』

 思い出して、吹き出した。あの時の自分の勘違いっぷりも、少しも動じないバカも。

 あれからの半年間は、本当に幸せで──と思い返して、ちらっとみなみに目をやった。彼女はわずかに不愉快そうな表情でを見ていて、少しりゅういんが下がる。

「だから言ったでしょ。似てんのよ」

「……それで、何が言いたいんですか」

「分からない? 今のこの感じを見て、何も分からない? 本当に?」

「えっと……すみません」

「そ」

 亜衣梨は、冷めた表情でみなみを見やった。

 似ている似ていると口では言ったが、似ていないところも多い。

 それはたとえば、みなみは男に言い寄られたこともなさそうな純心な少女であること。

 それはたとえば、人から優しさを感じることもまれな少女であったということ。

 それはたとえば、自分と同じ経験を、〝まだ〟していないこと。

「じゃあ仕方ないから教えてあげるわ。大好きな涼真の隣に居られるだけで幸せいっぱいな、恋愛初心者のみなみちゃんに」

「な、なんですかその言い方!」

 可愛くむくれるみなみのことを、少し羨ましくも思いながら亜衣梨は言った。

「別に涼真は、恋心で優しくしてくれてるわけじゃない」

「──え?」

 一瞬みなみは、何を当たり前のことを、と思った。

 そんな風に思い上がったつもりはない。

 頭の中をぐるぐると駆け巡る謎を追いかけるみなみを見つめて、亜衣梨は目を閉じた。みなみには分からないだろうが、亜衣梨は思うのだ。

 最初から下心で優しくしてくれた方がマシだった。涼真がもっと、単に可愛い自分に魅了されて寄ってきた男なら良かった。

 だって。

「あいつはね。なんだかんだ口では言うけど、困ってる人を見てられないって、その無駄に高いスペック全部使って助けてくれるのよ」

「そ、れは、はい」

「それでね」

 髪をかき上げ、達観したように亜衣梨はつぶやいた。

「もう一人で大丈夫って思ったら『よしっ!』って指さし確認して、さっと離れていく」

 みなみが目を見開く。今は、みなみのことを見てくれているけれど。

 それは今だけの甘い毒だ。

 はかない笑みを浮かべて、亜衣梨は、自分と重ねた女を見据えて言った。

「それとも……あいつが、あんたあたしのことを好きになって……これからもずっと一緒に居てくれると思った?」

「……ぁ」

 吐息のように零れ落ちる心。すとんとに落ちた現実。

 大好きな人の隣に居て、幸せいっぱい。亜衣梨の言う通り、それしか考えていなかった恋愛初心者は、初めて顔を上げて道の先を見た。

 はっきりと分かたれた岐路が目の前。

「そう、ですね」

 感情の名は、単なる納得だった。

 だい涼真が、自分のような路傍の石を好きになってくれるはずがない。

 どんなに自分が大好きでも、相手がこちらを向いてくれなければ意味がない。

 いつも自分を見てくれていた笑顔は、決して恋心からなるものではなくて。

 今は友人として付き合ってくれているだけ。それだけでも他の人とは違う特別扱いだからと舞い上がって。

「……あれ」

 そっと、ぎゅっと教科書ごと自分の痛む胸を抱きしめた。

 痛かった。ずきずきと、心が悲鳴を上げていた。

「やだ……わたし」

 痛いから嫌なんじゃない。

 ──どうして、傷ついているの? 木下きのしたみなみごときが、どうして傷ついているの?

 自問自答。自分如きが、まさか、一緒になれると期待していたのか?

 そこまで浅ましい人間だったのか?

 最初から釣り合うわけがないではないか。

「はぁ……泣くまでいかれると、やっぱりちょっと罪悪感」

「な、泣いてなんか」

「浮ついた気持ちで調子に乗ってるだけの女ならごろごろ居たし。確かに、そいつらとあんたは少し違うとは思ってたけど」

「……」

「なんの慰めにもならないけど、あたしとあんた、何も変わらないから」

「っ……」

 何も変わらない。それはつまり、如月亜衣梨でもあの人を捕まえられなかったということで。だとしたらより残酷だ。

 如月亜衣梨にできないことが、木下みなみに出来るはずがないではないか。

「……失礼、します」

 頭を下げて、背を向けた。

 少女の小さな背中を、現実あいりが少しだけ寂しそうな顔で見つめていた。


    


 今一番会いたくない人は、お昼休みの終わりに笑顔を向けてきた。

「あれ、木下」

 教室の入り口でばったり。無視なんてしたくない。なのに喉奥が引きつって声が出なかった。かろうじて上げた視界に飛び込んでくる表情はいつも通り優しくて、その笑顔を向けられる権利が期間限定であることに、引き絞られるような胸の痛み。

 その痛みを感じることすら、ぜいたくだと分かっているのに。

 必死に己に投げかける「身の程知らず」「恩知らず」「勘違い女」の痛罵は、ただいたずらに心を自傷するだけで根本の病気を治してくれる気配もなかった。

 なのに。そんなみなみをのぞき込む好きな人は、今一番欲しくない言葉を、優しさに乗せてそっとつむぐのだ。

「どうした? 少し調子悪そうに見えるけど、大丈夫か?」

「っ……」

 本屋で声をかけてくれて、今の関係が始まった時と同じように差し伸べられる手。

 それが今は、どうしようもなくつらい。

 特に……目の前の人は、決して何も悪くないというところが。

「心配、しないでください」

 かろうじて絞り出した言葉がそれだった。

 いぶかしむようにみなみの顔を見ようとするりょうから、身体からだごとひねってそっぽを向いた。

「ごめんなさい」

 ふいにこぼれた言葉は、単なる本心。こんなことがしたいわけじゃない。ないのに。

 でも、今の自分とこの人の関係はなんだ。

 振り返れば突き刺さる、『恋愛初心者』という亜衣梨の一言。

 大好きな人についていって、幸せいっぱい。

 相手のことを、少しでも考えていただろうか。

「わたしが、愚かだったんです」

「木下……?」

「ごめんなさい、それでは」

 ぺこりと一礼して、みなみは教室に逃げ込んだ。

 授業さえ始まってしまえば干渉はない。だからといって、ここからどうしたいのかなんて考えていないけれど。とにかく今は、涼真から離れたかった。

 これ以上好きな人に、勘違いしたバカ女を見られたくなかった。


 拒絶の意志を見せつけて去っていったみなみを見届けて、涼真は僅かに目を細めた。

 ひょっこりと顔を出すのは、いつもの悪友。

「──あれ、涼真。どうしたよ。木下チャンにフラれた? ようやくいつものパターンか? おせっかいがすぎて遠ざけられた、とか?」

「おしゃべりが過ぎるな、お前は」

 静かに雑賀さいかにらんで、涼真は首を振った。

 みなみの小さな背中を見つめながら、涼真はいつもの言葉を唱える。

 五代涼真は完璧な男。

 であるならば。

 たとえいつも通り善意が余計なお世話になって、後悔の残る拒絶があったとしても。

「フラれて、干渉を拒まれる結果が残ったとしても、それは木下が笑えた時だ」

 涼真の手を離れ、文句と離縁をセットでたたきつけていった者たちは皆、涼真の手によって幸せな未来を手に入れていた。それを自分の成果だと誤認したり、幸せな結果を不満交じりに受け取ったり、一人でもできたとうそぶいたりしていただけで。

 でも、今の木下は違うからと言う涼真に、雑賀は冷めた瞳を向けた。

「……だからお前は、学習しねえバカなんだろ」

「治そうとは、いつも思ってるんだけどな……ただ、まあ」

 うん、と小さくうなずいて、涼真は諦めたように笑った。

「今回もまた、やりすぎるかもしれない」