柔らかくなったみなみちゃん


 今日の弁当は小さなおにぎりそれぞれがうさぎさん、たぬきさん、猫さんだった。

 最近動物系の動画を見るのにはまっていると言っていたから、その影響か。

 ネットよりもテレビ派だったはずだが、いつの間に。時の流れというやつかな。

「はぁ……まあ良いけども」

 弁当のことを考えると現実逃避がしたくなる。

 昼休みが終わる前に教室に戻ってくると、相変わらずのにぎわい。

 俺はいつも通り普通に席に着こうとして、ふと一つの変化に気が付いた。

「お、お休みの日ですか? えっと……わたしは普段……あれ、なにをしてましたっけ」

 そのグループの一つと、たどたどしく言葉を交わす木下の姿。

 ぎこちないが笑みもあって、穏やかな気質のグループだからか温かく迎えられているようにも見えた。会話内容には不安しかないけどな。

 ……当たり前の話だが、友達を作るったって先生含めた外圧の「仲良くしてあげてね」が通るのは幼稚園までだ。結局のところ人間関係というのは需要と供給で、木下の需要がありそうなところに、俺の成績向上という宣伝で放り込んだだけ。

 その成績向上という宣伝文句を作るのが正直一番大変ではあったが、結果を見てほっとした。あとは友達関係を良好に続けられるようにしたら──。

 と、木下の今後について考えていると、俺の前に差す影。

 見上げれば木下本人。話は済んだのだろうか。そう思ってちらりと先ほどまで木下が居た場所を見れば、歓談の真っ最中。

だいさん」

「ん、どうかした? 会話の途中じゃなかったか?」

「あ、いえその……ちょっと」

 目をらす木下。ああ、トイレか。これは完璧ポイントマイナスだな。失礼。

「もうすぐ昼休みも終わるしね」

「はい……えっと、それで」

 行くなら早めに行った方が、と、もじもじしている木下を見て思う。

 と、彼女は何か覚悟でも決めたような顔で俺を見つめて、言った。

「と、友達ができましたっ……!

 小声なのは彼女らに聞こえないように、だろうか。照れくさいらしい。

 どうやら顔が赤いのは、トイレではなくこっちが原因か。ぎゅっと自分の身体からだをかき抱くようにして、無理やり振り絞った声。どれだけ勇気のいる宣言なのか。

「ん、良かった。きっと、それが木下の悩みを少し和らげてくれると思う」

「そう、なんですか……? まだ、そこは実感がなくて」

「すぐに分かるよ」

 そう言うと、あまり理解は出来てなさそうな顔でうなずくだけ頷く木下。

「トイレ行かないと危ないんじゃない?」

「あ、危ないってどういうことですか!! もう!」

 瞬間湯沸かし木下。

「え、だからつまり──」

「行ってきますから!」

 だっと駆けていく木下を見送って、少し俺の頰も緩んだ。

 頑張れ、と思う。

 出来ることは、したはずだ。そのうえで、わざわざお礼まで言ってくれた。

 こんなにうれしいことはない。気になることが無いではないが、ここで手を引けたらある種、俺にとっても貴重な成功例ではなかろうか。

 具体的には、俺が誰かに余計なお世話を働いても、俺が傷つかなかったという意味で。

「よう、りょう木下きのしたチャンに何言ったんだ?」

 と、今度は雑賀さいかだ。来客の多い日だな。木下が出ていった方を眺めてつぶやく雑賀は、木下が落ち着いた理由を知りたいとかそんなところだろう。

「素直に話せる友達を作ろうって言ったよ」

 そう言うと雑賀は驚いたような顔をして、それからニヤッと口角を上げた。

「涼真にも居ないのに?」

 はは、確かに。俺にも居ないな、友人。

「だからなんだ? 雑賀も友だち居ないだろ?」

「それなー」

 雑賀は自分の仲間に聞かれないように小声で笑った。そうだよな、俺も独りだが、お前も決して他人に気を許さないヤツだよ。

 でも、木下は違う。寂しがってた。

 ひらひら手を振って去っていく雑賀を見届け、次の授業までの時間をのんびり過ごす。

 そう思っていたんだが、またここで一つ騒ぎが起きたらしかった。

「ですから人の席を使うようなことは、め事の原因になると言っているんです!」

 木下がキレていた。さっきまでの照れた表情はどこへやら、いつも通りといえばいつも通りの風紀委員さまの剣幕。

 様子を見ると、また前回同様の女子グループとこうたち。

 木下の肩を持つわけではないが、どうして学習しないんだろうな。

 俺は立ち上がり、木下の近く──教室の廊下側後方へ。

「木下」

「あ、五代さん……すみません、でもやっぱりわたし、見てられなくて」

 その謝罪は結局、〝人のためと言いつつ自分のかんしゃくにすぎないんじゃないか〟という自問自答に答えが出ていないまま、こうして注意を行うことへのものか。

 とはいえ別に、我慢ならないことに我慢ならないと口にすることを、俺は否定したつもりもない。悩みとして抱えるのは、分かるけれど。

「まあでも、再三のことなんだろ?」

 そう問えば、木下だけでなく女子グループもバツが悪そうにを逸らした。

「あ、あー。涼真くん、木下さん寄り?」

「寄りというかなんというか。まあ木下にも少し歩み寄るようには言ってるんだけど」

「ふぐっ……」

 胸を押さえてうめく木下。

 ただ、きっと木下のそんな様子を見せたことが良かったんだろう。

「……へえ。分かったごめん。木下さんも」

「……え?」

 木下は、信じられない言葉を聞いたとばかりに顔を上げた。女子の方は、俺と木下を交互に見て、困ったように笑った。

「や、あたしらも気を付けまーす。木下さんも涼真くんには勝てないみたいだし?」

「戦うつもりはないが、意外と大型犬より小型犬のが怖くないか?」

「たしかにー。えっと、河野くんもごめんねー」

 けらけらと笑いながら、彼女らは自分たちの席に戻っていく。

 まだ状況が飲み込めていない様子の木下に、今度は河野が歩み出て言った。

「えっと……ありがとう木下。あと五代も」

「ああ。あと河野、『異世界に転生したけどスローライフで無双します』面白かった」

「だ、だろ!? あれのヒロインは他の異世界ものとは違って──って、あんまりこういうところで言うな感想を! 木下さんだっているし!」

「ん? あ、悪い」

 この前薦められたアニメの感想を言い忘れていたので、ついでにと口にする。

 やはり河野のセレクションにはずれは無い。あたりはずれの激しい業界だと聞くから、河野に上澄みばかりをもらってしまっているのは少し申し訳ない気もしているが……河野はそういうの気にしないからな。……と?

「──木下?」

「ふぇ……? あ、は、はい」

 なんだかぼーっとしていた様子の木下に問えば、彼女は慌てたように振り向いた。

「どうした?」

「あ、ああいえ……えっと、その。なんだか……初めての経験で」

 初めて……と言われてなんのことか考えた。

 おそらく、木下の意見が通り、こうして遺恨なく場を終えたことが、だろうか。

 女子グループにだってプライドがある。彼女らのしていることが間違っているとはいえ、それを正論でたたきつけられて素直に頷けるほど精神は大人じゃない。

 ある程度自分の心を守りつつ、落としどころを探るのが彼らの人間関係だ。

 河野だって、今後のことを考えたら女子グループを敵には回したくないのだろう。

 一人ででもどうとでもなるよう努力している俺とは別。彼らは人間関係を円滑にする方に努力している。

かんって本……本? に、こういう話があるんだ」

「へ……?」

「ある国の王様がやってることがあまり良くなくて、それを見かねた賢者が城に来た、って話。だけど賢者はそのまま王様に説教するんじゃなくて、料理人になったんだ」

「え、料理人……? どうして……?」

美味おいしいごはんが作れる王様のマイフレンド、みたいな状態になって初めて賢者は王様に『こうした方が良いんじゃない?』ってアドバイスした。結果、国はうまくいった」

…………それ、って」

 そのエピソードの意味を理解したようで、木下が顔を上げる。俺は笑って続けた。

「あの女子たちは、俺の友達の木下が言うなら、って感じだっただろ?」

 要は何が言いたいエピソードかと言うと、人間は感情の生き物で、その意見が正しいか正しくないかではなく、どこの誰が言ったかで判断しがち、という話。

「河野も、女子ににらまれないなら素直に嬉しい。だからお礼言ってくれたんだろ?」

「そういう真面目な分析すんなよ……おれ弱ぇー……

 がっかりしている河野の肩を叩いて励ましながら、木下に振り返る。

「まあそんなわけで。友達作ろうってのは、そんな感じ」

 そう言ったと同時、先ほどまで木下と話していたたちかわたちが木下を呼ぶ声が響く。

 木下は、小さく「ぁ」と声を漏らして。

「なんだか……どんどん、世界が変わってく……」

 ぽつりと呟く彼女に笑った。

「五年に一人ペースはもう終わりだ」

「は、はいっ」

 ぱたた、と元のグループの方に向かう木下は、数歩進むごとにちら、ちら、と何度か振り返って、それから輪の中に戻っていった。

「……おれ今、木下さんに『お父さんと別れるのがつらいけど遠足に行く小学生』みたいなのが重なったんだけど気のせい?」

「はは、河野は小学生の時そんな感じだったのか?」

ちげぇよやめろよ!!」


    


「なにか……できることはありませんか?」

 正面から俺を見つめる木下の目は、奉仕の言葉とは裏腹におねだり上手な子に見えた。

 血色も少し戻ってきていて、頰がチークを入れたようにほんのり赤い。

 ひょっとしたらこのくらいの顔色が木下本来のものなのかもしれない。そう考えると、ここ数週間の日々は決して無駄ではなかったということだ。

「できることと言っても……今その真っ最中だが」

 フードコートで勉強中。

 誰かと一緒だと進まない、という人もいるが、木下はそうした例に当てはまらない。

 途中で集中が切れてグダることもないし、雑談もさっと切り上げる意志の強さがある。何よりそういう努力家が前に居ると、こちらも身が引き締まるというものだ。

「そ、そういうことではなく!」

 ふむ、どういうことだろうかと思って木下を見ると、なにやら面白い動きをしていた。

 えっと、とか。こう、とか。なんか手でろくろを回したかと思えば頭を抱えたり。

「面白いな、木下」

「ばかにされてませんか!?

 うがー、とばかりに顔を上げる木下。なんだか、表情も豊かになってきた。

「……わたし、本当に感謝してるんです」

「……感謝、か」

「なんで心当たりがない顔なんですか!? うそでしょう!?

「心当たりがないとまでは言わないが」

 ただ、お礼を言われるなんていつぶりだろうと思っただけ。

 そもそも人におせっかいを焼くことが久しぶりだから、それはそうか。

 お礼を言われること自体はあった。ただ、それが長続きしないだけで。

「まあでも、順調そうならよかった」

「はい。……本当に。気持ちに噓を吐かなくても、押し殺さなくてもいい。ただ、そのために必要なものが足りなかっただけなんだって、気づかせて貰って」

「そこまで重く受け止めなくても良いんだが」

「受け止めますよ。これまで生きてきて、初めて知った気持ちですから……」

 はかなげな笑みだった。

 昔できたことができなくなったのではなく、体験するまで知らなかったもの。

 少し納得した。立ったことのない場所に今、木下が立っているというのなら。

「で、だから! なにかできることはありませんか!」

 照れくさくなったのか、わたわたとそう切り出した。

「要はそれを恩に感じてるから、何か返させてくれってことなのか」

「はい、そうです! してもらったことになんの対価も払えないなんて……流石さすがに人としてどうかと思いますし」

「真面目だなあ……」

「はい、まじめです。まじめなだけです」

 とはいっても、してもらうことは特にない。

 というか、誰かに何かをしてもらわなければ生きていけないなど、完璧な人生ではないからだ。だからこそ、必要なことは自分でやる。してもらうことには対価を払う。

 俺が先に与えたのだというのなら、それに要求する対価は無いのだ。

 要求するよりも先に、余計なことだと手を払われてきたわけだし。

「なので、なんでも言ってください」

「なんでも良いのか?」

「はい、なんでも!」

 そういう、なんでもとか言っちゃうとこすごく不安なんだが。ふんふんとうなず木下きのしたは、俺から出る言葉をクイズの結果発表かなにかのように待っている。

 とはいえ……うーん。じゃあ。

「健やかに生きてほしい……?」

「ふへ?」

「心身ともに満ち足りて健康に末永く幸せを」

「それがどうしてだいさんへの対価になるんですか????

 首がねじ切れそうなくらいかしいでいた。

 ついでに瞳から光が消えていた。出会った時の本屋のようだ。

「まじめに言ってください!」

「まじめ担当は木下だろ」

「担当とかないですから! 人類みんなまじめに生きてください!」

「大きな野望だな……」

 とはいえ、実際クラスで起こりうる問題を未然に防ぐためのこの木下との交流だし……末永く心身ともに健康に生きてくれれば解決する話なんだが。

「逆に聞こう、木下」

「なんですか?」

「なんでもって言うが、金銭や物品を対価にするのは違うと思うんだ」

「……わたしにできることであればとは思いますが……そんな大金払えませんし」

「大金前提かよ」

「していただいたこと考えたら幾らお支払いすればいいのかなんてわかりません……」

「まじめだなあ」

 というわけで。

「木下は、たとえば何をしてくれるんだ?」

「た、たとえばですか!?

 木下のプライベートのことは全く知らないし、ちょうどいいから聞いてみよう。

「はい、木下みなみさん。得意なことはなんですか?」

「えっ、えっ? えっと……べ、勉強……」

 自分で言って自分で頭抱えてるこの子。

「うわー……」

「うわーとか言わないでくださいよ! た、体育も決して悪いわけではないですよ! 美術もその……合格点はもらえてますし!」

 なんか成績の話ばっかりだな。

「学校の成績関係ないところではどうなんだ?」

「成績と関係ないところ……?」

 宇宙を見つめる猫みたいな顔しだしたぞ。

「それこそ、休日とか何やってるんだ? まさか勉強だけってこともないだろ」

「お休みの日は……バイト、してます」

 バイト。意外なものが出てきたな。

「へえ。どういうの?」

「色々、日雇いのものを。会場設営とかです。椅子をくまなく並べたり」

 丁寧に一個一個椅子を並べていく木下の様子が目に浮かぶ。うわー、ちょっとでもずれてると直したりして時間かけてそー。

「……そうなのか。そのお金はどう使ってるんだ?」

「今は……ただめてます」

 僅かにうつむく木下。別に貯めることは悪いことじゃないと思うが。

 俺も母さんに禁止さえされていなければ、バイトしてお金貯めてたと思うし。

「いつか使い道ができるといいな」

「はい、そうですね」

 木下は応えるようにほほんで頷いた。

 ……ふむ。なんかありそうだが、プライベートに踏み込みすぎる距離感でもない。

「じゃあもう、バイトと勉強と食事睡眠で人生が完結していると……」

「どうしてそこまで言うんですかぁ!?

 木下、さめざめと泣くの巻。だって友達と遊びに行くことはゼロだろ。勉強の次に出てくる休日の過ごし方がバイトだろ。あともう、何があるんだ。

「インスタとかTikTokやってるタイプにも見えないし」

「インスタ……ああ、みんながよく話しているものですね」

「うん、このレベルじゃん」

「あの、厳しいです。さっきから、すごく」

「だってお前、今俺が木下に対価で頼めるもの、頑張ってバイトして頑張って勉強して、健やかに生きていってくださいで終わりだぞ」

「ふぐぅ……」

 HPが0になったのか、木下はべちゃっとテーブルに突っ伏した。

「まあ、もともと対価なんて求める気はなかったが──」

 と、言おうとしたその時だった。

「あっ!」

 がばっと上体を起こす木下。

「わたし、ご飯とか自分で作ってます!!」

「ほう」

「あと、家庭科は被服も手芸も実技成績良かったです!! 自分の靴下に空いた穴とか縫って──ぬ、って……」

「……木下?」

 瞬間湯沸かし木下が、顔を覆ってまたべちゃっと撃沈した。

「……張り切って余計なこと言ったぁ……穴空いた靴下縫って使ってる女ぁ……」

「いや良いだろ別に。経済的で」

「笑ってください。五代さんの周りに数多くのご友人がいることと思いますが、こんなことをカミングアウトしたのはきっとわたしだけ……」

「それはそう」

 わざわざ口にしたのは、確かにお前だけ。

「……うっ……ぅぁ……ぁぁ……

 なんかガチっぽい泣き方始めちゃったよ。周囲の視線が痛い。

 被服とか料理とかで頼ると、バレた時に母さんがクソ面倒なんだが……仕方ない。

「じゃあ、良かったら今度振る舞ってもらおうかな。料理でも良いし、手芸でもいい」

「っ……ほんと……ですかぁ……?

 半分顔を上げて、木下は言った。発熱レベルで顔が赤い。おでこで鉄板焼き作れそう。

「わ、かりました。必ず、かならずがんばりますっ……」

 目元を拭って、転んだあとの五歳児みたいな顔して頷く木下。頰を膨らませて泣くのを我慢してる感じ。えらいえらい。

「俺が手伝ったのは友達を作るところまでだし、そんなに気合入れなくていいから」

「でも、みんなが話を聞いてくれるようにもなって、初めてお礼なんて言われて」

「それは木下が普段からやってることに、友達効果がくっついただけだから」

 そう言って笑って、

「ちょっとお手洗い」

 と席を立つ。口元を突っ伏した時の両腕で隠したつぶやきが、ぽろっと聞こえた。


「でも……そのきっかけは、全部あなただもん……」


    


 その日の午後6時頃。おうちのキッチンにて。

「ヴぉぉおおくはぁああ今あああああ、あの空をおおおおお……ん?」

 電話がかかってきたのは、お徳用プロテインでドリンクを作っている時だった。

 あ、この歌はカラオケでも完璧でいるために、空いた時間でボイトレをしているだけだ。

 今はただの、熱唱しながらプロテインがっしょがっしょシェイクしてるやべーやつかもしれないが、これも完璧でいるための白鳥のバタ足である。

 ちなみに毎日やってるし、録音もしてる。恥じることなど何もない!

「……こぉちら五代」

『あ、りょう? なんか声変なんだけど。ふふっ』

「ん、ああ、ちょっ渇いてただけ。どうした如月きさらぎ

 この女、少しの違和感で俺の変化に気付いてくるから、マジで油断ならない相手だ。

『どうした、かー。んー』

「用が無いなら切るが。このあと出かけるし」

 プロテインを傾けながら、風呂の方を確認する。母さんが出てくる前に出かけないと、非常に面倒くさい。

『おうおう待てや! わざわざ電話して用無いわけないでしょ!』

「いやお前たまにそういうことするじゃん」

 なんだったらつい最近もやってたし。

『……迷惑?』

「別に支障をきたすほどじゃないけど」

 かといって、如月だって忙しいはずだし。俺と話すことは楽しいと思ってくれているようだが、彼氏彼女の仲というわけでもないんだから、あまり頻繁なのも如月に良くない。俺と話してるとこをファンや彼氏候補に見られたら機会損失だし。

 ……本当は「もう連絡してくんなキメェ」くらいのことを言って突き放してあげる方が良いのかもしれないが、そこまで非情になれる気もしない。それは完璧とも言いがたいし。

『そ。じゃあじゃあ今日の学校、どうだった?』

 こんな風に露骨に安心したような喜色ばんだ声をあげられると、余計に突き放しづらい。特に登校頻度の減っている如月が、無邪気に学校の話を振ってくるとなおのこと。

「そうだな……ああ、うん。楽しかったよ」

 学校での出来事を振り返ると、必然俺も笑みがこぼれた。木下きのしたにお礼を言われたこともそうだし、彼女の行動が否定されなかったこともそう。俺の考えたことがうまくいった、と言い換えることもできた。

『へぇ。ご機嫌じゃない。あたしの居ないとこで何があったの。聞かせなさいよっ』

 声色ひとつで俺の感情を読み取ってくるのも流石さすがだが、如月自身も楽しそうだ。

「まあ色々、考えてたことがうまくいったんだ。気持ちが報われたっていうかさ」

『そっか。ふぅん、そっか。ふふん』

「なんか俺より機嫌良くない?」

『そう? そうかも。あんたがそんな風にすっきりしてること、あんまりないしね』

 言われて思い返すと、どうだろうか。すっきり……すっきりか。

 確かに無い、かも。基本的に学校では完璧たらんと気を張っているし、安らぎがあるわけでもない。むしろ変な干渉をしのくぐる日々、と言えなくもない。

「……それで機嫌が良くなってくれるのは、どういう風の吹き回しだ?」

『失礼ね。あんたがうれしければ、だいたいあたしも幸せよ? ……意外って思われるのも、仕方ないとは思うけど』

「そうか。それは……素直にありがとう」

 意外ではあった。半年前から、半ばぎくしゃくしている節はある。なんというかこう、どっちがフッたフラれたというわけでもないけれど……俺と如月は、恋愛関係になりかけて、ならなかった、みたいな仲だから。

『そーそ。素直に礼を言えば良いのよ。でも、あんた最近なにしてたっけ。気持ちが報われたって、テストの点数とか?』

「まあ、それも込みかな?」

 俺の点数が良かったからこそできたこと、ではあるし。

『んー?』

 リラックスした、鼻に抜けるような如月の声。寝転がったりしてるんだろうか。

「いや、ちょっと今、手伝ってる子がいてさ」

あ゛?』

 がばっと起き上がったような音……&ドスのいた声。

『……そうだ、そうじゃん。あの芋娘』

「如月?」

『誰よあの女……!!

 どんな尋問だ。ていうか、知ってたのか? 芋娘……うん、まあ、まあ合ってそう。

「誰もクソもお前の次の出席番号を拝している、たった四十人のクラスメイトの一人だが。風紀委員で、身長はお前より少し小さい」

『んなプロフ聞いてない! 身長だけじゃなく全部小さいし中学生みたいな見た目の女をこのあたしと比べることすらがましいのよ!! ずっと机にかじりついてシャーペンだけ握ってるような子でしょうが!!』

「詳しいじゃん、木下のこと」

『あたしのすぐ後ろの席の女のことくらい知ってるっつーの!!』

「ここに一つの矛盾が生まれたんだが、聞く?」

『黙れ!!!』

 こわ。

『あたしが聞きたいのは! あたしの知らないうちになんであんな子と仲良くなってんのかってことよ!!』

「お、木下と俺が仲良く見えた?」

 如月にそう見えたなら誰からもそう見えただろうし、ひょっとしたらもう木下のことで心配する必要は本当に無くなるかもしれないな。

『嬉しそうにすんな!』

「なんではこっちの台詞せりふだ、如月。俺と木下が話してて何か問題があるのか」

っ〜〜〜〜!! 無い!! けど!!』

「けど?」

『ムカつく!! 木下木下うるさい!』

 まったく理解は出来ないが、素直で助かるな如月は。

「んじゃそのムカつく気持ちをどうにかしたいわけだな」

『あんたが冷静にあたしを処理するモードに切り替えたのもムカつく!!』

「それはいつものことだ」

『ばあああか!!』

 さて、しかし。俺と木下が仲良くしていることがムカつく、か。

 自分とは全然遊ばないのに、みたいな話だったらもう昨日駅前の百貨店でふっしょくされたはずだし。純粋に木下が嫌い……はありそうだな。

「木下嫌いなのか?」

『いま嫌いになった』

「原因が俺と関わってること以外に無いなそれ」

『涼真と話す女全員死ね』

「母親みたいなこと言うなよ」

『母親はそんなこと言わないでしょ!!』

「そうか。そうだな」

 普通はそうなんだな……。

『あんたの口から嬉しそうなトーンで「きのした」って出てくるのがもう嫌。その四文字のうち、言って良いのは「き」だけだから。……やっぱ「き」もダメ』

「お前の名前すら呼べなくなるな」

『あ、い、り。全部行けるけど?』

「……あのな」

『……別に今その話がしたいわけじゃない。ともかく、木下さんなんて興味もなかったしどうでもいい』

 ばっさりだった。ただ、さてどうするかと俺が思考を巡らせるよりも先に、如月は小さくめ息を吐いて、言葉を続けた。聞きみのない言葉を。

『……そのどうでもいいやつが涼真の時間取ってるのが嫌』

「またぞろ不思議なこと言い出したな」

『不思議でもなんでもないでしょ、ばか。どーせ変に肩入れして、最後には涼真が「やっぱやらなきゃよかったかも」とか言うんだし。ばかだから』

 ……存外、ありそうな話で一瞬黙ってしまった。

『そんじょそこらのヤツが、涼真についてけるわけない。涼真に頼って、うまくいくわけない。涼真がやってくれたこと全部分かって、素直にお礼なんて言えるわけない。だって、みんな涼真より出来の悪い人間だってこと突き付けられるだけだし』

「……そうかもな」

『それでも涼真のしたことは全部そいつにとってプラスになって、そいつは涼真に「余計なことしてくれてー」みたいなことだけ言って、涼真のしてくれた努力にただ乗りして生きてく。まるで自分が頑張ったみたいな顔して』

 なんとも、言い返しようのない話ではあった。

 テストで良い点を取らなければならないから勉強を教えてくれと頼んできたやつは、なんだかんだ成績は上がって、良い高校に進学した。

 声優になりたいと夢を語り、俺に協力してほしいと頼んできたやつは、現実的な夢を追うべくちゃんと勉強を頑張るようになった。

 俺が普段から鍛えていることを知って、強くなりたいから一緒にやりたい、と名乗り出たやつは、その後気の合う仲間を集めてわいわい運動サークルを作ったらしい。

 ──べつに、どれも俺のおかげではないとは思うけれど。

 如月はいつも、彼らを恩知らずと罵る。

「今回はそうはならないから」

『前回も前々回も同じこと言った』

「いや、今回はほどほどにしておくから。もう終わりだから」

 このまま木下が、それこそ健やかに生きてくれるならそれでいい。

『……もう勝手にすれば』

「そのつもりだよ」

『……もういい。木下は嫌い。以上』

 ぶつ、と通話が切れた。

 如月きさらぎのことだ、別に木下を嫌いになったからといってそれを言いふらしてイジメてやろうみたいな方向にはならないはずだが。

 それはそれとして、身に覚えのない罪で嫌われる木下がびんだ。

「さて……行くか」

 息を吐いて、玄関で靴を履く。これ以上時間を食っていると、から出た母さんに見つかってまた出かけるまでひともんちゃく発生してしまう。

 出かけると言っても単に日課のランニングと筋トレなんだが、試験明けの今週末には球技大会が控えている。俺がそこでダサいことをするなど許されない。というわけで日課に加えて軽く練習をしておこうというのがこの外出の目的である。

 ……ん? あれ、なんか通知来てる。木下きのしたからだ。珍し……くもないか。


みなみ :だいさんは、バスケットボールはお得意ですか?


 通知を見て、球技大会で木下も女子のバスケに割り振られていたことを思い出す。

 俺は男子の方のバスケだった。得意不得意で言うと、まあ苦手ではないくらいには練習したかな。最初はひどいもんだったんだよな、あの手の球技は経験者と素人しろうとがパッと見で分かってしまうから、結構練習時間を費やした。


五代りょう:それなりかな

みなみ :そうですか


 少し返信が止まる。ただ、急に連絡が来てこれで終わりということもないはずなので、ちょっと待つ。え、ほんとにこれで終わりじゃないよな?


みなみ :私、実は

みなみ :小学校の時にやっていて


 へー、これは意外。……となるとあれか。対価がどうこう言ってたし、俺が初心者と言っていたら、教えてくれようとしてたのかな。


五代涼真:俺はちょうど今から練習しに行くとこ

五代涼真:悪いな、初心者じゃなくて

みなみ :え

みなみ :謝るということは、私が聞いた理由がわかっタトゥー?

みなみ :分かったという?


「わかったとぅー、か。斬新な誤字だな」

 苦笑をみ殺して文字を打とうとすると、俺の予想より慌てているようだった。


みなみ :え、消せないんですけど

五代涼真:かわいそうに

みなみ :かわいそうにってなんですか!? 消す方法ないんですか!?


 きっと普段からLINE使っている人間はみんな消し方知ってると思うが。

 面白いからしばらく見ていよう。


五代涼真:でもそれなら少し練習付き合ってくれると助かるな

みなみ :え

みなみ :いいんですか?

五代涼真:経験者ならありがた

五代涼真:実は俺の家、木下の隣駅でさ。近くの公園とかでどうかな

みなみ :今から行けます


 お、マジか。今週のどこかで、とかのつもりだったんだけど。

 なんかすごいやる気を感じる。ので、俺は了解の意を返しておいた。


五代涼真:分かっタトゥー

みなみ :五代さん!!!れ!!!れ!!!!!!!!!!


 この謎の「れ」も、エクスクラメーションマーク連打しようとして失敗してるだろさては。小さく笑って、残りのプロテインドリンクを飲み干した。

「母さんを置いてどこ行くの……?」

 しまった……。


    


 なんとか必死の説得の末にやってきた夜の公園。

 この公園のがらがらの駐車場には、なぜかバスケットのゴールが設置されている。

 借りた外用のボールを弄び、軽く準備運動をしていると、俺を自転車のライトが緩く照らした。顔を上げると、そこに学校指定のジャージ姿の木下が居た。

「お、来たな」

「来たなじゃないです」

 あれ、なんか怒ってる。

 いそいそと自転車を止め、おさげ髪を揺らしながらぱたぱたと俺に駆け寄ってきた木下は、「わたし怒ってます」とばかりのむくれた表情で言った。

「誰だってあのくらいの誤字はします!」

「ん? ああ、そうだな」

「そんなさらっと認めてくれるくらいなら最初からからかわないでください!」

「ああ、消し方教えるよ」

「しかもあるんですね消す方法!!! すぐには教えてくれなかったのに!」

 そりゃあまあ、無いとは言ってないし。

 ぷんぷん怒りながら、それでも話は聞くようで俺の画面を見ながら自分の画面を操作する木下。ちらっと見えた友だちリストは、前より数人増えていた。

「ちゃ、ちゃんと消えた……」

 露骨にほっとしている木下。

「じゃあ軽く準備運動だけしておいて。俺はもう終わったから、少し身体からだ慣らしてるよ」

「分かりました」

 はじめは高い位置から、軽く玉を突くくらい。それをだんだん低くしていって、地面から1センチ程度のところでだだだだだだと弾ませてみる。意外と身体が覚えてるな。

 クロスオーバー、レッグスルー、ビハインドバック。うん、おぼつかないことはない。

 軽くレイアップから始めるか、とゴールに近づいたところでふと気づく。

 ──木下って経験者って話だけど、バスケやってて友達いないことあるか?

「あ」

 しまった外した。邪念が。

「五代さん、フォームすごいしっかりしてますね」

「ん? ああ、練習したからね。外したけど」

「それは……経験者でもよくあることですよ」

 ふふ、と笑って、彼女はフリースローラインから両手で自分のボールを放った。

 リングの縁に軽く当たって、するっとネットを通る。手慣れたものだ。

「あ、うまくいった……久々だと逆に精度が上がったりしますよね」

「それは分からなくもないけど、久々なのか?」

「はい。去年の球技大会前以来でしょうか」

「去年も練習してたのか」

「え? あ、はい。行事の前ですし」

 当たり前のことでは? とばかりに首をかしげる木下だった。

 別に球技大会が楽しみだからとかではなく、学校行事だからちゃんと参加しなきゃって考えているところが木下らしいというかなんというか。

「小学校の頃は結構やってたんだ?」

「はい。運動した方がいいとかで、小学校が土日にやっているサークルに」

「へえ……活躍してた?」

「どうでしょう……一応、教えられたことは出来てた……かなぁ。でも、なんというか」

 ぽんぽんとドリブルを繰り返しながら、こぼすように木下は言った。

「その頃から、あまり団体行動は向いてなかったんだなあって今になって思います。その時は気にならなかったけど……チームの子たちと遊びに行ったこともないですし」

「Oh……」

「なんですかそのリアクション!! 友達いないって言いましたよわたし!」

「そうだったそうだった。でも今は居るってことで一つ、許してほしい」

「そ、れは……感謝、してますけど」

 不満そうに唇をとがらせる木下だった。

「今回の球技大会も、あいつらと一緒に頑張れるといいな」

「はい」

 俺も少し離れたところから打ってみる。バックボードに当たってどっか飛んでったので取りに行こうとすると、それより早く落下地点を読んで木下が向かってくれていた。

 シュートフォームの時点で分かることではあるが、こういう細かいところが確かに経験者っぽい。

「ありがとう」

 ワンバウンドさせたパスを受け取ってそう言うと、木下はピタッと止まった。

「どうした?」

「ぇ? あ、いえ。どうぞ、続けてください」

 なんかぎこちなく、あちらへどうぞ、みたいな感じでゴールを手で示す木下。

 いまいち意味が分からないが、もう暗いせいで遠くの木下の表情までは読めない。

 言われるがままにもう一度打った。んー、ちょっとれたな。

 リングにはじかれたボールが、さっきとは反対方向へ飛んでいく。

 それを俺が歩いて追いかける横を、なんか風が抜けていった。

「……木下?」

「はい、どうぞ」

「ああ……ありがとう」

「っ、いえ、全然、はい!」

 気付いたら女子に球拾いさせてしまってるんだが、どうすれば良いんだろうか。

 妙なプレッシャーを感じながら、手首をスナップさせて球で放物線を描く。

 感触を調整し、角度を定めて放った球はれいにリングを抜けて──そのままゴールの向こうへとボールが転がっていく。

 流石さすがに取りに行こうと走りかけたら、もう既に木下きのしたが取りにいっていた。

「はい、こちらに」

 手渡されるがままにボールを受け取ってから木下を見れば、にこにことしながらも何かを待っているように俺を見上げている。目が明らかに何かをおねだりしている。

 えーっと……?

「ありがとう……」

 そう言うと、彼女の表情が、ぱっと明るくなった。……おいおい。

「! いえいえ、全然! 次も決めましょう!」

 ゴール下で手を振り、スタンバっている木下みなみさん。

「……木下、ちょっと集合」

「? は、はい」

 とててて、と駆けてくる木下。なんか体育の先生にでもなった気分だ。

 近くで見た木下は、なんだかにこにこと楽しそうだ。こうなると逆に言いづらいが、とはいえこの状況はあまり良くないはず。俺がおかしいわけじゃないよな?

「ボール、取って来てくれるのはうれしいんだけど」

「はい!」

 いつになく良い返事と、嬉しそうな顔。……待てよ。

「……ありがとう、木下」

「ふへへ……いえ、そんな」

 案の定めちゃくちゃ幸せそうにほほんだ。いやもうこれ、あれじゃん。

 学校でのことを思い返したら答えは一つじゃん。お礼言われ慣れてないんだこの子。

 なんだこのやりがいさくしゅされそうな真面目の典型。

 だめだこいつ俺がなんとかしないと。

「とはいえ、自分のボールくらい自分で取りに行くから」

「えっ……どうして」

「どうしてもこうしても、木下も練習しに来たんだろ?」

「あ……それは、そうですね」

 冷静になってくれたか。言われてみれば今日の教室での一件も、こうにお礼言われたことで衝撃受けたような顔をしていたし。

「なんでもかんでも、感謝されるからっていう理由で動いたらバカを見るぞ」

 ……地味に俺にもブーメランな発言。そもそも俺は感謝すらされてないから余計に重症。とはいえ、木下が誰かに使い潰されるような未来は御免だ。

「ち、違いますよ!」

「そうか?」

 何が違うんだ。

 と、彼女を見ると、木下はそのおさげを両手でぎゅっと握ってそっぽを向いた。

「ご、だいさんのお礼は、その……麻薬みたいなものでっ」

 ……は?

「なんだそれ」

 ふ、と笑ってしまった。

「だ、だって!! だって……やっぱり、何も返せてなくて」

 言い訳のように口走る内容が、あまりにも生真面目だ。

「せめて何か少しでもって思ってるところに……あんな風に、笑ってもらえたら」

「えぇ……?

「そんな顔しないでください! 誰だってこうなります!! わたしなんかでも役に立てるんだって思ったら、もうダメなんです!! なんとでも言ってください!!」

「将来だまされてみついだりしそうで激しく不安」

「ふぐぅ……!

 胸を押さえてよろめく木下だった。なんとでも言えと言われたから、割と本気で思ったことを直球でぶつけたので、まあ悪いとは思うが反省はしていない。

「貢ぐとしても五代さんです……」

「なら良いや、とはならないんだよ」

 め息を一つ。それから、ボールをくるっと指の先で回転させて、言った。

「ちゃんと練習しよう。そのためにここに来たんだから」

「はい……」

 消えゆくような台詞せりふと裏腹に練習自体はやる気のようで、動きはピンシャンしていた。

「本当に経験者じゃないんですか……?」

「色々調べて練習したけど、部活とかでやっていたわけじゃないな」

 何事も、いざ本番、と言われた時に無様をさらさないようにしているだけ。メジャーな球技は全部、基礎までは押さえた。流石に最新のルール変更とかまでは知らないから、その辺りはまた巡ってくる機会までに勉強しておくけれど。

『●● 基礎』で検索すれば無限に学べる時代だしな。

 俺は決して、運動神経がズバ抜けているわけじゃない。見たことをそのままできるようなタイプの人間とは違う。完璧であるためには、先手を打って慣らしておく他ないのだ。

「とはいえ、うん。さっきの話じゃないけど、付き合ってくれて助かったよ」

「! はい、ありがとうございます!」

 お礼言われた側の反応じゃないって、その笑顔。

「お礼はこっちだって。実際、俺が初心者だったら教えてくれようとしてたんだろ?」

「あはは……バレちゃってたみたいですけど。そうですね」

 ある程度シューティングをやってから、基本の動きのおさらいをした。

 オフェンス、ディフェンス時の姿勢なんかを重点的に。経験者の木下にフォームの確認をしながらだとだいぶはかどるもので、木下が居ることはうそ偽りなく大助かりだった。

「ふっ……!

 力強い吐息とともに、綺麗なバックスピンをかけて描く放物線。

 縦に伸びきった身体からだは全力のあかし。リングを見据える真剣なまなしもまた同じ。

 フォームが綺麗っていうのは、今の木下みたいなのを指すんだろうか。

 ネットがひるがえり、気持ちの良い音が響くまで、俺は彼女を見つめてしまっていた。

 俺は……れていたのか。夜の街灯に照らされて、ひたむきな努力を続ける少女に。

「木下の魅力がそこにあるんだから、仕方のないことか」

 誰も聞いていない言い訳を一つ零して、思う。

 うん、だからさっきの球拾いは、やっぱりちょっとどうかなあ! って。

「……はあ。なんだか暑くなってきましたね」

 振り返る木下の頰は上気していて、確かにほかほかしてそうだ。

「ん? ああ、結構動いたし、もう暖かい時期だしね」

 木下は自分がこいできた自転車のそばに寄ると、きっちり首元まで締めていたジャージのファスナーを下ろしていく。分かってはいたけど、下も学校指定の体操着だった。

 半袖一枚になると、木下の身体のラインもはっきり見える。なんというか……きゃしゃだ。

 全身を使ってシュートしていたことからも薄々分かっていたが、腕は細いし胴も細い。

 女性らしいくびれはあるというか、お尻は丸みを帯びているけれど……それでもやっぱり小さいし。上半身は、なんというか中学生って感じでした。はい。

 いや、俺が如月きさらぎのスタイルを見慣れすぎているせいもあるかもしれないが。

「……なにかありました?」

 しまった、見つめていたのがバレたようだ。丁寧に畳んだジャージを前かごに仕舞った木下が、振り返りざまに首をかしげている。

 なにかって言われても今思っていたことを口にするわけにもいかない。

 さっと見つめていた理由を考えて、口にした。

「学校指定の体操着なんだな」

「え、そうですけど……えっ?」

 それの何がおかしいんですか? とでも言いたげに腕を上げたり、意味も無く脇のあたりをのぞいてみたりしている木下。いや、ジャージそのものに欠陥があるわけじゃないんだけど。……しまいには何も分からなかったようで泣きそうな顔をしてもう一度俺を見た。

「……えっ?」

 この、無自覚なやらかしをしたんじゃないか、みたいにおびえている顔よ。

「分かった分かった俺が意地悪な言い方をした」

 そもそも俺が話題を無理やり作ろうとしたせいである。

「体育とか部活でもないのに、学校指定のジャージ着てるなあって思っただけ」

「ダメだったんですか!?

「ダメじゃないから気にするなって」

 そう努めて笑ってみせると、木下はハッとしたように俺を上から下まで見る。

 おっ。俺が学校指定の体操着じゃないことに今気づいたのか? えらいぞ。

「かっこいい……」

「そりゃどうも」

 しまった! とでもいう風に口を両手で塞ぐ木下。相手に聞かせるつもりは無かったということか。さっきの俺と同じだな。

 俺は毎日ランニングと筋トレに出ていることもあって、トレーニングウェアはちゃんとしたものを使っている。母さんいわく安物買いは銭失いだとか。特に何年も使うものは、良いものを買った方が長期的には経済的らしい。買い替えの必要が減るからだ。

 インナーはぴっちりした速乾性の黒の袖無しスリーブレス。その上からワンサイズアップした大き目のトレーニングシャツでちょっとダボついたシルエット。下は膝下まであるバスケ用のパンツをいつも何枚かで使いまわしている。動きやすくてひらひらしたやつ。

「……」

 気付けば木下は何やら自分の身体を見下ろしていた。なんかぷるぷるしてる。

「でもほかになにももってません……」

 めちゃめちゃへこんでた。

「別にダメじゃないというに」

「で、でもっ……!

 がばっと顔を上げた木下きのしたの悲痛な叫び。

「わたし今、本当にまじめなだけの、おしゃれ度ゼロの女だと思われてませんか!?

「それはまあ、一緒に勉強してる時から変わってない印象だし」

!!!!!!!!!!

 雷が落ちたはとみたいな顔してんな。わいいけど。

「なっ……ぁっ……!?

「そんな衝撃だったの?」

 逆に俺にどう思われてるつもりだったのか聞いてみたいけど、今聞くと追い打ちみたいになりそうだからやめておく。

「いいじゃん別に、木下の魅力に関係ないよこれ。むしろある種の魅力だよ」

「そ、れはでも……俗に言うおもしれー女のベクトルじゃ……」

 そういう知識はあるのね。

「否定はしないけど」

っ〜〜〜〜〜!!

 もうまずもって今の発言がおもしれー女だよお前、分かってる?

 ぽかぽか俺の胸をたたく木下。全然痛くないから良いけども。

「ま、ほら。練習練習」

「……おもしれー女じゃないです……ただの木下です……」

「わかったわかった」

 まあ、なんというか。少し俺から、言えることがあるとするならば。

「ジャージで来るのが木下の魅力、ってわけじゃないから誤解はしないでほしい。ただ、なんていうかな。木下にとって今日一番大事だったのは練習することで、それに最適な服で来たわけだろ?」

 目標のために努力する、そのひたむきさがその服装にも表れているからこそ、ある種の魅力だと言ったまでのこと。

 ぽんと木下の肩に手を置く。スポブラっぽいかたひもの感触があったが、努めて気にせず。

「だから、そんなに落ち込むなよ。俺はおもしれー女木下、良いと思うよ」

「おもしろくないんですよ!!!」

 しまった間違えた。完璧ポイントが減った。

「ほら練習練習」

 誤魔化して、手元のボールをリングに放る。外れた。


 むくれていた木下も、シュート練習を繰り返しているとだんだん落ち着いてきたようで。

「さて、そろそろ帰ろうか。木下は、時間大丈夫か? ほら、門限とか」

 気づけば、良い時間になっていた。木下を見ると、時計も確認せずにさらっとうなずく。

「はい、大丈夫です」

「ふむ……親御さんとかからは、結構自由にしてて良いって言われてるのか?」

「……そんな感じです」

 ……親との仲は、相変わらずあまりうまくいってない雰囲気がはっきりと。

 学校のことでぎこちなくなっているという話だったから、根本の学校が上がり調子の現状、自然にうまくいくことを願っていたんだが……まだ難しい感じかな。

「分かった。自転車だし大丈夫だと思うけど、気を付けて」

「はい。だいさんこそ、お気を付けて」

 この公園を境に、反対方向。何度も振り返っては手を振る彼女が道の先に消えていくのを見届けて、俺もボールを抱えて、帰りのランニングを再開した。