どんな人間にも倒せないやつはいる。


「やだやだやだー! 捨てちゃやだー!」

「捨てるとは言ってない……」

 玄関で天井を仰ぐのは、もう何度目になるだろうか。

 俺の胸をべしべし叩いて抗議をするこのちんまいのが……まごうことなき母親だ。

「もうちょっとこう、普通の弁当にしてくれと言っているだけなんだけど」

「普通……!? もう、りょうくん! そんな聞き分けのない子どもみたいなこと言わないの! よそはよそ、うちはうち!」

「違う違う違う。そういう親っぽいこと言えるタイミングじゃないって」

 ハートマークだらけならまだマシ、わいらしいキャラ弁が似合う年頃ではなくなって久しいのに、いつまでってもうれしそうな顔で弁当を手渡ししてくるものだから、俺も結局断れずに今に至る。ちょっと手心を加えてほしいと願い出るとこれだ。

 なお、作らなくて良いなどと口にすると、絶縁叩きつけられたみたいな顔をするので、ただの悪手だ。俺はその手で三敗している。

「じゃあ、あたしに飽きちゃったってこと……!?

「母さん! 母さん!! なんの話だ!」

「りょうくんに飽きられちゃったら、あたしこれからどうやって生きていけばいいの!?

「人聞きが悪すぎるんだよ!!」

 ほんともう外に出ないで欲しい。

「あー……わかったわかった。じゃあ、明日もお願いするから……」

「ほんと!? ふふっ、もういつまで経っても親離れできないんだからぁ!」

「こ、この……!」

 つんつん突いてくるこれが、血縁証明付きの俺の親であることを、もう一度言っておく。

「……で、えっと、母さん。晩御飯は……」

「もちろんあるわよ! でもりょうくん!」

「……なんだ?」

「今日はあたしと一緒に映画見る約束よね!!」

…………食べながら見る?」

「ええ、そうしましょう!!」

 るんるんとスキップでキッチンに引っ込んでいく母さんを見送り、とりあえず俺も自分の部屋に戻る。ちらりと母さんの部屋をのぞき込むと、おやの仏壇。

「……ただいま」

 挨拶くらいはしておくが、それ以上もそれ以下もない。

 部屋にバッグを置いてダイニングに戻ってくると、廊下と一体化しているキッチンでフライパンを振るう母さんと目が合った。

「それにしてもさー!!!!

「そんなとこから叫ぶなよ……。なんだよ」

 喉をらされてもたまらないから、俺からキッチンに移動する。

「今日、遅かったね。どこ行ってたの?」

「遅いと言っても6時半なんだが……」

「だっていつも6時には帰ってきて……そしてそのまま出て行っちゃうじゃない。あたしを置いて」

「ただの日課な????

 何を言っているのかこの母親は。まるで俺がうわ旦那みたいな言いぐさである。

 ランニングと、ついでに公園で筋トレしてくるだけだ。今日はちょっと量が多いが。

「で、なにしてたの?」

「別に、大した用じゃないよ」

 あまり話したい内容でもないから、努めて軽くそう言った。

 ただまあ、嫌な予感はしていた。こういう時だけは妙に鋭い人だから。

 すぐさまじとっとした目になって、声のトーンが一段低くなる。

「……りょうくん、あたしに何か隠してるでしょ」

 頑張って低くしているけど、頑張ってる感が隠せてないのが母さんクオリティ。

「隠し事の一つや二つくらいあるだろ、高校生なんだから」

 だからこうして流すとすぐにボロが出る。

「やだやだ! りょうくんの部屋のどこに何があるかも全部把握してるんだから!」

「マジでやめてくれない????

 別に見つかって困るようなものも特にないが、だから良いってわけでもないだろ。

「……で、お母さんの目はごまかせないんですけど?」

「どうしても話さなきゃダメか?」

「うん。さもないと──」

 今作ってる晩御飯抜きとかか? と俺が代償を想像するよりも早く母さんは言う。

「──ベランダで大声で泣く。息子に捨てられたって」

「やめろマジで」

 うち安いアパートなんだから周囲に無茶苦茶聞こえるだろうが。

「……はあ」

 め息を一つ。いつになったら俺は母さんに勝てるのか。

「別に大した話じゃない。ちょっと見てられないことがあっただけ」

「……ふぅん?」

「嬉しそうにするな」

 一変して楽し気な笑みを浮かべる母さん。

 温め直した料理をテーブルに運びながら、さっきまでとは違う優しい顔で言う。

「りょうくんは、嫌がるけど。お父さんもそうだったから」

「だから嫌なんだよ。こんだけ生活苦しいのも、自分のことも考えずにあちこちに良い顔した親父の遺産がカラなせいだろうが」

「十分幸せよ。お夕飯におかずが二品もあるんだから」

 母さんはほんとうに心からそう思っているような、弾んだ声色で小皿を置いていく。

「……あのなぁ」

 それも全部母さんのパートと保険の解約で賄ってるものだろが。

「俺は、親父みたいになるつもりはない」

 そう一言でねのけても、正面に腰かけて居座った母さんは、にこにこと笑みを崩さないまま。俺が全部を口にするのを、このままだと朝まで待っている。

「ただ……」

「ただ?」

 嬉しそうに首をかしげられて、俺は諦めて胸の内をこぼした。

「一度気になると、どうにもならない。……血のせいか? そんなもののせいで俺の気持ちは左右されるものなのか?」

 今日だって、木下きのしたが泣いているところを見てしまったせいで余計なお世話を焼いた。

 俺にとっては、なんの得にもならないのに。

「お父さんがそうだったから、りょうくんもそうなる……ってわけじゃないと思う。でも、そんな顔をしないで欲しいわ。りょうくんの優しさは、欠点なんかじゃないもの」

「……母さんはそう言うけど」

 でも、俺が余計なことをした結果はいつだって、

『最初からだいに任せておけば良かった』

『全部お前で良いじゃん』

『はいはい、かっこいいかっこいい』

 ……ろくなものじゃない。

 賞賛をされることはある。でもそれは求めていたものじゃない。誰かの望みをかなえたくて手を貸して、その結果として当人より頑張りすぎてしまったり、空回りしたり。そんなことばっかりだった小中時代。

 望むもののために努力するのは当たり前だと思っていた。一緒に頑張ろうと笑った。ただ、努力するにもどうやら才能があるらしいと知った。

『俺はもう疲れた』

『夢はあるけど、ここまで頑張らなきゃダメならもう良いわ』

『お前のが才能あるよ』

『お前のバイタリティにはついていけねえわ』

『そこまでしろとは言ってねえよ』

 ならもう、誰かに手を貸すのなんて単なる余計なお世話じゃないか。

 それが、親父と似ていると言われたらなおさらだ。

 なのに俺は、学習しない。

「りょうくんは、お父さんのことどう思ってる?」

「葬式にさえ、ろくに人が集まらなかったようなみじめな親父。死後も母さんの足を引っ張ってるろくでなし。おせっかいが過ぎて身を滅ぼした愚か者」

「……そう、ね」

 そんな寂しそうな顔すんなよ……。

「でもね、りょうくん。あたしはお父さんのこと今でも世界で一番好き」

「だからなんだよ」

「だからね、りょうくん。きっとあなたにも……そういう人ができるから。あなたの気持ちを押し殺さないで、思った通りにやってみなさい。りょうくんはかっこいいんだから」

 母さんはそう言って心底嬉しそうに笑った。

 今でも、母さんに何も残さなかったような親父を、ずいぶん誇らしげに語って。

…………俺はもう、自分のしたことで後悔したくない」

 だから、今回のことはほどほどに。

 俺には、親父にとっての母さんみたいな人ができるとは限らないんだから。

 その時ぽこんと、通知が一つ鳴り響いた。


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