完璧な男、だいりょう


 ──五代涼真は完璧な男。

 それが、俺が俺自身の名に懸けた誓いであり、果たすべき使命である。

 周囲からの評価は良好。今日の振る舞いも成果は好調。俺の周囲に形成された社会の中で、五代涼真の得ている肩書きは今日もひとまず〝完璧〟と称して差し支えない。

『打ち上げの日程、あとは涼真次第で!』

 俺の存在の有無で、所属集団の重要な機会を決定し。

『涼真くんって、ほんとなんでもできるんだね』

 日頃積み重ねた白鳥のバタ足で、周囲に一切の弱さを見せることなく。

『ふ、ふふ……涼真くんの髪の毛……』

 うんまあ、ちょ、ちょっと過剰なファンもできちゃったくらいのカリスマ? がある。

 個にして完璧。誰の助けも必要とせず、かといって孤独や孤高になることもなく、隙の無い存在。──情けない父親を見て育ったが故の、人生の攻略法がこれだ。

 ただ、俺は今でも親譲りの欠点を一つだけ、克服できないでいた。

「……悪いみんな。先に帰っててくれ」

 パン、と手を合わせて拝むようにクラスメイトたちに謝罪する。

 学校からの帰り道、引き返そうとする俺を見て皆が顔を見合わせた。

「えっ、涼真? 全然待つよ?」

「そーだよ。このまま遊び行かない?」

「せっかく涼真くんが付き合ってくれたんだし」

 ありがたい申し出だが、断らざるを得なかった。

「ちょっと、時間かかる用事が出来ちゃったんだ」

 ポケットからスマートフォンを取り出して、急用アピール。

「まあ、涼真がそう言うなら。今度埋め合わせしろよな!」

「ああ、そうしよう。ありがとう」

 クラスメイトのありがたい優しさにうなずいて、俺は校舎に引き返す。

 出てきた昇降口を戻りながら、彼らへの埋め合わせを考える。

 またどこかで遊びにでも誘おうか。それとも、要望は彼らに委ねようか。

 いずれにしても、不義理をはたらいた自覚はあるから、償いはしたいと思う。

 俺が引き返したのは忘れ物でもお手洗いでもなく──空を見上げた際の俺たちの教室に、小さな人影が見えたからだから。

「……ふぅ」

 教室の前に辿たどり着くと、まず聞こえたのはか細い吐息。

 ただでさえれいだった夕焼けが、3階の教室には優しくも強く差し込んでいる。

 がたん、と机の脚が床を擦る音。そっと揺れる、結わえた黒髪の二房。

 長いまつ毛が寂しそうにうつむいて、彼女は独りそこに居た。

 木下きのしたみなみ。最近少し話すようになった、クラスメイトのきゃしゃな風紀委員。

「木下、ひとり?」

「えっ? あ、五代……さん」

 開けっ放しの扉の前でそう問えば、伏し目がちだった瞳が大きく見開かれた。

 せっかくこんな宝石を埋め込んだみたいな綺麗な目をしているのだから、普段からもっと笑っていられると良いんだが。

「机の整理? また誰かに頼まれたとか?」

「それは……」

 きゅっと胸元で自身の手を握りしめるようにして、木下は俺から目をらした。

 また伏し目がちになった瞳には、あまり話したくなさそうな雰囲気。

「ま、いいや。手伝うよ」

 五代涼真は完璧な男。そう心の中で唱える。

 すぐにでも彼女の状況をどうにかしてあげたい気持ちはあるが、あせって首を突っ込んでも、彼女からしたら急にぐいぐい来るキモいヤツだ。

「あ、いえ……五代さんに手伝われるようなことじゃ」

「いいからいいから」

 俺は周囲から見て完璧な男であることを心掛けて生きている。

 それは目に見える実績だけでなく、相手との距離感もそう。そして、誰かが抱えた問題に対して俺が示す解答も。

「こういうのも好きなんだ。がたがたの机を見ているとじんしんが出る」

 そう言ってほほむと、木下は少し驚いたような表情。

 それから、困ったように目じりを下げて、彼女も小さく笑った。

うそばっかり……」

 ──完璧な俺の、完璧でない部分。

 誰かの抱える問題に、すぐに首を突っ込もうとする悪癖だ。

 おやは誰彼構わず人助けとぬかして偽善者を貫いた結果、ばくだいな資産を持っていたにもかかわらず全てを他人に食い尽くされて人生を終えた。

 だから、俺はそうはならないと決めていたはずなのに。

「これで……よし……」

 ただひとり仕事を押し付けられて、それを黙々とこなす少女を見ていられなかった。

 それが少し前のこと。今となってはそれなりに木下も警戒を解いてくれて、話も弾む。

「……そういえば」

 机の擦れる音だけが響く静かな教室に、ぽつりと木下はつぶやいた。

「今日のお昼休みも、あちこちで次から次へと五代さん周りの話題がありました」

「へ、へー……」

 それは、あまり喜ばしくはない気がするな。

「隣のクラスのおうさんが、『次の定期考査こそ五代に負けない』と怒鳴り込んできて」

 王寺……確か学年二位だか三位だかを自称していた彼か。うちの学校、成績の張り出しとかしないのによく誰が何位とか調べてくるな……。

「化学のおおぬき先生が、五代くんと秘密のレッスンをするとかなんとか」

 大貫……俺にやたら粘着してくる四十代の女教師な……。この前も尻でられた。

「あと、今日こそ五代さんと一緒にお昼を食べようとして、わたしたちのクラスの何人かが五代さんのことを捜してましたよ?」

「そうか……」

 残念だがそれは、今後もかなわぬ夢としてもらう他ないな。

 いや違うんだ。俺が昼休みに居なくなるのは、孤高を気取っているんじゃない。

 単にうちの母親が作る弁当を知られないためなんだ。今日の弁当なんか、【りょーまだいすき♥】って海苔のりで書いてあったんだ。彼女じゃないぞ、母親の弁当だぞ。

「……それから、五代さんの机のまわりで髪の毛を拾っている女子生徒が居たので流石さすがに風紀委員として注意しました」

「ありがとう、本当にありがとう」

 俺の話ろくでもないな全部。

 木下の両手を握ってぶんぶん振った。感謝を込めて。

「あ、い、いえそんな……!」

 おっと悪い。

 夕焼けを背景に、わたわたと慌てた木下から距離を取る。俺は他人に自分から手を触れるようなタイプの人間では無いはずなんだが、今のはちょっと感謝が暴走した。

「……でも」

 木下は、俺が握ってしまった手をそっと撫でて、呟くように言う。

「やっぱりなんだか不思議な感覚です。そんな〝みんなの五代さん〟とこうして──二人で話していることが」

 顔を上げた木下の表情が、不安と困惑に揺れていた。

「あの」

「ん?」

 恐る恐るといった風に、その柔らかな唇が動く。

「──どうして五代さんは、わたしなんかに構ってくれるんですか?」

 どうして、か。

 それはあの日──。