薄暗く人気の無い、そんな寂れたトンネル付近で一組の男女が悪霊と戦いを繰り広げていた。
一人は長い黒髪の十六歳から十七歳程に見える制服姿の少女。
もう一人は歳を同じくした同級生と思わしき制服姿の青年だ。
対する敵は今時珍しい実体を持った悪霊であり、女性のようなシルエットでありながら、ところどころ肉が腐敗し骨が見えている。
所謂アンデット、ゾンビと呼ばれる者たちだ。
女性型のゾンビは腕を振り回し、自身の妖力で伸ばした爪で迫り、自在に動く髪の毛で二人の男女を拘束しようとしている。
その動きは腐敗した肉体からは想像もつかない程に俊敏で、もしこれが一般的な運動能力を有する只人であったならば、一分も持たず殺されている事だろう。
だが人気のない場所に自ら立ち寄り悪霊と戦闘を繰り広げるこの二人は、もちろん只人では無かった。
少女は経典のようなものを読み上げ印を結び結界を張りつつ、全体的な相手の動きを妨害し、弱体化を図る。
片や青年は式神で出来た
そう。
もうお気づきかもしれないが、この二人こそ日本が誇る妖怪退治の専門家、陰陽師の家系にて頂点に君臨する一族、戸神家の長女『戸神黒子』と戸神家の養子『鬼道』である。
「はぁ……。はぁ……。はぁ……。くっ、強力な個体とはいえ、妖一匹でこの体たらくですか」
「黒子様、これ以上は霊力が持ちませんよ。あとは俺がやりますから下がっていてください」
とはいえ、相手もそれなりに強力な個体、実体を持つ程の悪霊だ。
いくらこの二人がその筋の専門家とはいえ、一筋縄ではいかないのもまた事実。
既に黒子の霊力は底を尽きかけ、鬼道のサポートを万全に行えない状態であった。
それもそのはず、この局面においては肉弾戦を行う鬼道より、常に結界を張り力を消耗し続けている黒子の方が数倍負担が大きいのだから。
鬼道は少なくとも消費する霊力が武器の維持だけで済むので、負担はそれほどではない。
「いけません。それではあなたの負担が大き過ぎます。……私も巫女の任を担う戸神家の一族、この程度で根を上げてはあの方に笑われてしまいますよ」
「あの方、ですか……」
黒子の言うあの方とやらに思い当たる節があるのか、鬼道は苦虫を潰したような表情になりながら歯を食いしばる。
どうやらこの人物に対して、この青年はあまりいい思い出がないようだ。
しかしその想いが功を奏したのか、直後青年が大胆な動きを見せ悪霊に痛恨の一撃を与える。
その一撃にて悪霊の動きは徐々に鈍くなっていき、終いには黒子の補助無しで決着をつける形となったのだった。
これにて一件落着、……かと思いきや。
────その帰り際。
「黒子様、やっぱり俺はこの状態を認められません。やはりあの斎藤とかいう男にハッキリと話すべきです。……あなたが巫女として、九尾の封印に命を捧げなければならない事を。悩んでいる今のあなたは見ていられない」
「…………それはできません」
鬼道の進言に、黒子は表情を歪めながらも苦しそうに答えた。
本当ならちゃんと正直に告白すべきだと思っていても、想い人でもある斎藤健二に弱みを見せる事ができないのだ。
きっと話してしまえばあの
この真面目な陰陽師の少女はそう考えてしまうのである。
想い人はどこまでも自由であり、それこそ世界すら飛び越えてしまいそうな程に身軽である。
いつも冴えない表情をしておきながら、いざとなったら妖怪退治でもなんでもやってのけ、どこから湧いたか分からない奇跡の力で問題を解決していく。
少なくともそう黒子の瞳には映っていた。
だが、鬼道は違う。
彼は現実を見ていた。
「そりゃ、俺だってどこから来たかも分からない謎の男に頼るなんて嫌ですよ。でも、今はそんな事言っている場合じゃない。それにぽっと出かどうかで言えば、俺も当主の砕牙様だって、元はといえば戸神家の人間ではないですし」
「…………」
自分の力の無さを自覚しながらも、元喧嘩少年は真剣に語る。
元々両親が居らず生きる為、舐められない為に喧嘩の日々に明け暮れていた彼は知っているのだ。
敗北する事がどういう事かを。
そしてそんな日々から自分を救い出してくれた源三という老人にあった時に悟ったのだ。
他人に頼って生きる事の大切さを。
「俺は源三様に救われました。力も無い癖に下手くそな暴力だけでとがって、そしてより強い暴力に晒され敗北した俺に、生きる為の言葉をくれました。なんて言ったか知ってますか?」
「……いえ」
「源三様は『そりゃ一人じゃ無理じゃろ』って言ったんですよ。ははは! 笑っちゃいますよね、そりゃそうだ!」
生きる為にスリをした。
生きる為に弱者から奪った。
生きる為に一人で戦い続けて、それから当然のように敗北した。
だが源三に言わせれば、そもそも一人で生きる事が土台無理なのだと言う。
そう嬉しそうに語る青年は、涙を滲ませながら笑い転げた。
「俺は理解しました。仲間を作り、頼る事の大切さを。そして一人で無理する事の無力さを。……バカな俺にも分かった事です、もちろん黒子様に分からないなんて事ある訳ないですから、聞き流してくれて構いません。でも黒子様はお一人ではありません。源三様にでも砕牙様にでも、あの男の事を相談すればきっと為になる答えを導いてくれると思います。覚えておいてください」
にこりと笑い、鬼道はそう締め括った。
◇
それからしばらくして、
もちろん自分が巫女である事を隠し通そうとする意志は今でも変わってはいないが、その上で鬼道の言葉が心に引っかかっていたのだ。
あれはどこにでもあるような凡庸な助言ではない。
鬼道という人間が歩んだ過酷な人生の中で、一番大切な思い出を持ち出してまで語ったとても大切な言葉なのだと思ったのである。
それをはいそうですかと
故にこうして自室で自問自答を繰り返して、あーでもない、こーでもないと、いつものように頭を悩ませているのだ。
もっとも、その悩ませているという事そのものに対し、鬼道青年はどうにかしたかったようではあるが。
「そうですね。鬼道さんの言う通りです、一度お爺様に相談しましょう」
自分の選択が如何なるものであったとしても、きっと力になってくれると思い黒子は決意を固めた。
そして屋敷の途方もなく長い廊下を歩き向かった先は、よく源三が趣味のボードゲームや書き物の場として利用する居間。
小さな窓からは夕焼けが差し込み、夜になると月明かりが綺麗に見える風情のある場所だ。
「おじい様、黒子です。今宜しいでしょうか?」
「ん? ……おお、黒子か。入りなさい」
「失礼します」
襖を開け居間に上がり込むと、まず祖父の様子を窺う。
特に悪い事をした訳ではないのだが、こうして面と向かって大事な話を抱えているとどうしても相手の出方が気になってしまうものだ。
「……で、斎藤殿の件だったかな」
「なっ!?」
「カッカッカッカ! どうして分かったか不思議か? ……まあ、お前の今の態度を見れば一目瞭然じゃが、ここは恰好をつけて年の功としておこうかのぉ」
一撃で見破られてしまい、黒子は緊張どころではなくなってしまう。
カラカラと笑う源三は年の功と言うが、それはどちらかというと洞察力よりも黒子の緊張を一瞬で解いた事を指しているのだろう。
「まぁ、そう構えるな。急いても何も変わらぬ。常に自然体で大局を見据えよ」
「……はい」
「そうじゃなぁ、それでは結論を先に授けよう。……まあ、お主が斎藤殿の事に期待を寄せているのは分かる。それは儂も同じじゃよ。それは決して間違いではない。もちろん、巫女としての責任を感じる事もじゃ」
源三の言う『間違いではない』というのは結論ではあるが、かといって黒子の疑問に対する答えではない。
黒子もそれを分かった上で話を続ける。
「元々巫女の力とは大妖怪である九尾や、それに匹敵する大災厄を鎮めるために編み出された神降ろしの力じゃ。その霊力を以てして神を口寄せし身に宿す。口寄せられる制限時間は術者の霊力に依存し、反動として命を失う。……それもまた一つの回答かもしれぬ、だが────」
「────だが、正解ではないと」
そう、巫女の役割とは命と引き換えに神をその身に宿し、人柱となる事で規格外の奇跡を起こすその行為そのものだったのだ。
これにより一度、過去において九尾は封印され今の時代までそれが続いた。
当然この事は戸神家に連なる者ならば誰もが知っている事であり、黒子自身も深く理解していた。
しかしこの老人によるとその選択は正解ではないらしい。
黒子の返答に一つ頷くと、源三は真の正解、その正体を明かすために口を開いた。
語る口調には熱が籠り、窓から差し込む夕焼けは彼の信念を照らしている。
「
黒子の祖父としてではなく、その道を極めた陰陽師として彼は語る。
お主の中ある、その陰陽術は飾りなのかと。
生まれてこの方、来たるべき日に備え幼少の頃より鍛え続けてきた人類の英知は偽物なのかと。
誰よりも陰陽術を極めた先にいる達人はそう語った。
「巫女の力になど頼らずとも、斎藤殿という不確定な希望に縋らずとも、お主にできる事は山のようにあり、それを活かす機会も星の数程あるはずじゃ。なにせその身には千年の時を経て人類が研磨してきた陰陽道が備わっているのだからのぅ」
斎藤という未知の希望に縋るにせよ、巫女としての切り札を持つにせよ、自分たちにできる事がまだまだあるのだと言う。
そして、それこそがこの時代を築き上げて来た先達と、極め続けて来た自分への信頼なのだ。
「故に、今は臆さず進め。儂や家族を頼り、斎藤殿や仲間を募り、そして道を切り開くのじゃ。巫女の事情がなんぼの物じゃ。そんな話の一つ二つであの謎の男が揺らぐとも思えんし、またそれだけに頼っているようでは九尾の再封印など先のまた先。……という事じゃのぅ」
想い人に打ち明けるかどうかを巡る黒子の悩みなど、今気に掛ける事のものではない。
どちらでもいいのだ。
こんな話の有無で斎藤健二という男の格は揺るがない。
未熟な黒子が扱う巫女の力の有無などで、決着はつかない。
常に活路を見出すのは、今を精一杯生きる者だけ。
ようするに源三は孫に喝を入れ、不安になるだけ無駄だという事を伝えたかったのだろう。
鬼道もそうだ。
あの青年も黒子の悩みに気づき、どうにかして不安を取り除きたかったのだ。
実際は巫女の力が必要になるかもしれないし、斎藤の不確定要素に期待するところも大きくあるだろう。
しかしその力を最大限に活かすのも、また殺すのも自分次第なのだ。
一つの答えに至った黒子はすっきりした顔で「ハイ!」と返事をし部屋を後にする。
「……おじい様の言う通りでした。私の想いを活かせるのは、私だけ。悩むのは自分にできる事をやってからです」
完全に不安が無くなった訳ではない。
それでも前方を覆っていた深い悩みの霧は晴れた。
選択の答えは、一つずつ小さな鍛錬を積み上げる修行の日々だったのだ。
目指すべき場所を見据えた陰陽師の少女は、決意を新たにした。
◇
「……やれやれ、行ったか」
「お疲れ様です、源三様」
「うむ。お前の差し金にしては上出来だったぞ、鬼道」
黒子が居なくなった居間にて、隣の襖からひょっこりと顔を出す鬼道。
実はこの者、今までの話の流れを作っていた黒幕である。
こっそりと源三に耳打ちをして黒子がどういう状態にあるか伝え、来る事を予想して別の部屋で待機していたのだ。
「はは、いつも源三様にはしてやられていますからね。たまにはこういった趣向も良いのではないですか?」
「ふん。こやつめ、言うようになりおったわ。……しかしああは言ったものの、今の黒子ではちと荷が重いな。……やはり、最後の切り札となるのはあの男じゃろう」
自分の信念はさておき、現実を見据えて呟く。
ここで問題となるのは、そもそも九尾に太刀打ちするだけの実力が今の巫女に無い事だった。
過去に伝えられた巫女の、その神降ろしの時間は凡そ半日。
その時間だけ九尾と争い戦っていたと記録されている。
だが現状で黒子がその術を行使すれば、おおよそ一刻、三十分程である。
とてもではないが、かの大妖怪と戦える戦力ではない。
「術を行使するだけの『技』はある、先ほどの話によって恐らく『心』も宿っただろう。……しかし肝心の霊力、つまりは『体』が完成しておらねばどうしようもないからのぅ」
「黒子様の霊力ですら、まだ足りないのですね……」
もちろん、一般人よりも、というより一般の陰陽師や異能者よりも遥かに黒子の霊力は多い。
だがそれでも足りない。
国を相手取り戦える大妖怪、九尾の狐『玉藻御前』を相手にするというのは、そう言う事なのだ。
「まあ、希望はあるのじゃがな。なにせ先程、九尾戦における特異点となるであろう男に式神を飛ばし、状況を確認した。そしたらどうじゃ、何をどうやったのかは分からないが、あの斎藤健二という男は短期間の間に霊力を格段に上昇させておったのじゃよ。霊力だけで言うならば、凡そ十倍では効かぬ程の成長。……いや、進化じゃ」
霊力十倍以上。
その事実に衝撃を受け、鬼道は生唾を飲み込む。
もはや人間なのかも怪しいレベルだ。
元々人間の霊力は生まれてから幼年期から少年期にかけてが一番成長しやすく、その後徐々に伸びは緩やかになっていく。
だというのに、あの謎の男は未だにその力を伸ばし続けている、……というのも
明らかに異常である。
「もしかしたらと思っていたが、ついに尻尾を出しおったわ。これは、本当に希望が見えてきたかもしれぬ」
「それほどまで、ですか……」
「もちろん全ては希望的観測という奴じゃ、結果がどうなるかは分からんがのぅ」
結果が分からないと言いつつも、源三はニヤリと不敵に笑い勝利の匂いを感じ取る。
あの男の働き次第では、そもそも孫娘の命すら助かるかもしれない、そんな予感がするのだ。
「これこそが若者の可能性、新しい時代、という奴なのかもしれぬな。千年の時を経て、時代は変わろうとしている」
千年前の過去には存在しえなかった勝利のピース、斎藤健二。
そのジョーカーとも言える手札を握りしめ、戸神源三は策を練る。
いかにして九尾を出し抜くか、いかにしてあの男と孫のために、時間を稼げるか。
全ては自分の手腕にかかっているのだと。
また、この日より鬼道少年の訓練課程にも変化があった。
彼の想い人でもある黒子に付き従い守り抜くスタイルから、より自分を高みへと導く攻撃のスタイルを体得するべく当主の戸神砕牙に頼み込み、共に強力な妖へと挑み始めた。
元ただの社畜、斎藤健二という男の存在は、こうして知らぬ間に波紋を呼び寄せていくのであった。