閑話 世界樹

この世界では豊穣の女神とも、または精霊神とも目される樹高千メートルはある巨大な大木、世界樹。

本来はこの世界における自然界の調整と、そして生きとし生ける者へ大地の恵みを与える強大な存在。

過去には自らが根を張る大陸で起きた大災害、魔神にそそのかされ反乱を起こそうとした精霊たちに対し、苛烈なまでの追撃と殲滅を行った事もある、優しくも荘厳なる亜神の一柱だ。

そんな彼女が今、配下の大精霊から受け取った連絡によって慌てふためき、右往左往していた。

といっても表面上は冷静さを取りつくろい、優し気な笑みを浮かべてはいる。

あくまでも動揺しているのは内心だけ。

原因は受け取った連絡の中に、龍神からの重要なメッセージが存在していたからだ。

そもそも龍神と世界樹は太古の頃から存在する最も古い亜神であるため、元々知己ちきであると同時に世界を守護する者と育む者として、創造神によって直接的に生み出された存在である。

故にお互いがこの世界の管理のために連絡しやり取りする事はよくあるし、今回だってただのメッセージならばそこまで驚く事もなかった。

そこに「我らの父がご降臨なされた」という一文さえなければ。

「シルフィード、この報告は本当ですか? つい先日、我らのしゅが降臨なされたなどと……。もし主の御名を偽の情報として利用したのであれば、その首を刎ねられる覚悟はあるのでしょうね?」

「はっ! 風の大精霊としての誇りに懸けて、一切の嘘はないと誓います」

擬人化した世界樹の傍らで風の大精霊がひざまずこうべれる。

世界樹の物理的な肉体は巨木ではあるが、豊穣の女神としての彼女は自然そのものであり、定まった姿形を持たない。

故に魔力だけで構成された精霊神としての姿を別に持ち、大地に根を張り動けない肉体を置き去りにして、その不定形の姿を鳥等に変えて世界を駆け巡る事だってできるのだ。

最も世界樹という肉体から大きく離れれば、その分だけ本体に何かあった時に対処ができないため、基本的にはそこから動く事はない。

人型を取っているのだって、主に気に入られるような姿を考えて強い庇護を受けている「人間種」に化けているだけだ。

その気になれば彼女は都合次第で何にでも変化するだろう。

しかし今回のような緊急案件はまた別であり、この報告が本当だと言うならば、自ら龍神の下へと突撃を掛けようと思っていた。

もちろんそれは、彼女が敬愛してやまない主の情報の真偽を確認する為だ。

「大精霊としての誇りですか。……嘘はついていないようですね。そこまで言うのであれば、良いでしょう。主の一大事を私に知らせるというあなたの働きに、感謝いたします。一度龍神へ連絡を取ってみる事にしましょうか」

「お供いたします」

世界樹は考える。

龍神が主の降臨という一大事の中、自らがこの地まで赴かず小間使いとして他者の眷属を使ったという点について、何の意図があるのだろうかと。

元々風の精霊はその階級を問わず、人の目には見えぬもののこの地表の至るところに点在している。

故に亜神である彼女らが連絡をやりとりする時には、大抵は風の大精霊を利用するし、伝達速度も速いので重宝していた。

だが、今回ばかりは事の重大さが別次元すぎたのだ。

それでも尚、主の神託を一身に受け常に自分より一歩リードしているあの者が、この案件に関して自らの口で真相を伝えに来ないなど考えられない。

龍とは元々、責任の重さを最もよく理解している大真面目な種族だ。

その種族の神がわざわざいつも通り、責任を他人に預けると同義である行為、重要な情報の伝達を他者である風精霊を通して行ったのだ。

この時点で怪しさ満点である。

もしかしたら主の降臨に際して片付けておかねばならない、もとい自分の価値を証明するためのアピールを行う下準備をしているのではないかと、世界樹はそう考えた。

恐らくそのために自らが動く手間を省き、時間に猶予を持たせたのであろう。

となれば、恐らく魔神関連の仕事に一段落をつける気なのかもしれない。

龍族の長い歴史の中で最も大きな汚点である主への裏切り者、魔神。

奴らの動きを封じる事さえできれば、それは当然評価に繋がると考えるはず。

そこまで考えた世界樹は自分が眷属の前で考えに没頭している事に気付き、一旦世界調整の手を緩め別の仕事に取り掛かった。

「いえ、やはり真偽の確認は結構です。いけませんね、どうも主の事となると私は取り乱してしまう。しかしそれもこの件に関しては仕方のない事、そうは思いませんか?」

「はっ!」

決して否やとは言わない。

この女神は確かに穏やかで優しいが、それでも種族としての序列は存在し、もし仮にここで自分の意見を言ってかんに障るような事でもあれば、一撃でその存在を抹消させられるだろう。

故に大精霊は肯定だけを繰り返し、穏便に話を進めながらその場を後にした。

そうして去っていく眷属を横目に確認しながら、彼女はようやく自らの思考に没頭する。

眷属である精霊の前で一度醜態を晒しかけてしまったものの、威厳を損なうほどではない。

では一人になった自分が次にする事は何か。

当然、最も主の役に立てる仕事とは何か、もとい最もアピールできる行動とは何かという事になる。

彼女は気づいていないが、これは世界を我が物顔で自由に飛び回れる肉体を持ち、その上創造神からの神託という期待を一身に背負う龍神への嫉妬しっとである。

元来植物の最終形態である世界樹には嫉妬などという感情とは無縁であるが、それが自分の父が関わってくるとなるとつい、生み出された者の本能として人間味が出てきてしまうのだ。

そこで一つの案として浮かんだのは、自らの手でもって魔大陸からこの大陸にはみ出してきた魔族を追跡し、その足取りを掴む事。

確か魔神の直接的な配下である魔王が幾名か大陸に点在し、主の眷属である人間を相手に悪しき行いを試みていたはずだ。

一人はとある人間の商人に魔族化の儀式を伝え、国や町を裏から浸食しようとしている。

一人は別大陸である人間の大国で暗躍し、ヒト族とその他の亜人族の対立をあおっている。

他にもまだ幾名かの魔王について心当たりがある。

この魔王たちを追跡し情報を得るか、もしくは自らの手で問題を解決すれば主はきっとお喜びになられるだろう。

もっとも、あのバカみたいに全てのスペックが優秀な龍神には、既に先手を取られ動かれている。

故により大きな評価を受けるためには、魔王の暗躍によって問題を起こしつつある商人を直接止めるよりも、きっと魔王本体を捉えた方が確実だ。

そう考えた彼女は仕事における手ごわい好敵手ライバルである龍神を出し抜く為、秘密裏に行動を始めるのであった。