左手が、志津香の右手に握られた。
「手、つないで帰ろうね、まーちゃん♪」
その一言に、茉莉は慌てて顔を上げる。
「え、街中を歩くのはさすがにちょっと、」
「じゃないと、かなみちゃんにさっきのこと話しちゃうよ?」
「さっきのことって、」
茉莉が尋ねかけると、志津香は間髪入れず、
「私に抱きしめられて、大人しくしてたこと」
「や、やめてよ、絶対にやめて。そんなこと知ったら何を言われるか」
茉莉が慌てて言うと、志津香はにっこりと笑って、
「それじゃ、今晩、またクレープ焼いて?」
「う……しょうがないなあ」
「わーい♪ まーちゃんのクレープ、まーちゃんのクレープ♪」
無邪気に喜ぶ志津香に、先ほどまでの包容力のようなものは微塵も感じられなかった。茉莉はどっちが本当の志津香なのだろうと考えて──そんなことに意味がないことを思い、志津香と手をつないだまま、橙色の教室を出ていった。
*
かなみは帰宅してすぐ、押入れを開いた。
押し入れの下段に敷かれた布団の上で、あるてみすは掛け布団をけっ飛ばし、だらしのない姿勢で寝こけている。眼鏡もかけたままだ。
「おい、あるてみす、今何時だと思っているのだ。さっさと起きんか」
かなみはだらしなく四肢を伸ばしたあるてみすの、その腹部を踏みつけるように蹴りを入れた。これが人間だったら、起きるどころか悶絶しているところだろう。しかし蹴られたあるてみすは、腹部をぽりぽりと指先でかき、そしてようやくうっすらと目を開いた。
「うー、もう朝れすか?」
「朝ではない。夜だ。NTPサーバーに接続してみろ」
あるてみすは眠そうに眼鏡の下の目をごしごしとこすりながら、
「うー、現在時刻十七時五十二分十七秒七三……寝坊したのれす。かなみさま、まだお日さまは出ているれすか?」
「だから夜だと言っているだろう。縁側で陽を浴びるのは無理だな」
通常のコンセントからの充電に加えて太陽光発電を並行して行なっているあるてみすは、日中は縁側でごろごろして過ごすのが常となっていた。のだが、今日は起きるのが遅すぎたようだ。長くウェーブのかかった髪をいつものポニーテールに結わえながら、
「茉莉さまと志津香さまはまだお帰りになっていないのれすか?」
「ああ、そのようだ」
「そうれすか。グラフォトンの収集率が規定値を超えたので、そろそろ圧縮作業を行ないたいと思っているのれすが、都合が悪そうれすかね?」
「どうだろうな。夕食のメニュー次第だろう。それに、別に戦闘は夜間に行なっても構わないのだろう? 夕食後であれば、三人とも時間がとれそうなものだが」
「それもそうれすね」
あるてみすがうなずくと、かなみはあるてみすをじっと眺めて、
「今からでは遅いので今日は諦めるが、明日あたりお前の服を買いに行かぬか?」
「へ? あるてみすの服なのれすか?」
「うむ。別にそのメイド服が脱げないというわけでもないのだろう? ここに来てからそろそろ二週間が経つが、その服以外を身に着けているところを見たことがない」
かなみが言うと、あるてみすは着崩れたメイド服をぱたぱたと整え直し、
「れも、これはあるてみすのアイデンティティでもあるのれす。ますたーによって規定された大事な服なのれすよ?」
「随分とまた安いアイデンティティだが……まあ確かに、メイドロボにとってメイド服はキーアイテムだ。しかし、着替えをしないというのは了承できん。メイドは常に清潔であるべきだろう? だから、替えがないというのなら、私が買ってやろうと言っているのだ」
「いえ……お気づきでなかったのかもしれませんれすが」
と言って、あるてみすはスカートの中から別のメイド服を取り出した。別の、と言っても、デザインや色使いなど全て一緒で、同一品にしか見えない。
「メイド服はラボの方で洗浄機にかけているのれすよ。と言っても、もちろんこのスカートの中から全部の操作をしているわけれすが。全部で七着同じ服を持っているのれす」
「ふむ、オバケの条太郎のようなものか」
かなみが大昔のアニメの名を出すと、あるてみすはうなずいて、
「まさにそうなのれす。かなみさまは本当に博学なのれすね」
「そうでもない。まだ世の中には私の知らぬことはたくさんある。……まあ、今回の件に関しては、そのようなことであれば構わないだろう」
かなみは言うと、あるてみすに背を向けてパソコンの電源を入れた。あるてみすはその背に向かって、
「あー、えっと、そのう、お願いがあるのれすが、聞いてもらえるれすか?」
「とりあえず聞くだけは聞こう。承諾するか否かはその後だ」
「押し入れがですね、殺風景なのれす。寝起きをさせていただいていて、すごく感謝しているのれすが、落ち着かないので中に私物を持ち込んでもよろしいれすか?」
「なんだ、そんな事聞くまでもない。上段だけは本を置くのに使わせてもらうが、下段は好きなようにカスタマイズしてもらって構わんぞ」
「ほんとれすかっ?」
ぱ、と花が咲いたように、あるてみすの顔が満面の笑みになる。
「うむ、こんなことで嘘を吐いても仕方なかろう」
「それでは、早速買い物に行きたいと思うのれす」
「金はあるのか?」
かなみの問いに、あるてみすは元気よくうなずいて、
「はい、ますたーが置いていってくれたお金があるのれすよ。だから──」
「待て」
部屋を出ようとしたあるてみすの襟首をつかんでかなみは止めた。
「第一に、あるてみす、もう六時になる。目当ての店は開いているのか?」
「はいなのれす。心配無用なのれす」
「それじゃあ第二に、お主、自分が極度の方向音痴だということを忘れたか? 買い物に行くなら私がついていってやる。それで、まずはどこへ行きたいのだ?」
「あ、一軒だけなのれす。そこで欲しいものはおおむねそろう予定れすので……」
「ふむ。どこだ?」
「『兄メイト』なのれす。藍園支店があるということは既にチェック済みなのれす」
「なんだ、兄メイトか。であればちょうど私も用があったのだ」
そういうと、かなみはPCの電源を落とし、「あるてみすと兄メイトに行ってくる」という伝言を茶の間に残すと、戸締まりを確認してから、家を出ることにした。
『兄メイト』というのは日本全国に百店舗近い店舗を構える大手チェーンで、アニメ、漫画、声優などに関するグッズや書籍を販売しているお店である。
かなみも愛や鈴と一緒に来たことが何度となくあるし、個人的な買い物のために一人で訪れたことだって何度もある。まあもっともかなみが買うのはもっぱら漫画や小説で、グッズ関係には手を出していなかったのだが──
「すごい! すごいのれす!」
今、その『兄メイト藍園店』の入り口にて、あるてみすは両の手を握りしめていた。
あるてみすの隣にはアニメキャラの等身大ポップがあった。店内を見回せば、右には漫画やライトノベルが積み重なり、正面にはグッズの山、左手にはCDやDVDが溢れんばかりに置かれている。
どうやら「萌え」に過剰に反応するように造られているらしいあるてみすは、現代アニメ・漫画の殿堂ともいえる『兄メイト』を前に、興奮を抑えきれない様子だった。
「こ、ここ、ここで買い物ができるのれすねっ!」
耳から蒸気でも噴き出さんばかりの勢いのあるてみすに、かなみは冷静にツっこむ。
「予算内で、だがな。お前が彰造から金は預かっていると聞いた故、私は金を下ろしてこなかったぞ。不躾な質問だが、いくらくらい持っているんだ?」
「え、ええとですね、これだけあるのです」
もぞもぞとスカートの中をまさぐり、中から取り出したのは諭吉さんが五人。
「ふむ、五万円か。一角の金ではないか」
「ご安心くらさい、このあるてみす、これでも購入計画は立ててあるのれす。今日の目当てはズバリ、グッズなのれす。等身大抱き枕とかフィギュアとか、その類のものに手を出さなければ一万円もあれば充分足りることはばっちり調査済みなのれす!」