ぴぴぴぴぴ、と目覚まし時計が朝の訪れを告げ、布団の中からもぞりと伸ばされた手がそのスイッチを押した。時計が沈黙する。しかし、布団から人の出てくる気配はない。

 本体上部のスイッチを押しただけでは、この目覚まし時計は完全には止まらない。本体裏面のスイッチをオフにしなければ、五分後に再び鳴りだすようになっている。布団の主はそれに慣れてしまっているのだ。

 布団の主、まつは次に鳴ったら起きよう、と心に決めて、再び眠りへと落ちて行こうとした。それが朝の弱い茉莉のいつもの習慣だった。──のだが。

 ゆさゆさ。

 身体を揺さぶられて、茉莉は眠りの世界から引き戻された。

 薄目を開けると、眼前に美少女の顔が迫っていた。

 だ。

 ぼんやりとした頭で、そういえば夕べは私の部屋で寝たんだなあと思い出す。

「まーちゃん、目覚まし鳴った」

 ──ああ、やっぱりものすごく美人だなあ。それに、透き通ったれいな声。

 そんなことを思いながら、茉莉は眠気に意識を引っ張られて、志津香の差し出してきた手をきゅっと握った。

「うん、分かってる……五分後にもっかい鳴るから、そしたら起きるから……」

「ん。それじゃ、五分後に起こすね」

 茉莉は再び、急速に眠りに落ちていく──

 ぴぴぴぴぴ。

 目覚まし時計が志津香の手によって止められて、志津香は茉莉を再び揺さぶった。

「ん……」

「まーちゃん」

「うん……起きる」

 手はつながれたままだった。五分間も自分の寝顔を見られていたのか──と思うとかなり恥ずかしい気もしたが、不思議と悪い気分はしなかった。

 ピンクのパジャマ姿の茉莉が布団から抜け出し、寝ぼけ眼で室内を見やると、志津香の布団は既にしっかりとたたまれていた。おまけに志津香本人は制服に着替えてすらいる。

「まーちゃん、朝ご飯」

 ……寝ぼけた頭で思う。こういう時志津香は、朝ご飯は自分が作りたい、と言い出すはずではなかったかと。だから茉莉はいつものように言った。

「ううん、私が作るからいいわよ」

 すると志津香はこくりとうなずいて、

「もう作りたいなんて言わないから安心してね。私、まーちゃんのご飯がいい」

 茉莉は寝ぼけた頭の中に、昨日のてんまつを──どうして志津香が自分の部屋で寝ているのかを思い出して、「あー」と納得をした。

 そして、つないだままだった手を離す。志津香は名残惜しそうな顔をしたが、このままでは着替えもできないのだから仕方ない。

 それにしても、あの姫宮さんがこうも変わるものか──と茉莉は改めて思う。今も茉莉の間近で、うずうずと茉莉に触れたそうにしている。

 少し考えて、茉莉は手を離した代わりに、軽く志津香の頭を撫でてあげることにした。自分より背の高い相手の頭を撫でるというのも変な感じだったが、志津香はうっとりとした顔で目を閉じる。いつまでも続けていても仕方がないので、最後にぽん、と軽く頭をたたくと、茉莉は志津香の頭から手を離した。志津香は残念そうな顔をしていたが、このままでは朝食を作る時間がなくなってしまう。

 そういえば。

 と茉莉は思う。

 そういえば、久々にだれかと布団を並べて寝た気がする。というよりも、茉莉は他人と同じ部屋で寝ることに慣れていなかった。物心がついた頃にかなみが生まれたこともあったし、父のとしぞうの仕事が夜遅いこともあって、茉莉は小学校に上がる前から一人で寝ていた。初めのうちは寂しい思いもしたが、今ではそれが当たり前になっていた。だが──久々に他人と、志津香と寝た今朝は、緊張するどころかすごくゆったりと眠れた気がする。

 それは、昨夜いろいろあって疲れていたからなのだろうか?

 それとも、相手が志津香だからなのだろうか。

 ──これが日常になるのなら、それも悪くはないかもしれない。

 そんなことを考えながら制服に着替えようとしたところで、茉莉は動きを止めた。

「えーと、しーちゃん?」

「なに?」

「そんなにじっと見てられると、着替えにくいんだけど……」

 志津香は茉莉の部屋の、自分でたたんだ布団の上に腰を降ろし、茉莉をじっと見つめていた。これからパジャマを脱いでブラを着けて──を全て見ていられるのは、やはり抵抗がある。

「……分かった」

 と言って志津香は茉莉の部屋から出て行った。茉莉はようやく安心して、ピンクのパジャマから制服へと着替える。──やはり先ほどの考えは早急だったかもしれない。こんな日常では落ち着かなくて仕方がない。

 洗顔し、朝の支度を調えて茉莉が台所に向かうと、茶の間から志津香が顔を出した。

「朝ご飯作るの?」

「うん」

「見てていい?」

「……うん」

 見てて面白いものでもないと思うんだけど。

 茉莉は冷蔵庫の中をのぞいて朝食のメニューを考える。目についたものは、ハム、レモンに卵。夕べ使ったたまねぎ、とりにく、にんじんの残り。それとキューティーのマリネの素。

「ん……」

 まずはにんじんをいちょう切り。鶏肉は一口大に。なべに水を張ってカツオだしの素を溶かし、にんじんと鶏肉を入れて火にかける。

「これはこのままでいいの?」

 志津香の問いに茉莉はうなずいて、

「鶏肉に火が通るまではそのまま煮るから」

 ハムとレモンとたまねぎを手に取り、ハム四枚をいちょう切り、レモン四分の一を半月切り、たまねぎは半分を薄切りにすると、マリネの素にそれらを漬ける。

「これは? もう終わり?」

「うん。マリネの素についてきたレシピ通りなんだけどね。十五分ぐらい漬け込んだらハムのマリネのできあがり」

 それから卵三つを手にすると、これは簡単に卵焼きにしてしまうことに決める。卵焼きというとしょっぱい家と甘い家に別れるものだが、阿部家の卵焼きは甘いほうである。

「しーちゃんは、甘い卵焼きとしょっぱい卵焼き、どっちが好き?」

 一応聞いてみることにする。志津香の好みに合わせて作ってみようかと思ったのだが、先ほどから茉莉の後ろをついて回っている彼女の答えは、

「まーちゃんが作るのなら、どっちでもいい」

 だった。ある意味予想通りすぎて、思わず笑みがこぼれる。

「……なんで笑うの?」

「さあ、なんでだろうね?」

 しようしながらそう返してから、茉莉は卵焼きにとりかかる。

 さて、卵焼きには一家言ある茉莉だ。お弁当に入れて、冷めてもふんわりとした卵焼きを作るためには、いくつかのコツがある。まずは混ぜすぎないこと。混ぜる回数は、二十往復程度、さいばしで縦横に切る程度でいい。

「? そんな混ぜ方でいいの?」

「ぐるぐる混ぜるのは混ぜすぎになっちゃうの。お弁当用の卵焼きは特にね」

 そこにだし汁を入れて、砂糖は大さじ1杯半。しようは香り付け程度に、塩を一つまみ。

 それから予熱しておいたフライパンに卵を数回に分けて流し込んで焼いていく。じゅわ、という音が気持ちいい。茉莉はいつものように機嫌良く鼻歌を歌いかけ──志津香の目を気にしてそれを我慢しながら、卵焼きを一巻き焼き終えた。端からお弁当に入れる分だけ切り取って、残りは朝食用の皿へ。

「すごい、手際いい」

「慣れればこんなものよ」

 朝のメニューに欠かせないしるの準備は、既に同時進行している。さきほどのにんじんと鶏肉に火が通っているのを確認し、アクをとって、味噌を溶き入れる。ふつとうさせないように一煮立ちさせたら、できあがりだ。

 結局それら全てを台所をうろちょろしながら見ていた志津香はいいとして、制服に着替えたかなみもちょうど起きてくる。

「おはよう、皆」

「おはよう、かなみ」

「おはよう、かなみちゃん」

「朝かららぶらぶで結構なことだな」

 かなみは二人をいちべつすると、テレビの電源を入れ、チャンネルをNHKに合わせる。

「らぶらぶって、」

 茉莉が反論しようとしたが、既にかなみの姿はなかった。玄関に新聞を取りに行ったのだろう──と思っていると茶の間に戻ってきて、朝刊を第一面から順に読み始める。そこに年相応の子供らしさはじんもない。

「らぶらぶって、別に私としーちゃんはそんなんじゃないからね」

「しーちゃん」

 かなみは新聞を読みながらはんばくする。茉莉は苦い顔をしながら、箸やお茶碗をテーブルに並べた。ご飯。味噌汁。ハムのマリネに卵焼き。その一品一品を運ぶ往復に、いちいち志津香は後をついてくる。邪魔でないわけではないのだが、止めるのも何だか気がひける。最後に冷蔵庫から海苔のつくだびんを取り出して、それもテーブルの上に置いた。

「うむ、今朝もいい匂いであるな」

 かなみが新聞から食卓へと目を移して言った。

「読みながら食べないのよ? 新聞を読むなら食べ終わってからにしなさい」

「承知している。それではありがたくいただこう」

 かなみは新聞をたたむと、ごく自然に箸を手にしてお辞儀をする。

「いただきます」

 ようやく自分の席についた志津香が、ここ数日かなみの真似をしていてすっかり身に付いたのか、自分用の箸を手にして頭を下げる。

「はい、どうぞ。私も、いただきます」

 茉莉も軽くお辞儀をすると、朝食の時間は始まった。朝のニュース番組のキャスターが独特の固い口調でしゃべっている中、志津香は卵焼きを箸で切り分けると、それを持ち上げて、

「まーちゃん」

「なに?」

 茉莉が問い返すと、志津香はそれを茉莉の口元に持ってくる。

「あーん」

 ……と言われても茉莉は困ってしまう。

「いや、それはちょっと……」

 と言うと、志津香は捨てられた子犬のような顔をして、もう一度、

「あーん」

 茉莉のよくが急速にそそられる。かなり照れくさいのだが、これはこれで、妹の所作だと思えば可愛いものだ。それに断わるのも可哀想だし、このまま放っておくわけにもいかずに、それを食べてあげることにする。一口食べて満足してくれるならいいだろう。

 ぱくりと口にすると、志津香は満足そうにほほんで、食事を再開する。

 ──ここで茉莉は、一連の行為をかなみがじっと見ていたことにようやく気がついた。

「いや……えーと」

 こめかみに汗をかきながら茉莉は考える。

 えーとえーと今のは、どう考えても恋人同士か親子がするような行為であって、けしてそうろうと家主がする行為ではないと思うのだけれど、

「やはり、らぶらぶだな」

 かなみが言うと、志津香は微笑み、

「やあね、親愛の情を見せただけじゃない。ね、まーちゃん?」

「う、うん」

 茉莉はうなずいて、しかしそのすぐ後に、

「お返しは?」

 と志津香に言われ、硬直する。

「えーとえーと」

 志津香が期待に満ちた目で見つめてくるのに耐えきれず、茉莉は卵焼きを切り分けて、

「はい」

 と、志津香の口元へ持っていった。志津香は喜色満面、

「あーん♪」

 ぱく。と、実に幸せそうな顔でそれを口にする。

 かなみは、もう一度言った。

「らぶらぶだな」



 茉莉が学校に行く準備を整えて、靴を履き、志津香と玄関を出ようとしたときだった。

 扉の外で、がしゃん、と、何かが門に叩きつけられるような音がした。

 茉莉は何があったのかと、靴をつっかけたまま敷石を踏みしめて門へと向かう。すると、半開きになった門の前で、かなみが一人の女の子に組み敷かれていた。

「ちょ、ちょっと! 何やってるの!」

 正体不明の女の子──女の子と分かったのは、長いポニーテールにメイド服という格好のせいだ──がかなみに覆い被さっている。

「ちょっと、大丈夫!?

 茉莉は女の子とかなみの両方にそう尋ねたのだが、かなみは平気な顔で、

「いや、大丈夫……なのだが、この娘、少々重量があってな。すまぬが二人とも、私がここを抜け出すのを手伝ってもらえないだろうか?」

 言われて、茉莉と志津香は顔を見合わせたあと、女の子の身体を持ち上げようとする──が、思っていたようには持ち上がらなかった。どう考えても重すぎる。二人協力してなんとかその身体を持ち上げると、かなみはその下からもそもそと抜け出し、ふうと息を吐いた。

「かなみ? 何があったの?」

 茉莉が問うと、かなみは肩をすくめて、

「どうやら客人のようだ」

 と答え、背後を示した。そこにうつぶせに倒れているのは、何と言えばいいのか──ヴィクトリア朝イギリスから抜け出してきてしまいましたというような、黒いせいなメイド服に身を包んだ中学生程度の少女だった。

「何だか知らんが、茉莉、お前に用があるらしいぞ」

「……って、なんでそんなことが分かるの?」

「私の目の前で、『かなみさま……れすね。茉莉さまはいらっしゃいま……へ……ふにゃ』と言って倒れてきたのだからな。私たちのことを知っていたことといい、この重量といい、しようぞうが造ったアンドロイドではないだろうか」

「アンド……ロイド?」

 志津香がいぶかしげな声を上げる。

「だ、だって、二足歩行ができるロボットがようやく三年前くらいに開発されたばっかりで、人工知能のほうはそんなに研究が進んでるなんて……」

 志津香の言葉に、かなみはおうようにうなずいて、

「彰造は特別なのだ。自律二足歩行をし、自ら思考することができるアンドロイドなど、私が産まれる前から既に開発に成功していたと聞く。まあ、おおやけになっていれば世界的なニュースなのだろうが、あいにく彰造はそういったことには興味がなくてな」

「……彰造、って?」

「私たちの母方のおちゃんの名前よ。ちょっと……あー、相当変わってる人なんだけど……それで、それはいいんだけど、どうして倒れちゃったの?」

 茉莉の問いに、かなみは倒れたショックでずれた薄桃色のシニョンを直しながら、

「おそらくはバッテリー切れだろう。見ろ、右手にスカートから伸びたコンセントを握っている。危急の状態で、しかし間に合わなかったと言ったところだろうな。茉莉、ひめみや、すまないがこれを茶の間まで運んでやってくれないか?」

「わ、分かったわ。しーちゃん、そっちの肩を支えてくれる?」

「え、ええ……」

 まだ驚き冷めやらぬといった様子の志津香と一緒に、茉莉は女の子を玄関まで運び入れると、靴を脱がし、茶の間へと引きずっていく。普段は使っていない茶の間のたこ足コンセントに女の子のスカートの中から伸びているコードをつなぐと、女の子はとたんにぱちりと目を覚ました。茉莉たちを見て、慌てて立ち上がる。

 肩の部分の膨らんだ黒いメイド服。胸元と肩口、それからすその部分にフリルのついたエプロンドレス。元々は綺麗に整えられていたのだろうが、今は汚れて見る陰もない。眼鏡をかけた顔は外見年齢通りの可愛らしい童顔で、ポニーテールがよく似合っている。

「お手数をおかけしましたのれす。えっと、まずは自己紹介れすね。型式番号ART─2、あるてみす二号れす。ますたーの命令により、茉莉さまのもとへやってきたのれす」

 そういうと、アンドロイド──どうやらあるてみすという名前らしい──はぺこりと礼をしようとして──足をもつれさせて、そのまま木製のテーブルの角へと顔面から転んだ。がつん、と痛そうな音がする。

「い……痛いのれす」

「だ、大丈夫なの?」

「だ、大丈夫れす。以後よろしくお願い申し上げますなのれす」

 そういうと、あるてみすは居住まいを正し、三つ指付いて深々と頭を下げた。

 茉莉は考える。確かに茉莉の母方の祖父、彰造ならばこれぐらいのもの造れてもおかしくはないだろう。でも──

「でも、お祖父ちゃんは半年以上前から行方不明で、」

「はいなのれす。ますたーは言ったのれす。もしも自分が半年経っても帰らなければ、茉莉さまの元へ行くように、と。その命に従って、こうしてここにやってきたのれす」

「ちょ、ちょっと待って。まずお祖父ちゃんはどうしてるの? それに、どうしてうちに来る必要があったの? しかもお母さんじゃなくて、私のところに」

 茉莉が思いついた疑問を片端から口にすると、あるてみすは困った顔をして、

「質問がいっぱいなのれす……」

「それに、お祖父ちゃんがいなくなってから半年経ったら、にしてはちょっと遅くない? お祖父ちゃんがいなくなったのは、半年以上前になるはずだけど……」

 茉莉が言うと、とたんにあるてみすは目にいっぱいの涙を浮かべて、

「うう、それには聞くも涙、語るも涙の物語があるのれすよ。まず、あるてみすはますたーによって、極度の方向音痴に設定されているのれす。だから、GPSであるてみすの座標をリアルタイムに認識していても、周辺の最新地図データが頭の中に入っていても、なかなかここへたどり着くことができなかったのれす。おまけに昼間は怖いおばさんに補導とか言って補まりそうになりましたれすし、夜は青少年保護条例がなんとか言って警察官に追われたのれす。そんなこんなで、ここに来るまで半月以上かかってしまったというわけなのれす……」

「そ、そう……」