電話は切れたが、膝の上には志津香がいる。子機を置きに行くこともできず、テーブルの上に置くと、茉莉はそのままテレビを見ることにした。
現実逃避の手段なんて、そのくらいのものだった。
「仲良きことは美しきかな。先に寝させてもらうぞ、茉莉」
かなみはおもむろに携帯電話を取り出すと、連続して数回、写真を撮った。
「あ、ちょ、写真なんか撮らないでよ、どうにかしてよ、かなみーっ」
動けない茉莉を置いて、かなみは部屋へと消えていった。
*
その頃。
阿部家近くの公園、滑り台の上に立ち、空を見上げている一つの影があった。
メイド服姿の少女──あるてみすだ。
この格好が街中で目立つということは、データとして充分に認識された。また、自分の外見が、昼間はPTAの、夜間は警官による補導があるために行動が危険であるとも分かった。それらを合わせて考えた結果、やはり行動すべきは夜だと判断したのだ。隠密活動で誰にも見つからなければ、心配はない。昼は手近なビルの屋上に進入して休眠モードに入り、エネルギーの浪費を防ぐと共に太陽発電で補充し、時間を潰した。
そして、いよいよここまで来た──と思う。
頭部のアンテナからGPS座標を取得して、あるてみすの口に笑みが浮かぶ。
「GPSによる座標軸の取得──完了。若干の誤差ありなのれす」
独り言のように呟くと、影は滑り台から飛び降りた。
着地に失敗して、お尻から地面に落ちた。
「あいたた……阿部家のGPS位置座標データとの誤差修正──完了なのれす」
現在位置から阿部家まで、およそ五十メートル。
そして、あるてみすは移動を開始する──
ターゲット、阿部茉莉の元へ向かって。
*
(しっかし、デザートの味が同じってだけであそこまで懐かれるのもなー)
夜。茉莉は自分の部屋で布団に入り、一日を思い返していた。
あのあと、宿題をやるから、という理由をつけてようやく志津香を引き離した茉莉は、しかしその後「宿題教えてあげる」攻撃を受け、あっさりと籠絡された。ノートに走り書きをする際などに肩に寄り添ってくるのを止められず、茉莉が思ったのは、
(恋人同士が宿題を一緒にやったらこんな感じなのかなー)
ということだけだった。
(うーん、まあ、人から好かれるっていうのは気分としても悪くないけど……あの姫宮さんにあんなに甘えられるというのは……なんだか、妹ができたみたいだよね)
そう考えて、茉莉は暗闇の中、微笑を浮かべた。
茉莉にはかなみという実の妹がいるが、なにしろあの性格である。自分が「お姉ちゃん」として振る舞えていたことなどほとんど無い。そして、本来「お姉ちゃん」である自分にとっての「理想の妹像」を想像してみれば──それは今の志津香のような感じなのではないだろうか。そう思うとあの甘えっぷりも可愛く思えてくる。
などと思っていた、その時だった。
茉莉の部屋の外で、静寂の中でも耳を澄まさないと聞こえないほどに小さな声で、
「まーちゃん」
と呼ぶ声がした。
「……姫宮さん?」
茉莉が尋ねると、ふすまが開いて、パジャマ姿の志津香が姿を現われた。
その胸に、枕を抱えている。
「しーちゃんって呼んでって言った」
「あ、うん、しーちゃん。何、どうしたの?」
「えっとね、えっと……今日から、この部屋で寝ちゃ駄目?」
子供が親におずおずと何かを要求するような、まさにそのような口調で志津香は言った。
「この部屋って……私の部屋?」
「うん」
志津香はこくりとうなずく。
「え、えーと、客間じゃ落ち着かなかった?」
茉莉が言うと、志津香は少し考えるような間を置いて、
「え、えっとね、キャンバスとかが置いてあって、もし汚したらいけないなって思うし、ちょっと落ち着かなかった」
大嘘だった。志津香は単に、茉莉の側で寝たい、その一心でしゃべっている。
それを見抜いたうえで、普段とまったく別人となってしまった志津香をやはり妹のように可愛くも思えてしまって、断わったらどれほどがっかりするだろうかと想像もして、
(んー、まあ、いっか)
と結論づけた。
「ん、いいよ」
「ほんと!?」
志津香は嬉しそうに声を上げると、枕を手に、茉莉の布団に入って来ようとした。
「って、ちょ、ちょっと待って。一緒の布団で寝るとは言ってないでしょ? 隣にもう一枚くらい布団敷けるから、客間から布団運んで来よう?」
「む~」
志津香は少し不満そうに唇を尖らせたが、すぐに茉莉の言葉に同意して、二人で客間から茉莉の部屋へと布団を運んだ。
隣り合わせに並べた布団の中に、茉莉は改めて潜る。
「……」
布団の中に入った志津香が、じっと自分を見つめていた。
「あ、えっと……落ち着かないから。もう寝よう?」
茉莉はそう言って、志津香に背を向けると、瞳を閉じた。
「あ……えっと、手だけ、つないでもいい?」
酷く心細そうな声でそう言われて、茉莉は断わろうかどうか迷ったあげく、それを最大限の譲歩とすることに決めた。一緒の布団で寝るよりはマトモだ。
おずおずと伸ばされてきた志津香の手をきゅっと握ると、志津香も壊れ物を扱うかのような力の入れ加減で茉莉の手を握り返してきた。
「おやすみ、まーちゃん」
「うん、おやすみ、姫み──しーちゃん」
「うん♪」
嬉しそうな志津香の声に、まあこれも悪くはないかな、などと思いながら、茉莉は瞳を閉じた。一日の疲労が、茉莉を眠りへと誘っていく。
いい夢が見られそうな、なんとなくそんな気がした。
夜は更けていく──