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金曜日だった。
五月十二日──つまり僕が義姉のリリィに認められ、本当の意味で倉須家の一員となった記念すべき日から更に一週間ほどが経ち、そろそろ六月も近付いてきた週末のことである。
学校から帰り食事と入浴を済ませ、僕は自分の部屋で、来たるべき土日をいかにして過ごすかという学生の殆どが週に一度のペースで直面する悩みと真摯に向き合っていた。
部屋はすっかり片付け終わっていたし、家にいても特にやることはない。さてどうしたものか、などと椅子に座り天井を見上げていると、不意に部屋のドアがノックされた。回数は一度だけ。ノックとも呼べない代物で、確認などなくすぐにドアノブが回る。
我が家においてこういった『叩いてやっただけありがたく思いなさい』みたいなノックをするのはただひとりしかいない。
「なに、リリィ姉さん」
僕はドアへと視線を向け、相手が姿を現すと同時に言った。
「なに、とはなによ」
彼女は僕の顔を見るまでもなく、鼻白む。
風呂上がりのジャージ姿ではあったが、佇まいは昼間と同様に隙がない。敢えて言うのならば髪をポニーテールにしていないのが隙といえば隙なのかもしれないけれど。
「この私に向かって『なに』とは、まったくあんたもご大層なものね」
リリィ姉さんはあまり論理的でない文句を口にした。恐らくは、単に僕が先に声をかけたのが気に入らないのだ。彼女の対人戦は常に、自らが主導権を握ることから始まる。
とはいえ、怒っているとかではまったくない。僕は既にリリィ姉さんの『無愛想ないつもの態度』と『怒っている時の態度』との区別がつくようになっていた。
「ま、いいわ」
無言で反応を窺っていると、部屋の扉が後ろ手に閉められる。これは珍しい。倉須家の次女にはドアをぞんざいに開ける習慣はあっても、閉める習慣はないと思っていた。
……もちろんそんなこと口には出さないけど。怒っていないのは確かだが、だからといって別に上機嫌って訳でもないのだ。『怒る』と『機嫌を損ねる』は違うし、そもそもリリィ姉さんは機嫌を損ねただけでも、怒った一般人の百倍くらいは怖いのだった。
何故か自分の背後──もちろんそこにあるのは閉まったドアだ──を振り返って一瞥し、彼女は薄く形のいい唇を開いた。
「あんた、明日の午後はなにか用事がある?」
「……は?」
「は、じゃないわ。別の誰かじゃなくてあんた自身のことよ? さっさと答えなさい」
「あ、ああ……うん。いや、特にはないよ」
尋かれたことに対して素直に頷く。
数秒ほど戸惑ってしまったのは、僕の持つ、倉須家の面々に対するコミュニケーションスキルがまだ発展途上であるせいだ。リリィ姉さんに限らず、僕の血の繫がらない兄や姉、弟や妹たちは、総じてまともな会話をしたがらない。なんてことのない質問に見えて別の真意が隠されていたりして、それを読まずに普通の返答をするとこっちが変人扱いされたりする。
「……って、不条理過ぎるよな、ほんと」
「なに?」
「いや、こっちの話。で、僕の明日の午後の用事の有無になんの問題があるんだ?」
「そんなに『の』を重ねるもんじゃないわ。私は『の』の字が嫌いなのよ。形とか美しくないじゃない? 重ねるなら『ろ』とかにしなさい」
「えっと……僕ろ明日ろ午後ろ用事ろ有無になんろ問題があるんだ?」
頑張ってやり直してみると、リリィ姉さんはぽかんとした表情になった。
「は? あんたなに言ってんの? 日本語喋りなさいよ。馬鹿なの?」
「振ってきたのはそっちだっ!」
ひどすぎる。
「覚えておきなさい響、素直と馬鹿は紙一重なのよ。そして、たとえ美しくないからといってそれが忌避する理由にはならないわ」
「立派なこと言ったつもりかよ……」
「で、明日なんだけど」
リリィ姉さんは僕のつっこみを無視し、話を引き戻す。たぶん飽きたのだろう。
だが、そこで不意に表情を消し、身体をわずかによじらせる。
──なんだ?
まるで背後を気にするようなその仕草、さっきに続いて二度目だ。一週間前に自分が蹴破ったドアの建て付け具合を確認している訳ではないことくらい、僕にだってわかった。彼女の注意力もしくは警戒心は、ドアの更に向こう、つまり廊下へと向けられている。
「午後、用事はないって言ったわよね?」
「うん。午前もだけど」
「つまりあんたはこのままだと、明日は起きたい時間に起きてだらだらとし無為に休日を過ごすだけなのよね?」
「……素直に頷くのも癪だけど、うん」
「だったら」
そして、僕の姉──我が家の次女は。
背後への警戒からか、非常に珍しいことに声をやや小さくし、更に希有なことに喉の奥で咳払いをひとつくぐもらせると、それでも僕の目を睨み付けるようにして、言ったのだった。
「あんたは明日、私と一緒に街に行くのよ」
「……は?」
「ちなみに家族には内緒でね」
言葉の意味がよくわからず絶句した僕に、それはまさしく追い打ちだった。
「全員。つまり高遠にも礼兎にも芽々子にも稜にも耶衣にも。わかったわね?」
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まあ、しかし、だからといって。
リリィ姉さんが一カ月ほど前に家へ来た新しい義弟に対して切ない想いを抱き募らせた挙げ句に意を決してデートへ誘ったとか、そういう素っ頓狂なことが起きるなど、全然まったくこれっぽっちもあり得る訳がない。
「誕生日なのよ」
次の日、午後二時過ぎ。
ふたり別々に家を出てから時間を合わせて最寄りの駅へ行き電車へ乗り込み、空いていた四人掛けのシートをふたりで占拠した後。
僕の向かいの席でリリィ姉さんは、心底面倒そうにそう言った。
「誕生日って、芽々子ちゃんの?」
「ええ。六月三日」
昨夜あれから、部屋の外を警戒したリリィ姉さんが僕に告げたのは、次の三点だった。
まず、一。芽々子ちゃんにプレゼントを買いに行きたいこと。
次に、二。なにを買えばいいのか迷っており、僕にも品選びを手伝って欲しいということ。
それから、三。家族には内緒にしておきたいこと。買いに行くというその事実すらも。これはどうも、プレゼント選びに第三者の手を借りること自体を恥と考えているかららしい。
つまり、種がわかれば単純な話である。
家族にバレてしまうのを避けるため──こっそりと僕の部屋に来て、他の家族を気にし、結果として──『鏡山高校の女帝』と異名を取る彼女にはまるで似合わない、やけにしなびた態度を取っていたという訳だ。
とはいえ昨夜の時点ではかなり情報が不足していた。リリィ姉さんが芽々子ちゃんにプレゼントを買う理由すらもわからなかったからだ。
「……なるほど」
「なにが『なるほど』なのよ」
「誕生日プレゼントだってことがだよ」
不機嫌そうに僕を睨むリリィ姉さんは、緑色のワンピース。薄手の布地は殆ど夏の装いで、春先にはまだ早いんじゃないかと思えた。
……もっとも、駅で「寒くないの?」と尋いた僕に彼女はこう答えた。
煩いわね、季節なんかに私の着る服を左右されたくはないのよ。
まあ、季節外れというほどでもないし別にいいか、とも思う。
僕は話を続けることにした。
「でも……芽々子ちゃん本人にバレちゃまずいっていうのはわかるけど、高遠兄さんたちにまで内緒にしなくてもよかったんじゃないのか?」
「冗談じゃないわ」
返事はぴしゃりとしていた。
「高遠にバレでもしたら、あのしたり顔でどんな厭味を言われるかわかったものではないもの。他の奴らだって信用できたもんじゃないしね。礼兎はついうっかり、稜は面白がって、耶衣は無邪気に……三者三様の理由で、高遠に口を滑らせる可能性は高いわ」
「……はあ」
「高遠だけじゃなくて芽々子本人に伝わるのも避けたいしね。覚えときなさい、響。うちの家族で秘密を共有するに足る人間なんてただのひとりもいやしないのよ」
ひどい言いようである。
「あ。というか、芽々子ちゃんの誕生日ってんなら、僕もプレゼント買わないと」
不意に気付いた。手持ちは足りるだろうか。
一応ちょっと多めに持ってきてはいるけど──なんて考えていると、
「あんたにその必要はないわ」
妙につっけんどんな物言いをされた。
「え、なんでさ」
「芽々子のプレゼントを買うのは私の役目だからよ。他のきょうだいたちがすべきことじゃないわ。あんたも含めてね」
「……どういうこと?」
重ねて問うた僕に、リリィ姉さんは面倒そうな顔を隠そうともせずに鼻を鳴らしてから、あのね、と説明を始めた。
「うちは、きょうだいが多いでしょう?」
「ああ、うん」
「だから誕生日なんてイベント、きりがないのよ。年六回……今はあんたがいるから七回か。とにかくそんな回数、全員こぞってプレゼントの交換会なんてのはバカげてるってこと」
確かにそうだ。
来月は芽々子ちゃんとして──他のきょうだいたちが何月何日生まれなのか僕はまだ知らないけど──誕生日というのは誰しも一年に一回必ず巡ってくるものだ。その度にプレゼントを贈るとしたら、自分を除いても年六回。ちょっと冗談ではない出費である。
「だから各々の誕生日には、きょうだいのうち誰かひとりが代表してプレゼントを買うことになってるのよ。それ渡しておしまい、って訳」
「つまり芽々子ちゃんにプレゼントを贈るのはリリィ姉さんの役目ってこと?」
「ええ、そうよ」
「他の人の誕生日は?」
そこで何故か彼女は僕から視線を外し、窓の外、流れる景色へと顔を背け、
「高遠には礼兎で、逆に礼兎には高遠ね。稜には礼兎で、耶衣には稜よ」
「……ええと」
一気に言われたので頭がこんがらがってしまった。
つまり、どういうことだ?
礼兎姉さんが二回出てきたような気がする。高遠兄さんと稜くんのふたりにプレゼントする役目を担っているみたいだった。正直、それだけでバランスが悪いのだけど──他にもなにかおかしい部分があったような。
「あのさ、リリィ姉さん。……それって法則とかあるの?」
さすがにお手上げだ。
リリィ姉さんはこちらを一瞥しわずかに眉を片方だけ上げ、
「さあね。私は知らないわ」
腕組みをしたまま再びそっぽを向く。
──勘弁してくれ。
法則がわからないと困る理由が僕にはあった。
「僕はどうすりゃいいんだよ」
「……あんたが?」
「そうだよ。僕は誰に誕生日プレゼントをあげればいいのかなって。僕だけ担当なしっていうのは、さすがにちょっと……」
そんな僕へリリィ姉さんは微かに笑った。
「安心しなさい。あんたの誕生日には高遠がプレゼントを渡すことになってるわ。でもってあんたは今のところ誰にもあげる必要ないから」
まったく当然のような、断言。
「……え」
しかし僕はそれに、強烈な違和感を覚える。
誰にもプレゼントをあげなくていいと言われたことももちろんだが、もっと根本的なこと。
さっき彼女は、法則があるのかどうか知らないと言ったはずだ。
なのに新参である僕の割り当てに関してはまったく淀みなく答えた。
これ、矛盾してはいないか。
ひょっとしたらプレゼントの割り当ては、高遠兄さんか誰かに決定権があるのかもしれない。適当に気紛れか、もしくは個人の懐事情なんかを考慮してか、だから法則性などないに等しいというだけなのかもしれない。
ただ、その推理は正解でない気がした。
さっきからのリリィ姉さんの言葉や態度は、少し変だ。
この人はなにかを隠しているのではないか、そう思ってしまう。
しかし──僕が違和感を抱いた理由も定かでないうちに、電車がもうすぐ次の駅へと到達する旨をアナウンスし始める。それは僕らが買い物をしようとしている街であり、
「さ、行くわよ」
リリィ姉さんは僕の思案を無視して立ち上がり、ドアへ向かって歩き始めるのだった。
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ところで、鏡山──つまり倉須家が居を構えている土地は、市街地からはやや外れた場所にある。そこは小高い山の一画を削って作られた住宅地であり、高級というほどでもなければ大安売りされている訳でもない、至って普通の中流家庭が軒を連ねているようなところだ。
近くにはスーパーやコンビニ、本屋やレストランなんかも点在しているので生活そのものには困らないのだが、たとえば今日のように日用品ではないものをショッピングしたかったり、またカラオケやゲームセンターなどの娯楽施設を利用したい場合などは、電車に五駅ほど揺られて市の中心部まで出向く必要がある。
現地民的には『街に出る』とか『山を下りる』とか言うらしい。
ただ僕は四月に越してきてからこっち『山を下りる』のは今日が初めてだった。生活環境が変わるというのはやはり慌ただしくて、遊びに行く余裕などなかったというのもある。
駅の改札を出た先に広がる街並みは、だから当然ながら馴染みなどまったくない、まさに異国と等しい場所だった。
見た感じ、都市としてはそこそこ。大都会というほどではないが田舎と呼ぶにはちょっと謙遜し過ぎているといった程度だろうか。東京まで電車で一時間強という土地柄なので、このくらいの発展が丁度いいのかもしれない。
「さ、まずはどこへ行こうかしら」
リリィ姉さんは改札を出てすぐに立ち止まると振り返り、僕を一瞥した。
「なにを買うか……は、決めてないんだよね」
「決めてたらあんたを連れてきたりしないわ」
「とはいっても、僕は街に不慣れだよ」
「そんなこと言われるまでもないわ。……じゃあ、そうね。まずは」
辺りを見渡し、十五メートルほど先にある喫茶店らしき店舗へ視線を定め、
「そこでコーヒーでも飲みつつ、なにか甘いものでも食べながら話し合いましょうか」
「……来て早々の休憩かよ」
「覚えておきなさい響。女の子はね、甘いものを与えてさえおけば機嫌が取れるものなのよ」
「リリィ姉さんも?」
「私がそんなに単純だとでも思ってるの? バカにしないで頂戴。いいから行くわよ」
身勝手かつ不合理な理屈をまくしたてると僕の意志を確認もせずに、喫茶店へ向けてさっさと歩きだした。
仕方なく僕は後を追う。
そこは駅前にしては珍しく、チェーンではない店だった。
中は少し薄暗く、それなりにいい雰囲気。外からはわからなかったがけっこう広く、席の数も多かった。なかなか繁盛しているらしい。
ウェイトレスに案内されて席へ。四人掛けのテーブルに向かい合って座った。
つい二分前、甘いものに釣られるほど単純ではないと豪語したリリィ姉さんだが、板についた言動不一致ぶりでアイスコーヒーとチョコレートパフェを注文する。
僕も仕方ないのでエスプレッソとチーズケーキ。出掛ける前に昼食を摂ったからあまりお腹は空いていないのだが、文句は言わずにおこう。
パフェよりも先に来たコーヒーのグラスを引き寄せ、リリィ姉さんは言った。
「……で、あんたに尋きたいのだけど。具体的にどんなものがいいと思う?」
もちろんこれは、芽々子ちゃんの誕生日プレゼントのことである。
「そうだな……」
僕は眉間に皺を寄せる。
「って、僕まだ芽々子ちゃんの趣味とかそういうの殆ど知らないんだけど」
一、二度部屋に入ったことはある。
見た感じ、特に変哲のない『女の子の部屋』──いや、むしろ殺風景な部類に入るかもしれない。ポスターやぬいぐるみなど、そういった装飾物は見当たらなかった気がする。
と、
「あの子の趣味? それがはっきりしてりゃ苦労はしないわ。強いて言うなら私たちね」
不意に憮然とした表情になり、
「なんだよそれ」
「あの子は家族依存症なのよ」
リリィ姉さんは妙なことを言った。
「……家族依存症?」
「ええ。あんたももう気付いてると思うけど、あの子は基本的に、家族にべったりなの。私たちと話をするのが好き。私たちと触れ合うのが好き。私たちと一緒にいるのが好き」
ああ、それは確かに。
正直、芽々子ちゃんの過剰なスキンシップにはちょっと困ってしまうほどだ。唐突に意味なく抱きつかれたりなどはしょっちゅうで、人前ですら平気でしてくる。
「ただ……それだけならいいのだけど、問題はそれ以外のものにあまり興味がないってことよ。趣味らしい趣味もないはずよ」
「……そいつは重症だね」
初めて会った日だったか、高遠兄さんが芽々子ちゃんを評して言っていた。
お前は人間の肉の味を覚えた子猫だよ──と。
今になってみれば、その頓狂な表現の意味がわかるような気がする。
「ちなみに去年は何を贈ったの?」
「バッグよ。一昨年はペンシル」
意外にまともなアイテム選定だった。
「じゃあ、今年もその辺で攻めればいいんじゃないの? ええと……服とかは?」
「服はダメね。あの子、家族からのプレゼントを徹底的に愛用する悪癖があるから。休みの度に同じ格好の芽々子を見ることになるわ。……ま、三年前に私がやらかしたのだけど」
「バッグもペンシルも同じ運命を辿ったって訳か。物持ちがいいのは美徳なんじゃない?」
「バッグは今のところ無事だけど……ペンシルは失敗だったわ。三カ月めくらいに落として失くしてしまったのよ。それで、家族中巻き込んでの大捜索。結局見付からずに、三日くらい泣き喚いてたわねあの子。新しいの買ってあげてようやく治まったけど」
──なるほど。
「姉さんが僕なんかに頼る訳だよ」
「理解してもらえて嬉しいわ」
全然嬉しくなさそうな顔だった。
でも……だったらどうすればいいだろう。
まず、失くす可能性があるのは論外。
それからできれば服などのような、連続使用による劣化が少ないもの。
しばらく考えた後、僕は名案を思い付く。
「ぬいぐるみはどうかな」
「……ぬいぐるみ?」
「ああ。部屋に置いておくものだから失くしたりはしない。毎日抱いて寝ても、まあ、汚れはするかもしれないけど……簡単に壊れたりはしないだろ?」
リリィ姉さんは黙り込んだ。
思案するように視線を机の上に留め、ややあって顔を上げる。
そして上げた時にはもう、薄く笑みを浮かべていた。
「いいわね。それでいきましょう」
リリィ姉さんは滅多なことで笑わない。
学校にいる時はもちろん、家でさえもそれは同様だ。
だがその分、仏頂面が笑顔へ変わった時に得られる華やいだ空気はそれまでのギャップと相まって、見た者を無条件でとろけさせてしまう。そもそもがとびきりの美人なのだから尚更。世が世なら一国傾けていたかも、とは高遠兄さんの談。
「なるほど、ぬいぐるみか。やるわね響」
「あ、……うん」
しかも褒められたとくれば尚更だ。
僕はつい照れてしまう。
お陰でミルクも入れずエスプレッソに口をつけ、その苦さに口をすぼめてしまうという失態を犯してしまう始末だった。
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携帯で調べてみたところ、駅から歩いて五分ほどの場所に建っている大型デパートにぬいぐるみ売り場があるらしい。
ケーキとパフェを平らげてから僕らは喫茶店を出、そこへ向かった。
当然ながら僕は初めてだ。
デパートがある方角もわからない身、リリィ姉さんに先導してもらうしかない。
道すがら尋いたところ、元々このデパートで品探しをするつもりではあったらしい。服やCDなんかも含めて雑多な品物を幅広く扱っているのが都合いいそうで。──という訳で、僕はとりあえずここまでの道のりをしっかり覚えておくことにした。このデパートさえ把握しておけば当面の間はいろいろ困ることはなさそうだし、駅からやや距離がある分、何度も通っていれば街そのものにもすぐ慣れるだろう。
春とはいえ歩いていると日差しがそれなりにきつく、デパートの中に入った時にはクーラーの涼しさが心地よかった。薄着のリリィ姉さんは体感温度などまるで知ったことかと言わんばかりに、外とまるで変わらない顔をしていたけれど。
「どこかしらね、ぬいぐるみ売り場」
何度も来てはいる彼女も、さすがに興味のないものはどこに売ってあるか知らないようだ。
「六階って書いてたよ」
さっきの検索結果が間違っていなければそのはずだ。
リリィ姉さんは「そう」と頷くと、真っ直ぐエレベータへと向かった。目的地が決まっている以上、エスカレーターで一階ずつ上る気はないらしい。
一緒に乗り込み、六階、雑貨売り場へ。
そこは、男の僕としては今回を限りに用などないであろう、ファンシーなグッズが所狭しと並んだフロアだった。
弁当箱や文房具などの小学生向けアイテムから、アロマやアクセサリ類などの全年齢対象商品まで。ぬいぐるみ売り場はフロアの奥、角にあった。クマだのイヌだのネコだのパンダだの、大小様々な動物たちが山ほど陳列されている様は、なかなか圧巻である。
「……さて」
この中からどれを購入するか決めなければならない。
予算と大きさに芽々子ちゃんの好みを加味し、選定することにしよう。
隣に立った我が姉は、居並ぶぬいぐるみたちに対して『こいつらなんてただの布と綿でしょうになにをそんなに偉そうに鎮座しているのかしら』みたいな顔をしていた。
「リリィ姉さん、予算は?」
「一万円以内ね」
「それだけあったら、どれでも選び放題なんじゃないかな」
僕らの想像の範疇を超えた高級品が紛れ込んでいる可能性もまあないではないけど。
手近にあった巨大なウサギに歩み寄る。大きさは両手で抱えるくらい。
値札を探すと、足許に縫い付けられていた──ぴったり一万円。なるほど、だったらこれより大きなあのイルカとかキリンとかはもっと高値ってことか。あとは本格的っぽいテディベアや、ディズニーみたいな版権ものは値段が上乗せされているはず。
というか適当に目を付けたこのウサギ、なかなかいいような気がしてきた。芽々子ちゃんはけっこうウサギっぽいし、似合うのではなかろうか。
そんなことを考え、
「なあ、リリィ姉……」
振り返り呼びかけようとしたのだが、
「……え」
僕の視界に映ったのは、予想外のものだった。
リリィ姉さんではない。
彼女の更に後方だ。
ぬいぐるみ売り場ではなく、その奥にあるアロマグッズ売り場。
見知った人影、それもこの場にいるはずのない、というか最もいてはいけない人間が、きょとんとした表情でこっちを見ていた。
いや──きょとんとしていたのはつい一秒前までだ。
彼女はもはやそんな顔をしていない。浮かべているのは恐ろしいほどの喜色である。満面の笑み、それもどこか悪戯っぽさを混じらせて、目の合った僕に『しーっ!』というジェスチャーを送ると身を沈めてダッシュを開始する。
「……ん?」
リリィ姉さんがようやく背後の気配に気付くも遅い。
「りーぃーおーねーえーちゃーんーっ!!」
まるでスカイダイビングみたいに、我が家の三女は我が家の次女へと飛び掛かった。
「芽々子!?」
さしもの倉須リリィも驚嘆の声をあげる。
「いいいいやっほおおおお!」
芽々子ちゃんは嬌声とともにまるでおんぶお化けのようにリリィ姉さんの背中へ抱きつき、
「ねーねーどうしたの? なんでこんなところにいるの? しかもひぃお兄ちゃんもっ!」
びし、と僕を楽しそうに指差した。
「め、芽々子ちゃん……は、どうして?」

僕はようやくのことで、そう問うた。
茫然からこの短期間で回復した自分を褒めてやりたい。
僕とリリィ姉さんが家を出る時には……芽々子ちゃん、どうだったっけか。家族に見付からず外出することばかりを考えていたせいで確認を怠っていた。
「今日はね、お友達と買い物だよっ」
芽々子ちゃんはようやくリリィ姉さんから離れると、少し向こうでおっかなびっくりこちらの様子を窺っている女の子たちへ。
「こっちゃんと、みょーりんと、ゆなっち」
三人、紹介される。ショートカットの利発そうな娘と、お下げ髪のおっとりした娘、それからアップにまとめた優等生っぽい出で立ちの娘。正直、愛称で言われても覚えきれない。というかどれがこっちゃんでどれがみょーりんでどれがゆなっちなんだ。みょーりんってなんだよそのあだ名。調味料か。
心の中でつっこんでいる場合ではなかった。
「……リリィ姉さん」
芽々子ちゃんが友人たちの傍にいるのを幸い、姉の袖を引きそっと耳打ちする。
「どうしよう……」
返ってきた言葉は明快だった。
「誤魔化しなさい」
「ってか、もうバレてんじゃないか?」
「大丈夫よ」
囁き声ではあるが、こんな時も冷静な口調なのはさすがと褒めるべきか。
「我が妹ながら、芽々子はアホなの」
……って、冷静な口調で酷いことを囁き始めやがったよこの人。
「断言できるわ。この調子だと、私たちがここに来た目的にまったく気付いていないはずよ。そもそもあの子、毎年、三日前くらいにならないと自分の誕生日を思い出さないもの」
なるほど芽々子ちゃんの誕生日までまだ半月ある。
って、『なるほど』なんて言っちゃ失礼なのだけど、まあそれは置いておこう。
つまりリリィ姉さんの言葉を信じるなら、どうにかしてこの場をやり過ごせば、誤魔化すのは可能ということだ。
「あなたたち、うちの生徒なの?」
時間稼ぎをしてくれるつもりだろうか。
リリィ姉さんが芽々子ちゃんの友人一同に歩み寄り、話し掛け始めた。こっちゃんとみょーりんとゆなっち……だっけか、三人がそれぞれ緊張の色を見せながら頷く。
それもそうだろう。
我らが鏡山高校の生徒会長──気高くも理解しがたい性格で有名な、畏怖と憧れの権化であるあの倉須リリィに話し掛けられたのだから。もういい加減慣れてもおかしくない僕のクラスメイトたちですら、姉さんが教室に来訪すると未だに強張ってしまう。
「いつも妹がお世話になっているわね。それともあなたたちが妹にお世話になっているのかしら? ま、どちらでもいいわ。私とあなたたちに縁ができたことには変わりないものね」
相変わらず意味不明な言葉だったが、三人はうっとりしたような顔で聞き入っている。
とにかくチャンスだ。
今のうちにどうにか言い訳を考えるべく、僕は頭を必死でフル回転させた。
「ねー、ひぃお兄ちゃん?」
芽々子ちゃんが友人たちを放置しこちらへ視線を遣る。
怪訝な表情をしていた。何故だろう?
「……あ」
そこで、僕は。
「ね、それ、なに?」
自分が犯している致命的なミスに気付いた。
芽々子ちゃんが疑問の視線を向けている対象は、僕ではなかった。
正確に言うならば、僕ではあったけれど僕そのものではなかった。
僕の肩口。というか、腕の中。
不肖、倉須響。
今、現在。いや、さっきからずっと。
「あ、の……その」
ウサギの──巨大な──ぬいぐるみを──抱きかかえて──いたんですけど……。
やばい。
これはやばい。
最も順当であろう『アロマキャンドルとかその辺のものを買いに来たんだけどたまたまぬいぐるみ売り場の前にいただけですよ』という言い訳がこれで封じられた。
ではどうするか。
『誰かのプレゼント』というのも無理。リリィ姉さんはああ言ったけど、芽々子ちゃんが勘付いてしまっては一巻の終わりなのだ。
『落ちていたのを拾っただけ』というのはどうか──あり得ない。
だったら『リリィ姉さんの趣味』──あとで僕が殺される。
笑ってさりげなく棚に戻す──どうさりげなくできるんだよこの状態で!
芽々子ちゃんは固まっている僕を見て、きょとんとした笑顔のまま小首を傾げ、言った。
「ひぃお兄ちゃんが買うの?」
瞬間。
僕はたぶん熱暴走してしまったのだと思う。
「ああ、そうだよ」
我ながら驚くほど滑らかに言葉が出た。
「芽々子ちゃん、実は、僕はね」
思考は止まっていたのに。
なのに、笑顔まで浮かべ、
「……ぬいぐるみを集めるのが趣味なんだ」
苦し紛れの向こう側からひょっこり出てきた唐突な新設定を、自分に追加した。
「へ?」
さしもの芽々子ちゃんも目を丸くする。
リリィ姉さんも同様、眉をひそめてこっちを振り向いていた。
ついでに、芽々子ちゃんのお友達三人も。
ああ、もう無理だ。今更「噓です」とか「そんな訳ねえじゃん」とか言えない。
このまま行くしか──ない。
「なにを変な顔してるのさ? 僕はなにもおかしなこと言っていないよ。ほら見て芽々子ちゃん。このウサギ、両手に余るほどの大きさに相応しい虚ろな目……実に可愛いじゃないか」
「うん、まあ確かに可愛いけど……」
「そうだろ? 着てる服もビビッドで素晴らしい。抱き心地も上々だ。これは毎日抱き締めて過ごすしかないよ! いいなあ。買おうかな。いや買おう。買うしかない!」
と、さすがに悪ノリし過ぎたか。芽々子ちゃんはまるでショックを受けたように「抱き締めて過ごす……?」と僕の言葉を鸚鵡返しに呟き、
「もしかしてひぃお兄ちゃん、うちに来てから……ぬいぐるみ買うの、我慢してたの?」
「ああ、実はそうなんだ。前の家にいた子たちはさすがに持って来れなかったからね。でもそろそろ落ち着いてきたし、部屋に誰もいないのが寂しくなっちゃってさ」
どうしよう、涙が出てきた。
なにがぬいぐるみ集めだ。
なにが趣味だ。
なにが悲しくて高校二年の男子が、そんなメルヘンな趣味を持ってなきゃいけないんだ。
しかも新しくできた家族に対して盛大に披露するというおまけつき。この噓はもはや、その場しのぎのものではない。一生貫き通さねばならない僕の軛となりつつあるのだ。
「でも越してきたばかりで、どこにぬいぐるみが売ってるのかわかんなくてさ。今日は、リリィ姉さんに連れてきてもらったって訳」
「そうなの? りぃお姉ちゃん」
僕の噓を信じているのか信じていないのか、それとも僕のことを信じられなくなったのか。確認を取るように芽々子ちゃんがリリィ姉さんへ向き直り、問うた。
姉さんは答える。
「いいこと芽々子。たとえ家族でも、人の趣味にとやかく言うものではないわ。大きく広い心で黙って受け止めてあげなさい」
──そっちか!
「そっか……そうだよね」
やけに深刻そうな顔になった芽々子ちゃん、やがて覚悟を決めたように、
「ごめんね、ひぃお兄ちゃん。お兄ちゃんは間違ってないよね。私、我慢するよ!」
「いや……あの、うん」
リリィ姉さんの背後で、芽々子ちゃんの友人三名がひそひそと囁き合っていた。
「ぬいぐるみ集めだって」
「変わってるねえ」
「さすが、めーちゃんのお兄さん」
「いや、ここは『さすが倉須家』って言うべきじゃない?」
「そっかー」
「やっぱ鏡山高校いちの有名家族は違うね」
叫びたかった。
僕は普通だ。
きみらと変わらない。
別フォルダに入れるのはやめてくれ……。
「ひぃお兄ちゃん」
「……なんだい、妹よ」
「買わないの? それ」
「いや、ああ……買う。買うともさ」
「抱いて持って帰るの?」
「いや、どうだろ……どうしよう」
「安心なさい響。レジに『配達承ります』と張り紙があるわ。なんと一万円以上は送料無料だそうよ。親切ね」
「わあ、運がいいなー」
「どうしたの? ひぃお兄ちゃん、なんか声がぼーってなってるけど」
「いや、なんでもないよ? 大丈夫さ……なんでも、ないんだ」
財布には一万二千円入っていた。
せめて足りなければ、まだ救われたのかもしれないのに。
かくして僕はその中の一万五百円(税込み)を注ぎ込んで、欲しくもないウサギのぬいぐるみを購入する羽目になったのだった。
配達予定日は明日だそうだ。忘れないようにしよう。他の家族には絶対に受け取らせないようにしなければならない。絶対に。
フロアから立ち去る時の『大丈夫ですよこういう趣味を持った男性の方はけっこういますから』みたいな店員の優しい視線には、さすがにちょっと心が折れそうになった。
4
どうも、芽々子ちゃん一行は特に目的もなくぶらぶらとデパートを歩き回っていたらしい。それで出会ってしまったのは僕らの──特に僕の不運と言う他ないだろう。
彼女たちと別れた後、僕とリリィ姉さんはデパートの屋上へと来ていた。
階下のそこそこ洒落た空気から一転、ひなびているというか渋いというか、そんな雰囲気の漂う場所である。子供向けのちょっとした遊具が隅にぽつぽつ、その横にたこ焼きとうどんのテナント。人工芝シートが敷き詰められた中庭の奥には小さな神社。
それらを見渡すようにして設置された休憩用のベンチへ腰掛け、僕は深く溜息を吐いた。
「下を向くのをやめなさい、響。下を向いて、蟻を踏み潰してしまっていることに気付いたら歩けなくなってしまうわ」
よく小梅さんにしている、意味がわかるようなわからないような箴言。
「……いや、大丈夫だよ。僕には今、地面すら見えてないから……」
「そう、それは重畳だわね」
こんな状況なのに気の利いた返答のできた僕を誰か褒めて欲しい。
「とはいえ、いつまでもうじうじしてるもんでもないわ。気を切り替えなさい」
「姉さん……一万円あったらなにに使う?」
「ふん。あんたが立ち直るんだったら、私は今すぐ一万円札に火を点けて燃やしてしまっても別に構いやしないのよ」
「……っ、いやその」
いつも冷酷なことばかり口にするくせに、たまに不意打ちを仕掛けてくるから困る。
これじゃ、落ち込んでいる訳にもいかないじゃないか。
「わかったよ、悪かった。ぬいぐるみのことはひとまず忘れることにするさ」
そもそも屋上まで出向いたのは、誕生日プレゼントの件でもう一度話し合うためだ。
ここならさすがにもう芽々子ちゃんたちと遭遇することもないはず。
リリィ姉さんはベンチに背を預け、腕組みをした。
「そうね。……でも、無理にぬいぐるみをプレゼント候補から外すまでしなくてもいいと思うわ。半月も経ったら覚えちゃいないでしょうし」
確かにそうかもしれない。芽々子ちゃんのあの様子だと、自分の誕生日がもうすぐだなんて気付いていないだろう。ましてやリリィ姉さんがプレゼントの選定に悩んでいることなど想像すらしていないはずだ。半月後にそ知らぬ顔でぬいぐるみを渡したって、今日のことなんかすっかり忘れている可能性がある。
でも、
「……なあ、リリィ姉さん」
僕はなんとはなしに、違う、と思った。
「ぬいぐるみは、やめにしない?」
あれじゃダメだ──という気がしたのだ。
確信があった訳じゃない。
繰り返すが、なんとはなしに、ではあるけれど。
「たぶん芽々子ちゃんは、ぬいぐるみをあげてもあまり喜んでくれないんじゃないかな」
さっき僕が、ぬいぐるみの蒐集を趣味にしていると噓をついた時。
芽々子ちゃんは変な顔をした。
ぬいぐるみ集めの趣味が男として変わったものであったから、それで僕に対して引いたんじゃないかとあの時は思い込んでいたのだが、ひょっとしたらそうではないかもしれない。
芽々子ちゃんの顔は確かに曇っていた。
毎日抱き締めて過ごす、と僕の言葉を鸚鵡返しにしながら。
うちに来てからぬいぐるみ買うの我慢してたの? と問いながら。
リリィ姉さんに『僕の趣味を認めろ』と諭されて、彼女は言った。
──私、我慢するよ!
我慢する。
なにを我慢するのか。
僕の趣味が変なことをか。
違う。芽々子ちゃんと出会ってからまだ日が浅いけれど、僕だって一カ月と少し同じ屋根の下で過ごしてきたのだから、わかる。
僕の上の妹は、きょうだいの趣味に対して気持ち悪いけど『我慢する』なんて、そんな考え方をするような娘じゃ、決してない。
我慢するのは、別のもの。
「芽々子ちゃんは家族依存症。そう形容したのはリリィ姉さんだよね」
僕がぬいぐるみを抱き締めて過ごすのが厭だった、それ自体は合っているはず。
「だから……」
つまり、我慢すると言った理由は。
ぬいぐるみを抱き締めて過ごすという言葉に拒否反応を示した理由は。
「たぶん芽々子ちゃんは、ぬいぐるみなんて欲しがらない。依存症って言われてしまうほど家族にべったりだから。大好きな家族がいるから……ぬいぐるみは、いらないと思うんだ」
そう、僕自身が言ったことだ。
部屋に誰もいないのが寂しくなっちゃってさ、と。
芽々子ちゃんはそれが厭だったのだ。
ぬいぐるみがいないと寂しい僕のことが。
自分が──きょうだいたちがいるのに寂しがっている兄のことが。
「家族からもらったものはとてつもなく大事にするんだろ? それって、絆が嬉しいってことじゃないかな。プレゼントの背後にあるリリィ姉さんの、家族の存在が嬉しいんじゃないかな。でも、ぬいぐるみって……まるで身代わりみたいじゃないか。キャラクターだし、背後にいる人との間にフィルターがかかるみたいでさ。たぶん芽々子ちゃんは、喜ばないよ」
僕はそこまでを言って、顔を上げた。
リリィ姉さんを真っ直ぐに見る。
『くだらない』なんて一蹴されるかもと思ったけれど、彼女はそうしなかった。
目を見開き、
「ごめんなさい、響」
まるで感動したかのように笑って、言った。
「私はあんたを見くびってたわ」
「え……」
「確かにそうよ。芽々子はそういう子だわ。だからこそあの子はまともじゃなくて、狂ってて、とても厄介なのだけど……でも幾らそうだったとしても、プレゼントで悲しませたりなんかしちゃ、姉がすたるってものね」
僕は呆気に取られる。リリィ姉さんのそんな反応、初めてのことだった。まさか人に謝ったりすることがあるなんて。
「仕方ないわね」
姉さんは立ち上がった。
「あんたにそう言われちゃ、私も妥協する訳にはいかないわ」
それは宣言だったのかもしれない。
お前に負けるか、という。
新参のきょうだいであるお前よりももっと、芽々子の気持ちを汲んでやろう──という。
もちろん本当のところはわからない。ただ少なくともリリィ姉さんは、やけにやる気の表情を見せつつ、僕にも立ち上がるように促し、
「いいこと、覚悟なさい? 今から夕方までありとあらゆるショップを巡るわよ。この辺り一帯すべての地図があんたの頭に叩き込まれるくらいにね」
「やっぱ今日、そういう目的もあったのか」
「……なにか言った?」
「いや、なにも」
──勝つも負けるもないよ、姉さん。
妹思いでついでに弟思いな我が家の次女に、僕なんぞが敵うはずがない。
プレゼント選びの手伝いというのはもちろん本当だろうが、そのついでにさりげなく街を案内し、この土地に慣れさせてくれるつもりだったのだからまったく恐れ入る。
ただこれから先、できれば僕は、この人みたいになりたいとも思うのだ。
少しずつでもいいから、こんなふうに、家族のことを考えられるように。
僕はもう倉須家の一員になっている。高遠兄さんに案内され、この人に導かれて、そりゃあ父さんと母さんが死んだショックはまだけっこう引き摺っているけれど、新しい家で笑ったり怒ったり泣いたりちゃんとできるようになったし、その手伝いをしてくれた──リリィ姉さんをはじめとした他のきょうだいたちのことも、好きになり始めている。
せいぜいリリィ姉さんの後を追うことにしよう。
そうしてもう一度、彼女に僕を認めさせてやるのだ。
ごめんなさい、とか、見くびってたわ、とかではなく、さすがね、と。
皮肉など欠片も混じっていない、感心を。
「さ、行くわよ」
リリィ姉さんは振り返りもせずさっさと歩きだす。それはきっと、僕がちゃんとついてくることを確信しているからだろう。
だから僕も安心して、彼女についていく。
まあ、僕が『疲れた』などと愚痴をこぼしても立ち止まってくれそうにはないのが、ちょっと難点ではあるのだけど。
5
──それから。
たっぷり四時間ほどかけて本当に街中を歩き回り、どう考えても誕生日プレゼントを売っているはずのないカラオケやゲームセンターやダーツ場なども案内されつつ、それでも決して妥協することのない真剣さでプレゼントの品物を選びぬき、ようやく夕方過ぎに家へ帰って食事とお風呂を済ませた、その夜。
半日の外出だったが思ったよりも疲れているようで、午後十時過ぎだというのにかなり眠い。とはいえ明日はせっかくの日曜、平日と同じように過ごすのも惜しいな、などと益体もないことを考えながら、僕は自室を出た。
廊下を挟んで斜め向かいのドアをノックする。
「はーい」
返事があったので開け、中へ入る。
「ん、どうしたの響にい」
ベッドに寝転んで雑誌を読んでいた稜くんは、顔だけで僕へ振り向いた。
風呂上がりのパジャマ姿は少女じみていて、弟と言っていいのか妹と言っていいのかよくわからない。部屋も花柄のカーテンやら薄桃色のカーペットやら、可愛らしい意匠ばかり。

「なに読んでんの?」
「ノンノ」
頭に『メンズ』がない。さすがである。
「そっか。や、たいした用事じゃないんだけどさ。ちょっと尋きたいことがあって」
「なに?」
まるで昨夜のリリィ姉さんみたいに、後ろ手に閉めた扉を背にした僕は、
「あのさ、さっき知ったんだけど、そろそろ芽々子ちゃんの誕生日なんだろ。でさ、プレゼントはリリィ姉さんの役目だって?」
「そうだな。芽々子ねえは、リリィねえの担当だな」
足をぱたぱたとさせる稜くんへ、単刀直入に──一方でとぼけて、問うた。
「それってさ、どんな法則なの? 僕は誰に誕生日プレゼントをあげればいいのかな」
昼間、電車の中。
このプレゼントの法則についてリリィ姉さんと話をした時に抱いた強烈な違和感のことを、僕は家に帰ってから改めて考えていた。
ついさっきその正体に思い至って、けれどそれを解決するには疑問があって、だから、答えを誰かに尋こうと思ったのだ。
受け渡し役は、こうだ。
高遠兄さんには礼兎姉さん。
礼兎姉さんには高遠兄さん。
芽々子ちゃんにはリリィ姉さん。
稜くんには礼兎姉さん。
耶衣ちゃんには稜くん。
そして、僕には高遠兄さんで、
僕は誰にもあげなくていい。
「あー」
僕の真意に気付いていない稜くんは、なんだそんなことか、というような顔をし、
「簡単だよ」
答えた。
「この家にそいつを迎え入れた奴が贈るんだ。だから響にいは、今んところは誰にもやらなくていいよ。反対に、響にいの誕生日には高遠にいが奮発するはずだよ」
「そっか」
僕は頷いた。
「ありがと。なるほど、だったら新参者の僕はちょっと申し訳ないね」
「ま、もらうばっかだしなー。あげる喜びを知らないってのは損かも」
にやりと笑んだ稜くんにお礼を言うと、僕は手を振り部屋を辞した。すぐ自室へ帰り、椅子に座って、頭の中を整理する。
※
その人をきょうだいに迎え入れた者が、そのまま誕生日プレゼントを渡す者となる。
僕は高遠兄さんによって倉須家に連れてこられた。
故に、高遠兄さんがプレゼントをくれる。
だとしたら。
高遠兄さんを迎え入れたのは礼兎姉さんで、
礼兎姉さんを迎え入れたのは高遠兄さん。
芽々子ちゃんを迎え入れたのはリリィ姉さんで、
稜くんを迎え入れたのは礼兎姉さん。
耶衣ちゃんを迎え入れたのは稜くんで、
そして。
「……リリィ姉さん」
彼女にプレゼントをあげる人は、いない。
ならばいったい倉須リリィは、誰に迎え入れられて倉須リリィとなったのだろう?
死んだという倉須夫妻、僕の叔父さんと叔母さんだろうか。
それとも、或いは──。
「参ったな」
本人にはとても尋けやしない。
僕はまだ倉須家の、きょうだいたちのことをなにも知らないんだと、改めて思った。
つまりそれは、これから知っていかなければならない、ということだ。
──リリィ姉さんのことや、みんなのことを。