そうしきのことはあまり覚えていない。

 両親が一度に、前触れもなく、とうとつに死んでしまったことで放心状態だったせいなのか、それとも僕が高校生の子供で、通夜だの葬式だのといった社会的なしきに対して無知に無力を重ねた状態だったせいなのか。

 僕は叔父おじ、つまり亡き母の弟に一切の雑事を任せ、ただ学生服で突っ立ったままちようもんきやくたちを迎えることしかできなかった。

 もちろん彼ら彼女らの顔も、かけてきた言葉も、僕のおくには残らなかったし心にも届かなかった。ああ、通っていた高校の先生とクラスメイトたちが来てくれた時は別だ。少しだけ安心したから──しようこうにおいやきようの声やふたつ並んだえいや飾られた花やひつぎの中の物言わぬとうさんとかあさんが、現実でないような気がして。

 とにかく、僕はまともでなかった。

 だから葬儀の後のことも同様に、あまりよく覚えていない。

 それは式場から自宅へ戻った後に始まった、しんせき連中のけんけんがくがくのことだ。


 五年前にこうにゆうしたばかりの一軒家は、当然のようにまだまだローンが残っていた。もちろんそれ自体は生命保険を使って完済できる。

 問題は、両親の死因だった。

 運転中に飛び出してきた犬を避けるためハンドルそうを誤り、民家のかべに突っ込んで裏口をはんかいさせる、という、言わばばく事故。こういう場合、普通は自動車保険がしゆうぜん費用を負担してくれるらしい──普通は。

 なんとびっくり、両親が突っ込んだ民家というのはつまり、我が家だったのである。

 まったく間抜けな話だ。

 がことでなければ笑っている。もちろん当事者である僕はまったく笑えなかった。

 なにせローン自体はどうにかなっても、破壊された壁やめちゃくちゃになった裏口や台所の修繕費用が自動車保険から出ない。家を修理するためには両親がちまちまみ立てていた貯金を使う必要があって、それは本来、僕が大学へ通うためのものだった。

 とにかくそういったけいがあって──親戚たちは、僕と我が家をどうするかについて口角あわを飛ばし合い始めた、というわけだ。

 台所が破壊されたせいでおちやを出すこともできない、我が家ので。


 家を欲しがっている者がいた。

 ちく五年の一軒家だ、無理もない。けれど修繕費用はそれなりにこうがくで、できればそれを肩代わりせずに済ませたがっているのが見え見えだった。

 貯金を欲しがっている者もいた。

 家は処分すればいい、と。けれど相続人はひとり息子むすこである僕であって、さんを手に入れたければ代わりに僕の扶養義務を負うになる。

 しんせきたちは全員、どうにかして遺産のおこぼれにあずかりたがっていた。できれば、のこされた未成年である僕をほかだれかに押しつけた上で。

 よくある話だ。ただし、ドラマなんかで。

 うちにはもうふたり子供がいるからめんどうは見きれないだの、引き取っても構わないけど貯金は養育費として頂きたいだの、だったらこの家はどうするんだだの、ちょっと待ておれにも少しは相続する権利があるんじゃないかだの。えんりよもなければしやくもない下世話な会話は当の僕を目の前にしていながら、堂々と行われていた。

 もっともその時の僕は、親戚たちがみにくわめさまをただぼんやりと眺めていることしかできなかった。怒ることも泣くこともせず。

 言葉は耳に届いていたのに、脳が理解を拒絶していたのだろう。さっき『あまりよく覚えていない』などと言ったけど、せいかくすならばこうだ。

 記憶したくもなかった、と。

 だから。

 覚えているのは、ここからだ。


 とうとつに、のドアが開いた。

 一斉にみんなが静まりかえった。

 それまで口さがなく金の話をしていた母の従姉いとことか、なにが目的なのか今ひとつはっきりしないまま「俺がしゆの代わりもやったんだから」とかぼそぼそ言っていた叔父おじとか、声高に「この子のためにできるだけ余裕のある家が引き取るべきよ」などとれいごとにもなっていないことを主張していた伯母おばとか、とにかくその場にいた十人近くの親戚一同が、しゆんに会話をめた──ドアの向こうから現れた人物に、ぎょっとして。

 ざんばらに刈った金髪の髪。やせぎすの、そのくせ手足が長くどこか迫力のあるたい。サイケデリックなごくさいしきなシャツ、大きく開いた胸元にはシルバーのとげとげしいネックレス。

 ねんれいは二十代半ばほどだろうか。赤いサングラスをかけたまま居間をへいげいしたその男は、しようひげやしたあごゆがめ、皮肉げに笑った。

「おやおやこれは。ちはモノクロームでおごそかだっていうのにずいぶんとかまびすしいね。まるでそうしきっていうよりも、お祭りだ」

 きんしんなことを言いながらサングラスを外すと、外見の印象にまったくたがわないけいはくそうなひとみが、そこにはあった。

 全員があつに取られる。

 十数秒のちんもくの後、ようやく口を開いたのは喪主代行をつとめた叔父おじだった。

「……、なんだ、きみは」

「なんだきみは、か。いい質問だねえ。漠然とし過ぎていて答えにきゆうするな。じゃあ逆にくけど、なんに見えます? おれって」

 僕がその時思ったこと──というより、いきなり登場した彼からなにを連想したかはたぶんしんせき連中とほぼ同じだろう。

 借金取り。

 そうしきの後にいきなり家へ侵入してきたチンピラみたいなきんぱつおとこといえばほかになにが思い浮かぶ? 別の可能性があったら教えて欲しいくらいのステレオタイプじゃないか。

 もしかしたら両親は自分が知らない間に負債でも抱えていたのか、なんて疑問が頭に浮かんだ。父も母も僕の知る限りは誠実でな人だったけれど、その分おひとしなところがなかったとは言えない。だまされたとか保証人になってしまっていたとか、そんなことがひょっとしたらあるかもしれなかった。……だいたい死因からして間抜けなのだし。

 問い返されてぼうぜんとする叔父おじを、男は完全に無視した。

 彼からせんを外し、移ろわせ──それを、僕で止める。

 居間をぐに横切り、歩いてきて、目の前にしゃがみ込んで、

「おやおや。ずいぶんと変わった表情をしてるじゃないか、きみは」

 そんなことを言った。

「安心した、って顔だね。具体的な単語で形容すると」

「あん……しん?」

おおかたのところ、きみは俺が借金取りのたぐいだと思ったんじゃないかな? 周囲の彼らと同じくね。どうしてわかったかって? そりゃわかるさ。だって俺が初対面の人に持たれる第一印象は『チンピラ』とか『ヤクザの鉄砲玉』とかそんなんばっかりで、でもって葬式の後に場もわきまえずやってくるチンピラと言えば借金取りと相場が決まってる。まったく嘆かわしいな。誤解にもほどがある。世界中を見回しても俺ほど誠実な人間はそういないっていうのにさ」

 これほど誠実とはえんどおい容姿もそうそうない顔で、男は笑った。

「しかしきみは、そんな俺を見て『安心』してる。まったくきようしんしんだね」

 ぼんやりと思った。

 この人の言う通り、僕は──安心したのだろうか、と。

 だったら、何故なぜ

 仮にこの男が本当に借金取りであれば、両親には負債があったということで、その支払い義務は自然、ひとり息子むすこたる僕が負うことになる。がくめんにもよるが、保険金も家もすべて手放すになるだろう。下手へたをすれば借金までできるかもしれない。

 なのに、安心した。

 僕は、安心していた。

 それはつまり──、

「べらべらしやべり過ぎね、たかとお

 僕が答えに行き当たりそうになったのと同時、の扉の前、男の背後から声があった。

「あんたはいつもそう。誠実、ですって? 言うにこといてなにが誠実よ。あんたみたいな外見の男を誠実って言うのなら、チャールズ・マンソンは人類愛のしんだわ」

 姿を見せたのは、とびきりの美少女だった。

 制服姿で、たぶん僕と同じく高校生だろう。でも、この辺の学校のものではない。

 すらりとした身体からだつきにととのいすぎるほど整った目鼻立ち。あまりに端正で日本人ばなれしているほどだ。つややかな黒髪は長く、後頭部でくくってポニーテールみたいにしていたが、それでも尻尾しつぽの先は腰あたりにまで達している。

 目つきは異様にするどい。美人特有の冷たさもあったが、どこぞのこうまんなおひめさまのようでもあった。生まれつき人を見下すことしか知りませんよそれがどうかしましたか、みたいな。

 彼女のころすようなせんに肩をすくめ、男は、

「そりゃてきだ、リリィ。滑り台の下にはだれがいるんだろうね?」

「はぁ? あんたの言ってることは時々わけがわからないわ」

「『ヘルター・スケルター』。が妹ながら嘆かわしいね。ビートルズは人類の財産だぞ」

「私はジョージ派なのよ」

「ポールの曲ってことは知ってるんじゃないか。やれやれだ」

 もはやそうしきの後に聞く会話ではなかった。

 どうもこの男──高遠、と呼ばれていた──と少女──こちらはリリィ、親の顔が見たくなるような名前だ──は、兄妹らしい。

 リリィの方が兄であるはずの高遠を呼び捨てにしていたのが少しだけ気になったが、単にしゆうかんだろう。男はたしかに少女に向けて『我が妹』と言った。間違いなさそうだ。

 ただ、それは僕のこんわくを解決してくれる情報ではまったくなかった。

「おい、きみたちは誰だ? 他人の家へ勝手に上がり込んでどういうつもりだ」

 立ち上がったしんせきのひとりが、高遠の背中をにらみ付ける。

 その人──母の従姉いとこだんさんにこたえたのは、少女、つまりリリィの方だった。

「は、ふざけたことを言ってくれるじゃないの。いつからここはあんたの家になったの?」

 冷酷とすら言えるさげすみの視線を年上のいい大人おとなへ向けた後、返す刀で僕をいちべつし、

「あんた、この子の父親? 違うでしょう? だってこの子の父親はもうはいになってしまったものね。だったらあんたは誰? 誰であろうともこの子の家族じゃない以上、あんたにとってもここは『他人の家』でしょうに」

「ちょっと、なんてことを……さっきお葬式が済んだばかりなのよ!」

 灰になった、という表現に血相を変えたおばさんに対しても、

「『なんてこと』? これまたお笑いぐさね。ま、ちっとも笑えないけど」

 一歩も引かず、むしろせんさげすみと怒りを一層込めた。

 彼女はき捨てる。

「ふざけてるんじゃないわよ、このぶつども。あんたたちが今の今までここでしていた反吐へどの出るような会話に比べたら……私の言葉なんてなんてこともないでしょう?」

……っ!

 全員が、息をんだ。

 彼女は声を荒げたわけではない。

 こぶしを振り上げてかくした訳でもない。

 ただ、それは──とてもれつだった。

 調ちようこわ、態度、すべてがまるで、相手ののどもとやいばを突きつけているかのように。

 にいた十人近くの大人おとなたちが、女子高校生たったひとりに威圧されたのだった。

「その辺にしときなよ、リリィ」

 兄の制止に彼女は軽く肩をすくめる。

 次いでたかとおが、僕に向き直った。

「さて。ごらんの通り、おれは借金取りじゃない」

 どうやら本題が始まるようで、唇からみが消える。

 そして──。

 げられた言葉に、今度こそ僕は、ぜんとするになったのだった。

「俺は、きみの、言わば親戚だよ」

「……え」

くら、というみようを知っているかい?」

 聞き覚えはなかった。

「きみの亡くなった父親と……つまりはこのそのむらけつえん関係にある家だ」

とうさんの?」

 実のところ、父に親類がいるなんて想像もしていなかった。

 父方の祖父母も僕の生まれる前に亡くなっていて、ほぼてんがいどくだったはずだ。実際、今日きようそうに来ていた親戚連中もすべて母方の筋だ。

 お盆や正月は母親の実家にそろって里帰りしていたし、祖父母にしたって母方のおくしかない。彼らもそれぞれ十年前と五年前に死んでしまっていた。ああ──おじいちゃんとおばあちゃんがもし生きていたら、この口さがない親戚たちをだまらせてくれたのだろうか?

 思考がれかかったところで、男が再びあやしげに笑った。

「きみの父親には妹がいた。いろいろあったらしく交流がえていたようだね。まあ、俺もこの辺の事情についてはよく知らないんだけど……とにかく、彼女はある男性と結婚して名字を『くら』と改めていた。おれは、その家の長男だよ」

「僕の……」

 従兄いとこ、なのか。

せきじようは、ね」

 心を読んだように彼は首を振る。

「ただ、俺ときみの血はつながっていない。俺は養子なんだ。そこにいるリリィもだ。というより……倉須家にいる子供たちはみんなそう。だからは言わば、ストロベリーフィールズ、ってわけさ。知ってるかい? ストロベリーフィールズ」

「いえ」

「孤児院の名前だよ。ジョン・レノンが幼少期に遊んだ」

 ──孤児院?

「ああ、まさに孤児院だ。なにせ両親は、もういない。俺たちのとうさんとかあさんにしてきみの叔父おじ叔母おばであるところの倉須夫妻は、十年前に亡くなっている。つまり核家族ならぬ核なし家族って訳だ。笑っちゃうねまったく」

「……はあ」

「私はストロベリーフィールズよりもストロベリーガーデンの方が好きね、残念ながら」

 のドア近く、かべに背を預けて腕を組んでいたリリィがどうでもよさそうに口をはさむ。ただし、言葉自体は僕にとって意味不明だった。

たかとお、あんたのくだらない説明はまったく説明になっちゃいないわ。孤児院ですって? そんななまっちょろいもんだったかしら、うちって。……どちらかといえば戦場ね。捨てられた孤児どもが行き着いた先、血まみれで日々戦ってるわよ」

「おい、じやするなよ。今は俺のターンだぞ? やれやれ、我が妹ながら嘆かわしいね、さっきも言ったけど」

 高遠が困ったように肩をすくめ、

「あんたのターンだとか知ったことじゃないわ。私の名前はリリィなのよ。だったらこめかみ指でこじ開けるの、当然じゃない。だれのターンだろうが、私がそうしたくなったらね」

「まったく、パスタじゃなくて焼きそばパンなんかが好きなくせに。よく言うね」

「うるさいわね。あんた私にけん売ってる?」

「あの、ええと……」

 こっちを置き去りに話が盛大にれつつある気がしたので、思わず声をあげる僕。

「つまり、どういうことなんですか」

 じようだんじゃない。訳がわからない。借金取りの方がまだマシだった。

 このふたりの異様なキャラクターや目の前でり広げられる意味不明な言葉のやり取りをわきに置くとしても、その前にげられた事実だけで、僕は混乱におちいってしまっていたのだ。

 でも、仕方ないだろう?

 両親が事故死して、せきじよう従兄いとこだという男がいきなり現れ、自分の来歴を説明し始めたのだ。それも、とんきような。

 父の妹に養子がいて、でも彼女は夫とともにもう十年も前に死んでしまっていて、おまけにどうやら口ぶりからするに養子はこのたかとおという男とリリィという少女だけではないらしい。何人いるんだろう。三人? 四人? というか僕のおばさんはぜん活動家だったのか?

 と。

「あ……」

 のうに、もしや、という思考が浮かんだ。

 ひょっとして彼らは、ここにいる母方のしんせき連中と同様に──、

 だが、そんな僕の表情の変化を高遠はのがさなかった。

 リリィとじようぜつわしていた会話を不意にめ、まゆをひそめると僕をにらみ付ける。

「おい、あなどるなよ。おれたちが欲しいのはきみの両親のさんなんかじゃない。くだらないね。金なんて一文の価値もない

 じゆんしたことを言う。

 けれど表情は、真剣そのものだった。

 リリィがぽつりと言う。

「私たちはね、あんたにせんたくを持ってきたのよ」

「選択……?」

「覚えておきなさい。げきや喜劇の後にはね、大事な選択が必ずあるのよ。まあ、悲劇や喜劇が訪れなくても選択しなきゃならないことはいくらでもあるのだけれど」

「……そのむらひびきくん」

 言葉を、男が受けぐ。

 そして。

 彼の発した言葉は、僕にとって──まさしく選択と呼ぶべきことだった。


「きみ、うちの子供にならないかい?」


「え……」

「養子に来ないかってことだよ。園村響改め、くら響。いい名前じゃないか。……なに、生活費や学費の心配はしなくていい。最低でも大学を出るまでのめんどうを見よう。望むなら修士ていも博士課程も。なんなら卒業後はニートになっても構わないよ。まあ、は残念なことにここからちょっと遠いから、今の高校には通えない。転校してもらうことにはなるけどね」

 養子。

 転校。

「もちろん、きみの両親がのこしたお金に手を付けたりしない。それはきみの財産だからね。きみがちよちくしようが投資しようが寄付しようがつぶそうが、それはきみときみの両親の問題さ。おれたち家族は口出ししない。この家に関しても同様だよ。処分するか、将来ひとり立ちする時のために取っておくかは自由だ」

「でも、それじゃあ……」

 あんたたちにいったいなんの得があるんだ、と問おうとした。

 たかとおは僕の言葉を最後まで待たなかった。

「俺たちが欲しいのは、きみの身ひとつだ。きみが家族になるというのが、俺たちにとっての得だよ。シンプルな話だろう?」

 しんせき連中がざわめき始める。口々になにかを言っていた。

 僕はもちろん、高遠やリリィにまでめ寄りながら、必死にわめいている。

 でも僕に、彼らの声は聞こえていなかった。

 だって、この高遠という人は──、

 僕が欲しい、と言ったのだ。

 親戚たちがただの負債として押しつけ合っていた僕を。

 両親の遺したお金やこの家ではなく、この僕を。

 僕が家族になるのが、お金や家よりも得だと──そう、言ったのだった。

「ぼく、が……」

 さわぎを眺めながらぼうぜんとしている僕の横にふと、人のはいがあった。

 少女だった。もちろん、そうに参列していた親戚にこんな娘はいない。

 ふわふわとした髪、大きくつぶらなふたつのひとみ。まるで人形のように可愛かわいらしい子だった。向こうで親戚たちをにらみ付けているリリィとはまったく別のタイプだ。

 いつの間に家へ入り込んできたのか、いつの間に僕のとなりへ来ていたのか。座り込んだまま、こっちをうわづかいにのぞき込んでいる。

 目が合うと、にこっと笑った。

「こんにちは、初めまして」

 無邪気で元気そうな声に、僕は思わずうなずき、

「ええと……きみは」

 くと、悪戯いたずらっぽく舌を出す。

「外で待ってろって言われたけど、来ちゃった。私の名前はだよ」

 まんのようなぐさが妙に似合っている。思わずどきっとしてしまった。

「めめこ……さん? きみも、くらの?」

「うん、そう」

 三人目の登場だった。

 しんせきたちすらも、彼女が入ってきたことに気付いていないようだ。というより、たかとおとリリィに文句を言うことで忙しいらしい。

 せんたくけんを持っているのは僕なのにと、ふと思う。思って、る。──親戚連中とは対照的に、僕のところへと来た少女を。

 彼女は期待を込めた目で、僕をのぞき込んだ。

「えっと、あなたがひびきさんだよね? 私の、新しいおにいちゃん」

「いや……まだそう決まったわけじゃないんだ」

「……そうなの?」

 彼女は悲しそうな顔をした。

 ただ芽々子からは、僕を説得しようとか引き込もうとか、そういう意志はじんも感じられない。むしろ打算とはまったくえん、純粋に──『新しいお兄ちゃん』になるかもしれない僕の顔を見に来た、ただそれだけらしかった。

「あ、その……芽々子さん、だっけ?」

 僕はだから、彼女へと問うた。問うてみた。

「きみは、僕が家に来てもめいわくじゃないのかな」

 彼女はきょとんとする。

 ちんもくし、思考するようにほおへ指をあて、五秒ほど。

 それからまゆに小さくしわを寄せ、答えにきゆうするかのような態度を見せた後に、迷い迷い、ゆっくりと口を開いた。

「あのね、ひびきおに……響さん。私がくらの家に来たのは、五歳の時だったの」

 無言で続きをうながすと、

「その時ね、みんな、喜んでくれたんだ。家族が増えてうれしいって言ってくれた。それってたぶん、本当のことだよ。だって私も、りようくんやちゃんが来た時……嬉しかったもん」

 うん、と自分の言葉になつとくしたようにうなずき、それから屈託なく笑って、は言った。

「だから、響さんが新しいお兄ちゃんになってくれたら、私、嬉しいな? ほかのきょうだいたちも、みんな嬉しいよ、きっと!」

「そう……か」

 迷惑じゃない、のか。

 それどころか、嬉しい、と。

 迷惑なんてがいねん、想像できないくらい──。

「おいおい芽々子、いつの間に入ってきたんだ? お前はいつでもしんしゆつぼつだなぁ。まったく……車で待ってろって言ったじゃないか」

 親戚たちをうつとうしそうにあしらいかき分けながら、たかとおが再びこちらに歩み寄ってくる。

「だって、退屈だったんだもん」

「だもん、じゃないよ。お前はいつでもしんしゆつぼつで、おまけにほんぽうだよ。まあ奔放って言うならの連中はどいつもこいつも奔放だけど。……ところで、響くん」

 ヒステリックに肩をつかんできた叔母おばをひとにらみしてだまらせつつ、高遠はまるで、フェアをよそおのように人差し指を立てた。

「説明しとこう。おれたち家族……倉須家は現在、両親なしの六人きょうだいだ」

 六人。

 つまり、あと三人いる、と。

「男がひとり、女が四人、男か女かはっきりしないのがひとり。そしてこいつらは全員、どうしようもなく……そうだな、控えめな表現を使うとすれば『変わり者ぞろい』なんだよ。率直に言えば、狂っている。頭がおかしい。んでいる。いかれてる。当然と言えば当然さ。家族こうせいからしてまともじゃない。なにせ血のつながりなんてない孤児の寄せ集めなんだからね。そこにいる芽々子だってそうだよ。いくら可愛かわいいからって安心しちゃいけないな。こいつは我が家でも折り紙付きのもうじゆうさ」

「なに言ってんのさ、私のどこが猛獣なのよ。たぁおにいちゃんはいっつもひどいこと言う!」

「なにが酷いもんか。お前はさしずめ、人間の肉の味を覚えたねこだよ。にゃーにゃー鳴きつつ俺たちをむさぼるのさ」

 ぶつそうを指差しながら、こっちに意味ありげなせんを送るたかとお

 かいぎやくじみたみを浮かべ、彼は言った。

「さっきリリィが言った通りかもしれないな。戦場さ、は。秩序も統制もないって意味ではそうだ。ひょっとしたらきみは、うちに来ることでまさに精神的兵士となってしまうかもしれないよ? 我が家のこんとんと混乱を相手に戦わされることによってね。……それでもいい、構わないというなら歓迎しよう。どうする?」

 それは、じようぜつすぎてかえってしんさを感じさせてしまうような態度だった。

 けれどそのは僕を、僕だけをとらえている。

 言葉を発している高遠はもちろん、となりに座った芽々子も。しんせきたちに囲まれたまま身動きが取れずにいるリリィですら、僕を見ていた。

 ぞうぞうなどよりも、僕の選択だけが関心事だとでも言うように。

 正直なところ──今考えても──。

 僕はこの時、もっと詳しい説明が聞きたかった。

 家はどこにあるのか。

 どうやって僕の両親の死を知ったのか。

 血がつながっているという叔母おばももういないのに、何故なぜ僕をさそいにきたのか。

 そもそも、あんたたちは一体何者なのか。

 考えれば疑問はきりがない。つまり、あやしいことこの上ない。養子に迎えるだなんて言っているけどそれが真実であるしようなどどこにもなく、彼はやっぱり借金取りで、僕を外国に売り飛ばすためにうそはつぴやくを並べて連れ去ろうとしているだけなのかもしれなかった。

 でも。けれど。

 どうしてだろう?

 その時僕は、で人をあざけっているようなくら高遠の視線と、素で人をけいべつしているような倉須リリィのひとみと、素で人を信頼しきっているような倉須芽々子の眼に──まぎれもなく、安心していた。まさに彼がさっき、指摘したように。

 今になってみれば理由ははっきりしている。

 僕は、いやだったのだ。

 両親が死んだ事実が。

 てんがいどくになったことが。

 しんせき連中の口さがないさん争いが。

 今のこの状態が

 だから、いいと思った。

 たとえ引っ越すことになっても、この家を手放すことになっても。最悪、外国に売られたって構うものか。自分で選択したことならば、今のこの状況よりはいくぶんかマシだろう。

「わかりました」

 僕は言った。

「あなたたちの家に行きます」


 しんせきたちが一斉に血相を変える。今度は僕にめ寄り、声を荒げて制止する。

 でも僕にはやっぱり、彼らのことなんか目に入らなかった。

 見えていたのは、

「オーケー。だったらきみは今日きようから、おれたちの家族だ。でもな……そのよそよそしい調ちようはやめてくれるかい? 家族なんだから敬語はなしでいこう」

 今までの印象とは一変、おどろくほど人なつこいみを浮かべる新しい兄と、

「やった! じゃあ、ひびきだから、ええと……おにいちゃんは、ひぃお兄ちゃんね!」

 まるで子供のようにねて僕に抱きついてくる新しい妹、それから、

「さっさと荷物をまとめなさい、響。言っておくけれど最小限で済ませなさいよ。うちはそんなに広くはないのだから」

 僕の名前を当然のように呼び捨てにする、新しい姉の顔だった。


          ※


 つまりこれが、始まりというわけだ。

 かくして僕、そのむら響はこの日から、みようを改めくら響と名乗ることになった。

 倉須家、すなわち──、


 チンピラみたいな外見、けいはくな態度でかいぎやくを飛ばす長兄の高遠。

 おっとりとやさしい容姿のくせにやたらと毒のあることばかり口にする、長女の

 美人のくせに態度はしんらつ調ちようごうまんせんは凶悪と三拍子そろった次女のリリィ。

 天性の人なつこさに加えてスキンシップ過剰、家族依存症である三女の

 男だか女だかよくわからない、つまり三男であり四女でもあるりよう

 稜のとばっちりを受けて四女になったり五女になったりする、末子の

 以上六人に僕を加えた七人の──親のないきょうだいたちだ。


 僕のねんれいはリリィのひとつ下、芽々子のひとつ上。

 つまり新しい次男として、彼ら彼女らの家族となった。

 けれどその日々はまったく、じゆんぷうまんぱんとはほど遠いものだった。たかとおやリリィの言葉通りくらの連中は全員がひとすじなわではいかないやつらばかりで、僕は面食らったりうんざりしたりおののいたりしながらの新しい生活に、心身ともに疲れ果てる毎日を送ることになる。

 とはいえこの時の僕はまだ、そんなことを知るよしもない。

 倉須家の一員になったことで降りかかるさいなんも、やつかいごとも、それから──幸せも。


 季節は春の初め。

 高校二年生になる直前、三月末のことだった。