エピローグ



 夏休みが終わって、二学期が始まった。

 教室の騒がしい空気が、やけに久しぶりに感じた。この教室に友達なんて呼べるほど仲のい人なんていないけど、それでも懐かしいと思うのは、何だかんだいってもこんな日々を悪くないと思ってるからかもしれない。

 そんな放課後の教室で、俺はくるさんとすずを前に緊張していた。

 紙袋を手にしながら、弱音のようにつぶやく。

「あの、本当にこれで大丈夫なのか……?」

「絶っ対にイケますよ! だって、もりさんから直接聞いたんですから。必ず喜んでくれるはずです!」

 言いながら、涼音は紙袋の中身を──水守へのプレゼントをのぞく。

 これは、水守は何をもらったら喜んでくれるか、と二人に相談して選んだものだ。来栖さんはもちろんのこと、先輩は乙女心が分からないですからね~、と涼音も楽しそうに協力してくれた。

 まだ不安そうな顔をする俺に、来栖さんが、

「私もにはリサーチ済みだから、成功するのは保証するわ。……でも、突然どうしたの? 夏休みの最後の日に突然、結衣にプレゼントをしたい、なんて」

「……まあ。水守とは、最近会ってませんでしたから」

 水守とキスをした、あの日。

 実は、あれから二週間以上も水守と会っていないのだ。

 何せ俺から求めるなんて人生で初めてのことだ。あれから数日は気が動転して家族ともまともにしゃべれなかったし、今でも思い出せば変な声が出そうになるくらいには恥ずかしい。

 けれど照れくさいのはお互い様のようで、水守もスマホでメッセージをくれるだけで、直接会おうって誘ってくれることもなかった。

 そして、今日。夏休みが終わったから、という理由で会う約束をしていた。急いでプレゼントを用意したのは、久々に会うから何か贈り物をしたかったからだ。

 ……でも、実はもう一つだけ理由があるんだけど。

「俺、そろそろ行ってきます。このお礼は必ずしますね」

「あっ、じゃあわたしはユメダ珈琲コーヒーのかき氷が良いです!」

「私も涼音さんと同じ。結局、風紀委員長の引き継ぎが忙しくて行けなかったもの」

「了解です。じゃあ、今度みんなで行きましょう」

 涼音と来栖さんに別れを告げて、教室を出る。

 昇降口を出て、生徒たちが部活の準備をする校庭を横切り、今は使われていない寂れた部室棟へと到着した。

 もう使われていない部室の前に立ち、激しくなってきた心臓を落ち着けるために一呼吸。

「水守、いるか?」

「……うん。どうぞ」

 扉を開ければ、ベンチに座る水守はつんとした表情で俺を見ていた。

「な、なんか、久しぶり過ぎてちょっと変な感じだな」

「……そうだね」

 駄目だ、気恥ずかしくって全然水守の顔が見られない。

 身体からだが熱くなるのを感じながら明後日あさっての方向を向いていると、

「二週間会ってないだけなのに、何だかすごく懐かしい気がする。夏休みの頃なんて、会わない日の方が少なかったもんね。……やっぱり、私に会いづらかった?」

「……まあ、な。どんな顔で水守に会えばいいか、分からなかったし」

「気にしなくていいのに。初めてのキスなら、この部室でしたんだから。……なんて、私も君に会うのどきどきしてたんだけどね。里久君から求めてくれるなんて、夢にも思ってなかったから」

 くす、と水守の楽しそうな笑い声。

「里久君に会わない間、ずっと考えてた。私は、里久君と一緒に居てもいいって思えるくらい自分のこと認められるか、って。答えはね、多分出来ると思うんだ」

「そうなのか? 水守、あんなに自分のこと責めてたのに」

「うん。一つだけ、条件があるけどね」

 条件? 首をかしげる俺に、水守が柔らかい声音で言葉を継ぐ。

「これからも里久君がそばにいてくれたら、私は自分のことを許してあげられると思う。だって、里久君が好きだって言う私を好きになって欲しい、でしょ?」

 はじかれたように水守に視線を移す。

 水守が浮かべるのは、呼吸を忘れてしまうくらい優しいほほみ。

「里久君が好きって言ってくれるなら、私はあなたの彼女でいられるから。だから、里久君と付き合ってていいか、なんてもう言わない。……これからもよろしくね」

「……当たり前だろ、そんなの」

 全身があんに包まれて、思わず口元が緩む。

「別れてくれ、って言われたってお断りだ。恋愛が嫌いだった俺を変えたのは、水守なんだから」

「……うん、そうだね」

 んーっ、と水守が身体を伸ばす。

「何か、久しぶりに里久君と話したらほっとしちゃった。……でも、たまには里久君に弱音を言うのも悪くないかも」

「悪くないって、なんでだよ」

「だって、そうでもしないとキスしてくれないでしょ? 里久君って、あきれちゃうくらいなんだから」

「……水守は、して欲しいのか?」

「だって私ばっかり、キスして、って甘えるなんて不公平だもん。たまには、里久君からしたいって言ってくれてもいいでしょ?」

「それもそうだな。ここなら誰も来ないし、丁度いいか」

「………………えっ?」

「水守、目を閉じてくれ」

 ベンチに座り、とびいろの瞳をじっと見つめる。

 水守は、おろおろと明らかに動揺しながら、

「ちょ、ちょっと待って。里久君、本気なの……?」

「水守は俺からするの、期待してたんだろ?」

「だって、本当にその気になるなんて思ってなかったから。いつもの里久君なら、戸惑ってくれるかなって……」

「どっちから、なんて今更別にいいだろ。俺からだって、もう初めてじゃないんだから」

「そ、それはそうだけど……っ!」

「水守、もう一度だけ言うぞ。……目を閉じてくれないか」

「…………っ」

 躊躇ためらいながらも、そっと水守がまぶたを閉じた。

 まるであの夜と同じだ。お互いの吐息が分かるくらい近い距離。緊張しているのが分かるくらい、水守の頰は薄く赤くなっていて──俺は、紙袋からある物を取り出した。

 そして、それを水守の膝の上に乗せる。

「もういいぞ。水守、目を開けてくれ」

「えっ……?」

 ゆっくりと水守が瞼を上げ、その顔が驚きに染まる。

 水守の膝の上にあるのは──猫のぬいぐるみ、だった。

「これ、俺からのプレゼント。良かったら受け取ってくれないかな」

「……ぬい、ぐるみ?」

「これ、水守のお気に入りなんだろ? 水守ってこういうわいい系のグッズ好きだし、このデザインを欲しがってたって涼音も来栖さんも言ってたから」

 これが、二人に協力してもらって選んだ、水守のための贈り物。

「女の子にぬいぐるみをあげるなんて初めてだからさ。喜んでくれたらうれしいな、なんて」

「……ねえ。キスは?」

「ん?」

「里久君、私にキスをするんじゃなかったの?」

「どうして? だって俺、キスしよう、なんて一言も言ってないけど。……あぁ、もしかして、あれか」

 その瞬間、きっと俺はいつも水守が浮かべるような笑顔をしていたに違いない。

「俺にキスされるかも、って勘違いしたのか?」

 それは、ほんの数秒の沈黙。

 やがて、水守はぽかんとした表情で呟くように口にした。

「そっか、私って──里久君に、からかわれたんだ」

 そう、水守が理解した瞬間だ。

 かぁ~っ、と。水守の顔が真っ赤になった。

「~~っ! もうっ、里久君のバカっ!」

「うおっ……!」

 猫のぬいぐるみを押し付けられるように、水守にベンチに押し倒される。

 まるで馬乗りみたいになった水守の潤んだ瞳が、俺を見下ろしていた。

「……もう、どうしよ。里久君の前でこんなに照れちゃうなんて」

「い、いや、たまにはこういうのも良いかなって。いつも水守にはからかわれてるし」

「それじゃ、やだ。私は、照れたり困ってたりする里久君を見てたいの」

 やばい。こんなに恥ずかしがってる水守、初めて見た。

「ねえ、里久君。目を閉じて。……誰も来ないから丁度良い、だよね?」

「えっ──ま、待った! それは冗談だってば! 俺にだって心の準備があるし……!」

「そんなの知らない。私をからかった里久君が悪いんだから。……それに、やっと里久君から口づけしてくれたんだから、もう私からキスをしてもいいでしょ?」

 ゆっくりと、水守が顔を近寄せる。

 そして、くちびるを重ねるその直前。放心状態の俺に、あまみをするようにささやいた。

「覚悟してね──里久君のこと、離さないから」

 その瞬間、俺はぼうぜんとしながらもわずかに口元を緩めていた。

 胸に芽生えたのは、ある一つの確信。

 ──これからもきっと、水守は俺のことを構ってくるんだろうな。