「それが、ちょっと事情が変わったみたい。はい、これ」

 言いながら、水守が俺にスマホの画面を見せる。

 ──ごめんなさい、風紀委員の仕事が入って行けなくなったわ。

「えっ。これ、来栖さんから?」

「うん。、今日は来れないみたいだね。どうしよっか?」

 ちらり、と水守が俺を見た。

 俺たちが付き合ってることは秘密にしよう、と今朝も話したばかりだ。来栖さんがいるならまだしも、この三人だとバレる可能性がある。

「あぅ……じゃあ、今日はやっぱり止めた方がいいでしょうか……?」

 どうしたんだろ。涼音、やけに歯切れが悪いような。

「涼音ちゃん、どうしたの? なんか、迷ってるみたいだけど」

「えっと、その……実は、今日が月に一度の特別な日で。かき氷のメニューが三〇%オフで食べれるんです」

「へー、そうなのか。それはかなりデカいな」

 少ない小遣いをやりくりする俺たちみたいな高校生からすれば、むしろこの日でないと食べられないくらいだ。仮に三〇〇円浮いたら、有償ガチャを一回だけ回せるし。

「で、でも、仕方ないですよね? じゃあ、退院祝いは別の日に、ということで……」

 涼音、この世の終わりみたいな顔してる……。

 すると水守が、くす、と小さく笑い、

「いいよ。じゃあ、今から行こっか?」

「えっ、でも来栖さんが……」

「だから、退院祝いは別の日にして、今日はただ三人でかき氷を食べに行くだけ。私も涼音ちゃんおすすめのかき氷、食べてみたいしね」

「あっ……そ、そうですねっ! じゃあご案内します!」

 すごい、あっという間に涼音が元気になった。

 けど、水守が賛成してくれて安心した。俺たちの関係がバレるのはまずいけど、涼音の誘いは断りたくない。

 それに、もっと水守と涼音が仲良くなるかも、って打算もちょっとだけある。

 水守が俺の彼女ってことを隠したいのは、悪い噂のある女子と付き合ってることを涼音に心配させたくないからだ。だったら、涼音が心を許してくれれば打ち明けやすくなる。

 涼音に連れられて来たのは、『ユメダ珈琲コーヒー』。見覚えがある店だなと思ったら、涼音と勉強する時にたまに来るチェーン系カフェだ。

 月一の特別な日だからか人は多かったが、何とか席に座れた。

「お、おぉ~……! 見てください、こんなにれいですよ!」

 注文後、店員さんが運んだかき氷に、俺の隣に座る涼音が声を弾ませた。

 確かに、つい感嘆してしまうくらいのクオリティだ。

 新雪のような柔らかそうな氷に、鮮やかな白桃のシロップ。トッピングに真っ白なソフトクリームが添えられており、しかも器から今にもこぼれそうなほどの大ボリューム。

 かき氷をスマホで撮る涼音を、対面に座る水守が微笑ましそうに、

「涼音ちゃんって、デザートだけでそこまで喜べるんだ。なんか可愛いね」

 いや、ポンデを食べてる時の水守も似たようなものだけど。

「え、えへへ。そうですか……?」

「うん。学校でもそうだけど、涼音ちゃんといると楽しいよ」

「そういえば、涼音って最近は水守と学校で会ったりしてるんだっけ?」

「世間話をするくらい、ですけどね。水守さんと喋ると、こう、周りが静かになるっていうか。他の人から注目されちゃいますけど。友達にも心配をかけちゃって」

「心配って、なんの?」

「水守さんに気に入られると食べられちゃうかもよ、って。なんか、噂だと女子でも襲っちゃうらしいよ、なんて言うんです。そんな暴力的な人じゃないのになぁ」

 うん、食べられちゃうってそういう意味じゃないね?

 水守って、噂がじ曲がって男も女もイケるみたいなことになってんの……? 気になって水守を見てみれば、吹く風と言わんばかりの顔をしてる。強い。

「嫌だったら学校では他人のフリした方がいいよ、って涼音ちゃんに言ってるんだけどね」

「そ、そんなことないですっ。えと、確かに水守さんと話すときはちょっとどきどきしちゃいますけど」

 そわそわと辺りを気にした後、頰を朱に染めながら声を落とす。

「み、水守さんがえっちだっていうあの噂、わたし信じてませんからっ。そんな、ハレンチな人じゃないですよね……?」

 なるほど、話題が話題だから恥ずかしいのか。

 でもストレートで良い質問だ。俺はいつもはぐらかされてるけど、涼音ならあるいは答えが変わるかも……。

「それは、秘密、かな。噂自体は否定しないよ」

 と思ったけど相変わらず、か。一瞬だけ期待したけどな。

 涼音はさっきより顔を赤くしながら、

「ふぇっ!? そ、それって、じゃあ誰とでもっていうのは……!?

「ご想像にお任せするよ。……幻滅した?」

「っ、そ、そんなことないですっ! 水守さんにも事情があるはずですし!」

 勢いよく、涼音が身を乗り出す。

「そういうのって良くないんじゃないかな~、とか! もっと自分を大切にした方が良いとか思いますけど、水守さんのことは尊敬してますから! だから、これからも仲良くしていきたいなって思うんです!」

 ぽかん、とあっに取られる水守。

 それも一瞬、どこかうれしそうに、水守が口元を緩めた。

「そっか。涼音ちゃんがそう言うなら、いつでも声かけて」

「はいっ! ……ご、ごめんなさい。ちょっと衝撃的過ぎて、つい大声に……」

 我に返ったのか、照れながら涼音が席に座る。

 しばらくして、俺たちのかき氷もテーブルに並べられる。水守はいちご、俺は宇治抹茶。

 水守は一口食べるなり、目を輝かせた。

「うん、しいね。口の中でふわっと溶けるかき氷なんて初めて」

「ほんとだな。個人的に、量が多いのが良い。ずっと食ってられる」

「ですよねですよねっ。ふふーん」

「自分で作ったわけでもないのにすごい自慢げだ……。まあ、誘ってくれた涼音には感謝してるけどな。美味しいかき氷と出会えたし」

 ふと、涼音は水守のかき氷を見つめると、

「あっ、水守さんはトッピングを練乳にしたんですね」

「うん、苺の赤と練乳の白が綺麗だなって思って。涼音ちゃんはソフトクリームにしたんだね。良かったら、一口だけ交換する?」

「いいんですか? ありがとうございますっ」

 まるであーんでもするように、水守がかき氷をすくったスプーンを差し出し、ぱくっ、と涼音が食べる。

「ん~……! 甘くて最高です。じゃあお返しに、はいどうぞ」

 涼音も同じように、ソフトクリームと氷を乗せたスプーンを差し出す。と、これまた無抵抗に水守もそのまま口に入れるのだった。

「へえ、ソフトクリームもなめらかだね。こっちも美味しいよ」

「そうですよね~。……? 先輩、どうしたんですか? ぼーっとしてますけど」

「えっ!? いや、別に?」

 ほんとに大したことじゃない。ただ、涼音って凄いなって思っただけだ。

 だって、あーんをしあうなんて、水守の彼氏である俺だって赤面ものだ。

 なのにあんな平然としてるなんて。やっぱり女の子同士だからだろうか。俺も男友達と同じことが出来るか想像しようとしたが、そもそも一緒にカフェに行ってくれる友達が思いつかなかった。なにこれ悲しすぎる。

「……? 先輩、ヘンなの」

 不思議そうな顔で涼音がかき氷を食べているのを見て、ふと気づく。

「涼音、頰にソフトクリーム付いてる。ほら、そこ」

「えっ!? ほ、ほんとですか? やだなぁ、水守さんもいるのに」

 涼音は慌てて拭うものの、焦っているのかなかなか落ちない。

 涼音、困ってるみたいだな。

 おもむろに紙ナプキンを取る。と、水守が笑いながら、

「私は別に構わないよ? そういうとこも可愛い──……えっ?」

 俺が紙ナプキンで涼音の口元を拭うのと、水守が言葉を途中でんだのは、同時だった。

「あっ……も、もうっ。先輩まで子ども扱いするんですから」

「いや、なんか恥ずかしそうだったから。迷惑だったか?」

「まあ、クリーム付けっぱなしより良いですけど。ありがとうございます」

 一件落着。再びかき氷を食べようとし、思わずぎょっとする。

 水守が、完全にフリーズしたように固まってるからだ。それも、頭上に「!?」って記号が浮かびそうなくらい、がくぜんとした顔で。

 ど、どうしたんだ水守……そこまで思考して、やっと自分の馬鹿さ加減に気づく。

 相手が涼音だから全く意識してなかったけど、他の女の子に気軽に触れてしまった。それも、恋人である水守の目の前で。

 けど、涼音の前で謝れば俺たちの関係が怪しまれてしまう。謝罪も出来ず慌てる俺の隣で、涼音はきょとんとしながら、

「み、水守さん? どうしたんですか、何か様子が変ですけど」

「───。ううん、別に? ナンデモナイヨ?」

 駄目だ、明らかに何でもあるような言い方だこれ。

「ただ、驚いたっていうか。里久君と涼音ちゃん、仲良いなって」

「あ、あー。そうかもですね。わたしの口元拭う男の人なんて、パパか先輩くらいですから。付き合いが長いので、これくらいは気にならないですけど」

「ふーん。……そうなんだ。じゃあ、ちょっといいかな」

 水守がスプーンでかき氷を掬いながら、言葉を継ぐ。

「里久君と涼音ちゃんの親密度を試してみたいんだけど、にらめっこ、してみない?」

「えっ、にらめっこって、あの笑ったら負けのやつだよな。突然どうして……?」

「にらめっこって、信頼し合ってる二人じゃないと成立しないって科学的に証明されてるの。関係が浅い人同士だと表情筋が緊張して、本能的に笑顔にならないんだって。心理学で専門用語があったはずだけど、何だったかな」

「そ、そうなんですか? 水守さんって物知りなんですね」

 ぐっと、涼音が胸の前でグーを作る。

「でもそれ興味あります。先輩、にらめっこしてみましょー!」

 なんか引っかかるんだよな……。突然にらめっこだなんて、特にあの水守が提案するのが怪しい。裏があるように思えて仕方ない。

 まあ、気は進まないけどやってみるか。涼音、やる気まんまんだし。

「ルールは変顔無しにしよっか。里久君も涼音ちゃんもやるの恥ずかしいだろうし」

「待ってたその言葉。正直そういうノリは苦手だからな。じゃあいくぞ、涼音」

「はいっ。せーの、あっぷっぷ!」

 かくして、戦いの火蓋は切って落とされた。

 慣れないながらも表情を変えてみる俺に対して、涼音は怒ってみたり、カッコつけてみたり、ころころと表情が変わる。

 けどお互い笑わないまま、三〇秒、四〇秒と時間が過ぎていく。俺と涼音は表情を変えながらじ~っと見つめ合い、そんな俺たちを真顔で見守るジャッジ水守。

 なに、このシュールな空間。

「……ぷっ、あはははっ!」

 直後、涼音が突然吹き出した。

「えっ、俺の勝ち? びっくりするくらい手応えないんだけど……」

「い、いえ、表情は普通でしたよ?」

 まだ余韻が残ってるのか、涼音はくすくすと笑ったまま、

「でも、こんなに先輩の顔を見つめたことなかったですから。わたしたち何やってんだろ、って考えたらつい面白くなっちゃって。でも、これで仲が良いって証明出来ましたよね?」

 確かに、それについてはちょっとほっとしてる。

 俺にとって、仲の良い高校生なんて涼音くらいだ。そんな涼音が笑ってくれたのは、今でも昔からの先輩後輩の関係が続いてるみたいで、やっぱり嬉しい。

 それは良かったんだけど、一つだけ気がかりがある。

 さっきから、水守がじ~っと俺のこと見つめてるんだよな……。

「あ、あの、すまん。やっぱり俺に何か思うところが……?」

「……ううん、そんなことないよ」

 言いながら、水守はかき氷を口にしてそっぽを向くのだった。

 やっぱり、さっきのクリーム事件が原因だよな……後で謝罪のメッセージ送らないと。


「今日は誘ってくれてありがと。かき氷、美味しかったよ。流花にも教えてあげなきゃね?」

「はいっ! 今度は、是非来栖さんと一緒に行きましょうね」

 駅の改札を抜けた先にて、俺たちは水守を見送った。水守とは電車の行き先が反対のため、ここでお別れだ。

 俺と涼音は電車に乗ると、

「勇気を出して水守さんに声をかけて良かったです。初めて水守さんとお食事しましたけど、楽しかったですから」

「なんだ、水守を誘うのそんなに気合入れてたのか」

「もちろんですよ。だって、あの水守さんですもん。水守さんと緊張しないで喋れるの、学校でもほんのわずかですよ? 男子なら先輩だけかも」

 まあ、一応彼氏だからな……なんて、言えるわけないんだけど。

「ほんとに、先輩と水守さんって仲が良いですよね」

 車窓から流れる景色を眺めながら、涼音がぽつりと言った。

「先輩があんなに仲良く話せる女子生徒なんて、初めてじゃないですか?」

「……そうかもな。中学の時のあれはノーカウントだろうし」

「やっぱり先輩変わりましたね。昔は、そんな風に茶化すことだって出来なかったのに」

 だろうな。あの頃の俺は、今よりもっと酷かった。

 女子が苦手、なんかじゃない。怖くて仕方なかった。会話をすることも、視線を合わせることも、俺が存在することさえ許されないと思いこんでいた。

 こんなこと、涼音だって知ってるから改めて話すようなことでもないけど。

「でも、良かったです。水守さんのおかげで、先輩の女の子嫌いがちょっとは克服出来たみたいで。それくらい、水守さんが親しみやすい人だってことですもんね」

「水守のおかげ……? それは、違うんじゃないか」

 小首を傾げながら口にする。

「俺は、涼音のおかげだと思うけどな。中学の頃から、俺に付き合ってくれる女子なんて涼音だけだったし」

 涼音が、流れる景色から俺に目を移す。

 いや、今だって女子は苦手だけど。それでも、涼音がいなかったら今よりもっとこじらせていた自信がある。

 涼音がいなかったら、水守と出会うことはなかった気がする。あの頃の俺なら、相手が困っていたとしても探し物をしている女子に声をかけるなんて無理だっただろうし。

「そっか。……えへへ、そうかもですね」

 涼音が、はにかむように笑った。

「じゃあ、仕方ないからこれからも可愛い後輩が一緒にいてあげましょうか」

「ああ、そうだな。こちらこそよろしく」

「そ、そうじゃなくてツッコんでくださいよう! 自分で可愛いって言うなー、とか!」

 やがて、俺と涼音は目的の駅にて降車する。

「じゃ、ばいばいです。改めて、退院おめでとうございました。久々に先輩と帰れて楽しかったです」

「ああ、俺もゆっくり話せて良かったよ。じゃあな」

 駅前で涼音と別れると、俺はすぐにスマホを取り出して水守にメッセージを送った。

『カフェで涼音の口元を拭っちゃったの、ごめん。水守からすれば気分の良いものじゃなかったよな』

 逆に考えて、もし水守に同年代の男の後輩がいたとして。水守が同じことをしたら俺だってむっとすると思う。あの行動は流石に軽率だった。

 水守、許してくれるかな。そう考えていると、返信はすぐに来た。

 慌ててメッセージを確認して……その内容に、思わず固まった。

 いつもならスタンプくらいあるのに、今回送られてきたのは短い文章だけ。

 ──二人っきりで話したいの。明日、朝礼前に部室棟に来てくれないかな?


 何か良くないことが起こる何か良くないことが起こる何か良くないことが起こる何か良くないことが何か良くないことが──翌朝、俺はもんもんとしたまま、今は使われていない部室棟の一室へと到着した。

 朝礼が始まる数十分前。戦々恐々としながら扉をノックすると、扉の奥から「里久君?」という声。もう水守は来ているようだ。

「し、失礼しまーす……」

 部室に入ると、木製のベンチに座っている水守が小さく手を振った。

「おはよ。ごめんね? 朝早くから呼び出しちゃって」

 ……あれ、意外といつも通りだ。

 直接話したい、なんて言うから相当怒ってるって思ってたのに。

「別に良いよ。それより俺を呼びだしたのって、やっぱり昨日のことだよな?」

「……うん。まあ、そうかな」

「改めてごめん、俺が軽率だった。相手が後輩とはいえ、他の女の子の口元を拭うなんて水守が機嫌悪くなるのも無理ないと思う」

 深々と頭を下げると水守が、

「謝らなくてもいいよ。昨日のはびっくりしたけど、怒ってるわけじゃないから。里久君と話したかったのは、別のこと」

「……別のこと?」

 どこか寂しそうな水守の表情。

「里久君って涼音ちゃんとはあんなに仲が良いのに、私にはまだ苦手意識が残ってるみたいだから。それが、ずっと心に引っかかってて」

「に、苦手意識? それってどういう……?」

「例えば、もし私の口元にソフトクリームが付いてたとしたら、里久君は取ってくれる?」

 ……それは、無理だと思う。頼まれたら照れながらもするかもしれないが、自分からはしないだろう。

 理由は単純で、気持ち悪いと思われかねないから。えっなにこの人急に触ってきたんだけどきっつ、みたいな。いや水守がそんなこと思うわけないけどさ、俺みたいな恋愛とか縁の無かった男はどうしても考えてしまう。

「いやでも、流石に水守の口元を拭うのは結構ハードル高くないか? 俺たちってまだ付き合いたてだし、涼音には出来たけどそれは昔からの付き合いだからだし」

「他にも里久君が私を苦手って根拠はあるよ。昨日のにらめっことか」

「あの親密度を試したい、って言ってたやつか。科学的に証明されてる、とか」

「あっ、ごめん。それ噓なんだ」

「はい?」

「あることを確かめたかったから、二人にはにらめっこをしてもらっただけ」

「じゃあ、あの表情筋が緊張とか、心理学で専門用語があるっていうのも……?」

「……そんなこと言ったっけ?」

 覚えてないんかい。

 じゃあ、あの数秒の間にそれっぽい噓を思いついたのか……。水守が善人で良かった、詐欺師とかになっちゃいけないタイプだ。

「ちょい待った。じゃあ、あのにらめっこって何のためにしたんだよ」

「私が知りたかったのは一つだけ。里久君が涼音ちゃんを見つめていられるか、なんだ」

 ……えっ、たったそれだけ?

「もし話したら、里久君意識しちゃうから。だから代わりににらめっこしてもらったの」

「してもらったって、別にそんなことする必要なくないか? 目を見るなんて誰だって出来るし」

「そんなことないよ。気づいてないかもしれないけど、里久君は女の子から目をらしちゃうの。たとえ相手が私でもね」

「そんなことないと思うけどな」

「じゃあ、試してみる? 私とゲームをするの」

 まるで、挑発するような水守のまなし。

「ルールはにらめっこより単純。ただ、お互いが見つめ合うだけ。私がいいよって言うまで目を逸らさなかったら、里久君の勝ち。どうかな?」

「水守、俺のこと馬鹿にしてないか。それ、何もしなくても俺が勝てるってことだろ」

「どうかな。私は、里久君が負けると思うけど」

 少しだけ、むっとしてしまう。いつもみたいにからかってるだけだろうけど、流石にそれはめすぎだ。

「いいよ、じゃあやろう。けど、朝礼まで時間もないし早めに切り上げてくれよ」

「そうだね。多分、すぐ終わると思うよ」

 水守の隣に座り、向き合う。

「いくよ? せーの、よーい始め」

 かくして、戦いの火蓋は切って落とされた。

 こんなの昨日のにらめっこよりはるかに楽だ。だって見てるだけでいいんだから。

 けど、こんな至近距離で水守と見つめ合うなんて久々かもしれない。

 れるくらい澄んだ瞳に、桜色のくちびる。女子高生らしいナチュラルメイクはまるでモデルのようで、こうして見つめ合ってること自体が噓みたいに思えるような──。

「…………」

「…………」

「…………(すっ)」

「はい、里久君の負け。今、目を逸らしたでしょ?」

「っ!! なっ……!」

 自分でも驚いた。水守に見つめられると、落ち着かなくなって。気が付いたら逃げるように水守から視線を外していた。

 まるで、女子が苦手だからこそ極力避けようとしている、普段の俺みたいに。

「い、今のは気を抜いてただけ! 頼む、もう一回だけチャンスくれ!」

「別にいいけど」

「……………………」

「頑張ってるのは認めるけど、我慢し過ぎてまぶたがぷるぷる震えてるよ?」

 うぐっ……やっぱり駄目だ。どうしても恥ずかしくなって目を逸らしてしまう。

「少し前から、あんまり目が合わないなって何となく気づいてたんだ。里久君って女の子慣れしてないから、そのせいだろうなって思ってはいたんだけど」

 動揺のあまり、水守にあいづちすら打てない。

 クラスの同級生なら目を逸らすのも分かる。けど、水守は俺の彼女だ。一緒に食事もしたし、街に出て遊んだこともある。告白だってした。

 なのに、見つめ合うことさえ出来ないくらい、水守に抵抗があるなんて。

「里久君って私だけじゃなくて流花とか他の女の子にも同じ反応するから、今まではそれでもいっかって思ってた。でも、涼音ちゃんとだけは目を合わせてたから」

 後ろめたそうに水守が口にする。

「恋人の私にもまだ距離があるのに、涼音ちゃんばっかりずるいなぁ、なんて。……里久君が女の子を苦手なんて、知ってたはずなのにね」

 やっと、水守の気持ちが分かった気がした。

 俺が涼音の口元を拭ったこと自体を気にしてるわけじゃない。口元を拭うという俺が水守に絶対出来ないことを、涼音にしたから引っかかってるんだ。

「じゃあつまり水守は俺に、涼音みたいに接して欲しいってこと……?」

「そこまで求めてないけど、もっと女の子にフランクになってくれたらなって。涼音ちゃんとあんなに仲が良いんだから、私にも自然に手をつないだり、抱きしめたりしてくれればいいのにって思っちゃうの。私たち、付き合ってるんだから」

「うっ……それは、ごめん。俺も悪いと思ってる。けど、言い訳に聞こえるかもしれないけど、涼音は特別なんだよ」

 これだけは言える。中学時代、涼音がいなかったら俺はもっと駄目になっていた。

 女の子とろくに目も合わせられない俺に、涼音という女子の後輩がいるのはあいつだけが傍にいてくれたからだ。もし涼音を異性として意識してしまったら、今みたいな関係じゃいられなかっただろう。

「だ、だから、涼音との関係は気にしないで欲しいっていうか。俺も努力はするけど、水守にぐいぐい行くのはハードル高すぎるなーなんて思ったり……!」

「涼音ちゃんも、私と同じ女子高生なのに?」

「それはほら、涼音って俺からすれば妹みたいなものだから!」

 水守がじと~っと半目で俺のことを見ると、

「ふ~ん、そんなに涼音ちゃんと仲が良いんだ。でもね、妹みたいなものって言葉、彼女からすると不安にしかならないんだけど」

 うわあ、水守さんの顔とっても怖い! いや地雷ワード言った俺が悪いんだけどね!

「ご、ごめん! ただ、涼音だけは例外ってことを知って欲しくて……!」

 その時、遠くからかすかに学校のチャイムが聴こえた。もう朝礼だ。

「悪い、そろそろ行くよ。また午後にでも話の続きをしよう。ほんとにごめんな」

 自分で嫌になる。水守は不安なままなのに、謝ることしか出来ないなんて。

 ベンチから立ち上がる、その瞬間だ。ぎゅっと、手に感じるぬくもり。

 水守が、俺の手を握っていた。それも、指を絡めるような恋人繫ぎで。

「み、水守……!?

 水が一瞬で沸騰するように、俺の顔は急激に真っ赤になってたと思う。

 こんなの不意打ちだ。まともに女の子と目も合わせられないのに、手を繫がれて動揺しないはずがない。そのすべすべとした柔らかさに、頭の中のアレが、まるでアレみたいにアレして……駄目だ、語彙力が追い付かない。

「ど、どうしたんだ、急に……?」

「……自分でも分かんない。ただ、無性に里久君に甘えたくなったから」

「い、いや、でもさ、早く行かないと一限目に遅刻しちゃうんだけど……」

「いいの。今は、里久君を困らせたい気分だから」

 そっと、水守が寄り添う。ほのかな甘い香りに、頭がくらくらする。

「見つめて欲しいとか、抱きしめて欲しいなんて言わない。ただ、そこにいてくれるだけでいいから。それも、ダメ?」

「……………」

 恥ずかしさだとか、嫌われる恐怖だとか。そんなもんばっかりに縛られてる恋愛初心者な俺でも、水守のために出来ること。

 怖がるように、ゆっくりと水守の手を握り返す。

 心臓は今にも破裂しそうで、まともに水守の顔なんて見れやしない。全身を駆ける体熱でどうにかなりそうなのに、水守の手のひらは汗一つかいていない。

「……ごめんね、わがまま言って。里久君が女の子に嫌な思い出があるの、知ってるのに」

 二人きりの部室で、水守がぽつりと口にする。

「大切にしてくれてる、ってことはすごく伝わるの。でもね、里久君は本当に私のことが好きなのかな、なんて時々心配になっちゃうことがあるから」

 ごめん、と言いかけた言葉を吞み込む。

 謝るだけじゃ、きっと水守の不安を消すことは出来ないと思うから。