一章 もりさんは甘えたい



『先輩って──もりさんと、付き合ってるんですか?』

 …………はい?

 それは、腰を骨折して病院のベッドで療養している時だ。

 スマホ越しのすずの問いかけに、俺の頭はフリーズ寸前になっていた。

 だって、涼音から電話だと思ったら突然こんな質問されて。しかも、俺はついさっき水守と、恋人同士ってことは秘密にしたいって約束をしたばかり。

 なのに、たった今。早速付き合ってることがバレそうになっていた。

「つ、付き合ってるって、俺と水守が?」

『……学校のうわさで聞いたんです。先輩が、水守さんのことが好きなんじゃないかって』

 そういえば、くるさんが見舞いに来てくれた時も、似たようなことを話していた。

 何でも、俺が学校で大々的に水守をかばったことが原因で「誰とでも寝る女にガチ恋した純情童貞野郎」と言われてるとか。改めて思うけどひどい呼び名だな。

『それで、ですね。先輩って水守さんのために同級生とけんしたり、とても仲が良さそうに見えますから。もしかして、ですけど』

 寂しそうな、あるいは苦しそうな涼音の声音。

『二人は付き合ってるんじゃないかな、って』

「な、なるほど」

 勘が鋭すぎる……! 思えば、涼音は誰よりも俺のことを知ってる後輩だ。わずかな変化に違和感を覚えても不思議じゃない。

 やばい、どうしよう。

 俺と水守が付き合ってることがバレるのは恥ずかしいし、出来れば内緒にしたい。

 だったら話は簡単だ。付き合ってるわけないだろ、ってシラを切ればい。実際、他の人が相手ならばそうしてたと思う。

 けど、涼音には嫌だ。

 涼音は俺の大切な後輩だから、適当なうそなんてつきたくない。

 それに、涼音なら俺と水守の関係も秘密にしてくれると思うし、正式に交際を始めた今なら本当のことを話した方が良い気がする……そう、思った直後だ。

『な、なんちゃって! そんなわけないですよねっ!』

 つい、ぽかんとしてしまった。

『わ、わーい! 引っかかりましたねっ! 冗談ですってば、もうっ。先輩がどんな反応するか試してみただけですよぅ!』

「……えっ、冗談? ほんとに?」

『だってだって、恋愛が大っ嫌いな先輩に彼女なんてあり得ないですもん!』

 いつもみたいに明るい涼音の声。

『先輩って恋愛事だと、無理だからって最初から諦めるタイプじゃないですか! 石橋をたたいて渡るどころかバズーカで爆破させて、ほら壊れてるじゃないかやっぱり渡らなくて正解だった、ってどや顔で言っちゃうような! そんな先輩に恋人とか天変地異が起きても絶っっっ対に無理ですもん!』

 そこまで言われたら流石さすがにへこむ。

 まあ、別にいいけど。実際言ってることは間違ってないし。

 恋心なんて抱くだけ無駄、裏切られて傷つくのはいつだって恋をした方だ。そんな恋愛アンチがかみなんだから。

『先輩がいなくて退屈だったから、ちょっとからかってみただけですってば!』

「……そうなのか?」

 それにしては、やけに声が真剣だった気がするけど。

『では、そういうことで! 退院するの待ってますよ? 先輩がいないとやっぱり寂しいですから。またお見舞い行きますねっ!』

「えっ、ちょっと待っ──」

 切れた……。何だったんだ、今の電話。

 すっきりしないままベッドで横になってると、飲み物を持った水守が戻ってきた。

 水守は来栖さんを探しに行ったはずなのに、一人だけだ。

「あれ、来栖さんは?」

「風紀委員会から電話みたい。長くなりそうだから先に飲み物お願いって頼まれたの」

 そういえば来栖さんが部屋を出て行った理由って、俺たちのために飲み物を買いに行ってくれてたからだ。

 水守がコーヒーのカップを俺に手渡し、そばにあった椅子に座る。水守が口をつけるのはカフェオレのカップ。

 ふと、俺は先程のおかしな出来事を水守に話す。

「そういえば、さっき涼音から電話があったんだけどさ、何か様子が変だったんだよな」

「涼音ちゃんから? そういえば、最近お見舞いに来てないんだっけ」

 その通りだ。入院したばかりの頃は「これも後輩の責務ですから!」と毎日のように顔を出してくれてたが、ここ数日は忙しいのか会っていない。ちょっと寂しい。

「ああ。電話も久々だったんだけど、その内容も不思議だったんだよな」

 ドーナツの箱に手を入れる水守に言葉を続ける。

「俺と水守が付き合ってるのか、ってさ。俺の反応が見たかったんだと」

 ポンデを取り出す水守の手が、ぴたりと止まった。

「……付き合ってるのかって、涼音ちゃんが聞いたの?」

「まあな。俺も初めは驚いたけど、本気で言ってたわけじゃないってさ」

 そこで、ふと気づく。水守は深く思考するように、真面目な顔で宙を見つめていた。

 急にどうしたんだろ? と、首をかしげた直後だ。

「涼音ちゃんの様子が変、って言ってたよね? どんな風に変だったの?」

「どんな風に……? そうだな、急に真剣になったかと思ったら、突然明るくなったり。あと急に電話を切ったり、かな」

「ふむふむ、なるほど」

 やけに水守はうなずいてるけど、こっちはちっとも分からない。

「ちなみにだけど、私たちが付き合ってること、涼音ちゃんに話してないよね?」

「まあな。それで相談なんだけどさ、涼音には俺たちの関係を話した方が良いかな? 涼音には隠し事したくないし、俺としては打ち明けたいんだけど」

「…………」

 水守からの返答はなし。代わりに、すっと立ち上がると俺の傍に寄る。

 あろうことか、俺の眉間めがけて、ずびしとチョップをした。

「……? ??」

「ちょっと、里久君が鈍すぎてむっとしちゃったから」

「いや、あんま痛くないからいいけど……。っていうか鈍いってなんだよ」

「教えない。私だって、確信があるわけじゃないもん」

 いまいち納得出来ない俺に構わず、水守は話の続きを口にする。

「それで、涼音ちゃんに私たちの関係を話した方がいいか、だよね? 私は絶対にめた方が良いと思う」

「やけに嫌がるな……。やっぱり、恋人同士ってことバレると目立つからか?」

「そうじゃなくて、涼音ちゃんが傷つく可能性があるからだよ」

 涼音が傷つく可能性?

 首を傾げる俺を、水守がポンデの穴でのぞく。まるで標的をスコープで狙い定める狙撃手みたいだ。ドーナツの穴から見えるのは、硝子ガラス細工のような水守の瞳。

「涼音ちゃんって、里久君のことすごく慕ってるでしょ? もしも、そんな大切な先輩がだよ──学校一のヤリマンと付き合ってます、なんて知ったら、涼音ちゃんどう思うかな」

 その一言は、まるで銃弾のようだった。

 それは、誰でもない水守のことだ。誰とでも寝るというふしだらな評判が流れる水守は、学校での悪い噂にことかかない。他人の彼氏を奪う、パパ活でお小遣いを稼ぐ、成績のために教師も相手にする。そんな悪評ばかりだ。

「待てよ、水守の噂はほとんど間違ってるんだろ。それに、涼音は水守のこと悪いやつだなんて思ってない。あいつは水守のことを、お菓子の作り方を丁寧に教えてくれた優しい人だって言ってたんだから」

「私だって涼音ちゃんは良い子だと思うよ? だけど涼音ちゃんからすれば、まだ不安は残ってるんじゃないかな。だって私は、ビッチっていう学校の噂を否定しないんだから

「………………」

 そう、まさに水守の言う通りなのだ。

 水守は必ず、噂の核である部分──誰とでも寝る、という部分は否定しない。

「逆に考えてみてよ。里久君だって、もし涼音ちゃんに恋人が出来たとして。その人がヤリチンで有名な学校一のチャラ男だったら絶望するでしょ?」

「なにその最悪な例え話!?

 確かに、涼音が知らない男に弄ばれるなんて絶対に耐えられないけどさ……。

 水守が手にしたポンデを、はむ、と一口食べる。

「里久君の言う通りいつかは話すべきだよ。けどそれは、もう少し涼音ちゃんが私のことを信用してくれてからの方が良いと思うんだ。どうかな?」

「……真っ先に言いたいのは、やっぱり涼音は水守の噂なんて信じてないと思う。もしそうじゃなくても、水守がそんな奴じゃないってことは話せば分かってくれると思うんだ」

「……うん」

「けど、俺はそれでも良いよ。水守が秘密にした方が良いっていうなら、俺も黙っとく」

 反対されると思ってたんだろう。水守、きょとんってしてる。

「俺だけの問題じゃないし、水守が嫌なら無理は言わないよ。それに、俺なんかより水守の方が女子の気持ちを分かってるに決まってるしな」

「……ほんとにいいの?」

「少しの間だけなら。水守は、涼音が心配するのが嫌だから黙っておくんだろ? それは俺も同じだし。ただ、さ。ちょっと話を戻すんだけど……さっき水守が言った、ビッチっていう学校の噂を否定しない、ってやつ」

「────。うん」

 一瞬だけ空気が緊張し、けれどすぐ水守はいつもの表情を浮かべる。

「ダメ元で聞くけど、噂を否定しない理由ってやっぱり俺や涼音にしゃべれないのか? 話してくれれば、涼音も水守の悪い噂が誤解だって分かってくれると思うんだけど」

 ずっと疑問だった。

 どうして、水守は噂を否定もしなければ肯定もしないんだ?

 噂が荒唐無稽であるなら、そんなの噓だと言えばいい。けれど、水守はかたくなに『誰とでも寝る女子生徒』というイメージを崩そうとしない。

 本心を言うなら水守が噂を否定しない理由は、噂は真実だが公に認めたくない、というずるい理由しか思いつかない。

 けど、俺を真摯に好きでいてくれる水守がそんなことをするとは思えなくて。

 だから、水守からははっきり答えを聞きたい……しかし。

「……ごめんね。それは無理かな」

「そっか……いや、いいよ。話せる日が来るまで待つ、って言ったの俺だし」

 誰だって、他人に話したくない過去はある。それは俺だって同じだ。俺は水守といると決めた以上、無理強いはしたくない。

 そう、分かってはいるのだけど。

「ほんとにごめんね、里久君。……もしも、だけどね」

 どこか寂しそうに、水守が口にする。

「他に好きな女の子が出来たら、私なんて捨ててそのに乗り換えてもいいよ?」

「ぶっ……! んなわけあるかっ! 何だよ、捨てるとか乗り換えるとか」

「だって、彼氏に大切なことも話せない彼女なんて、サイテーだから。里久君が愛想を尽かして別れたいって言っても、不思議じゃないなって」

 いつもの水守からは考えられない弱気な言葉に、思わず言葉を失う。

 もしかして、不安になってる? ──そう思った瞬間、俺は口を開いていた。

「それこそ絶対にないって。水守へのおもいが冷めない限り、別れたいなんてじんも思わないよ。……つまり、その」

 恥ずかしさでく言葉に出来ない。

 ああ、もう! きっと俺の顔、真っ赤だろうな。

わいくて優しくて、何よりいちな水守の彼氏でいたいから。水守より他の女の子を好きになることなんて、想像も出来ないよ」

 駄目だ、水守の顔なんて見れねえ……何なら枕に顔埋めてえ……!

 うつむいていると、ぽつりと水守の声。

「そんなに、私のこと好きなの?」

「……まあ、うん。好きです、はい」

「良かった。里久君って、滅多にそういう言葉言ってくれないから。たまには、里久君のこと心配させるのも悪くないね」

 ……心配させるのも悪くない?

 がばっ! と顔を上げると、そこにはニコニコとご満悦な顔をした水守。

 これって、もしかしてだけど。

 俺に恥ずかしい言葉を言わせるために、わざと不安なフリを……?

「……あのさ、水守。俺、今の台詞せりふは結構頑張って言ったんだけどなあ!」

「うんうん、分かってる。ありがと、里久君」

 そう言って、水守は柔らかくほほんだ。

「私も、里久君のこと好きだよ?」

「…………おう」

 ぷしゅ~、と怒気が身体からだから抜けてくのが分かる。

 ほんと、水守ってズルい。

 俺が真っ赤になって口にした「好き」を、こんな自然に言えちゃうんだから。


 そして、それから十日が過ぎて。

 病院を退院した俺は、こうして水守と登校しているのだった。

「いい? 涼音ちゃんの前では、私たちの関係がバレないよう気をつけること。恋人らしいことなんて絶対しちゃダメだからね?」

「心配しなくても俺からはしないって。そんなの恥ずかしくて出来ないし……」

「ん、よろしい。……あと、これ」

 他人から見られないように、水守がかばんから小さな包みを取り出した。

「里久君が入院する前は、いつもちょっとしたお弁当作ってたでしょ? 一応、持ってきた方が良いかなって」

「……ああ、ありがと。助かる」

 学校に到着して、俺と水守はそれぞれ自分のクラスへと向かう。

 席に座ると、周りがにわかにざわめき始めた。その誰もが視線を俺へと向けている。

 これ、どう考えても俺だよな……。

 居心地の悪さを感じながらも、たかはし君の席へと近寄った。

 高橋君とは、クラスで唯一俺が気兼ねなく声をかけれる生徒だ。かといって友達かというと、いまだに君呼びしてるとこから察して欲しい。

「おはよう。ちょっといいか?」

「おっ、久しぶりだな有名人。はもういいのかよ」

「まあ、一応は。それより、やけに注目されてる気がするんだけど……」

「そりゃそうだろ。お前が中庭で水守に喋りかけたの、全校生徒が知ってるぞ? あの水守と仲良い男子生徒なんて、お前くらいなもんだ」

 あきれたような高橋君の顔。

「だって、あのヤリマンの水守だぞ。男子が近づこうもんなら下心あるって女子から軽蔑されるし、それで学園生活潰した先輩もいるしなあ。誰だって関わりたくないだろ」

 一瞬だけ、心臓がつかまれたように胸が苦しくなった。

 もちろん、俺は噂なんてちっとも信じていない。けど、噂を否定出来るかと問われたら、残念ながら出来ない。

 俺は、水守のことを何も知らないから。

「高橋君、一つだけいいか」

 ただ、それでも。水守と付き合ってから決めたことがある。

 絶対に、水守の味方をするということ。

「あんまり、水守のこと悪く言わないでくれ。中古とかビッチとかヤリマンとか、そういう風に言われるの嫌なんだ。水守は良い奴だからさ、頼むよ」

「……そんな風に水守のこと言えるの、お前くらいなもんだよなあ」

 どこか愉快そうに高橋君が笑う。

「十神がゲスい理由で水守に近づいてるなんて、誰も考えてないと思うぜ? 何しろ水守に一回フラれてるしな。なあ、やっぱ水守が好きなんだろ? じゃないとあんなまとわないもんな」

「…………さあ、どうだろうな。じゃあ」

 にやにやする高橋君をに、俺は逃げるように席に戻るのだった。

 世間話するような生徒もいないし、ゲームのスタミナ消費でもしようかとスマホを取り出す。と、メッセージアプリに通知があることに気づく。

 俺にメッセージを送る相手は少ない。まず真っ先に思いつくのは水守。その次は……。

「涼音から、か。なんだろ」

 届いたメッセージを読み、あぁなるほど涼音らしいな、とつい笑ってしまった。

 今日の放課後、水守さんと来栖さんを誘って先輩の退院祝いをしませんか──可愛らしいマスコットのスタンプと共に、そんな一文が画面に映っていた。


 夏季限定のかき氷、始めました。

 何でも、涼音がお気に入りのカフェでそんなポスターを見つけたのが、俺たちを誘ったきっかけだとか。

 学校が終わり校門へと向かう。と、水守ともう一人見知った女子生徒の姿。

 夕焼けのような、優しいだいだい色の髪。ぱっちりした目は可愛らしく、その表情はつい心を許したくなるくらいあいきょうに満ちていた。

 ふた涼音。高校一年生の、俺のたった一人の後輩だ。

「あっ、先輩! お疲れサマーですっ! こっちですよ~!」

 まるで尻尾を振る子犬みたいに、ぶんぶんと手を振る涼音。

 良かった。電話をくれた時はやけに慌ててたけど、いつもの涼音だ。

 あれ以後お見舞いに来るようにもなったし、思えば様子が変なのはあの日だけだった。

「よっ、お疲れ様。ってことは、あとは来栖さんだけか」