番外編 魔法少女も楽じゃない

 ……もしお兄ちゃんが部屋にいたら、どんな反応をしていただろう?

 自室に設置されたスタンドミラー。そこに映る自分の姿を眺め、わたしは小さく口元をほころばせる。たくさんのフリルで飾られた衣装。手には魔法のステッキ。いまのわたしの姿は、前にみーちゃんが見せてくれたアニメに出てくる魔法少女とそっくりだった。

 できればお兄ちゃんにも見てもらいたかったけど、今日はもう無理そうだ。お兄ちゃんも寝ているみたいだし、明日にでも感想を聞いてみよう。

 そう考えて鏡から視線を移すと、わたしのベッドに腰掛けているのは、あこがれの魔性の女ことかおるさん。なんじよう家の優しい次女ことエルニお姉ちゃん。薫さんはビデオカメラで、エルニお姉ちゃんはデジカメでわたしを撮影しながら、それぞれほおを緩めて口を開く。

「──こうしてなずなちゃんは魔法少女として、しのぶ様の平和を守るために日夜戦うのでした。頑張って下さいなずなちゃん。負けないで下さいなずなちゃん。忍様を守れるのは、もはやなずなちゃんだけだったりそうじゃなかったりします」

「おお、その設定はいいなかおるん。きっと忍も喜ぶと思うぞ。せっかくだからなずな、ちょっと魔法のじゆもんでも唱えてみてくれ」

「──にゃあ!」

 実はわたしが身につけている魔法少女の衣装。

 これはエルニお姉ちゃんと薫さんからのプレゼントだったりする。寝る前にふたりが部屋に来たときはちょっと驚いたけど、いまはわたしも口元の緩みを抑えられない。

 ふたりが贈り物をしてくれたことがうれしかった。少し恥ずかしいけど素敵な衣装。それを着たままわたしが自分なりの呪文と一緒に軽くポーズを取ると、エルニお姉ちゃんは拍手をくれて、薫さんはビデオカメラを片手にやんわりと声を掛けてくれる。

「なずなちゃん、『にゃあ』という呪文も愛らしくていいのですが、ここはひとつ、『えセリフ』を魔法の呪文にしてみてはいかがですか?」

「萌えセリフ? あ、わたしそれ知ってるよ。『今夜は空いてるのん』とかでしょう?」

「ま、まあ、そういうのも有りのような無しのような、むしろあり得な──コホン」と、気まずそうにせきばらい。薫さんは笑顔に戻って、提案でもするように人差し指を立てる。

「元気一杯のなずなちゃんであれば、『お兄ちゃん、今夜は一緒に寝てもいい?』とか『お兄ちゃん、お背中流しに来たよ』とか『お兄ちゃん、実はわたしたち、本当の兄妹きようだいじゃないんだよ……なんてウソ。ドキドキした?』とかいうのはどうでしょう?」

 すごく勉強になる。わたしは魔法のステッキをいつたん机の上に置き、真剣にメモを取った。

 もしかしたら、これでわたしも魔性の女に一歩近づけるかも知れない。しばらく薫さんの言葉に耳を傾けたあと、わたしはもう一度ステッキを手に持ち、魔法について思いをせつつ、エルニお姉ちゃんとかおるさんの意見も聞いてみる。

「ねえ、もし魔法が使えたとしたら、エルニお姉ちゃんと薫さんならなにをする?」

「う~ん、わたしは空を自由に飛んでみたいな! それで天空の城を目指すんだ! それからしのぶと一緒にたくさんご飯も食べたい! かおるんの方はどうだ?」

「わたくしなら迷わず銀行強盗ですね。魔法の力で巨万の富を手に入れ、札束のプールの中で忍様と愛を語り合う……なんていうのは冗談ですよ。本気にしないで下さいね? わたくしならそうですね。やはり魔法で悪戯いたずらをします。まずは忍様たちの……」

 薫さんの語る魔法は面白いけど、もし現実で起こったら大変だと思う。薫さんは魔法でお兄ちゃんたちの性格をへんてこに変えるみたい。そうすれば自分が変態メイドでも違和感がないとか。でも薫さんは変態じゃないし、いつものジョークのような気がする。

 わたしはエルニお姉ちゃんと一緒にあいづちを打って薫さんの話を聞いて、それから楽しい時間はあっという間に過ぎて……もう夜も更けて眠くなってきた。

 仕方がないから、わたしはエルニお姉ちゃんと薫さんに『おやすみ』とあいさつして、魔法のステッキを机の上に飾ってパジャマに着替えて、名残惜しさを抱えたまま床に就く。

 今日はわりと夜更かししちゃったけど、明日はお休みだから大丈夫。わたしは夢うつつなまま目を閉じ、寝る前にもう一度魔法について思いを馳せてみた。

 ……わたしが魔法を使えたらなにをしよう? やっぱり魔性の女に変身?

 もちろんそれもいいけど、お兄ちゃんみたいにクールに振る舞ったりしてみたい。それにいつも守ってもらってばかりだから、お兄ちゃんが困っている時に、魔法の力で助けてあげられたらと思う。そうしたらお兄ちゃんも、頭をでながら褒めてくれるかも知れない。

「……お兄ちゃん……」

 考え事をしているうちに、次第に意識があいまいになってきた。でも魔法少女の衣装を着たおかげかな? なんだか今日はいい夢を見られそうな気がする。わたしはほおを緩めて意識を手放し、ゆっくりと夢の世界へ潜っていった……。

     

 ……ん? あれ? さっき寝たばかりなのに、ひょっとしてもう朝なの? ふんわりと身体からだを揺り動かされ、どこか遠くから優しい声が聞こえてくる。

「なずな、朝よ。そろそろ起きて……ん……ちゅっ……」

 まどろみの中、ふと頬に覚えた柔らかな感触が、わたしの意識を呼び起こしていく。

 もしかしてルナお姉ちゃんからのキスかも知れない。ルナお姉ちゃんはこういうスキンシップが大好きだ。自分の表情が緩むのを感じつつ、そっとまぶたを開けてみると、カーテン越しの朝日と共に両目に飛び込んできたのは……予想外の人物の姿だった。

 胸元が大胆に開いたメイド服。どうしてかそれを着こなしているマキナお姉ちゃん。思わずベッドの上で跳ねるようにして身体からだを起こすわたし。そんなわたしの顔をのぞき込み、マキナお姉ちゃんは少し心配そうに声を掛けてくれた。

「……怖い夢でも見ちゃったの? そんなにびっくりしてどうしたのよ?」

「ど、どうしたって……マキナお姉ちゃんの方こそどうかしちゃったの?」

 失礼だけど別人みたいだ。普段の気の強そうなイメージが全然なくて、メイド服を着ていることもあるんだと思う。ルナお姉ちゃんみたいないやしのオーラを身にまとっているマキナお姉ちゃん。わたしは驚いたままマキナお姉ちゃんを見つめ、率直な疑問を口にする。

「マキナお姉ちゃんは、なんでメイド服なんかを着ているのかな?」

「今更どうしてそんなことを聞くの? 理由なんか決まっているじゃない」

 一度言葉を止めてほおいろに染め、マキナお姉ちゃんは躊躇ためらいなく断言。

「──大好きなしのぶにたくさんご奉仕するためよ。あたしは忍のメイドさんなんだもの」

「お兄ちゃんのメイドさん? え? あれ? 一体いつからそんなことに?」

「そしてなずなは魔法少女よ! 今日もプリティーね! 血のつながりはないけど、あたしもなずなのような妹がいてくれて幸せだわ!」

「そ、そう言ってくれるのはすごくうれしいよ。でもねマキナお姉ちゃん、わたしの話も少しは聞いて欲しいな──って、うわっ! なにこれ!?

 思わずとんきような声が出た。

 ビシッとマキナお姉ちゃんが指差した先。自分の身体に何気なく視線を落とすと、そこにはエルニお姉ちゃんとかおるさんがプレゼントしてくれた魔法少女の衣装。確かに昨日ちゃんと脱いだはずなんだけど、どうしてこの服を着ているんだろう?

 二回目のびっくりだ。ちょっと固まってしまう。でもそんなわたしの驚きをに、

「……きっとなずなは、太陽に導かれた魔法少女なのね」

 RPGで出て来そうなセリフを口にして、マキナお姉ちゃんはわたしの机の前に移動。机の上に昨夜飾った魔法のステッキ。それを手にしてマキナお姉ちゃんはベッドの前に戻って来て、戸惑ったままのわたしにすっとステッキを差し出してきた。

「なずな、今日も魔法少女としてプリティーかつキュートに街の平和を守ってね。これがあればなずなは完全無敵よ。はい、エルニが燃えないゴミクズで作った魔法のステッキ」

「ゴミクズ!? 魔法のステッキなのに主成分はゴミクズなのこれ!?

「……えるゴミクズだったかしら?」

「ど、どっちにしてもゴミクズなんだね」

「あら? ほしくずだったかしら?」

「それだと別物だよ! 一体どっちなの!?

 わたしが突っ込みを入れるなんて珍しいと思う。こんな乗り突っ込みもなくボケまくるマキナお姉ちゃんははじめてだ。若干だけど混乱気味のわたし。でも再びこっちの戸惑いをスルーして、マキナお姉ちゃんはルナお姉ちゃんみたいにやんわりと微笑ほほえむ。

「うふふ、なずなは今日も元気一杯の魔法少女なのね。そのまま元気にご飯を食べましょう。今朝は期待していいわよ。あたしの自信作なの」

「……マキナお姉ちゃんがご飯を作ったの? ルナお姉ちゃんじゃなくて?」

「なにを言っているの? お姉さまは料理なんて生まれてこのかたしたことがないのよ? それに料理はあたしの仕事だもの。しのぶが毎日『しい』って褒めてくれて幸せだわ。これはもうあたしにとっての生きと言ってもいいわね」

「その生き甲斐、よくルナお姉ちゃんが口にしているものだよね?」

「こら、そんなことをお姉さまの前で言ったら怒られちゃうわよ? ほら、いつまでもけていないで、さあ、いつものように魔法のステッキを持って、はい、これでかんぺき。それじゃあなずなも早く降りてきてね。一緒にご飯を食べましょう……ん……ちゅっちゅ」

 いとおしそうにわたしの両ほおにキスしてくれるマキナお姉ちゃん。

 なんだか胸がぽかぽかしてきた。うっかり突っ込みを忘れていると、マキナお姉ちゃんはわたしに魔法のステッキを握らせ、きびすを返してメイド服のまま部屋を出て行く……。

 やっぱりわたしには突っ込みの才能はないみたいだ。ものすごく気になることがあったんだけど、なにも聞けなかった。今度お兄ちゃんに突っ込みの極意でも聞いておこう。わたしはベッドから降りて、とりあえず身支度を整えようとは思ったものの、

「……あれ? おかしいな」

 不思議と魔法のステッキが手から離れてくれない。それどころか魔法少女の衣装さえ脱げなかった。どんなに「にゃあ!」と力を込めて引っ張ってもダメだ。こいつは大変だよ。なんてこった。わたしはこのままずっと、魔法少女の服を着ていないといけないの?

 ……まあいいや。マキナお姉ちゃんだってメイド服を着ていた。わたしはあまり深く考えない。いまは考えたら負けだと思う。というわけで、わたしは魔法のステッキと魔法少女の衣装を標準装備したまま、部屋から見慣れたうちの廊下に出る。

 すると少し見慣れない女の人がお兄ちゃんの部屋の前にいた。あの胸の大きな人は、確かお兄ちゃんの学校の友達のみなみさんだったはずだ。わたしが見ていたせいかな? 南さんはこっちに気づくと、にっこりと明るく微笑んでくれた。

 ……ルナお姉ちゃんがふんわりとした柔らかな月だとしたら、南さんはキラキラと輝いた太陽みたいなイメージ。笑顔を向けられてうれしいんだけど、以前会ったときと同じ。

 妙に懐かしくてひどく胸がざわつく。この感覚はなんなんだろう? 疑問に思ってじっと眺めていたら、南さんは明るい表情のまま大きく手を振ってきた。

「おはよう魔法少女ことなずなちゃん! 今日も相変わらず魔性の女みたいな空気を身にまとっているね! もう大胆不敵電光石火って感じだよ!」

「どうもありがとう! そんなことを言われたのははじめてだよ! にゃあ!」

 考え事はやめてお礼を言い、わたしはみなみさんに歩み寄りながら質問をひとつ。

「今日はどうしたの? お兄ちゃんになにか用事?」

「用事というか、いつも通りしのぶちゃんを起こしに来ただけだよ? でもね、昨日から忍ちゃんのことをぎゅってしたくてたまらなくて、いまも胸がきゅんきゅんしているの」

 きゅんきゅん中らしい豊かな胸をぷるんぷるんと揺らし、南さんは色っぽい吐息をもらして「だからね」と悪戯いたずらっぽく笑う。

「今日はあたしも大胆にいってみるよ」

「すでに大胆だと思うんだけど、なんだかすごいね。それ以上セクシーになれるんだ!」

 ちょっと尊敬のまなしとかを送ってみたりする。そんなわたしに、南さんは「なずなちゃんは見たらダメだよ?」とコケティッシュにウインク。続いて鼻歌混じりにお兄ちゃんの部屋に入ってドアを閉める。でもなにをするのか気になって仕方がない。

 悪いとは思いつつも、わたしはそっとドアを開け、こっそり部屋の様子をうかがってみる。

 と、目に映ったのはお兄ちゃんの寝顔。普段はせいかんな顔つきでワイルドかつクールで優しいお兄ちゃんなんだけど、寝ている姿はあどけなくて、妹のわたしから見ても可愛かわいくて、ルナお姉ちゃんたちが夢中になる気持ちもよくわかる。

 きっとそれは南さんも同じなんだと思う。南さんはお兄ちゃんの眠るベッドの前に立ち、寝顔を眺めて「お寝坊さんなんだから」とほおを染めたあと、かビシッと敬礼。

「南おう──いきます!」

 どこへ行こうというのだろう? あれかな? 大胆にいく──って、なんで南さんは服を脱いで下着姿になるの? 確かに紺の下着姿だとさっき以上にセクシーだ。それに南さんはすごく胸が大きい。服を脱いでいる間も弾むように胸が揺れ動いて……え? あれ? な、なんで下着姿のままお兄ちゃんのベッドの中に入るの? これが大人の世界?

 南さんは顔を真っ赤にしながらも、掛け布団で自分とお兄ちゃんの姿をすっぽりと覆っちゃって、ベッドの中でなにが行われているのか見当もつかない。かすかに聞こえてくるのは、お兄ちゃんと南さんの色っぽい吐息だけだった。

 でもそれもすぐに終わり、今度は南さんのじゃれるような甘い声が聞こえてくる。

「うふふ、忍ちゃんが起きないと、うぅん、もっとおっぱいで気持ちよくしちゃうぞ? どうだどうだ、んぁ、気持ちいいだろう? あたしと結婚したら毎朝こんな風に気持ちよくなれるぞ? んんぅ、あたしと結婚するって言え~」

「……やれやれだぜ。妙な演技をしているねこちゃんはだれだ? またひじりか?」

 すごいことが起こっているはずなのに、お兄ちゃんは普段のように焦ることはなかった。いつも以上にクールに身体からだを起こして掛け布団を引っぺがし、ベッドの上で下着姿の南さんを認めてもまだクール。お兄ちゃんはとても優しい目でみなみさんを見つめる。

「なんだサクラちゃんか。今日は昨日よりも輝いているね。まるで太陽のようだ」

 お、お兄ちゃん? どうしたの? お兄ちゃんが冗談も照れもなく褒め言葉を口にするなんて変だし、それにいまサクラちゃんって言ったよね?

 サクラちゃんはお兄ちゃんとわたしの大切なおさなじみのあだ名。そういえばわたし、お兄ちゃんから『サクラちゃん』としか紹介されていなかった。だから幼馴染なのに本名も知らないままだったんだけど……南さんがサクラちゃんだったの?

 事実を確認するためにも、今度こそ切り込まないと。わたしは扉の前で一歩踏み出そうとした。でもそれよりも早く、お兄ちゃんは苦笑気味に驚くべきことを口にする。

「しかし相手がサクラちゃんならうれしい誤算だな。てっきりまたひじり悪戯いたずらかと思った」

 なにそれ? 聖お姉ちゃんはあんな大胆な悪戯はしないよね?

ぎようさんはエッチな悪戯が大好きだからね。あたしも五行さんに対抗してみたの」

 ……大好きなんだ。聖お姉ちゃんエッチなんだ。

 突っ込むどころか、わたしは扉の前で目を見開いたままだった。視線の先でお兄ちゃんと南さんが恋人チックな甘いひと時を満喫しはじめたけど、わたしは無言で部屋のドアを閉め、手から離れないままの魔法のステッキをじっと見つめて、

「ふむ、にゃるほど……じゃなかった。なるほどな」

 お兄ちゃんをて小さくうなずいてみた。いくらわたしでもそろそろ気づく。これはわたしの夢なんだ。夢ならマキナお姉ちゃんがメイド服を着ていることとか、魔法少女の衣装が脱げないこととか、お兄ちゃんが冗談を挟まないことなんかにも説明がつく。

 それに南さんが本当にサクラちゃんなのかどうかはわからないけど、今日みたいな朝が来ることを……子供のころに何度も夢見ていたことがある。

 大好きなお兄ちゃん。幼い頃、わたしの大親友だったサクラちゃん。ふたりがずっと一緒だったらいいな。結婚してくれたら嬉しいな。子供の頃、本当はそう思っていた。

 でも、わたしが交通事故なんかに遭ったせいで、サクラちゃんはもう……って、暗いことを考えていたらダメだ。わりと意識もはっきりしているし、夢の中のわたしは魔法少女。

 きっとこれから楽しいことが起こるに違いない。寝る前に考えていた通り、夢の中ではクールに振る舞ってみよう。そう、お兄ちゃんのごとくクールかつハードボイルドに。

「──男は度胸と顔だ。そして女は年齢じゃない。見た目だぜベイベー」

 う~ん、なんか違う気がする。お兄ちゃんはこんなことを言わないよね。もっとクールにならないと。わたしは魔法のステッキを片手に、これから起こる出来事に期待を寄せて階段を降りつつ、今日は神妙な顔を作ってリビングに顔を出した。

 途端、目に飛び込んできたのは、リビングの床に倒れ伏しているメイド服姿のマキナお姉ちゃん。かマキナお姉ちゃんはボロぞうきんの如くあわれとも言えるような状態で、はく色のひとみにハイライトもなく、あまりに予想外のことに裏返りそうになる声を抑え、

「ふぅ、やれやれだにゃん。こいつはハードだぜ──とか言ってる場合じゃないよ!」

 やっぱりクールになりきれないわたし。でも無理もないと思う。いきなり期待とは裏腹の出来事が起こったこともあって、わたしは八つ当たり気味にリビングの床を踏んだりったりしながらマキナお姉ちゃんのもとへと駆け寄る。

「しっかりしてマキナお姉ちゃん! 大丈夫? 一体なにがあったの?」

「うぅ……あのねなずな……今日のあたし……しのぶが望むようないやしオーラ全開のかんぺきご奉仕メイドさんみたいでしょう?」

「確かにさっきまではそうだったね! でもいまは減量中のボクサーよりもげっそりしちゃってるよ! 繰り返すけどなにがあったの!?

「……忍は大好きなご主人様だから……あたしも止めようとしたの……だけどあたし全然ダメで……お姉さまが……あめむちで……お仕置き……それで……忍を──」

 途切れ途切れに言葉をもらしていたマキナお姉ちゃん。その小さな声を遮るように、不意に二階の方から女の人の悲鳴。間髪をれずに響いた大きな物音。話の途中で力尽きたように、ガクリと気を失ってしまうマキナお姉ちゃん。そして絶賛混乱中のわたし。

 もうなにが起こっているのかさっぱりだ。でももしかしたら魔法少女の出番なのかも知れない。ひとまずマキナお姉ちゃんを抱きかかえて床からソファーに……うん、手にくっついたままの魔法のステッキが邪魔でくできない。

 フーズ・バッド──と、叫びそうになったけど、今日は淑女らしくグッと耐えた。少しだけクール。わたしはなんとかマキナお姉ちゃんをソファーに寝かしつけ、リビングから廊下に飛び出して階段を駆け上がり、悲鳴が聞こえてきた二階まで移動。

 すると、二階の廊下は妙に静まり返ってなんだか不気味だった。夢だしゾンビとか出て来そうな雰囲気がある。でもわたしはクールに肩をすくめ……微妙に肩が震えていても気にせず、足の震えは気のせいだと誤魔化し、堂々と廊下を進む。

 今日のわたしはお兄ちゃんみたいに振る舞う予定。はたから見たら堂々どころかおずおずかも知れないけれど、わたしは胸を張って廊下を突き進み、お兄ちゃんの自室の扉が開いていたので、渋い顔を作り、事件現場であろう部屋の中へと一歩踏み出し、

「……こ、こいつは迷宮入りになりそうだ」

 またセリフを間違えてしまった。でもとんきような声をあげなかっただけでも良し……とは言えないね。すごい事件だと思う。一瞬で心が折れそうになった。改めて視線を向けると、ベッドの上にはみなみさんの姿があったんだけど、

「ゆ、許して女王様……そんなことしたら……ちちゃう、あたし堕ちちゃう……」

 本当になにがあったんだろう? か南さんは裸でベッドに横たわっていて、目を閉じたままうわ言のように「女王様」と繰り返してはどこかうっとりとしている。

 けれど気になるのはみなみさんだけじゃない。もしかして口紅で書いたのかな? お兄ちゃんの部屋の壁一面に大きくれいな赤い文字で、

しのぶさんは預かりました。これから忍さんと一緒に心身ともにとろけ合う予定です。しばらくはうちに帰りません。ちなみに、もし私の邪魔なんかをしたら……マキナたちのようにお仕置きしちゃいますからね byルナ』

 という言葉が書き残されていた。

 ……にわかには信じがたい話だ。まさか、ルナお姉ちゃんがお兄ちゃんをさらっちゃうだなんて。わたしの夢の中で、ルナお姉ちゃんはずいぶんと過激になっているみたい。

 でも、ルナお姉ちゃんが相手ならお兄ちゃんもいやがらないと思う。

 それにルナお姉ちゃんも基本的に運がなくて、たまになにもないところで転んじゃったり、お兄ちゃんに構ってもらえなくて寂しそうにしていたりするときがあるから……夢の中でくらい好きにさせてあげてもいいよね?

「こいつは迷宮入りにした方が良さそうだ」

 お父さんを煙草たばこを吹かす仕草をひとつ。

 クールな優しさも必要だと思う。わたしは南さんを掛け布団で包み、若干の後ろめたさを感じつつも、次なる事件に思いをせて部屋を出る。

 と、そこで、廊下の奥から「おーい、なずなー、大変だ!」と大きな声が聞こえてきた。この声はエルニお姉ちゃんに違いない。そういえば、エルニお姉ちゃんは夢の中でどんな風になっているんだろう? 興味をかれて振り返ったところ、

「よ、ようせいさんだ!」

 びっくり仰天な光景が目に飛び込んできた。視線の先のエルニお姉ちゃん。その身体からだか掌サイズ。本当に小さかった。缶ジュースと同じぐらいの身長しかない。その上エルニお姉ちゃんはツインテールの髪をはためかせ……気持ち良さそうに空を飛んでいた。

 これは最高に格好いい。ツインテールを上下に大きく動かし、悠々と空を飛んでいるエルニお姉ちゃん。その姿を認めるや否や、わたしはクールも忘れて声をあげた。

「すごいよエルニお姉ちゃん! それなら天空の城だって目指せるね! 空を自由に飛んでいるよ! どうしてそんなことができるの?」

「──飛べないマッドドッグは、ただの犬ころだからだ」

 ニヒルな笑みで答え、エルニお姉ちゃんは「そして」と空を飛んだまま胸を張る。

「このミニサイズの身体であれば、どれだけご飯を食べても怒られることはない! もう盆と正月がいっぺんに来たような気分だ! 空だって変幻自在に飛べちゃう! どうだなずな! 格好いいだろう!」

 自慢するようにエルニお姉ちゃんはピュンピュンと廊下を飛び回り、見事なトンボ返りを披露。続いて華麗なターンを……決めることができずに廊下の壁に激突。鈍い音と共に気まずい沈黙が落ちる中、エルニお姉ちゃんは片手で赤い鼻を押さえながらわたしの肩に飛び移り、何事もなかったかのように真顔で話を戻す。

「なずな、大変なんだ」

「……エルニお姉ちゃんの鼻がトナカイみたいになっちゃったもんね。大丈夫なの?」

「もうこうなったらサンタに弟子入りするしか──じゃない! 事件だぞなずな!」

 赤い鼻のままわたしの肩の上で声をあげ、エルニお姉ちゃんは真剣な面持ちで切り出す。

「実は昨日から妙に風がざわついているとは思っていたんだが、さっき庭でしのぶさらっていくルナの姿を見て確信した。どうやらこの街で悪さをしているやつがいるようだ。きっとそいつがみんなの性格をへんてこに変えてしまったに違いない!」

「そ、それじゃあ、マキナお姉ちゃんがメイド服を着ていたのは……」

「間違いなくその悪いやつの仕業だ!」

「お兄ちゃんが冗談を言わなかったのは……」

「もはや疑いようもない! 全部その悪いやつの仕業だ!」

「ルナお姉ちゃんがお兄ちゃんを攫っちゃったのも……」

「疑問の余地すらない! この命にけてもその悪いやつの仕業だ!」

「つ、つまり! エルニお姉ちゃんがそんな風に掌サイズになっちゃったのも、その悪いやつの仕業だというわけだね!」

「……そうとは言っていませんよ。わたしは望んでこうなっただけです。はい」

 付け焼き刃のわたしと違って、エルニお姉ちゃんはクールそのものだった。

 インテリチックに不可視の眼鏡を中指で押し上げるエルニお姉ちゃん。でも涼しい顔はすぐにやめたみたい。エルニお姉ちゃんは表情を真面目まじめなものに戻して言葉を続ける。

「まあ要するに! その悪いやつを倒さない限り! みんなはずっとおかしいままだということだ! いまなにもしないでその悪いやつを放置していたら、忍もルナに攫われたまま二度とこのうちに戻ってくることはないだろう! これは大事件だぞ!」

「……そこでクールな魔法少女の出番というわけだね」

「おお! 今日のなずなはちょっと忍風だな! それなら話は早い! いまこそ魔法少女の出番だ! 悪の権化を打ち倒してみんなを元に戻してやってくれ! さあ魔法少女ことなずな! 直ちに現場に急行せよ!」

「バッチ・コイ!」

 あっ、気合いを入れるあまり素に戻っちゃった。

 でも今日のわたしは魔法少女。魔法の力でみんなを救済。クールに事件を解決。もしそんなことができたら、お兄ちゃんも褒めてくれるかも知れない。

 わたしは手にくっついたままの魔法のステッキをぎゅっと握り、ミニサイズのエルニお姉ちゃんを肩に載せたまま勢いよく一歩を踏み出し……はたと足を止めて首をかしげた。

「ところでエルニお姉ちゃん、わたしもエレガントに現場へと急行したいんだけど、悪いやつの居場所なんてちんぷんかんぷんだよ?」

「少し待っていてくれ。いま調べてみる。う~ん──ツインテールに念力集中!」

 言葉と共にエルニお姉ちゃんのツインテールがくるくる回ったかと思ったら、ダウジングの要領なのかな? ツインテールの毛先がピンとある一定の方向を指した。

「うむ、あっちの方で魔の気配がする。早速外に出るぞなずな!」

「そのツインテール……しびれるぐらいに格好いいね!」

 わたしもエルニお姉ちゃんに負けてはいられなかった。いまだに衣装は魔法少女のままだったけれど、せっかくの夢だから気にしない。わたしは躊躇ためらいを捨て、エルニお姉ちゃんと一緒に、今日はワイルドに外へと繰り出した……。

 ……こいつは珍事だな、おい。

 と、お兄ちゃんならそううそぶいて、この光景を眺めて渋い苦笑いを見せるかも知れない。

 家を出ていまは街の中。道行く人々はみんなわたしに好意的で、おまわりさんからは『魔法少女さん、今日もパトロールご苦労様です』と敬礼されたりしたんだけど……やっぱりエルニお姉ちゃんが言う悪いやつの仕業なんだと思う。

 住宅街でスクール水着を身につけたお姉さんやさんや女騎士みたいな格好の人たちとすれ違い、かムーンウォークで歩みを進めている男の人まで見掛けた。

 そんな中、エルニお姉ちゃんのツインテールに導かれるまま、魔法のステッキを片手に歩き続けた末に辿たどり着いたのは……ひじりお姉ちゃんの大きなお屋敷だった。

 少し意外に感じて、わたしは肩の上に載ったエルニお姉ちゃんに目を落とす。

「もしかして、聖お姉ちゃんのうちに悪いやつがいるの?」

「わたしのツインテールがこう言っている。庭の奥が怪しいと。とりあえずぎよう家に侵入だ! RPGの勇者が人様のうちでアイテムを手に入れてもとがめられないように、魔法少女にも住居不法侵入は適用されない! だけど! 一応チャイムを鳴らしておこうか……」

「……礼儀を忘れたやつにクールを名乗る資格はないからね」

 スマートにうなずき、わたしがインターホンに手を伸ばすと、不意に「あら?」という涼やかな声が耳に触れたかと思ったら、庭の方からかおるさんがひょこっと顔をのぞかせた。薫さんは普段通りメイド服姿で、わたしとエルニお姉ちゃんを認めて小さく微笑ほほえむ。

「おはようございます、魔法少女ことなずなちゃん。ようせいのエルニさん。今日も仲良くパトロールですか? おふたりともご立派ですね。もしわたくしが魔法を使えたとしたら、じんちゆうちよもなく銀行を襲っているところですよ。あとお茶目な悪戯いたずらですね」

 あれだけみんながおかしくなっているのに、なんだか薫さんはいつも通りに見えた。ちょっとげんに感じて、わたしは薫さんをじっと見つめる。

「……かおるさんはあまり変わったりしないんだね」

「もちろんですよ。わたくしはいかなる状況下でも、良いご主人様にはエッチなひと時を、悪いご主人様にはエッチなお仕置きを施す、愛とご奉仕のエンジェルメイドです。ふふ、なずなちゃんも、変わらないわたくしの方が好きでしょう?」

「相変わらず魔性の女みたいでうらやましいです」

「……なずなちゃんがわたくしをそのように思っているのかはわかりませんが、ご期待に添い続けるためにも、わたくしはこのあたりで失礼させて頂きます。これから面白愉快になったみなさんの姿をビデオカメラに収めるという任務が控えていますので……」

 懐からビデオカメラを取り出し、そのまま歩みを進めていく薫さん。だけどその途中で足を止めて振り返り、薫さんは「ちなみに」と声音を真剣なものに変える。

「なずなちゃん、エルニさん、これから我が家をパトロールするのは構いません。ただ、言っても無駄でしょうが、庭の土蔵には近づかない方がいいですよ? それとひじりちゃんに会ったら注意して下さい──以上、わきやくメイドさんからのアドバイスでした」

 冗談めかしてウインクをくれる薫さん。負けじとウインクで返すわたしとエルニお姉ちゃん。それから薫さんと別れたあと、パトロールの許可をもらったこともあり、わたしは再びエルニお姉ちゃんのツインテールを頼りに聖お姉ちゃんの家の庭へと足を運ぶ。

 と、数分ほど広い庭を歩き続け、やってきたのは大きな土蔵。さっき薫さんに近づかない方がいいと教えてもらった場所だけど、わたしは扉の前でニヒルを気取ってみる。

「ふむ、こいつはくさいね。腐った卵以下のにおいがぷんぷんするよ!」

「……そんな臭いをかいでよく平気だな」

 またセリフを間違えたみたい。エルニお姉ちゃんはわりと冷静に切り返し、ツインテールの毛先を扉に向けたまま、今度は熱い口調で本題に入る。

「なずな、わたしのツインテールがこう言っている。この扉の向こうに今回の騒動を巻き起こした犯人がいるとな! 早速乗り込むぞなずな! クールに事件を解決しよう!」

「さ、さっき失敗したばかりだけど、わかったよエルニお姉ちゃん! クールに頑張る!」

 気合いを入れ直し、わたしは勢いよく土蔵の扉に手を掛けたんだけど……あれ? かぎが掛かっているのかな? どんなに力を込めても扉はうんともすんともいわない。これはダメだ。わたしはため息混じりに肩をすくめ、エルニお姉ちゃんに視線を戻して告げる。

「どうやら……わたしたちの冒険はここまでのようだね」

「クールに諦めてどうするんだなずな! あきらめんなよ! 諦めんなよお前! どうしてそこでやめるんだよそこで! 魔法少女になるって言っただろう! クールに頑張るって言っただろう! 頑張れば絶対に目標を達成できる! だから──もっと熱くなれよ!」

「そ、そんな某熱血先生みたいに言われても、わたしはクールになればいいの? それともホットになればいいの? どっちにしてもこの扉は開かないよ? どうすればいいの?」

「魔法の力で扉を破壊する! 解体屋だバカ野郎……とかできたらいいな」

「ただの妄想だったんだ!? でもわたしいま、見た目通り魔法少女なんだよね? 扉を壊すつもりなんかないけど、こう、魔法の力でかぎを開けたりすることはできないの?」

「そんなことわたしに聞かれても……困る」

 エルニお姉ちゃんは見事な弱り顔である。

「あの、ひとつ聞きたいんだけど、エルニお姉ちゃんはこの夢の世界で、魔法についてわたしに色々とアドバイスをしてくれる人じゃなかったの?」

「いまのわたしはアホみたいに空を飛んでいるだけのようせいだぞ? 確かになずなの魔法のステッキはわたしが資源ゴミで作ったんだけど……」

「や、やっぱりこのステッキ、ゴミの集大成なんだ」

 でもエルニお姉ちゃんがくれたものならなんだっていい。それよりも気に掛かることがあって、わたしはエルニお姉ちゃんの言葉を遮り、珍しくえた頭で質問を続ける。

「だけどこのステッキを作ったのがエルニお姉ちゃんなら、魔法についての知識がないとおかしいような気がするよ?」

「う~ん、なんかな、こんな風に身体からだが小さいせいか、脳みそまでミニマムみたいで、肝心なことを忘れちゃったんだ。もう笑うしかないな」

「わたしもたまに肝心なことを忘れちゃって、この前のテストのときも笑うしかなかったんだけど、要するにいまのエルニお姉ちゃんには、魔法の知識はないってことだよね?」

「多少は残っているぞ。敵のことだって探索できる。そのステッキに念を込めて特別なじゆもんを唱えたら、魔法が発動することだって覚えている。でもどんな呪文だったのかもうさっぱりだ。どんなことが起きるのかもあいまいになっちゃった」

「……もし悪いやつと遭遇したら、わたしはこのステッキを武器に肉弾戦を挑むよ」

「もしかしてなずなも呪文を忘れちゃったのか? わたしはよく覚えていないけど、ほら、かおるんが一緒に呪文を考えてくれただろう?」

 かおるさんが? それっていつの話だろう? 思い出そうとわたしがあごに手を当てていると、背後からかすかに足音が響き、透き通った声が聞こえてきた。

「あっ、魔法少女のなずなちゃんと妖精のエルニじゃないか。こんなところでなにをやっているんだ? いつものパトロールかな?」

 パトロール? いいえ、ロックンロールです……なんてセリフはやっぱり間違いだよね。口走りそうになる言葉を抑えて振り返ったところ、視線の先にはひじりお姉ちゃんの姿。

 なにやらいつものりんとしたひとみにセクシーな色がかい見えたようにも思えたけど、あまり気にせず、わたしは今度こそクールを装い、平然と聖お姉ちゃんに言葉を掛ける。

「どうも、魔法少女として出張サービスに来ました。これから土蔵に潜む悪を退治します。でも土蔵の鍵が閉まっている上に、魔法の呪文を忘れちゃったのでもう笑うしかありません。すぐに思い出しますので、しばしご歓談でもしてお待ち下さい」

「……なんか、今日のなずなちゃんはかおるさんみたいだな」

 それならクールだ。満足してわたしがうなずく中、ひじりお姉ちゃんは笑顔で手招きをひとつ。

「なずなちゃん、こっちにおいで。土蔵の鍵なら私も持っているし、考え事もうちでした方がリラックスできて、なにか思い出せるかも知れないぞ?」

 その通りだね。言葉に甘えるようにわたしが近寄ると、聖お姉ちゃんはこっちの手を取って、そのまま庭から家の方に向かって歩き出す。

 わたしの肩に載ったエルニお姉ちゃんも「魔法少女にも休息は必要だな」と頷いてくれている。でもわたしはまだなにもしていないし、さっき薫さんに聖お姉ちゃんに会ったら注意するようにアドバイスされたけど……まあいいや。

「エルニ、居間にお茶菓子があるから、先に行っていてもいいぞ?」

 優しくエルニお姉ちゃんにお菓子を勧めてあげる聖お姉ちゃん。居間のお菓子を食べに行くつもりらしく、「この身体からだの本領発揮だ!」と、わたしの肩からツインテールの髪を羽ばたかせ、うれしそうに飛んでいくエルニお姉ちゃん。

 きっと聖お姉ちゃんも薫さんと同じで普段通りに違いない。

 聖お姉ちゃんの掌は柔らかくて温かくて、手をつないでいるだけでクールもどこかに飛んで行く。わたしは誘われるまま「にゃあにゃあ」と口ずさみながら聖お姉ちゃんの部屋にお邪魔して、今度は促されるままベッドに腰掛けたんだけど、

「──フフ、ようやくふたりきりになれたな、なずなちゃん」

 もしかしてわたしいま……ピンチなのかな? か聖お姉ちゃんは部屋に鍵を掛け、色っぽく舌なめずりなんかをしてベッドへとにじり寄り、吐息混じりにたずねてくる。

「なあ、なずなちゃんは魔法少女なんだよな?」

「頭に『クール』がついた魔法少女だよ。今日はお兄ちゃんたちを助けてあげるの」

「……やっぱりダメだ。可愛かわいすぎる。初めから我慢なんて出来るはずがなかったんだ」

「ひ、聖お姉ちゃん、我慢は身体によくないと思うけど……一体なんの話なのかな?」

「なんでもないんだ。気にしなくてもいい。ところでなずなちゃん、本物の魔法少女になるためには、一種の通過儀礼を通る必要がある事は知っているかな?」

「……ぞ、存じませぬ」

「それなら教えてあげるぞ。魔法少女の通過儀礼は──こうして襲われるという事だ!」

 言葉と共に聖お姉ちゃんはがばっとわたしをベッドの上に押し倒し、瞬く間に組み敷き、

「あぁ……どうしてなずなちゃんはこんなにも可愛いんだろう……ん、ちゅっちゅ……」

 芳しい花の香りを漂わせながら、さっきの強引な仕草とは裏腹に、わたしのほおに優しくキスをしてくる。だけどそのキスは頬だけじゃ済まなくて、額や耳や首筋……。

「って、聖お姉ちゃん、待って、んぁ、そんなところダメだよ」

「ごめんななずなちゃん。本当に我慢ができないんだ。んぅ、ちゅっ、赤くなったなずなちゃんも可愛かわいくて、その上魔法少女で……ちゅっちゅ、あむ……んんぅ……」

 止まってくれないまま、わたしの身体からだの色んなところにキスをしていくひじりお姉ちゃん。

 このとき思い出した。今朝お兄ちゃんとみなみさんが、聖お姉ちゃんはエッチな悪戯いたずらが大好きだと口にしていたこと。かおるさんが注意してくれたこと。

 ……聖お姉ちゃんも夢の中でおかしくなっているみたい。

 でも聖お姉ちゃんは包み込むようにわたしを抱き締めてくれて、キスもずっと優しい。これもただの悪戯なのかも知れないけど、ピンチであることに変わりはない。それでもわたしはお兄ちゃんの仕草を思い出し、懸命に平静を装った。

「こ、こら、やめなさい。悪戯好きのねこちゃんには、その、『めっ!』しちゃうぞ?」

「あぁ……背伸びしているなずなちゃんも……すごくいい……」

 思いっ切り逆効果だった。さっきのキスがさらに激しくなって、腕やふとももにまで滑らかなピンクの舌が伸びてきて、わたしは冷静さもなく控え目に声を掛ける。

「聖お姉ちゃん、わたしね、今日は魔法少女としての仕事があるの。そろそろお兄ちゃんたちを助けてあげないといけないから、このあたりで失敬させてもらってもいいかな?」

「ふふ、大丈夫だぞなずなちゃん。しのぶくんなら助ける必要なんてない。これから私とルナさんが一生面倒を見て、交代でたくさんお世話をしてあげるんだ。もちろんなずなちゃんも一緒だぞ? 魔法少女とひとつ屋根の下で暮らせるなんて夢みたいだな」

「そのときはエルニお姉ちゃんやマキナお姉ちゃん、それにお母さんも一緒に一つ屋根の下で──って、うわぁああ! 聖お姉ちゃん! そこにキスはやめて!」

「怖がらなくてもいいんだぞ? 女の子同士なんだから恥ずかしがることもないだろう? ほら、魔法のステッキを手から離して、そろそろ私にその身をゆだねてくれ」

 魔法のステッキ? その言葉にピンときた。朝から手にくっついたままのステッキ。きっとこのステッキも、こんなときのためにわたしのそばにいてくれたんだと思う。

 このままだとわたしは大変なことになる。もう一か八かだ。相変わらずじゆもんはわからなかったけど、わたしは魔法のステッキに力を込め、いつものセリフにおもいを乗せて叫ぶ。

「ううう~ん──にゃぁあああ!」

『ブー、呪文が違います』

 どうやら違うらしい。頑張って叫んだのに、魔法のステッキからはひとを小ばかにしたような声が返ってきた。でもわたしはめげずに再び声をあげる。

「フーズ・バッド!」

『ブー、BADなずにゃんでは魔法は使えません』

「そ、それじゃあ、バッチ・コイ!」

『ブー、ふざけるのも大概にしてください』

「…………実はわたし、あなたのことを尊敬しているんだよね」

『ブー、お兄ちゃん直伝の冗談は結構です。というか、ワタクシもパートタイムなので、いい加減にしないともう帰りますよ?』

「待って! そんなあっさりちゆうちよもなく行かないでよ! こう見えてもわたし大ピンチなんだから──って、にゃああ! ひじりお姉ちゃん! スカートをつかまないで! 言っておくけどね、この魔法少女の衣装はどんなに頑張っても脱がせられないんだよ!」

「うふふ、下着ならどうかな?」

 ……短い夢だった。もうダメだって気がする。それでもまだクールにいきたい。夢の中でくらいお兄ちゃんたちのことを助けて……あ、お兄ちゃんで思い出した。そういえば昨日寝る前に、かおるさんがえセリフについて教えてくれたんだ。

 頭の中を昨日の記憶が高速で駆け巡る。

 その途中……な、なんだか色んなことに気づいちゃったけど、いまはそれどころじゃない。聖お姉ちゃんの目がうっとりととろけている。相変わらずピンチは継続中。わたしは魔法のステッキを握り直し、伸るか反るかの一発勝負に出た。

「えっと……お兄ちゃんの彼女さんがうらやましいな」

 途端、こういった萌えセリフがじゆもんの言葉みたいで、魔法のステッキがまばゆい光を放つ。

 さらにステッキから無数のシャボン玉のようなものが次々と放出されて、それが聖お姉ちゃんの身体からだを包み込み、

「やぁあん、はぁああんん」

 シャボン玉が消えると同時に、聖お姉ちゃんはなまめかしい声をあげ、くるりと半回転してベッドに横たわり、悩ましく身をよじりはじめ……幻覚でも見ているのかな?

「んぁ、しのぶくん、すごい、やぁあ、耳はダメだ、うぅん、んぁああん、はぁはぁ、私ばかり気持ち良くなるのはいやだ。あぁん、忍くんのことも、ちゃんと気持ち良く……」

 ……この魔法のステッキ、法律に引っ掛かったりしないかな?

 聖お姉ちゃんはあでやかな吐息をもらし、もじもじとふとももを擦り合わせ……このまま放置なんてできそうにない。わたしは魔法のステッキをかざして、

「お、お兄ちゃんの布団、あったかいな」

 安眠できるようにとおもいを込めてみたら、ステッキから柔らかな光があふれ、それが今度は優しく聖お姉ちゃんの身体を包み、すぐにベッドの上から穏やかな寝息が聞こえてきた。

「……おやすみ。悪戯いたずら好きなねこちゃん」

 魔法の呪文は少しだけ照れくさいものだった。でも最後のセリフだけはクールに決めて、聖お姉ちゃんに掛け布団をかけ、わたしはさつそうきびすを返す。

 これでようやくわたしも魔法少女としての力を発揮できる。この力で早いところ事件を解決しないとまずいと思う。

 実はさっきのえセリフと一緒に思い出したんだけど……この夢、昨日かおるさんが語ってくれた話とそっくりだったんだ。魔法の力でへんてこになったみんな。ご奉仕メイドのマキナお姉ちゃん。クールすぎるお兄ちゃん。エッチなひじりお姉ちゃん。

 薫さんは自分のことを話さなかったから、わりとそのままで、エルニお姉ちゃんは望み通り空を自由に飛べてご飯もたくさん食べられる身体からだになっている。

 そんな話の中に、わたしの魔法少女という夢や、サクラちゃんの事とかが混ざっているんだと思う。だけど薫さん……ルナお姉ちゃんのことをなんて言っていたかな?

 不意にお兄ちゃんの部屋で見た、壁一面に書かれていた赤い文字が脳裏をよぎる。

 お兄ちゃんをさらっていったルナお姉ちゃん。一体いまどんな状態なのか。薫さんの話通りなら、多分ルナお姉ちゃんは……うっ、もう思い出したくない。どうか今回ばかりはルナお姉ちゃんと遭遇しませんように。

 そう祈りをささげ、直ちに土蔵の悪いやつを倒してお兄ちゃん達を、特にルナお姉ちゃんを元に戻そうと考え、わたしはステッキを握ったまま聖お姉ちゃんの部屋を後にする。

 と、廊下に出たところで、さっき別れたエルニお姉ちゃんと再会。なにやらエルニお姉ちゃんはミニサイズの身体にかぎのようなものを両手で持っていて、ツインテールの髪で空を飛びつつ、わたしの肩に緩やかに着地。続いて笑顔で口を開いた。

「なずな、さっき氷雨ひさめやみとりひきしたらな、うつろな表情で快く土蔵の鍵を貸してくれたぞ」

「……なかなかダーティーなお姉ちゃんだね。そういうのは嫌いじゃないよ。さあ準備も整ったことだし、早速土蔵に乗り込もう。これから説教タイムだ」

「またしのぶ風のなずなになったな。しばらくそのままで頼む。忍の代わりにボケと突っ込みを器用にこなしてくれ。それとなずな、もう魔法のじゆもんは思い出せたのか?」

悪戯いたずら好きなねこちゃんのおかげでね」

 ……ひょっとしたら、わたしはいま絶好調なのかも知れない。そんな状態のまま、肩に載ったエルニお姉ちゃんに事のてんまつを簡単に説明しつつ土蔵に足を運ぶ。でもその時、さっきの聖お姉ちゃんの言葉を思い出し、それが妙に引っ掛かり、次第に胸騒ぎがしてきた。

 確か聖お姉ちゃん『忍くんなら助ける必要なんてない。これから私とルナさんが一生面倒を……』とか口にしていたけど、なんでルナお姉ちゃんの名前が出てきたんだろう?

 聖お姉ちゃんの口振りから察するに、お兄ちゃんが攫われたことを知っている風にもとらえられるような、見当違いのような……口調はクールなのに頭がホットになってきた。

 オーバーヒートを起こす前に深く考えるのはやめて、でもイヤな予感を覚えながら、わたしはエルニお姉ちゃんとふたりで、悪いやつがいるという庭の土蔵へと向かった。

 ……こ、怖くなんかないよ?

 目的の場所。ひじりお姉ちゃんの家の庭の大きな土蔵。かぎを開けて中に足を踏み入れると、中は薄暗くてひんやりとしていて、かすかに白いもやみたいなものが掛かっている。

 なんでも肩の上のエルニお姉ちゃんの話によると、退魔士の家系ということもあって、ぎよう家の土蔵にはいわくつき、要するにのろいのアイテムみたいなものがたくさん封印されているとか。わたしも冬休みに土蔵の掃除を手伝って、お札のられた刀とかよろいとか見たから、その影響でこんな夢を見ているのかも知れない。

 もちろんわたしも夢の中でぐらい、引き続き涼しい顔で事件を解決したい。

 けれど、銀のツインテールを頼りに悪いやつの気配を辿たどっているエルニお姉ちゃん。その指示に従って土蔵の奥へと進んでいくと、遠くからピシッピシッとむちでも打つような妙な音や、だれかの低いうめき声まで微かに聞こえてきて、少しだけ不安になってくる。

 でもわたしと違って、エルニお姉ちゃんは平気みたいだ。こっちが魔法のステッキを強く握る中、エルニお姉ちゃんはあっけらかんとした顔でうそぶく。

「なんだか、いまにもゾンビとかが出て来そうだな」

「バイオでハザードな展開だね。でもいまのわたしにとっては心地いい空気だよ。ひどい武者震いが止まらないぐらいだもん。もうどんな相手でもバッチ・コイ!」

 見え透いた虚勢を張り、わたしはおっかなびっくり足を伸ばしたんだけど……すぐにさっきの発言を取り消したくなった。不意に前方からコツ、コツと、ハイヒールの怪しい靴音みたいなのが響いて、

「──ウフフフ、誰か入って来ちゃったんですか?」

 ひどくようえんチックな声がわたしの鼓膜を震わせ、

「聖さんじゃないですよね? 聖さんは交代の時間まで来ないはずです。となると、ふふ、お仕置きされたいねこちゃんが迷い込んで来ちゃったんでしょうか?」

 土蔵の白い靄の中から姿を見せたのは……ルナお姉ちゃんだった。

 やっぱり昨日の夜、かおるさんの話してくれた通りの姿だ。露出度の高いボンテージファッション。手には鞭なんかを装備していて、いつもは優しいエメラルドグリーンのひとみ。そこにSの色を輝かせているルナお姉ちゃん。

 思った通りみんなと同じようにすっかりへんぼうしている様子だった。ルナお姉ちゃんは普段のようにやんわりと微笑ほほえむこともなく、わたしにSの瞳を向けてくる。

「あらあら、誰かと思って来てみれば、魔法でなんでも解決できると考えているアホ娘のなずなちゃんと、同じくアホのようせいエルニちゃんじゃないですか。ふたりとも今日も見事なアホ面ですね。可愛かわいくていじめたくなっちゃいます」

「……や、優しくいじめてね?」

 じゃないよ。うっかり無抵抗服従するところだった。気を抜くと魔性の瞳に吸い寄せられそうになる。でもおなかに力を込め、わたしはなんとかぜんと返す。

「ル、ルナお姉ちゃんはどうしてこんなところにいるの? この先ここではハードボイルドな展開しか待っていないんだよ? 危ないからもう家にお帰り──」

「なずなちゃん、あなたはだれに向かって物を言っているんです?」

 ビシッとむちを床に打ちつけてわたしの発言を遮り、ルナお姉ちゃんは声を低くする。

「自分の立場を忘れたんですか? 敬語はどうしたんです? それと誰が質問を許しました? お仕置きされたいんですか? されたいんですよね? いいですよ。一度どっちが上か、その可愛かわい身体からだにきちんと教えてあげましょうね」

 生半可なクールなんかぶつけるんじゃなかった。普段はおっとりほんわかしているせいかな? ギャップが激しすぎて、その、つまり……ルナお姉ちゃんがものすごく怖い。

 肩の上のエルニお姉ちゃんも土下座の準備をはじめ、本気なのか冗談なのか、「こんなときのために、わたしは飛べるのかも知れない」と逃げ出す五秒前の顔をしている。

 そんな中、ふとルナお姉ちゃんは表情をいつものように柔らかくする。

おびえなくても大丈夫ですよ。私はなずなちゃんもエルニちゃんのことも大好きなんです。私の邪魔をしない限りは、ふたりにお仕置きなんかしません。それと特別になずなちゃんの質問にも答えてあげますよ。どうしてここに私がいるかですが……」

 一度言葉を止めたあと、ルナお姉ちゃんは爆弾発言をひとつ。

「この場所であれば、好きなだけしのぶさんを監禁できると思ったからです。色々と道具もそろっていますしスペースも広いですし、それにかぎだって掛けられますからね。これから私とひじりさんと交代でじっくりと時間をかけて慎重に花をでるように、忍さんを調教します」

「こ、この先ここでは、本当にハードボイルドな展開しか待っていないみたいだね。でもルナお姉ちゃんと聖お姉ちゃんは……ほんとにお兄ちゃんを監禁&調教なんてするの?」

「もちろんです。忍さんの身も心もとろけさせてとし尽くして、私たちなしでは生きられなくしてあげちゃいますよ。だから邪魔しないでくださいね?」

 お、お兄ちゃんにかつてないほどの危機が迫ろうとしている。これは絶対に助けないといけない。きっとエルニお姉ちゃんも同じ気持ちなんだと思う。少しの間静かだったエルニお姉ちゃんは人差し指を立て、提案でもするようにルナお姉ちゃんに交渉を持ち掛ける。

「なあ、ルナ……女王様。怖いからわたしたちは女王様の邪魔なんかしないぞ? ただ、ここで悪さをしているやつがいるんだ。そいつを退治したら、わたしたちはなにも見なかったふりをしてぐうちに帰る。だからそこを通してくれないか?」

「……そんなことを言って、私のすきねらって大好きな忍さんを奪うつもりですね? そうはさせませんよ。ここから先は一歩も通しません」

 あっという間に交渉が決裂。やっぱりこれはハードだよ。悪いやつを倒してみんなを元に戻す前に、ルナお姉ちゃんをなんとかしないといけないみたいだ。わたしと同じ結論に至ったのか、エルニお姉ちゃんも肩の上からそっと耳打ちしてくる。

「なずな、あの様子だとルナ女王様はでも動きそうにない。こうなったら魔法の力で、ソフトタッチに女王様をなんとかするしかないな」

「……うん、女王様にはお眠りになってもらうことにするよ。ひじりお姉ちゃんに使った魔法でいくよ。それじゃあ──お兄ちゃんのお布団、あったかいな!」

 じゆもんと共に魔法のステッキから柔らかな光が満ちる。それがルナお姉ちゃんに向かって飛んで行ってくれたんだけど、

「──悲しいものですね。力の差がありすぎるというのは」

 ルナお姉ちゃんは無造作にむちを一振り。それだけで魔法の力が一瞬でき消える。しかもルナお姉ちゃんはSのひとみをぎらつかせ、えんぜん微笑ほほえんでわたしを見つめてくる。

「なずなちゃん、私はねこ一匹の反逆も許しません。逆らう方は例外なくせつかんですよ。なずなちゃんとエルニちゃんに判決を言い渡しますね──お仕置きです

 ……早くも暗礁に乗り上げたよ。今日一番のピンチかも。さすがにもう余裕もなく、わたしは肩の上のエルニお姉ちゃんに助言をう。

「ど、どうしようエルニお姉ちゃん! わたしの魔法がちっとも通じないみたい!」

「落ち着けなずな! クールになるんだ! いまのなずなは魔法少女なんだぞ! ルナに打ち勝つ方法がひとつだけある!」

「そんな方法があるの? さすがはエルニお姉ちゃんだね! 早速教えて!」