すりすりと素足でオレのほおさすってくるルナ。しかし彼女自身も本当に踏むつもりはないみたいで、足の動きはとても優しく、こちらを気遣っているようにも感じられた。

 ひょっとしたらあまり怒っていないのかも知れない。相変わらずルナの足の動きはソフトなままである。だがしかし、彼女の言葉はちょっぴりハードだった。

「……踏まれているのに、しのぶさんは平気なんですか? ああ、ドMの変態さんだから耐えられるんですね。むしろ快感ですか? 本当に気持ちの悪い人です」

「マ、マジでやめて。頼むからそんなことを言わないでくれ……」

「どうしてです? 身体からだの方はこんなにもうれしそうですよ? お仕置きでこんなにも悦ぶだなんて最低のクズですね。もっと気持ち良くなりたいのなら、ちゃんとおねだりしないとダメですよ。『大好きなルナさん、もっとしてください』──って」

「あ、いや、オレは別に喜んでいるわけでは……」

「忍さん、ちゃんと『好き』って言ってくれないと、もう気持ち良くしてあげませんよ?」

 こちらの言葉を遮り、色香を漂わせてしためずりをするルナ。彼女はどこか期待するような目をしていたが……まさかこんなところで告白の言葉を口にする羽目になるとは思わなかった。鼓動が高鳴るのを感じつつも、オレはルナに小声で応じる。

「えっと、ルナ、お前のことは、その、なんと言うか、……だよ」

「聞こえません。もっと大きな声で、『大好きだ』と言ってください。そうしたら、もっと気持ちいいことが待っていますよ? 朝までお仕置きしてあげます」

「さ、さっきみたいなとうを朝まで続けるつもりなのか? そんなことになったらオレの心がへし折れちまうだろうが! お願いだから勘弁してくれ! お前のことは、その、大好きだ! ほら、これでもう十分だろう? そろそろ本当にやめてくれ」

「──はい。わかりました。朝まで気持ちいいことをしましょうね」

 か、会話が成り立っていないみたいだ。こちらががくぜんとする中、ルナは両脚を左右へと広げていき……今度は両の足でオレの頬をでてきた。

 もはや笑うしかない。

 ルナは両脚で上下左右にオレの頬を擦り、時折円を描くような動きを見せ、その度に身につけている着物が一層はだけていく。もう柔らかそうな白いふとももが完全に露出していて、その先にあるものがチラリチラリと……いや待て。これはおかしい。

 と、違和感を覚えた瞬間、先程母さんと交わした会話の内容を思い出した。

 そういえば母さんが言っていたな。ルナもマキナも『着物を着るときは下着をつけない』という冗談をみにしたらしく、彼女たちは下着を穿いていないとか……。

 つ、つまり、ルナは下着を身につけていないのにもかかわらず、先程からM字開脚の姿勢なんかを保っているわけだ。こいつはやばすぎる。瞬く間に動揺が強くなる中、こちらの視線に気づいてしまったのか、ルナはくすりと悪戯いたずらっぽく微笑ほほえむ。

しのぶさんはどこを見ているんですか?」

「いえ、これはその、なんと言いますか……」

「うふふ、可愛かわいい顔が真っ赤ですよ? 本当は気になっているんでしょう? ほらほら、こんな風に激しくしたら、ちょっと見えちゃうかも知れませんよ?」

 こちらの反応を楽しむかのように、わく的に足の動きを大胆にしていくルナ。

 ……ほんとにダメかも知れない。彼女が動きを強くするたび、こちらの身体からだの上に載っているおしりがぷりぷりとはじけ、さらに着崩れが激しくなったせいで、量感たっぷりの乳房が半分以上も顔を出し、そのまま誘うようにたゆんたゆんと揺れ動いている。

 理性がもつかどうか危うい状態だ。彼女のえんな肢体から目を離せない。そんなオレをじっと見つめ、ルナは吐息混じりに甘くささやいてくる。

「もし忍さんが『愛してる』って言ってくれたら……全部見せてあげてもいいですよ?」

「……ジュテーム、ルナ」

「あぁん、忍さん、私も愛しています」

 おっと待ってくれ。なんで色っぽくもあっさりと受けれてしまうんだよ。

 懸命に理性を振り絞って冗談を飛ばしたのにもかかわらず、期待した突っ込みもなく、まずいことにルナは迷いなく着物に手を掛け、先程のSのひとみはどこへやら。ほおを朱に染めながら、こちらが止める間もなく、オレの腰の上で着物を脱いでしまった。

 途端、たわわな乳房が無邪気に弾んで揺れ動き、ルナは頬を染めたまま、あでやかにまえかがみの姿勢を取る。

 すると以前Gカップと聞き及んだ彼女の美巨乳がゆっくり眼前に迫り、オレの鼻先で左右に揺れ惑い、またルナはこちらを見下ろし、声音を普段の優しいものに戻した。

「忍さん、踏んじゃったりしてごめんなさい。痛くなかったですか? やっぱり私、SMとか向いていないみたいで……こっちの方がずっといいです」

 柔らかな言葉と共に、ルナはぎゅっとまろやかな乳房をオレの顔に押しつけてくる。

「ふふ、忍さん、もう痛いことなんかしませんからね。今度は私のおっぱいで、たくさん気持ち良くさせてあげますよ」

 これが俗にいうところのあめむちというやつなのだろうか? よくわからなかったが、理性が壊滅的な被害を受けたのは事実だ。

 顔全体に押し当てられたふっくらとした乳房。それは恥じらいのためかかすかに熱を帯びていて、甘いにおいや魅惑的な弾性がたまらない。しかし大ぶりの乳房は見事にオレの鼻と口を覆ってしまい、もはや呼吸さえもままならなかった。けれどこれでいい。このまま酸欠でも起こして倒れてしまえば、ルナにおかしなことをする心配もないだろう。

「うぅん、忍さん、気持ちいいですか? はぁん、忍さん、大好きです、あぁん……」

 お、落ち着け。ルナは甘酒で酔っているだけだ。そんな相手に妙な気を起こしてどうする。このままなにもせず……おっ、ようやく意識がもうろうとしてきた。これなら大丈夫だ。

 しかしそれにしても、こんな調子でルナに気持ちを伝えることなんてできるのだろうか? 漠然とした不安を抱えたまま、オレはため息すらけずに意識を手放した。

     

 ……なにやら妙に心地いい。身体からだに当たる甘やかな感触。これはなんだろう?

 朧気な意識の中、目を閉じたまま手を動かすと、大きく丸みを帯びた何かが掌に触れたのだが……これはすごいな。柔らかく温かい上に、程よい重さとみずみずしい弾性がごたえの良さを生み出している。

 何度触っても飽きることがなく、しばし夢中で手を動かしていると、

「やぁん……しのぶさぁん……悪戯いたずらしちゃ……ダメです……あぁああん……」

 は、ははは、さすがに目が覚めちまったよ。でも覚めなければよかった。

 耳元で小さくあがったソプラノボイス。それを受けてなんとなく察しがつき、おそるおそるまぶたを開けたところ、視線の先では切なくまゆを寄せたルナの寝顔。か彼女は一糸まとわぬ姿であり、そのまま目を落とすと、オレはルナの豊潤な胸をわしづかみにしていた。

 しかもけて触っていたせいか、胸元の淡いピンクのつぼみがツンととがりはじめている。

 や、やっちまった──とベッドの上で絶叫しそうになったが、紳士らしくグッと耐えた。

 まずはよく思い出せ。確か昨夜はルナが酔ってSMの女王様で最後はおっぱいだった。

 ……やはりオレも冷静じゃないな。だけど少しずつ思い出してきた。そういや昨日、酔ったルナに胸を押しつけられて、そのまま意識を失ったんだったな。

 しかし、どうしてルナは裸で眠っているんだ? ひょっとして昨夜オレに胸を押し当てたあと、ルナもそのまま眠ってしまったのだろうか? 彼女はずいぶんと熟睡しているらしく、またどんな夢を見ているのか、

「いやぁん……忍さん……おっぱいばっかりダメです……んぅん……」

 などと悩ましく腰をくねらせ、つやのある寝言をもらしている。

 こんな姿を見ていたら、告白どころか昨日のように理性がおかしくなりそうだ。オレは素早くベッドの上で身体を起こし、そっと優しく掛け布団でルナの裸体を隠して一息つく。

 と、そこで、突然自室の扉がノックされ、

「忍君もう昼だYO! YO! せっかく帰ってきたのにいつまで寝ているんだYO!」

 聞き覚えのある懐かしい男性の声が耳に触れ、彼は短い間妙にいラップを刻み、

「……忍君、もう飽きちゃったから開けるよ?」

 相変わらず熱しやすく冷めやすいらしく、こちらの制止を待たないまま、笑顔と共にひとりの男性が部屋に姿を見せた。どこかなずなと似た顔立ちのやさおとこ。身に纏っている雰囲気は非常に柔らかく、いままで多くの女性がそのようぼうに心を惑わされたそうだ。

 なんじよういつき。オレの実の父親。おそらく昨日の電話通り、今日うちに帰ってきたのだろう。

 が、この状況はまずい。父さんもはじめのうちはさわやかな笑みをたたえてはいたものの、ベッドの上で穏やかに眠るルナを認め、かすかに目をしばたかせた。

「えっと、しのぶ君、そちらのお嬢さんなんだけど……」

「か、可愛かわいい彼女だろう?」

「まあ、ともえほどじゃないけど、金髪の愛らしい彼女が出来てよかったね。もしかして巴が話していたルナちゃんって……そののことかな?」

 言いながらルナに目を戻したと思ったら、か父さんは微かにまゆをひそめ、その表情から冗談を消した。だがそれもつか。父さんは普段のようにひようひようとした口振りでうそぶく。

「しかし金髪は底なしだってよく聞くけど、どうやら昨日は寝かせてもらえなかったようだね。お疲れさま忍君。あとついでにただいま」

「おかえり父さん。直ちに消えろ」

「……忍君はずいぶんと冷たいね。エルニとマキナちゃんとは大違いだ。さっき軽くあいさつしたんだけど、二人ともボクを歓迎してくれたよ? 見事なボケ返しと乗り突っ込みで」

 どうやらオレが寝ている間に、エルニとマキナと自己紹介を交わしたらしい。父さんは上機嫌な様子で口元を緩め、「ところで忍君」と話を振ってくる。

「今度半ば強引にエルニを出張先まで連れて行ってもいい?」

「どれだけエルニを気に入ったのかは知らんが──そのときはあんたを殺す」

「……なんて物騒なことを口走るんでしょうかこの子は。母親の顔が見てみたいわ。きっと天使みたいな顔をしているんだろうね。ちょっと確認してくるよ」

 久し振りに再会しても、やはり父さんの口調は適当で冗談混じりで、母さんへののろ以外はどれもうそくさい。けれど今日はいつもと様子が違うようだ。父さんは部屋のドアノブに手を掛けつつも再びルナに視線を投げ、非常に珍しいことに声音を真剣なものに変える。

「忍君、大切な話があるんだ。あとで少し時間をくれないか?」

「……断るに決まっているだろうが。その真面目まじめな顔に何度だまされたと思っている。またオレをってわけのわからない所に連れて行くつもりなんだろう?」

「残念ながら今回は違うよ。ボクがうちに戻ってきたのは、もちろん巴やなずなちゃんに会いたいというのもあったけど、一番の目的は、忍君と二人で話をすることなんだ」

「なんか怖いぐらい真面目な顔をしているけど……なんだよ話って?」

「いまここで言えることはひとつだけだ」

 こちらに背中を向けた、父さんはコホンとせきばらい。声音につやを乗せて告げる。

「ジュテーム、しのむん。もう大好き。どうでい、今夜辺り親子の垣根を越えて──」

 話の最中だったが、オレは無言で手元のまくらり寄せ、じんちゆうちよもなくそれを父さんに向かってぶん投げた。けれど予想通り、父さんは背中を向けたまま無造作にまくらはじき返し、オレの枕は上空でトンボを切りながら緩やかに手元へと戻って来た。

 案の定オレの攻撃など意に介さないみたいだ。父さんは「あとで話そうね」と平然とした様子で立ち去って行き……多分騒いでいたせいで目を覚ましたんだと思う。それまで眠っていたルナがむくっと身体からだを起こした。

しのぶさん、おはようございます……」

 わりと寝起きの悪いルナ。彼女はほわんと緩んだ表情で朝のあいさつをひとつ。続いてぼんやりと視線を巡らし、わずかな間のあと、自分が裸でオレと一緒にベッドにいるという状況に気づいたようだ。ひとみから眠気を飛ばし、困惑したように再び辺りを見回しはじめる。

「え? あら? どうして私、こんな格好で忍さんの隣にいるんですか?」

「……昨日のことは覚えていないのか?」

「えっと、昨日はみんなで甘酒を飲んで、それから私……何かしちゃったんでしょうか?」

 どうやら酔ったときの記憶がすっぽりと抜け落ちているようだ。やはりルナは酔うと記憶をくしてしまうタイプの人らしい。そんな彼女に事実を伝えるのも酷な話だろう。オレはルナに優しいウソをつき、深夜のことはあいまいに誤魔化しておくことにした……。

 そういえば……父さんの話ってなんだろう?

 あれから深夜の出来事をいんぺいしてルナに伝え、着替えのため部屋へと戻って行った彼女と別れたのち、オレは自室を出て階段を降りながら、あごに手を添えて思い返す。

 ……先程珍しいことに、あの父さんが真面目まじめな顔をしていた。もしかしたら言葉通り大切な話があるのかも知れない。

 けれど、父さんは一種のトラブルメーカーなのだ。また妙なことに巻き込まれる可能性も高いと思う。もし仮にそんなことになったら、ルナと話す機会がますます減り、彼女に気持ちを伝える日が一層遠のいてしまうような気がする。

 と、少し不安を感じていたところ、階段を降りたあたりで、一匹の猫と遭遇した。

 黄色と赤茶のしま模様を持った虎猫。我が家の飼い猫のカガリだ。きっと父さんと一緒に帰って来たのだろう。カガリはこちらを認めるなりぴょんと跳ね、緩やかにオレの身体を登って肩に載る。続いてねたようにひとのほおに猫パンチをかましてきた。

「……なんだよお前。再会の挨拶がそれか? 一体なにを怒っているんだ?」

 理由がわからずオレが首をひねっていたところ、廊下の曲がり角からマキナとエルニが顔をのぞかせ、二人はオレに気づくや否やそれぞれ涙目で声をあげる。

「ちょっと聞いてよ忍! カガリったら全然あたしたちと仲良くしてくれないの! ただおやつをあげようとしただけなのに、あたしのことを引っいたのよ!」

「わたしなんかみ付かれた上に猫キックまでかまされたんだぞ! その猫は少し変だ! カガリがなにを言っても『にゃあ』としか聞こえない! 動物の言葉がわからないだなんて生まれてはじめてだ! その猫にはなにか不思議なものでもいているんじゃないか!?

「はは、まさか。まあ自慢のかぎ尻尾しつぽならついてはいるがな」

 動物と話せるらしいエルニも、おそらく今日は不調なのだろう。あまり気にも留めず、オレはマキナとエルニの話を受け、ややあきれ気味に肩の上のカガリに視線を移す。

「なあカガリ、お前のそのしつ深い性格はなんとかならないのか? マキナとエルニになんてことをするんだよ。ちゃんとふたりに謝ったらどうだ?」

「にゃあ! にゃにゃあ! ふしゃああああ!」

 こちらの注意も聞かず、ビンタでもするように前足でオレのほおたたき、『この浮気者!』とでも言いたいのか、カガリは不満そうな鳴き声をあげ、不機嫌そうに立ち去って行く。

「……変な猫」

 肩をすくめてそうつぶやき、とりあえずオレは慰めるようにマキナとエルニの頭をで、そのまま廊下で立ち話をはじめた。なんでも二人が言うには、なずなはまだ部屋で寝ているらしく、やはりすでにマキナもエルニも父さんとのあいさつを済ませていたみたいだ。

 ちなみに父さんの印象だが、マキナいわく『ちょっとしのぶに似ている』で、エルニの方は『なずなに似ている』とのこと。

 まあそれはともかく。オレたちがそろそろリビングに行こうかと話していたところ、身支度を整えてきたのか、小さな足音と共にルナが階段から降りて来た。

 が、意外なことにルナは胸にカガリを抱いていて、か我が家の飼い猫は妙にしおらしい表情を見せている。というか、微妙に震えていた。

 そんなカガリの姿を認め、少し前に攻撃的な対応を受けたこともあるのだろう。マキナとエルニはそろって目を丸くしたあと、それぞれおずおずと口火を切った。

「あの、お姉さま……カガリに一体なにをしたの?」

「もしかしてわたしみたいに噛み付かれて、それで『めっ!』とかしちゃったのか?」

「え? 私はなにもしていませんよ? さっき部屋の前でばったり会ったんですけど、声を掛けたらすぐに仲良くしてくれました。大人しくていい子ですね」

 ……野生の勘ってすごいな。この家の新たなボスがだれなのか一瞬で見抜いたようだ。いまだにルナの胸の中で震えているカガリ。それにつられるようにマキナとエルニも震え出し、

「な、なんか、昨日のことを思い出しちゃったわ」

「もうルナにお酒を飲ましたらダメだ。逃げ遅れていたらどうなっていたことか……」

 昨夜酔ったルナになにをされたのか、若干顔をあおくする二人。そんなマキナとエルニを不思議そうに眺めるルナ。すきを見てルナの胸から逃げ出すカガリ。

 どうにも変な空気になってきた。ひとまずオレはルナたちを促し、みんなでリビングへと足を運ぶ。するとまず目についたのは、部屋のテーブルの上に置かれた見慣れぬ灰皿。おそらく喫煙者の父さんのために母さんが用意したものなのだろう。

 なんて考えながら視線を移すと、リビングのソファーの上で父さんが母さんにひざまくらをしてもらっていて、二人の姿はまるで新婚ほやほやのカップルのようにも思える。

 仲が良くて結構なことだ。なんかエルニは「お餅食べたい」とか言ってダイニングへと消えて行ったが、マキナは二人の様子を眺め、「ああいうのっていいわね」とつぶやき、そしてルナはといえば、父さんに目を向けつつ、控え目にこちらの服のそでを引いてきた。

しのぶさん、もしかしてあの人が……」

「おう、うちのアホで適当な父さんだ。もうエルニもマキナもあいさつを済ませたみたいだぞ? お前も一発ブチかましてきたらどうだ?」

「が、頑張ります!」

 わりと緊張しているのかも知れない。こちらのジョークに突っ込みを返すこともなく、ルナは大きく深呼吸をひとつ。それで心の準備を整えたらしく、彼女は迷いのない足取りでソファーへと向かい、母さんの膝枕を楽しんでいる父さんの前で深々と頭を下げた。

「は、はじめまして! 私はその──」

「ああ、君のことは知っているよ。君がうわさのルナちゃんなんだろう?」

 ルナの言葉を遮り、父さんは母さんのふとももから顔をあげ、か目つきを鋭くする。

ともえが言うには、料理が上手で気配りもできておしとやかで、忍君のお嫁さん候補ナンバーワンらしいんだけど、ボクが君に聞きたいことはひとつだけだ」

 一度言葉を切り、父さんは目つきをさらに鋭くして続ける。

「君は……忍君のなんなんだい?」

 父さんからの静かな問い掛け。それにルナは、ぐな笑顔で答えた。

「私は──忍さんの家族ですよ」

 以前までは自分のことを、オレの奴隷だなんて口にしていたルナ。そんな彼女の変化を、父さんは知らない。しかしルナのおもいを受けてなにを思ったのだろう? 父さんはなにかをあきらめたように「そうか」とかすかに笑い、懐から取り出した煙草たばこに火をつける。

 意外にもそこからは冗談もなかった。ただ穏やかにルナと言葉を交わし、紫煙をくゆらせ、しばしの談笑の後、父さんはおもむろに腰をあげ、オレに目を移して切り出す。

「こうして帰って来たわけだし忍君、せっかくだからボクと組手でもしないかい? そろそろジジイ相手のけいも退屈になって来たころだろう? いい加減ジジイもとしだからね」

「ジジイことじいちゃんなら、この前会ったとき『婆さんごめん、ワシいま絶頂期』とか口走って、門下生たちとメイド喫茶に……まあそれはいいか」

 おそらく組手はただのついでなんだろう。きっと父さんも、さっき口にしていた大切な話がしたいんだと思う。しかし父さんとの久々の組手だ。覚えず鼓動が速くなってくる。

 父さんが家を離れている間に色んなことがあった。オレはもう昔のように父さんや爺ちゃんを目指してはいない。自分らしく退魔の道を歩みはじめている。多分オレ自身も成長しているはずだ。果たしてその成長がどの程度のものなのか、一度確かめておきたい。

 父さんの誘いに大きくうなずいて返し、オレはひそかにこぶしを握り締めた……。

     

 鼻先をかすめる懐かしい煙草たばこにおい。口の中に広がる鉄の味。視界に映る澄んだ青空。

 父さんとの組手は完敗に終わり、庭の中央でしばらく寝転がったのち、痛む身体からだむちを打ってオレが上体を起こす中、父さんはこちらの隣に腰を下ろして煙草を吹かし、

「……まさか当てられるとは思わなかったよ」

 かすかに赤くれたほおを片手で押さえ、そのまましみじみとこぼす。

「しばらく見ないうちに、しのぶ君もずいぶんと成長したみたいだね。やっぱりボクと同じように……悪魔とやり合ったりしたのかな?」

 父さんが『悪魔』という単語を口にしても、特に驚きは感じなかったと思う。

 少し前、ひじりのうちで世話になる際、そうさんが色々と教えてくれた。父さんと宗悟さんが友人であること。父さんに退魔の才があったこと。宗悟さんの話を思い返しながら、オレは父さんの質問には答えず、軽く肩をすくめて返す。

「宗悟さんから聞いたよ。父さんも爺ちゃんも、昔は退魔士だったそうじゃないか」

「まあ、そうなんだけどさ……ボクもこの前電話で聞いたよ。宗悟ちゃんは忍君に退魔のけいをつけているみたいじゃないか。まったく、余計なことをしてくれたものだ」

「その口振りから察するに、やっぱり父さんは反対なのか?」

「……君がジジイの道場に戻ると言ったとき、ボクは反対なんかしなかっただろう? 今回もそれと同じだ。死ぬほど心配であることは確かだけど、忍君の気持ちを尊重するよ」

 煙草を口に含み、紫煙を吐き出しながら、父さんは「ただ」と言葉を続ける。

「忍君に言わないといけないことが、ふたつだけある。こうして戻って来たのは、忍君にそれを伝えるためだ。まずひとつは……」

 静かに言葉を止め、父さんは庭からうちのリビングに目を移し、わずかに口調を正す。

「ルナちゃん達の秘密を、ともえにも話すことだ。巴は何も知らない。退魔士のことも悪魔のこともだ。ボクがずっと隠してきた。危険に巻き込みたくなかったからだ。巴のために退魔士も辞めた。だけどもう、隠し続けることはできないようだね。さっきあきらめたよ」

 紫煙を吐き出すと同時にため息をつき、父さんは表情に苦笑を浮かべた。

「忍君も知っているとは思うけど、巴はバカみたいに優しい人だ。ルナちゃんにマキナちゃんにエルニ、あの達の母親にもなろうとしている。そんな人に、隠し事なんかしていていいのかい? ルナちゃんもマキナちゃんも……悪魔なんだろう?」

「……ルナたちのことも、そうさんから聞いたのか?」

「宗悟ちゃんも親切だからね。全部話してくれたよ。ふたりが放置してもいいタイプの悪魔だとも聞いていたんだけど……それは本当だったみたいだ。実はほんのちょっとだけ疑っていたんだよ。魅惑チヤームでも使って悪さをしているんじゃないかってね」

「ルナもマキナも、そんなことをするようには見えなかっただろう?」

「そうだね。マキナちゃんの乗り突っ込みは最高だし、それにルナちゃんの『しのぶさんの家族ですよ』って言葉にやられちゃって……これは早く忍君に伝えるしかないと思ったんだよ」

 苦笑を笑顔に変えて、父さんは柔らかく言葉を紡ぐ。

ともえなら悪魔だって受けれる。巴はそういう人だ。だからもう隠し事なんかやめて、全部話して、互いを理解して、本当の意味で家族になったらどうだい?」

「……心に留めておくよ。機会があったら母さんにも話してみる」

 こちらがうなずいて返すと、父さんは満足そうに微笑ほほえみ、二本目の煙草たばこに火をつけたのち、青空を見上げてゆっくりと切り出す。

「もうひとつだけ、忍君に話しておくことがある。ボクの失敗談だ。伝えるべきかどうか、ルナちゃんに会ってから決めようと思っていたんだけど、やっぱりあの言葉にやられちゃったみたいだね。これは話すしかないか……」

 ……父さんの話とルナとがどう関係あるのだろう? こちらが疑問に思う中、父さんは青空を見上げたまま煙草をくわえ、表情に苦味を乗せて語り出す。

「ボクはね、昔から本音を口にするのが怖くて、いつも冗談ばかりを言って、そんなことをずっと続けていたら……そばにはもう巴だけしか残ってくれなくなっていた。でもボクはそんな巴に気持ちを伝えることができなくてね。やっぱり冗談ばかりで、長い間不安にさせてきた」

 言いながら青空から視線を移し、父さんはじっとオレの目を見つめる。

「忍君、ボクと同じような失敗をしたらいけないよ?」

「……父さんがなにを言いたいのか、よくわからないんだが?」

「まあ要するに、女を待たせる男は格好悪いということだね」

 思い当たる節があったせいか、なかなか耳に痛い言葉だった。こちらが押し黙る中、父さんは再びうちのリビングに視線を向け、そのまま柔らかく目を細める。

「これでも色々と知っているんだよ? 巴が送ってくれた写真を見たり、巴の話を聞いたりしているうちに……こう見えても父親だからかな? 気づいちゃったんだよ。巴だってわかっている。忍君が、だれのことを一番おもっているのかをね」

「……それでさっきルナの名前を出していたのか」

 もう隠しても無駄だろう。こちらが小さくため息をつくと、父さんはそっとオレの肩に手を載せ、微笑をたたえて告げる。

しのぶ君、ルナちゃんは悪魔だ。人間とは寿命が違う。好きな人と一緒にいられる時間は、悪魔からしてみれば短いものだ。これはただの直観なんだけど、きっとルナちゃんは、その短い時間を一生の宝にするようななんだと思う」

 やんわりとした父さんの言葉に、ひどく胸が熱くなった。

「そんなルナちゃんに抱えきれないほどの思い出をプレゼントするのが、忍君にとってなによりも大切なことなんじゃないのかな? このまま迷ってばかりいて、短い時間を無駄に過ごしていたら……ボクみたいに格好悪くなっちゃうよ?」

 父さんは十分格好いいだろう──と、口走りそうになったがなんとかこらえ、オレはほおをかいて微苦笑を浮かべる。

「しかしまさか……父さんにまで背中を押されるとは思わなかったな」

「ん? ということは、ボク以外にもこんなクールな仕事をした人がいるのかい?」

「ああ、温かくて優しい人がな、またオレを支えてくれたんだよ」

 意外そうに目を丸くする父さんに、オレは軽く胸を張って答えた。

「オレも昔とは違う。いまは頼れる人がいる。支えてくれる人がいる。そんな人たちがそばにいてくれるのなら、オレはなんだってできると思う。大切な人だって守れるはずだ。だからはじめから……迷う必要なんてなかったんだな」

 胸の中でおもいがあふれる。もうなにも怖くないとさえ思えた。父さんはそんなオレを優しく見つめたまま、ゆっくりと立ち上がり、そっと話題を変える。

「忍君、しばらくうちで休暇を取ったら、ボクはすぐに仕事に戻ろうと思う」

「……なんだ、また出張なのか?」

「色々とやることがあるんだ。またしばらくは帰れそうにないから、家のことはよろしく頼むよ。今度はともえも連れていくからね」

「母さんを出張先に? そんなことはじめてだな」

「……ボクも安心したんだよ」

 表情を緩ませ、父さんは声音にぬくもりを乗せる。

「このうちにはルナちゃん達がいる。巴がいなくても問題はないはずだ。忍君を支えてくれる人はほかにもいる。もう巴が忍君を支える必要はない。ただ、なずなちゃんのことは、巴の代わりに忍君が支えてあげて欲しい」

「もちろんそれは構わないが……本気で母さんを連れて行くつもりなのか?」

「別に不安になることはないよ。さっき忍君と組手をしてわかったんだ。少し寂しいけど、君はボクの手を離れちゃったんだよ。もう一人前だ。今の忍君なら、ボク達がいなくても大丈夫だよ。逆にボクは巴がいないとダメだからね。これからは巴と一緒だけど……」

 背を向けて歩みを進め、その途中で格好つけて振り返り、父さんは人差し指を立てる。

「今度ボクとともえが帰って来たときでいい。ちゃんと巴に伝えるんだよ? ルナちゃん達のことを伝えて……それから本当の家族だ。あとついでに告白も頑張ってね。もしフラれでもしたら……大爆笑で応じてあげるよ。もしくは寝取り」

 シリアスな空気を無視して冗談をぶっ飛ばしてくる父さん。本来ならオレもしんらつな突っ込みで返すところなのだが、先程父さんにも背中を押してもらったばかりである。感謝の意味も込め、軽く手を振るだけにとどめていたのだが……それが不満だったのかも知れない。

 なにを思ったのか、父さんは庭からリビングへとダッシュ。間髪をれずに部屋の窓を開け、大きく息を吸い込んで両手をメガホンにするや否や、室内に向かって叫んだ。

「みんな! 大変だ! ボクと巴が留守の間に、親の目を盗んでしのぶ君がルナちゃん達にあんなことやこんなことをするつもりらしい! みんな気をつけて!」

 ……真面目まじめな状態が続かないのかあの人は。こちらがあきれ果てる中、父さんの妄言を受けてか、リビングの方からルナたちの騒ぎ声が聞こえてきて……これはひともんちやくあるかも知れない。オレはため息混じりにリビングに足を伸ばし、そのまま頭の片隅で考える。

 やはり父さんがうちにいる間は、告白なんてできないんじゃないだろうかと……。

     

 少しおおかも知れないが、まるであらしのような日々だった。

 我が家のトラブルメーカーこと父さん。在宅中彼は様々な騒動を巻き起こし、いつも以上に我が家はにぎやかになり、目まぐるしく時間が流れ……思った通り、ルナに告白する機会は訪れないままだった。

 けれど、父さんと過ごす日々が楽しくなかったといえば、それはウソになるだろう。

 冬休みの終盤。以前話した通り、父さんは母さんを連れて出張先へと旅立って行き、騒がしくしていた人が急にいなくなったせいか……夜になると、家の中が妙に静かに感じた。

 ただ、不思議と心は落ち着いている。静かな夜の中、次第におもいが固まっていく。ふと目を閉じると、脳裏をよぎるのは、ルナの柔らかな表情。素直に会いたいと思い、家の廊下を歩きながら彼女の姿を捜していたところ……かすかに子守うたが聞こえてきた。