悪戯いたずらっぽく笑い、そのままかおるんはオレに目を戻す。

しのぶ様、これもひじりちゃんの特訓のためですよ。おつらいでしょうが、頑張って鬼畜な悪代官役を務めて下さい。まあ自然体のままで十分でしょうけど」

「どういう意味だそれは。ひとを外道みたいに言うな。大体オレは紳士なんだよ。粉雪のように優しいイメージを持つオレが、抵抗できない女の子をどうこうすると思うか?」

「……ちなみに、どうしても訓練に付き合うのが嫌だとおっしゃった場合、忍様も聖ちゃんと同様に天井にるし、わたくしが拷問という名のサービスを施します」

「実はオレ、捕らわれの美少女に拷問するのが子供のころの夢だったんだよね」

 なんてうそはつぴやくを並べ立てつつも、やはり拷問なんてできそうもない。かおるんの目を盗んで聖の拘束を解いてやろう。オレはさつそうと聖の下へと足を伸ばした。

 すると下着姿の聖。彼女は頭の上で両手を縛られたまま、「……忍くん」と恥ずかしそうな、でも拷問に少し期待しているみたいな、なんとも複雑に揺れたひとみを向けてくる。

「──俺は、興奮した。学園のアイドルこと聖。そんな彼女が目の前で無防備な姿をさらしているのだ。きっと学園中の男子達もうらやむに違いない。今からアイドルの身体からだを思う存分好きにできる。まずはブラジャーを外し、窮屈そうにしているおっぱいを解放してやろう」

「おいこら変態メイド、ひとのモノローグをいやらしくねつぞうしてオレをあおるのはやめろ」

 注意と同時に振り返ったところ、いつの間に縄なんて取り出したんだ? 少し目を離しているすきにかおるんは両手に縄を持ち、それをむちのようにしならせて笑顔で告げる。

「忍様、聖ちゃんの拘束は簡単には解けませんよ? もし妙な仕草を見せた場合、直ちに忍様の身体も拘束して優しく吊るしてあげます。この機会に忍様がSかMか改めて調べるのも悪くないでしょう。今後の参考にして、色々と忍様を満足させてあげますからね」

 できれば気持ちだけ受け取っておきたい。拷問するのも吊るされるのもいやである。

 ……ひとまず聖に拷問するふりをしよう。そうすればかおるんのことだ。いつもの変態メイドっぷりを発揮して自分も拷問に交ざりはじめ、多分聖にセクハラでもして気を緩めると思う。その隙を突いて逆にかおるんを拘束。そして聖を解放。そのあと軽く説教だ。

 胸中で大きくうなずき、オレは聖に視線を戻し、演技をするように声音を変える。

「クックックッ、ついに退魔士の女を捕らえたぞ。一体どうしてくれようか」

「……優しくして欲しい」

 初っ端から無抵抗な退魔士も如何いかがなものか。赤いほおのまま瞳を揺らす聖。普段クールなだけに、彼女のそんな表情は少し新鮮だ。さらに改めてよく見てみると、無防備な下着姿で両手をあげている聖のポーズ。これはものすごく色っぽくないか?

 聖の手首から天井のはりへとぐに伸びた太めの縄。その縄のため両手の自由は利かないわけだ。やろうと思えばほんとになんでも……いやダメだよくない。頑張れオレの理性。ビシッと気を引き締めつつ、そっと聖のほおに手を添え、オレは声音を柔らかくする。

ひじり、本当にいやなときはすぐに言ってくれ。ちゃんとやめるからな?」

「うん、優しくしてくれるのなら……いいよ」

 心持ち聖がひとみを潤ませると、触れていたほおの熱が強くなり、わずかに動揺しながらも、オレはゆっくりと彼女の首筋に手を移動させてソフトタッチにでていく。

「ぁん……ちょっと……くすぐったいかも……」

 どこか甘い声をもらす聖。対してオレは胸元を避けて腰のあたりに指先をわせたのだが、彼女の細いウェストから伝わる感触を受け、覚えず軽く目を見張った。

 ……これはすごいな。れいに引き締まっているように見えても、その肌はとても柔らかで温かく、そして非常に滑らかだ。ずっと触れていたらやばいかも知れない。

 しかしかおるんを欺くためだ。オレは理性を奮い立たせ、指先をさらに下へと落としていき、躊躇ためらいを感じつつも、控え目に聖のふとももに手を伸ばす。

「あぁ……すごく大きい……しのぶくんの手……んぅ……」

 マッサージでも施すように、つややかに張りのある太腿をさすっていくと、次第に聖があでやかな吐息をもらしはじめた。おそらくこの辺りでかおるんも乗ってくるだろう。オレは様子をうかがおうとチラリと横目を向けてみたのだが……意外にもかおるんは冷静だった。

「忍様、それでは拷問になっていませんよ? 聖ちゃんなら怒ったりしないでしょうから、これぐらいやっても平気だと思います」と、素早く聖の背後に回り、かおるんは手本を見せるかのように……どうやら聖のおしりみはじめたようだ。

「やはぁん……か、かおるさん、いきなりお尻は……きゃん……」

「見えない忍様のためにご説明しますと、わたくしはいま聖ちゃんのみずみずしいヒップをわしづかみにし、いやらしくお尻を揉み回しています。きっと聖ちゃんは敏感なんでしょうね。わたくしが手を動かすたびに、お尻をびくんびくんと震わせています」

「うぁ……薫さん……ダメだ……あぁ……」

「これも訓練ですよ聖ちゃん。さあこのエッチなお尻を忍様にも見てもらいましょうね」

 えんぜん微笑ほほえみ、かおるんは縛られた聖の手首を片手でつかみ、もう片方の手で肩を押し、彼女をこちらへと振り向かせた。瞬間、見事な桃尻と共に目に飛び込んできたのは、柔らかそうな尻たぶ。多分かおるんが揉みしだいたせいで、黒のパンツがお尻に食い込んでしまったのだろう。こちらの動揺が強くなる中、かおるんは軽い乗りで話を振ってくる。

「せっかくですから、忍様も遠慮せずお尻を触ってみてはいかがです?」

「あ、いや、今日はおっぱいの気分だからいい」

 とつに飛ばした誤魔化しの言葉。それが最悪の結果を招いてしまったみたいだ。かおるんは聖の背中に片手を添え、もう片方の手で再び彼女を前へと振り向かせようとした。

 が、その際指先がブラのホックに引っ掛かったらしい。聖が振り返ると共にホックが外れてしまい、たわわな乳房が下着からこぼれて豊かに弾み、そのまま無邪気に揺れ躍った。

 途端、それに気づくなりひじりは真っ赤になって身をよじる。

「あぁ、おっぱい、恥ずかしい……」

 両手を縄で拘束されているせいだろう。聖がほおを染めて胸元を隠そうとしても、身体からだを左右に揺らすことしかできず、それと同時に再び乳房が揺れ惑い、ゆっくりと黒のブラジャーが道場の床へと落ちていく。これはいかん。早く隠さなければ聖に悪い。

 形の良い豊かな乳房。その先端部がほんのりと桜色に染まっている様を認めるや否や、オレは慌てふためいた挙げ句勢いよく手を伸ばし、自分の掌を押し当てて聖の両胸を隠した。これでよし。もうかんぺきだ。我ながらいい仕事をした──わけもなかった。

「はぁん……しのぶくんの手が……私の……んぁあ……」

「こ、これは驚きましたね。いまのは事故だったのですが、聖ちゃんの胸を見た途端に迷いもなくわしづかみですか。今日の忍様はワイルドですね」

「……ちゃうねん」と、動転のあまり思わず関西弁になってしまった。しかし無理もない話かも知れない。セクシーな下着姿や甘いおしりのあと、とどめとばかりに両胸まで見せられたのだ。こちらの理性だってぶっ飛びそうにもなる。

 そんな中、かおるんはさっとオレの背後に回り、耳元でささやくように声を掛けてきた。

「忍様、いまだに胸を触り続けている事ですし、そのままみ揉みといっちゃって下さい」

「いやいや、いくらなんでもそれはまずいだろう」

「これも訓練のうちですよ。それに聖ちゃんも以前、『忍くんにだったら強引に迫られてもいいかも』とおっしゃっていましたし、いやがったりなんかしないはずです」

 た、確かに聖はしゆう心に耐えるようにぎゅっと目をつぶってはいるものの、彼女の表情に嫌悪の色は感じられなかった。ほんとにいやがっていないのだろうか?

 なにやら次第に理性が危うくなってきた。その上かおるんを拘束するつもりが、逆にいま彼女に背後を取られてしまっている。これでは当初の目的を果たすのも難しいだろう。けれどいい加減に聖の胸から手を離そうとしたところ、

「忍様は本当にシャイですね。わたくしが手伝ってあげますよ。これもお礼のうちです」

 親切のつもりなのかも知れないが、再び耳元で囁くなりかおるんはひとの背中に美乳を押しつけ、続いてオレの両手と自身の掌とを重ね合わせ、こちらの身動きを封じてきた。

 これは以前、はじめて聖とデートをした際、ルナたちを交えてカラオケボックスで王様ゲームをした時のシチュエーションと少しだけ似ているかも知れない。あの日もかおるんにこんな風に身動きを封じられ、服の上から聖の胸を揉んでしまった。

 確かあの時、聖も特に怒ってはいなかったが、いまとは状況が違う。聖は縛られて動けない。身に着けているものもパンツだけである。そんな状態であるのにもかかわらず、かおるんがひとの掌越しに胸を揉んでいくと、

「んぁああ、忍くん、そんなにしたら、あぁあん」

 こりっと掌に甘く覚えた桜色のつぼみの感触。乳房の頂がダイレクトに手に触れている。さらに、オレの掌越しにかおるんが両胸の先端部を優しくこねながら、まろやかな果実をみ回しているせいか、ひじりの声がつややかに大きくなっていった。

「あぁああん、そこはだめだ、やめ……はぁあん」

 かおるんが乳房から軽く手を離すと、両胸の桜色の蕾。それがもっとして欲しいというように、大胆にもツンと顔をあげている。

「いやぁ、恥ずかしい、これ以上はだめ……あっ、あぁ、やぁあああん!」

 制止の声は最後まで続かず、途中できようせいのようなソプラノボイスが響いた。聖は背筋を反らして身体からだを大きく震わせ、悩ましく呼吸を荒くする。だがかおるんはまだ止まらない。

「もう、やめ……ぁあああ、んぁあああ」

 かおるんが手を動かすたび、聖はいやいやと首を横に振り、再び大きく身体を震わせる。

「うぅん……本当にダメだから……やめて欲しい……しのぶくん……」

 ……え? オレ? かおるんじゃなくて?

 切ない声をあげる聖。はたと我に返ってよく見てみると、彼女は色っぽくほおを上気させてはいたものの、ひとみまった涙がいまにもあふれそうになっていた。

 もしかしたらしゆう心のあまり思考が乱れ、涙のせいで視界がにじんでいることも手伝い、聖はこの一連のセクハラ行動はすべてオレがやっていると思っているのかも知れない。

 こ、これは止めなかったオレも悪いだろう。さすがに理性も持ち直し、すぐにかおるんを注意しようと思ったのだが、首を回して見ると、当の彼女は本来の目的も忘れたかのようにうっとりとした様子でセクハラを続け、止める間もなく、

「んぁああ、やだやだぁ、私また、あぁ、ああぁ、やぁああああん」

 先程以上に大きく背中を反らし、聖はびくんびくんとけいれんするみたいに身体を震わせ、

「……忍くん、ひどい……やめてって……言ったのに……」

 消え入りそうにつぶやき、あろうことかぽろぽろと涙をこぼして泣き出してしまい、そこでかおるんも我に返ったのだろう。素早くオレの背中から離れ、きまりが悪そうにおろおろと視線を泳がせたのち……冷や汗を浮かべてグッと親指を立てた。

「だ、大丈夫ですよ忍様。おそらく聖ちゃんは感極まると涙を流してしまうタイプなんでしょう。気持ち良かった証拠です。き、きっとれいな涙ですよ」

「……かおるさんの……バカ……」と、まさかの図星だったのか、聖はさらに涙を溢れさせ、オレは思いっ切り動揺しながらも、すぐさまかおるんに向かって叫んだ。

「あ、あれだ、えっと、その──縄を解いてやれかおるん!」

「──キーッ!」

 ひょっとしたらオレ以上に動転しているのかも知れない。かおるんは戦闘員っぽい甲高い声をあげ、ちょっとつまずきつつも聖の下へと移動。すると聖を見るなりなにかに気づいたらしく、彼女はこちらに視線を移して上擦った声をあげる。

「し、しのぶ様、申し訳ないのですが退出してもらえないでしょうか? まさかひじりちゃんがここまで敏感──コホン。なんでもありません。ここはわたくしに任せてどうか道場の外でしばらく時間をつぶしていて下さい。すぐに替えの──いえ、なんでもありません」

 かばうように両手を広げて聖の身体からだを隠しているかおるん。彼女の動揺した言動で色々と察しがついてしまったが、聖に申し訳ないのでオレは深く考えないようにした。

 それからかおるんの言葉に従い、直ちに道場を後にしてぎよう家の広い庭で気まずさを覚えつつも、特になにをするわけでもなく立ち尽くす。その間、着替えでも用意するためか、かおるんが道場と自宅とを行き来していたが、こちらは庭に突っ立ったままだった。

 ……聖だったら、ちゃんと謝れば許してくれるだろうか? 不安を抱えたまましばらく待っていたところ、どうやら着替えを済ませたようだ。道場の扉を開けて私服姿の聖が外に出て来た。ひとまず深呼吸をひとつ。オレは聖に目を向け、控え目に声を掛けた。

「聖、さっきはその……って、あれ? 聖? 聖さん?」

 お、おかしい。いままでこんなことは一度もなかった。聖はぷいっとそっぽを向き、無言でこちらの隣を素通りしてしまう。やはり怒っているのだろう。あんなことをされたらだれだって気分を害すはずだ。けれどなんとか機嫌を直してもらいたい。

 オレは声音から一切の冗談を抜き、彼女の背中にしんに言葉を投げた。

「聖、さっきは本当にすまなかった。お前があんなにも大きな声をあげて、激しく腰をくねらせて、何度も身体を震わせていやがっていたのに……ん?」

 な、だ。真剣に謝っていたのにもかかわらず、こちらの『大きな声』『腰をくねらせ』『身体を震わせ』という単語を聞くたび、背中越しに聖はビクッと肩を跳ね上げ、振り返ったときには真っ赤になっていて、その上涙目でキッとオレをにらんでくる始末。

「……もう知らない。忍くんなんて大嫌いだ」

 お、おお? あ、あら? なんか、目から熱いものがこみあげてきた。

 もはやジョークどころか言葉も出てこない。オレがぼうぜんしつとなる中、聖は再びそっぽを向いて立ち去って行く。と、そこで、道場の後片付けでもしていたのか、かおるんが額の汗をぬぐうような仕草と共に外へと姿を見せ、オレの顔を認めるなり軽く目を見開いた。

「し、忍様? どうしたんですか? いまにも泣きそうな顔をしていますよ?」

「……しのむん、もうおうち帰る」

「幼児退行!? 一体なにがあったんです? 聖ちゃんになにか言われたのですか?」

「なんかな、『忍くんなんて大嫌い』なんだって」

「そ、そんなバカな!?

 今度は大きく目を見開いた後、かおるんはオレの頭に手を載せ、安心させるように言う。

「大丈夫ですよ忍様。いまから聖ちゃんと話をしてきます。きっとすぐに機嫌を直してくれると思いますから、もう泣かないでくださいね? わたくしがついていますよ?」

「……なんか不安です」と、率直な感想を飾ることなく伝えたところ、かおるんは怒るどころか、「ん、ちゅっ」と慰めているつもりらしく、ひとのほおに軽くキスをひとつ。

しのぶ様、居間で待っていて下さい。すぐにひじりちゃんを連れて来ますからね」

 言葉と共にきびすを返し、さつそうと駆け出していくかおるん。かなり頼もしい。ここはいつたん彼女に任せよう。オレはぎよう家の居間へと足を伸ばし……こぼれかけた涙をぬぐうことにした。

 ──オレと聖は互いを支え合う仲だ。彼女とは信頼という名のきずなで強く結ばれている。だから聖なら、なにをやっても許してくれるだろう。

 なんて風に考えて、心のどこかで甘えていたのかも知れない。

 五行家での昼食時。広い居間には重い空気が漂っていて、オレとかおるんが時折もらすため息がそれに拍車を掛け、こちらの様子を見ていた氷雨ひさめちゃん。彼女は表情のない顔にかすかな心配をにじませ、聖の部屋の方角だろうか。天井を見上げてぽつりとつぶやく。

「……聖様、降りて来ませんね」

「無理もありませんよ氷雨ちゃん。『かおるさんなんか嫌い』だそうですからね……」

 残念ながら先程なんの成果もなく帰ってきたかおるん。彼女は氷雨ちゃんにあいづちを打って少し涙ぐみ、そのまま大きく肩を落とす。

「申し訳ありません忍様。特別訓練と称して忍様に楽しんで頂くつもりだったんです。それに聖ちゃんも以前、『好きな人にだったら、強くされてもいいかな』と口にしていたので、喜んで下さるかと思っていたのですが……」

 一度言葉を止め、かおるんは再びため息を挟む。

「はじめては優しい方がいいそうなんです。すっかり勘違いしていました……てへぺろ」

「そんな悲しい『てへぺろ』はじめて聞いたよ」

「計画通りにいかないのでこうもなります。聖ちゃんが敏感なのは知っていましたが、忍様の手が余程気持ち良かったんでしょうね。話を聞いた限り、胸だけで二回も……コホン」

「なんだ、二回もオレを殺したくなっちまったのか?」

「わかっている癖に冗談を言わないで下さい」

 冗談というよりも自虐である。つられるようにオレもため息をつき、氷雨ちゃんが「胸だけで二回?」と首をかしげていたが、かおるんは気に留める余裕もないらしく肩をすくめる。

「まあ要するに、少し気持ちいい程度なら『もう、忍くんのエッチ』で済んだのでしょうが、望んでいた優しい展開もなく、強引にものすごく気持ち良くさせられ、それがショックだったのか、聖ちゃんも『もう忍くんなんて知らない』となってしまったのでしょう」

「……オレも『知らない』と嫌われてショックだよ」

「先程わたくしも事情を説明したら、『嫌い』と……うぅ、ただ喜んで頂きたかっただけですのに。しのぶ様を半泣きにさせてしまった挙げ句、ひじりちゃんは部屋に引きこもったまま出て来てくれません……わたくしは忍様のメイドとしても聖ちゃんの姉としても最悪です」

「悪いのはお前だけじゃない。土下座なんかよせ。絶対にしないでくれ。いいか、確かにきっかけを作ったのはお前だ。しかしオレもお前を本気で止めようとしなかった。情けない話、夢中になって止められなかったんだよ。お前だけが悪いわけじゃないんだ」

 もっとオレの理性がきようじんであれば、きっと避けられた事態なんだと思う。だが起こってしまったことをこれ以上悔やんでも仕方がない。落ち込むのはもうやめだ。かおるんがいまにも泣き出しそうだったので、今度はオレが彼女の頭に手を載せる。

かおる、いまは嘆くよりも、これからどうするかを一緒に考えよう」

「忍様、なんとお優しい。さり気なく呼び方を変える辺りが最高です。そんな優しい忍様にお礼をするどころか迷惑を掛けたとなると軽く死にたくなりますが……そうですね。それではこれから聖ちゃんの機嫌が直る方法を一緒に考えましょう。しかしどうすれば……」

 感動したみたくひとみを潤ませ、けれどかおるんが悩むように首をひねったところ、

「──薫様、ここはわたしにお任せください」

 こちらの会話に耳を傾けていた氷雨ひさめちゃん。彼女が静かに口を挟んだ。

「わたしにひとつ考えがあります。これは昨日、荷造りを手伝う際、奥様から聞いたことなのですが……」

 かおるんを助けてあげたいのか、氷雨ちゃんは真剣な目をして語り出す。しかし話を聞く前からなにやら妙な胸騒ぎを覚え、失礼ながら嫌な予感しかしなかった。

 ……数十分後、予感通りよくないことが起きた。

 オレはかおるんに女装を施された挙げ句、メイド服まで着せられ、頭の上には猫耳カチューシャがちょこんと載っかっている。そんな状態のまま聖の部屋の扉の前に立ち、さらにこちらの両隣ではセクシーな猫と無表情なねこが互いににゃあにゃあと鳴き合っていた。

 なんでもみさきさんの部屋にあったとかで、かおるんはとら柄のセパレートを身に着け、おへそを見せながら虎柄のチョーカーや猫耳カチューシャ、猫手や尻尾しつぽまで装備していた。

 一方、氷雨ちゃんは黒のワンピース。猫手や尻尾やカシューシャも黒。銀の髪が黒の衣装に映え、猫みたいな格好ができてうれしいのか、本人もどこか満足そうである。

 しかし何故こんなことになってしまったのか。

 氷雨ちゃんいわく『落ち込んでいる人を慰めるのには、この衣装が最適だと、奥様がそう教えてくださいました。それにわたしたちが扉の前で楽しそうにしていれば、きっと聖様も興味をかれ、すぐに部屋から出て来てくれるでしょう』とのこと。

 またかおるん曰く『そういう事でしたら、聖ちゃんに忍様の猫耳メイド姿と、氷雨ちゃんの仔猫姿を見てもらいましょう。それで少しは機嫌もよくなると思います』とかなんとか。

 まあ確かにその可能性はあるのだろうが……なんだこの異空間? こんなことで本当にうまくいくのか? どうにも不安をぬぐいきれない。

 先程から猫になりきっているかおるんと氷雨ひさめちゃん。かおるんの方はオレの腕にしなやかな身体からだをすり寄せ、誘惑でもするようにつややかな鳴き声をあげている。けれど、それを見てもしつみ付くこともなく、やはり猫が好きなのか、氷雨ちゃんは上機嫌な様子。ずっとこちらに猫語で話し掛け続けていた。もちろんなにをしやべっているのかはさっぱりだ。

 しかし無視するのも心苦しいし、少しは合わせてあげよう。なんとか胸の中の不安を隠し、無言でひとの耳を舐めはじめるかおるんを放置しつつ、オレはグッと親指を立て「ニャア」とダンディーな鳴き声で対応。しばしクールに氷雨ちゃんと猫語で話をしてみた。

 すると、か氷雨ちゃんは会話の最中に無表情を明るく輝かせ、意外なことに「にゃあ!」と鳴き声を弾ませて抱き着いてきた。マジでよくわからんが、意図せず氷雨ちゃんと仲良くなれた気がする。ふと覚えた小さな満足感。かすかな幸せ。緩んだ自分のほお──それは次の瞬間、一気に消え去って行った。

「わ、私の部屋の前で……なにをしているのかな?」

 ある意味で作戦が成功。しかしあまりにもタイミングが悪すぎた。部屋から顔をのぞかせたひじり。彼女はこちらの様子を認めるなり目を白黒とさせ、かおるんも焦ったようにオレの耳から唇を離す中、氷雨ちゃんだけは計画が成功したと思ったのかも知れない。

 彼女はオレに抱きついたまま、心なしか口元を緩めて聖に目を向ける。

「聖様もどうですか? とても楽しいですよ──猫プレイ」

「ね、猫プレイ!? 私の部屋の前で猫プレイなんかをしていたのか?」

「はい。奥様に教えて頂いた猫プレイです。これは想像以上に心躍るものでした。先程なんかメイド服がよく似合うなんじよう様がわたしに『すごく可愛かわいいぜ』と言って下さったんです」

 ……一応断っておくが、オレは『にゃあ』としか口にしていない。けれど氷雨ちゃんの中でどんな会話が繰り広げられていたのか、彼女は微かに頬を染めて続ける。

「突然そんなことを言われたものですから、わたしも驚いて『本当ですか? わたしもかおる様みたいになれるでしょうか?』とたずねたら、南条様は『君の大きな胸に乾杯』と、クールに答えてくれました。わたしの胸が大きいと理解してくれたはじめての人です」

「し、しのぶくんがそんなことを……昨日会ったばかりの氷雨ちゃんに『すごく可愛いぜ』か。私と知り合ったころは『格好いい』みたいなことばっかりだったのに……」

 微妙な笑顔でドアノブを持つ手を小さく震わせる聖。対して氷雨ちゃんはどうしてか聖の豊かな胸元に視線を移し、「そういえば」と口を開いて爆弾発言をひとつ。

「南条様の『君の大きな胸に乾杯』で思い出したのですが、薫様が居間でおっしゃっていたんです。聖様は南条様の手が気持ち良くて、胸だけで二回どうにかなられたんですよね? 一体どうしたんです? それは胸が大きくなる事となにか関係がありますか?」

 な質問と共に、その場の空気が一瞬で凍り付いた。もはやオレも言葉を失い、かおるんなんかわいそうなぐらい目を泳がせている。そんな彼女を鋭くにらみつけ、ひじりは目に涙をたたえつつ、今度はその声を震わせた。

かおるさん、私がしのぶくんの手で……ちゃったこと、まさか話しちゃったのか?」

「…………て、てへぺろ?」

 こんな哀れな『てへぺろ』を見たのははじめてだ。涙目ながらも冗談を飛ばし、懸命に空気を変えようとしたのだろう。そんなかおるんのけなな姿に涙を催しそうになっていたところ──聖は無言で勢いよく部屋の扉を閉め、瞬く間に気まずい沈黙が広がっていった。

 ……これは終わったのかも知れない。オレとかおるんがそろってその場に崩れ落ちると、自分のせいだと感じたらしく、なんだか氷雨ひさめちゃんまで涙目になってしまった。

 繰り返しにはなるが、失敗をいくら悔やんでも仕方がない。問題はこれからどうするかだ。オレとかおるんと氷雨ちゃんは着替えを済ませたのち、揃って聖の部屋の前に再集結。聖がいつ部屋から出て来てもいいようにと扉の前で待機。三人で作戦会議を開始する。

 さて、これからどうしたものか。扉の前で腰を下ろしたかおるんと氷雨ちゃん。とりあえず彼女たちの意見を聞いてみようと思い、オレはふたりに視線を投げる。

「えっと、かおるんも氷雨ちゃんもなにかアイディアがあったら遠慮なく言ってくれ」

「はい! もう一度猫プレイで聖様の注意を引くというのはどうでしょう!」

 名誉をばんかいしたいのか、ビシッと手をあげる氷雨ちゃん。そんな彼女の頭に「氷雨ちゃん」と優しく手を載せつつも、かおるんはため息混じりに言葉を返す。

「残念ですが、猫さんはあまり効果がないと思いますよ。聖ちゃんは犬派なんです」

「こ、今後聖様とはくやっていけそうにありませんね! 犬のどこがいいんです! 怖い顔をしてよくわたしにみ付くんですよ!」

「……お前も怖い顔をしてよくオレに噛み付くじゃないか」

 肩をすくめてオレが弱々しく突っ込みを入れると、今度はかおるんが控え目に手を上げた。

「忍様、ひとつ確認したいのですが、一昨日の夜のことは覚えていますか?」

「忘れたくても忘れられねえよ。なんせお前と一緒にぎよう家に侵入したんだからな」

「いえ、そちらの方ではなく、我が家への侵入後、公園から戻ったあとのことです」

「……多分ずっと覚えていると思うぞ」

「あの、そんな赤い顔をされたらこっちまで恥ずかしくなりますが、わたくしがベッドの上で忍様に愛の告白をしたあと、さあこれからという時にルナさんが来たでしょう?」

「それはもう忘れたい。あと氷雨ちゃんがまた噛み付き体勢に入っている」

 しかしまだ噛まないということは、多少は懐いてくれたのかも知れない。今度『おっぱい大きいね』とお世辞でも言って褒めておこう。なんて考えていたところ、かおるんは本題に入るつもりなのか、心持ち表情を真剣なものに変える。

しのぶ様、あの後エルニさんも交えて明け方までお話ししたのですが、ルナさんはしばらくずっと涙目でしたよ。ねたように『冬休みなのに忍さんが構ってくれません。小説を話題にお話ししようと思っていましたのに、かおるさんと仲良くしていて』みたいな感じでした」

「その不満をSMプレイでぶつけられなきゃいいけどな」

しゆうくんのDVDのことなら謝ります。それよりも、忍様はルナさんになにをしてあげたんです? あんなにむくれていましたのに、その後ルナさんと会ったら、『忍さんとお話ししました』と笑顔でしたよ? どんな話をしたのかはわかりませんが、きっとルナさんと同じことをしてあげたら、ひじりちゃんも機嫌を直してくれると思います」

「……オレはなにもしてないんだよ。普通に『おはよう』とか言ったぐらいだ」

 肩を落とすと同時に、口から深いため息がもれた。

「なんかな、ルナはしつというよりも、『仲間外れはいやです』みたいな乗りなんだよ。不思議と聖にはよく対抗するけど、エルニやマキナ、それにお前が相手だと、なにかあってもわりとすぐに機嫌も直る」

「それは一体いつの記憶です? 先日の夜をきっかけにルナさんはわたくしにも対抗するようになりましたよ? 少し目を閉じて、これまでのことを思い返してみて下さい」

 かおるんに言われるまま目を閉じてみたところ、かルナの笑顔ばかりが浮かんだ。

「……やばい。なんかうちに帰りたくなってきた」

「どれだけルナさんのことが好きなんですか忍様は」

「いや、そうじゃなくて、なんかこうして目を閉じていると、やり残してきたことを思い出したんだよ。ルナと一緒に大掃除したり、マキナとなずなとゲーム、あとルナと散歩、それから母さんに奪われた小説を取り戻したり、エルニにご飯をおごったり、ルナと……」

 ……これはいかん。頭に浮かぶみんなの顔の中で、頻繁にルナが出てくる。

 気恥ずかしさを覚えてオレがほおをかいていると、話を聞いていた氷雨ひさめちゃんがかすかにひとみを揺らし、どこかうらやむように口を挟んできた。

なんじよう様には素敵な家族がいるようですから、ホームシックになってしまったんですね」

「……お前にも素敵な家族ができたんだ。オレの気持ちだってわかるだろう? お前がかおるんと会えなくて寂しかった時と同じだ──って、半分冗談だからまないでくれ」

 だがホームシックか。そうだとしたら恥ずかしい話だ。珍しく赤くなって攻撃を仕掛けようとする氷雨ちゃん。彼女の肩を押さえるかおるん。そんな彼女達の姿を眺めつつ、

「しかしあれだな、別にホームシックになったわけじゃないが、これからどうしようか。もし聖が迷惑だと思っているのなら、オレはもううちに帰った方がいいのかもな……」

 言葉に一抹の寂しさを乗せ、オレが苦笑いを作ったところ……もしかしたら扉の近くでこちらの会話を聞いていたのかも知れない。

 不意に部屋のドアが開いたと思ったら、廊下に飛び出して来たひじりか彼女は涙目で手を伸ばしてオレの腕をつかんだ。さらに半ば強引にこちらを立ちあがらせ、無言でオレを自分の部屋へと連れ込もうとする。

 が、突然なことの上に聖がこんなことをするのは珍しい。戸惑いが大きかったせいか、オレは部屋に入るや否やつまずいてしまい、聖に腕を引かれていたこともあり、その場で一回転。受け身を取って部屋の床に仰向けに寝転がった。

 その結果、こちらの腕を取っていた聖を引っ張るような形となってしまい……まずいことに、聖がオレに覆いかぶさるような体勢になっている。

 これはまたよくない展開かも知れない。少し不安になっていたものの……どうやらただのゆうだったようだ。やはり聖もオレたちの会話を聞いていたのだろう。

しのぶくん……帰っちゃ……いやだ……」

 ぎゅっとオレに抱きつき、聖は小さく身体からだを震わせた。

「せっかくうちに来てくれたのに、ひどいことを言ってごめん。もう怒ったりしないから、おびになんでもするから……まだ帰らないで欲しい」

「……お前がそう言ってくれるのなら、もう少しお世話になるよ。だけど悪いのはオレだろう? 聖が謝る必要なんかないと思うぞ?」

「そんなことない。忍くんやかおるさんに甘えて……意地悪をしちゃった……」

 おそらく、かおるんが気を利かせてくれたのだろう。部屋の扉が静かに閉まる中、聖はりんとしたひとみにじませ、かすかに声をかすれさせる。

「道場のことは薫さんがやったことだってわかっていても、自分があんなはしたない声を出すなんて知らなくて、やっぱりエッチな女の子だって、忍くんにそう思われたんじゃないかって考えたら、恥ずかしくてショックで、変に怒っちゃったままで……」

 少しだけ言葉に詰まったのち、聖はオレを抱き締める腕に心地良い力を込める。

「私がねても素っ気なくしても、忍くんや薫さんだったら許してくれる。愛想を尽かしたりしない。離れていったりしないだなんて考えて、心のどこかで甘えていたんだと思う。それで忍くんに『帰った方がいいのかもな』って、そんなことまで言わせちゃって……」

「もう謝らなくても大丈夫だからな?」

 やんわりと言葉を遮り、オレは笑みをこぼして続ける。

「確かに色々あって疲れはしたが……ちょっとうれしいことに気づいたんだ」

 なんだか胸の奥が温かく、自然と自分の声音が柔らかくなっていく。

「実はさ、オレも聖と同じなんだよ。聖ならなにをしても許してくれるんじゃないかって、そんな風に考えて、オレもお前に甘えていたんだと思う。だからお前ばかりじゃなくて、オレからもちゃんと謝らせて欲しい。こっちこそなんでもするから許してくれ」

「……それじゃあ忍くん……私のことを許して欲しい。もう少しだけうちにいて欲しい」

「お前は本当に欲がないな」

 気がつくとまた笑みがこぼれた。彼女のささやかすぎるお願い。それに笑顔でうなずいて応じると、ひじりは目に涙をめながらも、うれしそうにほおを染め、満面の笑みを見せてくれた。

 鮮やかな華のような笑顔。その微笑ほほえみにれつつも、オレは頭の片隅で思う。

 ひょっとしたらこの先、なにかのきっかけで聖とけんをすることがあるかも知れない。

 けれど、たとえ衝突したり言い争ったりすることがあっても、最後には今日みたいに笑い合える気がした。それにさっきわかったこと。オレが聖に甘えていたこと。聖もオレに甘えてくれていたこと。人から見たらさいなことかも知れないが、オレにとっては価値のあるものだ。おそらくオレはこれからも、聖のことを頼っていくんだと思う。

 ──ともあれ。これでなんとか問題も解決したわけだ。しばし聖の抱擁を受けたのち、オレたちはそろって部屋を出る。そしてそのとき聖がそっとつないだ手。その温かな手を少しだけ握り返し、オレは彼女とふたりで、かおるんたちの下へ向かった……。

     

 正直なところ甚だ遺憾である。

 昨日、問題がひとつ片付き、聖ときちんと仲直りできたわけなのだが、早くも新たな問題が浮上しはじめている。もちろんぎよう家での生活に不満があるわけではない。むしろ最高と言っても差し支えない程だ。ずっとここで暮らすのも悪くないだろう。

 昨日も聖との和解のあと、かおるんや氷雨ひさめちゃんも交えて楽しく過ごした。

 まあ、夜にはかおるんが『昼食後のサービスを忘れていました』とか言って笑顔でに乱入して来たときには焦ったりもしたが、五行家には道場もあるし風呂も広いし、その上メイドさんがふたりもいるのだ。もはや言うことなしだろう。

 ただ、非常に情けない話なのだが、どうやらオレは現在……ホームシック中らしい。

 多分、きっかけはかおるんがくれたDVDなんだと思う。おそらく聖との喧嘩中、オレが彼女の部屋の前でルナたちの話をしたこともあり、かおるんもこちらを気遣ってくれたに違いない。どうやら彼女は午前中にビデオカメラを片手にうちに顔を出したらしく、

『お散歩ついでになんじよう家の人々の姿を盗撮してきました。わたくしも皆さんの元気な姿をカメラに収めたいと思っていたのですが……うちに来てくれだなんて言って申し訳ありませんでした。今度うちでもブルマdayを作りますので許して下さい』

 と、妙な謝罪を残して自作のDVDをプレゼントしてくれたのだが、それを見てちょっとホームシックになってしまったのだ。

 夕日が差し込む五行家の居間。部屋にだれもいないのを確認したのち、オレはテレビの前に腰を下ろしてDVDをセット。最後にもう一度だけ見てからかおるんに返却しよう。そう心に決めてテレビ画面に目を移すと、早速かおるん自作のDVDがはじまった。

 まずは我が家の門からはじまり、庭先やリビングへと場面が移っていき、その間に姿を見せるオレの愉快な家族たち。彼女たちは母さんをのぞき……か皆ブルマ姿だった。

 かおるんだけではなく、ビデオカメラでルナたちを撮影している愚母を見る限り、間違いなく母さんが仕組んだことなのだろう。しかし何故オレが不在の時に限って、ブルマdayなんか作るんだ? 嫌がらせなのか? まさか大掃除の場にいないオレへの罰?

 さすがに我が家が恋しくなってきた。DVDに映る皆はとても楽しそうだ。マキナは紺のブルマに包まれた豊かなおしり。それを無防備にもふりふりと左右に振りつつ、鼻歌混じりにテーブルのそういそしんでいた。

 続いてエルニは細身の身体からだに体操着をまとい、元気一杯に窓ガラスを拭いていて、途中でかおるんの盗撮に気づいたのか、『しのぶの分まで掃除しておくからな!』とピースサイン。

 また妹のなずなは……いつものようににゃあにゃあ鳴いていた。氷雨ひさめちゃんといい友達になれそうである。そしてそんなみんなの中で、ルナだけが終始真っ赤だった。

 何故か彼女はサイズの合っていない体操着とブルマを身に着けていたのだ。

 どう考えてもサイズが一回り近く小さい。明らかにぴちぴちである。大ぶりの乳房がむっちりとした弾力を見せつけるかのように上着を突き上げていて、いまにも豊満な乳房がはち切れそうになっている上に、小さなおへそが丸見えである。

 しかもそれだけじゃない。ルナが穿いている赤のブルマ。その面積が足りないせいか、ブルマが彼女の美尻に食い込み……どうしてか下着が確認できず、甘やかなヒップが顔をのぞかせている。そんな悩ましい格好のルナはDVDの中で、撮影を続けている母さんと話しているみたいだった。

『と、ともえさん! お願いですから撮らないでください! 恥ずかしいですよお! 確かにじゃんけんで負けちゃった私が悪いんですけど、やっぱりサイズが合いません。さっきから胸もきついですし、お尻だって変に食い込んじゃって……』

『──下着が見えていやなのでパンツも穿けません!』

『そうなんです。絶対に見えちゃいますから──って、いまかおるさんの声がしたような?』

『きっと気のせいですよ。わたくしは風と共に去りぬです』

『え? 薫さんいるんですか? 巴さんもいま薫さんの声を聞きましたよね?』

『ルナちゃん、薫ちゃんならさっきから、うちでみんなのことを盗撮していたわよ? 多分忍あたりに見せてあげるんでしょうね』

 さすがは母さん。気配を消しているであろうかおるんに気づいていたようだ。

 ただ、撮られてしまうかもという心配があるせいか、ルナは赤いほおをさらに染め、それでもブルマの食い込みが気になるらしい。彼女は自身の細い指先を、お尻に食い込んだブルマの中に差し込み、時折ズレを直す仕草を……やはりこの盗撮DVDはまずいな。

 どうにも罪悪感があって最後まで見られそうにない。もっとも、途中まで夢中になっていたのは事実だ。けれど百歩譲って自室ならともかく、ぎよう家の居間でこんなDVDを見ていたら、色々と問題が──。

「えっと、ルナさんたちは大胆だな。かおるさんが驚くのも無理はないかも……」

 問題が……あっという間に起きてしまった。不意に背中越しにあがった声。DVDに熱中していて気づかなかったのだろう。ビクッと肩を震わせて振り返ると、居間にはひじりの姿。こちらが気まずさを覚えて沈黙する中、聖はかすかにほおを赤らめ、小さく頭を下げた。

「ごめんなしのぶくん。邪魔しちゃったみたいで……」

 いまの謝罪でなんとなくわかった。きっと聖は、たとえ男性の部屋でエロ本を発見しても怒らないタイプの女性なのだろう。オレはDVDを止めつつ、ほっと胸をで下ろす。

「見つかった相手が聖で良かったよ。これがもしかおるんだったりしたら……って、そういやかおるんはどうしたんだ? さっきから姿が見えないんだけど……」

「薫さんなら真剣な顔をして『やはり将来的にはルナさんたちと一緒に暮らすほかないですね。忍様がホームシックでは困ります』なんて言って、とある所に出掛けていったぞ。多分もうすぐ帰ってくると思う」

「べ、別にオレはホームシックではないが……とある所ってどこだ?」

「ふふ、いまは内緒だよ。それはそうとちょっと忍くんに話があるんだ」

 かはぐらかすように笑い、聖はオレの隣に腰を下ろし、やんわりと切り出す。

「忍くん、せっかくうちに来てくれたわけだし、何か私にして欲しいことはないかな?」

「──本だ。本をくれ。本さえあればオレは生きていける」

「う~ん、忍くんの場合は本だけじゃなくて、ルナさんも必要だろう?」

「なんだ、お前がそんな冗談を言うなんて珍しいな」

「……半分は本気だぞ? 忍くんは昨日も、ルナさんのことを考えていただろう?」

 どこか悪戯いたずらっぽい微笑ほほえみを見せつつも、聖はすぐに「それよりも」と話を戻す。

「本だったら薫さんの部屋にあると思うけど、忍くんは本当に本が好きなんだな」

「よく見た目と合わないとか、インテリヤクザとか言われるけどな」

「ご、ごめんな。私も最初は意外だったんだ。もちろんいまは違うぞ? 本を読む姿も様になっていると思う。やっぱり昔から本が好きだったのかな?」

 何気ない質問を受け、オレは「そうだな……」と目を細めて子供のころに思いをせる。

「確か本を読みはじめたのは、なずなが猫を好きになった頃あたりからだな」

「……それと読書となにか関係でもあるのかな?」

「まあ、シスコンみたいな理由で恥ずかしい話なんだがな」

 当時のことを思い返しながら、オレは苦笑混じりに続ける。

「子供のころ、なずなも好きになった猫のことをたくさん知りたかったみたいなんだよ。それで色々と聞かれて、オレも妹の質問に答えてやりたくて、本を読んで調べて教えてやったらさ、あいつが『お兄ちゃんすごいね』って目を輝かせて……それがうれしかったんだ」

 すごいと言ってもらえただけで、バカみたいに嬉しかった。

「なずなはあれでも一種の天才だ。勉強が苦手なように見えても、記憶力はものすごくいい。少し本気を出せばなんだって出来る。武術の才能だってある。そんな妹に比べて、オレは特別頭がいいわけでもないし、武術の才能もなくて、なにもできなかったからな……」

 静かに昔のことを語りながら思う。こんな自分の弱い所を躊躇ためらいもなく話せるのは、相手がひじりだからじゃないだろうかと。

「普通にやっていたんじゃあ、兄貴らしいことなんてなにもできない。だからせめて色んなことを学んで、妹に教えてやりたい──なんてのは建前で、本当は怖かっただけなんだ」

「どうして、怖いだなんて思ったんだ?」

 温かく聖があいづちを打ってくれたおかげかも知れない。やはり迷いもなく言葉が出る。

「兄貴なのになにもできないこんなオレを、いつかなずなも見放すんじゃないかと不安だった。じいちゃんの道場にいた連中と同じように、弱いオレのことを嫌いになるんじゃないかと思って、それが怖かったから、なんと言うのかな……」

 穏やかに言葉を選びながら、ゆっくりと居間の天井を見上げ、

「ずっとなずながそばにいてくれるような、そんな兄貴になりたかったんだよ」

 当時から変わらないおもいを、オレは柔らかく口にする。

「あんなにも弱かったオレのことを、なずなは『お兄ちゃん』と呼んでくれたからな。兄貴として胸を張れるように、色んな本を読んで勉強して、いつしかそれが楽しくなって……気づいたら読書が趣味になっていたって感じだ」

 少し照れくさい大切な思い出を語り終え、オレは軽く肩をすくめる。

「マジでシスコンめいた話だろう? 恥ずかしいからだれにも──」

 天井から視線を移し、『言うな』と続けかけたところで、思わず言葉が止まる。

 ほおに覚えた柔らかな感触。花びらのような甘い唇。聖からの温かい一瞬のキス。突然の口づけを受け、こちらの思考が止まる中、聖はどこか潤んだひとみでオレを抱き締め、

「ごめんなしのぶくん。どうしても我慢ができなかったんだ」

 こちらの背中に腕を回し、彼女は声音にぬくもりをあふれさせる。

「忍くんは、立派なお兄ちゃんだよ。なずなちゃんが大好きになる気持ちがよくわかった。すごいな。頑張ったんだな。なずなちゃんの傍にいられるようにずっと頑張って、必死で、それにいまも、なずなちゃんのときと同じように……ルナさんのために頑張っている」

 抱き締める腕に柔らかな力を込め、

「お爺さんの道場に戻ったのも、ルナさんのためなんだろう? 弱くてなにもできなくて、なずなちゃんと比較されて苦しくて、それでも負けずに、子供のころからずっと頑張って、ずっとおもってきたんだから、だからなしのぶくん……」

 かすかに震えた声の中には、確かな躊躇ためらいがあった。だけど、

「もうルナさんに気持ちを伝えても、いいんじゃないかな?」

 彼女の言葉には、痛いぐらいの優しさがにじんでいた。

「忍くんなら大丈夫だよ。ずっとルナさんのそばにいられる。守ることだってできる。いまの忍くんだったら、きっとなんだってできるはずだよ」

「……まだ、少し自信がないんだ」

 昔よりも強くなれたとは思う。それに自分のことだって好きになれた。だけどいまだに微かな不安と迷いが残っている。そんなオレの背中を押すように、

「忍くんは、忘れちゃったのかな?」

 そっとオレの不安を取り除くみたいに、

「私と忍くんは、互いに支え合う仲なんだぞ? 忍くんの傍には私がいる。もちろん私だけじゃない。かおるさんにエルニにマキナさん。皆が忍くんの傍にいるんだぞ?」

 変わらない優しさで、ひじりは言葉を紡いでいく。

「忍くんは私達のことを守ってくれた。支えてくれた。だから私達も忍くんのことを守りたい。忍くんの大好きな人のことなら、ちゃんと支えてあげたい」

 温かな抱擁をゆっくりと解き、だけど両手でオレの手を包み込み、

「もう忍くんは、一人で頑張らなくてもいいんだ。私達を頼ってくれていい。もしなにかあったら、私達だってルナさんを守る。私はまだまだ力不足だけど、薫さんやエルニやマキナさんはすごいだろう? 皆が傍にいれば、きっと忍くんはなんだってできるはずだよ」

 いつものれいりんとしたひとみで、聖はぐにオレを見つめてくる。

「だから忍くん、そろそろ前に進んでもいいんじゃないかな?」

 彼女の手から伝わるぬくもりが、胸の中の不安や迷いを徐々に溶かしていく。聖は本当に温かい。そんな彼女に「ありがとう」という言葉しか返せずもどかしかったが、それでも聖はほおを桜色に染め、うれしそうに口元をほころばせる。

「これは昨日忍くんに甘えたお返しだよ。私も薫さんと同じなんだ。忍くんのことを喜ばせてあげたい。だから今日は、ちゃんと忍くんが喜ぶことをしてあげるよ。多分もうすぐだと思うんだけど……」

 彼女の予感を裏付けるように、ふと玄関の方から響いた物音。それを耳にすると聖は「来たみたいだな」とオレの手を取って立ちあがり、微かな寂しさをたたえて微笑ほほえむ。

「実は父さん達が今日帰ってくるんだ。さっき電話があった。それで薫さんにルナさん達を連れて来てもらえるように頼んでおいたんだ。きっと玄関に行けばルナさん達に会えると思うぞ。これで忍くんのホームシックも治るな」

 珍しく冗談めかして笑い、聖はどこか名残惜しそうにオレから手を離し、静かにスカートのポケットを探り……中から出てきたのは、犬のキーホルダーがついた一本のかぎだった。

「うちの合鍵だよ。しのぶくんにあげる。これがあれば、一昨日の夜中みたいに、かおるさんから鍵を借りなくても大丈夫だ。なにかあったらいつでも会いに来て欲しい。頼って欲しい。絶対に力になる。前にも言ったけど……私はずっと、忍くんの味方だからな」

「いや、しかしさすがにこんなものをもらうわけには──」

 言い掛けた言葉は、ひじりの笑顔を見て、自然と消えていく。

 聖になら甘えてもいい。頼ってもいい。それに聖にも甘えて欲しい。次第に胸の中が熱くなり、オレはしっかりと聖から合鍵を受け取り、言葉におもいを乗せる。

「今度ちゃんと渡す。お前にもうちの合鍵を持っていて欲しい。これからもオレはお前を頼ると思う。だからお前も……いつでもオレに会いに来てくれ」

「うん……ずっと一緒に、頑張ろうな……」

 かすかにひとみにじませ、だけど普段のように華やかに歩みを進め、そっとオレの隣に並び、

「私の話はこれで終わりだ。早くルナさんに……会ってあげて欲しい」

 柔らかな声音で迷わずに、聖はやんわりとオレの背中を押す。

 ──前に進めそうな気がした。背中から伝わる優しいぬくもり。オレを支えてくれる温かな人。彼女に背中を押されるまま一歩踏み出し、オレはルナの下へと足を伸ばした……。