などと言いながらも一向に帰ろうとせず、いまもオレと一緒にリビングのソファーに腰掛け、こちらの肩にほおを預けて幸せそうに口元を緩めていた。

 美人な上に可愛かわいい姿である。帰宅を促すのもはばかられる程だ。しかし昼飯前にかおるんも『戻る』とメールをしたわけだし、そろそろ帰らないとひじりも心配するんじゃないのか?

 なんてことを考えていたところ、おそらく来客だろう。ふと玄関のインターホンの音がリビングに響き、それを耳にするなりかおるんはくすりと微笑ほほえんだ。

「ひょっとしたら、わたくしの帰りを待ち切れず、聖ちゃんが迎えにきてしまったのかも知れませんね」

「……案外聖もシスコンだからな」

 かおるん自身はジョークめかしてはいたものの、その可能性は否定できないと思う。

 来客に応じるべくオレがリビングから廊下に出ると、かおるんもついて来て「もし聖ちゃんだったら抱き締めてキスします。しゆうくんなら頭をでてあげましょう」などと大変に期待している様子であり、オレは微苦笑気味にそんな彼女を連れて玄関の扉を開ける。

 と、かおるんの期待通りそこには聖の姿。だが彼女の隣には意外な人物の姿があった。

     

 ……しかしまさかそうさんまで迎えに来るとは思わなかったな。

 ぎよう家の当主こと宗悟さん。なんでも彼はかおるんが留守の間、新しいメイドさん──氷雨ひさめちゃんと電話で少し話をしたらしく、そのとき聞いた彼女のさいな望み。それにこたえるため、昨日は家を留守にして出掛けていたみたいだ。

 ちなみに、かおるんと修君がけんのふりをしているということ。そのことに宗悟さんは最初から気づいていたようなのだが、まあそれはともかく。

 五行家の新しいメイドさんこと氷雨ちゃん。彼女の望みは、もう一度かおるんと会うことだったらしい。そんな氷雨ちゃんの話をする際、宗悟さんは優しくかおるんに目を向け、

『氷雨はずいぶんとお前に懐いているようだな。電話でもお前の話題ばかり振ってくる程だ。氷雨もお前に会いたいんだろうと思ってな。予定よりも少し早いが、今日からうちで暮らしてもらうつもりだ。昼前に氷雨を連れて戻って来た。氷雨もお前の帰りを待っている。当然、私もみさきも聖もしゆうもだ。かおる、そろそろ帰ってこい』

 と、そう口にして、それを聞いたかおるんはといえば、

『せっかくですから氷雨ちゃんに、しのぶ様のことを紹介しておきましょう』

 なんて言うが早いかオレの腕を取り、うちの玄関前にまっていた五行家の車。その車に半ば強引にひとを連れ込み、聖も宗悟さんもそれを苦笑で黙認。こうして現在オレは、宗悟さんが運転する車の後部座席に腰を下ろしていた。

 おそらくそうさんもかおるんに気を遣って、珍しく運転なんかをしているんだろう。また、かおるんは氷雨ひさめちゃんと会うことにもう迷いはないようで、落ち着いた様子でオレとひじりと話をしていて、三人で談笑を続けているうちにぎよう家の大きな屋敷が見えてきた。

 すると車の窓から、五行家の門の前に立つメイド服を着た少女の姿が確認できた。

 腰までぐに伸びた銀の髪。幼さを残した整った顔立ち。そして感情が抜け落ちてしまったような、ぬくもりが見受けられない表情。

しのぶ様、彼女が氷雨ちゃんですよ」

 かおるんの言葉を受け、改めて少女──氷雨ちゃんに目を向けたところ、いつから門の前で待っていたのだろう? 氷雨ちゃんは無表情ながらも心持ち落ち着きなく視線を頻繁に動かしていて、夕暮れの中でたたずむ彼女は、まるで迷い子のようにも思える。

 けれど、いち早くかおるんが車から降りて彼女の下に足を運ぶと、やはりあまり表情に変化はなかったが、氷雨ちゃんはかすかに目元を緩め、どこか安心したようにも感じた。

 聖も宗悟さんも車から出ようとはしない。オレと同じようにふたりは穏やかに彼女たちの様子を見守っていて、そんな中、かおるんは表情に笑みをたたえ、冗談も控えたのか、柔らかな口調で氷雨ちゃんに言葉を掛ける。

「またお会いしましたね、氷雨ちゃん」

「……はい。今日からお世話になることになりました。よろしくお願いします、かおる様」

「わたくしに、『様』なんてつけなくてもいいんですよ?」

 やんわりと温かく、かおるんは笑みを濃くして続ける。

「今日からわたくしは、氷雨ちゃんのお姉ちゃんになるんですからね」

「……お姉ちゃん……ですか?」

「そうですよ。わたくしだけではなく、聖ちゃんも氷雨ちゃんのお姉ちゃん、しゆうくんはお兄ちゃんですね。それから宗悟パパはお父さん、みさきママはお母さんですよ?」

「おっしゃっている意味が……わたしにはよくわかりません」

 戸惑ったように氷雨ちゃんがひとみを揺らすと、かおるんはそっと手を伸ばし、

「もちろんすぐには無理かも知れません。わたくしもそうでした。ですがこれからゆっくり、家族になっていきましょうね」

 柔らかな言葉と共に、かおるんが頭をでると、それまで変わらなかった氷雨ちゃんの表情に確かな変化があった。彼女が微笑ほほえむことはない。ただその瞳は徐々に潤みはじめ、

「……わたしは悪魔で……皆に捨てられて……もう二度と……それに道具に家族は……」

 ひどく声を震わせ、氷雨ちゃんは無理に拒絶しようとしたのかも知れない。けれど彼女の言葉が続くことはなく、かおるんは氷雨ちゃんを抱き寄せ、ぬくもりを乗せて告げる。

「今は何も言わなくて大丈夫ですよ。自分の気持ちを伝えたくなった時に、また話して下さい。ただ、これだけは覚えておいて下さいね。氷雨ちゃんが納得するまで何度でも言いますよ。あなたはもう道具ではありません。退魔の組織も、いつかわたくしとひじりちゃん、それにしのぶ様で変えてみせます。あなたは道具ではありません。わたくし達の家族ですよ」

 ──道具ではない。その言葉は、抱き締められたぬくもりは、もしかしたら子供のころにかおるんが、聖からもらってうれしかったものなのかも知れない。

 氷雨ひさめちゃんはまだ笑わない。泣くこともしない。唇を震わせて無表情を保っている。

 それでも、彼女たちの姿を眺めているうちに……なんとなく思う。確かにすぐに家族になるのは難しいかも知れない。けれど一緒に過ごした思い出と、言葉を交わした記憶が氷雨ちゃんの胸に残る頃には……家族になれるんじゃないだろうか。

 そんな予感は、次第に確信めいたものへと変わっていく。氷雨ちゃんはなにも言わなかった。それでもかおるんの抱擁に応じるように、躊躇ためらいがちに手を伸ばしはじめる。

「──大丈夫ですよ。もう、大丈夫ですからね」

 ふと、懐かしさを覚えた。昨夜オレが公園で抱き締めて頭をでた時のように、かおるんも氷雨ちゃんを抱き締めて優しく頭を撫でていて、そのぬくもりにあふれた彼女の姿は、よく似ているように思えた。七年前、幼いオレに大切なものをくれたあの人に──。