「夢なら覚めて欲しくないな。ずっとこのままがいい……」

 オレもこのままふとももに身をゆだねて現実逃避とかしてみたい。高級まくらのような心地よい弾力のある太腿。温かくていいにおいまでする。思わず状況も忘れそうになったが、それから聖は頭だけでなくオレのほおまでではじめ、次第に気恥ずかしさの方が勝っていく。

 そんな中、オレを撫でているうちに少し落ち着いたらしく、聖はこちらの頭に優しく手を載せ、やんわりと口を開いた。

しのぶくん、ひとつ聞きたいことがあるんだけど、いいかな?」

「オレがここに来たのはお前に会うためだ」

「うん、それはもうわかったよ。忍くんが甘えてくれているみたいですごくうれしい。でも私が聞きたいのは……かおるさんのことなんだ」

 かおるんならいま一階にいると思うよ? なんて言えたらどんなに楽なことか。こちらとしてはあまり触れて欲しくない話題だったのだが……多分、聖にとってはずっと気になっていたことなんだと思う。彼女はオレを撫でる手を止め、声音にぬくもりをにじませる。

「薫さんのメールを見る限りだと、忍くんのうちで楽しくやっているみたいなんだけど、どうかな? また変な悪戯いたずらをして、ルナさんたちに迷惑を掛けたりしていないか?」

「あいつを迷惑だと思うやつはうちにはいないよ。その辺りのことは心配しなくてもいい」

「……そっか。ルナさんたちも私と同じなんだ。よかった」と、そんな安心したような言葉とは裏腹に、聖はかすかに声を落とし、おずおずとたずねてくる。

「でも、薫さんならないと思うんだけど、少し寂しがったりしてないかな?」

「……そういうお前の方は、少し寂しそうだな」

 穏やかにこちらが言葉を返すと、肯定の意味なのか、聖は小さなため息をこぼした。

「なんだか最近変なんだ。いつもならこんな風に私が遅くまで起きていたら、薫さんが『また忍様をおもってひとりでエッチなことでもしていたんですか? 夜更かしは身体からだによくありませんよ?』なんて冗談を言いながらも、ちゃんと注意してくれて……」

 今度は声音に寂しさを滲ませ、聖はどこか甘えるようにオレの頬に手を添える。

「それでな忍くん、薫さん『どうせアホのしゆうくんも起きているでしょうから、仕方がないのでお夜食でも作りましょう』とか言ってちょっと笑って、修くんが好きなおを作ってくれるんだ。それを三人で一緒に食べて、それで……」

 ふと言葉は途中で止まり、少しだけ間を空けたあと、聖は再びため息をつく。

「やっぱり薫さんがいないと変なんだ。薫さんも家を出る前、ちゃんと私たちに相談してくれたんだけど、詳しいことまでは話してくれなかったから……」

「それは不安にもなるな。しかしなんだ、あいつはお前にも事情を話さなかったのか?」

「うん、なにかあったらしのぶくんを頼るぐらいしか聞いてない。だけどそれでもいいんだ。相談してくれただけでうれしかった。きっとかおるさんもなにかしようとしているんだと思う。一生懸命に頑張っているんだと思う。でも……」

 一度言葉を止め、ひじりはどこか淡く続ける。

「早く帰って来てくれないと……私も夜更かしばかりしちゃうかもな」

「そうか。やっぱりお前にとってかおるんは──」と、前から思っていた事を伝えようとしたものの、不意に階下から大きな物音が響き、さすがにオレは開きかけた口を閉ざした。

 ……ひょっとしたらかおるんになにかあったのかも知れない。なんかものすごく嫌な予感がする。そのうえ聖がげんそうにりゆうを寄せ、オレへのひざまくらを解いて立ちあがる始末だ。

「忍くん、ちょっと様子を見てくるから──」

「ま、待て! 早まるな聖! 相手が不審者だったらどうするんだ! もしお前になにかあったらかおるんに申し訳が立たない! 仮にお前を一人で行かせたりしたら色んな意味でかおるんにお仕置きされるかも知れん! ここはオレに任せて部屋で待っていてくれ!」

「えっと、少しおおじゃないかな? 多分しゆうくんあたりが──って、忍くん!?

 なにやら背後で聖が慌てたような声をもらしていたが、生憎あいにくこっちはもっと慌てている。聖を部屋に残して長い廊下を進み、オレは物音がした階下へと素早く足を伸ばした。

 ……どうかかおるんが妙な騒ぎを起こしていませんように。

 などという祈りもむなしく、階段を降りたところで目にしたのは、先程と同様に背中にリュックを背負ったかおるん。また中性的な顔立ちの少年、ぎようしゆうこと修君の姿があった。

 が、ほのかな灯りの中、修君は心持ち幸せそうに目を閉じ、安らかな死に顔みたいな表情を見せている。そしてかおるんはそんな彼を後ろから抱きかかえるようにして、ずるずると引きずっており、覚えずオレはぽかんと口を開け、そのまま間の抜けた声をあげた。

「え? なに? 殺人事件?」

「クククッ、見られてしまったからには仕方がありませんね。忍様も修くんと一緒に天国へと旅立ってもらいましょう。一人を殺せば殺人者! だが百万人殺せば英雄になれます!」

「……お前もなかなかテンパっているようだな」と、少し冷静になって口を挟んだところ、かおるんも「そうみたいですね」と同意するようにあいづちを打ち、早口で説明をひとつ。

「実は無事に目的を果たしたものの、居間に忍様の姿がなく、まさか本当に聖ちゃんのいに行ってしまったのではと思いまして、二階を目指して階段をあがっていたのですが、その途中でふと人の気配を感じて振り返ったら──そこにピーナッツがいたんです」

「お前弟に妙なあだ名をつけるなよ」

「まあ、おそらくピーナッツこと修くんも居間の大きなテレビでエッチなDVDでも鑑賞しようとしていたのでしょうが、階段で目が合った時には心臓が止まるかと思いました」

「……修君の方の心臓は止まってないよな? なんかよく見たらぐったりしてるけど?」

「このようなことでくたばるしゆうくんではありませんよ。ですが先程は動揺のあまりうっかり申し訳ないことに、つい階段から天空飛びひざりをかましてしまい、修くんは『白!』と叫ぶなり十カウントを待たずしてノックダウン。そしてこの様というわけです」

「ちなみにお前、今日の下着の色は?」

「いきなりセクハラですか──と言いたいところなのですが、お察しの通り純白です。それよりも修くんを部屋まで運ぶので手伝って下さい。きっとこのままベッドに寝かしつけておけば、おそらく修くんもいいメイドの夢を見たと勘違いして──」

 言いながらはたと動きと声を止めるかおるん。その気持ちは痛いほどよくわかる。

 会話の最中で間が悪いことに、一階と二階からほぼ同時に足音がかすかに聞こえ、それがどんどんこちらへと向かってくるのだ。オレの頭の中ではサメの映画『ジョズ』のBGMが鳴り響き、かおるんも目を泳がせてあたりを見回し、若干だが挙動不審になる。

「た、多分、みさきママとひじりちゃんです。こ、これは困りました。一体どうしたら……」

「……オレがなんとかしておく。早いところお前は逃げろ」

「いえ、ですが、さすがにこの状況でしのぶ様をひとり残すのは……」

 やはり気が引けるのだろう。相変わらず伸びたままの修君に目を落とすかおるん。そんな彼女の肩に手を載せ、オレは声音を作って笑顔で告げる。

かおる、こんな時のためにオレを呼んでくれたんだろう? オレはお前の期待にこたえたい。聖達ならいつもの冗談で煙に巻いておくから大丈夫だ。お前は先に外で待っていてくれ」

「忍様……わたくし……いつまでも待っていますからね!」

 こちらの乗りに合わせてくれたのだろうか? それにしては妙にほおを赤らめ、かおるんはドラマチックなセリフを言い残して立ち去って行く。

 するとその後すぐ、様子を見に来てくれたのか、二階から姿を見せた聖。彼女は階段下の修君を目撃したらしく、「しゅ、修くん!?」と目を見開き、階段から駆け下りて来た。

 一方、騒ぎを聞きつけてきたのか、一階の曲がり角からはひとりのようえんな女性が姿を見せる。かおるんの推測が正しければ、彼女が岬ママこと聖の母親なのだろう。確かに顔立ちは聖とよく似て整ってはいるが、うちの母さん並に若い。もしかしたら聖もあんな風にれいなまま年を重ねていくのかも知れないな。

 などと現実から目をらすようにそんなことを考えていたところ、聖は「修くん! しっかり!」と弟の介抱にいそしみ、対して聖の母親らしき人はこちらを認めると軽く目をしばたかせたものの、意外に騒ぎ立てることはなく、ぽんと掌をたたいてつややかに微笑ほほえんだ。

「わかったわ。聖をいしに来たのね」

「第一声がそれかあんた──ではなく、夜這いじゃないです。ただ遊びに来ただけですよ。えっと、岬さんでいいんですよね?」

「ええ、そうだけど、そういうあなたは忍君よね? 薫や聖の写真で何度も見たし、ふたりからあなたの話も聞いているわよ? ワイルドかつキュートな上にお茶目でありながらも優しい男の子なんでしょう? 見た目もクールで素敵ね」

「まあ、どこに行っても、それはよく言われます。あとはじめまして」

 こちらが動揺を隠して小さく頭を下げると、彼女──みさきさんは興味津々な様子で歩みを進め、ひじりが介抱中のしゆう君を思いっ切り踏みつけつつ、あでやかにオレのほおに触れる。

「ところでしのぶ君、さっき遊びに来たって言っていたでしょう? それはつまりプレイという意味なのよね? 今夜は聖とどんなプレイを楽しむつもりなの?」

「か、母さん! 恥ずかしいから変なことを言うのはやめて欲しい! それと修くん! 修くんを踏んでいるから!」

「あら? なんでピーナッツがこんな所にいるの? 早く部屋ではじけて死ねばいいのに」

 かおるんが使っていたものと同じあだ名で修君のことを呼び、かおるん以上の毒舌を吐き、聖の注意も聞かずに自分の息子をあしにする岬さん。そんな彼女はふと聖に目を向け、続いてこちらに視線を戻したと思ったら、今度は色っぽくウインクをひとつ。

「せっかくだから忍君──今夜はおやどんぶりでもいっとく?」

「いくかボケ! かおるんをさらにひどくしたような人だなあんたは──というのは冗談です。はい。夜分遅く失礼しました。これ以上は突っ込みという名の暴言を吐きそうなのでお暇させて頂きます。それから修君は階段で足を踏み外してこうなったみたいですよ」

 言葉じりにかおるんへのフォローも忘れず、とりあえずオレは修君を部屋のベッドまで運んだのち、足早にぎよう家を後にすることにした……。

 さて、一体どんなものが出てくることやら。

 五行家を出てすぐに外でかおるんと合流。続いてそのまま家に戻るかと思いきや、帰宅の途中で通り掛かった公園。そこに寄りたいとかおるんが言い出し、ここまで来たらどこまでも付き合ってやろうと思い、オレは彼女と一緒に園内に足を向けた。

 その後、園内の淡い電灯の下、オレたちはそろってベンチに腰掛け、現在かおるんは家を出る前に持参してきた小さなリュック。それをごそごそと探っている最中である。

 彼女が五行家に侵入した目的。そうさんの書斎から入手したかったとあるもの。果たしてそれはなんなのか。わりと興味をかれつつも、オレは柔らかくかおるんに声を掛けた。

「……お前の欲しかったものは、ちゃんと見つかったのか?」

「はい。これもすべて忍様のおかげですよ。わたくしだけではく行かなかったと思います。お礼に忍様にも見せてあげますね。どうぞご覧下さい。これが目的の品です!」

 言葉と共にかおるんが勢いよくリュックから取り出したものは……一本のDVD。

 表紙では、SMチックなボンテージファッション姿の女性が男性を見下すように踏みつけており、しかしそんな状態であるのにもかかわらず、その男性はこうこつとした表情を浮かべていて……ちょっと友達にはなれそうにないタイプの人みたいだ。

 が、問題はそんなことではない。さすがにほおが引きり、自分の口から低い声がもれた。

「……おい、なんだそのドヤ顔は。そろそろオレも少しだけ怒るぞ? お前はそんなものが欲しくてわざわざ家に侵入したのか?」

「あっ、いえ、下手な冗談でした申し訳ありません」

 素直に頭を下げたのち、かおるんは軽く肩をすくめて説明をひとつ。

「これは先程しゆうくんが後生大事に抱えていたDVDです。やはり居間のテレビで見るつもりだったんでしょうが、こんなものを胸に抱いて気を失っている姿をだれかに目撃でもされたら修くんが終わってしまうと思いまして、それでつい持って来てしまいました」

「修君がライトMって本当だったんだな。思いっ切りSMじゃねえか」

「……このDVDは付き合って下さった報酬としまして、しのぶ様に差し上げます」

「ずいぶんとオレも安く見られたものだな。そんな置き場に困るようなDVDなど要らん。報酬ならお前の笑顔だけで十分だ。ほら、さっさと目的の品でも見てにっこり笑え」

「……冗談っぽいことを言いながら、そんな風に微笑ほほえむのはずるいです……」

 いまの言葉がオレの本音だと気づかれてしまったのだろうか? かおるんは頬を桜色に染めてこちらから目をらし、DVDに続いてゆっくりとリュックから取り出したのは、分厚い一冊のアルバムだった。

 その表紙には『かおる』という簡素とも思えるタイトルが書かれていたが、これが目的の品だったらしく、かおるんは「そうパパとみさきママが撮ってくれたものですよ」と小さく口元を緩め、こちらにも見えるようにアルバムを広げていく。

 だけど、なんで急にアルバムなんて見たくなったんだ? 夕食前にオレのアルバムを見た影響だろうか? わずかな疑問を抱きつつも、ひとまず彼女と一緒にアルバムに目を落としていくと、そこには子供のころのかおるんだけではなく、幼い頃のひじりの姿も確認できた。

 ただ幼少時のかおるんは今よりもずっと無表情であまり愛想もよくない。しかしそれでも、小さな身体からだでメイド服を着た幼いかおるん。その姿を見ていると心が和み、だがそれを悟られぬよう、オレは彼女と同じぐらい心かれた小さい頃の聖の写真に視線を移す。

「うむ、聖は子供の頃から華があって可愛かわいらしいな」

「忍様、このアルバムの主役であるわたくしはどうです? 可愛いですか?」

「子供の頃からふてぶてしい面構えをしていると思う」

 率直な感想を述べつつ、オレは「ところで」とわりとマジなお願いをひとつ。

「お前らが一緒に写っている写真、一枚だけもらってもいいか?」

「ふふ、それでは忍様となずなちゃんが一緒に写っている写真と交換しましょう」

「もちろんそれはいいんだが、なんだかお前の写真、少し変じゃないか? よく見たらどの写真でもポーズを取ってない上にカメラにも目線を向けてないし、妙に自然体だな」

「わたくしは写真嫌いでしたからね。おそらくほとんどがみさきママの盗撮なんでしょう」

「……さっき岬さんとも会ったけど、お前ほんとにあの人の影響を受けちゃったんだな」

 なんてやり取りを交わしながらアルバムを眺めているうちに、オレはふとあることに気がつき、自然と小さな笑みがこぼれた。

「なんか、オレのアルバムと少し似ているな。お前のアルバムにも妹がよく写ってるぞ?」

「……おかしな話ですよね。小学校の友達に退魔の家のことがバレるまで、ひじりちゃんはいまと同じぐらい人気者だったんですよ?」

 アルバムを眺めたまま、かおるんは微苦笑混じりに「それなのに」と続ける。

「遊び相手ならいくらでもいましたのに、わたくしが仕事中でも、よく後ろをくっ付いて来てくれたんです。それからお手伝いまでしてくれて、それで聖ちゃんも家事が得意になったわけなんですが……どうしてあんなにも、わたくしのそばにいようとしたんでしょうね」

「いまならその理由も、よくわかるんじゃないのか?」

 そっと口を挟み、オレはアルバムに視線を移す。

「きっと聖もなずなと同じだったんだよ。写真を見ればオレだってわかる。お前と一緒にいるとき、聖はいつも楽しそうで、こんなにもうれしそうに笑っていて……ん? この写真だと聖が大泣きしているな。というかこの写真……」

 オレのアルバムの写真に写っていたシーンとどこか似ている。これも岬さんが盗撮したものだろうか? 家の庭先で大粒の涙をこぼしている幼い聖。そんな妹の頭をでている幼いかおるん。その少女には相変わらず表情がなくて、だけど妹の頭を撫でる手に迷いはなくて、そのひとみは……いまのかおるんが見せているものと同じだ。とても優しかった。

「……これはわたくしがはちに刺されたときの写真ですね」

「お前も刺されちまったのか?」

「はい。確かあのとき、聖ちゃんが蜂に追いかけられていまして、それで助けてあげようと思ったんです。けれど、『当たらなければどうということはありません』なんてふざけて、ほうきを振り回していたら……思いっ切り蜂に刺されてしまいました」

「はは、お前にしては珍しいミスだな」

「子供のころの話ですからね」

 多分、当時のことを思い出しているのだろう。

「あのとき、蜂に刺されてもなんとも思いませんでした。わたくしは半人半魔の悪魔ですからね。蜂に刺された程度でどうにかなるわけでもありません。ただ……」

 柔らかく目を細め、かおるんはアルバムの写真をいとおしそうに撫でる。

「珍しいことに聖ちゃんが泣き出してしまって大変でした。わたくしなら大丈夫ですのに、聖ちゃんは『痛くないか? ごめんな』ってすごく心配そうで、道具として泣くことを許されなかったわたくしの代わりに、おおなぐらいたくさん泣いてくれて……」

 わずかにひとみを揺らし、彼女はかすかに声を震わせる。

「子供のころからひじりちゃんは、こんなわたくしのことを、ずっとお姉ちゃんだと思ってくれていたんですね……」と、アルバムをじっと見つめて言葉を止め、短い間のあと、かおるんはこちらに目を向け、ゆっくりと切り出す。

しのぶ様、少し前の話になるんですが、新しいメイドさんを我が家に招く準備をして、それからはじめて彼女と会って……本当はそのときから、ずっと悩んでいたんです」

 ようやくうちに来た事情を話してくれるつもりなのか、彼女は静かに言葉を続ける。

「以前、マキナの生徒会選挙のとき、我が家で会議を行った際、わたくしは忍様に冗談で注意しましたよね? 新しいメイドのはとても可愛かわいらしい女の子なんです。くれぐれも手は出さないでくださいね──と」

「あのときは、約束はできない──と答えたと思うが、オレも冗談だからな?」

「……忍様は天然ジゴロなので心配です」

 ほんのりとジョークめかして、かおるんは穏やかに話を戻す。

「その新しいメイドさん──氷雨ひさめちゃんは本当に愛らしい娘なんですけど、わたくしと同じ半人半魔の悪魔です。きっと彼女にも色々とあったんでしょう。まだ十四歳だというのに、表情がなくてなかなか感情も見せてくれなくて、まるで機械みたいでした」

 言いながら表情を曇らせ、

「その辺りのことは、昔のわたくしと似ているのかも知れません。ただ、わたくしとお話ししているとき、一度だけでしたが、氷雨ちゃんが少し笑ってくれました。その小さな笑顔を見ていたら、不思議ともっと笑わせたくなって……そのときふと思ったんです」

 すっと目を閉じ、かおるんは声音にぬくもりを乗せる。

「もしかしたら、わたくしとはじめて会ったとき、聖ちゃんもこんな気持ちだったんじゃないかと。そう考えたら、聖ちゃんがわたくしにしてくれたことを思い出したんです」

 過去におもいをせるように瞳を閉じたまま、彼女は柔らかく言葉を紡ぐ。

「これから一緒に暮らして、赤の他人に過ぎないだれかを、大切な家族として受けれること。それは聖ちゃん達がわたくしにしてくれたことでした。氷雨ちゃんの笑顔を見ているうちに、わたくしも同じことがしたいと思ったんです」

 言葉と共にそっと目を開き、かおるんは「けれど」と苦笑を見せる。

「色々と思い返してみたら、わたくしはお姉ちゃんなのに、聖ちゃんにすがっているばかりで、姉らしいことがあまりできていないと思って、聖ちゃんやしゆうくんのためにも、これから妹になってくれる氷雨ちゃんのためにも、もっと立派な姉になりたいと考えて……」

「それでうちに来たのか?」

「わたくしは……もっと変わりたかったんです」

 こちらの問いにうなずきながらも、彼女は小さくこぶしを握り締める。

なんじよう家の皆様は、ルナさん達と血のつながりはなくとも、自然と家族だと感じることができました。そんなルナさん達を見ていれば、わたくしがルナさん達のような姉になれば、きっと氷雨ひさめちゃんも、喜んでうちの家族になってくれると思ったんです。ですが……」

 握り締めた拳をかすかに震わせ、かおるんは寂しそうにため息をつく。

「わたくしは変われないままで、ルナさん達のようにもなれそうにありません」

「……前にも言ったけど、お前の場合は、無理に変わらなくてもいいんじゃないのか?」

「どうしてですか? わたくしはもっとひじりちゃんに色んなことをしてあげたいですし、しゆうくんにだって、いつも意地悪ばかり言っていないで、もっと優しくしてあげたいです。それにこんなわたくしのアルバムを作って下さった、そうパパやみさきママにだって……」

 言葉を挟んだオレに、弱々しく反論を返すかおるん。そんな彼女を眺めながら、オレはもう一度温かく言葉を挟む。

「お前は、あまり自分のことが好きじゃないんだな」

「……しのぶ様のうちでお世話になってわかったのは、自分に足りないところばかりです」

「足りないところばかりか。お前も少し前のオレと同じことを考えていたんだな」

「忍様は……いつも自信満々に見えますよ?」

「お前と同じで、そう見えるように振る舞っていただけだよ。本当は自分に自信がなくて、弱い自分を知られたら、またみんなが離れていくような気がして、それが怖くて……」

 話しているうちに、オレも昔のことを思い出して、

「ガキのころはもっとひどかったな。弱い自分が許せなくて大嫌いで、こんな自分なんて消えてしまえばいいって、そう思ったこともある。だけどな」

 言葉を続けているうちに、今度は少し前に見た夢のことを思い出した。

「そんなオレにある人が言ってくれたんだ。弱くてもいいんですよ。弱いからこそわかることだってあるでしょう? ってな。それからこうも言ってくれた」

 ふと夜空の月を見上げると、七年前にルナがくれた言葉が鮮明によみがえってきた。

「弱いからこそ苦しんでいる人の気持ちが痛いほどわかって、傷ついて泣いているだれかを見たら、あなたはその誰かを放ってはおけない人なんだと思います。だって、妹さんのことでこんなにも一生懸命になって、私のことも怖がらないでいてくれて……」

 ……あの日ルナがくれたものを、オレは言葉にしてゆっくりと紡いでいく。

「あなたは自分のことが嫌いなのかも知れませんが、私はあなたのように、弱くても優しい人が──大好きですよ」

 あの時のことは二度と忘れたくない。大切な思い出を語り、オレはそっと視線を戻す。

「……自分の長所なんてよくわからない。嫌いな自分を好きになるのも難しい。だけどな、だれかが自分のいい所を見つけてくれて、こんな自分を好きだと言ってくれたら、少しだけ嫌いな自分を受けれられるんだと思う」

 視線の先、かおるんを見つめながら、オレは彼女にやんわりと言葉を掛けた。

ひじりだって、お前のいい所をたくさん見つけてくれたんだろう? 好きだって言ってくれたんだろう? 実はさっきお前のうちで聖に会ったんだけど、あいつも寂しそうにしていたぞ? お前がいないと、夜更かしばかりするかも知れないってさ」

「聖ちゃんが、そんなことを?」

「多分、子供のころと同じなんだろうな。きっとお姉ちゃんのそばにいたいんだよ。だからお前は、聖が大好きな姉のままでいい。無理してルナたちみたいにならなくてもいい。お前のアルバムを見たら、ますますそう思ってきた」

「……わたくしもアルバムを見て、大切なことに気づきました」

 かすかに声をかすれさせ、かおるんは小さく肩を震わせる。

すがってばかりいたと思っていたんですが、聖ちゃんもわたくしを頼ってくれていたんですね。子供の頃からわたくしは……聖ちゃんのお姉ちゃんだったみたいです」

「ああ、そうみたいだな。お前なら無理して変わる必要なんてない。きっとそのままでも、新しいメイドさんの姉にもなれると思うぞ?」

「そうでしょうか?」

「自信がないのなら、聖の代わりにオレがお前のいい所をたくさん言ってやる」

 いつもの冗談もなく、オレはしっかりとおもいを伝える。

「よく妙な悪戯いたずらもするけど、お前はシャイで可愛かわいくて、スタイルも良くて美人で、意外に気配りができて優しくて、作ってくれる料理も絶品で、一緒に冗談を言い合うのがすごく楽しくて、オレはそんなお前のことが……嫌いじゃない」

「……嫌いじゃないのなら、なんなんです?」

「そんなの言わなくてもわかるだろう?」

「ちゃんと言葉にして下さらないと……しのぶ様の場合はよくわかりません」

 れいな声を掠れさせたまま、どこかにじんだひとみを向けてくるかおるん。あまりこういうことは言いたくないんだけど、オレは頭をかきながら彼女に気持ちを伝える。

「聖のことがうらやましいと、何度も思ったことがある。オレもお前みたいなメイドと一緒に暮らせたらって考えて、それでお前がうちに来てくれたときはすごくうれしかった。だから、オレはそんなお前のことが……すごく嫌いじゃない」

「……わたくしも……忍様のことが……すごく……すごく……大好きです……」

 ひどく声を震わせ、滲んだ瞳から涙を溢れさせるかおるん。そんな彼女にそっと手を伸ばし、優しく頭をでながら……またあのときのことを思い出した。

 七年前、オレのことを好きだと言ってくれたルナ。彼女が笑顔でオレの弱さを受け容れてくれて、オレも嫌いな自分を少しだけ許せた気がして、もうこらえ切れず、いまのかおるんみたいに泣き出してしまった……。

 あのとき本当にうれしかったから、オレもルナと同じことがしたくて、泣いているかおるんを抱き寄せて、胸の中で彼女が泣きむまで、ずっと頭をで続けた……。

 公園からの帰り道。月明かりがふんわりと照らす住宅街。家路を辿たどりながら、珍しいことにかおるんは甘えるようにオレの手をぎゅっと握り、しばらく無言で歩みを進めていたが、不意に足を止め、そのままぽつりとこぼす。

「……しのぶ様、わたくしは明日にでも、自分のうちに帰ろうと思います」

「まあ、お前も大事なことに気づいて、それで悩みも解決したわけだしな」

 しかしもう帰っちまうのか。ちょっと残念だ。なんて言葉をこちらがみ込んでいたところ、かおるんはオレとつないだ手に少しだけ力を込め、かすかにほおを染めて口火を切る。

「忍様にだけは言いますけど、実はわたくし、なんじよう家に居心地の良さを感じながらも、次第に自分のうちに帰りたいだなんて、そんな風に思うようになっていたんですよ?」

「確かに元気がなかったように見えたが、お前でもホームシックになったりするんだな」

「恥ずかしい話ですよね。だんだん寂しくなってきて、もう忍様をさらってうちに帰ってしまいましょうか? いっそのこと南条家&ぎよう家で一緒に暮らせばすべて丸く収まるのでは? なんて妄想をしていたんです。けれど将来的には有りですよね?」

「有りの方向で頼む」

 わりと本気でオレがうなずくと、かおるんはくすりと笑みをこぼす。

「そんな風に楽しいことを想像しているうちに、ひじりちゃんは英語が苦手ですから、冬休みの宿題で困っていないか。しゆうくんは冬休みということで自堕落な生活を送っていないか。そうパパはまた仕事ばかりして無理をしていないか。みさきママはだれかにセクハラをしてまた迷惑を掛けていないか──と、気がつけば自分の家族のことばかり考えていました」

 言葉の中にいとおしさをあふれさせて、

「それで改めてわかったんです。どうやらわたくしは自分の家族のことが、忍様と同じくらい大好きで仕方がなかったみたいなんですよ。家族のことばかり考えて、なにかしてあげたいと思って……この気持ちがなによりも大切だと気づきました」

 迷いなく晴れやかに、彼女は表情に笑顔の花を咲かせる。

「昔のアルバムを見て、忍様もおっしゃってくれましたけど、たとえルナさん達みたいになれなくても、この気持ちがあれば姉としては十分でしょう。ですからもっと姉であることに自信を持って、氷雨ひさめちゃんを──新しい家族を迎えてあげようと思います」

「……いい答えを見つけたな」

「これも忍様のおかげですよ。今夜もわたくしがどんなに迷惑を掛けても、冗談は言っても文句は言わずに付き合って下さいました。それにわたくしのことがすごく嫌いじゃないと、そうおっしゃって下さいましたから……」

 言葉を止めてオレの腕に抱きつき、かおるんは耳元でささやくように告げる。

「帰る前にしのぶ様にお礼がしたいので、今夜部屋で待っていて下さいね」

「……寝ていたらごめんな」

 と、冗談で応じながらも、ちゃんと待っていてやろうと思った……。

 お礼がしたいと口にしていたが、かおるんはなにをしてくれるのだろう?

 深夜の長い散歩を終えて家の前まで戻ると、こんな時間なのにルナの部屋に電気がいていたのだが……まあそれはさて置き。

 とりあえず家の中に入ると、かおるんは「すぐに行きますから、寝ないで下さいね?」と念押しして客間に戻っていき、彼女の後ろ姿をいちべつしてからオレも自室に戻り、ベッドに腰を落ち着かせているわけなんだけど……なんだか少しわくわくするな。

 おそらくかおるんのことだ。まず、お礼にいに来ましたと冗談を飛ばすだろう。しかし楽しみなのはそのあとだ。こちらとしては別にお礼なんて必要ないんだが、ちょっと期待しているのも事実である。

 図書券とかくれたらうれしい。お勧めの本を貸してくれたらもっと嬉しい。間違ってもSMチックなしゆう君のDVDは要らない。などと考えてそわそわしていたところ、早速お礼に来てくれたみたいだ。小さく扉がノックされ、そっとかおるんが部屋に姿を見せた。

 が、彼女は細身の身体からだにバスタオルを一枚巻いただけの姿であり、予想していた悪戯いたずらとはいえ、芸術品のような見事なボディラインがはっきりと見て取れ、うっかりれそうになっていると、かおるんはこちらから目をらし、そのままほおを赤らめてつぶやく。

「……シャワーを浴びて来ました」

「うん、風邪を引くから早く服を着た方がいいと思うよ?」

「し、忍様に温めてもらうので平気です」

 そう言うが早いか、彼女はバスタオルのすそからチラチラと白いふともものぞかせながら歩みを進め、一体なにを考えているのだろう? ひとのひざの上に腰を下ろしてきた。ぷにぷにしたおしりの感触がたまらない。けれどオレは平静を装ってかおるんに言葉を掛けた。

「あの、もう時間も遅いし、そういう冗談はなしで頼む」

「……忍様のバカ」

 オレとしては悪気もなかったのだが、彼女はねたように言葉を返して両手を自身の膝の上に置き、まえかがみ気味に身体を倒す。続いてバスタオル越しに包まれた形の良いヒップ。それをこちらの膝の上で豊かに弾ませはじめ、オレは慌てて制止の声をあげた。

「だ、だから、そういう冗談はいいから、早くお礼に図書券か本をくれ」

 ……どうしてか、その言葉が逆効果になってしまった。

 こちらの言葉を聞くどころか、彼女はひざの上で悩ましく腰をくねらせてお尻を揺らしていき、まくれはじめたバスタオルからまろやかなしりたぶがあらわとなり、次第にあでやかな雪色のヒップが顔をのぞかせる。

 その白い桃尻はかおるんが腰を揺らすたび、高級プリンのようにぷるんと震え、さらに彼女は円を描くようにして甘いヒップをオレのふとももこすりつけてきた。

 あふれんばかりの弾力感。かおるんが時折もらすなまめかしい吐息。理性が崩れていくのも時間の問題だ。もはや平静を装う余裕もなく、さすがにオレは動揺の声をもらした。

「な、なんだ? なんでずっと無言なんだ? なにか怒っているのか? よくわからんが、頼むからそろそろ本当にやめてくれ」

 今度は切にストップを掛けたところ、ようやくかおるんも動きを止めてはくれたものの、こちらの隣に腰を下ろすや否や、すっとオレの後頭部に手を回し、そのままゆっくりとベッドの上で仰向けに寝転がってしまった。

 ……なんだこの体勢? まるでオレがかおるんをベッドに押し倒しているみたいじゃないか。かおるんは一体なにがしたいんだ? 若干だがげんに感じて目を向けてみると、意外にも彼女はほおを真っ赤に染め、かすかにひとみを潤ませていて……非常にあでやかだった。

 どうにも胸の中の動揺が強くなったが、オレは理性を振り絞って彼女に声を掛ける。

「あのさ、一応オレも男なんだぞ? お前は冗談のつもりかも知れないけど、これ以上はダメだ。オレが変なことでもしたらどうする?」

「……して欲しくて、わたくしは来たんですよ」

 ベッドの上で消え入りそうにつぶやき、

「大好きな人にして欲しいと思うのは、当然でしょう? 確かにお礼というのは建前です。本当は、さっき公園でしのぶ様がくれた言葉がうれしくて、頭をでてくれた手や、抱き締めてくれたときのぬくもりが忘れられなくて、これでも勇気を振り絞って来たんですよ?」

 潤んだ切れ長のひとみ。彼女はその瞳でぐにオレを見上げてくる。

ごろの行いが悪いのは認めます。ですが今夜だけは別なんですよ。このまま冗談で済まされてしまうのは……やっぱり少し悲しいです」

「……お前、本気なのか?」

 正直なところ戸惑いが大きい。自分の脈が速くなるのを感じていたところ、かおるんは静かにバスタオルを解き、ベッドの上で白く透き通った滑らかな肌をあらわにした。

 丸みを帯びた形の良い乳房。あでやかにくびれた細い腰。潤いを帯びたようにみずみずしい太腿。自身のすべてをさらしながら、かおるんはそっとオレの手を取る。そしてかすかに手を震わせ、こちらの掌を自身の胸元へと導き、表情に恥じらいをにじませたまま小さく言う。

「どうですか忍様。すごくドキドキしているでしょう? わたくしはしゆうくんもそうパパのことも好きです。ですが、胸がこんな風になる相手は、忍様だけなんですよ?」と、滑らかなほおをさらに染め、「忍様」といとおしそうにオレの名を呼び、彼女はささやくように続ける。

「今夜だけでもいいですから、わたくしにたくさん……して下さい……」

 ──シャンプーのにおいだろうか? ふと甘い香りがこうかすめ、理性が一瞬吹き飛んだような気がした。うっかり白い美乳の感触を確かめるように手を動かしてしまったところ、かおるんは「んぁ」と吐息をもらし、わく的に身をよじらせる。

うれしいですしのぶ様。その気になって下さったんですね。もっとして下さい」

「あ、いや、その、なんと言うか……」

「もしかして、はじめてでどうすればいいのかわからないんですか? そうでしたら、焦らなくても大丈夫ですよ? お姉さんが優しくリードしてあげますからね?」

 いかん。見事に理性が働いていない。ダメだと思っているのに胸から手が離せない。

 しかもかおるんは本気でオレに身をゆだねようとしているみたいだ。そしてオレも彼女のことが嫌いじゃない。それなら別にいいか──ではなく、やはり色々とまずいだろう。それにこんな所をルナに見られでもしたら困る。だれかオレを止めてくれ。

 などと胸中で慌てふためいていたところ、小さく自室の扉がノックされたと思ったら、こちらの返事を待たずしてドアが開き、

「忍さん、借りていた小説を読んだんですけど、すごく面白くて、これの続きは──」

 いまだけは一番会いたくなかった人。晩飯前にオレが貸した小説を胸に抱えたルナ。

 彼女にしては珍しく『入りますよ?』の断りもなく、なにやら興奮した様子で第一声をあげてはいたものの、オレたちの様子を認めるや否や、顔をあおくして胸に抱いていた本を床に落とし、目に涙をめながら声を震わせる。

「あ、あの、廊下で話し声が聞こえて、それで忍さんが起きているんだと思いまして、でもまさか……ひじりさんとじゃなくて、かおるさんとそんな関係だったなんて……」

「ま、待ってくれルナ。これはそうじゃなくて、その……ただのスキンシップなんだよ」

「ふぇええ~ん! 忍さんが思いっ切りウソをついています! 薫さんの胸を触りながらそんなことを言われても説得力がありませんよぉ!」

 今度は泣き出したと思ったら、ルナはきびすを返して「ふえ~ん! エルニちゃ~ん!」と我が家の頼れる次女に相談するつもりなのか、勢いよく部屋を飛び出して行ってしまう。

 一方、オレが扉に目を向けたままぼうぜんと固まる中、視界の端でかおるんが居住まいを正して先程解いたバスタオルを身体からだにあて、ぽんとこちらの肩に手を載せた。

「忍様、心配しなくても大丈夫ですよ。いまからきちんとルナさんと話をつけてきます」

「……お前、ルナになんて言うつもりなんだ?」

「わたくしは聖ちゃんと忍様のメイドとして生きます。正妻の座は聖ちゃんかルナさんにお譲りしましょう。ただしその代わりに、忍様のはじめてはわたくしが頂きます──と」

「実はオレ、はじめてじゃないんだよね」

「なにを言っているんですか童貞様──ではなく忍様、わたくしはすぐに戻って来ますので、少しの間待っていて下さい。ちゃんと忍様のはじめてをもらってあげますからね?」

 先程の恥じらいの表情はどこへやら。かおるんはいつもの悪戯いたずらっぽい微笑ほほえみを見せ、ルナを追い掛けるつもりらしく、意気揚々と部屋を出て行った。

 が、その後どんな話し合いをしたのだろう?

 明け方ごろ部屋に戻って来たかおるん。彼女は寝ているこちらを揺り起こし、「聞いて下さいしのぶ様! エルニさんが許してくれないんですよ! ルナさんの味方ばかりするんです!」と、本気なのか冗談なのか半泣きで愚痴りはじめ、かおるんが明日──いや今日帰ることもあり、オレはけながらもその愚痴にしばらく付き合うことにした……。

     

 ……こいつはいつ帰るんだろう? 夕日が差し込む我が家のリビング。ぎよう家に帰る準備を整えたらしく、部屋にはかおるんが持参して来た旅行バッグが置かれている。しかし、当のかおるんは昼食前にルナたちにお世話になりましたとあいさつしてから、

『いまひじりちゃんに家に戻る旨のメールを送っておきました』『なずなちゃんと遊んでから戻ります』『マキナとおしやべりを楽しんでからお暇させて頂きます』『やっぱり忍様が恋しすぎてもう戻りたくありません──というのは半分冗談です。ちゃんと帰りますよ?』