……どうやら先日の嫌な予感は外れてしまったらしい。
確かにはじめのうちは、かおるんが泊まりに来たこともあって少々騒がしかった。ただこの数日の間、うちで明るく暮らすルナたちを目の当たりにしてなにを思ったのだろう?
時折かおるんは表情を曇らせることがあり、さらにいつもみたいな悪戯を仕掛けることもなく、気がつくとよくひとりでため息をついていた。
明らかに様子がおかしい。そして
確かかおるんも本が好きだったはずだ。読書で多少なりとも気が紛れればいい。そう考えて客間に来てはみたものの、タイミングが悪かったのか、部屋にかおるんの姿はなく、ふと玄関のあたりから扉が閉まるような音が
……
ふむ、とりあえずかおるんがどこにいるのかふたりにも
ひとりは輝く
また、もうひとりの赤髪の女性、目の覚めるような
が、彼女たちは一体なにをやっているのだろう?
リビングであるのにも
果たしてこれからなにをするつもりなのか、ルナの背後に回っているマキナ。彼女はルナのブラジャーに手を掛けている上に、よく見たらブラのホックが見事に外れていた。
……かおるんを捜していただけなのに、こいつはとんでもない場面に出くわしてしまったな。うっかり抱えていた小説たちを床に落としてしまったところ、ルナとマキナはこちらを認めるや否や
一方オレは
「……すまん。邪魔をしたな。どうぞごゆるりと」
言いながらリビングのドアを半分ほど閉め、チラリと様子を
「待ってください
「ちょ、ちょっとお姉さま、そんなに動いたらブラが──あっ……」
ブラのホックが外れている状態のまま、オレを止めるためか勢いよく振り返るルナ。
察するによほど慌てていたのだろう。マキナの制止も
もう隠すものはなにもない。大ぶりのメロンを
さすがにこれはまずい。おそらくマキナもオレと同じことを考えたのだろう。彼女はさっとブラのホックから手を離し、後ろから
しかしルナの乳房は圧倒的なボリュームを誇っている。当然ながらマキナの小さな掌に収まるわけもなく、
……かなり際どくあでやかな手ブラである。
きっとマキナも動揺していたに違いない。彼女が手を離したことで白のブラがはらりと床に落ち、さらに両胸を
「やぁん……マキナ……そんなにぎゅっとしたら……うぅん……」
「あっ、ごめんなさいお姉さま、痛かった……って、すごいわねこれ」
謝罪の途中で軽く目を見張り、小さく感嘆の声をもらすマキナ。なにやら両胸の感触に心を
柔らかな乳房は波打つように揺れ惑い、マキナの手の
「んぅ、マキナ、もうおっぱいに
「大丈夫よお姉さま。どうせ忍のことだから目を
……はい。見てました。ごめんなさい。ついかおるんのことを
「……あたしが言うのもなんだけど、さっきから忍はドアの前でなにをしているの?」
「見ての通り芸術品の鑑賞中だ。悪いが静かにしてくれ。気が散ってしまう」
「あっ、邪魔してごめんなさい。どうぞごゆっくり──なんて言うわけがないでしょう! なにが鑑賞よ! ふてぶてしい顔をしてお姉さまの胸を見ているだけじゃない! もう部屋に入るなら入るでいいから、早くドアを閉めて後ろでも向いてて!」
……部屋に入ってもいいのか。なかなか寛大な処置だ。少し驚きつつも、オレは「ほんとすいませんでした」と頭を下げて背中を向け、言われた通りリビングの扉を閉める。そのついでに先程落とした小説たちを拾い、当初の予定通り後ろのふたりに質問を投げた。
「なあ、いつものようにいちゃついているところ悪いんだけど、お前らかおるんを見なかったか? 部屋にもいないみたいなんだが……」
「えっと、別にいちゃついているわけじゃないんですけど……入れ違いになっちゃったのかも知れませんね。
そいつはなんとも間が悪い。こちらが胸中でため息をつく中、話している間に着替えを済ませたらしく、ルナが「忍さん、もうこっちを向いてもいいですよ」と声を掛けてくれたので、ひとまずオレは扉の前で振り返る。
と、
どうかしたのか?
「さっきマキナとも話していたんですけど、やっぱり最近の薫さん、少し変ですよね?」
「まあ確かに、最近は変態メイドというよりも、憂いを帯びた
「少し前まで
一度言葉を止め、マキナはため息混じりに続ける。
「なにを思ったのか、薫ったら『わたくしならちゃらへっちゃらです』なんて冗談めかして、いきなりお姉さまのブラのホックを外したのよ」
「……あいつは服の上からホックを外したのか? だとしたらすごいテクニックだとは思うが、かおるんにしては下手な誤魔化し方だな」
しかしなるほど。それでマキナがブラをつける手伝いをしていたわけか。胸中でオレがひとり
「下手な誤魔化し方でも、あたしは気づかなかったのよ。つい普段みたいに『なにをしているのよ!』って怒っちゃったの」
「いや、そんな落ち込まなくても、別に注意ぐらいしてもいいと思うぞ?」
「でもあたしが怒ったら、あの薫が冗談も言わないで素直に頭を下げたのよ? その上しょんぼりしながら『お
「……かおるんがそんな風だと、確かに調子が狂うな」
軽く肩をすくめてマキナに
さて、マキナの話によるとかおるんは夕食の買い出しに行ったみたいだが……やはり近くの商店街だろうか? それなら散歩ついでに様子を見に行ってみよう。もしかおるんに会えたら荷物運びを手伝えばいいし、会えなかったら本屋にでも寄ればいいだろう。
などと考えていたところ、なにやらルナがテーブルに置いた小説たちに目を落としていたので、「気に入ったのがあれば、一冊持っていってもいいぞ」と声を掛けたのち、オレは早々に家を出て商店街に足を伸ばした……。
どこか物
あれから家を出てはみたものの、スーパーや商店街でかおるんとすれ違うこともなく、用事もないのに携帯で連絡を取るのもどうかと思い、仕方がないので本屋に顔を出し、こうして帰宅したわけなのだが……今度はどこで入れ違いになったのだろう?
買い出しから戻ってきたところらしく、視線の先ではスーパーの買い物袋を手にしたかおるんの姿。しかし彼女はなにをやっているのか、うちの門から
なんだか不審者みたいだな。苦笑をもらしてオレが歩みを進めたところ、かおるんもこちらに気づいたようだ。ふと彼女はオレに視線を移し、そのまま小さく会釈をひとつ。
「おかえりなさいませ
「ああ、ずっとお前の笑顔を捜していたんだ」
「はあ、それはご苦労様です……」
え? なにその反応? 普段のようにこちらの冗談に合わせることも鋭い突っ込みを入れることもなく、気のない返事と共に
ちなみに、現在我が家の庭にはルナが製作した花壇があり、おそらく手入れの最中なのだろう。かおるんの視線の先を追うと、庭の花壇の前には笑顔のルナ。また、彼女の隣で明るく
夕日を浴びて輝く銀の髪。それをツインテールに
そんなエルニはルナと一緒に花壇の前で腰を
「いまから楽しみですね。きっと春にはたくさんの花が咲いてくれると思いますよ」
「たくさん咲くのか。それは本当に楽しみだな。ところでその花……食べられるのか?」
「エ、エルニちゃん? そんな風にじっと見てもダメですよ? お
ちょっぴり慌てつつも、ルナはやんわりとエルニに言葉を掛ける。
「せっかく咲いてくれるんですから、食べるよりも見て楽しみませんか? おうちの庭に花が咲くんですよ? 明るくて華やかになって素敵だと思うんです。それを見て忍さんたちが笑ってくれたらって考えると、すごく幸せな気持ちになりませんか?」
「う~ん、今ちょっとその絵を想像したら、なんかこう、急に春が待ち遠しくなってきたぞ! まあ、わたしの頭の中はいつでも春なんだけどな!」
「暖かくていいですね」
「う、うん! ぽかぽかしていていいんだぞ! そのうち頭の中でも花が咲くかもな!」
にっこりと笑顔でエルニのボケをスルーしたルナ。おそらく本人に悪気はないのだろうが、エルニは
「ルナはよく花壇の手入れをしているけど、やっぱり花が好きなのか?」
「はい。心を込めてお世話をしたら、花も
「ルナの気持ちにならわたしだって応えるぞ? わたしのことも心を込めて愛してくれ」
花に対抗するように、ぎゅっとルナに抱きつくエルニ。
なにやらクリスマスの日を境に、あんな風に彼女もオレたち家族とスキンシップを取る機会が増えてきたような気がする。そんなエルニの変化を受け、抱擁に応じるみたいにルナは彼女の
「エルニちゃん、実は私、花は見るのも育てるのも大好きなんですよ? エルニちゃんは
「それだと
小さく
「それならルナにも見せてあげたいな。わたしはこれまで世界各地を旅してきたんだけどな、ある所で
両手を目一杯に広げ、エルニは頬を緩めて「
「鮮やかなチューリップ畑。なずなが好きそうな、猫がたくさんいるお城。夕日が今みたいな
穏やかに言葉を紡ぎ、ふと口を閉ざしたかと思ったら、エルニは「そうだ」と声をあげて勢いよく立ちあがり、そのままルナに笑顔を向ける。
「なあルナ、今ちょっと思ったんだけどな、いつか皆で海外旅行に行かないか? 忍たちが高校を卒業するときでもいいし、それに大学生の休みは長いんだろう? この先旅行を楽しむ機会はたくさんあると思うんだ」
「ふふ、そうですね。私もエルニちゃんが大好きなものを見てみたいです」
「そうか! それなら絶対に見せてあげるからな! 忍にルナにマキナ、なずなと
「えっと、でもエルニちゃんひとりだと大変でしょう? よかったら協力させてください。私も忍さんたちになにかお返しがしたいです」
「よし! それじゃあ二人で協力しよう! 家族旅行でもいい思い出をいっぱい作ろうな! ふふ、それで最初はどこから行こう? お勧めの場所がいっぱいあって迷うな……」
柔らかな朱の陽が差し込む庭先。夕日に照らされながら互いに笑みを絶やさず、花壇の前で談笑を続けるルナとエルニ。そんな姉妹のようなふたりの姿を見て……やはり思うところがあったのだろう。
「……エルニさんは、少し変わりましたね」
門の前で足を止めたまま、かおるんはぽつりとこぼす。
「前までなずなちゃんのことは友達みたいに、『なずにゃん』と呼んでいましたが、今は妹に接するように名前で呼んでいます。巴さんのことも『お母さん』と呼んで、たまに甘えるように抱きついたりして……エルニさんも、このうちの家族になれたんですね」
「わりと時間は掛かったけどな」
「
「……お前も、エルニに負けてないと思うぞ?」
オレがルナたちのことを自慢の家族だと感じているように、
「ダメなんですよ……」
力なく首を横に振り、彼女は手に持っていた買い物袋を強く握り締める。
「わたくしは……エルニさんやルナさんたちみたいには……なれそうにありません」
と、そこで、ルナもエルニも彼女に気づいたらしい。
ふたりは揃ってかおるんへと駆け寄り、『おかえり』という言葉のあと、夕食を話題にそれぞれ口を開き……それは一見和やかな光景のようにも思える。けれど、かおるんはどこか
……元気付けるどころか落ち込ませてどうする。
先程のかおるんとの会話を思い返して少し反省。庭先で日課の
ちなみにその途中、昼間リビングに置いていた四冊の小説。そのうちの一冊を借りたと、ルナが声を掛けてくれ、なんでも彼女は夕食の支度をかおるんに代わって
一応軽く家の中を見て回ったものの、彼女の姿が見当たらず、仕方ないので小説を抱えてひとまず自室に戻ったところ……なにやら電気が
……
思わず苦笑をこぼして歩みを進めたところ、彼女はオレに気づいてもベッドから出ることもなく、枕に頬を預けたままどこかぼんやりと口を開く。
「いらっしゃいませ忍様。少々狭いところですが、どうぞ遠慮なくおくつろぎ下さい」
「……なかなかご
少し狭くても
「しかしどうしたんだ? こんなところで休憩中か?」
「はい、エッチな意味でのご休憩中なのです──と、言いたいところなのですが、実はここのところ色々とありまして、わたくしはいま傷心中なんです。ですから
「程々にしてくれよ? お前の匂いが移ったら寝るときにドキドキして困るからな」
「……忍様、もうちょっと気の利いたことが言えないんですか?」
これでも気を遣ったつもりなのだが、かおるんは小さく唇を
「わたくしがこんなにも傷ついているんですよ? ここはわたくしをがばっと抱き寄せながら、『
「あ、いや、でもさっき
「それでは『愛してるぜ薫』と
「悪いんだけど、今日は不思議とお
「わたくしとしてはそちらの方が
「……もう返す言葉もなくなっちまったよ」
そしてそのまま会話もなくなった。
普段のように冗談を飛ばしてくるかおるんだったが、彼女の声には張りがなく、そのせいかこちらの突っ込みもボケも
本人は傷心中だと口にしていたが、どう慰めたらいいのかよくわからない。ただ無言で頭を
「……忍様、こう見えてもと言いますか、見ての通りわたくしは大抵のことはそつなくこなす、頭脳
「多少遺憾ではあるが、確かに否定はできないな」
「そうでしょう? ですからなんでも出来るはずなんです。けれど、なりたいものにはなれそうにありません。このうちに来たらなにかわかると思ったんですが……わかったことといえば、自分に足りないところばかりでした」
微かに声を落とし、かおるんは少しだけ寂しそうに目を細める。
「わたくしも、もっと変わりたいんですけどね」
「……お前なら、別に無理して変わる必要はないんじゃないのか?」
「ですがエルニさんは変わられましたよ? ルナさんもマキナもそうです。皆さんはこのうちのお姉さんになられました。その変化は、忍様にとっても嬉しいものだったはずです」
どこか力なく反論して、掛け布団の
「きっと
「もう色々とあって自己嫌悪で泣きそうになって、勢い余って
「お前の場合は重症なんだか正常なんだかよくわからないな」
「……普段のわたくしなら、エッチな本よりも先にベッドに行くところですよ? ただ、最近は聖ちゃんから『元気にしているかな?』なんてメールがよく来ますから……」
「あの犬の絵文字が入っているやつか?」
「はい。あの
「この部屋にオレ以上の宝はないということだ。残念だが
「もうがっかりです! それでは思い通りのメールが打てない上に、聖ちゃんに忍様の趣味を教えてあげることもできないではありませんか! 一体どうしてくれるんです!」
「……逆に聞くが、オレにどうしろというんだ?」
「これから聖ちゃんに、『忍様のベッドでご休憩中。ナウ。忍様が隣で優しく頭を
「布団の中でなにをしているんだよお前は。波乱万丈な予感しかしないからやめてくれ」
だけどまあ、これだけ冗談が言えるのだ。そろそろ大丈夫だろう。オレは突っ込みと同時に手を伸ばし、勢いよく布団を
さっきから隠し持っていたのだろうか? アルバムに目を落とすと、『忍君の
そんなアルバムを胸に抱いたまま上体を起こし、かおるんは控え目に口を開く。
「先程エッチな本を探しているときに発見したのですが、よろしければ
「……普通に見る分には構わんぞ?」
というか、勝手にエロ本の探索はしても、アルバムを見るときはちゃんと許可を求めるんだな。礼儀があるのかないのか微妙だが、とりあえず
するとアルバムには在りし日のオレの姿。おそらく五、六歳ぐらいの
「これは
「ちょっとこっちを向いてみろ。そうすればそのプリチーな少年にすぐ出会える」
「……歳月は残酷ですね。なんですかその魔王みたいな顔は。キュートの
こちらに目を向け、暴言を吐きつつもウインクをひとつ。続いて彼女は手元に視線を戻し、ゆっくりとページを捲っていき……アルバムを眺めながらくすりと笑みをこぼした。
「なんだか、なずなちゃんと一緒に写っている写真が多いですね。家の中でも外でもなずなちゃんが隣にいて、よく忍様に抱きついています」
「あいつは昔から、『お兄ちゃんがいないとはじまらないの』なんてよくわからないことを言って、しょっちゅうオレの後ろをくっついてきたからな」
こちらが温かく
「きっと少しでも長くお兄ちゃんの
はたとページを
なんでオレまで泣きそうなんだよ? ちょっと
「これはあれだ、オレが
「なずなちゃんは子供の頃から面白い
「ちょっとアホだけどな。もっとも、あのときはオレの方がアホだったか」
当時のことを思い出しているうちに、自然とため息がこぼれた。
「正直オレも蜂は怖かったんだが、やっぱり妹の前だからな。
「それはなんと言いますか……残念でしたね」
「ああ、格好悪い上に
「なかなか愉快なお父様だとは思いますが……」
微苦笑と共に再び写真に目を落とし、かおるんは穏やかに言葉を続ける。
「なずなちゃんが泣いてしまうのも無理はありませんね。大好きなお兄ちゃんになにかあったらって考えたら、もうどうしていいのかわからなくて、心配で仕方がなくて、それでこんな風に涙を……」
不意に柔らかな表情から一転。オレが蜂に刺されてなずなが大泣きしている写真。それを眺めながら表情を変え、今度は無言でアルバムに目を通していくかおるん。そんな彼女の反応に少し戸惑いを覚え、オレは首をひねってかおるんに声を掛けた。
「……急にどうしたんだ? そんな真顔で見るものじゃないと思うぞ?」
「あっ、いえ、少し昔のことを思い出しまして……」
そう返事をしつつも顔を上げることはなく、かおるんは目を凝らして写真を眺め続けていて……その後オレが小説を勧めてみてもあまり興味を示してくれず、彼女は夕食の時間まで何度もアルバムを見返していた。しかしなにがそんなにも気になったのだろう?
アルバムを見てからというもの、かおるんの様子がますますおかしくなってしまった。
夕食の席ではずっと上の空。ルナたちに話し掛けられても、彼女は気のない生返事ばかりを繰り返し、それから夕飯もほとんど残してしまい、なにか考え事でもしていたのか、お
けれどやはり考え事をしているらしく、オレがなにを言ってもあまり効果はなかった。相変わらず彼女は生返事でしか応じてくれず、結局オレは「なにかあったらいつでも声を掛けてくれ」とだけ言い残して自室に戻り、ベッドの上で先程のアルバムを広げる。
……このアルバムがどうしたというんだ? アルバムを見てからかおるんはおかしくなってしまった。どうにも少し気に掛かる。彼女の不調の原因を探るべく、オレは眠りにつくまでベッドの上でアルバムに目を落としていた……。
● ● ●
昔のアルバムを眺めていたせいか、久しぶりに子供の
妹と比べて武術の才能もなく、ひどく弱い自分。
自分のせいでなずなが交通事故に遭って、お見舞いに来てくれた大切な
もちろんなずなを助けて欲しいという
そんな妹が病院のベッドで眠ったまま目を覚まさず、代わりに才能の
あのとき呼び出した悪魔、ルナにもそう話した。
魂なら持って行ってもいい。また妹が笑ってくれるのなら、オレはそれで構わない。それにみんなだって、オレなんかよりも、なずなが笑っていた方が……。
弱い自分が許せなかった。自分の代わりに妹が笑ってくれたらそれでいいと本気で思っていた。だけどルナはなずなだけじゃなくて、オレのことも救ってくれたんだ。
──大丈夫ですよ。もう、大丈夫ですからね。
頭を
彼女がくれたもの。胸を満たしてくれた言葉。温かなあの言葉。情けないことに一度はそれを忘れてしまったけれど、もしかしたら心のどこかでは覚えていたのかも知れない。
自分が消えてしまってもいいだなんて、もう二度と思うことはなかった。
あの日、ルナがオレにくれた言葉は──。
● ● ●
う~ん、あのときルナが掛けてくれた言葉は……ん? なんか変だな。さっきから微妙に
「──そろそろ起きて下さらないと、身体中にキスしますよ?」
なにやら夢の中のルナが急に大胆になってしまった──わけでもないな。
誰かに声を掛けられ、淡いまどろみから意識が
……なんの用なんだろう? ちょっと
「こんな時間にどうしたんだ?
「わたくしがそのつもりでしたら、いまごろ
「……風邪を引いちゃいそうだな」
「大丈夫ですよ忍様、その時はわたくしが自慢の肌で心身共に温めて差し上げますからね」
「はは、今度から寝る時には部屋に
なんて冗談を交わしつつ、ふと寝る前の事を思い出し、オレは何気なく言葉を続ける。
「そういやお前、なんか考え事をしているみたいだったけど、それはもういいのか?」
「いえ、いくら考えてみてもモヤモヤが止まらないだけでしたので、思い切って行動を起こす事にしたんです。というわけで忍様、少し付き合って下さい。これから外に出ます」
「……あと五分だけ寝かせてくれない?」
「忍様、いまから十かぞえるうちにお着替えをして下さらないと、わたくしはそのセクシーな
「ちょ、ちょっと待て! 三秒さえ待てないのかお前は!」
言うが早いか彼女はひとの服に手を掛け、さすがに眠気も吹き飛びオレは声を裏返す。
「確かにさっきは『なにかあったらいつでも声を掛けてくれ』とは言ったが、こんな夜中にいきなり──って、あ、こら、服を引っ張るな! やめて! いや! よして!」
「いや、よして? つまり『いやよシテ』のアナグラムですね。わかります。女性がよく使う手ですからね。実は『ああん、だめ』とか言いつつも本当はダメじゃないんですよ?」
勉強になるなあ……なんてボケを挟む間もなく、かおるんは瞬く間にひとの服を脱がせた上に着替えにまで手を付け、それから数分も
ちなみに家を出る前、かおるんは
「しかしちょっぴりひどくないか? 夜中寝ている所を突然起こされたと思ったら、詳しい話もないまま外へと駆り出され、こうしてオレはいま寒さに震えているわけだよな?」
「お金では買えない貴重な体験をされていますね」
「うん、一応言っておくが、相手がお前じゃなかったら確実に張り倒しているぞ?」
「仮に相手がルナさんだったらどうです?」
「迷わず笑顔でついて行く」
もっとも、かおるんが相手でも大して変わりはない。言葉と共に
「そのまま笑顔でついて来て下さいね忍様。いまから我が家へと向かいます」
「……こんな真夜中に? まさかのホームシックか?」
「ち、ちちち違いますよ。真夜中だからこそ戻れるんです」
わずかに動揺しつつも、どうやらようやく外に出た目的を話してくれるようだ。かおるんは歩みを進めながら人差し指を立て、
「実はこれから
「自分の家なんだろう? そういう事をするのなら別に昼間でもいいんじゃないのか?」
「
姉の面目というやつだろう。まあその気持ちはわからないでもない。しかし話を聞いているうちにちょっとした疑問を覚え、オレは首を
「なあ、ひとつ聞きたいんだけどな、家に侵入するのならお前ひとりでも十分なんじゃないのか? オレがここにいる意味はないんじゃあ……」
「そんなことはありませんよ。最近よく来る聖ちゃんからのメールによると、幸いなことに現在、宗悟パパはお仕事で外出中みたいなんです。ですが問題は修くんと
なんて説明を付け加えつつ、かおるんは軽く
「この時間帯であれば、おそらく聖ちゃんのことです。忍様の夢でも見ながら眠りについているでしょうが、修くんの場合は
「……なんかだんだん嫌な予感がしてきたんだが、オレは一体なにをすればいいんだ?」
「こちらが書斎に侵入する際、忍様は居間で待機していて下さい。その時に足音が聞こえた場合は直ちに現場に急行。わたくしと家族が鉢合わせないように取り計らって
「いや、
その絵を想像するだけでドキドキが止まらない。しかしこちらの不安を
「相手が岬ママであれば
「……聖の母親とは一度も会ったことがないんだが、本当にそんな人なのか?」
「たとえるのならルナさんの『天然エロス』と聖ちゃんの『ムッツリスケベ』、そしてわたくしの『コケティッシュ』な部分を足したような方ですね」
「それだとただのエロい人にならないか?」
「
なんて口にしながらも、かおるんは小さく
……こんなにもひとりが心細いと思ったのは久しぶりだ。下手をすれば通報されるかも知れない。色々と不安を数えれば切りがない。けれど別に悪さをするわけでもなし、こそこそしているから怪しいのであって、いっそのこと堂々としていれば問題はないだろう。
と、半ば開き直って居間の電気を
ふむ、最近の深夜アニメはなかなか大胆なんだな。ちょっぴりエッチだ。しかしオレのいまの姿を
というわけで、オレはすぐにテレビのチャンネルを回そうとしたものの、悪意を感じるようなタイミングで背後から足音が響き、誰かが部屋に入って来てしまったようだ。
……見つかるの早くね?
ひょっとしたら思っていた以上に緊張していたのかも知れない。オレとしたことが人の気配に気づかなかった。しかしもう後には引けない。相手が
予想外にも聖である。かおるんの推測だと寝ているはずだった聖。彼女は浴衣のような寝間着姿であり、服の
が、こちらを認めた聖は不思議そうに目を
「え? あれ? 忍くん? こんなところでなにをやっているんだ?」
「……あ、いや、その、ちょっと
「ああ、そうだったんだ。夜這いに──って、夜這い!?」
動揺のあまりうっかり、かおるんから教わった聖の母親用のセリフを口走ってしまったところ、彼女は
「し、忍くん! 本気なのか!? これは昨日見た夢の続きとかじゃ──んん!?」
ここで騒がれても困る。オレは勢いよく立ちあがって一気に距離を
すると聖は小さく
「……
「えっと、なんか、本当に悪かった。
「そ、そうか、冗談だったんだ。ごめん忍くん。変に真に受けちゃって……」
さらに赤くなって頭を下げたのち、
「どうして忍くんがうちにいるのかな?」
その疑問はもっともだ。けれどオレはかおるんのためにもなんとか誤魔化そうと試みた。
「きょ、今日はその、なんと言うか……遊びに来た」
「こんな夜中に? でもどうやってうちに入ったんだ?」
「別に盗人じゃないんだ。正面から堂々と入ったぞ。玄関をブチ壊してな」
「な、なんだか強盗みたいなんだけど……ひょっとして
「た、確かに持っていたな。だからかおるんから鍵を借りてここまで来たんだよ。こんな時間だけど急にお前の笑顔に会いたくなったんだ。さあ笑ってくれ聖」
そう促すと、聖は少し照れたように笑ってくれる。
うん、このうちに来てよかった。笑顔を眺めてちょっぴりそんな風に思いつつも、焦りがあることに変わりはない。ここで聖とかおるんが鉢合わせたらどうしよう? こちらが冷や汗をかきそうになっていたところ、聖が
「忍くん、会いに来てくれてありがとう。少し待っていて欲しい。お茶を
「いやいや、お茶なら結構だ。気にしなくていい。そ、それよりも、こうしてここに来たわけだし、その、なんだ、えっと──聖の部屋に行きたい」
「……うん、いいよ。一緒に行こう」
頬を朱に染め、そっと控え目にオレの手を取る聖。その柔らかく温かな手に導かれ、廊下でかおるんと会わないかとヒヤヒヤしつつも、無事に二階へと上がって彼女の部屋にお邪魔したわけなのだが……もしかしたらまた誤解されてしまったのかも知れない。
隣からほのかに花の香りが漂い、軽く触れ合った肩からは彼女の甘いぬくもりを覚え、今度は違う意味で鼓動が高鳴ってきた。しかも聖はもじもじと
「えっと、
「エ、エッチなこと!? わ、私は冬休みの宿題をしていただけなんだけど、その、今夜はそんな風になっちゃうのかな?」
……これはオレが悪かった。チラチラと赤い
こいつはどう誤解を解いたらいいのか、そしてどう謝ったらいいのか、言葉を探してオレが口を閉ざす中、気まずくなってしまったのか、聖は「あう……」と
「あの、私……やっぱりお茶を
「いや! 別に
「でも私、なんだか緊張しちゃって、少し喉が渇いちゃったんだ」
腰をあげかけた聖。お茶を淹れる際にかおるんと遭遇でもしたらまずい。オレはそっと彼女の腕を取ってストップを掛けたのだが、あまり効果もなく、聖は「すぐ戻ってくるから」と言葉を返す。対してオレは慌てふためいた挙げ句……聖の
これで聖も動けないはずだ。我ながらいよいよテンパってきた。さらに
「……これ、私の夢じゃないよな?」
どうやらその必要はないようだ。念のため様子を