前回までのあらすじ

 長く厳しい教育という名のしごきを終え、晴れて正隊員と認められた僕ら。一転してゆるま湯の生活に放り込まれ、資格や免許を取ったりしながら配属先の決定を待つのみとなった。

 

 

謎の人体実験

 

 

 4ヶ月間の教育期間を生き延びた僕たちは、かつて入隊前の適性検査を受けたオバーニュの第四外人部隊基地へ戻された。

 ここでレットノン(軍曹のさらに上の幹部)の面接を受け、各部隊へ振り分けられるわけだが、五体満足のまま教育期間を終えられたか、身体的なチェックもある。

 

 観光客に過ぎなかった僕が入隊直後に遭遇した、ゴリラみたいなアメリカ人軍曹が同じ場所にいた。相も変わらず大きな目をギョロギョロさせながら、入隊希望者に指示を飛ばしている。

 改めて話してみるとユニークな毒舌を持つ面白い男で、彼とは基地内のバーで肩を並べ、毎日のように酒を酌み交わした。

 レットノンの面接までは休暇のようなだらだらした日々が続いた。時折、入隊希望者のボランティアに監視役として同行し、働きぶりを眺めたりする他は、ほとんどバーに入り浸り、ピンボールやセガの体感ゲームに没頭した。

 

 自衛隊の新隊員期間を終えた時は、仲間と涙を流しあって喜んだものだが、今回そういった感動はあまりない。個人主義の自分勝手な人間ばかりで、そもそも仲間意識が薄いのだ。そのくせ出身地によって認識差が大きく、いちいちギャップを感じ、不愉快なことばかりだった。

 

 なぜ僕は、こんなところで考え事ばかりしているのだろう。

 

 隊舎の廊下にワックスをかけ、トイレ掃除をするだけで日が暮れてしまう。滅多に街灯をつけない外人部隊において、辺りの陰が徐々に濃さを増してゆくさまは、まるで放課後の学校のようで、望郷の念で胸が締め付けられそうになった。

 

「サダコ、お前は第二歩兵部隊だ」

 

 ついに来た面接の日。緊張しながらレットノンの部屋に入ると、あっさり、それだけを告げられた。規定の礼法で敬礼し、さっさと部屋を出る。

 たったそれだけ。理由もクソも、僕の希望も関係ない、向こうの都合で第二歩兵部隊へ配属されてしまった。

 バーでは仲間たちがそれぞれの配属先で話に花を咲かせている。

 ほとんど唯一、日本語で話のできたサクマは、一体どこに配属されたのだろう……。

 教育中はうるさく僕らを監視したカポラルたちも、いつの間にか居なくなり、僕らは自由に日本語の会話を楽しんでいた。

 語学留学で4年のフランス在住経験と、かなりのフランス語能力があり、外人部隊にある種の憧れを抱いて入隊したサクマは、教育期間中に嫌気が差したとかで、面接時に除隊を申し出ると予告していた。

 

 本来なら5年は抜けられないフランス外人部隊だが、正規部隊に配属されるこのタイミングで唯一、除隊を申し出るチャンスがあるのだ。

 サクマを探して顛末を訊ねると、彼はいかにも無念というしかめっ面で首を振り振り、憤慨していた。

 

「ダメだった。除隊を希望したけど、レットノンはダメだと言って聞いてくれないんだ!」

 

 サクマとはこの会話が最後だったが、色々妨害はあったものの、無事除隊できたらしい。それぞれが各部隊に向けて旅立つ日最後の日に、彼の姿が無かったからだ。

 天気ばかり良いフランスで、僕らは駅まで「最後の行軍」という名の徒歩移動を行い、別々の列車で四散した。

 

 僕らが向かうのはオバーニュから列車で二時間ほどの南部にあるニームという街で、観光地で有名なニースと名前は似てるが実物は大違いの何もない田舎町だ。

 同じ部隊には、入隊前のボランティア時代から親交のあったマダガスカル人のラコトリアがいた。ユニークな会話ができて頭の回転も良い男だ。彼となら楽しい日々が過ごせるだろう。

 僕とラコトリアのほかに十名程いた隊員たちは、ニームの正規部隊に所属する初老の隊員を先頭に、駅から基地まで観光気分で行進した。

 ニームは道が広々とした寂しい町で、開いている店はほとんどなく、ホテルらしきものも見当たらない。そこになぜか突然プラモデル屋があって、無性にガンプラが作りたくなったのを記憶している。そんな土地で、僕は正規兵になった。

 

 静まり返った基地には人の気配がなく、門も閉じている。

 日曜日だから人がいないのかと思ったら、多くの兵士が元フランス領のコートジボアールに派兵されていた。武装した民間人が大統領選挙を妨害しているそうで、平和維持の一環として駐留しているそうだ。

 

 僕ら新兵には5人部屋があてがわれた。普通なら自衛隊のように山中訓練など課題は沢山あるが、このときばかりは海外派兵で先輩兵士が軒並みおらず、簡単な基礎訓練と射撃訓練の他は、ほとんどやることがなかった。

 やったことといえば洗濯だろうか? 訓練期間は洗濯石鹸で手洗いしていた。当然だが、支給品の白ブリーフはあっという間に茶色くなり、衣類全てから妙な臭いが漂っていた。

 

 それがここでは売店兼広場に立派な洗濯機が並び、いつもフル稼働している。

 洗濯が終わった服を取り出したとき、思わず歓声を上げたくなった。すごい! 綺麗だ! いいにおいだ! どんなに念入りに手で洗おうと機械には敵わない。新品のような輝きを見ると、これまでの苦労や苦痛がウソだったように錯覚する。

 さらにはシャワーも好きなだけ、自由な時間に浴びることができた。オバーニュでもある程度の自由はあったが、シャワーヘッドからは水しか出てこない。それがここでは熱い湯が楽しめる。

 

 売店では液体ソープが購入できた。靴の中敷きも売っていた。こうした当たり前に思えることが実は極上の幸せ。文明社会に戻れたような喜びを心ゆくまで堪能する。

 しつこい靴擦れとおさらばした後は、グラウンドで思う存分ジョギングした。ここ数週間は自由に運動もできず太ってしまったが、爽やかな気分で体重を元に戻せる。

 日課は朝の朝礼と、一列に並んでのゴミ拾い(上官たちは目の前で吸い殻を捨てたりする)、それが終わると廊下で日替わり当番の上官を待つが、このとき、ブラジル人の上官は必ずと言って良いほど大幅に遅刻するか、現れないこともあった。ブラジル人は誰であろうとそんな感じで驚かされた。

 

 お次は体操服に着替え、ジョギングかサッカーを始める。僕はジョギング専門だったが、先頭で気の向くままに走る上官を追いかけ、野山に飛び込んで道なき道を突っ走ったりする。

 追いつけなければ迷子になる。ただそれだけのことで必死だった。迷子と言っても生易しいものではなく、樹海の真ん中に取り残されるのと同様、方角からしてさっぱりわからなくなる。

 以上は午前中の日課で、午後はなんと座学である。

 お馴染みのフランス語講座、武器の分解・組み立てといった「ぬるい」カリキュラム。このときちょうど、自衛隊で馴染み深いミニミ軽機関銃が出てきた。

 

「誰かこれを分解できるか!」

 

 上官の叫びに名乗り出て、自衛隊の流儀で分解を披露したが、なぜか怒られた。というか、半ば心配されてしまった。

 理由を言えば、自衛隊では通常レベルの分解が、フランス外人部隊では病的なバラシっぷりなのだ。最早、組み立て不可能じゃないか? と連中が案じるレベルまでバラしたものだから、上官もヒヤヒヤものだったらしい。

 それを鼻歌交じりで組み立てたものだから、やはり日本人は狂ってる──となった次第。

 

 山中の射撃訓練では、あまりにテキトーな実弾の扱いに、今度は僕が驚かされる番だった。

 自衛隊では一発一発、声に出してカウントし、受領の儀礼まであったもんだが、ここでは適当に自分の好きな量をジャラジャラ握って持って行く。ヤバくないか?

 射撃も適当で、仲間の短銃を借りて、映画のように二丁拳銃で撃ちまくることもできた。自由だが、日本風に考えたら信じられないアバウトっぷり。事故がないのが不思議なほどだ。

 

 危険といえば、毎週木曜日の訓練だけは実にハードだった。

 低く張った鉄条網を匍匐前進でくぐりぬけ、梯子を上り、ジャンプして……と、軍隊映画のテンプレみたいな訓練だが、最後には拳にグローブを装着して小さな穴に2人で入り、三分間、好きなだけ殴り合うという次第。

 目つぶしと金的以外なら、どんな方法でもオーケー。僕は運良くケガしなかったが、相手はガタイの良い外国人の兵隊である。しかもハードなアスレチック後で疲労度も高く、痺れて両手が上がらないこともあった。

 

 そんな日々を過ごしていた僕らだが、ある日を境に、基地内の医務室に毎日呼ばれ、毎日謎の注射をされるようになった。

 注射をした日は不思議と疲労困憊で、部隊の方もそれを分かっているかのように、食堂やお偉いさんの給仕など、およそ兵隊と思えない仕事に従事させられる。

 この注射が何のために行われていたのか、答えを知るのは、一ヶ月後のことだった。

(つづく)