千葉からの刺客・武井直子
後藤候補には及ばなかったものの、地味ながら堂々4605票を獲得した武井直子候補(51)も素敵すぎた。
後藤さんを劇場型とするなら、武井さんは天命を与えられた総天然泡沫候補。「無職」というあっさりしたプロフィールと、寝起きのようなボサボサの髪の毛で政見放送に臨み、見る者の度肝を抜いた。
真下ばかり見ながら、時折疲れきったように顔をしかめ、グタグダなトークを展開。しかるにその内容は、背後で手話通訳をするおばさんの笑顔が引きつってしまうほどスケールがでかかった。
いきなり舛添要一支持を表明。返す刀で軍事紛争撲滅、国際社会統合、日米安保条約解消、さらには自民党解体を一気に叫び、とどめに天皇制廃止、今上陛下を大統領に──と、東京都に権限のない構想を次々とぶち上げる。
畳み掛けるように、福島遷都、砂漠緑化、しまいに宇宙進出とオリンピックのトルコ移譲を声高に訴え、時間を大幅に余らせながら突っ込む隙も与えず終了。
胸騒ぎを抑えながら彼女のブログを斜め読みすると、「現在も療養中」をはじめ、気になるセリフが目白押しなのはいいとして、自宅住所・携帯番号・メールアドレスなど、個人情報が全公開されていた。
しめた! と早速メールを送ってみたが、一週間経っても返信は無く、怪しまれたか……と諦めきったある日のこと、見慣れぬ携帯アドレスからメッセージが届いた。
初心者なものでケータイの操作方法がよくわからず、連絡が遅くて申し訳ございませんでした。ご取材くださるそうで、ぜひ宜しくお願い申し上げます。
武井さんからの返信だった。
アポが取れたのは喜ばしいが、そんな彼女は千葉の外房、九十九里浜に面した大網白里という「闇の奥」みたいな場所に住んでいる。
大網に行くのは覚悟していた。そこで希望日を問い合わせると、例のごとく返事が来ない。どうしたものか案じていると、またも忘れた頃に驚くべきメールが届いた。
黒沢様。居候先の家人が非常な不安や不審を抱いているようです。
専ら「犯罪がらみの罠に決まっている、それ以外の話なんて来るはずがない、怖いから断りの連絡をいれる」等、私が新たなご縁をいただくことに警戒しております。
家人と私に意志の疎通はございませんので、同居人から話があってもお気になさらないで下さいますよう、お願いいたします。
不穏だ……。じわじわサスペンスっぽくなってきた。薄気味悪い展開だけど、ここまで段取りした手前、中止はありえない。デパートで土産のカステラを購入した私は、一路、千葉の闇の奥へと旅に出た。
空にはどんよりと鉛色の雲が立ち込め、小雨がぱらついている。大網白里は、小さな駅の近くにイオンのスーパーとヤマダ電機、ファミレスが数軒あるだけの小さな町だ。
バス停の前でじっと立っていると、30分に一本しか来ない路線バスの降車口から、どこかで見たことのあるメガネのおばさんが吐き出された。
約束の時間を大分オーバーして現れた武井さんは、「愛は地球を救う」の関係者みたいなぶかぶかの黄色いポロシャツに、パンパンに膨らんだトートバッグを食い込ませ、両手に沢山の荷物を抱えていた。
実はこの荷物、筋金入りのオタクだった武井さんが少女時代に手掛けた創作物の数々。どうしても作品を見たいとお願いしたところ、過去の同人誌やスクラップをありったけ持ってきてくれたのだ。
「あのぅ、先に郵便局へ行きたいんですけど……。すぐ終わりますんで、あそこのお店でお待ちくださいますか?」
初対面の武井さんは挨拶もそこそこに、苦虫を噛み潰したような顔をしながら、バス停近くのガストを指差した。
あまり深く考えず、どうぞどうぞと頷いた私。ひとりガストに入店し、コーヒーを飲みながら武井さんを待つことにしたが、これがどういうわけか、いつまで経っても戻ってこない!
10分、15分──、遅い……。20分、30分──。事故か? 35分、40分……。待たされ過ぎて我に返り、オレは一体何をしてるんだと妙な笑いがこみ上げてきた……。
面白くないのに湧き出してくる黒い笑い。ぐっと堪えながら外を見ると、玄関前にようやく本人の姿が……。この時点で、予定開始時刻を1時間半過ぎていた。
45分も待たされた理由を是非お聞きしたかったが、それより早く、51歳にしてガスト初入店。いや、ファミレス自体初めて入ったと聞いて、驚きのあまり、待たせた理由などどうでも良くなってしまった……。
戸惑いながらドリンクバーのシステムを解説すると「飲み放題なんですかぁ!」と目を丸くしてテーブルの上に6つもグラスを並べ、喉を鳴らしながらレモンティーを飲み干した。いやあ、びっくりしたのはこっちだよ。
そんな武井さんが選管に立候補を届け出たのは、選挙告示日の締め切り7分前。ギリギリ過ぎて全21候補中、ただひとり選挙公報にその名を記載してもらえなかった。
政見放送の収録も半ば諦めていたそうだが、届け出の3時間後にひとつだけ枠があると言われ、準備も練習もないまま、ぶっつけ本番で収録に臨んだという。
供託金300万円は銀行からの借金。残念ながら有効得票数の1割を満たせず没収されてしまったが、武井さんは供託金システムそのものを否定しており、今後は返還を求め、裁判で争うつもりだという。
政見放送では気弱なおばさんに見える武井さんだが、リアルでは雄弁で地声も大きく、スイッチが入ると我を忘れ、熱くなってしまうタイプ。
特に「安倍首相」と「自民党」という二大ワードには激しく反応し、自動的に見境がなくなって、店内の客が一人残らず振り返る勢いの、ひとり糾弾大会を始めてしまうから厄介である。
乗せたら最後、ボルテージはがんがん上がり、気付いたときには感極まって、店内で号泣……。うっかりすると年の差カップルの別れ話と誤解されかねない。
だからというわけではないが、インタビューとして間違いだと分かっていながら、安倍、自民党の話に傾きつつある雰囲気を察するたび、私は全力で話題を変えた。そんなとき、重宝したのがオタク話だ。
「武井さん、そろそろ作品を見せてくださいよ!」
こくりと頷いた武井さんが、分厚い同人誌とクリアファイルの束をテーブルの上に広げた。
クリアファイルには、古ぼけて退色したアニメ・マンガ雑誌の切り抜きがどっさり収められていた。名うてのハガキ職人だった80年代、読者投稿ページで暴れまくっていたときのものだ。
決して裕福ではない家庭で育った武井さんは、少女時代、暇さえあればイラストや小説、ポエムなどをハガキにしたため、真冬の潮風に吹き飛ばされそうになりながら、せっせと投函していた。
「ある雑誌の懸賞でマンガを募集していたんです。貧乏な子供だったから、何より先に賞金に目が眩んでしまいまして……。マンガで大儲けして、そのお金で大学に進学して、ついでに家計も助けられたらいいなって、それが作品を書き始めた動機でした」
間もなくして、そんないじらしい少女の夢を粉砕するような事件が起きた。
運動会の練習中、悪ふざけした同級生が3メートルの高さから武井さんの膝の上に着地。大怪我を負わされてしまったのだ。
これまた運の悪いことに、加害者は武井家が細々と営む学習塾の大切な生徒。問題が大きくなれば塾の経営にも悪影響が及ぶ。悩みに悩んだ両親は泣き寝入りという苦渋の決断を強いられ、多感な年頃に肉体的ダメージばかりか心に大きな傷を負った武井さんは、鬱々とした日々を過ごし、創作への熱意は衰え、大切にしていた過去の作品を根こそぎ焚き火にくべ、燃やし尽くしてしまうのだった……。
「それが高校に入って少し落ち着いて、実家の塾で子どもたちを教えながら再び(マンガを)描き始めまして、同人誌を作ったり、商業誌に投稿したりするようにもなりました……けど、プロにはなれませんでしたね」
一旦は寛解した精神的不調も、ストレスを引き金に寄せては返す波のようにぶり返し、プロまんが家としてデビューする夢は未だ実現せず。
そんな、やり場のない旺盛な表現欲が地球を一周して、都知事選立候補に繋がったのだろうか……。
話はがらりと変わって、この店(ガスト)に入ってから、武井さんのケータイは鳴りっぱなし。マナーモードにもなっておらず、結構な音を出しながら振動しまくりだが、本人が電話に出ようとする気配はまるでない。
訊けば、「インタビューにかこつけ、私が武井さんに危害を加えるかも」と家族揃って身を案じ、コールしまくっていたらしい。
「(家族は)黒沢さんの事も色々調べたみたいです……。性病にかかっておられるとか? そんなわけないですよね?」
い、いや、性病にかかったことはあるが、それは過去の話で……。などと弁解しつつ、ご家族の卓越した情報収集力に舌を巻いた次第。只者ではないようだ。
性病といえば、51歳にして独り身の武井さん。特定の彼氏はいないそうだが、人並みの恋は経験してきた。
子供の頃は貧乏が仇となり、バレンタインデーにチョコレートを買う金も無かったそうだが、その反動か、恋愛おいては非常に積極的である。
「お見合いもしました。相手は教師だったんですが、私は全然オーケーというか、良い人ならすぐにでも結婚して子供が欲しかったんで、お見合いの後、すぐ相手の部屋へ遊びに行ったんです。急ぎすぎて引かれちゃったのかも……」
過去の恋を語りながら、はにかんだ笑顔を見せる武井さん。政見放送の時と比べ、軽く15歳は若返る。
「私、惚れっぽくて、いつも好きな男がいるんです……」
恥ずかしそうに述べる武井さんの瞳に、コンマ3秒ほど、女の色気を感じた。
(了)