メイのいた路地 ある売春元締めの無国籍少女

 

ビリー高橋

 

 

 

 10年あまり前のこと、当時、千葉の某市で暮らしていた私は、退屈な日常にうんざりしていました。

 公務員という平凡な職業。結婚向きと言われる平凡な性格が災いしたのか、私を金持ちと勘違いした(実家が世田谷区だから?)臨時職員の女にすりよられ、私生活でも疲れていました。

 

「弟がタイ料理屋をやってるんだ。遊びに来いよ」

 

 そんなある日、ふとしたきっかけから顔も体格も故・安岡力也そっくりの、元ムエタイ選手というタイ人男性と親しくなり、モノクロームの人生に少しだけ色がつきました。

 その男が「天を衝く膝蹴り」と異名をとったムエタイ最強の男、Dだと知ったのは随分後の話。彼はある日本人女性と結婚し、日本で焼肉店を経営していましたが、店をやる前は債権の取り立てなど、グレーな仕事も請け負っていたようです。

 

 数日後、暇にまかせて教えられた場所に赴くと、タイ人向け雑貨店やタイ人スナックが密集する寂れた地域の一角に、「J」というひと際煤けたタイ料理屋を見つけました。

 今でも忘れられません。見渡す限り、タイ語の看板しかない不思議な町並みを眺めていると、目の前の「J」から細身であどけない風貌のタイ人少女が顔を出し、私に近寄ってくると、自己紹介抜きでいきなりこんなセリフを吐いたのです。

 

「あたし、援助交際の元締めやってるの」

 

 彼女は日本語ではっきりとそう言い、混乱した私は思わず言葉に詰まってしまいました。

 少女売春の存在は知識として知っていましたが、中学生、しかも在日タイ人女子中学生の援交斡旋と聞いて開いた口が塞がらず、はてなマークが頭を飛び交い、何も返事ができず黙っていると、彼女は気まずそうな表情で、

 

「あたし、彼氏とお風呂に入ったことはあるけど、エッチはしたことないよ」

 

 一方的に純潔を主張し、そそくさと店内に逃げ込んでしまいました。

 これがメイ(仮名)との初対面。いきなりの攻撃に面食らいましたが、メイは私が来ることを事前にDから知らされ、待ち構えていたようでした。

 

「なんだったんだ……」

 

 首を傾げながら「J」に入ると、くたびれた内装の店内に、いつからあるのか分からない、安っぽいキラキラしたリボンが沢山飾ってありました。

 「J」は在日タイ人向けのタイ料理屋で、日本人客はほとんど来ません。男は何故か配管工。女はもれなくホステスというブルーな客層、タイカラオケが異様に充実しています。

 私の顔を見るなり援交の斡旋をしようとした少女・メイは、Dの弟である店主の末娘で、当時まだ14歳でした。

 

 メイの両親は父母ともにタイ人ですが、メイは日本生まれでタイには行ったこともなく、厳密にはタイ人ですらありません。

 両親は揃って不法滞在者で出生届を出しておらず、なんとメイは無国籍児童です。

 身分が無いため日本の中学校には通えず、千葉駅前にある某語学学校でタイ語その他を勉強していました。

 タイ語と日本語を自由に操れるメイは、その卓越した語学能力と恐怖の象徴である伯父のDを後ろ盾に、同世代のタイ人女子を束ね、援助交際の斡旋をしていたというわけです。

 あのDがわざわざ私に「弟の店」を紹介した理由も、私が姪っ子の上客になることを期待していたのでしょう。

 ただ、素のメイはまだ子供で、つやつやした黒髪をふざけてなでてやると「うひゃあ」と首をすくめ、照れていたのが印象的でした。

 

「お兄ちゃんみたい」

 

 メイは私をそう呼びましたが、兄になり切れない私は彼女の後姿に見とれ、尻の形と足の長さに女を感じていました。

 

「公務員が未成年を買春はまずいよな……。で、でも、仲良くなった上での合意なら?」

 

 いや、仲良くなった上でも充分捕まりますよね。我ながら浅はかでしたが、気がつけば、休日の度に「J」を詣でる日々が始まりました。

 メイは大抵店の外でぶらぶらしていて、私を見るとテーブルの向かいに腰掛け、好物のファンタメロンを勝手に私の勘定につけ、それをすすりながら「お父さんの顔にあばたのある理由」など、他愛の無い話を一生懸命してくれました。

 

 どういうわけか、メイは私に懐いていました。援助交際云々──を持ちかけられたのは最初だけで、後は世間話だけの関係です。

 ただ、一度だけメイが友達と思わしき、色っぽいけど目つきの鋭い少女を店に連れてきて、二人で雑誌を読みながら私をちらちら見ていたことがあります。

 頬に突き刺さる少女たちの視線に、あ、品定めされてるぞ……と感じました。

 そのときはそれだけで、特に売り込みをされたわけでもなかったけど、そのときのメイの目は、14歳にしてナナのゴーゴーガールが客を値踏みする目と同じでした。

 

 疑問といえば、もうひとつわからないことがありました。メイの両親には、未成年の娘と親しげに話す、怪しげな常連の私を警戒する様子がまるでないのです。

 

「メイ、彼氏が来たわよ!」

 

 冗談なのか、お母さんは時折こんなセリフで娘を冷やかしていました。日本人同士でこの展開は絶対ありえません。

 どうも、メイの両親は娘を私に嫁がせる腹のようでした。そうすれば己の財布も潤う。という独特の思考です。

 実際、日本語がほとんどできないはずのお母さんから、こんなことを言われたことがありました。

 

「メイがおおきくなったら、けっこん、けっこん」

 

 メイは母の傍らでイスに座り、すまし顔で脇を見ていました。この店の中で、そんな台詞を母親に教えられるのはメイ以外いないのに。本人がどう思っていたかは流石に直接訊ねるわけにもいかず、今もわかりません。

 ともかく私はメイに懐かれるのが楽しくて「J」に通い、メイをアパートに連れ帰る妄想にふけりながら、そんなことしたら絶対婚約させられるな……と一人悩んでいました。

 

 中高一貫の男子校育ちである私は、同世代の女子とほぼ接点が無いまま大人になりました。

 生憎、私は援助交際の経験が一切ありませんが、良い歳をして買春にハマる男性にはそういうタイプが多いそうです。色気のない青春の埋め合わせをするため、メイのところに通いつめていたのかと言われれば、否定はできません。

 

 そんなある日、いつものように「J」で飯を食っていると、上機嫌のメイが寄ってきて、私の肩を嬉しそうにもみ出しました。そして、規則的に手を動かしながら、

 

「凝ってるところがあったらどこでもぜーんぶマッサージしてあげるから……。でもセックスだけはダメー!」

 

 いきなり大声で歌うように叫んだのです。真ん前に彼女の両親もいたのに……。何を言い出すのかと私は慌てました。

 日本語が分からないとはいえ、片言程度は理解できるはず。まして「マッサージ」や「セックス」といった強烈な単語が聞き取れないはずがありません。

 

「メイ、何かあったのか?」

 

 両親の反応を横目で気遣いながら、小声で訊ねてみました。

 

「この前お客さんから、100万円払うからセックスさせろって言われたの」

 

 狭い店内、おそらくそのときも、目の前に両親が居たのかもしれません。相手は日本人。メイはその黒いオファーを受けたとも断ったとも言いませんでした。

 

 正直、「J」の料理はさほど旨くもなく、商売は左前でした。 そこに100万円のオファーです。メイの父親が頭を抱えてしまう気持ちも充分わかります。

 成長期の少女の変貌には感動的な美しさがあります。出合った当初はひょろひょろのガキンチョだったメイも、いつの間にかバストのサイズを自慢する南国の美少女になっていました。

 誰が何と言おうと、この店で一番のご馳走はメイでしょう。しかし人間とは矛盾した生き物で、私はメイの話を聞きながら「そんな腐りきった大人しかいないのか」と憂鬱になり、憤りを感じました。考えていることは五十歩百歩なのに……。

 

 中学卒業資格試験合格後も、メイは進学も就職もせず、家の周りをぶらぶらしていました。同世代の友達はおらず、私みたいな当時30歳の男が唯一の話し相手。その幼さにして取り柄が肉体しかないという状況。

 両親は両親で「娘がいれば客が来る」と安易に考えていたようです。そう、私のような客が……。

 タイの田舎では女の子が生まれると、可愛く育てて金持ちに嫁がせよう、あるいは将来高く売り飛ばそうと考える親御さんが少なくありません。メイの両親も五十歩百歩。

 口には出さなかったものの、私はそうした両親の態度に怒りを感じ、メイに同情していました。

 

 そんな私は当時、ある日本人女性から言い寄られていました。

 相手の女性、当時26歳のさっちゃんは、英語とフランス語がペラペラというインテリ。 九州出身なのに東京生まれの私より六本木に詳しい──というおしゃれさんでもありました。

 

「私、あなたのお嫁さんになりたい」

 

 そんなことを言われ、悶々としながら「J」で晩飯喰いながらビールを飲んでいた私の携帯に、当のさっちゃんから着信が入りました。

 騒がしいので外に出て、道端のコンクリートブロックに腰掛けながら、落ち着いて話をしようとしたところ、満面の笑みを浮かべたメイが近寄ってきました。

 

「電話、さっちゃんでしょ?」

「そうだけど……」

 

 電話越しに私とメイのやりとりを聞いたさっちゃんが、「ちょっとその子、なんであたしの名前知ってるの?」 と、不安げな声を上げます。

 メイは普段から、隙あらば私の携帯の着歴やメールをチェックしていました。 盗み見たりするのではなく、目の前で堂々と嬉しそうにピコピコ。ここまで無邪気にやられると怒れません。

 

「あたしもお話したいな」

 

 メイが笑顔で右手を差し出しました。さっちゃんが了承したので、私は渋々、携帯をメイに渡しました。ハイテンションで弾丸トークを放つメイ。11歳も年下の少女に押されるさっちゃん。

 頭の回転が速いメイは、相手がタイ人でも喋りでは無敵です。

 喋りまくるメイを眺めながら、別にこの子とは何もないけど、気まずいな……と思っていると携帯が戻ってきて、その瞬間、ほっとしました。

 

「テンション高い娘だね」

 

 感心したような口調でポツリとつぶやいたさっちゃんですが、その後、私に内緒で別の男と付き合い、俗に言う二股をかけられていたことが判明。

 共通の友人からのタレコミで、全ての悪事がバレたさっちゃんは、居場所が無くなり、睡眠薬を大量摂取して自殺を図りました。

 私は九州から駆けつけた彼女の両親に責め立てられ、仕方がないので二股かけられていた事実を暴露。

 医師から人格障害も指摘され、以降、薬漬けの療養生活を送ることになったさっちゃんは、夏のある日、心臓発作であっけなくこの世を去ってしまいました。

 

「電話代の請求が5万も来たから調べてもらったら、あたしフランスに長電話してたみたいなんだけど、記憶にないの……」

 

 今思えば、健康なときからそんなことを言っていたさっちゃん。人生崩壊は時間の問題だったのかもしれません。

 

 話を戻してメイですが、あるときソンクランのパーティに呼ばれ、「J」の向かいにあるタイ人経営のスナックに顔を出したところ、ちょっぴり飲んで食って、勘定書きは9千円。

 高いな……と思いつつ払ったのですが、そのとき嫌な感じがしたため、しばらく「J」に顔を出さない日が続きました。 するとメイから「6千円返すから来て!」という電話が。やっぱりボッタクってやがったか。と「J」に行くと、

 

「クーン・ホックパンイェン(6千円返して)」

 

 メイが毅然とした口調で母親に言いました。タイ人だけどタイの土を踏んだ経験が無く、日本人感覚が理解出来る彼女は、私が来なくなった理由を悟り、自分の親に話をつけたのです。

 お母さんは渋々6千円を返してきましたが、心の中で「ケチ」と罵っているのが表情から読み取れました。

 

 そんなメイでしたが、タイでは15歳になると身分証の所持が義務付けられます。

 本来なら手続きのため、一度はタイに「帰国」しなければならない彼女ですが、両親は自分らが日本に戻れなくなるのを恐れ、タイに帰ろうとしません。

 メイ当人もまた、一度タイに行ってしまえば、日本に帰るのは至難の業です。

 結論から書けば、誰も何も出来ないまま、メイのアイデンティティは宙に浮きっぱなし。無学なメイの父母は確定申告すらできず、面倒なことはどんどん先送りするタイプの人でした。

 

 その頃から、メイの心は明らかに荒んでいました。突然カラオケのマイクに「ウォーイ」と大声で叫び、驚いた私の顔を見てニヤリと笑い「怖かった?」と訊いたと思えば、今度は父親を罵り、意味不明の言葉をタイ語でわめき散らし……。

 一方でヤンキー活動にも力を入れていました。伯父であるDの威光は遥か新宿まで届いていたようですが、繁華街で遊ぶ金はどこから出ていたのでしょう?

 メイは同じ境遇の無国籍少女達を、K製鉄の作業員に斡旋。アガリを自分の小遣いにしていました。

 

 まともなバイトも出来ない無学な貧乏少女が金を掴むには、身体を売るしか方法はありません。

 一年前とうって変わった荒みっぷりは、見ているだけで痛々しいものがあり、「J」からも自然と足が遠のいてゆきました。

 そうこうするうち他県へ異動が決まった私は、それをメイに告げることもなく縁は切れました。否、可哀想とは思いましたが、これ以上深入りするのはまずいと、自分から縁を切ったのです。

 

 つい最近、気まぐれに「J」に電話をかけてみました。

 メイが出たらどうしようかと思いながらコールすると、いつまでも着信音が鳴り続け……応答する者は誰もいません。

 全て終わったんだ。そういうことにして、私は携帯を切りました。

(了)