スリランカ人僧侶の寺──茨城県つくば市

 

吉倉槇一

 都会と場末のあやしい暗がりが三度の飯より好きな元バックパッカー。マニラならエルミタ/マラテ、クアラルンプールならブキッ・ビンタン、香港は尖沙咀をこよなく愛し、趣味はバンコクのヤワラーで迷子になること。東京なら谷中の枯れたたたずまい……。

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 インドの下方に浮かぶ島国・スリランカは目立たない国だ。

 

 面積は北海道の8割ほどしかなく、人口は2100万前後。この国の物産で日本でもっとも親しまれているのは紅茶だろうが、セイロンティーという単語だけでスリランカを連想できる人もそう多くない。

 そんな馴染みのうすい国だけに、茨城県つくば市にスリランカ人が住職を務める寺があり、その周辺に多くのスリランカ人が住んでいると聞いて、興味を持つ人が果たして何人いるか。とにかく、現地へ行ってみることにした。

 

 新宿駅から宇都宮線に乗りかえて1時間。大宮より先は都市部の郊外の眺めというより、黄緑色にもえる田園地帯の景色が続き、その上に夏の量感のある雲がひろがっている。

 

 古河駅のひなびたロータリーで、数年前、スリランカ人男性と入籍した友人のMが運転する車に同乗した。

 私と彼女の付き合いもスリランカが縁になっている。2人とも以前から上座仏教に関心を持っていたが、スリランカはその伝統においてもっとも由緒ある国なのである。

 仏教への憧れから、私はスリランカを旅したことがあり、Mもまた、上座仏教の勉強がきっかけでスリランカ人と結婚した。

 

 Mの夫は市内で中古車ショップを開いている。

 30代前半のきびきびした動作が印象的な人物で、日本語も上手だ。以前パチンコ店だった建物は2階が従業員用の寮になっており、彼はここに友人たちを住まわせていて、建物全体がちょっとしたスリランカ人のコロニーになっている。

 

 彼らから話を聞くため、店の裏手にまわって錆びついた階段を昇った。

 2階のがらんとしたフロアには異様な臭気が漂っている。香辛料と体臭が混ざりあったインド文化圏独特の匂いだ。日本の夏の、蒸し暑くしんとした雰囲気のなかでこの匂いをかぐのは不思議な感じがある。

 中央の調理場はリビングの役割も果たしており、壁にはスリランカの国旗が貼られている。ソファに座って待っていると、Mの紹介で2人の男女が部屋に入ってきた。

 

 ラシットクマーラとアノマクマリは夫婦で、ともに30歳前後のカップルだ。夫のラシットクマーラはスリランカ南部のベリヤッタ出身で、来日して8年目になり、現在は佐野市で溶接業をしている。

 妻のアノアクマリは世界遺産の仏教遺跡があることで有名なアヌラーダプラ出身で、洋服の仕分け工場で働いている。

 しばらく国に帰っていないが、日本での境遇に不満はないという二人。週末の夜にはみんなでこの部屋に集まり、酒を飲んだり楽器を弾いたりして楽しむ。

 

「日曜日はお寺に行ったりしますか?」

「ええ、普段はそうですね。でも、今日は取手市でイベントがあるのでそっちに行きます」

 

 取手市でユーキスターというバンドのライヴがあるらしい。聞いたことがないが、在日スリランカ人の間では有名なバンドだそうだ。

 

 茨城県つくば市が公表したデータによると、茨城県の外国人登録者は全国で10位と上位にあるが、中でもつくば市の登録者数は県内トップだ。

 背景には、つくば市が大規模な工業団地をいくつも抱えており、大勢の外国人労働者が雇用されていることがある。

 外国人の内訳でスリランカは11位だが、国の規模やその下位にロシアやベトナムが来ているところを見ると、つくば市におけるスリランカの存在感はかなり大きいと考えていいだろう。

 スリランカ人を専門の顧客とするバンドが近くの町で活動しているというのも、その事実を裏付けしているようだ。現在は閉鎖中だが、つくば市にはスリランカ領事館もある。

 

 「亀仙人街」という変わった名前の商業施設に場所を移し、スリランカレストランで食事をした。

 テーブルを囲むスリランカ人と日本人のカップルや家族連れを見ていると、両国の交流が意外に進んでいるのを実感させられる。

 亀仙人街にはスリランカ雑貨専門店もあり、中年のスリランカ人が店番をしていた。

 店内には食料品のほか、日用品や薬、わずかながら雑誌や辞書なども置いてあり、スリランカ関連の品物がたいていそろっている。先ほど話を聞いたアノマクマリも、料理に必要な調味料などはここに買いに来ると言っていた。

 

 冒頭で触れたスリ・サンブッタローカ寺は、県道24号線をそれ、住宅街の路地をしばらく行ったところにある。

 日曜日で境内は活気があり、乗用車がひんぱんに出入りしている。敷地はひろく、奥には高さ4メートルはある大仏が鎮座しているが、まだ完成にはいたらないらしく、全体に覆いがかけられていた。

 

 建物から出てきたスタッフに用件を述べると、住職のオフィスに通してくれた。寺内の案内がどれもシンハラ語で書かれているのが新鮮に感じられる。

 

 住職のダンマロカ氏は39歳。愛想良く、とつとつと日本語を操るが、その口調は力強い。

 住職は東北大震災直後から支援活動を行ったことで知られており、大手新聞社の記者が取材に来たこともある。

 日本ではあまり報道されていないが、2004年に起きたスマトラ島沖地震の余波で、スリランカも大きな被害を受けた。その際日本の支援を受けた返礼として、3・11にはスリランカから救援部隊が送られている。

 住職によれば、関東一円から定期的に通う信者だけでも500人は下らないそうだ。

 

 寺内のスピーカーから流れるくぐもった説教の声や、白いローブのような法衣をまとった若い女性信徒の姿が懐かしかった。

 大仏は本国から職人を招いて制作しており、今年11月には落成の予定だ。また、大仏の隣にはこれも施工中の廟があり、菩提樹の若木が祀られていた。これはインドのブッダガヤーから取り寄せたものだそうだ。

 

「仏像と菩提樹には特別なオーラがあります。信者の方々にもその恩恵を受けてもらいたい」

 

 菩提樹の鉢に手を添えながら、ダンマロカ氏はそう語った。

(了)

 

参考資料:

3・11後の日本とアジア(早稲田大学アジア研究機構編・めこん・2012年)